dimanche 24 octobre 2021

シンオウ神話翻訳集成 (9) ハクタイシティのポケモン像

旧作『ダイヤモンド/パール』における「シンオウ神話」の読みなおしを期して、ここに日本語版と欧米 5 言語版との翻訳比較ならびに考察を試みる。この記事では、ディアルガとパルキアが融合したような「ハクタイシティのポケモン像」に備えつけられている説明文——正確にはその欠けていない全文を記した、『プラチナ』版ギンガトバリビル内のレポートによる——を扱う。


各言語版のテクストは以下のサイトより引用した (各 wiki については、閲覧した版はこの記事時点における最新版)。ただし改行位置などについて細かな改変をとくに断らずに加えた場合がある。またこれまでと違い、すべての言語版のテクストが首尾よく見つかるとは限らないことがあり、今回はフランス語版とスペイン語版を欠いている (もし載せているサイトやプレイ動画などをご存知のかたがいたらコメントでご教示いただきたい)。


日本語版

うみだされし ディアルガ
わたしたちに じかんを あたえる
わらっていても
なみだを ながしていても
おなじ じかんが ながれていく
それは ディアルガの おかげだ
うみだされし パルキア
いくつかの くうかんを つくりだす
いきていても
そうでなくても
おなじ くうかんに たどりつく
それは パルキアの おかげだ
使われている言葉はきわめて平易ではあるが、その言わんとするところを的確に理解することは案外難しい。まず第 1 のディアルガについての文章において、「笑っていても/涙を流していても」という部分は、この 2 つの情動によって感情一般を代表していると考えられる。そしてそれでも「同じ時間が流れていく」ということは、人間 (やポケモン?) の感情とは関わりなしに時間は流れる、つまり時間とは感情を超越したものであるということを言っているであろう。このことはディアルガ (とパルキア) がエムリットたちよりもさきに作られた上位の存在である事実と整合している。同様に、第 2 のパルキアについての文章は、人間やポケモンの命とは無関係に空間が存在しているということを述べていると思われる。

しかしそれにしては「同じ空間にたどりつく」という言いまわしは不可解だ。先行する超越的かつ不動のものとしての空間の存在を言うのであれば、「同じ空間が広がっている」のようにも言うことができるし、そのほうがディアルガの説明文ともきれいに対応する。すなわち「同じ時間が流れていく」の主語は「時間」であるが、「同じ空間にたどりつく」では主語は「空間」ではなくそれを背景として運動する何者かであって、これでは空間のほうは従たる存在になってしまう。

しかも「たどりつく」というのは目的地を必要とする動作であり、いま「同じ空間」はその目的地とされているのだから、この時点で隠れている主体がいるのはその「空間」とは違う場所であることになる。そして文脈上その主体とは「生きている者と生きていない者」と考えるほかない。「生きていない」という意味は曖昧であり、生者と死者 (=もはや生きていない者) を意味しているのか、それとも生物と無生物 (=最初から生きていない者) を指すのかも決めがたい。ただともかくそういう 2 種類に分けられた存在がいるとして、それらが共通にたどりつく「同じ空間」とはどこにあるどういう場所なのか、容易には答えを見いだしがたい。

❀ これが死者だけなら「やぶれたせかい」という単純な答えがありうるが、いまは「生きていても/そうでなくても」かかわりなく行きつく場所が問われているのである。それに「やぶれたせかい」を答えとするには「パルキアのおかげだ」という結びも障害になる。

いま私が提示した 2 点の大きな疑問はかならずしも見当はずれの深読みではなく、それどころか書き手もすでに想定していたと思われる。その証拠に、この文章の 2 行めでパルキアは「いくつかの空間をつくりだす」と言われており、「空間」は複数あることが明瞭である;そのことはディアルガの与える「時間」が唯一の単線的なものと思われるのと対照的なのである。「空間」はいくつも存在し、1 つではあくまでワンオブゼムにすぎないものであり、そのすべての「空間」群を集めてはじめて「時間」と対等なのであろう。これが第 1 の疑問への間接的な答えになる。

