For the readers not acquainted with Japanese, there is an abridged translation of this entry and the summary of my decipherment at the very bottom.
つい先日、『ファイアーエムブレム Echoes』の設定資料集が発売されました。その出来は個人的に見ると、ビジュアル面は充実していてファンアートなど描かれる人にとっては価値が高いと思われるものの、背景設定のほうはさほど新情報が盛りこまれているわけでもなく期待したほどではなかったように感じます (もっとも、新しい説明が後づけで出てくる余地がないということはゲーム単体の完成度の高さと表裏一体の事柄ですが)。私としては (アルムとセリカ以外の) キャラの生年すら不明なこと、最終マップ BGM「神よ、その黄昏よ」の歌詞が載っていないことがとくに不満でしたし、イラストレータさんたちにとっても各キャラクタの身長のような基本的情報が欠けていたことは重大な短所でしょう。とはいえ今回の主題はこの本の批評ではありません。
まえがき
つい先日、『ファイアーエムブレム Echoes』の設定資料集が発売されました。その出来は個人的に見ると、ビジュアル面は充実していてファンアートなど描かれる人にとっては価値が高いと思われるものの、背景設定のほうはさほど新情報が盛りこまれているわけでもなく期待したほどではなかったように感じます (もっとも、新しい説明が後づけで出てくる余地がないということはゲーム単体の完成度の高さと表裏一体の事柄ですが)。私としては (アルムとセリカ以外の) キャラの生年すら不明なこと、最終マップ BGM「神よ、その黄昏よ」の歌詞が載っていないことがとくに不満でしたし、イラストレータさんたちにとっても各キャラクタの身長のような基本的情報が欠けていたことは重大な短所でしょう。とはいえ今回の主題はこの本の批評ではありません。
『Echoes』をプレイしたときから気になっていましたが、おもに最後の第 5 章〜クリア後に見かけることになった魔法陣がありましたね。あの地下のマップを何度も転移するさいに眺める機会があったかと思います。これはドーマの魔法陣とミラの魔法陣という 2 種類があって、かなり小さな画像ですが設定資料集 57 頁でも確認することができます。
これはネットに転がっていた画像で、ミラの魔法陣のほうです (出典 URL は後述)。ゲーム中でもこの文字は鮮明に判読することができて、明らかにギリシア文字がそのまま使われていることに興味を惹かれたものです。ギリシア語を勉強したことのないかたでも、θ や ω など数学や物理でなじみのある文字に気づかれたことでしょう。
しかし、この言語に触れたことのない人でも (いやむしろないからこそ?) ただちにわかるとおり、画面いちばん手前の部分だけはなぜか英語で ‘Pearl River’ と書かれています。これはおかしいと疑問に思われていたかたも多いのではないでしょうか? そこで今回はこれらの魔法陣に書きこまれた文字をすべて解説していきましょう。
先行研究
『Echoes』はまもなく発売から 1 年になります。私が調べたかぎり、これまでにこの文字の解読を試みたブログや掲示板の書きこみは以下の 3 つがあります:
- Serenes Forest Forums: ‘Deciphering the glyphs on the warp circles’ (2017 年 5 月 6 日)
- Reddit: ‘Something that I just noticed in Act 5 of SoV’ (2017 年 7 月 11 日)
- 個人のブログ:「【FEエコーズ】地図の文字を解読!」(2017 年 5 月 3 日)
日付順にしていないのは、最後の日本語の記事はこの魔法陣についてが主題でなくわずかにしか触れられていないためです。この 1 番めの掲示板のトピックがさきほどの画像の出典で、ここには魔法陣単独の画像もあるのでそれもいまお借りしておきましょう:
前者が「ドーマの魔法陣」、後者が「ミラの魔法陣」と設定資料集では呼ばれているものです。魔法陣の中央にそれぞれドーマとミラの紋章がかたどられていることが見てとれます。なお設定資料集所収の画像も小さく判読しづらいものですが、そちらは文字の部分が気もち濃い目に写っていて気休め程度には参考になります。
じつのところ、上掲の 1 番めのスレッドは画像以外にあまり役立つところがなく、解読に関して有益な議論にはなっていません。話題提起者はギリシア語の知識がまったくないようで、アクセント記号を完全に落としているほか、ミラの魔法陣左上の «βοηθήσει, είμαστε ο» をこれだけで完結するフレーズと誤解し、機械翻訳にかけてか ‘help us’ と訳しているところが致命的です (詳しくは後述しますが、ここで切ったら文にはなりませんし ‘us’ はどこにもありません)。ただしドーマの魔法陣について内側の小さい文字を判読しようと試みた努力には価値があります。
2 番めの reddit の書きこみはミラの魔法陣のみに関する検討です。その内容は先のものと大同小異で、‘help us’ に関してまったく同じ陥穽にはまっているほか、右上を ‘slaves of the master’ と複数形で訳しているところはまさに想像で都合よく解釈したという印象ですが、謎の ‘Pearl River’ に関して一定の案を挙げているところには見るべきものがあります。さらに、返信でギリシア語の知識のある ScipioAsina さんが説明している内容は私もまったく同意見で、本稿ではこれに賛同したうえでもっと詳しく解説し、私見を多々付け加えていくことになるでしょう。
ところで、あからさまにギリシア文字が書かれているミラの魔法陣に対比して、ドーマの魔法陣のほうはファイアーエムブレムオリジナルの文字が使われています。この文字は『Echoes』ワールドマップでも地図の随所に見受けられ、前掲 3 番めのブログにて解読が試みられているものです。
しかしこれはどうやら『覚醒』のときから使われている文字で、(私は未確認ですが)『覚醒』の設定資料集に表が載っているということです (Fire Emblem Wiki のこのページで参照できます)。それにのっとってこの文字を括弧つきの「古代文字」と呼びましょう。『覚醒』のファルシオンや、『ヒーローズ』でも総選挙ルキナの武器ゲイルスケグルにこの文字で隠しメッセージが彫られているので、興味のあるかたは調べてみてください。
