lundi 28 septembre 2020

中山『標準ラテン文法』練習問題解答 (6)

中山恒夫『標準ラテン文法』(白水社、1987 年) 第 11 課と第 12 課の解答例。問題には同じ著者による解答つきの『ラテン語練習問題集』(白水社、1995 年、新装版 2009 年) と共通する文が少なくないのだが、じつは問題をただ解くよりもこれを探して照合するのにけっこうな時間がとられている。『ガリア戦記』などのラテン文の出典箇所を探す作業もしかり。そのぶんだけ後の学習者の手間を減らせていてほしいものだが。

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第 11 課


和訳


1. 祖父は少女たちが祭壇をバラで飾っているのを見ていた。

2. 君たちの友人たちが危機にあることを私たちは悲しむ;君たちが私たちのところにいることを私たちは喜ぶ。〔『練習問題集』VI 5. 3–4) とほぼ同文 (2 問に分割)。〕

3. 兄は隣人が自分にいくつかの果物をくれたと言った。〔間接再帰 sibi = frātrī ≠ vīcīnō。間接再帰というのはラテン語のおもしろい特徴で、たとえば現代のフランス語で同じことを言うなら « Mon frère m’a dit que son voisin lui avait donné plusieurs pommes. » のように 3 人称代名詞でなければならず、もしここに再帰代名詞を置けば隣人が隣人じしんにあげたことになってしまう。しかし日本語には似たようなところがあり、授受の方向がはっきり出てしまう「くれた」では無理だがべつの動詞、たとえば「兄は隣人が自分を殴ったと言った」ならこの「自分」は兄=間接再帰と隣人=直接再帰の両方に読めるだろう。〕

4. 私は君が旅をすることを望む。

5. ガリア人たちはもっとも強かったと考えられている。ガリア人たちはもっとも強かったと伝えられた。〔後半は練 XXVII 4. 4) の問題文とほぼ同文、前半はその書きかえ後の解答とほぼ同文。〕

6. カエサルは兵士たちに橋を作るよう命じた。カエサルは橋が作られることを命じた。兵士たちは橋を作ることを命じられた。橋が作られることが命じられた。〔第 2 文は練 XXVII 4. 7) の問題、第 4 文はその解答と同文。〕

7. 暴君に対する陰謀が準備されたと伝えられた。

8. ハンニバルはローマ人たちが自分によって破られるであろうことを期待していた;ローマ人たちは自分たちが彼によって破られるであろうとは思っていなかった。〔未来不定法の受動態は目的分詞なので語形変化しないことに注意。〕

9. その間にユグルタは大きな配慮とともに (=細心の注意を払って) すべてのことを準備し、急ぎ、軍隊を集めた。〔歴史的不定法。§51 [3] c.  原典はサッルスティウス『ユグルタ戦争』66 章冒頭の抜粋。〕

10. 畑をよく手入れするとはどういうことか。―― よく耕すこと (である)。〔原典は大カトー『農業論』61 章。〕

11. アリオウィストゥスは誰も自分の破滅なしに自分と争った (=自分と争って自分が破滅しなかった) 者はいないと自慢した。〔sēcum の sē は間接再帰=アリオウィストゥス、これに対し sine suā perniciē の suā は直接再帰=争った当人。こういうことができるのは驚きで、混乱を避けるなら一方だけを再帰代名詞とし、他方は ēius, illīus や ipsīus のようなべつの代名詞を使うはずのところだろう (間接再帰のない現代語では後者が再帰代名詞、前者が 3 人称代名詞となる:たとえばドイツ語訳 „dass noch niemand ohne sein Verderben gegen ihn gekämpft habe“ やチェコ語訳 „nikdo že s ním beze své záhuby v boj se nepustil“ における代名詞の使いかたに注目せよ)。不定法句の部分は原典『ガリア戦記』I 巻 36 章 6 節。〕

12. 母は娘が間もなく自分のところに来るだろうと思った。〔練 XXIII 5. 6) とほぼ同文。〕

13. 私たちの町には 173 858 人の市民が住んでいる。〔練 XIX 2. 7) と同文。〕

14. ガーイウス・ユーリウス・カエサルはキリスト紀元前 100 年に生まれた;(彼は) キリスト紀元前 44 年に殺された。〔練 XIX 3. 1) の前半と同文。〕

15. 海は町からおよそ 14 マイル離れている。〔練 XXVI 3. 3) と同文。〕

16. ハエドゥイー族は何度もゲルマーニア人と戦闘した。〔semel atque iterum で「何度も、繰り返して」というイディオム。〕

17. アレクサンドロス大王の死後 2 年で彼の遺体はエジプトに移送された。

18. 年をローマ人たちは都の建設された年から数えていた。それ (=建国紀元年) はキリスト紀元前の 753 年であった。

19. 4 かける 4 は 16、5 かける 8 は 40。

20. ローマでは毎年 2 人ずつ執政官が選ばれた。〔問題文の Romae は Rōmae の誤記。この格は地格 (§24)。〕

作文


1. Avum ā medicō sānārī nōn potuisse dolēmus.〔練 XIII 2. 5) と同文。〕

2. Spērant sē mox in urbem Neāpolim adventūrōs esse.〔練 XXIII 4. 7) とほぼ同文。〕

3. Concēdō sapientiam tuam māiōrem esse quam meam.

4. Hannibal nōnāgintā mīlia (XC) peditum et duodecim mīlia (XMM) equitum Hibērum trādūxit.〔練 XXI 4. 2) と同文。〕

5. Duōbus lītigantibus tertius gaudet.


第 12 課


和訳


1. ヘルウェーティイー族との戦争が終わると、全ガリアの使節たちがカエサルのもとへお祝いを言うために集まってきた。〔『練習問題集』XXVI 8. 2) とほぼ同文。出典は『ガリア戦記』I 巻 30 章 1 節一部省略。〕