そして第 2 の疑問に関連して、空間が複数あるということはまた、生きている者のいる空間と生きていない者の空間、さらにそれらが共通に「たどりつく」ゴールたる第 3 の空間がありうることを保証する。唯一の巨大な「空間」があるのではなく、空間から空間への移動のように語られていることはしたがって矛盾ではない。とはいえそのゴールである「同じ空間」について具体的にその素性を明らかにすることは結局この資料だけからは不可能であろう。


英語版

The creation of DIALGA,
The giver of time...
In laughter, there is tears...
And, likewise it is with time.
The same time flows on.
For it is the blessing of DIALGA.
The birth of PALKIA,
The creator of parallel dimensions...
Alive, yet not alive...
Everything drifts in space...
To arrive in the same universe.
It is the blessing of PALKIA.
時間の施与者ディアルガの創造
笑いのなかに涙がある
さらにまたそれは時間とともにある
同じ時間が流れゆく
それはディアルガの祝福ゆえである
平行多次元の創造者パルキアの誕生
生きていても、生きていなくても
あらゆるものは空間のなかを漂流する
同じ宇宙にたどりつくために
それがパルキアの祝福である
新約聖書の πίστις Χριστοῦ Ἰησοῦ「キリスト・イエスの信」以来 2 千年に及ぶ言語の欠陥であるが、the creation of Dialga「ディアルガの創造」というときの of「の」は——欧米語でも日本語でも——両義的であり、「ディアルガを (誰か=アルセウスが) つくること」という目的語的属格と、「ディアルガが (なにか=時間を) つくること」という主語的属格のいずれにも解しうる。しかし次の「パルキアの誕生」と対応させるなら前者ととるのがここでは妥当だろう。

The birth of Palkia の直後は出典ではピリオドになっているのだが、ディアルガの対応箇所ならびに下のドイツ語版をも参照してコンマに改めた。文脈上これに続く 2 行めは Palkia に同格の説明であると思われるからである (ドイツ語版では dem Schöpfer という 3 格によりそのことが確実)。

ここでパルキアが創造するものは parallel dimensions「平行諸次元」とされており、とくに複数形で言われていることは、私が上で日本語文について指摘した内容の正しさを裏づけている。それでもその dimension「次元」とは何物なのかがよくわかったわけではないが、ただそれらが「平行」する関係にあるという事実は日本語だけからは導きだせないひとつの収穫といえる (このことは日本語版ではパルキアのパール版図鑑説明にしか書かれていないと思う)。

一方でしかしながら、ここでは生きている者とそうでない者とが運動する場は space と単数無冠詞のきわめて漠然とした形で言われている。さらにそれらが向かう同一の目的地が universe という名詞で名指されていることが問題である。

これまでに扱ったテクストのうちで——言語によって揺れはあるが——「世界」と「宇宙」という単語の用例を探しだしてみると、「始まりの話」「シンオウ昔話その 1」「プレートから読みとくシンオウの始まり」に前者は各 1 例ずつの計 3 例、後者はプレート銘文にのみ 2 例見られる。そのいずれにおいても「世界」とは時間と空間、そして心が生まれたあとの、より具体的で完成された舞台について使われているのに対し、「宇宙」はアルセウスだけが存在する原初的で未完成の場を指しているように観察される。

してみると、ここであらゆるものが漂着する先が universe であるというのは、生も死も心もなくなった始原の世界へ回帰するということを示唆しているのであろうか。そして生きている者といない者、万物がそこに逢着したあと、すべての材料を取り戻したその宇宙はサイクリック宇宙論よろしく、またアルセウス——それも新たなべつの個体でありうる——によって創造の過程を反復されるのかもしれない……と考えを進めてみると、シンオウ神話はこれまで思われてきたよりもさらに一段上の壮大なスケールを有していることになる。もっとも、universe の数少ない用例からあまり確実なことは推論しがたいので想像の域を出ないのであるが。


