dimanche 6 mars 2022

ラグナロク/ラグナレクル/終末論——Simek の北欧神話事典より

ドイツ語を読むのも少しだけ慣れてきた第 4 弾。ジメクのゲルマン神話事典 (Rudolf Simek, Lexikon der germanischen Mythologie, ³2006, S. 92, 340–41) より、「ラグナロク」Ragnarök, 「ラグナレクル」ragnarökr, 「終末論」Eschatologie の 3 項目のほぼ全訳 (項目末の参考文献と近現代の受容についてのみ省略)。


エッダ各編の略号は次のとおり:Vsp 巫女の予言、Vm ヴァフスルーズニルの歌、Ls ロキの口論、HH II フンディング殺しのヘルギの歌その 2、Sd シグルドリーヴァの歌、Hdl ヒュンドラの歌;Gylf ギュルヴィたぶらかし。

さて著者の本論のまえに長々と前置きするのは僭越だが、「ラグナレクル」ragnarökr という見慣れぬカナ表記については説明ないし弁明が必要だろう。これは第一には「ラグナロク」ragnarök と区別がつくようにという目的から決めたものであるが、たんなる表記上の便宜にとどまらないそれなりの根拠もある。

まず同じ ö という母音なのにロとレという揺らぎはおかしいという疑念が当然あるであろう。この母音はもともと ǫ というアに近い広いオの音と、ø というエに近い音とが混同され、1200 年ころから融合し現代アイスランド語と同じ ö の音になったという経緯がある。Ragnarök は本来 -‍rǫk であり、ragnarök(k)r のほうはゲルマン比較言語学の知見より -‍røk(k)r であった可能性がきわめて大だとわかっている (古い写本では ǫ と ø が書きわけられていないためあくまで理論上のこと)。さらに以下でジメクも書いているように、古い本来の ragnarök —— Vsp は西暦 1000 年ころ成立、Vm はそれより古い——に対して ragnarökr のほうは新しいいわば改悪された形であって、もっぱら 13 世紀のスノッリが用いているものであるから、後者の時点ではすでに両母音は合流して ö となり、レで表すほうが適切な発音になっていたはずである。

以上でロ/レについては納得してもらえたものとすると、ラグナロクと「ラグナレク」でよいではないかと早合点されるかもしれないが、最後のルもどうしても必要なのである。というのはこの語はロキの口論でもギュルヴィたぶらかしの用例の過半数でも ragnarök(k)rs という単数属格形で現れている。ここからわかるように -‍rök(k)r の最後の r は語幹に属するのであって、主格の語尾ではない。すなわちスルト Surtr (属 Surts) やウルズ Urðr (属 Urðar) などのように慣習的に省略する語尾のルとは違い、バルド Baldr (属 Baldrs) やアルフォズ Alföðr (属 Alföðrs) などと同様のもので、勝手に省略してはならないルなのである。

最後にもうひとつややこしいことを付け加えるようであるが、じつはスノッリのエッダにおける用例は実際の写本では ragnarök(k) と ragnarök(k)r それぞれの変化形が混じりあっている。既述のとおり後者のほうが多く——これの属格形だけで過半を占め、さらに対格形もある——、前者は写字生の書き間違いだとみなして刊本では ragnarök(k)r に修正・統一されるのが通例である。下でジメクが、スノッリは「一貫して durchwegs」ragnarökr を用いていると述べていること、そしてそれが端的に後代の誤りであると断じているのも通説に従った見解であろう。事典としての性格ゆえか、これらの項目に見られるジメクの説明は伝統的なものである。

しかし従来考えられてきたほど -‍rök「運命」と -‍rökkr「黄昏」はまったくの別物なのではなく、両者は密接に関連しているのだとする新説もある (Haraldur Bernharðsson, ‘Old Icelandic ragnarök and ragnarökkr’, 2007; 上の説明にあたってもかなり参考にした)。神話におけるラグナロクは滅びだけでなくその後の新生までを含めた概念であり、røk(k)r は「黄昏、夕闇」だけでなく「夜明け」の薄暮をも指す言葉である。さらに彼の説に従えば ragnarök の後半要素はじつは rǫk ではなく røk(k) であり røk(k)r と同じ動詞にもとづく可能性があって、太陽の運行を通して「運命、決まった流れ」の語義までは近い。こうして両者はつながっており、スノッリはどちらの名称も互換的に「神々の力の (滅びと) 新生」のような意味で用いていたのだ、というのがその主張である。

とはいえ私見ではこの論文、細部は詳しいが主張の根幹のところで臆測を重ねており、魅力的な説ではあっても説得力はそれほど高くはない。少なくとも、これによって今後は「神々の新生」で決まり!とはいかないように思われる。やはり古くから生き残っている標準的な説にはそれだけの理由があるのであろう。といったところで前置きを締めくくり、ジメクの堅実な解説にお進みいただきたい。


ラグナロク (古ノルド語 ragnarök「神々の終末の運命」) とは、エッダ歌謡において北欧人の終末論を表す名称。一方スノッリのエッダでは (Ls 39 と同様に) 一貫してラグナレクル ragnarökr「神々の黄昏」が用いられているが、これはより後の時代の再解釈を表しているにすぎない。

