vendredi 26 juin 2020

印欧語の格の日本語名

格の名称はヨーロッパの言語ではギリシア語・ラテン語文法以来それぞれ一貫しているところ、日本語の文献におけるそれらの訳語には相当の不統一がある。ここではインド゠ヨーロッパ語の伝統的な格の名前についてそれらを一覧にして並べてみる。見出し語としては英語の用語を用いる。なお、ドイツ語を代表としていくつかの言語では 1 格、2 格といった要領で番号で呼ぶこともあるが、これはわざわざ掲げなかった。

  • Nominative — 主格。これについては原則としてゆらぎがない。
  • Vocative — 呼格。これも唯一の定訳だと思われる。
  • Accusative — 対格または目的格。後者はより広義で曖昧な印象もあるが、かならずしも英語ばかりでなく、サンスクリットのような複雑な言語でも accusative を目的格と呼んでいる例がある (辻後掲書)。そのほか Wikipedia によれば業格という呼び名もあるそうだが、私は本のなかで実例を見たことがない。〔記事末尾に追記あり〕
  • Genitive — 属格、しかしスラヴ語の業界では生格と称するならわし。所有格ともいえるが、これは英語やデンマーク語のごとく格変化の衰退した言語でこの格の用法が所有に限定されている場合。
  • Dative — 与格、古い本では為格とも。英語では間接目的格。為格および次の従格という名がいまも現役なのはサンスクリット語の業界だけかと思われる。
  • Ablative — 奪格、古い本では従格とも。同じものを離格というのは場所・方向の格の体系が豊かな (接格などと組になることを意識する必要がある) フィンランド語のような別語族の用語ではないか。
  • Locative — 地格、位格、処格、所格、依格、於格、位置格と、いちばん一定しないが意味あいは大同小異。スラヴ語では前置格にあたる。
  • Instrumental — 具格、ときに助格、スラヴ語では一般的に造格。具格の字は「道具」のそれと並んで倶の代用として「ともに」の意味をもあわせもっており、手段と随伴というこの格の主要な 2 つの用法を適切に言い表していてたいへん優れている。

以上の 8 つが基本だが、さらに第 9 の格として印欧祖語には allative あるいは directive があった可能性がある。これは向格または方向格が定訳 (大城・吉田『印欧アナトリア諸語概説』は後者)。また隣接言語からの影響で新たな格を生ぜしめた場合もあるが、それをここに述べつくすのは難しい。(印欧祖語についての事実は Fortson, Indo-European Language and Culture, ²2009, p. 113 によった。)

ときにこれらを大別するために direct case「直格、直立格、正格」と oblique case(s)「斜格」という用語が使われることがある。直格はふつう主格および呼格、斜格はそれ以外の残りの格の総称 (あるいはそれらがすべて合流してしまった場合のその格の名) として使われる。呼格がない言語であっても斜格に対する意味で主格の別名として直格と言う場合がある。また特定の言語と論述の文脈・用途によっては対格をも直格のなかに含めることがある (ギロー『ギリシア文法』がその例である:邦訳 34 頁注 3 を見よ)。

格の順番は、ギリシア語およびラテン語では伝統的に主格・属格・与格・対格・(奪格)・呼格と並べている。これはすでにディオニュシオス・トラクスのような古代の文法家から行われている由緒正しい配列である。後述するサンスクリットにおいてもそうだが、呼格は正式な格として認められなかったこともあり、その位置は一定せず主格の直後に置かれる場合もある。奪格はギリシア語にないためこれに倣ったラテン語の文法が主属与対の後ろに付け加えたものである。またたとえば現代のドイツ語の格が主属与対の順番に番号を振っているのもこのラテン・ギリシアの両古典語の伝統による影響と思われる。

ところで他方、サンスクリット語においてはパーニニ以来、主格・(呼格)・対格・具格・与格・奪格・属格・処格という順に並べる決まりとなっている。じつはこちらのほうがラテン・ギリシア語の伝統よりも理にかなっている、というのは名詞の格変化において、すべてあるいは大部分の場合に同形となるものが隣接して並ぶようになっているからである。