2. 困難な状況においてはもっとも勇敢 (=大胆) なことがすべてもっとも安全なのだ。〔原典はリーウィウス『ローマ建国史』XXV 巻 38 章 18 節一部省略。原文は « in rēbus asperīs et tenuī spē fortissima quaeque cōnsilia tūtissima sunt »「状況が困難で希望がかすかなときには、なんであれもっとも大胆なる決定 [計画] がもっとも安全なのだ」。問題文は cōnsilia を消したせいでかえって言葉足らずでわかりにくくなっている。〕

3. 人はみな自分をいちばん気にかけるものだ。〔練 XXIX 1. 3) と同文。〕

4. もし誰かが幸せならば、かならず (べつの) 誰かがその人を妬む。〔練 XXIX 1. 6) と同文。〕

5. クロイソスは誰も自分自身より幸せではない (=自分より幸せな者は誰もいない) と言った。〔練 XXIX 1. 14) と同文。〕

6. 私たちのうちの誰ひとり罪を犯さない者はいない:私たちは人間であって、神ではない。〔練 XV 7. 2) と同文。〕

7. 君たちのうちどちらがこれをしたのか。なぜなら一方がこれをしたことは明らかだから。―― 私たちのうちのどちらもしていない;私たちのうちどちらも無実だ。

8. 敵たちはある者が他の者にとって (=互いが互いにとって) 邪魔になっていた。〔impedimentō esse「〔与〕の妨げになる」。これは次の課 (§62 [4]) で利害の与格と目的の与格 (述語的与格) との二重与格として説明される。〕

9. たしかに罪の意識はソクラテスにはひとつもなかった、しかし (彼は) なんらの逃亡の機会をも求めていなかった。〔quidem はここで出てきて不定代名詞・形容詞みたいな見かけをしておりながら小詞なのが詐欺。〕

10. どんな人間も間違うものである。(だが) 愚かでないならばどんな (人間) も間違いのなかにいつづけはしない。〔前半は cūiusvīs が形容詞として hominis にかかる男性単数属格であり、この属格は所有の属格の述語的用法 (第 13 課 §61 [3] b.)、つまり直訳は「間違うことはどんな人間のものでもある」。後半の nūllīus (hominis) nisi insipientis の属格も同様で、est が省略されている。〕

11. ある人たちが伝えるところでは、キケローはある本のなかで自分の評判を歌っていたという。〔trādunt の形から quīdam は複数主格とわかる。〕

12. 幾人かの悪い男たちが国家の基礎を破壊した。〔練 XI 6. 6) と同文。〕

13. ある者たちが美徳であるとみなしているところのもの、それと同じものをまたある者たちは愚かさであると言う。〔前半は aliī putant の目的語が quās = virtūtēs という同定文に相当する二重対格なので関係代名詞は女性複数に一致している。後半ではさらにこの全体が stultiam とイコールになるので女性単数になる。このような現象を牽引 (attraction) という。cf. 松平・国原『新ラテン文法』§245、また本書第 18 課 §78 [2] も参照。〕

14. 多くの危険が君によって耐えられねばならなかった (=君は多くの危険を耐えねばならなかった)。

15. 私にはこれほど多くの手紙を書く時間はない。〔練 25 課 7 節の例文とほぼ同文。〕

16. 敵たちは町を攻め落とすことと川を渡ることについて絶望した (=あきらめた)。〔動名詞は属格か裸の奪格でしか対格目的語をとれない、ここでは前置詞つき奪格のため動形容詞がかわりに使われている。練 XXV 7. 6) と同文。〕

17. 長い旅をしてきた両親は私たちに会うことを熱望している。〔練 XXV 7. 9) とほぼ同文。〕

18. 長い旅をしようとしている商人は、自分の家の番をするよう友人に委ねた。〔factūrus は facio の未来分詞で、主語 mercātor に一致してここではこの本で言う接合分詞 (§49) として用いられている。動形容詞の部分は直訳すると「友人によって番をされるべき自分の家」。〕

19. 富は上手に用いられねばならず、濫用されてはならない。〔練 XXVI 9. 4) と同文。〕

20. 耕す技術はかつてローマ人たちにとって支配 [指揮] する技術よりもなじみの少ないものではなかった。まれにではなく (=しばしば) 高貴な男たちが耕すことから戦うことと祖国を守ることのために呼びだされた。〔ad pūgnandum は動名詞、しかし ad patriam dēfendendam はやはり動名詞が対格目的語をとれないため動形容詞で代用されている。〕

21. 植民都市を作るための三人委員会が選ばれた。〔官職名を表す目的の与格の動形容詞 (§59 C. [3] a.)。〕

22. 私はそれを見ることを熱望している。

23. 敵たちに武器をとる機会は与えられない。

24. 親によって子どもに配慮されるべき (=親は子どもを気にかけるべき) である。〔動形容詞だが混乱を避けるため行為者が〈ā + 奪格〉で表されている例。〕

作文


1. Ab aliīs animī, ab aliīs corpora exercentur.

2. Et corporis et animī vīrēs exercendae sunt.〔練 XIX 6. 1) とほぼ同文。〕

3. In multīs discipulīs est magnum studium discendī, eī semper ad discendum parātī sunt.

4. Cōnsilium id faciendī nōn probāmus.〔中性代名詞が対格目的語なので動形容詞は不可。〕

5. Domum meam amīcō custōdiendam trādidī.〔練 25 課 7 節の例文とほぼ同文。本書付属の単語集では日羅の部で「渡す」に対し dō しか与えられていないが、上の和訳 18. を参考にすれば trādō を使えることがわかる。〕

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