mercredi 12 décembre 2018

18 世紀のフェーロー語瞥見

このあいだ「フェーロー語研究 (前) 史 1650–1900」というエントリで紹介したように、1800 年にデンマーク人の牧師・植物学者であった Jørgen Landt という人に『フェーロー諸島に関する記述の試み』(Forsøg til en Beskrivelse over Færøerne) という著作があり、この第 4 章 3 節 (s. 436–440) が「その言語について」(Om Sproget) と題しフェーロー語 (フェロー語) の解説を行っているのであった。

本稿ではこの部分の訳出紹介を試みようと思う。これは 1800 年という年代に照らして知られるとおり、まだ正書法すなわちフェーロー語の単語をどのようにつづったらよいかの指針すら定まっていなかった時期のこと (この間の消息は前エントリで詳述した)、解説の内容じたいもさることながら、フェーロー語をどのように書き表わそうとしたかその努力にも興味がある。もっともラントはラスクのような専門の言語学者ではなく、かつ当時はほかに頼れる文献もなかったゆえであろう、表記の不徹底・不注意さやフェーロー語そのものの理解に難がある部分も散見される (日本人になじみのある例で言うと 16 世紀ころのポルトガル人やスペイン人による日本語の説明や日本地図の表記で起こったのと同じことである)。

訳では現代フェーロー語のつづりに修正したものも逐一併記し、デンマーク語も 200 年以上昔のものなので現代語と異なる場合にはこれも付記した (違いが名詞の大文字書きのみの場合は特記せず)。ラントの誤解によるものか、フェーロー語がふつう見出し語形とする単数主格未知形ではなく斜格や既知形 (定形) になっている場合があり、あるいはデンマーク語と定不定が一致していない場合があるので、そのさいはすべて注記した (特記なき場合は単数主格未知形)。また原文では区別していないが、ここではわかりやすいようフェーロー語をイタリック、デンマーク語をローマンで区別した。補足説明が必要な場合、亀甲括弧〔・〕に入れて示すか、長いものは * などの印を付して字下げした段落に述べた。

ここで試みられているフェーロー語表記を見れば、この言語の発音は 18 世紀の時点ですでにほぼ現在のとおりであったことが知られる。ラントのつづりから現行の正書法によるつづりを導きだすのはなかなか困難な作業であったが、デンマーク語訳が付されていることに助けを得て、また同時代の仕事であるスヴェアボの辞書 Dictionarium Færoense とも照らしあわせつつ誤りのなきを期した。しかし調査が及ばない部分も一部に残ってしまった。




§. 3.
言語について

フェーロー語 (det færøeske Sprog) は余所の者には最初のうちきわめて理解不能のように思われるが、〔われわれデンマーク人にとっては〕待つこともなく理解できるようになる;というのは単語の大部分が古いデンマーク語、あるいはむしろノルウェー語であって、歪められた発音が奇妙な見せかけを与えている〔だけ〕だからである。それは以下のようである〔次の単語の列挙は原文では左右 2 段組。上の画像のとおり〕:
  • a spujsa at spiise.〔現 at spisa*, at spise。食べる、食事する〕
  • a triqve at troe.〔現 at trúgva, at tro。思う〕
  • a smuja at smedde.〔現 at smíða, at smede。(鉄などを) 打つ、鍛える〕
  • a sejma at sye.〔現 at seyma, at sy。縫う〕
  • a gænga at gaae〔現 at ganga, at gå。行く、歩く〕
  • a standa at staae.〔現 at standa, at stå。立っている、立つ〕
  • a regva at roe.〔現 at rógva, at ro。漕ぐ〕
  • a sujgja at see.〔現 at síggja, at se。見る〕
  • Fræ, Frøe, Sædekorn.〔現 fræ。穀物の種〕
  • Sjegverin, Søen.〔現 sjógvurin。湖、海 (既知形)〕
  • ojn Skegv, en Skoe.〔現 ein skógv [ein skógvur の対格], en sko。靴 (の片方)〕
  • Løret, Lærred.〔現 lørift。亜麻布〕
  • ojn Baug, en Bog.〔現 ein bók。本〕
  • Ditnar, Dør.〔現 dyrnar [dyr (複数のみ) の主・対格既知形]。扉 (デンマーク語訳は単数未知形)〕
  • Pujpa, Pibe.〔現 pípa。パイプ〕
  • Høddet, Hovedet.〔現 høvdið [høvd または høvur の既知形]。頭 (既知形)〕
  • Skortin, Fjæs (Ansigt)〔現同 [skortur の対格既知形]。顔 (デンマーク語訳は未知形)〕
  • Ejen, Øjnene.〔現 eygum** [eyga の複数与格]。目 (デンマーク語訳は複数既知形)〕
  • Nøsin, Næsen.〔現同 [nøs の既知形]。鼻 (既知形)〕
  • Muveren, Munden.〔現 muðurin [muður の既知形]。口 (既知形)〕
  • Høkan, Hagen.〔現同 [høka の既知形]。顎 (既知形)〕
  • Øjrene, Ørerne.〔現 oyruni [oyra の複数主・対格既知形]。耳 (複数既知形)〕
  • Mæjin, Maven.〔現 magin [magi の既知形]。腹 (既知形)〕
  • Bojnene, Beenene.〔現 beinini [bein の複数主・対格既知形], benene。脚 (複数既知形)〕
  • Brej, Brød.〔現 breyð。パン〕
  • Bødn, Børn.〔現 børn [barn の複数主・対格]。子ども (複数形)〕
  • Talve, Tavle.〔現 talvu*** [talva の対・与・属格]。平らな板、黒板〕
  • Knujv, Kniv.〔現 knív [knívur の対格]。ナイフ〕
  • Song, Seng.〔現同。ベッド〕
  • Gjadn, Jern.〔現 jarn。鉄〕
* 現代フェーロー語では使わず、Jacobsen og Matras のフェーロー語・デンマーク語辞典 Føroysk-donsk orðabók (2. útg., 1963) や Jóhan Hendrik W. Poulsen ほか編 (1998) のフェーロー語国語辞典 Føroysk orðabók には立項されていない。デンマーク語からの借用語であったと思われ、Jógvan við Ánna, Føroysk málspilla og málrøkt IV (1977) に見いだされた。スヴェアボには spujssa として出ている。

** eyga「目」の複数は、未知形で主・対格 eygu(r), 与格 eygum, 属格 eygna, また既知形で主・対格 eyguni, 与格 eygunum, 属格 eygnanna である。このうちラントの記す Ejen にいずれが近いかという問題だが、既知形は音節数があわないので除外し、未知形のうち [n] の音で終わるのは eygum しかないのでこれをあてはめた (フェーロー語の名詞類複数与格の -um は [-ʊn] と発音される)。

*** talve の -e をどう受けとるかには異論の余地もあろうが、ラントのほかの記法を見るかぎり、彼は原則として a は正しく a と聞きとっているに対して、アクセントのない i および u を一律に e としがちな傾向がある (muðurinMuverenoyruniØjrene とするなど)。さらに斜格を見出し語に取り違えてしまう例のあることも見てのとおりである (ojn Skegv, Skortin, Knujv)。それゆえこの語も主格 talva ではなく talvu のつもりと解した。

だがフェーロー語には多くの特異な点もあり、それらについて若干を列挙したいと思う。たとえば次のようである〔前と同じく原文 2 段組。また、形容詞で性による違いがある場合、ラントはローマン体 (本文のブラックレターに対して) で hic, hæc, hoc; hi, hæ というラテン語の指示代名詞を用いて性を明示している。なおコンマやピリオドの有無が不統一なのはすべて原文どおり〕:
  • a qvuja at frygte.〔現 at kvíða。恐れる、不安に思う〕
  • a atla, tænke, slutte.〔現 at ætla。〜するつもりである〕
  • a kujla, dræbe.〔現 kíla。殺す。フェーロー語 kíla は Jacobsen og Matras によれば現在ではまれ〕
  • a fjoltra, skjelve.〔現 at fjøltra (?)*, at skælve。震える〕
  • a tarna, forsinke.〔現 at tarna。邪魔する、阻止する、遅らせる〕
  • a hikja, see.〔現 at hyggja, se。じっと見る、見まわす、観察する。ラントのデンマーク語訳 se はたんに「見る」だが、詳細別記**〕
  • Ogn, Ejendom.〔現同。財産、とくに土地・不動産。〕
  • Huur, Dør.〔現 hurð。扉〕
  • Got, Dørstolpe.〔不明。dørstolpe は戸枠、扉を据えつけるところの枠や柱のことだが、それをそのままフェーロー語に直すと durastavur となる。got という音に対応しそうなつづり (たとえば gott) で似た意味の語は見つからず〕
  • Likel, Nøgel.〔現 lykil, nøgle。鍵〕
  • Munere, Forskjel.〔現 munur。差、違い〕
  • Tkjæk, Disputeren.〔現 kjak。口論、論争〕
  • Tkjolk, Kind.〔現 kjálki。頬〕
  • Vørren, Læben.〔現 vørrin [vørr の既知形]。唇 (既知形)〕
  • Ylverin, Drøvelen.〔現 úlvurin [úlvur の既知形]。口蓋垂 (既知形)。úlvur は同音同綴で「狼」の意もあるが、デンマーク語訳 drøvelen (= drøbelen) に従った。〕
  • Spjarar, Pjalter.〔現 spjarrar [spjørr の複数主格]。ぼろきれ、くず〕
  • qviik, hurtig.〔現 kvik, hurtigt [-ig の形容詞の副詞的用法が様態を表す場合、現代では -t]。速く、急いで〕
  • erqvisin, ømskindet.〔現 erkvisin。敏感な、脆弱な、傷つきやすい〕
  • fit, flink, ferm.〔現 fitt [fittur の中性]。器用に、巧みに〕
  • prud, pyntet.〔現 prútt [prúður の中性]。堂々として、華美に、派手に〕
  • hunalir, tækkelig.〔現 hugnaligur。楽しい、心地よい〕
  • hic vækur.
  • hæc vøkur.  } vakker.〔現 vakur, vøkur, vakurt。きれいな、美しい〕
  • hoc vækurt
  • reak, maver.〔現 rak。痩せこけた、貧相な。デンマーク語 maver は mager の古い異綴〕
  • bujt, halvtosset.〔現 býtt [býttur の中性]。愚かに、間抜けに〕
  • raaka, topmaalt.〔現 rokað [rokaður の中性], topmålt。まったく、徹底的に〕
  • hic lofnavur
  • hæc lofnad  } kold〔現 lofnaður, lofnað。かじかんだ。ラントのデンマーク語訳 kold はたんに「寒い」だが、Jacobsen og Matras の説明では „stiv af kulde om hænderne (fingerne)“「手や指が寒さでこわばっている」さまを言う〕
  • hic gæmalor
  • hæc gomal   } gammel.〔現 gamalur***, gomul, gamalt。古い、年老いた〕
  • hoc gæmalt
  • hi trytjir
  • trytjar } tre.〔現 tríggir, tríggjar (中性 trý)。(基数詞の) 3〕
  • imist, forskjellig.〔現 ymiskt または ymist [発音は同じ。ymiskur または ymissur の中性形], forskelligt [前掲 hurtigt の注を参照]。さまざまに〕
  • ivarlest, uden Tvivl.〔現 ivaleyst。疑いなく、確かに〕
  • korteldin, alligevel.〔現 kortildini [= kortini, korti]。それにもかかわらず、〜であるけれども〕
* 現代のフェーロー語辞典には見いだされないが、スヴェアボに中性名詞 Fjøltur が立項されており、それに対応していた動詞形ではないか。

** スヴェアボの語釈 (higgja の項) では « circumspicere »「見まわす」、« oculis perlustrare »「目を通す」、« oculos advertere »「目を向ける」、« collustrare oculis »「目で精査する」などとされている。しかし Jacobsen og Matras による現代語では betragte「観察する」より先に se, kigge「ちらっと見る、のぞき見る」、se (kaste et blik) på「一瞥する」が出る。

*** ラントの gæmalor という表記から推して男性単数主格語尾に音節を加えたが、規範的には現在 gamal である。語尾をもつ gamalur という形は現代でも話し言葉においてしばしば見られる (Thráinsson et al. 2012: p. 103, n. 3)。

フェーロー語の見本として、2 人の農夫のあいだの会話を、その翻訳を加えつつ書き写してみよう〔文番号は原文にない。またこれより下はほぼすべてフェーロー語なのであえてイタリックにはしない〕:
  1. Geûan Morgun! Gud signe tee! Qveât eru Ørindi tujni so tujlja aa Modni?
  2. E atli meâr tiil Utireurar.
  3. Qvussu eer Vegri? qvussu eer Atta?
  4. Teâ eer got enn, men E vajt ikkji, qvussu teâ viil teâka se up mouti Dei.
  5. Viil tu ikkji feâra vi?
  6. Naj!
  7. Qvuj taa?
  8. Tuj E vanti mêar ajnkji aa Sjeunun, o tea eer betri a feâra eât Seji.
〔現代フェーロー語の正書法に改めると次のとおり:
  1. Góðan morgun! Gud signi teg! Hvat eru ørindi tíni so tíðliga á morgni?
  2. Eg ætli mær til útiróðrar.
  3. Hvussu er veðrið? Hvussu er ættað?
  4. Tað er gott enn, men eg veit ikki, hvussu tað vil taka seg upp móti degi.
  5. Viltú [= Vilt tú] ikki fara við?
  6. Nei!
  7. Hví tá?
  8. Tí eg vænti mær einki á sjónum, og tað er betri at fara at seyði.〕
デンマーク語では〔ここでは日本語にする〕:
  1. おはよう。神の祝福が君にあるように。こんな朝早くになんの用だ?
  2. 釣りに出ようと思ってな。
  3. 天気はどうだ? 風向きは?
  4. まだ良好だよ、だが明け方にはどうなるかわからん。
  5. 一緒に行かないか?
  6. いいや。
  7. なんで?
  8. なんか釣れるとは思えないし、羊たちの世話をするほうがいいからだよ。
〔文法の解説はないので、ここでは私が独自に付す:
  1. signi は signa「祝福する」の接続法。フェーロー語の接続法はきわめて衰退しており、現在形しかなくまた人称および数の別なく同形で、このように決まった言いまわしにのみ用いる。ørindi「用事、使い」は単複同形の中性名詞。ここでは複数であることが tíni「君の (tín の中性複数主・対格)」と eru「〜である (vera の現在複数)」との一致から知られる。
  2. ætla「〜するつもりである」のあとの再帰代名詞 sær (ここでは mær) はあってもなくてもよい (少なくとも現代語では)。する内容には at 不定詞をとるが、ここでは動詞なしに使われている。útiróðrar は útiróður「漁、船釣り」の単数属格。úti- は út- とも。このように前置詞 til「〜へ」は本来属格を支配したが (アイスランド語では現在もそう)、いまのフェーロー語では属格はかなり廃れて決まり文句か文語にのみ用い、til のあとには対格がふつう。
  3. ættaður はこの言いまわしにしか使わない形容詞で、ættað は中性形。男性形で Hvussu er hann ættaður? とも言える (これは 3 人称単数男性の人称代名詞 hann を天候を表す仮主語にした表現)。名詞 ætt「向き、方角」を使って言う Hvaðan er ættin? も同じ意味。
  4. 天候を表す仮主語 tað。veit は vita「知っている」の直説法現在 1 人称単数、これはいわゆる過去現在動詞で特殊な活用をする。taka seg upp は「上昇・増加・発展する」で、天気について言う場合「発達する、なる、変わる」ということ。ここでは文脈から悪くなることが想定されているが、よくなる場合にも言える。
    「朝早く」に来てまだ「明け方」まで時間があるとは不思議に思われるが、北緯 60 度を越えるフェーロー諸島の日の出の時間は季節によって大きく変わり、試しに本日 12 月 12 日のそれを調べてみたら現地時間で朝 9 時 41 分であった (ちなみに日の入りは 14 時 59 分、たった 5 時間あまりしか日が出ていない!)。電灯のない 18 世紀の農民はいまの私たちよりよほど早寝早起きであっただろうし、これなら彼らの言う「朝早く」から「明け方」まで時間の開きがあってもおかしくはない。
  5. tá は「そのとき、それから」という副詞で、アイスランド語 þá やデンマーク語 da に対応する。この hví tá はこのまとまりとして Jacobsen og Matras で „hvorfor det?“, Timmermann で „warum/wieso das?“ と出ているので、深く考えないほうがよいかもしれない。もしかするといまで言うところの心態詞的用法か?
  6. tí は「〜だから」という理由を表す接続詞として使われており、これはもともと人称代名詞の中性単数与格形である。アイスランド語 því と平行。単独でもこのように使えるが、av tí at (アイスランド語 af því að) という組みあわせでも言う。
    ついでにデンマーク語 thi も同じく代名詞 den の古い格変化形に由来し同じ意味である。これは現代デンマーク語では古めかしく格式張った語だが、この時代にはまだ一般的でたとえばアンデルセンの童話にもふつうに使われている (fordi のほうが口語的であったが)。
    vænta「待つ、期待する」。einki は eingin「なにも」の中性単数対格。sjónum は sjógvur「海」の単数与格既知形 (sjógvinum という形もある)。この前半を直訳すれば「海でなにも〔得られると〕期待できない」ということ。seyði は seyður「羊」の単数与格。この単語はしばしば集合名詞的に用いられ、単数だが実際には多くの羊が意図されている。ラントはこの箇所のデンマーク語訳で脚注に „Svabos Efterretning“「スヴェアボの修正」と記し、本文で正しく „Faarene“ と複数既知形にしている。
この一連の文章を見てもラントの表記法が不注意であることが知られる。たとえば語頭の子音以外はまったく同じ音韻的環境にある代名詞 eg, teg, seg の e が E, tee, se とばらばらにつづられている。また彼は (同時期のほかの著者と同様に) eâ や eû のようにサーカムフレックスを用いて一部の二重母音を記すが、同じ mær「私に」が 2 文めでは meâr、8 文めでは mêar と別様に書かれているし、同じく 8 文めでは Sjeunun, tea とサーカムフレックスなしの二重母音が見えるがこれはほかの箇所の teâ や Geûan と不整合である。〕


