jeudi 19 août 2021

ノルン語訳『星の王子さま』を読む:序文

「現代ノルン語」Nynorn もしくは Hjetmål (シェトランド方言) で全編書かれた最初の成書として、『星の王子さま』の翻訳 Litli prinsen が昨 2020 年 2 月に現れた。この言語は、シェトランド諸島を中心に話されていたが 19 世紀までに消滅した西ノルド語のひとつ (フェーロー語やアイスランド語の仲間) であるノルン語 Norn を再興しようとして構想された一種の人工言語であり、それが現代に話されていたらどのように発達したであろうかということを、古ノルド語やフェーロー語などとの音韻対応を考慮し、かつ近隣のスコッツ語や英語などからの借用語を適宜取り入れつつ作りあげられたものである。より詳しいことはそのプロジェクトのホームページをご覧いただきたい。

ホームページには Tutorial として学びやすい順に文法事項を解説したものが現在 12 課まで掲載されており、また別立てで Grammar のページには同じ文法が品詞別で体系的に紹介されている。しかしながら、Tutorial はそのディスカッションにあてられた掲示板のスレッドを見るかぎりは少なくとも 17 課まで予定されていたようだが長らく更新が停止してしまっているし、Grammar のほうも後の改訂に委ねるとして記述の足りていない箇所が散見される。

とくに両者に共通する問題点として、正書法が完全に固まるまえに見切り発車で書かれたものか、つづりが一定していない箇所がかなり多く見られ学習者を混乱させる。たとえば gott「よい (中性単数主・対格)」や åttendi「第 8 の」のように、tt のまえにある o, å はオではなくオイと読むという規則 (Tutorial, Lesson 3) があるのだが、べつの場所ではそれを発音どおり goitt や åittendi とつづるような表音的な正書法を模索していた様子がある。同じく、gamel「古い」のような語の変化形で弱音節の e が落ちて gamlan, gamler のように ml が接触するときは、文字には現れない b を gamblan, gambler のように挿入して読む (Lesson 9) と決まっているのが、つづりにも書いてしまっているところがある。ll と nn のような重なりのときはたいてい [ʎ, ɲ] という湿音の長子音として読むのを、文字でも表すべく lj, nj のようにつづったりつづらなかったりしている、など。

単語のつづりそのものに迷いが見られる例もある。Lesson 10 末尾の Reading には、ひとつの文章のなかに「(彼は) 買った」という動詞が købdi と kjobdi という 2 つの形で現れる。つまり原形不定詞は køba と kjoba である。そのすぐ下の単語欄には kjoba とあげられているのだが、それ以前の Lesson 5 では køba として紹介されていたもので、揺らぎがある。また Lesson 7 に出てくる soina「見せる」という動詞は Litli prinsen 中では sojna という形でつづられている、などなど。さらに悪いことに、Dictionary と称された単語集のページは古い Jakobsen の辞書にもとづいており、そこに掲載されている単語のつづりはほかの箇所の説明と食い違うことが多くててんであてにならないのである。

このように、おそらく 10 年近くまえに書かれたホームページの文法は粗削りで未完成との印象が否めないが、2020 年に出て 1 冊のまとまった本という形になっている Litli prinsen のなかではともかくも一貫しているはずだ、と期待して読んでみることを決心した。なにしろホームページが更新されないことには、この訳書のなかに現れている単語のつづりと文法規則こそが現代ノルン語の最新版、現在における一応の決定版だということにならざるをえないのだ。Grammar や Tutorial で解説されていない事項についても、この本と Le Petit Prince のフランス語原文を突きあわせながら推測するほかない。外国語で書かれた本を読むことはいつだって文法や単語の勉強を伴う営みだが、通常あてはまる以上にノルン語の場合はそうである。いまのところこの言語の文法・語彙の模範はこれに勝るものがないのだから。


それではさっそく読みはじめることにしよう。「レオン・ヴェルトに捧ぐ」というおなじみの献辞からであるが、上の前置きで触れたようにノルン語の Grammar および Tutorial のページは不完全であると言ったことの意味をさっそく痛感させられる。

献辞はこうなっている:Esi buk er jenkað til Leons Werth (原文はすべて大文字)。ここにはすでに、ごく基本的で必須であるにもかかわらず Grammar, Tutorial から抜けている事項が 2 つ現れている。ひとつは er jenkað「捧げられる」という、おそらく受動を表す表現。状態受動だとすれば「捧げられた」とも訳せそうだ。過去分詞じたいは説明されているので、これは女性単数主格の形であるとわかる (男性も同形だが、buk なので女性だろう)。

