mardi 30 août 2022

伝エラトステネス『星座論』(5) しし座・ぎょしゃ座

伝エラトステネス『星座論』摘要 Epitome Catasterismorum の翻訳。この記事では 12. しし座と 13. ぎょしゃ座の 2 章を扱う。

目次リンク:第 1 回を参照のこと。


12. Λέων〔しし座〕


Οὗτός ἐστι μὲν τῶν ἐπιφανῶν ἀστέρων· δοκεῖ δ’ ὑπὸ Διὸς τιμηθῆναι τοῦτο τὸ ζῴδιον διὰ τὸ τῶν τετραπόδων ἡγεῖσθαι. τινὲς δέ φασιν, ὅτι Ἡρακλέους πρῶτος ἆθλος ἦν εἰς τὸ μνημονευθῆναι. φιλοδοξῶν γὰρ μόνον τοῦτον οὐχ ὅπλοις ἀνεῖλεν, ἀλλὰ συμπλακεὶς ἀπέπνιξεν.

Λέγει δὲ περὶ αὐτοῦ Πείσανδρος ὁ Ῥόδιος, ὅτι καὶ τὴν δορὰν αὐτοῦ ἔσχεν, ὡς ἔνδοξον πεποιηκώς. οὗτός ἐστιν ὁ ἐν τῇ Νεμέᾳ ὑπ’ αὐτοῦ φονευθείς.

[...] ὁρῶνται δὲ ὑπὲρ αὐτὸν ἐν τριγώνῳ κατὰ τὴν κέρκον ἀμαυροὶ ἑπτά, οἳ καλοῦνται πλόκαμοι Βερενίκης Εὐεργέτιδος.

これは (もっとも) 目立つ星々のうちのひとつである。ゼウスによってこの (黄道十二宮のうちの) 宮は栄誉に与った、それは (すべての) 四つ足の (動物たちの) 先頭に立っているがゆえである。ある人たちの言では、ヘーラクレースの最初の難業が想起されるべきであった。というのは (彼は) 栄光を欲していて、これ〔=獅子〕だけを武器なしでつかみあげ、首を絞めて窒息させたのだ。

またこれについてロドスのペイサンドロスは、(ヘーラクレースは) これ〔=獅子〕の皮をも取り、戦勝の勲章となしたものだと言っている。これはネメアーで彼によって殺された (獅子) である。

これ〔=しし座〕の上にはまた、三角形をなして、尾に沿って暗い 7 つの (星々) があり、これらはベレニーケー・エウエルゲティスの髪と呼ばれている。

ロドスのペイサンドロスは前 7 世紀の叙事詩人。ベレニーケー・エウエルゲティス (ベレニーケー 2 世、エウエルゲティスは「慈悲深き女、恩恵者」という意味の称号) は前 3 世紀なかばの人で、プトレマイオス朝エジプトの王妃。すなわちこの部分の伝えは明らかに新しい層に属する。なお 5. かんむり座の物語では、この同じ星々がアリアドネーの髪と言われていたこともあわせて思いおこそう。

ところで——そういう写本証拠はないようなので私の想像にすぎないが——第 1 段落最後の文の μόνον は μόνος に直したい気もする。μόνον τοῦτον であれば、ヘーラクレースが対決したさまざまな怪物たちのうちで「この獅子だけを」素手で殺した (ほかはすべて武器によった)、という意味であるが、もし μόνος にしてよいなら、栄光を求めたヘーラクレースは「単身で」この獅子と対決した、という意味になる。こちらのほうが英雄譚らしいのではなかろうか (かりにそうだとすれば、μόνον になったのは直後の τοῦτον に引きずられてのことと想定しうる)。


13. Ἡνίοχος〔ぎょしゃ座〕


Οὗτός ἐστιν Ἐριχθόνιος, ἐξ Ἡφαίστου καὶ Γῆς γενόμενος· τοῦτον λέγουσιν, ὅτε ὁ Ζεὺς εἶδεν πρῶτον ἐν ἀνθρώποις ἅρμα ζεύξαντα ἵππων, θαυμάσαι ὅτι τῇ τοῦ Ἡλίου ἀντίμιμον ἐποιήσατο διφρείαν, ὑποζεύξας ἵππους λευκούς. πρῶτόν τε Ἀθηνᾷ πομπὴν ἤγαγεν ἐν ἀκροπόλει· καὶ ἐποιήσατο πρὸς τούτοις ἐπιφανῆ τὴν θυσίαν αὐτῆς σεμνύνων.

Λέγει δὲ καὶ Εὐριπίδης περὶ τῆς γενέσεως αὐτοῦ τὸν τρόπον τοῦτον. Ἥφαιστον ἐρασθέντα Ἀθηνᾶς βούλεσθαι αὐτῇ μιγῆναι, τῆς δὲ ἀποστρεφομένης, καὶ τὴν παρθενίαν μᾶλλον αἱρουμένης, ἔν τινι τόπῳ τῆς Ἀττικῆς κρύπτεσθαι, ὃν λέγουσι καὶ ἀπ’ ἐκείνου προσαγορευθῆναι Ἡφαίστιον· ὃς δόξας αὐτὴν κρατήσειν καὶ ἐπιθέμενος, πληγεὶς ὑπ’ αὐτῆς τῷ δόρατι, ἀφῆκε τὴν ἐπιθυμίαν, φερομένης εἰς τὴν γῆν τῆς σπορᾶς· ἐξ ἧς γεγενῆσθαι λέγουσι παῖδα, ὃς ἐκ τούτου Ἐριχθόνιος ἐκλήθη.

Καὶ αὐξηθεὶς τοῦθ’ εὗρε, καὶ ἐθαυμάσθη, ἀγωνιστὴς γενόμενος. ἤγαγε δὲ ἐπιμελῶς τὰ Παναθήναια, καὶ ἅμα Ἡνίοχον ἔχων παραβάτην, ἀσπίδιον ἔχοντα, καὶ τριλοφίαν ἐπὶ τῆς κεφαλῆς. ἀπ’ ἐκείνου δὲ κατὰ μίμησιν ὁ καλούμενος ἀποβάτης.

Ἐσχημάτισται δ’ ἐν τούτῳ ἡ Αἴξ καὶ οἱ Ἔριφοι. Μουσαῖος γάρ φησι Δία γεννώμενον ἐγχειρισθῆναι ὑπὸ Ῥέας Θέμιδι. Θέμιν δὲ Ἀμαλθείᾳ δοῦναι τὸ βρέφος. τὴν δέ, ἔχουσαν Αἶγα, ὑποθεῖναι, τὴν δ’ ἐκθρέψαι Δία· τὴν δὲ Αἶγα εἶναι Ἡλίου θυγατέρα, φοβερὰν οὕτως, ὥστε τοὺς κατὰ Κρόνον θεοὺς βδελυττομένους τὴν μορφὴν τῆς παιδός, ἀξιῶσαι Γῆν κρύψαι αὐτὴν ἔν τινι τῶν κατὰ Κρήτην ἄντρων. καὶ ἀποκρυψαμένην ἐπιμέλειαν αὐτῆς τῇ Ἀμαλθείᾳ ἐγχειρίσαι· τὴν δὲ τῷ ἐκείνης γάλακτι τὸν Δία ἐκθρέψαι.