ことわざ

Sjoldan kemur Du-Ungje eâf Rafes Æg.〔Sjáldan kemur dúvungi úr ravnseggi.〕カラスの卵からハトの雛が孵ることはめったにない。その心は:悪い親からよい子どもが生まれることはめったにない。〔ラントの eâf を見るかぎりここの前置詞は av のつもりに見えるが、現在通用しているものは前掲括弧内の úr の形。〕

Ommaala døjr ikkje.〔Ámæli doyr ikki.〕中傷は死なない。その心は:他人を中傷する者は、ついには翻って中傷される運命に違いないのである。

Got eer oufotun a beâsa.〔Gott er óføddum at bæsa.〕生まれていない者に勝つことは容易い。その心は:相手が誰もいないところで勝利を得ることは容易い。〔óføddum は複数与格。この節ほかの例文も似たり寄ったりだが、格言のためにかかなり変則的な語順である。〕

Ofta teâka Trodl gaua Manna Bødn.〔Ofta taka Trøll góða manna børn.〕邪霊 (トロル) はしばしば優れた者の子をさらっていく。こう言われるのは、尊重・崇敬さるべき人物の娘が惨めでその身分より下の男と結婚するときである。

〔副詞 ofta が文頭に出て倒置。単複同形の trøll はここでは複数で taka が 3 人称複数形。góða manna は複数属格 (未知形のため強変化) で børn の所有者を示している。現在であれば属格ではなく対格として所有者を後置か (しかしこれも 20 世紀後半のあいだに後退しつつある表現という)、あるいはもっと普及しているのは〈til + 対格〉か〈hjá + 与格〉の前置詞句である。さらに詳しくは Barnes and Weyhe 1994, pp. 207f. を見よ。〕

Tunt eer thæ Blau, ikkje eer tjukkare end Vatn.〔Tunt er tað blóð, [ið] ikki er tjúkkari enn vatn.〕水よりも濃くない血は薄い。

〔「血は水よりも濃い」の意、つまり他人より血縁者のほうが信頼できるという謂い。tunt は tunnur「薄い」の中性単数主格。コンマのあとには関係小辞 ið または sum を補うのが現代のふつうの言いかたで、これは関係節内で主語の役割であるから現代語では省略できない。tjúkkari は tjúkkur「濃い、厚い」の比較級。なお、これまでラントは teâ や tea と書いてきた現 tað をここだけ thæ というかなり異色な (まるで古デンマーク語に見える?) 表記をしている。〕

Betri eer a oja end Braur a bija.〔Betri er [sjálvur] at eiga enn bróður at biðja.〕兄弟に乞うよりも〔自分で〕所有するのがよい。

〔現在一般的な形は sjálvur「自分自身」を含んでおり、これを欠くと意味も通りづらいので脱字でないかと思うが、昔はそれでも通用したのかもしれない。enn「〜より」の前後でパラレルな文になっているように見えるがじつはそうではなくて、sjálvur は男性単数主格で、ここでは動詞 eiga の意味上の主語と同格として働いているに対し、bróður は bróðir「兄弟」の単数対格で、biðja「乞う、頼む」の目的語である。〕

Ojngjin vojt aa Modni a sia, qvær han aa Qvøldi gistir.〔Eingin veit á morgni at siga, hvar hann á kvøldi gistir.〕誰も朝のうちに自分が晩には誰の客となるか言うことはできない。その心は:誰も朝のうちには自分になにが起こるかわからない。

Ojngjin stingur anna Mans Badn so uj Barman, a Føterne hængje ikkje êut.〔Eingin stingur anna[rs] mans barn so í barmin, at føturni[r] hangi ikki út.〕誰もほかの人の子どもをその足が外にぶら下がらないように胸に突っこむことはない。〔stinga「(e-t í e-t …を〜に) 突き刺す」。barman はデンマーク語訳 Barmen に照らして barmur「胸」の単数対格既知形 barmin と解した。føturnir は fótur「足」の複数主格既知形。〕

Sjoldan kemur Flua uj Fojamannas Feâd.〔Sjáldan kemur fluga í feiga manna fat.〕Fojaman とは、運命の定めに従ってその年の終わりまでに死すべき者のことである。そのような者の皿からハエが出ることはめったにない〔と訳される〕。それゆえもしハエが料理に入るようなことが起これば、このことわざによると、人はその年のうちに死ぬはずではないというよい予兆であることになる。

依然として使われている古い人名のうちに以下のものが見られる:男性名。John. Haldan. Harald. Gulak. Gutte. Djone. Anfind. Ejdan. Guttorm. Kolbejn. Hejne. Likjir. Jeser. Øjstan. 女性名。Sunneva. Zigga. Ragnil. Femja. Armgaard.

そのほか注意に値することとして、フェーロー諸島人はいつも彼ら自身の言語を話すにもかかわらず、そのアクセントはノルウェー語におけるものといくぶん近いもので、彼らはしかしまたほとんど完全によくデンマーク語を理解するのであり、この言語でキリスト教が教えられ礼拝が執り行われ、じっさい彼らのうち多くは正確で上等なデンマーク語を話しさえするし、彼らの口から聞くこの言語こそはその他のデンマークの属領 (Provintser) に住む農村民衆のそれと比べてもはるかに明瞭できれいなのである。

dimanche 9 décembre 2018

フェーロー語強変化動詞の分類

フェーロー語 (フェロー語) はアイスランド語に比べれば変化が進んでいるとはいえ、ゲルマン祖語にあった強変化動詞の 7 分類をアイスランド語と同じくそれと明瞭に見てとれる形で現在も残している古風な言語である。

私はゲルマン語一般の研究および研究史についてはとんと暗いほうなので、前記事で紹介したラスクによる 1811 年のアイスランド語文法以来どのようにして動詞の活用分類が現行の形と順番に落ちついたのか知るよしもないが、わかっているのは遅くとも Prokosch による 1938 年の定評あるゲルマン語比較文法の時点ではすでにそのとおり完成されているということである。

現代のフェーロー語文法を手当たりしだいに見比べてみると、少なくとも強変化動詞については、Prokosch や Gordon and Taylor に見るようなゲルマン祖語・古ノルド語文法におけるアプラウト系列の分類・番号づけをそのまま継承した呼び名になっているように見える。

フェーロー語文法として以下のもの (並びは刊行年の新しい順) を参照し、略号として著者名の頭文字を用いる:
  • [TPJH] Höskuldur Thráinsson, Hjalmar P. Petersen, Jógvan í Lon Jacobsen, and Zakaris Svabo Hansen (2012). Faroese: An Overview and Reference Grammar.
  • [DM] Kári Davidsen og Jonhard Mikkelsen (2011). Ein ferð inn í føroyskt. 2. útg.
  • [PA] Hjalmar P. Petersen and Jonathan Adams (2009). Faroese: A Language Course for Beginners. Grammar.
  • [AD] Paulivar Andreasen og Árni Dahl (1997). Mállæra.
  • [H] Jeffrei Henriksen (1983). Kursus i færøsk II.
  • [L] William B. Lockwood (1955). An Introduction to Modern Faroese.
  • [K] Ernst Krenn (1940). Föroyische Sprachlehre.
これらのうち、古いほうに属する K および L を除いて、すべての文法で強変化動詞はゲルマン祖語・アイスランド語のそれと一致する 7 分類が行われている。すなわち、強変化 I 類とは (2 番めに現在単数を入れる 5 項の書きかたもあるがここでは除いて) 不定法・過去単数・過去複数・完了分詞の順に í–ei–i–i というアプラウトのパターンを呈するもの、II 類とは ú/ó–ey–u–o、III 類とは代表的には e–a–u–u/o、といった要領で、番号づけも同じものを使っているのである。

(注 1) ここでゲルマン語・古ノルド語の知識がある人には II 類過去単数の ey がひっかかったかもしれないが、古ノルド語の二重母音 au は規則的にフェーロー語の ey に対応するのでこれでよいのである (たとえば中性複数代名詞 ON. þau 対 Før. tey「それら」や、基数詞の「7」ON. sjau 対 Før. sjey、名詞 ON. auga 対 Før. eyga「目」といった基本的な例が挙げられる)。

(注 2) 非常に古い K (これは実質的には 1908 年の Jákup Dahl のフェーロー語文法の翻訳だとも言われる) はしかたないとして、L がかなり大雑把な分類をしていることは少し不思議である。彼の分類では I 類から III 類までは現在主流のものに一致し、そのうち III 類は 3-1 と 3-2 に細かく分けているのだが、その次に来るのが ‘Miscellaneous vowel changes’ として現行の IV 類から VII 類までをすべてごちゃまぜにした ‘Class 4’ なのである。

なお K はどうかというと、これは意外にも番号が違うだけでほぼ現在の分類と平行している。すなわち K の言う強変化第 1 類は現在の III 類、第 2 類が IV 類と V 類の合併、第 3 類は VI 類、第 4 類が I 類、第 5 類が II 類、そして第 6 類 (これは 6A と 6B に細分されているが) は VII 類にあたっている。

ただし分類がそのとおり祖語や古語のアプラウトの 7 系列に沿って行われているとしても、現代フェーロー語の個別の動詞がどの類に属することになるかは共時的な記述の問題である。たとえば古ノルド語で IV 類とされていたある動詞に対応する同じ語が現代語でもかならず IV 類にあたるとは限らない。実際には類間の移動どころか強変化だったものが弱変化になることさえままあるのである。

また、7 分類そのものの大枠の特徴づけは一致しているとしても、フェーロー語の経た発達の結果として、パターンの記述が複雑になりがちなきらいはある。たとえば TPJH と PA は一致して強変化 V 類の「主な母音交替」(main vowel alternations) のパターンとして、1. e–a–ó–i, 2. i–á–ó–i, 3. e–á–ó–e, 4. ø–a–ó–ø, 5. i–á–ó–æ, 6. e–a–ó–e という 6 通りを掲げているが、これらに間違いなく共通しているのは過去複数の ó だけで、あとは過去単数でアクセント記号があったりなかったりする a/á、残りの不定法と完了分詞の母音では共通点を探すことも難しい (なおフェーロー語の ø は前舌ではない)。

このように、不定法 (や現在) ならびに完了分詞では母音のバリエーションが多様なため、H のように各類の特徴づけをただ過去単数と過去複数のみによって説明している本もある。以下の解説では AD (bls. 34) をベースにして各類のうちもっとも主要なるアプラウトパターンを最初に示し、細かな差異は都度補っていくこととする。

フェーロー語の強変化動詞 I 類は、í–ei–i–i という系列で特徴づけられる。これはラスクが対応するアイスランド語文法の「第 2 活用第 3 類」についてもっとも単純と評したとおり (前記事参照)、種々のバリエーションの例外というものに煩わされることのない簡単なパターンである。代表例は bíta「噛む」で、過去単数 beit, 過去複数 bitu, 完了分詞 bitið と活用する。ほか、blíva「〜になる」、grípa「つかむ」、skína「輝く」、svíkja「だます」などを全員が一致してここに挙げている。ドイツ語の ei–i–i (beißen–biß–gebissen, greifen–griff–gegriffen) あるいは ei–ie–ie (bleiben–blieb–geblieben, scheinen–schien–geschienen) と並行していることが見てとれる。

II 類は ú/ó–ey–u–o で、代表例は bróta「壊す」(現在 3 単 brýtur)、過単 breyt, 過複 brutu, 完分 brotið である。このように現在形で母音変異 (これはウムラウト) が起こる場合もあるので、親切な本 (DM や AD) は系列を ó–ý–ey–u–o のように 5 項で記している。またこの類に属する特殊な活用として、leypa–loypur–leyp–lupu–lopið「跳ぶ」が特別に言及されている場合がある (DA および L)。しかし現在で ó が ý に、ey が oy になるのは i-ウムラウトの規則的な適用であるから、それを知っていればじつは新しく覚えることはない (ただし VII 類に分類する人もいる。後述)。

III 類は e/i–a–u–u/o で、その 4 通りをすべて列挙すると brenna–brann–brunnu–brunnið「燃やす」、sleppa–slapp–sluppu–sloppið「逃げる」、binda–bant–bundu–bundið「縛る」、svimja–svam–svumu–svomið「泳ぐ」が見いだされる。brenna 型として drekka「飲む」や renna「流れる」、binda 型として finna「見つける」を代わりに用いてもよいであろう。

驚くことに、H はこの類に verða「なる、起こる」を含めている。これの時制変化は彼じしん書いているように varð–vórðu–vorðið であって過去複数が ó であるから、本当のところはすぐ下の IV 類に入れられるべきものである (DM と AD ではそうなっている)。なぜ H がそうしたのかは判然としないが、古ノルド語では verða は III 類に属していた (varð–urðu–orðinn) こととひょっとして関係があるのかもしれない。

IV 類は e–a–ó–o がもっとも典型的なパターンで、次の V 類との違いはもっぱら過去分詞の母音だけである (それゆえ前述のように K がこの 2 つの類を区別しなかったのは理由のないことではない)。代表に挙げられることの多い動詞は bera–bar–bóru–borið「運ぶ」または nema–nam–nómu/numu–nomið「とる」(独 nehmen)。また不定法の母音が o のパターンもあり、そこには sova–svav–svóvu–sovið「眠る」や koma–kom–komu–komið「来る」が属している。

最後の koma は過去単数が a でなく o になっているがこれは古ノルド語の時点からそうで、もと *kwam の wa が w の影響で wo に変わりのちに w が消失したのである (Gordon and Taylor, §§51, 63)。いま挙げた 4 つの動詞はすべて ON. でも IV 類であったが、しかし ON. sofa はさらに元来は V 類に属していたという (Ibid., §130)。

奇妙なこととして、AD は vera–var–vóru–verið (英語の be 動詞にあたる語) をこの IV 類に含めているのだが、これは他書 TPJH, PA, H では V 類である。すでに注意したとおり IV 類と V 類の違いは主に過去 (完了) 分詞の母音であるから、verið の e は IV 類の o よりは V 類の i に近いのではなかろうか?

V 類を特徴づけるアプラウトパターンはとりあえず e–a–ó–i と言っておく。しかし前述したとおり TPJH と PA はこの「主な母音交替」を 6 通り掲げるなど、一言で説明するのが難しい一筋縄でいかないグループである。e–a–ó–i 型の代表例は geva–gav–góvu–givið「与える」あるいは drepa–drap–drópu/drupu–dripið「殺す」が挙げられることが多い。

そのほか、分詞が e になる e–a–ó–e 型 (すぐ上で注記した vera が属する)、さらに過去単数が á になる e–á–ó–e 型 (eta–át–ótu–etið「食べる」)、最初と最後が i になる i–a–ó–i 型 (sita–sat–sótu–sitið「座る」や biðja–bað–bóðu–biðið「請う」) と、同じく最初と最後が ø である ø–a–ó–ø 型の kvøða–kvað–kvóðu–kvøðið「歌う、詠唱する」、そしてこれらと比べればかなり特異に見える í–á–ó–æ の交替を示す síggja–sá–sóu–sæð/sætt「見る」がある。

ただしこの最後のものについては困難があること、TPJH, p. 146 が「síggja『見る』の母音交替はまったく不規則であり、この動詞がそもそもここに挙げられたほかの動詞といっしょに分類されるべきかどうかすら議論の余地がある」(The vowel alternations of síggja ‘see’ are quite irregular, so it is debatable whether the verb should at all be classified with the other verbs listed here.) と評価するとおりである。

私見では、ø–a–ó–ø の kvøða とてかならずしも納得しやすいわけではない。共時態を見るとき、フェーロー語において e や i がなんらかの作用によって ø に変わることはありえないのであるから、これはむしろ IV 類の o–a–ó–o の特殊例とみなしたほうが理解しやすい気がする。しかし事実を言うとこれは古ノルド語の kveða (e–a–ó–e, すなわち V 類) から変化して生じた語形であるからここに属せしめることが正当なのである。この動詞を V 類とすることでは TPJH, PA, H が一致しており異論はない (DM および AD には見いだされない。また K では第 2 類 [= IV+V 類]、L では第 4 類 [= IV+V+VI+VII 類] の粗い分類だが少なくとも反対的ではない)。

VI 類は a–ó–ó–a のほか、細かく言えば a–ó–ó–i, á–ó–ó–i, ø–ó–ó–o というパターンが主にあるが、いずれにせよ過去単数・複数がともに ó であるという特異な性質を共有している。代表例は fara–fór–fóru–farið「(乗り物で) 行く」、standa–stóð–stóðu–staðið「立つ」、taka–tók–tóku–tikið「とる」など重要で基本的な単語が多い。不定法が á の例は sláa–sló–slógu–sligið「殴る」、ø の例は svørja–svór–svóru–svorið「誓う」がある。

VII 類にアプラウト系列の規範を立てようとすることはほとんど不可能に見える。TPJH, PA は 8 種類の下位分類を設けているが、これはほとんど無秩序に観察事実を並べただけのように見える。ともあれその 8 つのうち最初に置かれているのが a–e–i–i という系列で、これは AD も bls. 34 では VII 類の代表のように言っているが、同書は実際に活用を論じる bls. 126 に至ってはパターンを挙げることを断念している。DM および H はこの類に母音交替の型を示さず、ただこのグループを畳音動詞 (重複動詞、tvífaldanarsagnorð, reduplikationsverb) と呼んでいる。

