samedi 27 août 2022

伝エラトステネス『星座論』(4) おとめ座・ふたご座・かに座

伝エラトステネス『星座論』摘要 Epitome Catasterismorum の翻訳。この記事では 9. おとめ座、10. ふたご座、11. かに座の 3 章を扱う。

目次リンク:第 1 回を参照のこと。


9. Παρθένος〔おとめ座〕


Ταύτην Ἡσίοδος ἐν Θεογονίᾳ εἴρηκε θυγατέρα Διὸς καὶ Θέμιδος, καλεῖσθαι δὲ αὐτὴν Δίκην. λέγει δὲ καὶ Ἄρατος, παρὰ τούτου λαβὼν τὴν ἱστορίαν, ὡς οὖσα πρότερον ἀθάνατος, καὶ ἐπὶ τῆς γῆς σὺν τοῖς ἀνθρώποις ἦν, καὶ ὅτι Δίκην αὐτὴν ἐκάλουν. μεταστάντων δὲ αὐτῶν, καὶ μηκέτι τὸ δίκαιον συντηρούντων, οὐκέτι σὺν αὐτοῖς ἦν, ἀλλ’ εἰς τὰ ὄρη ὑπεχώρει, εἴτα στάσεων καὶ πολέμων αὐτοῖς ὄντων, διὰ τὴν παντελῆ αὐτῶν ἀδικίαν, ἀπομισήσασαν εἰς τὸν οὐρανὸν ἀνελθεῖν.

Λέγονται δὲ καὶ ἕτεροι λόγοι περὶ αὐτῆς πλεῖστοι. οἱ μὲν γὰρ αὐτήν φασιν εἶναι Δήμητραν, διὰ τὸ ἔχειν στάχυν, οἱ δὲ Ἶσιν· οἱ δὲ Ἀταργάτιν· οἱ δὲ Τύχην, διὸ καὶ ἀκέφαλον αὐτὴν σχηματίζουσιν.

ヘーシオドスは『神統記』中で彼女を、ゼウスとテミスの娘でディケー [正義] という名だと言っている。またアラートスも彼〔=ヘーシオドス〕からの伝えをとって、彼女は当初は不死〔=女神〕であって地上で人間たちとともにいて、(人間たちは) 彼女をディケーと呼んでいた、と言っている。彼らが変節してしまい、もはや正しきを堅持しないようになると、(ディケーは) もはや彼らとともにはいなくなり、山中へと引っこんでいった。やがて彼らのまったき不正義のゆえに、内乱や戦争が彼らのあいだに起こると、これを憎んだ彼女は天へと上り去ったという。

また彼女については異なる説もたくさん言われている。すなわちある人々は (これが) 穀物の穂をもっているがゆえにデーメーテールであると言い、またある人々はイーシスと、またある人々はアタルガティスと、またある人々はテュケーであるとして、それゆえに彼女を頭のない形に見立てている。

デーメーテールはギリシアの、イーシスはエジプトの、アタルガティス (別名デルケトー) はシリアの女神で、いずれも豊穣を司る大女神である。「穀物の穂」と訳した στάχυς にはスピカ (おとめ座 α 星) の意味もあり、この星を指して言っているものに相違ない。テュケーは運の擬人化された女神であるが、「頭がない」という描像は比較的新しいようだ:「彼女はヘレニズム時代まではまだ抽象名詞的で,十分には人格化されなかった.この時代に彼女は量るべからざる《運》の女神となり,ときに盲目の姿で表わされ,崇拝された」(高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』)。


10. Δίδυμοι〔ふたご座〕


Οὗτοι λέγονται Διόσκουροι εἶναι· ἐν δὲ τῇ Λακωνικῇ τραφέντες ἐπιφάνειαν ἔσχον, φιλαδελφίᾳ δὲ ὑπερήνεγκαν πάντας. οὔτε γὰρ περὶ ἀρχῆς, οὔτε περὶ ἄλλου τινὸς ἤρισαν. μνήμην δὲ αὐτῶν Ζεὺς θέσθαι βουλόμενος τῆς κοινότητος, Διδύμους ὀνομάσας, εἰς τὸ αὐτὸ ἀμφοτέρους ἔστησεν ἐν τοῖς ἄστροις.

彼らはディオスクーロイだと言われている。彼らはラコーニアー [スパルタ] で育てられ名声を得た。兄弟愛にかけてはあらゆる人々をしのいだ。(兄弟のどちらが上かという) 主導権についても、ほかの何事についても争わなかった。そこでゼウスは彼らの連帯を記念せんと欲して、双子〔=ふたご座〕と命名し、両人を星々のなかの同じ場所に立たせたのだ。

ディオスクーロイとは文字どおりには「ゼウスの息子たち」の意で、大神がスパルタ王妃レーダーに生ませたカストールとポリュデウケース [ポルックス] の兄弟を指す。もっともカストールのほうは人間の子で父親は正式な夫のテュンダレオースであるとする伝えが現在周知であろうが、エラトステネースは明らかにこの解釈をとっていない (片方だけがゼウスの子となればどうしたって差はつくであろうから;それは同様の関係にあるヘーラクレースとイーピクレースの場合に顕著である)。