Ἐλθόντος δὲ τοῦ παιδὸς εἰς ἡλικίαν, καὶ μέλλοντος Γίγασι πολεμεῖν, οὐκ ἔχοντος δὲ ὅπλα, θεσπισθῆναι αὐτῷ τῆς Αἰγὸς τῇ δορᾷ ὅπλῳ χρήσασθαι, διά τε τὸ ἄτρωτον αὐτῆς καὶ φοβερόν, καὶ διὰ τὸ εἰς μέσην τὴν ῥάχιν Γοργόνος πρόσωπον ἔχειν. ποιήσαντος δὲ ταῦτα τοῦ Διός, καὶ τῇ τέχνῃ φανέντος διπλασίονος, τὰ ὁστᾶ δὲ τῆς Αἰγὸς καλύψαντος ἄλλῃ δορᾷ, καὶ ἔμψυχον αὐτὴν καὶ ἀθάνατον κατασκευάσαντος, αὐτὴν μέν φασιν ἄστρον οὐράνιον κατασκευάσαι, τινὲς δέ φασι Μυρτίλον ὀνόματι τὸν ἡνίοχον εἶναι, τὸν ἐξ Ἑρμοῦ γεγονότα.

これはヘーパイストスとゲー [ガイア] から生まれたエリクトニオスである。彼のことはこう言われている。ゼウスが (彼を) 人間たちのなかで馬たちを戦車につないだ最初の者として見たとき、(彼が) 白馬たちを軛の下につないで、ヘーリオスのしかたに倣った (巧みな) 操縦をしたのに感嘆した。また彼ははじめてアテーナーのために、アクロポリスにおける (犠牲の) 送りを行って、彼ら〔=アテーナイ人〕のところで彼女の祭儀を顕揚し (その儀式を) 有名にした。

第 1 段落の 2 文めはなかなか込み入っている。不定法アオリスト θαυμάσαι「感嘆した」の主語は、このままではゼウスととるのはかなり厳しく、むしろ対格主語エリクトニオスが感嘆したととるほうが文法には合致する。サントーニのテクストはゼウスを主語とするために、まず定動詞 εἶδεν を ἰδὼν に改めたうえ、θαυμάσαι も καὶ θαυμάσας として、2 つのアオリスト分詞 (男性主格) がゼウスの連続した行為と読めるようにしている。

ヘーリオスに倣ったというのは、太陽神ヘーリオスが扱いのきわめて難しい太陽の馬車 (戦車) を御して日ごと天空を駆けているという伝承による。その難しさについては、彼の息子パエトーンが父の諌めを聞かずに無理やりその戦車を借り、暴走させて死んだという神話に見られるとおり。アテーナー女神の祭礼についての箇所は、エリクトニオスが伝説上のアテーナイの 2 代めの王で、後述するパンアテーナイア祭を創始したことを言っているものか。

エウリーピデースも彼〔=エリクトニオス〕の誕生について、こんなふうにして言っている。ヘーパイストスはアテーナーへの情欲に駆られて彼女と交わりたいと欲したのだが、彼女は反対の考えで、処女であることのほうを望んでいたので、アッティカ (地方) のさる場所に身を隠した、(その場所は) 彼〔=ヘーパイストス〕にちなんでヘーパイスティオンと呼称されたと言われている。彼は彼女を力ずくで物にしようと考えてそれを試みたところ、彼女によって槍で突き刺されたが、性欲〔=精液〕を放って、地へとその種がもたらされる。それ〔=子種〕より子が生まれ、彼はそのことからエリクトニオスと名づけられた。

エウリーピデースは言うまでもなく前 5 世紀に活躍した三大悲劇詩人の 1 人であるが、ここで言われている作品は伝存していない。ハードの英訳の注によるとこれはタイトル不明の劇であり、『エレクテウス』とも別だとしている。

エリクトニオスという名は本当のところ語源不詳らしいが (Beekes, Etymological Dictionary of Greek, s.v. Ἐριχθόνιος)、χθών「地、地面」と関連づける語源俗解が古代よりあった。この物語の場合は「地そのものである者」とでも訳すか (ἐρι- は強めの接頭辞)。あるいは第 1 要素を ἔριον「羊毛」ととって、「羊毛と大地の者」とも解された;これは上の物語とは少し細部が異なって、ヘーパイストスの放った精液がアテーナーの脚にかかったため彼女はそれを羊毛で拭きとって大地に捨てた、そこから子が生まれたとする伝承があるのである。

そうして彼は成長したあとそのこと〔=自分の生まれ〕を知って驚き、戦士として身を立てる。また念入りにパンアテーナイア祭を催し、同時に御者 [戦車の操者] として、小盾と頭にはトリロピアー [三つ羽飾りのついた兜] を装備した同乗者 [パラバテース] をもっていた。彼にちなんで、いわゆる飛び降りる者 [アポバテース] とはこれを真似たものである。

ἅμα Ἡνίοχον「同時に御者として」をサントーニは ἅρμα ἡνιόχει「戦車を御している」に改めており、このほうがよいかもしれない。前者では「御者」は対格であり、これを目的語とする動詞 (分詞) ἔχων の主語は主文の ἤγαγε の主語エリクトニオスだから、彼と御者はまるきり別人とならざるをえないが、ἡνιόχει と読めば彼じしんが戦車を操っていることになる。

飛び降りる者 [アポバテース] というのは戦車競技において走っている戦車から飛び降りるのである。それから戦車と馬に伴走するのか、あるいは戦車が所定のゴールについた瞬間から飛び降りて残りのトラックを走ったものか、さらにはもういちど飛び乗るなどという説もあり、よくわかっていないようだ。いずれにせよ、戦車競走じたいしばしば死傷者が出るほどスピードの出るものであり、いまで言えばバイクレースで走っているバイクから飛び降りてその勢いそのままに走り出す、というような危険な競技には違いない。

この (星座) のなかには (雌) 山羊と仔山羊たちも造形されている。というのはムーサイオスによれば、ゼウスは生まれるなりレアーによってテミスに託され、それからテミスはアマルテイアにこの嬰児を渡した。その彼女は (雌) 山羊をもっており、これの下に置いて、これがゼウスを養育した。この山羊はヘーリオスの娘であって、(容貌が) かくも恐ろしく、クロノスに従う神々がこの女の子の容姿を忌み嫌って、ゲー [ガイア] に対し彼女をクレーテー [クレタ] 島の地下の洞窟のうちのあるひとつに隠すことを要求したほどだった。それで (ゲーは雌山羊を) 匿ったあと、それの世話をアマルテイアに託した。そして彼女〔=アマルテイア〕はその女〔=雌山羊〕の乳でゼウスを養育したのだということだ。