例としては halda–helt–hildu–hildið「保つ;考える」、ganga–gekk–gingu–gingið「行く、歩く」、falla–fall–fullu–fallið「落ちる」、fáa–fekk–fingu–fingið「得る」、eita–æt–itu–itið「〜という名である」、lata–læt–lótu–látið「させる」などがある。古ノルド語の対応語を示すと、順に halda, ganga, falla, fá, heita, láta/lata である。TPJH, PA および H はなぜかここに leypa を含めているが、これはすでに検討したように II 類として説明可能である。おそらく古ノルド語の hlaupa(–hljóp–hljópu–hlaupinn, VII 類) を意識しての分類ではないか。

ラスクによるアイスランド語動詞の活用分類

強変化・弱変化という名づけこそヤーコプ・グリムにちなむものの、アイスランド語の動詞活用の形式にこの二大分類を認めたのはやはりラスムス・ラスクが最初の人であった。彼はあの 1811 年のアイスランド語文法 Vejledning til det islandske eller gamle nordiske Sprog において、なるほど無味乾燥な名ではあるがそれを第 1 活用・第 2 活用 (弱のほうが第 1) と呼んだのであった (s. 111):
Den første af disse Konjugatsioner endes i 3. Person Imperf. paa -di eller -ti, og i Partis. Pass. paa -dr eller -tr, f. Eks. baka bage, bakadi, bakadr; brenna brænde, brenndi, brenndr; den anden gjør Imperf. til Enstavelsesord, som almindelig endes paa den Medlyd, der stod foran a i Infinitivet, og som tillige gjerne forandrer Selvlyden i den første Stavelse; i det passive Partisip endes den paa -inn, f. Eks. taka tage, tók, tekinn; renna rinde, rann, runninn.〔強調原文、ただしボールドとイタリックの区別は引用者による。〕
「これらの活用のうち第 1 のものは、未完了〔=過去〕3 人称が -di または -ti で、受動分詞が -dr [= -ðr] または -tr で終わる。例として baka「(パンなどを) 焼く」〔英 bake〕, bakadi, bakadr;brenna「燃やす」, brenndi, brenndr。第 2〔の活用〕は未完了〔=過去〕を単音節語で作り、それはふつう不定法〔語尾〕の a の前に立つ子音で終わるもので、かつまた概して第 1 音節における母音を変化させるものである。その受動分詞は -inn で終わる。例として taka「とる」〔英 take〕, tók, tekinn;renna「流れる、漏れる」〔英 run〕, rann, runninn。
ところがラスクが間違えたと言ってよいものか、今日の目から見て不可解に思われるのは、彼が第 1 活用 (=弱変化) 動詞の最後のグループ「第 4 類」として次のような特徴をもつ動詞を含めていることである (s. 125):
45. §. Den fjerde Klasse bestaar af nogle faa Ord, der alle følge en og samme Lighedsregel, og med Imperf. høre til den første Forandringsmaade, med Partisippet derimod til den anden.〔強調は原文のゲシュペルト体。〕
「第 4 類は若干の少数の語からなる。それらはすべてひとつの同じ類似の規則に従っており、未完了では第 1 の変化様式に属し、〔過去〕分詞では反対に第 2 のものに属する。」
この次にラスクは「そのうちもっとも重要なものは」(De vigtigste af dem ere) として snúa, núa, gróa, róa の 4 語の 4 基本形を表にして並べている。この例を見てわかるとおり、これは現在の分類で言うところの強変化 VII 類、別名を畳音動詞 (または重複動詞、ドイツ語で [というかほとんどラテン語だが] Reduplikationsverb) というものである (しかし VII 類のすべてではない、後述)。

強と弱の区別は過去時制形をアプラウトによって形成するか歯音接尾辞を付して作るかによるのであり、上に見たとおりラスク自身の定義もそうなっているように見える。またラスクはここで snúa–snýr–sneri–snúinn, róa–rœr–reri–róinn といった正しい変化形を把握している。にもかかわらず「未完了は第 1 変化に属する」と判断したのはなぜだろう。ラスクの定義に従えば過去単数が -di, -ti で終わるものがそれにあたるのであるから、ラスクは sneri, neri, greri, reri の -ri を -di の音韻変化したものと推測したのであろうか。

そこでちょうど第 1 変化の節は終わり、次のページから第 2 変化の分類が始まる (s. 126ff.)。ラスクの分類で第 2 変化第 1 類とされているのがほぼ現在普通の分類で言う強変化 III, IV, V 類を合併したものにあたる。ただし IV 類動詞の例は表のあとに続く説明の最後に出てくる bera しか見あたらないが。

ラスクの第 2 類は現在の VII 類の一部に相当するが、その基準は「〔過去〕分詞が不定法と同じ母音を保持している、ただし á が ng の前で現在形と同様に ei に変わることを除く」(Partisippet beholder i denne Klasse samme Selvlyd som Infin., undtagen at á foran ng forandres til ei, ligesom i Præsens) というもので、もともと VII 類はアプラウトのパターンが多様であることを思えばこれはかなり狭いグループになる。VII 類のうち snúa などが第 1 活用第 4 類とされて除外されることは上で見たとおりだが、さらにまたべつの若干の動詞は彼の言う第 2 活用第 4 類に入っている (後述)。

第 3 類はラスクが「もっとも単純なもののひとつ」(Denne Klasse er en af de allersimpleste) と呼ぶクラスで、現在の I 類と完全に一致しているようだ。彼の説明によれば「ここに属するすべての語は母音 i をもち、それは過去単数においてのみ変化する」(Alle dertil hørende Ord have Selvlyden i, som blot i Enkelt. af Imperf. forandres) と言うが、正しくは stíga–stígr–steig–stigu–stiginn のように í–í–ei–i–i という系列で i には長短の違いがある。

第 4 類は fara, standa, taka, draga, slá, vaxa などおおむね VI 類に見えるが、koma (IV 類) や búa, høggva など (VII 類) も含まれ混沌としている。そのことについてラスク自身「この類はこの変化様式〔=強変化〕のうちでもっとも多種多様で困難な語を含んでいる」(Denne Klasse indbefatter de forskjelligste og vanskeligste Ord af denne Forandringsmaade) と言うとおりである。

そして第 5 類はアプラウトの系列につき不定法では「アクセントつき母音または二重母音」(en aksentueret Selvlyd eller Tvelyd)、現在 ý、過去単数 au、過去複数 u、分詞 o と明快に説明しているように、ほぼ現在の II 類に一致しているも、ウムラウトを見抜けなかったためか søckva [= søkkva] (III 類) が混入している。

その後、ラスクは §54 (s. 133f.) において不規則性について言及し、sveria [= sverja], hiálpa [= hjálpa] など若干の動詞が強弱いずれもの活用形を呈することを説明している。

samedi 8 décembre 2018

フェーロー語文法研究 (前) 史 1650–1900

フェーロー語 (フェーロー語:Føroyskt, デンマーク語:Færøsk, ドイツ語:Färöisch, フランス語:Féroïen, 英語:Faroese;フェロー語とも) に関する記述として、もっとも古いものは 17 世紀に遡る。フェーロー諸島の気候・風土や政治・文化・宗教などに関する著述のなかに見いだされる断片的な記載がそれで、この種の著作として、
  • Wolff, Jens Lauritzsøn (1651). Norrigia Illustrata, eller Norriges med sine underliggende Lande oc Øer, kort oc sandfærdige Beskriffvelse [...].
  • Tarnovius, Thomas (1669). Ferøers beskrifvelser. [現物未見、完全なタイトル不明。]
  • Debes, Lucas Jacobsøn (1673). Færoæ et Færoa reserata: Det er Færøernis oc færøeske Indbyggeris beskrifvelse [...].
を挙げることができる。たとえば Wolff の s. 201 に次のような描写がある:
Dette Lands underliggende Øer, er hen ved sytten, oc lige som at Øerne ere store til, saa haffve de oc der paa mange Kircker, oc Prædicker deris Præster, Danske Maal for deris Tjlhører, huilcket de vel forstaar, oc kunde Lands Folcket lige som de Norske, læse udi Danske Bøger, oc den ene den anden, der udi lærer oc underviser; Men ellers tale de oc naar de ville, saaledis imellem sig sielff, at huo som er icke vant med dem at omgaas, da kand mand dem icke forstaa.
古いデンマーク語でどうも理解しづらいが、だいたいのところを解釈してみる:フェーロー諸島の 17 の島々にはおのおのの面積に応じて大小の教会があり、そこで牧師たちはデンマーク語で聴衆に説教をする。島民たちはそれを「ノルウェー語」と同様によく理解できており、デンマーク語の本を読み教えあっている。しかし彼ら島民どうしのあいだでは、彼らとつきあいなれていない者には理解ができないしかたで話したがるという。

もうひとつ関連箇所、すなわち Debes, s. 253 から引用してみよう:
Deris Spraack er Norsk, dog udi disse Tjder meest Dansk, dog hafve de endnu beholdne mange gamle Norske Ord, oc er der ellers stoer Forskiel mellem deris Tale hos det Folck som boer Norden i Landet, oc hos dem som boe udi Suderøerne.
これは上のものに比べればずいぶんと読みやすいが、しかしその意味するところがはっきりしているとは言いがたい:彼ら〔フェーロー諸島人〕の言語はノルウェー語であるが、この時代においては主としてデンマーク語である。しかるに彼らはいまだ多数の古いノルウェー語の単語を保持している。また島の北部に住む人々の言葉と南部に住む人々のそれとのあいだには大きな違いがある。

Mitchinson (2012, p. 92) もこの „meest Dansk“ (‘mostly Danish’) という箇所を ‘hard to interpret’ としているが、彼が引いているように Debes の復刻版を刊行した Rischel (1963) の序説の示唆するところでは、この当時に諸島の教会・教育・行政の言語がデンマーク語であったという意味だとすれば前掲 Wolff と軌を一にするであろうということである。

もっともそういった詳細はいまは脇においてよい。われわれがまず注目すべきところはひとつで、このとおり 17 世紀にはフェーロー諸島人の話している言語はノルウェー語、あるいはそれが理解しがたいほどに訛ったもの、とみなされていたという事実である。フェーロー語という独立の言語として扱う意識はまだ存在しなかった。

この見かたは次の 18 世紀後半から 19 世紀はじめにかけて変わっていく。デンマーク人の牧師 Jørgen Landt は世紀末の 1800 年に、上掲のテーマと同じようにフェーロー諸島の風土や文化を取り扱った書籍 Forsøg til en Beskrivelse over Færøerne を刊行しているが、その「言語について」(Om Sproget) と題する節 (s. 436–440) は次のように書きだされている:
Det færøeske Sprog forekommer en Fremmed i Begyndelsen meget uforstaaeligt, men man lærer at forstaae det, førend man ventede det; thi en stor Deel af Ordene er gamle danske eller rettere norske, hvilke ved en fordrejet Udtale have faaet et fremmed Udseende;
ここにはまず「フェーロー語」(det færøeske Sprog) という名前が現れている。そして (デンマーク語母語話者にとっては)「〔長く〕待つこともなく理解できるようになる」と述べる点ではあまり言語間の違いを認めていないようにも見えるが、このような事態が出来するのはもともと北欧語間に大きな差異がない事情にもよる。じっさい、ラントがフェーロー語習得の容易さの理由を「大部分の単語が古いデンマーク語、あるいはむしろノルウェー語であるから」と言っているとき、1800 年にはまだデンマーク゠ノルウェー同君連合が生きていたことを思いおこせば、デンマーク語とノルウェー語を別物とみなすのと同程度にはフェーロー語もまた別個の言語であると考えていたことになろう。

そしてこの段落の下にラントはデンマーク語とフェーロー語で発音が少し違うだけの単語の対を数十組並べたあと、「しかしフェーロー語には多くの独自の点があり、それについて若干の列挙をしたいと思う」(Dog ere mange egne for det færøeske Sprog, af hvilke jeg vil anføre nogle) として、デンマーク語話者には一見してわからないと思われるフェーロー語の単語と、日常のシーンの会話見本にことわざ (デンマーク語の対訳あり)、フェーロー人の男女の人名例を紹介している。

〔12 月 12 日追記。ラントのこの部分を訳出し、現代フェーロー語のための訳注を施した記事を書いたのであわせてご覧いただきたい:「18 世紀のフェーロー語瞥見」〕

ところで順番は前後するが、この間にフェーロー諸島生まれのイェンス・クリスティアン・スヴェアボ (Jens Christian Svabo, 1746–1824) という人が出て 1770 年代ころから仕事を始め、フェーロー語・デンマーク語・ラテン語辞書 Dictionarium Færoense やフェーロー諸島のバラッド (民謡、デンマーク語で言うフォルケヴィーサ) を書きとめて編纂したのだが、いずれも手稿のままに終わり出版されることがなかったためこの時点で影響を及ぼすことがなかった。彼のこれらの著作はメアトラス (Christian Matras) の編集によって 20 世紀のなかばになってからようやく刊行されている (民謡集は 1939 年、辞書は 1966–70 年)。

フェーロー語の学問的な取り扱いに先鞭をつけたのはなんといってもラスクに始まると言っていいだろう。ラスクは 1811 年に世界初の体系的な (そしてすでにかなりの程度完成されていた) アイスランド語文法として名高いあの『アイスランド語あるいは古ノルド語への手引』(Vejledning til det islandske eller gamle nordiske sprog) を出版したが、このなかに若干のフェーロー語文法が描かれている (第 7 部 §§16–24: s. 262–282)。その前置きとして §3 (s. 240) に
[...] Paa Færøerne derimod har det gamle Sprog endnu vedligeholdt sig i en egen fra Islandsken noget afvigende Sprogart. Imidlertid er det dog gaaet med Islandsken paa Færøerne, som med Dansken i Slesvig;
と言うように、この本で彼はまだフェーロー語をアイスランド語の多少異なった方言として扱っているのであるが、実際のところ彼はフェーロー語の位置づけに迷っていたのであって、総じてこの『手引』以外の著作では、アイスランド語に非常に近いが独立したノルド語のひとつとして扱っているという、Skårup (1964, s. 5) の次の証言を引いておく:
Den placering af færøsk i forhold til de andre nordiske sprog, som Rask foretog allerede i sin skoletid alene på grundlag af eksemplerne hos Landt, ændrede han således ikke siden. Han vaklede mellem at regne færøsk som en sprogart inden for det islandske sprog og som en selvstændig nordisk sprogart, som dog lå islandsk meget nær. Den sidste opfattelse var den almindeligste hos ham, den første findes kun i Vejl.
さてその『手引』はラスク自身の手によってスウェーデン語訳された増補版 Anvisning till isländskan eller nordiska fornspråket が 1818 年に出ている。これは章や節の番号づけが通し番号に変えられているほか随所に差異があり一見すると同じ著作とは思われない見かけだが、じつはフェーロー語に関しても大きな違いがある、というのは 1811 年版にあった文法の一切が削除されてしまっているのである。唯一残っているのは先の引用部分 (Rask 1811, s. 240) に対応する第 7 部第 24 章 §519 (s. 278f.) の次の記述である:
På Färöarne talas ännu en folkdialekt, som nårmar sig Isländskan betydligt, men som dock har litet intresse, emedan den har ingen Litteratur, utom några folkvisor, hvilka likvål hittills icke genom trycket blifvit utgifna.
つまるところ、フェーロー語には (未刊の) 若干のバラッドを除いて文学というものがないため関心がないというのである。もっともこの書物が古アイスランド語文学のための文法であることを思えば当然の判断と言えよう。

ところでその「若干のバラッド」(några folkvisor) というのが前出スヴェアボの未公刊の著作を指していたのかどうかは定かでない。というのは、ラスクはたしかにスヴェアボの仕事を知っていたようなのであるが、このすぐ 4 年後の 1822 年には別の人 H. C. Lyngbye がフェーロー語版ジークフリート伝説とも言うべきバラッドをまとめた著作 Færøiske Qvæder om Sigurd Fofnersbane og hans Æt を出版するからである。ラスクのスウェーデン語版『手引』の英訳 (George Webbe Dasent による。1843 年) を見るとこの箇所の脚注で ‘These ballads were published with a Dansk translation by Lyngbye, Randers 1822.’ と言われているのである。ただし 1843 年といえばすでにラスク死後 (1832 年没) のことであるから英訳者は著者に確かめてこう記したはずはなく、いまだ発表されていないスヴェアボの仕事を彼が知らなかっただけかもしれない。

このほかにもフェーロー語を本文とする出版物がだんだんと現れてくる。まずは 1823 年の J. H. Schrøter によるマタイ福音書のフェーロー語訳。それから 1832 年にはこのブログでもすでに取りあげた『フェーロー諸島人のサガ』のフェーロー語訳を含む C. C. Rafn の Færeyínga saga eller Færöboernes historie i den islandske grundtekst med færöisk og dansk oversættelse が登場する (フェーロー語の訳者は Schrøter)。1822 年のリュングビューから始まるこれら 3 冊こそ、フェーロー語による最初の印刷出版物として永久に記念されているのである。

この間に注目されるのは、1829 年ころ Jacob Nolsøe (1775–1869) なる人物がフェーロー語文法 Mállæra を書きあげていたらしいという事実である。しかしながらこの作品は現在に至るまで公刊されておらず、ただアウルトニ・マグヌソン写本コレクション (Den Arnamagnæanske Samling) のうちの写本番号 AM 973 として保存されているとの由である。彼は晩年のラスクとも交際があり、そのフェーロー語文法や正書法に関して書簡のやりとりが知られている (Skårup, s. 6)。またフェーロー諸島に移住したアイスランド人 Jón Guðmundsson Effersøe という人も同様にフェーロー語の正書法に関して同じころラスクと文通していたそうだ。

すなわち、ラスクはこの最晩年の時期 (彼は若死であったため、晩年といっても 40 代前半である) にもフェーロー語に関心を抱いていた。既述のとおりこのころフェーロー語の出版物はようやく出はじめたばかりであったので、まだフェーロー語の正書法というものは固まっておらず、18 世紀のスヴェアボの辞書やラスクの文法、シュレーターのフェーロー語訳マタイ伝やフェーロー人のサガ等々は、現代の正書法とはまったく異なる、むしろ実際の音声に即したつづりを試みていた。