しかしこれはどうやら『覚醒』のときから使われている文字で、(私は未確認ですが)『覚醒』の設定資料集に表が載っているということです (Fire Emblem Wiki のこのページで参照できます)。それにのっとってこの文字を括弧つきの「古代文字」と呼びましょう。『覚醒』のファルシオンや、『ヒーローズ』でも総選挙ルキナの武器ゲイルスケグルにこの文字で隠しメッセージが彫られているので、興味のあるかたは調べてみてください。
これらの言語について
まずこれら魔法陣に用いられている言語ですが、結論から言えばミラのほうも、「古代文字」で暗号化されたドーマのほうも、同じく現代ギリシア語です。それもミラのほうを見ればわかるとおり、ごく最近 (1980 年代) になって改められた、気息記号を廃止しアクセントを鋭アクセントに一本化した新しい正書法で書かれているディモティキ (民衆口語) です (といってもこれだけ短い文例ではカサレヴサ=「純正語」と比べて文体や語彙がどうのという違いはあるかわかりませんが)。
これはたいへん奇妙なことです。ふつうたんにギリシア語といえば、ギリシア本国以外では古典ギリシア語を指すことのほうが多いものです (逆に現代語のほうに「現代ギリシア語」‘Modern Greek’ のように「現代」をつけて区別します)。古典ギリシア語というのは紀元前 5–4 世紀にアテナイを中心とする地方で使われ、プラトンらが著作に用いたそのころの言語のことです。
そして前掲のブログでも触れられていますが、『Echoes』作中では「古代文字」でラテン語が随所に書きこまれています。そしていま見ているギリシア語は、ラテン語と同じ資格で権威ある古代の言語として、雰囲気づくりの小道具として採用されているのですから、これは当然古典ギリシア語でなければいけません。にもかかわらず見るからに現代語のつづり・文法で、なおかつディモティキの記法を用いているのはおかしなことです。
これはちょうど日本語における旧字体・旧仮名づかいに対する新字新仮名のような関係に似ており、古文書をひもといてみたら現代仮名づかいで書かれていたと思えばどれほどちぐはぐかわかるでしょう。正しくは現代仮名づかい (ディモティキ) ではなく旧仮名づかい (カサレヴサ) でもなく、平安や奈良時代の日本語 (古語) で書くべきということです。
こう言うと古語を自力で書くなんて手に余るだろうと思われるかもしれませんが、さきにも述べたようにギリシア語は日本語とは事情が違って、古典語のほうが広く一般的に学ばれており調べるのも容易なのです。ただ大きな違いは機械翻訳に対応しているかどうかという 1 点です。自力で勉強したり知っている人を探したりするなら古典語のほうが簡単に見つかりますが、機械翻訳を頼った場合のみ、現代語のほうが楽に扱えるのです。そこまで踏まえると、なぜ『Echoes』が現代ギリシア語を使ってしまったのか、その残念さが真に理解されるでしょう。
ミラの魔法陣について
それでは実際の翻訳に入ります。まずはひねりもなくギリシア文字が明記されているミラの魔法陣から始めましょう。もっともなぜ「古代文字」ではなくギリシア文字 (と一部ラテン文字の英語) を使ったのかという点はたいへんな難問なのですが、これは脇に置きます。
正三角形の並びに配置された 3 つの小円のなかに 1 語ずつ書かれている単語は、手前左が ζωή (zōē), 右が θάνατος (thanatos), そして奥は小さくて見づらいですが αναπαραγωγή (anaparagōgē) です。これらはわかりやすく「生」「死」そして生物学用語としての「生殖」を意味しており、べつだん解釈に曖昧さの余地はありません。とくにゲームをやるような人にとっては θάνατος (古典語発音ではタナトス) はおなじみの単語でしょう。
ほかに読める箇所はいちばん外側の円に書かれた文で、左上から時計回りに «βοηθήσει, είμαστε ο», «δούλος του Κυρίου», «Pearl River μας» となっています。アクセントもコンマも大文字も、表記はすべてこのとおりです。ギリシア文字をご存知ない人のためにラテン文字に翻字しますと ‘boēthēsei, eimaste o / doulos tou Kyriou / Pearl River mas’ となります。
すでに少し説明しましたが、これは 3 つの独立したフレーズではなく、1 つまたは 2 つの文になっています。2 つかもしれないのは英語まじりの «Pearl River μας» が意味不鮮明で立ち位置が明瞭でないためです。残りの部分はなぜつながっているとわかるかというと、左上の «βοηθήσει, είμαστε ο» の最後、«ο» という単語は定冠詞で英語の ‘the’ にあたる語だからです。『フィネガンズ・ウェイク』ではあるまいし、the で終わる文というのはギリシア語でも通常ありえません。
こうして «βοηθήσει, είμαστε ο δούλος του Κυρίου» はひとつづきの文だということがわかります。残ったパール・リバーもあわせて、«βοηθήσει, είμαστε ο δούλος του Κυρίου Pearl River μας» (ただこれは統語的に困難) か «Pearl River μας βοηθήσει, είμαστε ο δούλος του Κυρίου» なのか (こちらも βοηθήσει が文法違反なのは後述)、それともパール・リバーは別なのかは不明です。
ちなみに「真珠の川」パール・リバーを一貫してカタカナで書いているのは、ギリシア語のなかでここだけ英語で浮いているからです。もし英語であることがミスでなく意図的なものだとしたら、日本語でもこのように訳すべきでしょう。
まず冒頭の «βοηθήσει» という語ですが、これは動詞で «βοηθώ»「助ける」の活用形の 1 つであることには疑いがありません。しかしこの «βοηθήσει» という語形は決して単独では現れない形なのです。助動詞 έχω (英 have) と組みあわせて完了形の一部として使われるか、小辞 θα や να を伴って未来形や接続法になるのがこの変化形です。ですからこれは単純に誤りと思われます。
私見では、これは正しくは接続法 3 人称単数 «να βοηθήσει» か、そうでなければ命令法アオリスト «βοήθησε» の間違いでしょう。後者は明らかに「助けよ」の意味ですが、前者も命令や祈願に使えて「助けんことを」のようなニュアンスです。主語・目的語を補って訳せば「神がわれわれを救わんことを」(May God save us.) と言いたかったのでしょうか。