アテーナイのムーサイオスは前 6 世紀の伝説的な詩人。アマルテイアは伝承によっては山羊の名であるともされるが、ここでは明らかに山羊を所有するクレタ島のニュンペー [ニンフ] とされている。だが山羊じしんが太陽神ヘーリオスの娘とされ、描写も詳しく重要な役目を担っているのに比して、アマルテイアの存在感は希薄で物語上不必要とも見え、これでは同一視されるのも無理はない。エラトステネースはその同一視に抗するためにわざわざこのような説明をムーサイオスの伝えとして残したのだろうか。

この子〔=ゼウス〕は成年に至ると、巨人 [ギガース] たちと戦争をせんとし、しかして武具をもたなかったので、彼にはこの雌山羊の皮を武具として用いるべしという神託が与えられた。というのはそれの傷つかなさと恐ろしさのゆえ、そして背の中央にゴルゴーンの顔をもっていたことのゆえであった。ゼウスがそのとおりにすると、その技によって (彼の強さが) 倍加したと見えた。それから山羊の骨を残りの皮で覆って、彼女を生きかえらせてさらに不死とした。(そしてゼウスは) 彼女を天の星としたのだと言われるが、またべつの人々によるとこの御者はミュルティロスという名前でヘルメースから生まれた息子だともいう。

巨人と訳した語 Γίγασι はギガースの複数与格であるが、サントーニは Τιτᾶσι (ティーターンの複数与格) に改めており、ハードの英訳も Titans である。前段落でクロノスたちの名前が挙がっているところを見ればたしかにそうとりたくなるのだが、ここで山羊の武具と言われているのは明らかにアイギスであり、ゼウスがそれをどの戦いで用いたものかは実際よくわからないのである (ティーターノマキアーであれギガントマキアーであれ)。

なお最後にとってつけたように紹介されている異説で、ミュルティロスとはオイノマーオス王——娘ヒッポダメイアへの求婚者を拒みつづけ、最後にはペロプスの策略で事故死させられた——の御者の名前である。

samedi 27 août 2022

伝エラトステネス『星座論』(4) おとめ座・ふたご座・かに座

伝エラトステネス『星座論』摘要 Epitome Catasterismorum の翻訳。この記事では 9. おとめ座、10. ふたご座、11. かに座の 3 章を扱う。

目次リンク:第 1 回を参照のこと。


9. Παρθένος〔おとめ座〕


Ταύτην Ἡσίοδος ἐν Θεογονίᾳ εἴρηκε θυγατέρα Διὸς καὶ Θέμιδος, καλεῖσθαι δὲ αὐτὴν Δίκην. λέγει δὲ καὶ Ἄρατος, παρὰ τούτου λαβὼν τὴν ἱστορίαν, ὡς οὖσα πρότερον ἀθάνατος, καὶ ἐπὶ τῆς γῆς σὺν τοῖς ἀνθρώποις ἦν, καὶ ὅτι Δίκην αὐτὴν ἐκάλουν. μεταστάντων δὲ αὐτῶν, καὶ μηκέτι τὸ δίκαιον συντηρούντων, οὐκέτι σὺν αὐτοῖς ἦν, ἀλλ’ εἰς τὰ ὄρη ὑπεχώρει, εἴτα στάσεων καὶ πολέμων αὐτοῖς ὄντων, διὰ τὴν παντελῆ αὐτῶν ἀδικίαν, ἀπομισήσασαν εἰς τὸν οὐρανὸν ἀνελθεῖν.

Λέγονται δὲ καὶ ἕτεροι λόγοι περὶ αὐτῆς πλεῖστοι. οἱ μὲν γὰρ αὐτήν φασιν εἶναι Δήμητραν, διὰ τὸ ἔχειν στάχυν, οἱ δὲ Ἶσιν· οἱ δὲ Ἀταργάτιν· οἱ δὲ Τύχην, διὸ καὶ ἀκέφαλον αὐτὴν σχηματίζουσιν.

ヘーシオドスは『神統記』中で彼女を、ゼウスとテミスの娘でディケー [正義] という名だと言っている。またアラートスも彼〔=ヘーシオドス〕からの伝えをとって、彼女は当初は不死〔=女神〕であって地上で人間たちとともにいて、(人間たちは) 彼女をディケーと呼んでいた、と言っている。彼らが変節してしまい、もはや正しきを堅持しないようになると、(ディケーは) もはや彼らとともにはいなくなり、山中へと引っこんでいった。やがて彼らのまったき不正義のゆえに、内乱や戦争が彼らのあいだに起こると、これを憎んだ彼女は天へと上り去ったという。

また彼女については異なる説もたくさん言われている。すなわちある人々は (これが) 穀物の穂をもっているがゆえにデーメーテールであると言い、またある人々はイーシスと、またある人々はアタルガティスと、またある人々はテュケーであるとして、それゆえに彼女を頭のない形に見立てている。

デーメーテールはギリシアの、イーシスはエジプトの、アタルガティス (別名デルケトー) はシリアの女神で、いずれも豊穣を司る大女神である。「穀物の穂」と訳した στάχυς にはスピカ (おとめ座 α 星) の意味もあり、この星を指して言っているものに相違ない。テュケーは運の擬人化された女神であるが、「頭がない」という描像は比較的新しいようだ:「彼女はヘレニズム時代まではまだ抽象名詞的で,十分には人格化されなかった.この時代に彼女は量るべからざる《運》の女神となり,ときに盲目の姿で表わされ,崇拝された」(高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』)。


10. Δίδυμοι〔ふたご座〕


Οὗτοι λέγονται Διόσκουροι εἶναι· ἐν δὲ τῇ Λακωνικῇ τραφέντες ἐπιφάνειαν ἔσχον, φιλαδελφίᾳ δὲ ὑπερήνεγκαν πάντας. οὔτε γὰρ περὶ ἀρχῆς, οὔτε περὶ ἄλλου τινὸς ἤρισαν. μνήμην δὲ αὐτῶν Ζεὺς θέσθαι βουλόμενος τῆς κοινότητος, Διδύμους ὀνομάσας, εἰς τὸ αὐτὸ ἀμφοτέρους ἔστησεν ἐν τοῖς ἄστροις.

彼らはディオスクーロイだと言われている。彼らはラコーニアー [スパルタ] で育てられ名声を得た。兄弟愛にかけてはあらゆる人々をしのいだ。(兄弟のどちらが上かという) 主導権についても、ほかの何事についても争わなかった。そこでゼウスは彼らの連帯を記念せんと欲して、双子〔=ふたご座〕と命名し、両人を星々のなかの同じ場所に立たせたのだ。

ディオスクーロイとは文字どおりには「ゼウスの息子たち」の意で、大神がスパルタ王妃レーダーに生ませたカストールとポリュデウケース [ポルックス] の兄弟を指す。もっともカストールのほうは人間の子で父親は正式な夫のテュンダレオースであるとする伝えが現在周知であろうが、エラトステネースは明らかにこの解釈をとっていない (片方だけがゼウスの子となればどうしたって差はつくであろうから;それは同様の関係にあるヘーラクレースとイーピクレースの場合に顕著である)。


11. Καρκίνος, Ὄνοι καὶ Φάτνη〔蟹と驢馬と飼い葉桶=かに座〕


Οὗτος δοκεῖ ἐν τοῖς ἄστροις τεθῆναι δι’ Ἥραν, ὅτι μόνος, Ἡρακλεῖ τῶν ἄλλων συμμαχούντων, ὅτε τὴν Ὕδραν ἀνῄρει, ἐκ τῆς λίμνης ἐκπηδήσας ἔδακεν αὐτοῦ τὸν πόδα, καθάπερ φησὶ Πανύασις ἐν Ἡρακλείᾳ. Θυμωθεὶς δ’ ὁ Ἡρακλῆς δοκεῖ τῷ ποδὶ συνθλάσαι αὐτόν· ὅθεν μεγάλης τιμῆς τετύχηκε καταριθμούμενος ἐν τοῖς ιβʹ ζωδίοις.