現在のフェーロー語のような、実際の発音とはかなりかけ離れて語源的配慮にもとづいた、かつアイスランド語に強く影響を受けた正書法を確立させたのは、V. U. Hammershaimb の尽力によるところが大きい。この人は早くも 1854 年にデンマーク語でフェーロー語文法の小冊子 Færøisk sproglære を書いているが、彼のものはその後の半世紀以上にわたって唯一のフェーロー語の手引でありつづけた (Jákup Dahl による 1908 年の学校教育用文法が登場するまでのこと)。

ところでこの間にあまり知られていないスウェーデン語の論文、Nore Ambrosius による Undersökningar om ordfogningen i färöiskan (1876 年) という本文 30 ページほどの小冊子がある。これはどうやらフェーロー語の統語論を取り扱った時代に先駆けた研究であるようだが、私じしんスウェーデン語がよく読めないことと、諸研究もこの著作を名前だけ挙げているばかりで詳細な書評が見あたらないのでどの程度のものか判断がつかない。

19 世紀最後のそしてもっとも重要な仕事として挙げられるのが、Hammershaimb と Jacobsen の編になる Færøsk anthologi 全 2 巻 (1886–91) である。第 1 巻選文篇の巻頭には、ハンマシュハイムによる先の文法を増補改訂した 100 ページを超える「歴史的・文法的序説」(historisk og grammatisk indledning) が収められている。また第 2 巻はほとんどフェーロー語・デンマーク語辞典とも称すべき大きな語彙集になっている。この本に見られるフェーロー語正書法は、まだ ö と ø が入りまじっている (当時のデンマーク語では開音と閉音で使いわけていた) ことなど些細な相違を除けばすでに現代のそれと見分けがつかないものである。

歴史的・語源的な意識に導かれた現行のフェーロー語正書法にはいまも異論がなきにしもあらずのようだが、ハンマシュハイムの当時からすでに反対派は存在していた。考えてもみれば、先駆者たるスヴェアボやラスク、リュングビューやシュレーターたちがみな発音に忠実なつづりかたを試行錯誤していたのだから (あれだけ古アイスランド語を偏愛したラスクからしてそうだったのだから!)、むしろハンマシュハイムのほうが異色で急進的だったはずである。じつはハンマシュハイム自身ももともとは前者に近い立場だったが、N. M. ピーターセン (この人はラスクの学生時代からの友人でもあった言語学者) の説得の影響があったらしい (Hovdhaugen et al., §4.5.2.2 参照)。デンマークが誇る言語学者イェスペルセンは自叙伝のなかで次のように述べるところがある (前島訳、20 頁):
私が王立学生寮にいたころ、フェーロー語学者 V. U. Hammershaimb の二人の令息達もそこに住んでいた。私は多数のフェーロー語の音韻関係を調べ、Hammershaimb とその若い助手 Jacob Jacobsen を助けて「フェーロー詩華集」の中の音標文字を執筆した。私はまた 1884 年の五旬節に南ゼーランドの Hammershaimb の牧師館の客となった。彼はフェーロー文語を創ったが、それは彼の若いころの見地に基づいて(古代)アイスランド語の綴字法に似せたきわめて擬古的なものであった。私は彼に対してスウィートの語を引用した:語原が興味があり有益であるとの理由で、現代語を歴史的・語原的見地から綴ることは、すべて綴字の固定化をはかる者が分別くさく首にマコーレーの『英国史』をぶら下げて歩くようなものだ。」古代やアイスランドに拘泥せずに、もっぱらこの言語の現在の語形に基づいてフェーロー文語を創造する方が正しいというのが私の考えであった。しかし彼は自己流を固執した。
結局イェスペルセンのこの諫言は容れられず、ハンマシュハイムとヤコブセンによる大部な Anthologi の採用した歴史的つづり字が影響力をもつようになった。

とはいえ学習者にとってこれはかならずしも悪いことばかりではない。学習者はつづり字から発音を導きだす規則を大量に覚えねばならなくなったが、それとひきかえに文字上の語形変化には混乱する点が少なくなっていると言える。

例として英語の to have にあたる動詞 at hava は、過去単数 hevði、過去複数 høvðu のように変化するが、これらを発音に忠実に、たとえばラスクの 1811 年文法に従ってつづると、順に heava, heji, höddu となる。歴史的綴字法では h_v- という語幹の子音字のおかげで同じ動詞の活用形であることが明瞭、また共通する弱変化過去接尾辞の -ð- のおかげで hevði, høvðu はその過去形であることがわかりやすく見てとれるのに対し、heava, heji, höddu では同じ動詞なのかどうかすら見かけには明らかでない。名詞でも同様で、たとえば dagur (英 day) の格変化をどうつづることになるか考えてみるとよろしい。

フェーロー語の母語話者ではない私たちにとって、このために読み書きはむしろ容易になっている。この正書法の弊害を被っているのはむしろ母語話者のほうなのではないか。ネイティヴはいちいち意識しなくとも自然に格変化を体得している。そうすると dagur の変化形を文字で書かねばならないとき、主格 dagur [dεavʊr] では [v] なのに g を、与格 degi [deːjɪ] では [j] なのにまた g を、対格 dag [dεa] ではなにもないのにやはり g を書かねばならない。上述の hava の活用形も同様だし、そこで見た ð の文字 (フェーロー語ではいっさい発音しない!) が動詞の過去形に限らずフェーロー語全体にいかに溢れているかに思いを致せば、彼らの苦労は日本語の四つ仮名などの比ではなさそうだ。ハンマシュハイム以来の正書法がいつまで存続するか、百年を経ても安心してよいかはまだわからない。


参考文献 (刊行年順。上記で紹介した 19 世紀までの文献は除く)
  • Jespersen, Otto (1938). En Sprogmands Levned.〔前島儀一郎訳『イェスペルセン自叙伝』1962 年。〕
  • Skårup, Povl (1964). Rasmus Rask og færøsk.
  • Hovdhaugen, Even, Fred Karlsson, Carol Henriksen, and Bengt Sigurd (2000). The History of Linguistics in the Nordic Countries.
  • Petersen, Hjalmar P. (2010), The Dynamics of Faroese-Danish Language Contact.
  • Mitchison, John (2012). ‘Danish in the Faroe Islands: A Post-Colonial Perspective’.

samedi 25 août 2018

16 世紀北ゲルマン語圏の聖書を読むための覚書

ヨーロッパの 16 世紀は宗教改革の世紀である。ルターがいわゆる 95 箇条の提題を (ラテン語で) 張りだしたのが 1517 年の 10 月 31 日、そして聖書のもっとも重要な (初期新高) ドイツ語訳であるルター聖書が世に出たのは、1522 年のいわゆる 9 月聖書であった (新約のみ。旧約および外典を含む完訳は 1534 年)。

このときルターが翻訳の基礎としたのは、エラスムスの手になるギリシア語新約聖書 Novum Testamentum omne の第 2 版 (1519 年) である。エラスムス校訂のギリシア語テクスト (初版は 1516 年) は公認本文 (テクストゥス・レケプトゥス textus receptus) と呼ばれ、ルター訳のみならずそれを通して以下の北欧語訳に、それからなにより英訳聖書のティンダルや KJV のもととなっていくもので、現代の本文批評からすればさまざまの問題があるにせよいまも熱心な支持者はいるようだ。

デンマーク語で印刷された最初の聖書は 1524 年のクリスチャン II 世聖書で、これも新約のみであったが、最初の完訳は 1550 年のクリスチャン III 世聖書 (Christian III’s Bibel) である。この底本についてはいまいちよくわかっていないが、王の希望でルターのドイツ語訳に可能なかぎり近づけられたものらしい。そのためデンマーク語訳ではあっても教養のない農民階級にとっては理解困難なものだったという。この聖書はノルウェーでも用いられた。

スウェーデン語訳はやはり翻訳を命じた王の名前をとったグスタフ・ヴァーサ聖書 (Gustav Vasas bibel) が重要であり、これは新約部分が 1526 年、完訳は 1541 年。スウェーデン語は私の守備範囲外なので詳しく調べていない。

アイスランド語の最初の完訳聖書は、ホーラル司教グヴュズブランドゥル・ソルラウクスソンによるグヴュズブランドゥル聖書 (Guðbrandsbiblía) で、これは 1584 年に刊行された。ただしその新約部分は先行する 1540 年出版のオッドゥル・ゴットスカウルクソンの新約聖書 (Nýja testamenti Odds Gottskálkssonar) をあまり変えずに用いているということである。

フェーロー語に聖書が翻訳されるのは残念ながら 19 世紀に入ってからのことなのでここでは取り扱わない。宗教改革期以降フェーロー諸島ではデンマーク語の影響が顕著になり、聖書以下宗教関係の文献はデンマーク語のまま用いられた。


さてこれらの聖書は (エラスムスのものを除いて) 当時のゲルマン語の出版物であるからすべてブラックレター体で印刷されている。ブラックレターは俗にドイツ文字と呼ばれるフラクトゥールの同義語として用いられることも多いが、正確にはより広い呼び名であって、ここではフラクトゥール (Fraktur) の作られるまえに使われていたシュヴァーバッハー体 (Schwabacher) の名をとくにあげておく。

というのは、このシュヴァーバッハー体はだいたい 1530 年ころからフラクトゥールに取って代わられていくのだがそれ以前には広く使われ、とりわけ 1522 年のルター聖書ではシュヴァーバッハー体が用いられているのに加えて、先述のもののなかではオッドゥルのアイスランド語新約聖書もこの書体で組まれているからである。

シュヴァーバッハーにせよフラクトゥールにせよ、読むうえでの注意点はだいたい共通している。まず、何度も頻出する単語や語尾などは略記される場合があるということ。どういう語がそうであるかは言語によって違うので一概に言えないが、その言語を読めるほどに習熟していれば難しくはない。

それからいくつか特殊な文字があるということ。代表例は ſ すなわち「長い s」だが、これはあまりにも有名であって、ブラックレターのみならずかなり最近 (19 世紀) のローマン体の文書でもおなじみであるからあえて贅言を要しない。

しかし s に 2 種類あることは周知でも、r にも 2 種類 (あるいはそれ以上) あったことはあまり知られていないのではないか。ブラックレターを読むときに覚えておかなければならないのは r rotunda「丸い r」と呼ばれるもので、ローマン体の r と似ていてすぐにわかる 𝔯 のほかに、一定の場合に ꝛ という数字の 2 に似たべつの形をとるのである。

その一定の場合というのはかならずしも明らかでなく、前の字が右側に弧状の丸みをもつ場合 (b, o, p など) と説明されていることがあるが、それはドイツ語あるいはラテン語などでは正しかったのかもしれないがどうもそうではない例も見受けられる。


この画像はオッドゥルの新約からルカ伝 4 章冒頭の段落である。いちばん上の行は „fiordi capitule“ と書かれている。その 2 行下の最初の単語は „Jordan“ である。いずれも o の直後に r が来るが、見慣れた r が書かれている。

一方この段落のいちばん最後の単語 „ordi“ では、同じ o のあとなのに r rotunda が使われている。その真上の語 „madrin̄“ (現代のつづりでは maðurinn にあたる) もそうであるが、d はブラックレターでは右側が丸い文字にあたるのでこれは法則どおりである。しかし 1 行め後ろから 2 番めの „aptr“ はそれでは説明がつかない。


いま掲げた画像はグヴュズブランドゥル聖書からルカ伝 4 章の続き。顕著なのは 3 行め右から 5 番めの単語 „fellr“ で、明らかにどこも丸い部分がない l の直後で r rotunda が用いられている。


ダメ押しにもうひとつだけ示しておく。これは 1526 年のスウェーデン語の新約マタイ伝 1 章冒頭だが、1 行め大きい活字の最後 „Chri⸗[sti]“ の r も、この行だけテクストゥールらしい書体で、たまたまどこも丸くない h の直後に r rotunda が置かれている (もっとも r rotunda を使う基準として、その書体のグリフが丸いかどうかはあまり関係がないようだが)。

ところでこれらの文書は s の使いかたもわれわれの知る常識どおりではないところがある。さきほどのグヴュズブランドゥル聖書の画像の 2 行め中央から „⁊ þeſſ pryde mun eg ...“ とあって、明らかに語末なのに長い s が使われている。逆に最初のオッドゥルの最下行を写すと „dr af sier hueriu gudz ordi“ となっているが、語頭で丸い s が使われている。まあどちらの形でも s は s、r は r なので読解上の支障はないと思う。

では最後に、すでに画像から気がついていたかもしれないが、オッドゥルの紙面ではギリシア文字の τ かひらがなの「て」に似た、あるいはグヴュズブランドゥルの活字では数字の 7 か ƶ にでも似た謎の文字が頻出している。

これはアイスランド語では og、すなわち英語の and にあたる記号である。もともとローマ時代の速記官ティロ Tiro の記法 (にあとから付け加えられたもの) といい、とりわけ古英語やアイルランド語で ⁊ の形でよく見かけられるもので、Tironian ond や Tironian et などと呼ばれている (ond は古英語で and にあたる語、et はラテン語で & の字形のもとになった語。アイルランド語のため agus と呼ばれることもある)。

vendredi 24 août 2018

フェーロー諸島人のサガ (3 章)

昨日公開した 1–2 章の続き。底本は C. C. Rafn (1832), s. 7–13. なおコメントで私が「原語」というとき、翻訳元であるデンマーク語と、そのさらなる原文である古アイスランド語のいずれを指す場合もあるが、つづりから明らかなので混乱はないだろう。


3. そのすぐあとにシグルズルは天幕にいる彼の弟のところに〔戻って〕きて、言った:「銀をもってこい、いまや売買はまとまった」。「一瞬まえに* 俺は兄さんに渡したじゃないか」と彼は答えた。「いいや」とシグルズルは言った、「俺はそれを受けとっていない」。

* なんだか誇張めいているがれっきとした直訳 (D. for et Öieblik siden = E. lit. an eye-blink ago)。より自然に訳すなら「(ほんの) ついさっき」とでもするか。

そこで彼らはこの件をめぐって喧嘩になり、そののちにそのことを王に言った。するとほかの者たちはもちろん彼も悟った、〔銀入りの〕袋は盗み去られたのだと。そこで王は、この件が解明されるまえにはいかなる船も出航してはならないように、出発に対する禁止を行った。そのことを多く〔の人々〕が大きな不便であると考えた、それは長引くと市が終わったあとになってもそうであったので。

ノルド人たちはそこで審議のために彼らのあいだで集会をもった。そこにスラーンドゥルが出席しており、こう話した:「ここにいる人々はたいそう解決に困っているようだ」と彼は言った。「ではおまえはなにか解決策を知っているのか」と彼らは彼に尋ねた。「俺はたしかに知っている」と彼は答えた。「ではおまえの解決策を持って前に出てくれ」と彼らは続けた。「俺は無駄にそれをしたくない」と彼は答えた。

彼らは尋ねた、なにを彼は要求しているのかと。彼は答えた:「あなたがたのうちおのおのが俺に 1 オーレ* の銀をくれるべきだ」。彼らはそれは多いと言った。だがしかしながら妥協が成り、おのおのが彼に即座に半オーレを手渡し、さらにもし彼の提案が望ましい成果を生んだならばもう半オーレを約束した。

* デンマーク語 Øre (クローネの 100 分の 1 の補助通貨) をそのまま訳したが、古アイスランド語原文では eyrir で銀 1 オンスのことという (E. V. Gordon, A. R. Taylor (rev.), An Introduction to Old Norse)。それは貴金属の計量に用いられる金衡オンス (トロイオンス) のことだとすれば約 31.1 グラム。一方 Faulkes の英訳の脚注によれば eyrir は 10 世紀には約 25 グラム半であった。

その翌日、王は会議を催し、そのさい彼の決定を表明した。それはこの窃盗についての確かな情報がもたらされないうちは、何人も決してそこから離れ去ることはまかりならないということであった。

そのとき若い男が歩み出た。頭の毛はだらりと長く伸びて赤毛で、顔にはそばかすがありたいそう荒々しかった;彼は話しはじめ、こう話した:「ここにいる人々はたいそう解決に困っているようだ」と彼は言った。王の相談役は尋ねた、それではどんな解決策を彼は見いだしたのかと。

「これが俺の解決策だ」と彼は答えた、「ここに来ているめいめいが、王が要求するだけ多くの銀を前に置く。そしてその金がひとつところに集められたとき、人が被った〔ぶんの〕損害が補償されるが、王は残りのものを名誉の贈り物* として保有する。俺は知っている、彼〔=王〕はご自分の取り分をうまく用いられるであろうと。そうすると民衆はあたかも固く築かれた** かのようにここにいつづけ、ここに集まってきているこれほど多数の人々の大きな損害になる必要はない〔」〕。

* 原語 Hædersskjenk (現代語では -skænk になる)、Mohnike の独訳では Ehrengeschenk。次の段落の同じ語句は原語 Æresskjenk だが、これは Ehrengeschenk によりよく対応し同義であろう。

** デンマーク語 fastmurede、しかし G. festgebannt「(呪文や魔法で) 呪縛された」、OIcel. veðrfastir「(悪) 天候に妨げられた」(Powell の英訳で ‘weather-bound’)。

〔このセリフはどうも全体的に意味不明だし、後述する莫大な報酬に値するほどのたいした解決案にも思われないのでまったくの誤訳かも。機会があれば再検討したい。〕

この提案はただちに全体の賛成を勝ちとった。そして船長たちは言った、ここでぐずぐずして大きな損害になるよりは、喜んで金を出し王に名誉の贈り物とすると。そこで決定がなされ、金が集められ、それは相当な額になった。

すぐあとに彼らは船の大部分を海に出して去った。それから王はふたたび会議を催し、相当の多額の金が観察された。同じ〔金〕によっていまや最初の兄弟の損害は償われた;その次に王は彼の〔伴の〕男たちと話した、この大きな富によってなにがなされるべきであるかと。