それにしたって主語はともかく目的語がないことは不自然です。そこで浮いているパール・リバーのあとの人称代名詞 «μας» を対格の「私たちを」と解したくなります。もし «Pearl River [να] μας βοηθήσει» だとすれば、「パール・リバーがわれわれを救わんことを」という願望を述べた接続法と読めます。
現代ギリシア語で人称代名詞は、命令法を除いてかならず動詞の定形の直前に置かれますから、文法的にもこれは通ります。また、少しあとの «Κυρίου» に見られるようにこの魔法陣をデザインした人は大文字を知っていますから、かりに «βοηθήσει» から文が始まるとすればこちらも大文字書きするはずで、では «Pearl River» が文頭なのだろうと考えることは辻褄があっています。
現代ギリシア語で人称代名詞は、命令法を除いてかならず動詞の定形の直前に置かれますから、文法的にもこれは通ります。また、少しあとの «Κυρίου» に見られるようにこの魔法陣をデザインした人は大文字を知っていますから、かりに «βοηθήσει» から文が始まるとすればこちらも大文字書きするはずで、では «Pearl River» が文頭なのだろうと考えることは辻褄があっています。
とはいえこれはまったく私の想像からくる独自見解であり、前掲の 2 つのスレッドではいずれも «μας» を属格「私たちのパール・リバー」ととってこの句を宙に浮いたままにしていることと対照的ですから、いまのところ補強する他人の意見はありません。あくまでひとつの案として受けとめてください。
また、英語で書かれた「パール・リバー」の正体とその表記の理由については私は答えを持ちません。前掲 reddit のトピ主はギリシア神話から三途の川ステュクスや忘却の川レテかもしれないと提案しています。その根拠はとくにないようですが、生や死などとあわせて書かれているところを見るとあながち的外れな想像でもないでしょう。それらと「真珠の川」を関連づけられる理由が神話のなかにあればご教示いただきたいです。
ここまでで話がだいぶ長くなってしまっていますが、まだ後半の «είμαστε ο δούλος του Κυρίου» の訳が終わっていません。もっともこちらは文法的にはさほど難しいところはありません。
最初の «είμαστε» は英語で言うところの be 動詞で、この活用形は ‘we are’ すなわち「私たちは〜だ」にあたります (主語もこの形に含まれているので改めて代名詞 we を言う必要はありません)。残りの部分は聖書的な決まり文句で (よく知られているようにギリシア語は新約聖書の言語です)、‘the servant of the Lord’「主 の僕 」の意です。したがって意味としては「私たちは主のしもべである」となります。
しかしこれも問題なしとはしません。まず文法的には、英訳ですでにお気づきのかたもいるかもしれませんが、数が一致していません。主語が「私たち」と複数なのですから、補語ももちろん複数の ‘the servants’、(現代) ギリシア語にすれば «οι δούλοι» でなければならないはずです。
さらに「主」‘the Lord’、ギリシア語で ο Κύριος という言いかたですが、これはキリスト教的な言葉づかいをそのまま踏襲したものに見えます。『Echoes』の舞台であるバレンシア大陸の人々はドーマやミラをそのように呼んでいたでしょうか? たしかにドーマ教団の人々は「ドーマのしもべ」を自称していた気がしますし、ミラのほうもクラスチェンジ像が「ミラのしもべ」と書かれていますが、人間が神を「主」と呼ぶ部分があったかどうか私にはわかりません。
しかもいま見ているのはミラの魔法陣です。かりに「主」と呼ぶことを認めたとして、ミラは女性なのですから (そしてそのことは神話の言い伝えや偶像から、バレンシア大陸で生きる人々にとって子どもでも知っている事実ですから)、«του Κυρίου» ということはありません。女性形の単数属格 «της Κυρίας» であるべきかと思われます。
以上のようにこのギリシア語文には、10 語にも満たぬ短さに比してあまりに多くの初歩的な誤りが見受けられます。おそらくデザイナーにギリシア語 (古典語・現代語いずれも) の知識がかけらほどもなく、機械翻訳かなにかで日本語か英語から現代ギリシア語に移したものでしょう。
そうであれば、‘Pearl River’ が意味深に英語であることにも深い含意はなさそうです。たぶん現代ギリシア語に対応する言葉が見つからず機械翻訳がそこだけ英語のままにしてしまったものを、知識のない者がこれもギリシア語の言いかたなのかと早合点したもの、と考えるのがいちばんありそうな線です。こういう細部こそちゃんとお金をかけて古典語の専門家に依頼するか、せめて文学部出の人間でもいれば誰かが気づいたのではないかと思うのですが。
こういうわけですから、ドーマの魔法陣についてもあまりまじめに捉えてもしかたはありませんが、乗りかかった船なので最後まで解説していきましょう。
まず魔法陣の外周部に書かれている「古代文字」ですが、これは画像下部から時計回りに ‘o ischyro ena dose mou dynami’ と復号できます。言語としては明らかにギリシア語なのでギリシア文字で書かれるべきところですが、この「古代文字」がラテン文字にしか対応していないためにこうなっています。
ギリシア文字をラテン文字で表すように、一定の規則でべつの文字体系に移す作業を翻字 (transliteration) と言いまして、本稿でも上で何度か行ってきました。これは本当であればちゃんと 1 対 1 でもとの文字に戻せるように表さねばなりません。古典ギリシア語の場合はだいたい世界共通で決まっているルールがあります。
しかしここがややこしいところで、現代ギリシア語は古典語からかなり発音が変わりました。たとえば母音の η, ι, υ, ει などがすべて同じ「イ」の発音になったり、もともと長短や開閉の区別があった ο と ω がいずれも「オ」になったりしています。そしてこれをラテン文字で表記するさいに区別せず i, o と書いてしまうことがままあり、今回の場合もそういう曖昧さが生じています。