まず印欧語では歴史的理由から、中性名詞の主格と対格はつねに同形である (中性=無性は無生物のモノを表す名詞であり、したがって能動的になにかをする主体ではないから主格を本来もたない。主格はのちに対格から転用されたため同形なのである。高津前掲書、54 頁を参照)。また性にかかわらず呼格は主格と同形であることが多い (中性ではかならず、また男性・女性でも双数・複数では同様)。ここから主・呼・対をこの順に並べるのが便利であることが従う。

それからラテン語ならびにサンスクリット語において、複数の与格と奪格はどんな名詞でも同形である。サンスクリット語の双数ではさらに具格もこれと同じであるから、具・与・奪は変化表において隣りあっているのが望ましいことになる。サンスクリット語の双数ではまた属格と処格もつねに同形である。こうしたことからサンスクリットの 8 格の順番が確定するのであるが、これに対してラテン語の記述で主と対、与と奪が互いに離れていることは変化表を整理し暗記するうえで無用の障害を生じることになる。

一方ギリシア語の双数では属格と与格がつねに一致するので、サンスクリット語と違ってこの 2 つが隣りあっているには一定の理由がある。しかるに主格と対格がかけ離れていることはやはり無意味であって、実際これがために伝統的な配列を廃して異なる順番を工夫する文法書が現れるゆえんとなったのである。早くも 200 年まえにラスムス・ラスク (1787–1832) がその反伝統派の嚆矢となったことが次の引用文に看取される:
〔1811 年のアイスランド語文法において〕彼は,対格が主格の直後に置かれなければならないということを,未だ悟っておらず,主格,属格,与格,対格という伝来の順序を保持しているが,後には熱心にそして首尾よくその順序を排除する.(イェスペルセン、新谷訳注『ラスムス・ラスク』大学書林、1988 年、71 頁)
さて周知のようにドイツ語では近年まで主・属・与・対の順番が根強く行われているが (現代語のみならず、古高ドイツ語や中高ドイツ語の文法書を見てもそうである)、これと並んでゲルマン語全体としては (すなわちアイスランド語・フェーロー語および古語であるゴート語や古英語など) ラスクの影響もあってか主・対・属・与あるいは主・対・与・属も有力となっているように見受けられる。ドイツ語においてさえも、つい最近の鷲巣『これならわかるドイツ語文法』(NHK 出版、2016 年) では 1 格・4 格・3 格・2 格という配列で表が作られている (ただしこれは形態の一致ではなく使用頻度に従った順番らしいが。58 頁)。

〔2020 年 9 月 13 日追記〕対格の古い別名「業格」の実例を、榊『解説梵語学』という明治期の本のなかに見いだした。

『星の王子さま』サンスクリット語訳・献辞

ここまでずいぶん回り道をしてきたが、ようやくサンスクリット語をまともに勉強しようという意欲が芽生えたので、まずはデーヴァナーガリーを覚えてみた。例によって『星の王子さま』にはサンスクリット語訳 कनीयान् राजकुमारः (kanīyān rājakumāraḥ) も出ているようなので、これを読むことを目標とする。

余談ながら、この本の表紙にデーヴァナーガリーのタイトルの下にラテン文字で Kaniyaan RaajakumaaraH と書かれているのは間違いであろうと思う。ここでは長母音を ā, ī などでなく aa, ii と、またヴィサルガ ḥ を H とするなどして、扱いづらい特殊な文字を避けた記法がとられているが、最初の i も長母音なので正しくは Kaniiyaan となるはずである。もっと言えば語頭に大文字を使っているのも不用意である:この翻字方式は ITRANS かなんなのか少しはっきりしないが、ヴィサルガを H で表していることから見て大文字と小文字で意味が変わる方式なのは確実であり、単語の頭だからと勝手に大文字にすることはできない。