11. Καρκίνος, Ὄνοι καὶ Φάτνη〔蟹と驢馬と飼い葉桶=かに座〕


Οὗτος δοκεῖ ἐν τοῖς ἄστροις τεθῆναι δι’ Ἥραν, ὅτι μόνος, Ἡρακλεῖ τῶν ἄλλων συμμαχούντων, ὅτε τὴν Ὕδραν ἀνῄρει, ἐκ τῆς λίμνης ἐκπηδήσας ἔδακεν αὐτοῦ τὸν πόδα, καθάπερ φησὶ Πανύασις ἐν Ἡρακλείᾳ. Θυμωθεὶς δ’ ὁ Ἡρακλῆς δοκεῖ τῷ ποδὶ συνθλάσαι αὐτόν· ὅθεν μεγάλης τιμῆς τετύχηκε καταριθμούμενος ἐν τοῖς ιβʹ ζωδίοις.

Καλοῦνται δέ τινες αὐτῶν ἀστέρες ὄνοι, οὓς Διόνυσος ἀνήγαγεν εἰς τὰ ἄστρα· ἔστι δὲ αὐτοῖς καὶ φάτνη παράσημον· ἡ δὲ τούτων ἱστορία αὕτη.

Ὅτε ἐπὶ Γίγαντας ἐστρατεύοντο οἱ θεοί, λέγεται Διόνυσον καὶ Ἥφαιστον καὶ Σατύρους ἐπὶ ὄνων πορεύεσθαι. οὔπω δὲ ὁρωμένων αὐτοῖς τῶν Γιγάντων, πλησίον ὄντες ὠγκήθησαν οἱ ὄνοι· οἱ δὲ Γίγαντες ἀκούσαντες τῆς φωνῆς ἔφυγον· διὸ ἐτιμήθησαν ἐν τῷ Καρκίνῳ εἶναι ἐπὶ δυσμάς.

Ἔχει δὲ ὁ Καρκίνος ἐπὶ τοῦ ὀστράκου ἀστέρας λαμπροὺς βʹ· οὗτοί εἰσιν οἱ ὄνοι. τὸ δὲ νεφέλιόν ἐστιν ἡ ἐν αὐτῷ ὁρωμένη φάτνη, παρ’ ᾗ δοκοῦσιν ἑστάναι.

これはヘーラーによって星々のあいだに置かれたと思われる。というのはこれは、(ヘーラクレースが) ヒュドラーを退治しようとしていたとき、ほかの者たちはヘーラクレースに加勢したのに、(蟹だけが) ただひとり沼から飛び出して彼の足に咬みついたのだと、たしかにそのとおりパニュアシスが (叙事詩)『ヘーラクレイア』のなかで言っている。だが赫怒したヘーラクレースは足でこれを踏み砕いたらしい。このことから (この蟹は) 大いなる名誉を得て黄道十二宮のなかに数えられているのだ。

この (星座の) なかのいくつかの星々は驢馬と呼ばれており、これはディオニューソスが星々のなかに上げたものだ。そこには飼い葉桶も目印としてある。これらについての解説は次のとおりである。

巨人たちを相手に神々が戦争していたころ、ディオニューソスとヘーパイストスとサテュロスたちとが、驢馬に乗って出ていったと言われている。まだ彼らのことを巨人たちが見つけていないうちに、近づいていた驢馬たちが嘶きを上げた。すると巨人たちはその声を聞いて逃げた。このために彼ら〔=驢馬たち〕は蟹〔=かに座〕のなかの西側にいる栄誉を受けたのである。

この蟹は甲殻の上に明るい星を 2 つもっている。これらが驢馬たちである。また星雲はそれ〔=かに座〕のなかに見えている飼い葉桶であり、それのそばにそれら〔=驢馬たち〕は立っているように見える。

冒頭、蟹を天上に上げたのがヘーラーであると述べているのは、彼女がこの蟹をヘーラクレースの試練への妨害として遣わしたという伝承を反映しているであろう。ハリカルナッソスのパニュアシスは前 5 世紀の叙事詩人で、『ヘーラクレイア』はわずかな断片しか残されていない。

最後の一文「また星雲は〜」は少々話が不自然である。むしろ「またそれのなかに見えている星雲は飼い葉桶であり」と読むために、修飾語の位置・語形を変えて τὸ δὲ ἐν αὐτῷ ὁρώμενον νεφέλιόν ἐστιν φάτνη と直したい。もとのギリシア語テクストでは「それのなかに見えている」は「飼い葉桶」にかけざるをえないのであるが、サントーニの希伊対訳本ではギリシア語はもとのままにしながらなぜかイタリア語訳のみ「星雲」にかけるよう読みかえている:«L’ammasso nebuloso visibile al centro del Cancro è la Mangiatoia»。なおハードの英訳ではこの段落は省かれている;星座の形の説明だからであろうが、ここがないと第 2 段落の「飼い葉桶」が意味不明になりかねないので本稿ではあえて訳出した。

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