そしてギリシア文字に直したときべつのつづりになるということは、ギリシア語では異なる単語・異なる変化形になってしまうということです。つまり、このようにラテン文字で書かれている場合、ギリシア文字に直す段階ですでに解釈が混入してしまうのです。このことをあらかじめお含みおきください。
Google 翻訳などはラテン文字表記の ‘o ischyro ena dose mou dynami’ のままでギリシア語と認識して翻訳してくれますが、いま試してみたところそこでは «ο ισχυρό ένα δώσε μου δύναμη» と解釈されています。しかし ‘o’ を男性単数主格の定冠詞 «ο» と読んだのでは宙に浮いてしまい、中性単数の «ισχυρό ένα» にかかっていきませんから、これは確実に誤読と言えます。
しかしこれも問題なしとはしません。まず文法的には、英訳ですでにお気づきのかたもいるかもしれませんが、数が一致していません。主語が「私たち」と複数なのですから、補語ももちろん複数の ‘the servants’、(現代) ギリシア語にすれば «οι δούλοι» でなければならないはずです。
さらに「主」‘the Lord’、ギリシア語で ο Κύριος という言いかたですが、これはキリスト教的な言葉づかいをそのまま踏襲したものに見えます。『Echoes』の舞台であるバレンシア大陸の人々はドーマやミラをそのように呼んでいたでしょうか? たしかにドーマ教団の人々は「ドーマのしもべ」を自称していた気がしますし、ミラのほうもクラスチェンジ像が「ミラのしもべ」と書かれていますが、人間が神を「主」と呼ぶ部分があったかどうか私にはわかりません。
しかもいま見ているのはミラの魔法陣です。かりに「主」と呼ぶことを認めたとして、ミラは女性なのですから (そしてそのことは神話の言い伝えや偶像から、バレンシア大陸で生きる人々にとって子どもでも知っている事実ですから)、«του Κυρίου» ということはありません。女性形の単数属格 «της Κυρίας» であるべきかと思われます。
以上のようにこのギリシア語文には、10 語にも満たぬ短さに比してあまりに多くの初歩的な誤りが見受けられます。おそらくデザイナーにギリシア語 (古典語・現代語いずれも) の知識がかけらほどもなく、機械翻訳かなにかで日本語か英語から現代ギリシア語に移したものでしょう。
そうであれば、‘Pearl River’ が意味深に英語であることにも深い含意はなさそうです。たぶん現代ギリシア語に対応する言葉が見つからず機械翻訳がそこだけ英語のままにしてしまったものを、知識のない者がこれもギリシア語の言いかたなのかと早合点したもの、と考えるのがいちばんありそうな線です。こういう細部こそちゃんとお金をかけて古典語の専門家に依頼するか、せめて文学部出の人間でもいれば誰かが気づいたのではないかと思うのですが。
ドーマの魔法陣について
こういうわけですから、ドーマの魔法陣についてもあまりまじめに捉えてもしかたはありませんが、乗りかかった船なので最後まで解説していきましょう。
まず魔法陣の外周部に書かれている「古代文字」ですが、これは画像下部から時計回りに ‘o ischyro ena dose mou dynami’ と復号できます。言語としては明らかにギリシア語なのでギリシア文字で書かれるべきところですが、この「古代文字」がラテン文字にしか対応していないためにこうなっています。
ギリシア文字をラテン文字で表すように、一定の規則でべつの文字体系に移す作業を翻字 (transliteration) と言いまして、本稿でも上で何度か行ってきました。これは本当であればちゃんと 1 対 1 でもとの文字に戻せるように表さねばなりません。古典ギリシア語の場合はだいたい世界共通で決まっているルールがあります。
しかしここがややこしいところで、現代ギリシア語は古典語からかなり発音が変わりました。たとえば母音の η, ι, υ, ει などがすべて同じ「イ」の発音になったり、もともと長短や開閉の区別があった ο と ω がいずれも「オ」になったりしています。そしてこれをラテン文字で表記するさいに区別せず i, o と書いてしまうことがままあり、今回の場合もそういう曖昧さが生じています。
そしてギリシア文字に直したときべつのつづりになるということは、ギリシア語では異なる単語・異なる変化形になってしまうということです。つまり、このようにラテン文字で書かれている場合、ギリシア文字に直す段階ですでに解釈が混入してしまうのです。このことをあらかじめお含みおきください。
Google 翻訳などはラテン文字表記の ‘o ischyro ena dose mou dynami’ のままでギリシア語と認識して翻訳してくれますが、いま試してみたところそこでは «ο ισχυρό ένα δώσε μου δύναμη» と解釈されています。しかし ‘o’ を男性単数主格の定冠詞 «ο» と読んだのでは宙に浮いてしまい、中性単数の «ισχυρό ένα» にかかっていきませんから、これは確実に誤読と言えます。
Google 翻訳の名誉のために言いますと、これは機械翻訳の精度が悪いと一概に責めることはできません。なにしろミラの魔法陣についてすでに見てきたように、『Echoes』のギリシア語はめちゃくちゃですから、もとが間違った文では認識のしようもありません。ともかく、これも機械翻訳頼りでは正しく推測できない箇所です。
そこで ‘o’ は間投詞の «ω»「おお」であろうと考え、全体を «ω, ισχυρό ένα, δώσε μου δύναμη» と読みます。ω は事実上の呼格標識です。ισχυρό は ισχυρός「力強い」の中性単数主格・対格または呼格、あるいは男性単数対格でありえます。ένα は数詞の「1」で、不定冠詞および不定代名詞として「ある〜な人、もの」をも意味し、性数格は前のものと同じです。しかし続きの語から見て主格や対格とは解しえず、ω からもわかるように私は呼格ととっています。もし続きが dose mou でなく na mou dosei であれば主格でした。
δώσε は δίνω「与える」の命令法アオリストで、これはミラの場合と違って正しい活用形です。μου は属格の人称代名詞で、現代語に与格はないのでこれで「私に」の意味になります。命令法なので代名詞が動詞のあとにきています。δύναμη は (主格も同形ですが) 単数対格で「力を」、これが目的語ですね。