そこで 1 人の男が話しはじめて、言った:「陛下* はこの解決策を与えた者になにが値すると思われますか」。それで彼らは気づいた、いま王のまえに立っている同じ若者が、その解決策を与えた者であったと。

* 原文はただ「あなたに eder」、しかし OIcel. は「わが主人よ」„herra minn!“ との呼びかけで始めており、私訳はこれに近い。

そこでハラルドゥル王は言った〔:*〕「このすべての財が 2 つの等しい部分に分けられ〔=2 等分され〕、一方の半分はわが〔伴の〕男たちがとり、もう半分はその後いまいちど 2 つの部分に分けられ、この若者がこれらの半分のうち一方の部分をとり、しかしてもう一方の部分は私が求めたい〔」〕。

* 底本デンマーク語の箇所ではセミコロンだがこれは誤植で、古アイスランド語・フェーロー語の対応箇所ではコロン。

スラーンドゥルはこのために美しく丁重な言葉を用いて王に感謝した、そしてスラーンドゥルに割りあてられた富は並外れて大きかったので、はっきりした数字を算出するのが困難なほどであった。

ハラルドゥル王は出航し、そしてそこにいた多くの民衆もみな同じように〔出航〕した。スラーンドゥルは彼が伴ってきていたノルウェー人の商人たちとともにノルウェーへ向かった。彼らは彼に留保していたところの金を支払った。

彼はそこで大きくてよい貨物船を買い、彼がこの旅で得たところの相当額の財をそれに積んだ。この船によっていまや彼はフェーロー諸島へと舵をとった、そして彼の全財産をもって無事にたどりついたのである;春には住居をガータに用意し、そしてなお富に不足はしていなかった*。

* 最近の Faulkes の英訳ではこの文までで第 3 章が終わる。また最新のフェーロー語訳 (Bjarni Niclasen, 1995) も同様。おそらくより最近の編集になる刊本の古アイスランド語テクストがそうなっているのだろう。次の文はたしかに部分的にはすでに書かれたことの繰りかえしに見えるし、あとはひどい悪口雑言である。

スラーンドゥルは体の大きな男で、髪は赤く、赤いひげで、顔にはそばかすがあり荒々しく、心は陰気で、悪賢くすべての陰謀の第一人者であり、ひねくれていて人々に対し邪悪、自分より立場が上の者に対しては甘い言葉を話したが、いつも心のなかでは不実であった。

jeudi 23 août 2018

フェーロー諸島人のサガ (1–2 章)

Carl Christian Rafn による 1832 年の版 Færeyínga saga eller Færöboernes historie i den islandske grundtekst med færöisk og dansk oversættelse をもとにした『フェーロー諸島人のサガ (フェロー人のサガ)』の試訳 (今回の 1–2 章は同書 s. 1–7)。この底本は表題のとおりフェーロー語訳・デンマーク語訳との対訳になっている。また翌 1833 年にはこれにさらに G. C. F. Mohnike のドイツ語訳を付した版が刊行されている。

アイスランドのサガは先達の努力によってかなりの程度まで日本語訳されているが、このサガはアイスランドが舞台でなく周辺的であるせいか、私の知るかぎり邦訳はまだないはずである (とりわけ日本アイスランド学会のサイト「中世北欧文学日本語翻訳リスト」を参照)。

ここに行う私の翻訳は Rafn のデンマーク語からの重訳である。ただし固有名詞は古アイスランド語の表記・発音に則っている (主格語尾の -r はわずらわしく略すこともふつうに行われているが、ここでは一貫してつけたままにした)。固有名詞は初出のさいに古アイスランド語の原語表記を付したが、それが原文で斜格の場合は私が主格に直しているので不測の誤りなしとしない。

そのほかデンマーク語の文意がよくわからないときもアイスランド語その他を参照することがあるが、これは逐一断っている。亀甲括弧〔……〕は訳者による敷衍ないし補足説明。また、段落については原文よりもかなり細かく短めに分けている。


1. グリームル・カンバン (Grímr Kamban) という名の男がいた。彼はフェーロー諸島に定住した最初の者で、それはハラルドゥル美髪王 (Haraldr hinn hárfagri)〔=ハーラル 1 世、在位 c. 871–c. 932〕の時代のことだった。そのころ王の支配の強さのゆえに逃亡する者が多く、そのうちのいくばくかがフェーロー諸島に落ちついて居を構えたが、またいくばくかはほかの未開の地を求めた。

大金持ちのアウズル (Auðr hin djúpauðga) はアイスランドへ赴き、その途上でフェーロー諸島まで来たところ、そこで彼女は赤毛のソルステイン (Þorsteinn rauði) の娘オーロヴ (Ólof) を結婚させた。その女からフェーロー諸島人のもっとも家格の高い家柄は源を発するのであり、〔その一族は〕ゴートゥスケッグ (Götuskegg=ガータ Gata の髭男) と呼ばれており、東島 (Austrey)* に住んでいた。

* 「東島 Austrey」は Rafn のデンマーク語訳では Østerø、併記されたフェーロー語訳 (Johan Henrik Schrøter による) では Estroj となっており、この後者は現代の正書法に直せば Eysturoy である。これはそのまま現在 Eysturoy = Østerø と呼ばれている、フェーロー諸島で 2 番めに大きい島のことであって、言及されている Gøta (あるいは Norðragøta) の村はいまもこの島に現存する。

2. ソルビョルン (Þorbjörn) という名の男がいて、ゴートゥスケッグと呼ばれていた;彼はフェーロー諸島の東島に住んでいた。彼の妻はグズルーン (Guðrún) という名であった。

彼らには 2 人の息子がいて、そのうち兄のほうがソルラークル (Þorlákr)、弟のほうがスラーンドゥル (Þrándr) という名だった;彼らは将来を嘱望された男たちだった。ソルラークルは体が大きく強かったし、スラーンドゥルも成長すると同じ性質をもった;しかしほかの点では大きな違いがこれらの兄弟にはあった。スラーンドゥルは髪が赤く、顔にはそばかすがあり、外見が荒々しかった。ソルビョルンは富裕であり、このことが起こったときすでに年がいっていた。

ソルラークルは〔フェーロー〕諸島で結婚して、それでもなおガータ (Gata)〔その斜格が前出のゴートゥ Götu〕にある彼の父の家にとどまっていた;しかしソルラークルが結婚したすぐあとにソルビョルン・ゴートゥスケッグは死に、彼は古い慣習に従って運びだされ* 埋葬された、というのはそのころまだフェーロー諸島人はみな異教〔を信仰して〕いたからである。

* D. udbaaren (= udbåren) の調べがつかず、OIcel. útborinn の直訳とみられるがこれも不明で、bære ud, bera út に戻しても特別に語義が載っていないので、やむをえず「外に-運ぶ=運びだす」と直訳した。しかし Mohnike の独訳は「埋葬され盛り土 (または丘) の下に横たえられた wurde bestattet und in einen Hügel gelegt」で、F. Y. Powell による古い英訳 (1896 年) も同様 (was laid in the barrow and buried)。最近の英訳 (Faulkes, 2016) は「葬儀が執り行われた his funeral was carried」と訳している。

彼の息子たちは自分たちのあいだで遺産を分けあった;双方ともガータの荘園を得たがった、というのはそれが最大の財産だったからである;そこで彼らはそれをめぐってくじを引いた、するとそれはスラーンドゥルに帰した。遺産分割のあとでソルラークルはスラーンドゥルに頼んだ、動産のより多くの部分をスラーンドゥルに得させるかわりに荘園は彼がもらえないかと;しかしこれをスラーンドゥルは望まなかった。そこでソルラークルは去り、諸島内にべつの住居を構えた。

スラーンドゥルはガータの土地をさまざまの男たちに貸しだし、そうしてそこから彼の得られる〔かぎりの〕多額の賃料を得た。その次に彼は夏に航海に出たが、少数の貿易品だけを持っていた。彼はノルウェーへ行き、そこで冬のあいだ屋敷に滞在したが、たえず暗い心持ちのようであった。この時代には灰外套のハラルドゥル (Haraldr gráfeldr)〔=ハーラル 2 世灰衣王、在位 c. 959–970〕がノルウェーを統治していた。

その次の夏、スラーンドゥルは海運業の者たちとともにデンマークへと下り、その夏のあいだハル浜 (OIcel. Haleyrr, D. Haløre) に来ていた。当時そこには多数の人々が集まっており、この場所には市の時期に、ここノルドの地で出会う最大の人々が集合したと伝えられている。

デンマークをこのころ統治していたのは青歯 (D. Blaatand, OIcel. blátönn) の通称をもつハラルドゥル・ゴルムソン王 (Haraldr konúngr Gormsson)〔=ハーラル青歯王、在位 958–987〕であった。ハラルドゥル王は夏のあいだハル浜にいて、多くの従者に伴われていた。王の廷臣のうち 2 人、シグルズル (Sigurðr) とハーレクル (Hárekr) 兄弟の名をあげられる。この者たちは途切れなく市をめぐった、得られる〔かぎり〕最良にして最大の金の指輪を買うことが目的であった。

彼らはとうとう、たいそうよい作りの店へとたどりついた。そこには 1 人の男がいて、彼らをよく応対し、彼らがなにを買いたいのか尋ねた。彼らは答えた、大きくて良質な金の指輪がほしいと。すると彼は言った、そのなかから選ぶべきいいものがいくつかあると。そこで彼らが彼に名前を尋ねると、彼は金持ちのホールムゲイル (Hólmgeir auðgi) と名乗った。

さて彼は彼の宝石類をとりだし、彼らに重厚な金の指輪を見せた。それは大変な値打ちものであった;しかし彼はそれにとても高い値段をつけており、彼が請求するとても多額の銀を即座に準備してのけることは、どんな方策でも達せられないと思われるほどであった。それゆえそこで〔彼らは〕彼に翌日まで未払いのままそれを取り置いてくれることを頼み、彼もまたそのことを約束した。

そうして要件が果たされると彼らはそこを離れ、その〔日の〕夜が過ぎた。〔次の〕朝にシグルズルは天幕を出たが、ハーレクルは居残った。すぐあとにシグルズルは天幕の布張りの外まで来て、こう話した:「わが弟* ハーレクルよ」、〔続けて〕言った、「急いで俺に渡してくれ、指輪を買うためにと決めていた銀の〔入った〕袋を。いまや売買はまとまったからだ。だがおまえはそのあいだここで待ち、幕屋を見張っていろ」。そこで彼〔=ハーレクル〕は彼〔=シグルズル〕に天幕の布を通して銀を手渡した。

* 原文は「親族、親戚」(D. Frænde, OIcel. frændi)、しかし日本語での呼びかけには適さないので、Mohnike の独訳 („Bruder Harek“) を参考に「弟」とした。

lundi 13 août 2018

アンデルセン「人魚姫」冒頭の翻訳比較

あまたあるアンデルセン童話のなかでも「人魚姫」はもっとも人気のある作品のひとつであり、日本語にも多数の翻訳がある。本稿ではアンデルセンのデンマーク語原文冒頭の数段落を読み、それに逐語的な直訳を付すことで、既存の代表的な邦訳 7 種と比較してお目にかける。

そのさい邦訳が直訳した場合と明らかに食い違っている箇所 (たいていは原文にない敷衍) を赤字で指し示す。ただし日本語が代名詞の過剰使用を避けて名前を繰りかえしたり省いたりすることなど、日本文としてやむをえないと思われる点はいちいち指摘していない (が、その基準を厳格に定式化することは難しく、読者には不統一に感じられる箇所があるかもしれない)。

もとより翻訳の良し悪しを評価する尺度というのは、語学的な厳密な正確さばかりではなく、日本語として読んで自然で美しい文かどうか、あるいはこういうジャンルだとさらに子どもにとって言いまわしが難しすぎないかとか、読み聞かせるため朗読したときの調子とかも基準に加わってくる、きわめて複合的な問題であるから、原文との違い (赤字) が多いからといって短絡的にそれだけ悪いというものでもないことは念のため述べておく。さらに翻訳の底本の違いによって訳文に異同が生じている可能性もあるが、これは確かめていない。

本稿では原文テクストはデンマーク語版 Wikisource によった。ただしいくぶん長い段落については、見比べやすくするためそれぞれ半分に分割した (邦訳でも山室訳・高橋訳・大塚訳・天沼訳はだいたい同じような段落分けをしている)。また「人魚姫」は 1837 年に書かれた古いデンマーク語であるから、随所で現代の正書法と異なっているが、これはあえて改めていない。この点につき知りたい向きは、過去の記事「アリスの最初のデンマーク語訳 (1)」にて概略を述べてあるのでそちらをご覧いただきたい。

ここに私が付す直訳では、日本語としての自然さは犠牲にして一語一句過不足なく移すようにし、句読点の切りかたもなるべく原文と順番が前後しないことに意を用いた。原文を直接読めない人にも違いが見わけられるためにである。原文に対応しない敷衍を行う場合は亀甲括弧〔……〕に入れて示す。一方、引用される各種邦訳に見られる赤字の亀甲括弧と打消線は、実際の訳文には欠けているが原文にあるはずだった語句、すなわちなにが訳し落とされているかを示している (もちろんこれも多いほどただちに悪いというものではない、すべて訳出すると日本語では冗長になる場合も多いので)。

比較対象の邦訳の所収著作一覧は以下のとおり (刊行年順):
訳文の表記は句読点や漢字/かなの変換に至るまで一字一句すべて引用元のとおりとするが、振りがなと傍点は再現せず省略した。上で注意した亀甲括弧以外の括弧は訳書にあるとおりである。


第 1 段落


Langt ude i Havet er Vandet saa blaat, som Bladene paa den deiligste Kornblomst og saa klart, som det reneste Glas, men det er meget dybt, dybere end noget Ankertoug naaer, mange Kirketaarne maatte stilles ovenpaa hinanden, for at række fra Bunden op over Vandet. Dernede boe Havfolkene.

直訳 海のずっと外では水はあまりに青いこと、もっとも美しいヤグルマギク* の花びらのごとく、またあまりに澄んでいることもっとも透明なるガラスのごとくであるが、そこはとても深く、どんな錨綱が達するよりさらに深く、多くの教会塔がたがいの上に積まれねばならない、〔水〕底から水〔面〕の上まで届くためには。その下には海の人々が住んでいる。

* 以下の邦訳ではヤグルマギク・ヤグルマソウが 4 対 3 でほぼ拮抗しているが、デンマーク語版 Wikipedia に „Kornblomst“ として立項されている学名 Centaurea cyanus の植物は日本語版で「ヤグルマギク」、その項目によるとかつて「ヤグルマソウ」とも呼ばれたがべつの植物と混同のおそれがあるのでヤグルマギクのほうが望ましいということである。

大畑訳 海をはるか沖へ出ますと、水は一番美しいヤグルマソウの花びらのように青く、このうえなくすんだガラスのようにすんでいます。ところが、その深いことといったら、どんなに長い、いかりづなでもとどかないくらい深くて、教会の塔をいくつも、いくつも積み重ねて、ようやく〔底から水の上までとどくほどです。このような深い海の底に、人魚たちは住んでいるのです。

山室訳 海をはるか沖へでますと、水はいちばん美しいヤグルマソウの花びらのように青く、またこのうえなくすんだガラスのようにすんでいます。けれども、そのふかいことといったら、どんなに長いいかりづなでもとどかないほどふかくて、その底から水のおもてまでとどかせるには、教会の塔をいくつもいくつもつみかさねなくてはならないことでしょう。人魚たちがすんでいるのは、そういう海の底なのです。

高橋訳 海のずっと沖では、水の色は、いちばん美しいやぐるまぎくの花びらのように青く、きれいにすきとおったガラスのようにすみきっています。そして、たいそう深く、どんな長いいかりづな(いかりと船を結ぶつな)でも、とどかないほど深いのです。海の底から水の上までとどくためには、教会の塔をたくさんつみ重ねなければならないでしょう。そういう深い底に人魚は住んでいます。

大塚訳 海の沖のほうへ、はるか遠くまでいくと、そこの水は、いちばん美しいヤグルマギクの花びらのように青くて、いちばんすきとおったガラスのように、澄みきっています。それでも、そこはとても深いのです。どんなに長いいかり綱をおろしても、底までつかないくらいに深いのです。その海の底から水のおもてまでとどかせるためには、教会の塔をとてもたくさん、上へ上へと積みかさねなければならないでしょう。そういう深い海の底に、海の民である人魚たちは住んでいるのです。

長島訳 ずっと沖の海は、もっともすばらしいヤグルマソウの花びらのように青くて、もっともきれいなグラスのように澄んでいますが、そこはとっても深いのです。どんな錨の綱がとどかないほどで、底から海面まで、教会の塔をいくつも重ねないととどかないような深さです。そんな海の底に人魚たちが住んでいまし

金原訳 海のはるか沖では、水はもっとも美しい矢車菊の花びらのように青く美しくもっとも透明な〕水晶のように澄んでいる。そしてどんな錨のロープをおろして計りきれないほど深い。教会の塔をいくつ積み重ねても水面に届かない* ほどの海の底に、海の王さまと臣下たちが住んでい

* 原文ではたくさん積み重ねれば届くことになっているので、いくつ重ねても届かないというのはこの訳独自の誇張。それはもちろんレトリックの範疇ではあるが、少なくともほかの訳はどれもそこまで言っていない。

天沼訳 はるか海の沖では、水はもっとも美しいヤグルマギクの花さながらに青く、また、もっともすきとおったガラスのように澄んでいる。そのあたりはとても深くて、どれほど長い錨綱だって、底まで届かぬほどなのだ。海の底から水のおもてまで届かせるには、教会の高い塔をいくつも積みかさねなくてはならないだろう。そんな深い海の底に人魚たちは暮らしてい


第 2 段落前半


Nu maa man slet ikke troe, at der kun er den nøgne hvide Sandbund; nei, der voxe de forunderligste Træer og Planter, som ere saa smidige i Stilk og Blade, at de ved den mindste Bevægelse af Vandet røre sig, ligesom om de vare levende. Alle Fiskene, smaae og store, smutte imellem Grenene, ligesom heroppe Fuglene i Luften.