ドイツ語版

Die Schöpfung von DIALGA,
dem Meister der Zeit...
Im Lachen steckt Weinen...
Und umgekehrt verhält sich die Zeit.
Die gleiche Zeit fließt weiter.
...Der Segen von DIALGA ist mit allen.
Die Geburt von PALKIA,
dem Schöpfer der Paralleldimensionen...
Lebendig und doch nicht...
Schwebende Risse im Raum...
Um im selben Universum zu wirken.
...Der Segen von PALKIA ist mit allen.
時間の主ディアルガの創造
笑いのなかに泣きが潜む
そして逆の関係に時間はある
等しい時間がさらに流れる
ディアルガの祝福がすべてとともに
平行多次元の創造者パルキアの誕生
生きていても、そうでなくても
漂っている空間の裂け目
同じ宇宙に作用するために
パルキアの祝福がすべてとともに
全体的に意味をとりづらい文章。とくにパルキアの 3–5 行め (訳文では 2–4 行め) が不可解で、これで 1 文のはずなのに、ディアルガの対応箇所と違って定動詞がひとつもない。あるとすれば 4 行め (訳文 3 行め) だから、もしかして Risse が小文字の risse であれば「漂う者は空間を裂いて駆けた」ととれなくもないが、それでも意味が通るとは言いがたい。そもそも英語版の文章が意味不明瞭なので、独訳者もよくわからないまま訳させられたのではないか。


イタリア語版

La creazione di DIALGA,
Il datore del tempo...
La gioia cela le lacrime...
E così il tempo.
Il tempo stesso scorre continuamente.
Poiché è la benedizione di DIALGA.
La nascita di PALKIA,
Il creatore di dimensioni parallele...
Vive, ma al tempo stesso non vive...
Tutto fluttua nello spazio...
Per arrivare nello stesso universo.
È la benedizione di PALKIA.
時間の施与者ディアルガの創造
喜びは涙を隠す
時間もまた然り
同じ時間が絶え間なく過ぎ去ってゆく
それがディアルガの祝福であるゆえに
平行多次元の創造者パルキアの誕生
それは生きている、だが同時に生きていなくもある
一切は空間のなかで揺れ動く
同じ宇宙にたどりつくために
それがパルキアの祝福である
ディアルガの解説文において、日本語版は決して文章じたいに難しいところはないのに、英訳は「笑いのなかに涙がある/さらにまたそれ (=涙) は時間とともにある」という意味不明の文を作った。ドイツ語訳はそれをさらに混乱させたが、イタリア語版はむしろ合理化して「喜びも時間も涙を覆い隠すのだ」という理解しやすい内容にして辻褄をあわせたようだ。「時間が涙を隠す」とは、悲しみは時間の経過によって癒やされるという意味に解せる。なんだかラテン語の名句にでもそのままありそうな感じのするすっきりした主張で、もしかして日本語版も本来そういうことを言いたかったのでないかとさえ説得されそうだ。

これらの文章は « ... » で終わる行が多くて、どこまでがひと続きの文なのかかならずしも判然としないが、パルキアの 3 行めの動詞 vive, non vive「生きている/いない」の主語は、次の文の tutto を先取りするということは不可能だから、前文のパルキアと考えざるをえない。だが「誕生」したパルキアが「生きていない」というのはおかしいだろう (日本語であれイタリア語であれ、nascita「誕生」は origine della vita「生命の始まり」という意味、nascere「生まれる」は entrare in vita「生きている状態に入る」ことである)。パルキアは神だからふつうの言葉では捉えられないとでもいうのだろうか?

❀ じつは文法的にはもうひとつ解釈の可能性がある。vive という形は動詞 vivere「生きる」の活用形のほかに、形容詞 vivo「生きている」の女性複数形でもありうる。そして女性複数名詞はこの直前に dimensioni parallele「平行諸次元」がたしかにある。だが「次元」が生きているとかいないとかいうことは輪をかけて意味をなさないので、やはりパルキアと考えるしかない。


総括

  • 時間・空間の存在は生きものの生命や感情よりも先行し、独立する前提であることを述べている。
  • 「時間」は唯一の 1 次元的な実体だが、「空間」は平行していくつも存在している。
  • 生きている者と生きていない者がともにとある「同じ空間」を目指している。
  • その目的地の「空間」とは生命も心もない始原の宇宙か? そしてふりだしに戻った宇宙は循環を繰りかえす?

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