ということで、以上を好意的に解釈すれば ‘Oh, [the] Mighty One, give me [the] power!’ となり、「古代文字」で書かれたゲーム中の文なのでそれらしい日本語にしてみれば、「おお〔全〕能なる者よ、我に力を与えたまえ」というところでしょう (欧米語の角括弧 [·], 日本語の亀甲括弧〔・〕は、原文に対応する語のない訳者・引用者の補足を表す慣習です)。
δώσε は δίνω「与える」の命令法アオリストで、これはミラの場合と違って正しい活用形です。μου は属格の人称代名詞で、現代語に与格はないのでこれで「私に」の意味になります。命令法なので代名詞が動詞のあとにきています。δύναμη は (主格も同形ですが) 単数対格で「力を」、これが目的語ですね。
ということで、以上を好意的に解釈すれば ‘Oh, [the] Mighty One, give me [the] power!’ となり、「古代文字」で書かれたゲーム中の文なのでそれらしい日本語にしてみれば、「おお〔全〕能なる者よ、我に力を与えたまえ」というところでしょう (欧米語の角括弧 [·], 日本語の亀甲括弧〔・〕は、原文に対応する語のない訳者・引用者の補足を表す慣習です)。
これは余談ですが、「古代文字」という呼び名は 2 千年後の『覚醒』の時代の理解ですから、『Echoes』の時代においては古いものでない可能性はあります。じっさい大陸地図に使われているわけですから現用の文字なのでしょう。
もっとも、ある文字が現役であることは、その文字で書かれた言語が現代語であることを含意しません。ほんらい楔形文字で書かれたシュメール語やヒッタイト語、ヒエログリフで書かれた古代エジプト語を、いまのラテン文字やカタカナで書き写すことは当然可能ですが、そうしたからといって言語まで新しいものになるわけではありませんね。
もっとも、ある文字が現役であることは、その文字で書かれた言語が現代語であることを含意しません。ほんらい楔形文字で書かれたシュメール語やヒッタイト語、ヒエログリフで書かれた古代エジプト語を、いまのラテン文字やカタカナで書き写すことは当然可能ですが、そうしたからといって言語まで新しいものになるわけではありませんね。
では怪しいところがいっさいなかったかというとそれはどうでしょうか。後半は完璧に正しいと思われますが、前半がどうも疑わしい。まず、英語で ‘[the] Mighty One’ と訳すとこれは神の呼び名のひとつとして古くから通用している言いまわしです。しかしこれをそのまま逐語的にギリシア語に移したような «ισχυρό ένα» という言いかたは本当に可能なのでしょうか。これがどうにも怪しい。
語順も怪しいし、ένα(ς) と言うとどうも不定のような感じがひしひしとしてきます。とある神、ある力持つ者というような、誰でもいい印象がしてドーマを表象している気がしません。とはいえ私も現代ギリシア語について明るいわけではないので、確信はないのですが。
加えて明らかに間違っているのは、これが中性形であること。これでは「力ある者」ならぬ「物」になってしまいます。先にもミラの魔法陣で «του Κυρίου» にツッコミを入れましたが、ここでも同じ理屈で、ドーマが男神であることは誰でも (なかんずくドーマに由来する魔道を使うような信仰ある者なら) 知っているはずの周知の事実ですから、男性形で呼ばない理由は考えられません。
外周部の文についてはこれくらいにして、ドーマの魔法陣にはまだ読める部分があります (便宜のため画像を再掲)。この外周部の文字に次いで 2 番めに大きいのは、いちばん内側に斜め 45 度で書かれているドーマの紋章の左下と右下の単語で、それぞれ ‘exousia’ と ‘theos’ と読めます。これはわかりやすくて、«εξουσία» は「権威、権限、権力」といった意味、«θεός» は「神」です。ここまでは前掲の最初のフォーラムでも指摘されています。
さらに 8 語、正八角形の形に並んだいちばん小さい単語群があります。ほとんどは小さすぎて長い単語ほど判読不能であり、これまで誰も読もうとしてきませんでした。しかるに 0 時のところから時計回りに番号をつけますと、3 番めのもの (上を北とすると東南東の位置) は短く 4 文字なので読みやすそうです。「I I I C I」のような字形をしていて、後ろ 2 字は間違いなく ‘ga’ でしょうが前半は ‘an’ にも ‘na’ にも見えます。しかし ‘anga’ よりは ‘naga’ (ナーガ?) と解するのが至当でしょうか。
そうすると残る 7 つもファイアーエムブレム作品の神格かと思われてきますが、5 番めすなわち南南西の位置にある単語は比較的明瞭に ‘thymos’ と読めますから、これは疑問の余地なくギリシア語の «θυμός» です。この単語はもと多義的で「魂、心」「欲求」「気概、熱意」「愛」「怒り」などなどを意味しましたが、現代語では「怒り」の一義に収まっているようです。
ほかのものの判読はさらに困難を極めますが、8 番め (北北西) のものがどうにか ‘al?th??a’ に見えるような気がして、そうだとすればこれはさだめし «αλήθεια»「真理」でしょう。また 4 番め (南南東) のものは ‘?a?ad???’、たぶん ‘ka?ad?k?’ かもしれず、ここまでが正しければ «καταδίκη» と思われ、これは法律用語で「判決」とくに有罪の宣告を意味します。
こうなってくると「ナーガ」には強い違和感があり間違いのような気がしてきますが、「ナーガ」と左右対称の位置にある 6 番め (西南西) のものは ‘akan??a’ のように見え、ここまでくるともう ‘Akaneia’「アカネイア」に違いありません。
残された 1, 2, 7 番めは文字数が多くそのぶんだけ小さく書かれているため、もっとも判読が至難です。上の画像ではとうてい読めませんが設定資料集のほうを見れば、2 番め (東北東) は ‘?atastro??’ すなわち «καταστροφή»「(大) 災厄」に見えないこともない気がします (そうだとすると文字数から見て、この「古代文字」の翻字方式は φ を ph でなく f に移していることになります)。
同じく 1 番め (北北東) は ‘?pana???o’ のように見え、かなり怪しいですが «επαναφέρω» だろうかと想像されます。つづりからわかるとおりこれは動詞で、「もとに戻す、修復する、復活させる」といった意味です (現代ギリシア語には不定詞というものがなく、「私は〜する」という直説法現在 1 人称単数形が辞書の見出し形になります。したがって正確にはこれも「修復する」ではなく「私は修復する」という意味です)。ほかがすべて名詞だったのにこれは奇妙なので、読み間違いかもしれません。