Καλοῦνται δέ τινες αὐτῶν ἀστέρες ὄνοι, οὓς Διόνυσος ἀνήγαγεν εἰς τὰ ἄστρα· ἔστι δὲ αὐτοῖς καὶ φάτνη παράσημον· ἡ δὲ τούτων ἱστορία αὕτη.

Ὅτε ἐπὶ Γίγαντας ἐστρατεύοντο οἱ θεοί, λέγεται Διόνυσον καὶ Ἥφαιστον καὶ Σατύρους ἐπὶ ὄνων πορεύεσθαι. οὔπω δὲ ὁρωμένων αὐτοῖς τῶν Γιγάντων, πλησίον ὄντες ὠγκήθησαν οἱ ὄνοι· οἱ δὲ Γίγαντες ἀκούσαντες τῆς φωνῆς ἔφυγον· διὸ ἐτιμήθησαν ἐν τῷ Καρκίνῳ εἶναι ἐπὶ δυσμάς.

Ἔχει δὲ ὁ Καρκίνος ἐπὶ τοῦ ὀστράκου ἀστέρας λαμπροὺς βʹ· οὗτοί εἰσιν οἱ ὄνοι. τὸ δὲ νεφέλιόν ἐστιν ἡ ἐν αὐτῷ ὁρωμένη φάτνη, παρ’ ᾗ δοκοῦσιν ἑστάναι.

これはヘーラーによって星々のあいだに置かれたと思われる。というのはこれは、(ヘーラクレースが) ヒュドラーを退治しようとしていたとき、ほかの者たちはヘーラクレースに加勢したのに、(蟹だけが) ただひとり沼から飛び出して彼の足に咬みついたのだと、たしかにそのとおりパニュアシスが (叙事詩)『ヘーラクレイア』のなかで言っている。だが赫怒したヘーラクレースは足でこれを踏み砕いたらしい。このことから (この蟹は) 大いなる名誉を得て黄道十二宮のなかに数えられているのだ。

この (星座の) なかのいくつかの星々は驢馬と呼ばれており、これはディオニューソスが星々のなかに上げたものだ。そこには飼い葉桶も目印としてある。これらについての解説は次のとおりである。

巨人たちを相手に神々が戦争していたころ、ディオニューソスとヘーパイストスとサテュロスたちとが、驢馬に乗って出ていったと言われている。まだ彼らのことを巨人たちが見つけていないうちに、近づいていた驢馬たちが嘶きを上げた。すると巨人たちはその声を聞いて逃げた。このために彼ら〔=驢馬たち〕は蟹〔=かに座〕のなかの西側にいる栄誉を受けたのである。

この蟹は甲殻の上に明るい星を 2 つもっている。これらが驢馬たちである。また星雲はそれ〔=かに座〕のなかに見えている飼い葉桶であり、それのそばにそれら〔=驢馬たち〕は立っているように見える。

冒頭、蟹を天上に上げたのがヘーラーであると述べているのは、彼女がこの蟹をヘーラクレースの試練への妨害として遣わしたという伝承を反映しているであろう。ハリカルナッソスのパニュアシスは前 5 世紀の叙事詩人で、『ヘーラクレイア』はわずかな断片しか残されていない。

最後の一文「また星雲は〜」は少々話が不自然である。むしろ「またそれのなかに見えている星雲は飼い葉桶であり」と読むために、修飾語の位置・語形を変えて τὸ δὲ ἐν αὐτῷ ὁρώμενον νεφέλιόν ἐστιν φάτνη と直したい。もとのギリシア語テクストでは「それのなかに見えている」は「飼い葉桶」にかけざるをえないのであるが、サントーニの希伊対訳本ではギリシア語はもとのままにしながらなぜかイタリア語訳のみ「星雲」にかけるよう読みかえている:«L’ammasso nebuloso visibile al centro del Cancro è la Mangiatoia»。なおハードの英訳ではこの段落は省かれている;星座の形の説明だからであろうが、ここがないと第 2 段落の「飼い葉桶」が意味不明になりかねないので本稿ではあえて訳出した。

vendredi 26 août 2022

伝エラトステネス『星座論』(3) へびつかい座・さそり座・うしかい座

伝エラトステネス『星座論』摘要 Epitome Catasterismorum の翻訳。この記事では 6. へびつかい座、7. さそり座、8. うしかい座の 3 章を扱う。

目次リンク:第 1 回を参照のこと。


6. Ὀφιοῦχος〔へびつかい座〕


Οὗτός ἐστιν ὁ ἐπὶ Σκορπίου ἑστηκώς, ἔχων ἐν ἀμφοτέραις χερσὶ τὸν ὄφιν. λέγεται δὲ εἶναι Ἀσκληπιός, ὅν Ζεύς, χαριζόμενος Ἀπόλλωνι, εἰς τὰ ἄστρα ἀνήγαγεν. τοῦτον τέχνῃ ἰατρικῇ χρώμενον, ὡς καὶ τοὺς ἤδη τεθνηκότας ἐγείρειν, ἐν οἷς καὶ Ἱππόλυτον ἔσχατον τοῦ Θησέως. καὶ τῶν θεῶν δυσχερῶς τοῦτο φερόντων, εἰ αἱ τιμαὶ καταλυθήσονται αὐτῶν, τηλικαῦτα ἔργα Ἀσκληπιοῦ ἐπιτελοῦντος, λέγεται τὸν Δία ὀργισθέντα κεραυνοβολῆσαι τὴν οἰκίαν αὐτοῦ, εἶτα διὰ τὸν Ἀπόλλωνα τοῦτον εἰς τὰ ἄστρα ἀναγαγεῖν· ἔχει δὲ ἐπιφάνειαν ἱκανήν, ἐπὶ τοῦ μεγίστου ἄστρου, λέγω δὴ τοῦ Σκορπίου ὤν, εὐσήμῳ τῷ τύπῳ φαινόμενος.