直訳 さて〔次のように〕考えてはぜんぜんいけない、そこにはただむきだしの白い砂地があるだけであると;いいえ、そこではもっとも不思議なる木々や植物が育っており、それらは茎や葉がとてもしなやかなこと、水のもっとも小さな動きでも揺れるほどであり、あたかもそれらは生きている* かのようだ。すべての魚たちは、小さいのも大きいのも、枝々のあいだをすいすいと動く、この〔地〕上で空の鳥たち〔が飛ぶ〕ように。

* この var は反事実的仮定を表す過去時制であり、時間的に過去のことを表すのではないから、逐語訳にもかかわらず非過去 (現在) で訳した。

大畑訳 さて、海の底は、なにも生えていないで、ただ白い砂地だけだろう、などと思ってはいけませんよ。いいえ、そこには、それは珍しい木や草が生えているのです。その茎や葉のなよなよしていることは、水がほんのすこし動いても、まるで生きもののように、ゆらゆら動くのです。そして、小さいのや大きいのや、ありとあらゆる魚がその枝のあいだをすいすいとすべって行きます。それはちょうど、この地上で、鳥が空を飛びまわっているのと同じです。

山室訳 ところでみなさん、海の底はただ白い砂地になっているだけだろう、なぞと思ってはいけません! いいえ、そこには、世にもめずらしい木や草がはえていて、その茎や葉のしなやかなことは、水がほんのちょっとでもゆれると、まるで生きもののようにうごくのです。小さいのや大きいのや、ありとあらゆるお魚が、その枝のあいだをすいすいとすべっていくところは、まるきりこの地上で、鳥が空をとびまわっているのと同じことです。

高橋訳 さて、海の底はがらんとしていて、白い砂地があるばかりだと思ってはなりません。いいえ、そこには、ほんとにふしぎな木や草が生えています。その茎や葉はなよなよしているので、水がちょっと動いても、まるで生き物のようにゆらゆらと動くのです。大小の魚はみんなそのえだの間を地上でをとぶ鳥のようにすいすいと泳ぎ回ります。

大塚訳 さて、そういう海の底には、はだかの白い砂地があるだけだろう、などと思ってはいけません。いいえ、そこには、とてもめずらしい木々や草が生えているのです。そして、それらの茎や葉は、ほんとにしなやかなので、ほんのすこし水が動いても、それにつれて、まるで生きもののように、ゆらゆら動きます。そして、魚たちは、小さいのも大きいのもみんな、それらの枝のあいだをすいすいと泳ぎまわりますが、そのようすは、この地上で鳥が空を飛びまわるのとそっくりです。

長島訳 さて海の底が何もないただの白い砂浜だと思ったりしたら大まちがいです。いいえ、そこには世にもふしぎな木々や草花が生えています。茎も葉もしなやかで、ちょっとした水の動きにもゆらゆら揺れて、まるで生き物のよう。大きな魚も小さな魚もみんなその枝の間を通り抜けていきます。地上で鳥たちが大気の中を飛びまわるようにです。

金原訳 さて海の底の白い砂にはなにもないと思ってはまったくいけない。いや、そこには地上ではとてもみられないような草花が生えている。葉や茎はやわらかで、少しでも水が揺れると、まるで生き物のように体をくねらせ、大きな魚やちいさな魚がすべて、その枝のあいだをすばやく泳いでいくところは、まるで地上で空の鳥が木々のあいだを飛んでいるようだった。

天沼訳 さて、海の底といえば、ガランとしてなんにもなくて、白ちゃけた砂があるだけだと想像しているとしたら、それはずいぶんちがっている。まったくちがうのだ。海の底には、ほんとうに不思議このうえない植物が生えている。その茎や葉はしなやかそのもので、水がすこしばかり動くだけで、生き物のようにユラリユラリと動くのだ。大小の魚たちは、みんなその枝をくぐるようにして、地上でを飛ぶ鳥よろしく、かろやかに泳ぎ回っている。


第 2 段落後半


Paa det allerdybeste Sted ligger Havkongens Slot, Murene ere af Coraller og de lange spidse Vinduer af det allerklareste Rav, men Taget er Muslingskaller, der aabne og lukke sig, eftersom Vandet gaaer; det seer deiligt ud; thi i hver ligge straalende Perler, een eneste vilde være stor Stads i en Dronnings Krone.

直訳 そのもっともいちばん* 深いところには海王の宮殿があり、その壁は珊瑚で、長く先のとがった窓はもっともいちばん* 澄んだ琥珀で〔できて〕いるが、屋根は二枚貝であり**、それらは開いたり閉じたりしている、水の行くのに従って;それは美しく見える;というのもどの〔貝〕のなかにも輝く真珠があり、たったひとつでも女王の王冠のなかで大きな飾りになるであろうから。

* 最上級に接頭辞 aller- がついてさらに強めている。このような訳しかたが適切かどうかは別として、ただの最上級と違うことを訳文だけからも判明にするために便宜上こう書いておく。

** 先行する「壁は珊瑚、窓は琥珀」には、英語の of にあたる素材を表す前置詞 af があるので「〜でできている」と訳せるが、この「屋根は二枚貝」はそうではなく直接 be 動詞で結ばれている。しかし以下に見る邦訳では長島訳「屋根は貝殻でした」以外すべて、ここも素材のように「葺いて」「できて」と訳されている。

大畑訳 この海の底の、そのまた一番深いところに、人魚の王様のお城が建っています。お城の壁はさんごで築いてあり、上のとがった高い窓は、このうえもなくすきとおったこはくでできています。屋根は、貝殻でふいてありましたが、それが水の動くにつれて、開いたり閉じたりする様子は、まったくみごとなものでした。なぜなら、その貝殻の一つ一つには、きらきら光る真珠がはいっているのですから。それ一つだけでも、女王様の冠の、りっぱな飾りになるくらいでした。

山室訳 そして、その海の底の、そのまたいちばんふかいところに、人魚の王さまのお城はあるのでした。お城のかべはサンゴでできていて、上のとがった長い窓には、このうえもなくすきとおったコハクがはめこんであります。屋根は貝がらでふいてありましたが、それが水のながれるにつれて、ひらいたりとじたりするようすは、まったくみごとなものでした。なぜといって、その貝がらの一つ一つには、それ一つだけでも女王さまのかんむりのりっぱなかざりになるくらいの、きらきら光る真珠がはいっているのですもの。

高橋訳 この海のいちばん深い所に、人魚の王様のお城があります。かべは、さんごでできており、先のとがった高いまどは、もっともすきとおったこはくでできていますが、屋根は水の流れにつれて、開いたりとじたりする貝がらばかりできています。どの貝がらの中にも、かがやく真珠が入っているので、何とも言えずきれいに見えます。そのひとつだけでも、女王様の冠の大きなかざりになったでしょう。

大塚訳 その海の底でも、いちばん深いところに、海の王である、人魚の王さまのお城があります。お城の壁はサンゴでできているし、上のとがった高い窓々は、このうえなくすきとおった琥珀でつくってあります。でも、屋根になっているのはたくさんの貝がらで、それらは水が流れるのにつれて、開いたり、閉じたりします。そのようすは、ほんとにきれいです。というのも、その貝がらのどの一つにも、きらきら光る真珠がはいっているからです。それに、その真珠は、そのうちのたった一つだけでも、女王さまの冠の、すばらしい飾りになろうというものなのです。

長島訳 海の底のいちばん深いところに人魚王のお城がありまし。壁は珊瑚、高くて先のとがった窓はこのうえなく澄んだ琥珀でできていましたが、屋根は貝殻でした。それが水の動きにあわせてあいたり閉じたりしていたのです。すばらしい屋根でしたが、それもそのはず、貝殻のひとつひとつに真珠が入っていました。その真珠ひとつだけでも、女王さまの冠のすばらしいかざりになったことでしょう。

金原訳 のいちばん深いところに、海/人魚の王さまの城がたってい。壁は珊瑚で、細長いゴシック風の窓はもっとも透きとおった琥珀、屋根は貝殻で葺いてあり、上を潮が流れるたび、それが開いたり閉じたりするところをみたら誰でも目をみはるだろう。というのは、貝殻すべてにきらめく真珠がはめこんで* あって、その真珠は、ひとつあれば、女王のかんむりを飾るのに十分なほど美しかった。

* 直訳のところで付した注とやや関連するが、ここはおそらく生きた貝たちがそのまま屋根をなしているのであって、だからこそみずから殻を開いたり閉じたりしているのだろう。それを「真珠がはめこんである」と言うと死んで加工された貝殻のようである。

天沼訳 のもっとも深いところに、人魚の王様の宮殿がある。宮殿の壁は珊瑚で、先のとがった高窓には、もっともすきとおった琥珀がはめこまれていた。その屋根はというと、水の流れのままに開いてはまた閉じる貝殻で葺かれていた。貝殻のなかには輝く真珠がはいっていたから、その美しさといったらたとえようもなかった。その一粒だけでも、女王様の冠の大きな装飾にじゅうぶんなくらいだった。


第 3 段落前半


Havkongen dernede havde i mange Aar været Enkemand, men hans gamle Moder holdt Huus for ham, hun var en klog Kone, men stolt af sin Adel, derfor gik hun med tolv Østers paa Halen, de andre Fornemme maatte kun bære seks. — Ellers fortjente hun megen Roes, især fordi hun holdt saa meget af de smaa Havprindsesser, hendes Sønnedøttre.

直訳 その〔海の〕下の海王は多年のあいだ男やもめであったが、彼の老いた母が彼のために家を世話していた、彼女は賢い女性だったが、自分の高貴さを誇っており、それゆえに 12 個の牡蠣を尻尾につけて歩いたものだった、そのほかの高貴な〔者たち〕は 6 個だけを持たねばならなかった〔のに〕。――ほかの点では彼女は多くの称賛に値した、とりわけ彼女は小さな海姫たち、〔つまり〕彼女の孫娘たちをたいそう多く愛したから。

大畑訳 このお城に住まっている人魚の王様は、もう何年も前から、やもめ暮らしをしておいででした。それで、お年寄りのお母様が、いっさい、おうちの世話をしていました。お母様は賢いかたでしたが、家柄のよいのが、ご自慢で、尻尾にはいつも、かきを十二もつけていました。ほかの者は、どんなに身分が高くても、たった六つしかつけられないのです。――けれども、そのほかのことでは、ほんとうに、ほめてあげてよいかたでした。とりわけ、お孫さんの小さい海/人魚姫たちを、だいじにすることは、たいしたものでした。

山室訳 このお城にすまっている人魚の王さまは、もう何年もまえから、やもめぐらしをしておいででした。それで、おうちのことはばんじ、年とったおかあさまが、とりしきっていらっしゃいます。おかあさまはかしこいおかたでしたが、家がらのよいのがごじまんで、しっぽにはカキを十二もつけていらっしゃるのでした。ほかのものは、どんなに身分が高くても、たった六つしかつけることはゆるされませんでしたのに。――けれども、そのほかの点では、ほんとに、ほめてあげてよいかたでした。とりわけ、おまごさんの小さい海/人魚の姫ぎみたちを、それはかわいがってくださったのですから。

高橋訳 海の底の人魚の王様は、何年も前におきさき様をなくされて、おひとりでした。年を取ったお母様が、うちの中のめんどうを見ておりました。お母様は、かしこい方でしたが、身分の高いことを鼻にかけ、しっぽにかきを十二もつけていました。ほかの貴族たちは、六つしかつけることをゆるされませんでした。――そのほかのことでは、このお母様は本当にほめられてよい方でした。とりわけ、孫むすめに当たる小さい人魚ひめたちを、たいそうかわいがっていたからです。

大塚訳 この海の底のお城にいる人魚の王さまは、もう何年もまえにお妃をなくして、ひとり身でした。けれど、王さまの年とったお母さまが、うちの中の世話を、ちゃんとしてくれていました。このお母さまは、かしこいかたでしたが、身分が高いというのがご自慢で、だから、自分の尻尾には、カキを十二もつけていました。ほかのものなら、位が高くても、せいぜい六つしかつけてはいけなかったのです。……けれど、そのほかのことでは、このお母さまは、たいそうほめてもらってもいいかたでした。というのも、とりわけ、このかたが、孫娘にあたる、小さい人魚姫たちを、とてもよくかわいがっていたからです。

長島訳 海の下の人魚王は、妻亡きあと、もう何年も独身でしたので、年老いた母親がかわりに家の世話をやいてくれていました。かしこいおばあさんでしたが、自分の身分の高いことが何よりも自慢で、尻尾に十二のカキをつけていました。ほかの高貴な人たちは六つしかつけてはいけないのでした。――それはともかく、孫にあたる小さな人魚姫たちをとってもかわいがっていましたので、ほめられて当然の人でした。

金原訳 海の下の王さまがお妃をなくしてから何年もたち、王さまの年老いたお母さんが家の〕色んなことを取り仕切っていた。そのかたはとても賢く、しかし〕王さまの母親だということがとても自慢で尻尾には牡蠣を十二個つけていた。どんなに位の高い人魚でも六個しかつけてはならない決まりがあったのに、それを破っていた*。しかしそれさえ目をつぶれば、誰からも尊敬される立派なかただったし、それというのもなにより、孫にあたる幼い海/人魚の姫たちをとてもかわいがっていた。

* さすがに言いすぎ。そもそもこの件、もともとあった規則なのかどうかも不詳である。私は最初に読んだときから、この王母が自分を高い位置に置くために「自分は 12、ほかは 6 まで」と勝手に新しく決めたものだとばかり思っていたので、今回この翻訳を見て既成の有職故実のように捉える解釈がありうることにまず驚いた (「ほかの貴人たち de andre Fornemme」と言っているのだからなおさらそう。はじめから王母も含む一般の規則ならこうは言わなかろう)。

天沼訳 海の底をおさめる人魚の王様は、お妃をなくし、長いこと独身をとおしていたけれど、お年をめされた王様の母上が、宮中のきりもりをしていた。この母上は、ご聡明な方だったけれど、御自分の身分ならそうあるべきだと思いこんで、その尾ひれに牡蠣を十二も飾りつけていた。ほかのやんごとない身分のかたでさえ六つしかつけることをゆるされていなかったのに――けれども、そのほかについては、なかなかご立派なかただった。とりわけ、孫娘の、小さい人魚姫たちのことを、とてもかわいがっていたからである


第 3 段落後半


De vare 6 deilige Børn, men den yngste var den smukkeste af dem allesammen, hendes Hud var saa klar og skjær som et Rosenblad, hendes Øine saa blaa, som den dybeste Sø, men ligesom alle de andre havde hun ingen Fødder, Kroppen endte i en Fiskehale.

直訳 彼女らは 6 人の美しい子どもたちだったが、最年少の〔子〕が彼女ら全員のうちでもっとも美しかった、彼女の肌はとても透きとおって柔らかなること薔薇の花びらのごとく、彼女の目はとても青いこと、もっとも深い湖〔または海〕のごとくであった、しかしちょうどほかの全員と同じように彼女には足がなかった、その体は魚の尾で終わっていた。

大畑訳 姫はみなで六人で、どれもきれいなかたばかりでしたが、わけても末の姫は、一番きれいでした。膚は、バラの花びらのように、すきとおるほどきめがこまかく、目は深い深い海のような青い色をしていました。けれども、おねえさんたちと同じく、足というものがなくて、胴の下は魚の尻尾になっているのでした。

山室訳 姫ぎみはみんなで六人で、みんなたいそうきりょうよしでしたが、わけてもすえのむすめが、いちばんきれいでした。はだは、バラの花びらのようにすきとおって、きめがこまかく、目はふかいふかい海のように青い色をしていました。けれども、やっぱりおねえさまの姫たちと同じく、足というものがなくて、胴のおわりはお魚のしっぽになっていたのです。

高橋訳 六人いた人魚ひめは、そろってきれいでしたが、なかでも、いちばん下の人魚ひめがいちばんきれいでした。はだは、ばらの花びらのようにすきとおっていて、きめが細かく、目は、もっとも深いのように青くすんでいました。でも、ほかの人魚ひめと同じように足がなく、体のすそは、魚のしっぽになっていました。

大塚訳 このお姫さまはみんなで六人で、そろってきれいでしたが、なかでも、いちばん下のお姫さまは、いちばんきれいでした。このお姫さまの肌は、バラの花びらのように、とても清らかで、きめが細かく、その目は、深い深い海のように青いのでした。けれど、このお姫さまも、ほかのお姉さんたちとおなじように、足はなくて、胴の下のほうは、魚の尻尾のようになっているのでした。

長島訳 いい子ばかり六人のお姫さまがいましたが、中でもいちばん年下の子が、飛び抜けてきれいでした。その子の肌はバラの花びらのように透きとおって輝き、目ももっとも深い湖のように青かったのですが、ほかの人魚* たち同様、足がなくて** から下が魚の尻尾になっていました。

* これは間違いと言うと細かすぎるようであるが、純粋に語学的なことを言うとこの alle de andre「ほかの全員」は文脈から 5 人の姉姫たちであって (ほかの既存訳 6 つがすべてそうしているとおり)、いきなり全人魚を指せはしないであろうから、いちおう相違点のひとつに数えた。

** 原語 krop は胴体もしくは体全体の意なので、その端というなら腿からということも不可能ではないだろうが、他訳には見られない独自意見。しかもそのわりにこの本の表紙画は腰からすべて魚の鱗に覆われている。

金原訳 王さまには* 六人の美しいがいたが、とくに末娘は信じられないほど愛らしく、肌はバラの花びらのようにつややかでなめらかで、目はもっとも深い深海のように青かった。しかし、お姉さんたちと同じで足はなく、腰から下は魚の尾だった。

* ここでふたたび王をもちだす理由がわからない。いま話の流れとして、寡夫の王がいて彼には老母がいて、老母にはかわいがっている孫娘たちがいる、という順番にフォーカスが移っている。この祖母は孫たちに人間の世界の話をして彼女らが海上に出かけるきっかけを作り、さらに後には末姫に人間と人魚の寿命について教える重要な登場人物であるのに対し、父王はその存在だけが言及されるのみの背景にすぎないので、原文を曲げてまでここに名前を出すことはいたずらに焦点をぼやかし流れを悪くするばかりである。

天沼訳 六人いる人魚姫は、みな美しい娘さんだった。なかでも、いちばん末の人魚姫がとくべつ美しかった。バラの花びらを思わせる、すきとおってきめの細かい肌をして、もっとも深い海のように青くすんだ瞳をしていた。けれども、ほかの人魚の姫様たちと同じで足がなく、からだの腰から下は魚の尻尾だった。


第 4 段落


Hele den lange Dag kunde de lege nede i Slottet, i de store Sale, hvor levende Blomster voxte ud af Væggene. De store Rav-Vinduer bleve lukkede op, og saa svømmede Fiskene ind til dem, ligesom hos os Svalerne flyve ind, naar vi lukke op, men Fiskene svømmede lige hen til de smaae Prindsesser, spiste af deres Haand og lode sig klappe.