7 番め (西北西) はもっとも長くて字が小さく、設定資料集で見ても文字数すら判然としません。最初が g, 最後が a であることだけはまず間違いないでしょうが、あとのことはほぼいっさい不明です。たぶん ‘g [2–3 字] o [5–6 字] a’,さらに最大限想像力の翼をはためかせてみると ‘g??okt?n?a’ に見える気がしてきて、こうすれば «γενοκτονία»「大虐殺、皆殺し」と推測されます。
あまりに小さい文字のため、かなり無理に読んでいてなかば妄想めいた部分も多いですが、番号づけを改めて上から順に直してみると、最上段が「真理」と「復活」(?)、2 段めが「大虐殺」と「大災厄」、3 段めが「アカネイア」と「ナーガ」、そして最下段が「怒り」と「判決」、たぶん雰囲気としては「神の怒りと裁き」かと解釈されます。これでいちおうの筋は通っているのでないかと期待しますが、その当否は読者の判断に委ねるほかありません。これらの解読結果は記事末尾の画像にまとめてあります。
This is an attempt to decipher the letters on two magic circles (of Mila’s and Duma’s) appeared in Fire Emblem Echoes: Shadows of Valentia.
Regarding Mila’s circle, there is no such need to ‘decipher’, since here they used the Greek alphabet as it is in the real world. However, the sentence in modern Greek (not classical Greek, strangely enough!) is devastatingly broken and thus cannot be interpreted unambiguously.
The sequence of the words written there, «Pearl River μας / βοηθήσει, είμαστε ο / δούλος του Κυρίου», is I believe one sentence in this order. (Or rather the comma is misplaced instead of a period or semicolon, and this sequence may be virtually two sentences.)
Because «βοηθήσει» is a dependent form of the verb «βοηθώ» (‘I save’) and therefore cannot be used alone, it must be accompanied by some particle or auxiliary verb. This is why I read «Pearl River [να] μας βοηθήσει» (the verb «να βοηθήσει» is in subjunctive mood). While the personal pronoun «μας» has been understood as genitive modifying the preceding words (meaning ‘our Pearl River’) so far in the previous studies, I regard it as accusative ‘us’ and thus as a direct object of the verb. If my opinion is correct, the entire sentence means ‘May Pearl River save us’ as a prayer, though I don’t know what Pearl River is nor why it is written in English.
The rest of the sentence, «είμαστε ο δούλος του Κυρίου» is a simple statement that means ‘We are the servant of the Lord.’ As you may have noticed immediately, there is an elementary mistake. The predicate must be ‘the servants’ in plural form («οι δούλοι» in Greek) instead of singular «ο δούλος». Moreover, we find that «του Κυρίου» (‘of the Lord’) is genitive masculine (thus it represents a male Lord). Since the sentence is written on Mila’s circle, this must be feminine form, «της Κυρίας». (It must be a well-known fact for the people living in the continent of Valentia that Mila is female god.)
Most of the ‘ancient letters’ on Duma’s circle is too small to read. Some people had tried this challenge but no one could accomplish it in a thorough manner. By the virtue of Memorial Book Valentia Accordion (published on 30 March 2018 in Japan), some of the letters (but not all) have newly become legible, so that I managed to propose a suggestion of deciphering them in modern Greek.