最終文でサントーニに倣い τοῦ Σκορπίου の次に ὤν を加えた。また彼女は第 3 文頭 τοῦτον τέχνῃ ἰατρικῇ χρώμενον の対格も属格 τούτου ... χρωμένου に改めている、すなわちこの箇所を絶対属格句とみなしている。私としてもそちらのほうが読みやすく文の流れがよくなると思うが、アルマ版でも読めないことはないので旧状を維持した。

これは蠍〔=さそり座〕の上に立っている男で、両手で蛇をつかんでいる。アスクレーピオスであると言われており、彼のことをゼウスが、アポローンに対する厚意として、星々のなかへ上げた。彼〔=アスクレーピオス〕は、すでに死んでいた者たちをも蘇らせるような医術を用いており、その (蘇らされた者の) なかでテーセウスの (息子) ヒッポリュトスが最後となった。しかし神々は、アスクレーピオスがあまりに偉大な仕事を成しとげているゆえに、もし彼らへの尊敬が毀損されるとすればそれは耐えがたいと考えていたので、ゼウスは激怒して彼〔=アスクレーピオス〕の家を雷撃した、それからアポローンのために彼を星々のなかへ上げたと言われている。(この星座は) 最大の星々すなわち蠍〔=さそり座〕の上にあって、十分な視認性があるので、その形がやすやすと見られる。

医神アスクレーピオスはアポローンの息子であり、本文でアポローンへの配慮と 2 度言っているのは息子を殺された彼への慰めあるいは償いという意味である。

この章でアルマ師の仏訳には大きな訳し抜けがある。私の訳で示すと「しかし神々は……考えていたので」がまるまる抜けており、いきなりゼウスが理由なしに雷撃を敢行しているのである。もうひとつ細かいことを言うと、アスクレーピオスの家をではなく直接 le tua「彼を殺した」と訳されている。


7. Σκορπίος〔さそり座〕


Οὗτος διὰ τὸ μέγεθος εἰς δύο δωδεκατημόρια διαιρεῖται· καὶ τὸ μὲν ἐπέχουσιν αἱ χηλαί, θάτερον δὲ τὸ σῶμα καὶ τὸ κέντρον· τοῦτόν φασιν ἐποίησεν Ἄρτεμις ἀναδοθῆναι τῆς κολώνης τῆς Χίου νήσου, καὶ τὸν Ὠρίωνα πλῆξαι, καὶ οὕτως ἀποθανεῖν, ἐπειδὴ ἐν κυνηγεσίῳ ἀκόσμως αὐτὴν ἐβιάσατο· ὃν Ζεὺς ἐν τοῖς λαμπροῖς ἔθηκε τῶν ἀστέρων, ἵν’ εἰδῶσιν οἱ ἐπιγινόμενοι ἄνθρωποι τὴν ἰσχύν τε αὐτοῦ καὶ τὴν δύναμιν.

誤字と思われる Κολόνης をサントーニに従い κολώνης に改めた。彼女はまたこの τῆς κολώνης の前に前置詞 ἐκ を補っている。

これはその巨大さゆえに (黄道の) 十二分割部 2 つぶんにわたって分かたれている。その一方を両鋏が、また他方を胴体と (尻尾の) 針が占めている。言うところでは、これをしてアルテミスがキオス島の丘より飛び出さしめ、オーリーオーンをば刺さしめて、かくて (彼は) 死した、なんとなれば (彼は) 犬猟の最中に破廉恥にも彼女を暴行しようとしたからである。これ〔=蠍〕をゼウスは星々のなかでも (もっとも) 明るいところに置いた。(将来に) 生まれくる人間たちがそれの力と強さとを知るようにと。

アルマ師の仏訳はキオス島をクレタ島と勘違いしているのだが、オーリーオーンがクレタ島の蠍に殺されたとする伝承もたしかにあるようだ (とはいえその場合アルテミスを怒らせた理由は別のこと、もしくはそもそも彼女とは関係がなくふつうに長生きしたうえでそうなったらしい。32. オリオン座の項目、およびシャーデヴァルト『星のギリシア神話』邦訳 34 頁を参照)。ちなみにキオス島はオーリーオーンが別件で訪れたことがある:そこのオイノピオーン王の娘メロペーに彼は求婚したもしくは襲った、ために王は怒って彼を盲目にして放逐したという話である。

また最後の文では、蠍の功績を讃えて言ったように読める「力と強さと」という語句を、仏訳はどういうわけか qualités nuisibles「有害な性質」と訳している。


8. Ἀρκτοφύλαξ〔熊の守り手=うしかい座〕


Περὶ τούτου λέγεται, ὅτι Ἀρκάς ἐστιν ἐκ Καλλιστοῦς καὶ Διὸς γεγονώς, ὃν κατακόψας Λυκάων, ἐξένισε, τὸν Δία παραθεὶς ἐπὶ τράπεζαν· ὅθεν ἐκείνην μὲν ἀνατρέπει· ἀφ’ οὗ ἡ Τραπεζοὺς καλεῖται πόλις. τὴν δὲ οἰκίαν αὐτοῦ κεραυνοῖ, τῆς ὠμότητος αὐτὸν μυσαχθείς· τὸν δὲ Ἀρκάδα πάλιν συμπλάσας ἔθηκεν ἄρτιον, καὶ ἐν τοῖς ἄστροις ἀνήγαγεν.

2 つめのコンマのあと、サントーニに従い関係代名詞 ἣν を ὃν に改めた。前者だとカリストーを切り刻んだことになるが、続く話と整合しない。

これについてはこう言われている。彼〔=うしかい座となったアルカス〕はカリストーとゼウスから生まれた息子であり、彼をリュカーオーンが切り刻んで、ゼウスを饗応して食卓 [トラペザ] の上に並べられた。そこで (ゼウスは怒って) それをひっくりかえした。このことからトラペズースの町はそう呼ばれている。そして (ゼウスは) その残酷さゆえに彼〔=リュカーオーン〕を忌み嫌って、彼の家を雷で撃った。そしてアルカスをふたたび寄せ集めて形作り五体満足となし、星々のあいだに上げてやった。

1. おおぐま座で見たとおりリュカーオーンはカリストーの父、したがってアルカスの祖父にあたる。この物語をこの星座の縁起として採用する場合、星座の描くものは熊と化した母カリストーとともにいる狩人アルカスということになる。

一方うしかい座と呼ばれるその見かたもすでにホメーロスが知っていたものであって、Βοώτης の訳語である。その場合牛飼いはイーアシオーンという名の、デーメーテール女神に愛された男であって、大きな星座のほうは熊ではなく車——牛に牽かせている犂もしくは穀物を載せた車——と見られることになる。

jeudi 25 août 2022

伝エラトステネス『星座論』(2) りゅう座・ヘルクレス座・かんむり座

伝エラトステネス『星座論』摘要 Epitome Catasterismorum の翻訳。この記事では 3. りゅう座、4. ヘルクレス座、5. かんむり座の 3 章を扱う。

目次リンク:第 1 回を参照のこと。


3. Δράκων〔りゅう座〕


Οὗτός ἐστιν ὁ μέγας τε καὶ δι’ ἀμφοτέρων τῶν Ἄρκτων κείμενος. λέγεται δὲ εἶναι ὁ τὰ χρύσεα μῆλα φυλάσσων, ὑπὸ δὲ Ἡρακλέους ἀναιρεθείς, ᾧ καὶ ἐν τοῖς ἄστροις τάξις ἐδόθη δι’ Ἥραν, ἣ κατέστησεν αὐτὸν ἐπὶ Ἑσπέρας, φύλακα τῶν μήλων.