世界滅亡の観念についての主要資料は Vsp 44–66 節と、Gylf 50–52〔51–53〕におけるスノッリによって注解を付された散文的改作である。

北欧人の宇宙論は、世界の破滅をも含みこんでおり、それは神々にまでも人間と同様に降りかかる。したがって神々の生存には期限がつけられており、そのことは偶然によるのではない:彼らは犯罪と戦争とを通じて人間と同様に罪を負っているのである。

ラグナロクは Gylf 50〔51〕で詳しく描写されている 4 つの大きな終末論的事件によって特徴づけられる:フィンブルの冬 Fimbulwinter、スルトが全世界を無に帰す世界炎上 Weltenbrand、ミズガルズ蛇 Midgardschlange により波立たされた大海のなかでの大地沈没、そして最後にフェンリル狼 Fenriswolf によって飲みこまれる太陽の暗転である。さらなる自然的事件が続いて起こる:大地は震え、岩塊が転がり落ち、世界樹ユグドラシルは揺らぎ (Vsp 47)、ビヴロスト Bifröst の橋は倒壊する (Gylf 50〔51〕)。神々に警告するためにヘイムダッルはギャッラルホルン Gjallarhorn を吹き鳴らす (Vsp 46)。オーディンはミーミルの頭に助言を求め (Vsp 46)、神々は協議する。いまやあらゆる方角から地下世界の軍勢が迫る:ナグルファル Naglfar の船が浮かびあがり、フリュム Hrymr が舵をとって巨人たちとともに来る (Gylf 50〔51〕; Vsp 51 によれば舵をとるのはロキ);スルトはムスペルの子らを率いてくる。とりわけ詳しく物語られるのは戦いの野ヴィーグリーズ Vígríðr (Vm 18) における神々の戦いであり (Vsp 53–58; Gylf 50〔51〕)、そこで神々はエインヘリャル Einherier の支援とともに地下世界の軍勢に対する戦いに踏みこむ。オーディンはフェンリル狼と戦って敗れるが、ヴィーザル Víðarr によって仇がとられる。トールはミズガルズ蛇を殺すが、その毒によって死ぬ。フレイはスルトと戦って敗れる、というのは彼には剣がないからである;テュール Týr と冥府の犬ガルム Garmr が、またヘイムダッルとロキが相打ちになる。最後にスルトがすべてを滅する世界火 Weltfeuer を燃えあがらせる。

この滅亡はしかしながら終局的ではない;円環的な世界観念に従って、浄化された新たな世界が海から浮かびあがるのである。生き残った神々ヴィーザル、ヴァーリ Váli、モージ Móði、マグニ Magni が、かつてのアースガルズの地、イザヴォッル Iðavöllr の平原で相会する;ヘルからはバルドル Balder とホズ Höðr が戻ってくる。そして Vsp の最後の数節は死の竜ニーズホッグ Níðhöggr が最終的に沈むことを語る。

新世界の語りをもつ Vsp 59–66 節は、スノッリがラグナロクとの関連で引用し天と冥府の描写の枠組みにおいて解釈している 37 節と並んで、Vsp のラグナロク物語におけるキリスト教的要素を問う問題へと導いてきた。というのはそれは部分的に、ヨハネの黙示録における天のエルサレムの物語を強く思い起こさせるからである。オルリックはこれらの要素の分離に努力し、それに際して世界の道徳的退廃、ギャッラルホルンを吹くこと、太陽の消失、世界炎上と新世界の物語をキリスト教の影響とみなした。

エッダにおいてラグナロクのほかに世界滅亡を表す類義の名称として、aldar rök (「世の終わり」Vm 39)、tíva rök (「神々の運命」Vm 38, 42)、þá er regin deyja (「神々が死す時」Vm 47)、unz um rjúfask regin (「神々が滅ぶ時」Vm 52; Ls 41, Sd 19)、þá er Muspellz-synir herja (「ムスペルの子らが出陣する時」Gylf 18〔?〕, 36〔37〕)、aldar rof (「世の破れ」HH II 41)、regin þrjóta (「神々の終焉」Hdl 42) がある。


ラグナレクル (古ノルド語 ragnarökr「神々の黄昏」) は、Ls 39 ならびにスノッリにおいて、より古い名称であるラグナロク「神々の運命」にかわって、北欧人の世界滅亡の観念を表す名前として誤って用いられている。スノッリによるこの崩れた形から、今日なおドイツ語ではたいてい「神々の運命 Götterschicksal」ではなく「神々の黄昏 Götterdämmerung」が、ゲルマンの黙示録を意味するのに用いられている。


終末論 (Eschatologie)。最後のできごとと世界の終わりについての諸観念;ゲルマン人におけるそれは、ラグナロクに関する幻視におけるエッダ神話のなかと、余さず明瞭だとはいえない西ゲルマンの概念であるムスペルとにおいて出てくる。とはいえこれらは決して全ゲルマン民族にとってではなく、異教時代後期についてのみ等しく妥当する概念である。


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