On the outermost circle: ‘o ischyro ena dose mou dynami’. I consider the first word ‘o’ as interjection «ω» (‘oh’) instead of nominative definite article «ο» (‘the’). This is because ‘dose’ (δώσε) is in imperative mood (‘give!’) and thus ‘ischyro ena’ seems to be vocative case. (‘mou’ [μου, ‘to me’] and ‘dynami’ [δύναμη, ‘power’] are objects of the verb.) The meaning of the sentence is clear. However, ‘ischyro ena’ in neuter form is very strange, because similarly to the aforementioned argument for Mila, this is written on Duma’s magic circle and virtually all the people in Valentia must know that Duma is a male god. Besides, I’m not sure that indefinite pronoun ‘ena(s)’ can be used in this way, that is, of the same usage as English ‘one’.
The second largest two words lie below the Duma’s emblem at the centre of the circle. There is no doubt and no difficulty: they denote ‘exousia’ (εξουσία, ‘authority’) and ‘theos’ (θεός, ‘god’).
The smallest eight words arranged in the form of an octagon are too tough to read precisely. I made my best effort to read them with help from the Memorial Book, but still there remain many unreadable letters. The table below shows the result of my decipherment and corresponding Greek words I suggest (each ‘?’ stands for one letter to be read):
(On my observation, it seems that those who designed this magic circle transliterated both Greek η and ι to i with no distinction and φ to f instead of ph.)
* There is no infinitive (‘to restore’) in modern Greek and first-person singular present indicative form is substituted as a lexical (dictionary) form. But yet this is quite strange, for they could use here a corresponding noun such as «επαναφορά» (epanafora, ‘restoration’) or else. So my suggestion of «επαναφέρω» may possibly be incorrect.
Following is the summary image:
語順も怪しいし、ένα(ς) と言うとどうも不定のような感じがひしひしとしてきます。とある神、ある力持つ者というような、誰でもいい印象がしてドーマを表象している気がしません。とはいえ私も現代ギリシア語について明るいわけではないので、確信はないのですが。
加えて明らかに間違っているのは、これが中性形であること。これでは「力ある者」ならぬ「物」になってしまいます。先にもミラの魔法陣で «του Κυρίου» にツッコミを入れましたが、ここでも同じ理屈で、ドーマが男神であることは誰でも (なかんずくドーマに由来する魔道を使うような信仰ある者なら) 知っているはずの周知の事実ですから、男性形で呼ばない理由は考えられません。
外周部の文についてはこれくらいにして、ドーマの魔法陣にはまだ読める部分があります (便宜のため画像を再掲)。この外周部の文字に次いで 2 番めに大きいのは、いちばん内側に斜め 45 度で書かれているドーマの紋章の左下と右下の単語で、それぞれ ‘exousia’ と ‘theos’ と読めます。これはわかりやすくて、«εξουσία» は「権威、権限、権力」といった意味、«θεός» は「神」です。ここまでは前掲の最初のフォーラムでも指摘されています。
さらに 8 語、正八角形の形に並んだいちばん小さい単語群があります。ほとんどは小さすぎて長い単語ほど判読不能であり、これまで誰も読もうとしてきませんでした。しかるに 0 時のところから時計回りに番号をつけますと、3 番めのもの (上を北とすると東南東の位置) は短く 4 文字なので読みやすそうです。「I I I C I」のような字形をしていて、後ろ 2 字は間違いなく ‘ga’ でしょうが前半は ‘an’ にも ‘na’ にも見えます。しかし ‘anga’ よりは ‘naga’ (ナーガ?) と解するのが至当でしょうか。
そうすると残る 7 つもファイアーエムブレム作品の神格かと思われてきますが、5 番めすなわち南南西の位置にある単語は比較的明瞭に ‘thymos’ と読めますから、これは疑問の余地なくギリシア語の «θυμός» です。この単語はもと多義的で「魂、心」「欲求」「気概、熱意」「愛」「怒り」などなどを意味しましたが、現代語では「怒り」の一義に収まっているようです。
ほかのものの判読はさらに困難を極めますが、8 番め (北北西) のものがどうにか ‘al?th??a’ に見えるような気がして、そうだとすればこれはさだめし «αλήθεια»「真理」でしょう。また 4 番め (南南東) のものは ‘?a?ad???’、たぶん ‘ka?ad?k?’ かもしれず、ここまでが正しければ «καταδίκη» と思われ、これは法律用語で「判決」とくに有罪の宣告を意味します。
こうなってくると「ナーガ」には強い違和感があり間違いのような気がしてきますが、「ナーガ」と左右対称の位置にある 6 番め (西南西) のものは ‘akan??a’ のように見え、ここまでくるともう ‘Akaneia’「アカネイア」に違いありません。
残された 1, 2, 7 番めは文字数が多くそのぶんだけ小さく書かれているため、もっとも判読が至難です。上の画像ではとうてい読めませんが設定資料集のほうを見れば、2 番め (東北東) は ‘?atastro??’ すなわち «καταστροφή»「(大) 災厄」に見えないこともない気がします (そうだとすると文字数から見て、この「古代文字」の翻字方式は φ を ph でなく f に移していることになります)。
同じく 1 番め (北北東) は ‘?pana???o’ のように見え、かなり怪しいですが «επαναφέρω» だろうかと想像されます。つづりからわかるとおりこれは動詞で、「もとに戻す、修復する、復活させる」といった意味です (現代ギリシア語には不定詞というものがなく、「私は〜する」という直説法現在 1 人称単数形が辞書の見出し形になります。したがって正確にはこれも「修復する」ではなく「私は修復する」という意味です)。ほかがすべて名詞だったのにこれは奇妙なので、読み間違いかもしれません。
7 番め (西北西) はもっとも長くて字が小さく、設定資料集で見ても文字数すら判然としません。最初が g, 最後が a であることだけはまず間違いないでしょうが、あとのことはほぼいっさい不明です。たぶん ‘g [2–3 字] o [5–6 字] a’,さらに最大限想像力の翼をはためかせてみると ‘g??okt?n?a’ に見える気がしてきて、こうすれば «γενοκτονία»「大虐殺、皆殺し」と推測されます。
あまりに小さい文字のため、かなり無理に読んでいてなかば妄想めいた部分も多いですが、番号づけを改めて上から順に直してみると、最上段が「真理」と「復活」(?)、2 段めが「大虐殺」と「大災厄」、3 段めが「アカネイア」と「ナーガ」、そして最下段が「怒り」と「判決」、たぶん雰囲気としては「神の怒りと裁き」かと解釈されます。これでいちおうの筋は通っているのでないかと期待しますが、その当否は読者の判断に委ねるほかありません。これらの解読結果は記事末尾の画像にまとめてあります。
Abridged translation
This is an attempt to decipher the letters on two magic circles (of Mila’s and Duma’s) appeared in Fire Emblem Echoes: Shadows of Valentia.
