samedi 5 mars 2022

巫女/巫女の予言/巫女の予言短編——Simek の北欧神話事典より

独文和訳の訓練を兼ねたシリーズ第 3 弾。ジメクのゲルマン神話事典 (Rudolf Simek, Lexikon der germanischen Mythologie, ³2006, S. 475–78) より、「巫女」Völva, 「巫女の予言」Völuspá, 「巫女の予言短編 (短篇)」Völuspá in skamma の 3 項目のほぼ全訳 (項目末の参考文献と近現代の受容についてのみ省略)。


エッダ各編の略号は次のとおり:Vsp 巫女の予言、Bdr バルドルの夢、Hdl ヒュンドラの歌、Gylf ギュルヴィたぶらかし。


巫女 (古ノルド語 völva「女予言者、預言者」、本来の意味は「杖を持つ女 Stabträgerin」) とは、女予言者 Seherin を意味する古ノルド語の名。エッダにおいて、とりわけ Vsp と Bdr において、巫女には予言者として重要な役割が与えられている。サガにおいては巫女はしばしば魔女 Zauberin として登場し、それにより中世スカンディナヴィア文学においてゲルマン異教世界の典型的な代表者となっており、常套句としてキリスト教の悪魔視の軽微な傾向をも巫女は示している。女予言者 Seherinnen の項も参照せよ。


巫女の予言 (古ノルド語 Völuspá) は確実に詩のエッダのうちもっとも有名な神話詩である;巫女の予言は 66 の節 Strophen からなっており (うち 62 節は王の写本 Codex Regius に、残り 4 節は第 2 の主要写本であるハウク本 Hauksbók にあるべつの版に含まれる)、幻視的な一人語りの形式をとっている;最初の 2 節と、第 28 節その他の若干の短い暗示が、幻視に枠〔物語〕を与えており、そこでは巨人の女予言者 Seherin がオーディンに情報を分け与えている。そうとはいえこの一人語りは教訓的でもないし真の意味で叙事詩的でもなく、強い視覚的喚起力をもった個々の図像から構成されている。

巫女の予言の最古の写本である王の写本は 13 世紀後半に発するが、この歌そのものはそれよりはるかに古い。ここでそれが 10 世紀初頭のものにせよ (ヨウンソン)、11 世紀前半に生まれたにせよ (ホイスラー)、どのみち下限はヤールのスカルド詩人アルノール Arnórr Járlaskáld のソルフィン頌歌 Þorfinnsdrápa に借用されていることで 1065 年ころと与えられる。ノルダル以来概して巫女の予言は、宗教的変革の風潮と終末の時の到来を待つなかの 1000 年の直前に〔成立年代を〕定められている。散文のエッダにおいてスノッリは、巫女の予言の節を多数引用し、彼の神話記述の資料として豊富に活用したばかりか、この歌の題をもわれわれに伝承してくれている。

巫女の予言は原初の巨人ユミル Ymir から世界が創造されたこと、神々と人間の原初の歴史、また巨人とドヴェルグについて、そしてアース神族とヴァン神族のあいだの最初の戦争について伝えている。その後バルドルの死から、神々と人間にとって危険な力の描写に至り、そのうえにラグナロクにおける終末の事件についての広範な叙述が続く (43–58 節)。しかし太陽の消滅と神々の転落そして破滅的な世界炎上は、最後的な終わりを意味しない:巫女の予言の最後の数節は、来たるべきよりよい世界の誕生を物語っている。

ただにその主題のみからではなく、そのうちに包含する想念に関しても、巫女の予言は並外れて豊饒である。あらゆる神話詩のうちでもっとも印象深いこの作品は、ひたすら異教ゲルマンの神話のみを再現しているのではない (ミュレンホフはそう言うのだが) ということはただちに認識されたが、この歌をもっぱら初期中世・キリスト教的な観念の産物とみなそうとする解釈 (マイヤー) は、巫女の予言にとり決してふさわしくはない。たんにキリスト教的のみならず、インド゠イラン゠印欧的な平行例をも (リュードベリ、ストレム)、またさらにはペルシア゠マニ教的なそれをも (ライツェンシュタイン、シュレーダー)、人は巫女の予言のなかに見いだそうとする。——この歌の内部でゲルマン的な層とキリスト教的な層とを峻別しようとすることも試みられてきたが (オルリック)、この道によって巫女の予言の源泉を決定的に明確化するには至りえない。ノルダルはそこから、この歌はその作者が土着の素材を加工したものであり、たとえキリスト教的な影響も非常に蓋然性が高いにせよ、それについてはその範囲も仲介手段も明らかにはなっていないので、ひとつの統一体としてみなすことを提唱した。多様な由来をもつ諸観念をひとつの不朽の形に鋳造したことは 1 人の単独の詩人による功績なのであって、たとえ彼の作品がおそらくそれじしんで異教時代後期を代表したものではなく、たんに彼の個人的な告白を芸術的な形で表現したものであったとしてもそうなのである。ゲルマン神話の資料として巫女の予言を利用するに際しては、このような制限が見落とされてはならない。宇宙誕生、宇宙論、バルドル、冥府、ラグナロク、終末論の項も参照せよ。


巫女の予言短編 (古ノルド語 Völuspá in skamma, 短い巫女の予言とも) とは、巫女の予言を模倣した作品の名であり、ヒュンドラの歌 29–44 節に保存されている。

巫女の予言短編がかつては Hdl とは独立したひとつの詩として存在していたことはスノッリによっても証明されており、これを彼は Gylf 4〔5〕においてその固有の表題のもとに引用してさえいる。Hdl は 13 世紀の作品であり、巫女の予言短編もそれよりずっと古いということは考えにくく、たぶん 12 世紀のものである。Vsp から逐語的な借用をしているが、文学的にはその原作よりもはるかにひけをとっている;宇宙論的な進展もほとんどなく、もっぱら神々と巨人たちのあいだの血縁関係の羅列に終始している。なかんずくロキと並んでヘイムダッルがとりわけ詳細に扱われているが (35–39 節)、ラグナロクについては、この歌は終末論的な狙いがあるような印象を与えているにもかかわらず、簡略にしか示されていない。——その描写のしかたはおそらく神話叙述を体系化しようとする省察をすでに前提にしており、この理由からも〔成立年代は〕異教神話への学術的関心が目覚める時代、12 ないし 13 世紀に定められるべきである。この歌は——巨人の系譜 (32 節) は別かもしれないが——謎めいたところはほとんどなく、われわれがほかのエッダ資料から知っている神話的な事情を裏書きするのみである;しかしながらそのさいに顧慮されるべきは、巫女の予言短編それじたいがまさしくそれらの資料より作られたのであって、それゆえ神話に関してはたかだか二次的なものであり、ほかのエッダ歌謡と比肩する資料としては考慮に値しないということである。


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