直訳 一日中ずっと彼女らは遊んでいられた、〔海の〕下の宮殿のなか、その大きな広間* のなかで、そこでは生きている花々が壁から生えていた。大きな琥珀の窓が開け放たれた、そうすると魚たちがそのなかへ泳ぎ入ってきた、ちょうど私たちのところで**、私たちが〔窓を〕開け放つとツバメたちが飛んで入ってくるように、しかし魚たちはまっすぐに小さな姫たちのほうへと泳いでいった、〔そして〕彼女らの手から〔餌を〕食べ、自分たちを軽く触れさせた。

* 原文 de store Sale は複数。わざわざ区別させるのも冗長だが、さりとてたんに「大きな広間」とか、また長島訳・天沼訳のようにとりわけ「大広間」と言ってしまうと、特別大きいひとつのホールに全員が雁首そろえて遊んでいるようなイメージになる (というか、私は小さいときからずっとそうだと思っていた)。これをあえて明示的に区別しているのは「いくつもの」を付す大塚訳だけ。

** 文字どおりに「私たちの家」、もしくはより一般的に「地上」ないしは「人間の世界」を指すと解しうるか。

大畑訳 一日じゅうずっと、みんなは海の底宮殿の広々した部屋で遊び暮らしました。部屋の壁には、生きている花が咲いていました。大きなこはくの窓を開きますと、魚が泳いではいってきます。ちょうど私たちのところで、わたくしたちが窓をあけると、ツバメが飛んではいってくるように。魚は小さい姫たちの方へ泳いできて、みんなの手から、たべものをたべたり、また、なでてもらったりしました。

山室訳 一日じゅうずっと姫たちは、海の底のお城の、広びろしたおへやで遊びくらしました。おへやのかべには、生きている花が咲いていますし、大きなコハクの窓をひらくと、ちょうど私たちのところでわたしたちが窓をあけるとツバメがとびこんでくるように、いろんなお魚がおよいではいってきました。そしてお魚たちは、小さい姫たちのそばへおよいでくると、その手からえさを食べたり、せなかをなでてもらったりするのでした。

高橋訳 おひめ様たちは、一日中ずっとのんびり海の底のお城の、大きい広間で遊ぶことができました。広間のかべからは、生きた花が生えていました。大きなこはくのまどが開かれると、魚たちが泳いで入ってきました。ちょうど、わたしたちの所で、まどを開けるとつばめがとびこんでくるのと同じようです。魚たちは、小さいおひめ様たちのすぐそばに泳ぎよってきて、その手から食べ物をもらったり、さすってもらったりしました。

大塚訳 お姫さまたちは、一日じゅう、海の底のお城の、いくつもの大きい広間で遊んでいられました。広間の壁には、生きている花たちが咲いていました。大きい琥珀の窓々をあけると、魚たちが泳いで、はいってきました。それはちょうど、わたしたちのところで、窓をあけると、ツバメが飛びこんでくるのとそっくりです。けれど、その魚たちは泳いで、まっすぐに小さいお姫さまたちのところにやってくると、みんなの手から食べものをたべたり、その手でなでてもらったりするのでした。

長島訳 お姫さまたちは一日中ずっとお城の大広間で遊んでいました。広間の壁からは生きた花が咲き出ていました。大きな琥珀の窓をあけると魚たちが泳ぎ寄ってきま。わたしたちのところで、窓をあけるとツバメが飛んで入ってくるような具合にです。けれども魚たちは、小さいお姫さまたちのほうに泳ぎ寄って、その手のひらにのせられたエサを食べたり、やさしくたたいてもらったりしていたのでした。

金原訳 六人の娘たちは毎日遅くまで、お城の大広間や、壁から生えている揺れうごくのあいだで遊んだりした。大きな琥珀窓は開け放たれていたからよく魚が飛びこんできた。私たちのところで、私たちが窓を開けるとつばめが開け放した窓から飛びこんでくるのにそっくり。ただ魚はつばめとちがって小さい女の子たちのまわりに泳ぎやってきては、手から餌をもらったり、なでてもらったりした。

天沼訳 姫様たちは、海の底にある宮殿の大広間で、一日中のんびりと遊んでいた。広間の壁からは、生きた花がはえていて、大きな琥珀でできた窓を開くと、魚たちが泳ぎはいってきた。ちょうど、私たちのところで家の窓をあけるとツバメが飛びこんでくるのと同じようだった。魚たちは、小さい姫様たちのそばに泳ぎきて、手から餌をもらったり、なでてもらったりした。


第 5 段落前半


Udenfor Slottet var en stor Have med ildrøde og mørkeblaae Træer, Frugterne straalede som Guld, og Blomsterne som en brændende Ild, i det de altid bevægede Stilk og Blade. Jorden selv var det fineste Sand, men blaat, som Svovl-Lue.

直訳 宮殿の外には火のように赤い〔木々〕と暗い青の木々をもつ大きな庭があった、その果実は黄金のように輝き、その花は燃える火のよう〔であった/に輝いた〕、それらはつねに幹や葉を動かしていたので。地面そのものはもっとも細かな砂であったが、硫黄の閃光のように青〔かった〕。

大畑訳 お城のそとには、大きな庭があって、火のようにまっかな木や、まっさおな木が生えていて、木の実は金色に光り、花は燃える火のように輝き、たえず茎や葉をそよがせていました。地面そのものはごくこまかい砂地で、それがゆおうの炎のような青い光をはなっていました。

山室訳 お城の外には、大きな庭があって、火のようにまっかな木やまっさおな木がはえ、金色に光っている実や、もえる火のような花をつけて、たえず茎や葉をそよがせていました。地面そのものはごくこまかい砂でしたが、それがいおう* のような青い光をはなっていました。

* ただの「いおうのような青い光」では、硫黄という化学物質そのものが青いかのように聞こえてしまうが、硫黄はまさに黄の字が示すように鮮やかな黄色である。ついでながら、いま大畑訳と山室訳で「光をはなって」を赤字にしたが、物理的には色が見えることはとりもなおさず光を反射しているにほかならないので、こんなことをうるさく言うのはある意味ナンセンスではある。

高橋訳 お城の外には、広い庭があって、もえるように赤い木や、青あおとしげった* 木がありました。その茎や葉がたえず動き、実は金のように、花はもえる火のようにかがやきました。底のそのものもっとも細かい砂でしたが、いおうの炎のように青い色をしていました。

* これでは通常の植物らしい緑色に見えるが、いま「火のように真っ赤な木」と並んで海の底の不思議な植物の情景を描いているので、正しくは文字どおりの青色を指しているであろう。

大塚訳 お城の外には、大きい庭があって、火のように赤い木や、濃い青色の木が生えていました。それらの茎や葉がたえずゆれ動くのにつれて、木の実は金のようにかがやき、花々は、燃える火のようにかがやきました。そこの地面はとても細かい砂でしたが、それは硫黄の炎のように、青く光っていました。

長島訳 お城の外に、火のように赤い木や濃い青色をした木々が生えている広い庭園がありました。果物は金のように輝き、花々は茎と葉をたえず動かしていたために、燃え上がる炎のようでした。地面そのものはこの上なくすばらしい砂地でしたが、硫黄の炎のような青色でした。

金原訳 お城の外にはきれいな〔広い庭がひろがり、そこには火のようにまっ赤な木やまっ青な木が生えていて、その実は金色に輝き、花は燃えるような赤で、葉や茎はいつも揺れていた。そのものもっともこまかい砂でできていたが、色は硫黄の火のような青。

天沼訳 宮殿の外は広い庭園になっていて、炎のように赤い木や藍色の木々が立っていた。その茎や葉が水の動きでゆれるたびに、その果実は黄金のように、花は燃える炎さながらに輝いたものだ。海の底の土というのはもっとも細かい砂なのだけれど、硫黄が燃えるときの炎のように青い色をはなっていた。


第 5 段落後半


Over det Hele dernede laae et forunderligt blaat Skjær, man skulde snarere troe, at man stod høit oppe i Luften og kun saae Himmel over og under sig, end at man var paa Havets Bund. I Blikstille kunde man øine Solen, den syntes en Purpur-Blomst, fra hvis Bæger det hele Lys udstrømmede.

直訳 その〔海の〕下すべての上には不思議な青い光が横たわっていて、人はむしろ思ったでしょう、自分は空の上高くに立っていて、自分の上にも下にも天を見る* ばかりであると、海の底にいる* と〔思う〕よりも。大凪〔のとき〕には太陽を目にすることができた、それは紫の花のように見えた、その萼からすべての光が流れでてきたような。

* 原文は時制の一致により過去だが、意味は同時性なので非過去で訳してある。

大畑訳 こうして、全体に、不思議な青い光が漂っているので、海の底にいるというよりは、上を見ても下を見ても青々とした大空に、高く浮かんでいるような感じでした。風のないでいる時には、お日様を仰ぐこともできました。そういう時、お日様は紫いろの花のように見え、そのうてなから、あたり一面の光がさしてくるようでした。

山室訳 こうして、ぜんたいの上にふしぎな青い光がただよっていましたので、まるで海の底にいるというよりは、どちらをむいても青あおとした空高くにうかんでいるような感じでした。風がないでいる日には、お日さまをあおぐことさえできましたが、そんなときには、お日さまはちょうど大きなむらさき色の花のようで、そのうてなから、あたりいちめんに光がながれでてくるかのように思われるのでした。

高橋訳 そのあたり全体に、何とも言えない青い光がきらきらとただよっていました。それで、海の底にいるというより、高い空中にうかんでいて、上にも下にも空があるのだという気がしたでしょう。風のない時は、お日様が見えました。お日様は、まっ赤な花で、そのうてな(花のがく)からすべての光が流れ出ているかのように見えました。

大塚訳 こうして、そのあたり一面には、ふしぎな青い光がほのかにかがやきわたっていました。ですから、そこにいると、自分が海の底にいるというより、むしろ、ずっと高くの大気の中にいて、上にも下にも見えるのは空ばかりだ、と思いこんだことでしょう。風がなくて海が静かなときには、上のお日さまも目で見られました。そのお日さまは、深い赤色をした花のようで、その花のがくから、まわりじゅうに光があふれでているように見えました。

長島訳 海の底はどこもかしこもなんとも言えない美しい青に輝いていたのです。それは海の底というよりは、空中高く飛び上がり、上も下も青空ばかりのところに浮かんでいるような感じでした。凪の時には太陽を目にすることができました。まるで緋色の花の萼からすべての光が流れ出ているかのように見えました。

金原訳 あたり一面に不思議な青い光がかがやき、まるで上にも下にも空しか見えない空の高みに浮かんでいるようで、暗い海の底にいるとはとても思えない。凪の日には太陽もみえて、それはその萼からすべての光が流れ出る光のに包まれた紫の花のようだった。

天沼訳 あたり一面は、この世のものと思われぬ青い光につつまれていた。もしも、人間がここに来たとしたら、海の底にいるというより、高い空にうかんでいて、上にも下にも空があるような気がしてしまうかもしれない。風がないでいるようなときは太陽が見えた。太陽は、ほんとうに深紅の花とでもいうべきで、その花びらからあらゆる光が流れでているようだった。


総評


大畑訳と山室訳は、まるでどちらか一方が他方の訳文をそのまま日本語で読んで一部自分の言葉づかいと表記法に直しただけのように似通っている。たんに原文を独立に訳しただけでは決してこれほどの一致はしないであろう。ところで出典一覧では大畑訳を改訳 1963 年、山室訳を 1978 年と記したが、どちらもさらにこれ以前の訳があるようであるから、本当のところ先後関係ははっきりしない。しかもこの 2 人にはアンデルセン童話の共訳もあるらしいから、この「人魚姫」の訳もがんらい両者の共同作業ゆえにこのような類似を呈しているのかもしれない。

金原訳は総じて無意味に思われる敷衍・改変が多すぎるし、そのなかには上で詳しく注記したように有害とすら思われる部分もある。本には訳者のことばがなくデンマーク語から直接訳したのかどうかもよくわからず、本稿で比較した 7 つの訳のなかではいちばんおすすめできないものだが、この訳書の価値は訳文だけではなくアートワークにもあるのであろうから本全体としての評価は保留とする。

それ以外の邦訳はこの範囲ではさほどの欠点なくいずれも甲乙つけがたいが (とりわけ大畑訳はその古さに鑑みれば驚くべき正確さである)、原文にもっとも忠実で過不足がないということでいえば大塚訳がいちばんで、次点が長島訳であろうか。ただ大塚訳はレーベルの制約からかひらがなと読点が多くいささか子ども向きにすぎるきらいはあり、文体が大人の読書に適した落ちついた筆致で読みごたえのあることでは長島訳に軍配が上がるかと感じた。

jeudi 2 août 2018

『フラテイの暗号』冒頭による重訳の影響の検証

前回のエントリでは、ここ数年のアイスランドの小説の邦訳を目につくかぎり列挙し、それらが例外なくほかの言語を介した重訳である事実に触れた。そのとき重訳であることは残念とはいえ、実際上にたいした問題が起こっていることはなかろうというようなコメントを述べた。

しかしもちろんそのような結論を責任をもって出すためには、ちゃんとアイスランド語原文とドイツ語なりスウェーデン語なりの訳文、それから最終的な日本語訳の訳文とを比較検討したうえでというのが正道である。原文を読みもしないでこういうことを言うのは無責任だ。

そこで今回はヴィクトル・アルナル・インゴウルフソン、北川和代訳『フラテイの暗号』(創元推理文庫、2013 年) を題材にとって、アイスランド語原文・ドイツ語訳・日本語訳の 3 者がどれくらい一致しているものか、あるいはどれくらい乖離しているか説明してみることにする。

対象の選択は、私が原典と一次訳 (ドイツ語訳) と邦訳との 3 点をセットで所有しているのがこの作品だけだからであって、とくに他意はない。この作品の重訳についてなんらかの結論が引きだせたとして、それはあくまでこのドイツ語訳と日本語訳の質の問題であって、ほかの 4 人の著者の作品について同じことが言えるともかぎらないのであるが、とりあえずは具体的な比較をお目にかけよう。

引用は第 1 章の最初の 3 段落である。当初は第 1 章全体 (原文で 4 ページ、日本語訳の文庫本で 6 ページ) を対象にしようと思っていたが、3 段落 (1 ページ少々) の時点ですでにけっこうな違いがあることが判明したので、これで十分おもしろい比較になるかと判断した。

読者が比べやすいよう、アイスランド語とドイツ語にはできるだけ過不足のない直訳を付した。なるべく直訳から離れないようにしたかったので、原文にないが日本語にするための最低限の敷衍は亀甲括弧〔……〕に入れて示してある。そのうえでドイツ語訳における変更点は赤字、日本語訳で新たに生じた変更点は青字にして見やすくした。変更点のうち前のものと比べて消えてしまっている箇所 (対応しうる語が明らかに足りない場合のみ) を示すさいはアンダースコア__によった。アイスランド語中の赤字はドイツ語訳で変更または消えることになる部分を表す。

なお、邦訳と関係がないので全文は掲げないが、アイスランド語原文の理解のため英訳 (Brian FitzGibbon 訳、2012 年) を一部参考にし、そのたびに注釈で言及する。


アイスランド語原文 (2002 年)

Vindátt var að austan á Breiðafirði í morgunsárið og svalur vornæðingur ýfði upp hvítfyssandi báru á sundunum milli Vestureyja. Einbeittur lundi var á hröðu lágflugi yfir öldutoppum og forvitinn skarfur teygði úr sér á lágu skeri. Nokkrar teistur köfuðu í hafdjúpið en í háloftunum svifu íbyggnir mávar og skimuðu eftir mögulegu æti. Allt sköpunarverkið í firðinum var í senn kvikt og vakandi í glampandi morgunsólinni.

Lítill en traustbyggður mótorbátur steytti stömpum á kröppum bárum og fjarlægðist Flateyjarlönd í suðurátt. Fleytan var með gömlu árabátalagi, svartbikuð, en á kinnungunum stóð bátsnafnið KRUMMI með stórum hvítum upphafsstöfum. Skipverjar voru þrír, ungur drengur, fulltíða maður og annar talsvert eldri. Þrír ættliðir og heimilismenn í Ystakoti, lítilli hjáleigu á vesturhorni Flateyjar.

Sá elsti, Jón Ferdinand, sat í skut og stýrði bátnum. Hvítir skeggbroddar í teknu andliti og svartur neftóbakstaumur rann úr víðri nös. Nokkrar gráar hárlufsur löfðu undan gamalli derhúfu og leituðu fyrir andlitið undan vindi. Stór og beinaber hönd hélt um stýrisskaftið og gömul augu undir loðnum brúnum leituðu að lítilli eyju í suðri. Siglingaleiðin var ekki augljós þrátt fyrir að skyggnið væri gott. Hólma og sker bar við meginlandið en Dalafjöllin sátu í bláu húmi þar fyrir handan.