次のとおり版元のページにはその冒頭の献辞の部分がサンプル画像として掲載されている。今回は文字を読む練習としてそれをラテン文字に翻字してみた。方式は IAST によるが、大文字は使わなかった。まだ勉強を始めたばかりで単語の区切りはよくわからないので後の課題とし、スペースは白文と同じ、つまりシローレーカーがつながっているかぎり分かち書きせずにそのまま書いておく。



“leoṃ vartham” uddiśya...

pustakam idam ekasmai prauḍhajanāya samarpyamāṇam asti iti ataḥ bālamitrāṇāṃ purataḥ kṣamāṃ yāce | etasya kṛte mama nikaṭe vyājaḥ kaścid vartate eva : ‘astim saṃsāre saḥ mama atīva antaraṅgaṃ mitram asti’ iti | aparaḥ api ekaḥ vyājaḥ asti — ‘saḥ prauḍhaḥ janaḥ sarvaṃ kimapi avagantuṃ śaknoti, bālānāṃ kṛte uddiṣṭāni pustakāni api’ iti | mama pārśve tṛtīyaṃ kāraṇam api asti, tad ittham asti — ‘eṣaḥ prauḍhaḥ janaḥ phrāṃs-deśe vasati, tathāpi saḥ bubhukṣayā śaityena ca pīḍitaḥ asti | saḥ aparasya sahānubhūtim apekṣate | kaścit tasmai sahānubhāvaṃ darśayet’ iti | ete vyājāḥ yadi paryāptāḥ na syuḥ, tarhi mayā etat pustakaṃ tasmai bālāya utsargīkriyate yasmin bālye kadācid eṣaḥ prauḍhaḥ janaḥ āsīt | sarve prauḍhāḥ janāḥ ādau bālāḥ eva tu āsan (kintu katipayāḥ janāḥ eva etaṃ viṣayaṃ smaranti yat te api tasyāṃ bālyāvasthāyām āsan iti) | ataḥ kiñcit parivartanaṃ vidhāya eṣaḥ utsargaḥ idānīṃ prastūyate —

“leoṃ vartha” sya kṛte
yadā saḥ bālaḥ āsīt |


とりあえず文字を読んでみただけだが、連声規則をしっかり覚え、文法をちゃんと学んだうえで辞書を引けば単語を分けられるようになるはずなので、これを正しく読めるようになることが当面の目標である。


〔2022 年 6 月 30 日追記〕上の記事を書いたあと、私は結局すぐにサンスクリットの勉強に飽きてしまい継続できなかった。デーヴァナーガリーが (かなりゆっくりではあるがいちおう) 読めるようになったことだけがこのときの成果であった。

しかしその後ちょうど 2 年を経た現在、ふたたび興味が再燃してとうとう本当に勉強を始め、この数日集中して上村・風間『サンスクリット語・その形と心』をまもなく通読するところまできている。それとともに定番の教科書、ゴンダの『サンスクリット語初等文法』に取り組みはじめ練習題を VI まで終えたところであり、これについては近いうちに (これまでにラテン語・ギリシア語の多くの教科書の解答を作ってきたと同様に) 解答の記事を作成する予定でいる。

このように最小限の勉強を経たことで気づくようになったのだが、上のサンスクリット文を改めて眺めてみると、これはひょっとして単語をすでに (複合語以外あらかた) 区切った形で提示してくれているのではないだろうか。スペースがいっぱいあり、子音で終わっているのにシローレーカーが切れているところが多数あるではないか。文の途中でヴィラーマが現れるということは本来の書法ではありえないはずである。またもうひとつすぐに目につく奇妙な点がある:何度も出てくる saḥ という単語 (指示代名詞 tad の男性単数主格) が、子音で始まる単語のまえでもその形であることだ。もっとちゃんと単語を調べながら読んでみないとしかとはわからないが、まだ二、三不可解な箇所も散見される。

といっても間違いを疑っているのではない。訳者はインド人のサンスクリット学者なのだから、素人の気づくようなミスはするまい。となればこのサンスクリット語はひょっとして、かなり学習者に親切な形でわざと書かれているのではないかというのがいまの所見である。想定していたよりもハードルが低いのかもしれず、早いところゴンダを読み終えてこの読書に進んでみたいと思っている。