jeudi 25 août 2022

伝エラトステネス『星座論』(2) りゅう座・ヘルクレス座・かんむり座

伝エラトステネス『星座論』摘要 Epitome Catasterismorum の翻訳。この記事では 3. りゅう座、4. ヘルクレス座、5. かんむり座の 3 章を扱う。

目次リンク:第 1 回を参照のこと。


3. Δράκων〔りゅう座〕


Οὗτός ἐστιν ὁ μέγας τε καὶ δι’ ἀμφοτέρων τῶν Ἄρκτων κείμενος. λέγεται δὲ εἶναι ὁ τὰ χρύσεα μῆλα φυλάσσων, ὑπὸ δὲ Ἡρακλέους ἀναιρεθείς, ᾧ καὶ ἐν τοῖς ἄστροις τάξις ἐδόθη δι’ Ἥραν, ἣ κατέστησεν αὐτὸν ἐπὶ Ἑσπέρας, φύλακα τῶν μήλων.

Φερεκύδης γάρ φησιν, ὅτε ἐγαμεῖτο ἡ Ἥρα ὑπὸ Διὸς, φερόντων αὐτῇ τῶν θεῶν δῶρα, τὴν Γὴν ἐλθεῖν φέρουσαν τὰ χρύσεα μῆλα· ἰδοῦσαν δὲ τὴν Ἥραν θαυμάσαι, καὶ εἰπεῖν καταφυτεῦσαι εἰς τὸν τῶν θεῶν κῆπον, ὃς ἦν παρὰ τῷ Ἄτλαντι. ὑπὸ δὲ τῶν ἐκείνου παρθένων ἀεὶ ὑφαιρουμένων τῶν μήλων, κατέστησε φύλακα τὸν ὄφιν, ὑπερμεγέθη ὄντα.

Μέγιστον δὲ ἔχει σημεῖον· ἐπίκειται δὲ αὐτῷ Ἡρακλέους εἴδωλον, ὑπόμνημα τοῦ ἀγῶνος, Διὸς θέντος, ἐναργέστατον τῇ σχηματοποιΐᾳ.

これは大きな (蛇) で、両熊〔=おおぐま座とこぐま座〕のあいだに横たわっている。黄金の林檎 (複数形) を守る者で、ヘーラクレースによって殺されたと言われている。これに対して星々のあいだに座がヘーラーにより与えられた。彼女はこの者をヘスペラー〔=ヘスペリデスの園〕における林檎の守護者に任命した。

というのはペレキューデースの伝えでは、ヘーラーがゼウスに嫁するとき、彼女のため神々がさまざまの贈り物をもってきたのだが、ゲー [ガイア] は黄金の林檎をもってやってきた。それを見てヘーラーは感嘆し、アトラースのそばにあった神々の園に植えることを命じたという。ところがこの男〔=アトラース〕の娘たちによって絶えずその林檎が奪われるものだから、はなはだ強大なるこの蛇を番人として任命したのだ。

また (この星座には) 最大の目印がある。これの上にはヘーラクレースの肖像〔=ヘルクレス座〕が据えられているが、それは (ヘーラクレースと竜との) 戦いについてのきわめて目立つ記念として、ゼウスがその形に配して置いたのである。

アルマ師の仏訳では最後の段落 (「また最大の目印〜」以下すべて) がすっぽり抜け落ちており、ただちに星々の数についての説明 (拙訳では省略) に飛んでいる。ハードによる英訳にもこの段落は欠けている。それゆえ私としてもこれは天文の分野として省くか迷ったのだが、ゼウスの意図を語るという点では神話に属するとも見られるので含めることとした。

これと次の 4. ヘルクレス座の話は、有名なヘーラクレースの 12 功業の第 11、ヘスペリデスの園から黄金の林檎を首尾よく手に入れることに言及しているわけだが、そのもっとも一般的な筋では、英雄はプロメーテウスの入れ知恵によってアトラースを謀って自分のかわりに林檎をとってこさせるのであって、自身は園まで行っていないし竜と戦ってもいない。とはいえ異説の 1 つとしてそういうものがあったことはアポロドーロスも報告している。


4. Ὁ ἐν γόνασιν〔ひざまずく男=ヘルクレス座〕


Οὗτος, φασίν, Ἡρακλῆς ἐστιν ὁ ἐπὶ τοῦ Ὄφεως βεβηκώς. ἐναργῶς δὲ ἕστηκε τό τε ῥόπαλον ἀνατετακώς, καὶ τὴν λεοντῆν περιειλημμένος. λέγεται δέ, ὅτε ἐπὶ τὰ χρύσεα μῆλα ἐπορεύθη, τὸν ὄφιν τὸν τεταγμένον φύλακα ἀνελεῖν. ἦν δὲ ὑπὸ Ἥρας δι’ αὐτὸ τοῦτο τεταγμένος, ὅπως ἀνταγωνίζηται τῷ Ἡρακλεῖ. ὅθεν ἐπιτελεσθέντος τοὺ ἔργου μετὰ κινδύνου, ἄξιον ὁ Ζεὺς κρίνας τὸν ἆθλον μνήμης, ἐν τοῖς ἄστροις ἔθηκε τὸ εἴδωλον.

Ἔστι δὲ ὁ μὲν ὄφις μετέωρον ἔχων τὴν κεφαλήν, ὁ δ’ ἐπιβεβηκὼς αὐτῷ, τεθεικὼς τὸ ἓν γόνυ, τῷ δ’ ἑτέρῳ ποδὶ ἐπὶ τὴν κεφαλὴν ἐπιβαίνων, τὴν δὲ δεξιὰν χεῖρα ἐκτείνων, ἐν ᾗ τὸ ῥόπαλον ὡς παίσων, τῇ δ’ εὐωνύμῳ χειρὶ τὴν λεοντῆν περιβεβλημένος.