明け方、風向きは東からブレイザフィヨルズルへ〔向けて〕で、冷涼な春風が西の島々のあいだの海峡で泡立つ波をかきまわした。決然としたニシツノメドリが、波頭の上を高速で低空飛行していて、物見高い鵜が低い岩礁の上で〔=羽または首。注 1〕を伸ばしていた。数羽のハジロウミバトが海の深みへ潜る一方、その高空では賢しらなカモメたちが浮かび〔注 2〕、獲物たりうるものを求めて見張っていた。フィヨルドにいるすべての被造物が、きらきら光る朝日のなかで同時に生き生きとしてかつ活発であった。

小さいが頑丈に作られたモーターボートが狭い波間で樽にぶつかり〔注 3〕、フラテイの陸地から南に遠ざかっていった。その小舟は古い手漕ぎ舟の形〔?。注 4〕を備えており、黒くタールで塗られていたが、船首には大きく白い大文字で „KRUMMI“ (大ガラス) という船の名前があった。乗組員は三人、年若い少年と、成人した男性、そしてもうひとりずっと年長の〔男〕であった。三世代の、フラテイの西端にある小さな貸家「最果て小屋」に〔住む〕一家の男たち〔である〕。

その最年長〔の男〕ヨウン・フェルディナンドは、船尾に座って船を操っていた。とられた〔??。注 5〕顔には白いひげでざらざら、黒い嗅ぎタバコの taumur〔注 6〕が広がった鼻の穴から流れでていた。数房の灰色の髪束が古い帽子からだらりと垂れ下がり、風のもとで顔のまえを探っていた〔注 7〕。大きくて骨と皮ばかりの手が舵の取っ手をつかみ、毛深い眉の下の老いた両目は南にある小さな島を探していた。路は明らかではなかった、たとえ視程がよかったとしても。小島や岩礁を本土のそばに抱えた一方、ダーリルの山々がその向こうがわで青い薄明のなかに鎮座していた。

〔注 1〕原文では再帰代名詞なので体のどの部分とは言っていない。現実の生態としてウミウは休むとき羽を広げることがあるそうだが、forvitinn「物見高い、好奇心の強い」という形容詞からすればここは首を伸ばしていると考えるほうがそれらしいのではないか (あるいは少なくとも首をも含めた体全体)。しかし下記のとおりドイツ語訳ではその形容詞が失われ、伸ばす箇所が「翼」と限定されている。

〔注 2〕svifu 過 3 複 < svífa「漂い [ふわふわ] 動く、浮かぶ」という動詞が、独訳では kreisen「旋回する」というはっきりした軌跡をもった動きに変わることになる。

〔注 3〕この箇所、独訳はおろか英訳 (‘tackled the choppy waves’) にもまるで対応しないので私の誤訳の可能性大。steytti は steyta「衝突する」の過去 3 単、stömpum は stampur「桶、たらい;樽」の複数与格だと思うのだが……。

〔注 4〕árabátalagi の語義は調べがつかなかった。どうやら árabátur という種類の小舟があって (アイスランド語版 Wikipedia に写真もある)、その lag がどうたらということだが (lagi はその与格)、これが「層;形;順番」などなど多義語でよくわからない。下に見るとおりドイツ語訳ではこの前後をかなり敷衍して訳している。英訳もこの箇所は比較的自由に訳しており、‘a converted old rowboat’ と古い漕船を改装してモーターボートにしたものと解されている。

〔注 5〕teknu は強変化ならば tekinn の中性単数与格でしかありえず、それは動詞 taka「とる、つかむ、得る」の過去分詞である。独訳では「皺の刻まれた zerfurchten」となるが、tekinn にそのような意味があるのか当方では根拠が得られなかった。「つかまれた=くちゃくちゃになった」? 参考までに英訳 ‘his hollow face’ =「落ちくぼんだ、うつろな」。

〔注 6〕taumur は「馬勒、手綱」の意だが、それではどうも話が通らない。もしかして嗅ぎタバコの粉で色が染みついて鼻輪かなにかのようになっている様子かとも想像するが飛躍しすぎか。後述するようにドイツ語訳では Striemen「ミミズ腫れ」、日本語訳では「ヤニが混じる鼻汁」になる。なお英訳ではこの複合語の第 2 要素にあたる部分が消え、単純に嗅ぎタバコ (の粉末) が鼻から漏れていることになっている。

〔注 7〕これもどうやら怪しいが、次の文にも出る leituðu は leita の過 3 複で、アイスランド語のアイスランド語辞典で確認してもこの動詞には「探す」とそれに類する意味しか見あたらない。英訳 ‘groping for his face’「手探りする、まさぐる」はこれに味方している。他方「顔のまえを」というのもあやふやで、これだけでは髪束が顔面をまさぐっているのか、それとも背中からの風で目のまえの空中を暴れているのか 2 通りに読める。しかし第 1 段落に東からの風とあり、フラテイから目的地ケーティルセイへは南東方向なので、向かい風で顔にあたる前者のほうが蓋然性が高いであろう。そのためもあってか独訳・邦訳の描写ではそちらに固定される。


ドイツ語訳 (Coletta Bürling 訳、2005 年)

Ein scharfer Ostwind blies in der Morgenfrühe über die weite Bucht des Breiðafjörður und wühlte das Meer zwischen den westlichsten Inseln zu weiß schäumenden Kämmen auf. Ein Papageitaucher flog konzentriert in schnellem Tiefflug dicht über der Wasseroberfläche dahin, und ein Kormoran breitete auf einer flachen Klippe die Flügel aus. Einige Gryllteisten tauchten in die Tiefen des Meeres ab, während hoch oben Möwen kreisten und nach möglicher Beute Ausschau hielten. Die gesamte Tierwelt des Fjords tummelte sich in der strahlenden Morgensonne.

Ein kleines, aber stabiles Motorboot hatte von der Insel Flatey abgelegt, Kurs in südliche Richtung aufgenommen und schlingerte jetzt auf den eiligen Wellen. Es war gebaut wie die alten Ruderboote, mit denen man in früheren Zeiten zum Fang ausgefahren war. Am Bug des schwarz geteerten Fahrzeugs stand der Name RABE mit einem großen weißen Anfangsbuchstaben. Drei Menschen befanden sich in dem Boot, ein kleiner Junge, ein Mann mittleren Alters und einer, der sichtlich älter war. Drei Generationen, die alle in Endenkate zu Hause waren, einem kleinen Hof am westlichen Ende von Flatey.

Der Älteste hieß Jón Ferdinand. Er saß im Heck und steuerte das Boot. Weiße Bartstoppeln standen in einem zerfurchten Antlitz, und aus den weiten Nasenlöchern rannen schwarze Schnupftabaksstriemen. Die grauen Haarbüschel, die unter der alten Schiffermütze hervorguckten, wehten ihm ins Gesicht. Seine große knochige Hand hielt die Ruderpinne mit festem Griff, und die alten Augen hielten unter buschigen Brauen Ausschau nach einer kleinen Insel im Süden. Es war nicht einfach, den richtigen Kurs zu halten, auch wenn die Sicht gut war. Die vielen Inseln und Schären hoben sich gegen das Festland ab, und jenseits von ihnen lagen die Berge von Dalir in blauem Dunst.

早朝、激しい東風がブレイザフィヨルズルの広い湾の上を吹き渡り、西の島々のあいだのを泡立つ波頭を立ててかきまわした。ニシツノメドリが集中して水面のすぐ上を高速で低空飛行していて、____鵜が低い岩礁の上でを広げていた。数羽のハジロウミバトが海の深みへ潜るかたわら、上空では____カモメたちが旋回し、獲物たりうるものを求めて見張っていた。フィヨルドのすべての動物界が、輝く朝日のなかではしゃぎまわっていた。

小さいが頑丈なモーターボートがフラテイ〔注 1〕から離れて針路を南の方角にとり、いまや速い波の上で横揺れしていた。それは以前の時代に漁に使われていた古い漕船のような作りだった。黒くタールで塗られた船体の舳先には、大きく白い大文字で RABE という__名前があった。三人の男が小舟には乗っていた、小さな男の子、中年の男〔注 2〕、そして見るからに年配の者であった。みなフラテイの西端の小さな農家、「最果て小屋」に住んでいる三世代〔である〕。

最年長〔の男〕はヨウン・フェルディナンドという名前だった。彼は船尾に座りボートを操っていた。白い無精髭が皺の刻まれた顔にあり、広い鼻の穴〔注 3〕からは黒い嗅ぎタバコの Striemen〔注 4〕が流れでていた。古い船乗り帽の下から覗いた___灰色の髪束が彼の顔に吹きつけていた。彼の〔注 5〕大きくて骨ばった手はしっかりした握りで舵柄をつかみ、老いた両目は毛深い眉の下で、南にある小さな島を求めて見張っていた。__正しい針路を保つこと容易ではなかった、視界がよかったとしても。本土の向かいには多数の島々と岩礁〔注 6〕が浮かびあがっており、それらの向こうがわにはダーリルの山々が青い〔注 7〕のなかに横たわっていた。

〔注 1〕Flatey の ey がアイスランド語で「島」の意味なので、「フラテイ島 Insel Flatey」はちょうど「サハラ砂漠」にも似た重言である。もっともサハラもそうだがなじみのない言語の固有名詞ではこういう配慮はよくあるので、べつだん誤訳とは言えないだろう。なぜか次の Flatey では「島 Insel」を付していないが、日本語訳ではそちらも「フラテイ島」になる。

〔注 2〕「成人、大人」(fulltíða, ドイツ語で言えば erwachsen) と「中年」とでは言葉の与える印象がだいぶ変わってくる。べつに事実として彼は中年であるのかもしれないが。英訳では ‘a grown man’ で直訳。

〔注 3〕原文 víðri nös は単数与格であるのに、独訳では den weiten Nasenlöchern と複数 3 格になっている。この結果次に見る日本語訳でも「鼻の穴の両方」と変わる。

〔注 4〕この語、どう調べても「ミミズ腫れ」という語義しか見あたらないのだが、どうして日本語訳は「ヤニが混じる鼻汁」にできるのだろうか。たしかにそう考えると前後が自然に流れるとは思うが……。私は嗅ぎタバコの実物を見たこともないので、鼻水が黒くなるものなのかどうか知らない。

〔注 5〕一般論として、ドイツ語や英語・フランス語などが所有形容詞 (所有代名詞) を使って言うところを、北欧語では文脈から明らかならばわざわざ所有詞を添えずに名詞の既知形 (定形) だけでもって代えることが多いが、この箇所ではアイスランド語原文は未知形であるにもかかわらず独訳が所有形容詞を独自に補ったところが指摘される。

〔注 6〕アイスランド語原文で「小島と岩礁 hólma og sker」は、対格でいずれも単数と複数とが同形であり、対格目的語のため文の動詞の形でも区別がつかない。もちろん文脈から言えば複数だろう。ドイツ語訳ではこれを主語に据えかえたうえ、原文にない「多数の vielen」の語を補っている。日本語訳ではこれがさらに「無数の」と誇張される。

〔注 7〕原文では「薄明、薄暗がり húm」だったのが独訳で「靄、霞 Dunst」に変わり、これが邦訳に受けつがれる。なお英訳では ‘dusk’。原語の húm は夜明けと日暮れ両方の意味がある薄明るさのようだが、いまは早朝とはっきりしているので dusk は変ではないか?


日本語訳 (北川和代訳、2013 年)

早朝、西に大きく開けたブレイザフィヨルズル強烈な東風が吹き渡り、無数に点在する___島々のあいだの海に白い波を立たせていた。パフィンという愛称で知られる、ピエロのように滑稽な顔をした〔注 1〕ニシツノメドリが____、水面ぎりぎりを猛烈な速さで飛び去り、____ウミウが低い岩壁で漆黒のを広げている。ハジロウミバトが数羽、海中深くをめざして潜水するその上空では、____カモメが一羽〔注 2〕、旋回して獲物____に目を光らせている。フィヨルドに棲むありとあらゆる種類の生き物は、輝く朝日を浴びて大はしゃぎしていた。

一艘の頑丈そうな〔注 3〕小型モーターボートがフラテイを離れ、波にもまれて南に進路をとっていたその昔、人々が漁に使った旧式のゴムボート〔注 4〕に似た小型艇だ。タールを塗った黒いボートの舳先には、大きな白い_文字で〝カラス号〟と船名〔注 5〕が書かれている。ボートには男が三人乗っていた。少年と中年男性、そして見るからに年老いた男の三人だ。フラテイの西端の、〝最果て小屋〟と呼ばれるみすぼらしい家に暮らす三世代の男たちだった。

祖父の名をヨウン・フェルティナントという。そのヨウン老人艫に座ってボートを操縦していた。皺が刻まれた顔に白い無精髭を生やし、大きな鼻の穴の両方から、嗅ぎ煙草のヤニが混じる黒い鼻汁が流れだしている。__船乗り帽からはみだした灰色の髪束が風に吹かれ、顔を打っていた。ごつい〔注 6〕手で舵をしかと摑み、濃い眉の下の老いた瞳で南に浮かぶ小島を見すえている〔注 7〕。たとえ視界が良好でも、__針路真っ直ぐに保つこと容易ではなかった。陸地を背景にして無数の〔注 8〕島々や岩礁が際立っている。その遙か向こうには、立ちこめる青白いの中にダーリル地方の山々が横たわっていた。

〔注 1〕ニシツノメドリに関する長い追加説明はすべて日本語訳者の挿入。私じしんもそうだがニシツノメドリと聞いてピンとこない人のための補足であって、これじたいは目くじらを立てるには及ばない。次のウミウに関する「漆黒の」と、冒頭の「西に大きく開けた」も同様。そもそも本稿では重訳に伴うトラブルを検証しているので、ドイツ語文になく日本語訳がまったく新たに導入している変更はかならずしも問題視するものではない。それは日本語の翻訳作品としての翻訳家ひとりひとりの方針の問題である。

〔注 2〕アイスランド語・ドイツ語ともに「カモメ mávar, Möwen」は複数 (もちろん英訳 seagulls も)。日本語でどうしても 1 羽に変えたい理由は考えられないし、ケアレスミスではないか。

〔注 3〕なぜか主観的な推測のように言われているが、大元のアイスランド語 traustbyggður は英語に直訳すれば trustfully-built、そのような造りであることは事実として描写されていると思われる。そこからドイツ語の stabil というあっさりした形容を経て「頑丈そう」に変わることはまさに伝言ゲームの弊害といえる。

〔注 4〕原文にもドイツ語にもゴム製とは書いていないし、アイスランド語原文の注 4 にリンクを載せた árabátur の写真を見ても、「ゴムボート」という言葉から想像されるものとはだいぶ違っている。ただしもし前時代 (本文の時代設定が 1960 年なので、それよりさらに数十年まえか) に当地の漁でゴムボートを使っていたという事実があってこう訳されたのだとしたらすみません (もっとも「前時代 in früheren Zeiten」前後の語句がまるっきりドイツ語訳の挿入なので、こういう難しさが生じることじたい重訳のせいである)。

〔注 5〕アイスランド語にあったのにドイツ語訳では消え、日本語訳では偶然にも復活している「船」の字。

〔注 6〕「ごつい」という俗語はたしかに「大きい」と「骨ばった」の両方を一言で表現できているように見える。しかしここの原文は „stór og beinaber“ で、beinaber という語は Boots, Íslenzk-Frönsk orðabók だと « étique, qui n’a que la peau et les os »「皮と骨しかない、がりがりにやせた」と説明されている。この老人の手は大きいが年相応にやせ衰えた感じなのだろう。それがドイツ語訳の „große knochige“ になった時点でいくぶんか変容し、「ごつい」になるに及んで力強く頑健な印象に変わっている。

〔注 7〕アイスランド語では明らかにまだあっさりと「探していた leituðu」だったのに (なお英訳も ‘searched for’)、ドイツ語訳で「〜の出現を (期待して) 見張っていた hielten [...] Ausschau nach ...」と若干前のめりになった。それが日本語訳では「見すえている」と、すでに視野に捉えている感じである。フラテイからケーティルセイまでは直線で 20 km くらいのようだが、この時点で見えているものかどうか私にはわからない。しかし次の文で richtig「正しく」を即「真っ直ぐに」と言うのはこの間近に見えていることを前提とした訳かもしれない。

〔注 8〕すでに独訳のところで述べたように、アイスランド語になくドイツ語で追加された「多数」が「無数」へと強調される。次の文の「遙か」とあわせ、いずれも日本語訳で加わった誇張。

さて注 5 のようなまれな例外を除けば、2 度の訳のたびにいくつもの変更点が加わり蓄積することで、重訳では赤字青字をあわせれば原文と比べて少なからぬ割合の変化を被っていることがわかる。これを重大と考えるかどうかは人によるだろう。

本作の場合、意味に関わる変化では独 → 日よりも、そのまえの氷 → 独における削除のほうがとくにひっかかるように私個人としては感じる。なんのことはない情景描写とはいえ、このように細部の性格が省略されてしまうのでは今後どうなるかわかったものではない。重訳を行う場合、どの翻訳をもとにするかは最終的な出来にとって一大決定になるということである。

人間の業である以上どんな翻訳にも不行き届きはいくつもあるはずであり、訳を重ねるほどその数も質の重大さも累積していくことは当然のことである (たとえば単数・複数の取り違えというつまらないミスをとっても、この短い範囲に氷 → 独と独 → 日で 1 度ずつ生じ、結果として間違いは 2 つになっている。それ以外の質的な違いについては上記の注を細かく読まれたい)。そうである以上、もしアイスランド語に十分に習熟した翻訳者がいるのであれば直接訳が望ましいことは言うまでもない。