Φερεκύδης γάρ φησιν, ὅτε ἐγαμεῖτο ἡ Ἥρα ὑπὸ Διὸς, φερόντων αὐτῇ τῶν θεῶν δῶρα, τὴν Γὴν ἐλθεῖν φέρουσαν τὰ χρύσεα μῆλα· ἰδοῦσαν δὲ τὴν Ἥραν θαυμάσαι, καὶ εἰπεῖν καταφυτεῦσαι εἰς τὸν τῶν θεῶν κῆπον, ὃς ἦν παρὰ τῷ Ἄτλαντι. ὑπὸ δὲ τῶν ἐκείνου παρθένων ἀεὶ ὑφαιρουμένων τῶν μήλων, κατέστησε φύλακα τὸν ὄφιν, ὑπερμεγέθη ὄντα.

Μέγιστον δὲ ἔχει σημεῖον· ἐπίκειται δὲ αὐτῷ Ἡρακλέους εἴδωλον, ὑπόμνημα τοῦ ἀγῶνος, Διὸς θέντος, ἐναργέστατον τῇ σχηματοποιΐᾳ.

これは大きな (蛇) で、両熊〔=おおぐま座とこぐま座〕のあいだに横たわっている。黄金の林檎 (複数形) を守る者で、ヘーラクレースによって殺されたと言われている。これに対して星々のあいだに座がヘーラーにより与えられた。彼女はこの者をヘスペラー〔=ヘスペリデスの園〕における林檎の守護者に任命した。

というのはペレキューデースの伝えでは、ヘーラーがゼウスに嫁するとき、彼女のため神々がさまざまの贈り物をもってきたのだが、ゲー [ガイア] は黄金の林檎をもってやってきた。それを見てヘーラーは感嘆し、アトラースのそばにあった神々の園に植えることを命じたという。ところがこの男〔=アトラース〕の娘たちによって絶えずその林檎が奪われるものだから、はなはだ強大なるこの蛇を番人として任命したのだ。

また (この星座には) 最大の目印がある。これの上にはヘーラクレースの肖像〔=ヘルクレス座〕が据えられているが、それは (ヘーラクレースと竜との) 戦いについてのきわめて目立つ記念として、ゼウスがその形に配して置いたのである。

アルマ師の仏訳では最後の段落 (「また最大の目印〜」以下すべて) がすっぽり抜け落ちており、ただちに星々の数についての説明 (拙訳では省略) に飛んでいる。ハードによる英訳にもこの段落は欠けている。それゆえ私としてもこれは天文の分野として省くか迷ったのだが、ゼウスの意図を語るという点では神話に属するとも見られるので含めることとした。

これと次の 4. ヘルクレス座の話は、有名なヘーラクレースの 12 功業の第 11、ヘスペリデスの園から黄金の林檎を首尾よく手に入れることに言及しているわけだが、そのもっとも一般的な筋では、英雄はプロメーテウスの入れ知恵によってアトラースを謀って自分のかわりに林檎をとってこさせるのであって、自身は園まで行っていないし竜と戦ってもいない。とはいえ異説の 1 つとしてそういうものがあったことはアポロドーロスも報告している。


4. Ὁ ἐν γόνασιν〔ひざまずく男=ヘルクレス座〕


Οὗτος, φασίν, Ἡρακλῆς ἐστιν ὁ ἐπὶ τοῦ Ὄφεως βεβηκώς. ἐναργῶς δὲ ἕστηκε τό τε ῥόπαλον ἀνατετακώς, καὶ τὴν λεοντῆν περιειλημμένος. λέγεται δέ, ὅτε ἐπὶ τὰ χρύσεα μῆλα ἐπορεύθη, τὸν ὄφιν τὸν τεταγμένον φύλακα ἀνελεῖν. ἦν δὲ ὑπὸ Ἥρας δι’ αὐτὸ τοῦτο τεταγμένος, ὅπως ἀνταγωνίζηται τῷ Ἡρακλεῖ. ὅθεν ἐπιτελεσθέντος τοὺ ἔργου μετὰ κινδύνου, ἄξιον ὁ Ζεὺς κρίνας τὸν ἆθλον μνήμης, ἐν τοῖς ἄστροις ἔθηκε τὸ εἴδωλον.

Ἔστι δὲ ὁ μὲν ὄφις μετέωρον ἔχων τὴν κεφαλήν, ὁ δ’ ἐπιβεβηκὼς αὐτῷ, τεθεικὼς τὸ ἓν γόνυ, τῷ δ’ ἑτέρῳ ποδὶ ἐπὶ τὴν κεφαλὴν ἐπιβαίνων, τὴν δὲ δεξιὰν χεῖρα ἐκτείνων, ἐν ᾗ τὸ ῥόπαλον ὡς παίσων, τῇ δ’ εὐωνύμῳ χειρὶ τὴν λεοντῆν περιβεβλημένος.

これは蛇〔=りゅう座〕の上に立っている [踏みつけている] ヘーラクレースであると言われている。見たところ彼は自分の棍棒を振りあげて、獅子の毛皮を身にまとって立っている。そして黄金の林檎をめぐって争われたとき、(ヘーラクレースは) 番人として配されていた蛇を殺したと言われている。(この蛇が) ヘーラーによって配されていたのは、ヘーラクレースの敵役を演じるようにという、まさにそのことのためであった。それゆえに、(ヘーラクレースの竜退治という) 危難を伴う仕事が完遂されたとき、ゼウスはこの争闘を記憶に値すると判定して、天井にその絵姿を置いたのだ。

蛇のほうは頭をもたげているが、(ヘーラクレースは) これの上に立っており、一方の膝をつき、もう一方の足でもってその頭を踏みつけて、右の手を振りかざし、その手のなかにはまさに殴らんとして棍棒をもっている。そして吉兆の手〔=左手〕には獅子の毛皮を巻きつけている。

第 2 文頭 ἐναργῶς「見たところ、見るからに」を、サントーニは (カール・ロバートに従って) ἐν ἀγῶνι「戦闘中で」と読んでいるが、これは採用する必要を感じない。

ἀνταγωνίζηται は接続法現在中動態。この点サントーニのテクストは ἀνταγωνίσηται としており、こちらは接続法アオリスト中動態。われわれはどちらをとるべきかというと、少なくとも古典語としてはどちらもおかしいと言わざるを得ない。というのはここは ὅπως の導く目的節であるが、主文は ἦν という未完了過去で——あるいは ἦν ... τεταγμένος で過去完了受動態の迂言形 (それは 3 複以外にも使われえた) と数えることもできるが、どちらにせよ——副時称であるから、目的節は希求法というのが正用のはずである。したがってこの文は希求法が廃れつつある時期の証言なのであろうが、結局最初のどちらをとるべきかという問題については決定打がない。相としてはどちらも一理あり、ヘーラーの意図の描きかたの違いにすぎないし、その区別を日本語訳にうまく反映するのは難しい。


5. Στέφανος〔かんむり座〕


Οὗτος λέγεται ὁ τῆς Ἀριάδνης. Διόνυσος δὲ αὐτὸν εἰς τὰ ἄστρα ἔθηκεν, ὅτε τοὺς γάμους οἱ θεοὶ ἐν τῇ καλουμένῃ Δίᾳ ἐποίησαν· ᾧ πρώτῳ ἡ νύμφη ἐστεφανώσατο παρὰ Ὡρῶν λαβοῦσα καὶ Ἀφροδίτης.