そして esi という語だ。文脈から見て「この」にあたる指示代名詞 (形容詞) であることはまず間違いないのだが、なんとこれほど基本的なものも Grammar に載っていないため、私たちはこれからこの語の変化表を独力で作る必要がある (2 数 3 性 4 格で 24 マス、ただし複数属格と複数与格はそれぞれ 3 性同形と予想できるので実質 20 マス)。ここは主語であるから女性単数主格とわかる。この献辞だけでもほかに、女性単数対格 isa buk、男性単数主格 esi vaksni mann、女性複数主格 allar esar hviflikationer と、あわせて 4 例が見つかるので幸先はよさそうだ。今後もこれほど容易に esi の変化形であることがわかればいいのだが。

フランス語の原文——日本語訳でもいいが——を念頭に置いて読めば、ほかにはさして突っかかるところは多くない。Tutorial を読みこなしていれば、あとは Grammar で名詞の既知形と形容詞の弱変化の知識を補ってだいたいぜんぶ読める。読めないところ、つまり指示代名詞に関わる部分だけ取りあげておこう。

先述の esi「これ、この」とは別の、もうひとつの重要な指示代名詞らしきものがある。これはおそらく古ノルド語の sá「それ、その」に連なるもののはずだ。古ノルド語ではそれは、3 人称代名詞の中性単数と全性の複数に転用された。そのことは現代のフェーロー語でもそのままだし、ノルン語も同様と信じていいと思う。すると逆に、Grammar に載っている人称代名詞のその部分を見れば、男性・女性単数以外は指示代名詞と共通であることが期待される。中性単数ではそれは主 dað, 対 dað, 与 di, 属 dess; 男性複数 der, då, dem, derra; 女性複数 der, der, dem, derra; 中性複数 de, de, dem, derra である (以後、格の順番はこれと同様)。

以上を念頭に読んでみると、(献辞を除いて) 2 行めの dem vaksnu と、下から 3–2 行めの All de vaksnu が指示代名詞の例であるように見える。これらがなんという変化形なのか、どちらも慎重な検討を要する重要な点だ。

まず後者から。意味は「すべての大人たち」で、現在完了の定動詞 hava varið を従えているとおり、これは複数主格である必要がある。de という形から見れば一致するのは中性複数だけだ。そのことは all という形からも裏づけられる。さきほど allar esar hviflikationer が女性複数主格だと見たとおり、all は形容詞の変化をするので、男性複数なら aller でないといけない。ではなぜ「大人」が中性複数か。それは男女混合の集団を考えられているからである。古ノルド語やフェーロー語でもそうだが、その場合は中性複数になるのだ。ほかの多くの印欧語のように男性になるのではないから要注意。

さて後回しにした dem vaksnu はこの序文最大の疑問点である。さきほどの人称代名詞からすると、dem は複数与格ということになる。理由はほかにもある。まず形がわかっていない男性単数与格については、フェーロー語では中性単数与格と同形なので、ノルン語では di と推定されること。しかし古ノルド語ではそうではなかったので (中性 því, 男性 þeim)、これは確実な推定ではない。もっと明確な理由は vaksnu の語尾だ。vaksen「大人」はもともと過去分詞から発した名詞で、形容詞の変化に従う。いまこれは指示代名詞がついて弱変化になっているのだが、-u という語尾は単数にはどこにも現れない。他方複数ではすべての性と格で -u である。したがって結論としてはこれは性が不明の複数与格ということになる。前段で説明したことと同じならこれも中性と解するのが相当だろう。(そして実際、続く第 1 章を先取りすると、Eg sojnaði dem vaksnu mesterverkið「私は大人たちに (私の絵の) 傑作を見せた」という文で同じ形が現れる。)

だが原文と比べるとそれはおかしなことだ。このまま訳すと「私はこの本を大人たち (男女問わず) に捧げることについて子どもたちに許しを乞う」となってしまうが、言うまでもなく本当はレオン・ヴェルトという 1 人の大人の男性に捧げられたのだ。もっと言えば原文は不定冠詞の une grande personne なので、厳密に訳すなら (enon) vaksnon ではないのかと思われるし、「捧げる」の時制も正しくは複合時制で「捧げたこと」なので at hava jenkað とするのが本当だろう。ここまでいろいろ変だとこれは「大人」の数も含めてノルン語訳が間違っているのではないかと考えざるをえない。

最後に関係小辞について (これも載っていなかったので) 一言補足を。sen と eð がそれで、フェーロー語の sum と ið にあたるだろう。古ノルド語では前者は sem に対応するが、後者がもうひとつの関係小辞 er にあたるわけではないようだ。ともかくこれらは格変化しない小辞なので、そういう単語があるとだけ知っておけば読解に悩むことはないだろう。

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