mercredi 9 mai 2018

比較的古い洋書の著作権・翻訳権についての疑問

だいぶ以前から海外の古い本の翻訳公開について考えているのだが、著作権関係の法律の理解に関して心もとないのでなかなか作業に身が入らない。いちおう手前で調べたところでは事実は次のようかと信じている。下記 6. まで (枝番号を除く) が調べた事実らしきことの記述で、枝番号のついたものと 7. 以降は私の考えや疑問点である。尋ねる相手もいないので、とりあえずメモとして残しておく。

1. まず、他国の著作物の権利はベルヌ条約 (文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約) というもので守られていて、日本もこれに加盟しているので他国の著作物については自国の著作権者と同等以上の保護をせねばならない (以上とあるが事実上はイコールということだろう)。

2. そして著作権が死後何年間保護されるかは国によって異なっており、日本は 50 年、ヨーロッパのほとんどの国では 70 年だが、ベルヌ条約では短いほうの期間を適用すればよいので、70 年と定めている国が相手でも日本国内では 50 年しか保護されない。そのかわりに日本の著作物も向こうの国では 50 年しか保護されない。

3. 著作権の保護期間を算出するさい、著作権者の死亡日にかかわらず 12 月 31 日まで保護される。したがって 1967 年の何月に死亡した人物であっても、その当日ではなく (日本国内では) 2017 年 12 月 31 日までが保護期間で、2018 年 1 月 1 日から使用自由になる。

4. ただし、(ほぼ日本のみの特殊事情として) 著作権の戦時加算というものがあって、第二次大戦の行われていた期間は著作権が保護されていなかったものとみなしてそのぶんの年数を加算する必要がある。たとえばイギリス・フランス・アメリカが相手の場合には 3 794 日 (10 年と 5 ヶ月弱) が加算される。

4a. このことは『星の王子さま』がらみで有名になったように思うので知っていた。まずサン゠テグジュペリの遺体が確認されず正確な死亡日が不明という事情もあるのだが、それは別としても 3 794 日が足されるため、1944 年に亡くなった人物なのに日本国内で著作権が切れたのは 2005 年 1 月 22 日であり、この年に大量の新訳が現れた。ところでなぜ 1 月なのだろう。5 ヶ月弱を足して 1 月 22 日ということは、年末でもなくサン゠テグジュペリの公式の死亡日である 7 月 31 日でもなく、9 月 3 日あたりから起算しているように見える。上記 3. の記述は嘘かもしれない。

5. ところで昔の日本にはまたべつに翻訳権の 10 年留保なるものがあった。これは 1970 年まで通用していた旧著作権法にもとづく制度で、1970 年までに発行された著作物は、もし 10 年以内に翻訳されなかった場合翻訳自由になるというのである。このことは次の文化庁の web ページでも確認される:「著作権なるほど質問箱――著作権制度の概要」。

5a. これはかなり驚きの制度である。額面どおり受けとるなら、1970 年までに出版された本で訳書が出ていないものは、たとえ現在も原著者が存命していたとしても翻訳権は消滅しており自由に翻訳出版できるということになる。いやそれどころか訳書が出ていたとしてもそれが 10 年以上経ってからのものならばやはり翻訳自由ということになる。本当なのだろうか?

5b. ちなみにこの文化庁のページには上記 3. のこともはっきり書かれている。いったいサン゠テグジュペリの件はどういうことなのかさっぱりわからない。

6. 以上のことにもとづいて具体例を考えてみる。話を簡単にするため戦時加算を考えなくていい国を例にとろう。いまデンマークの本を翻訳する場合、デンマークは第二次大戦時ドイツに早々に占領されており日本とは交戦していないため、戦時加算はない。

6a. それゆえ 2018 年現在、1967 年までに死亡したデンマーク人著者の本はすでに日本国内において著作権が消滅しており、翻訳も自由である? またそうでない著者の場合も、1970 年までの本で未訳のものは自由に訳出できる?

7. しかしまったく意味不明なのは、洋書の著作権表示部分にはよく ‘copyright renewed’ などと書かれていて著作権の発生年次が更新されていたり (遺族などによって? 遺族にそんな権利があるのだろうか?)、内容の変更されていないリプリントなのに新しい出版年の表示で出版社が権利をもっているかのようにコピーライトマークが書かれている場合があることだ。まえがきや解説が追加されていてその部分にだけ新しい著作権があるという話ならわかるが、どうもそうではない場合も多い。こういうものはいったいなんなのだろう。

8. そもそも著作権や翻訳権が切れているというのはどういう事態を意味するのか? 切れているとされる場合に、私たちにはなにがどこまで許されているのだろうか。i) 翻訳をして無償で公開すること。ii) 翻訳をして有償で販売すること。iii) 翻訳をして対訳の形で原文とあわせて掲載したものを販売すること。iv) 原文をそっくりそのまま打ちなおしてそれを販売または無償公開すること。

8a. 以上 i) から iv) は、原著作者の権利 (というものが生きていたとして) を侵害する程度または二次利用者の利益が大きくなる順に並べてみた。i, ii) に比べて iii, iv) では、すでに原著を購入する意義が失われることになるという点で原著作者の利益を損なっている。また i) に比べた ii) と、iii) に比べた iv) とでは純粋に二次利用者の利益が拡大している。直観的に、原作者の利益に対して悪いことをすることになる順ということだが、そういうことがどれくらい法律問題と関係するかもわからない。もちろん倫理的な善悪とイコールではなかろう。

8b. さらに言えば、著作物に関して著作者以外に出版者の権利というものがどの程度なのかも不明である。前世紀初頭までのごく古い本に関して Google Books などは、大学図書館所蔵の本の紙面をまるまるスキャンしたものを公開しているが、その紙面・版面にはなんらかの権利はないのか? もしないとすれば、上記 iv) をさらに一歩進めて、v) 原著をそっくりそのままスキャンしてそれを販売または無償公開すること、という行為を想定できる。じっさい Internet Archive などで公開されている大学図書館の戦前の洋書のスキャンが、Nabu Press やら Forgotten Books やら相当数の出版社によってそれぞれ使いまわしの表紙をつけて印刷されそのまま Amazon で売られているので問題ないのだろう。6. とあわせて考えれば、1967 年までに死亡したデンマーク人著者の出版物はまるまるコピーして日本で販売することができるのだろうか?

8c. こうしたことはいちおう義理や礼儀といった側面とは別個に考えるべきなのだろう。たとえば日本では翻訳権が切れているからといって自由に翻訳出版をするとして、原著者の遺族がいれば連絡をするのが筋だ、ということはあるかもしれない。そういえばこのさい、日本特有の 10 年留保は海外でなかなか理解されずトラブルになりやすい、と聞いたことがある気がする。

9. 著作権と翻訳権とはどういう関係にあるのか? 前述した翻訳権の 10 年留保を考えれば、著作権は生きているのに翻訳権だけが消滅するという事態があることが察せられる。その逆はありうるのか? それとも著作権が切れたならば自動的に翻訳権もなくなるのか?

10. そもそも著作権が切れるとか消滅するとかいう言いかたは正しいのか、それとも著作権じたいはずっと理念的に存在していて正確には保護期間が切れたとか満了したとか言うべきなのか。ぜんぜんわからない、俺たちは雰囲気で著作権をやっている。

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