これは蛇〔=りゅう座〕の上に立っている [踏みつけている] ヘーラクレースであると言われている。見たところ彼は自分の棍棒を振りあげて、獅子の毛皮を身にまとって立っている。そして黄金の林檎をめぐって争われたとき、(ヘーラクレースは) 番人として配されていた蛇を殺したと言われている。(この蛇が) ヘーラーによって配されていたのは、ヘーラクレースの敵役を演じるようにという、まさにそのことのためであった。それゆえに、(ヘーラクレースの竜退治という) 危難を伴う仕事が完遂されたとき、ゼウスはこの争闘を記憶に値すると判定して、天井にその絵姿を置いたのだ。

蛇のほうは頭をもたげているが、(ヘーラクレースは) これの上に立っており、一方の膝をつき、もう一方の足でもってその頭を踏みつけて、右の手を振りかざし、その手のなかにはまさに殴らんとして棍棒をもっている。そして吉兆の手〔=左手〕には獅子の毛皮を巻きつけている。

第 2 文頭 ἐναργῶς「見たところ、見るからに」を、サントーニは (カール・ロバートに従って) ἐν ἀγῶνι「戦闘中で」と読んでいるが、これは採用する必要を感じない。

ἀνταγωνίζηται は接続法現在中動態。この点サントーニのテクストは ἀνταγωνίσηται としており、こちらは接続法アオリスト中動態。われわれはどちらをとるべきかというと、少なくとも古典語としてはどちらもおかしいと言わざるを得ない。というのはここは ὅπως の導く目的節であるが、主文は ἦν という未完了過去で——あるいは ἦν ... τεταγμένος で過去完了受動態の迂言形 (それは 3 複以外にも使われえた) と数えることもできるが、どちらにせよ——副時称であるから、目的節は希求法というのが正用のはずである。したがってこの文は希求法が廃れつつある時期の証言なのであろうが、結局最初のどちらをとるべきかという問題については決定打がない。相としてはどちらも一理あり、ヘーラーの意図の描きかたの違いにすぎないし、その区別を日本語訳にうまく反映するのは難しい。


5. Στέφανος〔かんむり座〕


Οὗτος λέγεται ὁ τῆς Ἀριάδνης. Διόνυσος δὲ αὐτὸν εἰς τὰ ἄστρα ἔθηκεν, ὅτε τοὺς γάμους οἱ θεοὶ ἐν τῇ καλουμένῃ Δίᾳ ἐποίησαν· ᾧ πρώτῳ ἡ νύμφη ἐστεφανώσατο παρὰ Ὡρῶν λαβοῦσα καὶ Ἀφροδίτης.

Ἡφαίστου δὲ ἔργον εἶναί φασιν, ἐκ χρυσοῦ πυρώδους καὶ λίθων Ἰνδικῶν. ἱστορεῖται δὲ καὶ διὰ τούτου τὸν Θησέα σεσῶσθαι ἐκ τοῦ λαβυρίνθου, φέγγος ποιοῦντος. φασὶ καὶ τὸν πλόκαμον ταύτης εἶναι τὸν φαινόμενον ἐπὶ τῆς κέρκου τοῦ Λέοντος.

これはアリアドネーの (冠) であると言われている。ディオニューソスがこれを星々のなかへ置いた。それは神々がディーアーという名の (島) で婚儀を行ったときのことで、この (複数の婚儀の) 最初に、このニュンペー〔=アリアドネー〕がホーライ [季節女神たち] とアプロディーテーとから授けられて得た (のがこの冠である)。

それはヘーパイストスの作品であって、燃えるような黄金とインドの (宝) 石とからできていると言われている。またさらに、かのテーセウスが迷宮から救われたのは光を放つこれによってだった、とも語られている。また獅子〔=しし座〕の尾の上に見えるものは彼女の髪の房だとも言われている。

テクストに混乱があるように思われる。まず第 1 段落、アルマ版のギリシア語本文ではディオニューソスが αὐτὴν「彼女を」星座としたと訳さざるをえないのであるが、「冠を」だとすれば αὐτὸν と改めるべきである。これはたんなる誤植と思われ、かんむり座の話であるし星座の形からしても当然こう見るべきであろう。仏訳はおまけに島の名を勝手にデーロス島に変更しているのであるが、べつの島である。

また最後の「獅子の尾の上に」という箇所の前置詞 ἐπὶ「〜の上に」をサントーニは ὑπὸ「〜の下に」と改めている。ハードの英訳も below the Lion’s tail だし、そもそもアルマ師にしてからがなぜか右欄の仏訳のほうだけ sous としている。この髪の房というのは、当時まだ独立した星座と数えられていなかったかみのけ座のことを指すらしいが、それがしし座の尾より上なのか下なのか、天文学 (史) に無知な私には判断がつかない。かみのけ座については 12. しし座の項に別伝もあるのであわせて参照されたい。

神話の内容としても不可解な点がある。第 1 段落を読むとこの冠は、ディオニューソスとアリアドネーとの結婚のさいの贈り物と読めるが、通常の筋によればテーセウスとの出会いはそれ以前のこと——彼女はまずテーセウスと結ばれたがナクソス島 (ディーアー島はこれの別名と言われる) に置き去りにされ、そこをディオニューソス神が見初める——であって、冠によってこの英雄がミーノータウロスの迷宮から助かったというのは矛盾している。古代の人はこういう矛盾をあまり気にしなかったらしい。

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