Regarding Mila’s circle, there is no such need to ‘decipher’, since here they used the Greek alphabet as it is in the real world. However, the sentence in modern Greek (not classical Greek, strangely enough!) is devastatingly broken and thus cannot be interpreted unambiguously.
The sequence of the words written there, «Pearl River μας / βοηθήσει, είμαστε ο / δούλος του Κυρίου», is I believe one sentence in this order. (Or rather the comma is misplaced instead of a period or semicolon, and this sequence may be virtually two sentences.)
Because «βοηθήσει» is a dependent form of the verb «βοηθώ» (‘I save’) and therefore cannot be used alone, it must be accompanied by some particle or auxiliary verb. This is why I read «Pearl River [να] μας βοηθήσει» (the verb «να βοηθήσει» is in subjunctive mood). While the personal pronoun «μας» has been understood as genitive modifying the preceding words (meaning ‘our Pearl River’) so far in the previous studies, I regard it as accusative ‘us’ and thus as a direct object of the verb. If my opinion is correct, the entire sentence means ‘May Pearl River save us’ as a prayer, though I don’t know what Pearl River is nor why it is written in English.
The rest of the sentence, «είμαστε ο δούλος του Κυρίου» is a simple statement that means ‘We are the servant of the Lord.’ As you may have noticed immediately, there is an elementary mistake. The predicate must be ‘the servants’ in plural form («οι δούλοι» in Greek) instead of singular «ο δούλος». Moreover, we find that «του Κυρίου» (‘of the Lord’) is genitive masculine (thus it represents a male Lord). Since the sentence is written on Mila’s circle, this must be feminine form, «της Κυρίας». (It must be a well-known fact for the people living in the continent of Valentia that Mila is female god.)
Most of the ‘ancient letters’ on Duma’s circle is too small to read. Some people had tried this challenge but no one could accomplish it in a thorough manner. By the virtue of Memorial Book Valentia Accordion (published on 30 March 2018 in Japan), some of the letters (but not all) have newly become legible, so that I managed to propose a suggestion of deciphering them in modern Greek.
On the outermost circle: ‘o ischyro ena dose mou dynami’. I consider the first word ‘o’ as interjection «ω» (‘oh’) instead of nominative definite article «ο» (‘the’). This is because ‘dose’ (δώσε) is in imperative mood (‘give!’) and thus ‘ischyro ena’ seems to be vocative case. (‘mou’ [μου, ‘to me’] and ‘dynami’ [δύναμη, ‘power’] are objects of the verb.) The meaning of the sentence is clear. However, ‘ischyro ena’ in neuter form is very strange, because similarly to the aforementioned argument for Mila, this is written on Duma’s magic circle and virtually all the people in Valentia must know that Duma is a male god. Besides, I’m not sure that indefinite pronoun ‘ena(s)’ can be used in this way, that is, of the same usage as English ‘one’.
The second largest two words lie below the Duma’s emblem at the centre of the circle. There is no doubt and no difficulty: they denote ‘exousia’ (εξουσία, ‘authority’) and ‘theos’ (θεός, ‘god’).
The smallest eight words arranged in the form of an octagon are too tough to read precisely. I made my best effort to read them with help from the Memorial Book, but still there remain many unreadable letters. The table below shows the result of my decipherment and corresponding Greek words I suggest (each ‘?’ stands for one letter to be read):
Left | Right | |
---|---|---|
Top | ‘al?th??a’ → αλήθεια (alitheia, ‘truth’) | ‘?pana???o’ → επαναφέρω (epanafero, ‘I restore’*) |
‘g[2–3]o[5–6]a’, possibly ‘g??okt?n?a’ → γενοκτονία (genoktonia, ‘genocide’) | ‘?atastro??’ → καταστροφή (katastrofi, ‘catastrophe’) | |
‘akan??a’ → Akaneia (EU), Archanea (US) | ‘naga’ → Naga | |
Bottom | ‘thymos’ → θυμός (thymos, ‘rage, wrath’) | ‘?a?ad???’, possibly ‘ka?ad?k?’ → καταδίκη (katadiki, ‘sentence, conviction’) |
(On my observation, it seems that those who designed this magic circle transliterated both Greek η and ι to i with no distinction and φ to f instead of ph.)
* There is no infinitive (‘to restore’) in modern Greek and first-person singular present indicative form is substituted as a lexical (dictionary) form. But yet this is quite strange, for they could use here a corresponding noun such as «επαναφορά» (epanafora, ‘restoration’) or else. So my suggestion of «επαναφέρω» may possibly be incorrect.
Following is the summary image:
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