Ἡφαίστου δὲ ἔργον εἶναί φασιν, ἐκ χρυσοῦ πυρώδους καὶ λίθων Ἰνδικῶν. ἱστορεῖται δὲ καὶ διὰ τούτου τὸν Θησέα σεσῶσθαι ἐκ τοῦ λαβυρίνθου, φέγγος ποιοῦντος. φασὶ καὶ τὸν πλόκαμον ταύτης εἶναι τὸν φαινόμενον ἐπὶ τῆς κέρκου τοῦ Λέοντος.

これはアリアドネーの (冠) であると言われている。ディオニューソスがこれを星々のなかへ置いた。それは神々がディーアーという名の (島) で婚儀を行ったときのことで、この (複数の婚儀の) 最初に、このニュンペー〔=アリアドネー〕がホーライ [季節女神たち] とアプロディーテーとから授けられて得た (のがこの冠である)。

それはヘーパイストスの作品であって、燃えるような黄金とインドの (宝) 石とからできていると言われている。またさらに、かのテーセウスが迷宮から救われたのは光を放つこれによってだった、とも語られている。また獅子〔=しし座〕の尾の上に見えるものは彼女の髪の房だとも言われている。

テクストに混乱があるように思われる。まず第 1 段落、アルマ版のギリシア語本文ではディオニューソスが αὐτὴν「彼女を」星座としたと訳さざるをえないのであるが、「冠を」だとすれば αὐτὸν と改めるべきである。これはたんなる誤植と思われ、かんむり座の話であるし星座の形からしても当然こう見るべきであろう。仏訳はおまけに島の名を勝手にデーロス島に変更しているのであるが、べつの島である。

また最後の「獅子の尾の上に」という箇所の前置詞 ἐπὶ「〜の上に」をサントーニは ὑπὸ「〜の下に」と改めている。ハードの英訳も below the Lion’s tail だし、そもそもアルマ師にしてからがなぜか右欄の仏訳のほうだけ sous としている。この髪の房というのは、当時まだ独立した星座と数えられていなかったかみのけ座のことを指すらしいが、それがしし座の尾より上なのか下なのか、天文学 (史) に無知な私には判断がつかない。かみのけ座については 12. しし座の項に別伝もあるのであわせて参照されたい。

神話の内容としても不可解な点がある。第 1 段落を読むとこの冠は、ディオニューソスとアリアドネーとの結婚のさいの贈り物と読めるが、通常の筋によればテーセウスとの出会いはそれ以前のこと——彼女はまずテーセウスと結ばれたがナクソス島 (ディーアー島はこれの別名と言われる) に置き去りにされ、そこをディオニューソス神が見初める——であって、冠によってこの英雄がミーノータウロスの迷宮から助かったというのは矛盾している。古代の人はこういう矛盾をあまり気にしなかったらしい。

mercredi 24 août 2022

伝エラトステネス『星座論』(1) おおぐま座・こぐま座

伝エラトステネス『星座論』Καταστερισμοί 摘要は、前 3 世紀の学者キュレネのエラトステネスの著作を後代の誰かが要約したもので、古代ギリシア語で書かれた当時の星座の起源を伝える重要文献であるが、いまだ日本語訳は刊行されていない。これを少しばかり訳してみようというのが今回の記事である。このページでは 1. おおぐま座と 2. こぐま座を扱う。



Web 上にはいちおう竹迫忍氏のサイトに紹介があり、日本語ではそれが唯一の先行訳ということになるが、難なしとしない。それは L’Abbé Nicolas Halma (ニコラ・アルマ師、カトリック司祭・天文学史家、1755–1828) による昔の仏訳 (1821 年) を、これまた古い機械翻訳ソフト (1993 年版) に英訳させたものをもとにご自身で日本語訳されたということで、要するに重々訳というわけである。仏訳はおおむねちゃんとしたものであるがよくよく検討するとところどころ誤訳や訳し抜けがある。また 30 年まえの翻訳ソフトによる英訳の質は推して知るべしで、誤訳どころかごく初歩的な取り違えが山ほどある。そしてその結果英文として成り立っていないものを日本語にしようというのであるから、どうしても勘違いや想像による補完によってさらに改変が加わる。この三重のフィルタによって翻訳結果にはかなり奇妙な部分や間違いが多くなってしまっている。

「エラトステネス 星座」などでググってみるとそれがトップに来る、この現状をそのままにはしておれないというのが私の動機であって、ギリシア語から直接訳しここに掲載するものである。あわせてギリシア語の学習者に役立つよう、また私の翻訳の当否を検証しやすいよう、原文を翻刻して併載した。このテクストは原則として下記の底本のとおりとし、句読点まで忠実に再現したが、スティグマは一貫して στ の 2 文字に改めたほか、ときに大文字小文字を変更したりアクセントを修正したりした。また若干数、後掲のサントーニのテクストを参照し、そちらの読みを採用したり改行を加えたりした箇所がある。

底本は竹迫氏の用いたのと同じアルマ版のギリシア語テクスト——それは Google Books やフランス国立図書館でデジタイズされており、こちらのサイトにまとまっている——を使ったが、近年のサントーニの希伊対訳本 (Anna Santoni, Epitome dei Catasterismi, 2009) をも適宜参考にした (これに依存した部分については以下で逐一断る)。最新・最良の刊本はビュデ版の Jordi Pàmias i Massana et Arnaud Zucker, Catastérismes, 2013 のようだが、これは閲覧できていない。

なお、テクストのうち各章の最後の数行は省略することをお断りしておく。それは各星座を構成する星々の数と形を列挙した部分であって、私はギリシア神話には強い関心をもっているが天文には残念ながらいまのところ興味がないためである。Oxford World’s Classics シリーズに収められた Robin Hard による最新の英訳 Constellation Myths, 2015 においても当該部分は省かれており、あまり重要でないと判断するのは私だけではないらしい。


1. Ἄρκτος ἡ μεγάλη〔おおぐま座〕


Ταύτην Ἡσίοδός φησι Λυκάονος θυγατέρα ἐν Ἀρκαδίᾳ οἰκεῖν, ἑλέσθαι δὲ μετὰ Ἀρτέμιδος τὴν περὶ τὰς θήρας ἀγωγὴν ἐν τοῖς ὄρεσι ποιεῖσθαι, φθαρεῖσάν τε ὑπὸ Διὸς ἐμμεῖναι λανθάνουσαν τὴν θεόν. φωραθῆναι δὲ ὕστερον, ἐπίτοκον ἤδη οὖσαν, ὀφθεῖσαν ὑπ’ αὐτῆς λουομένην. ἐφ’ ᾧ ὀργισθεῖσαν τὴν θεὸν ἀποθηριῶσαι αὐτήν, καὶ οὕτως τεκεῖν, ἄρκτον γενομένην, τὸν κληθέντα Ἀρκάδα.

Οὖσαν δ’ ἐν τῷ ὄρει θηρευθῆναι ὑπὸ αἰπόλων τινῶν, καὶ παραδοθῆναι μετὰ τοῦ βρέφους τῷ Λυκάονι. μετὰ χρόνον δέ τινα δόξαι εἰσελθεῖν εἰς τὸ τοῦ Διὸς ἄβατον ἱερὸν ἀγνοήσασαν τὸν νόμον· ὑπὸ δὲ τοῦ ἰδίου υἱοῦ διωκομένην καὶ τῶν Ἀρκάδων, καὶ ἀναιρεῖσθαι μέλλουσαν διὰ τὸν εἰρημένον νόμον, ὁ Ζεὺς διὰ τὴν συγγένειαν αὐτὴν ἐξείλετο, καὶ ἐν τοῖς ἄστροις αὐτὴν ἔθηκεν. Ἄρκτον δὲ αὐτὴν ὠνόμασε διὰ τὸ συμβεβηκὸς αὐτῇ σύμπτωμα.

第 1 段落ではアルマ版の ἐπὶ τόκου をサントーニのテクストに従い 1 語の形容詞 ἐπίτοκον と読んだ。

ヘーシオドスの伝えでは、彼女〔=おおぐま座となるカリストー〕はリュカーオーンの娘でアルカディアーに住んでいたが、アルテミスとともに山々で狩りに携わる暮らしを行うことを選んだ。彼女はゼウスによって傷つけられた〔=犯された〕ものの、女神〔=アルテミス〕には知られずにともに過ごしていた。ところがのちに、入浴しているときに彼女〔=アルテミス〕に見られて、すでに出産間際であることを見破られた。これを知って女神は怒り、彼女を獣に変えてしまった。こうして熊 [アルクトス] となった彼女は、アルカスと呼ばれる息子を生む。

さて彼女は山中でさる山羊飼いたちによって捕らえられてしまい、幼子とともにリュカーオーンに引き渡されたという。いくばくかして彼女は、ゼウスの不可侵の神殿に入りこむことを思いついたが、(それを禁じる) 法を知らなかったためである。彼女は自分の息子とアルカディアー人たちとによって追われ、先述の法によってあわや殺されるところであったが、ゼウスは家族関係のゆえに彼女を救ったうえ、星々のなかに彼女を据えた。そして彼女に降りかかった (熊に変えられたという) 災難のゆえに、熊〔=おおぐま座〕と彼女を名づけたのだ。

周知のとおりアルテミスは処女神であり、自分に従う者たちにも男女問わず貞潔なることを求めた。息子の名アルカスとは「アルカディアー人」の意で、彼は始祖としてこの氏族に名を与えており、この話は一族の起源を語る縁起譚をなしている。息子の彼がこぐま座となったとする説もあるが、次の章で見るとおりエラトステネースは明らかにこれをとっていない。

なお、アルマ師の仏訳では「そして彼女に降りかかった〜」という最後の一文が欠落している。


2. Ἄρκτος ἡ μικρά〔こぐま座〕


Αὕτη ἐστὶν ἡ μικρὰ καλουμένη, προσηγορεύθη δὲ ὑπὸ τῶν πλείστων Φοινίκη, ἐτιμήθη δὲ ὑπὸ τῆς Ἀρτέμιδος· γνοῦσα δὲ ὅτι ὁ Ζεὺς αὐτὴν ἔφθειρεν, ἠγρίωσεν αὐτήν· ὕστερον δὲ σεσωσμένῃ λέγεται δόξαν αὐτῇ περιθεῖναι, ἀντιθεῖσαν ἕτερον εἴδωλον ἐν τοῖς ἄστροις, ὥστε δισσὰς ἔχειν τιμάς.

Ἀγλαοσθένης δὲ ἐν τοῖς Ναξιοῖς φησι τροφὸν γενέσθαι τοῦ Διὸς Κυνόσουραν, εἶναι δὲ μίαν τῶν Ἰδαίων νυμφῶν, ἀφ’ ἧς ἐν μὲν τῇ πόλει τῇ καλουμένῃ Ἱστοῖς τοὔνομα τοῦτο ἦν, ἣν οἱ περὶ Νικόστρατον ἔκτισαν, καὶ τὸν ἐν αὐτῇ λιμένα, καὶ τὸν ἐπ’ αὐτῇ τόπον Κυνόσουραν κληθῆναι. Ἄρατος δὲ αὐτὴν καλεῖ Ἑλίκην, ἐκ Κρήτης οὖσαν, γενέσθαι δὲ Διὸς τροφόν, καὶ διὰ τοῦτο ἐν οὐρανοῖς τιμῆς ἀξιωθῆναι.

小〔=こぐま座〕と呼ばれているその当のものであるが、ほとんどの人からはポイニーケー [フェニキア] と呼ばれた。アルテミスからは尊重されたが、ゼウスが彼女〔=ポイニーケー〕を傷つけたことを知ると、(アルテミスは) 彼女を野獣としてしまった。だがのちには (アルテミスは) 救われた彼女に名声を授け、星々のなかに (ポイニーケーの) もう 1 つの肖像を配して 2 倍の尊敬を得られるようにしてやった、と言われている。

アグラオステネースがその (著書)『ナクシオイ [ナクソス島について]』のなかで言うところでは、(この星座は) ゼウスの乳母キュノスーラで、イーデー山のニュンペー [ニンフ] たちのうちの 1 人である。ヒストイと呼ばれている町では彼女〔=キュノスーラ〕にちなんで名前がそうであった。これはニコストラトスを取り巻く人々が建設した町で、そこでは港も周囲の土地もキュノスーラと呼ばれたという。他方アラートスはこれをヘリケーと呼んでおり、クレーテー [クレタ] 島出身でゼウスの乳母となった、そのことのゆえに天上における名誉にふさわしいとされたのだとしている。

タイトルの ἡ μικρά という女性形からもわかるのであるが、エラトステネースはこの熊をメス (女性) とみなしており、本文の説明のとおりそのもととなった女性としてポイニーケー、キュノスーラ、ヘリケーという 3 名の候補を挙げている。おおぐま座のカリストーの息子アルカスは 8. で見るうしかい座になったと考えられている。つまりこの場合「こぐま」とは、おおぐま座の親熊が産んだ子供の「仔熊」ではなく、たんに大きさが小さいという「小熊」だということになる。

アルマ師の仏訳が誤訳しているのだが、おおぐま座と違ってこちらの場合、天に上げて名声を授けたのはゼウスでなくアルテミスである。それは ἀντιθεῖσαν というアオリスト能動分詞の女性対格によってわかるのである (主語がゼウスなら ἀντιθέντα でないといけない)。

第 2 段落で τοὔνομα τοῦτο ἦν「名前がそうであった」は削除したほうが文がスムーズに思われる (サントーニ版では角括弧 [·] に入れられている)。キュノスーラにちなんでそう呼ばれているのは港と周囲の土地であって、ヒストイという町の名のほうはどう関係があるのかわからない。