旧作『ダイヤモンド/パール』における「シンオウ神話」の読みなおしを期して、ここに日本語版と欧米 5 言語版との翻訳比較ならびに考察を試みる。この記事ではアルセウスのポケモン図鑑説明文を扱い、ひとまずの区切りとする。明日はいよいよ『ブリリアントダイヤモンド/シャイニングパール』の発売日である。
目次リンク:(1) シンオウしんわ・(2) シンオウちほうの しんわ・(3) シンオウの しんわ・(4) トバリの しんわ・(5) はじまりの はなし・(6) おそろしい しんわ・(7) シンオウ むかしばなし・(8) プレートから よみとく シンオウの はじまり・(9) ハクタイシティのポケモン像・〔ポケモン図鑑〕(10) ユクシー・(11) エムリット・(12) アグノム・(13) ディアルガ・(14) パルキア・(15) ギラティナ・(16) アルセウス
各言語版のテクストは以下の各国語版ポケモン wiki より引用した (閲覧した版はこの記事時点における最新版)。ただし改行位置などについて細かな改変をとくに断らずに加えた場合がある。
- 日本語版:アルセウス — ポケモン Wiki
- 英語版:Arceus (Pokémon) — Bulbapedia
- ドイツ語版:Arceus — PokeWiki
- フランス語版:Arceus — Poképédia
- イタリア語版:Arceus — Pokémon Central Wiki
- スペイン語版:Arceus — WikiDex
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日本語版:アルセウス
[D]1000ぼんの うでで うちゅうをつくった ポケモンとしてしんわに えがかれている。
[P, Y, AS]うちゅうが まだ ない ころにさいしょに うまれた ポケモンとしんわの なかで かたられている。
[Pt, BW(2)]なにも ない ばしょに あったタマゴのなかから すがたを あらわしせかいを うみだしたと されている。
[HGSS, X, OR]タマゴから すがたを あらわしてせかいの すべてを うみだしたとシンオウしんわに かたられている。
後 3 者は「始まりの話」ならびにプレート銘文と整合する内容を部分的に繰りかえしており、同一の伝承に拠ったものであろう。これらのうち、「宇宙」という語はプレート銘文にのみ、またアルセウスが「タマゴ」から発したという点は「始まりの話」にのみ見られるもので、伝承の系統を割りだす手がかりとなりうる。
この説明文に特異な点はダイヤモンド版の「1000 本の腕」という部分である。この図鑑のほかにはいっさい見られない独自伝承であり、ここにも作中世界においてプレーヤーのアクセスできない資料の存在がほのめかされている。千本の腕といえば日本人がまっさきに想起するのは千手観音であろうが、千手観音は創造神ではなくその千の手と目によって衆生を救う菩薩であるのに対して、アルセウスは世界を創造したあと眠りについているし、千手観音は二十八部衆という文字どおり 28 の善神を眷属としているのに比べアルセウスには 6 体しかいないなど、ほかの点でもとくに共通点といえるものは見あたらない。
しかしながら、インドに手がかりを求めるのはあながち見当はずれでないかもしれない。インド神話の古層、リグ・ヴェーダの創造神話は曖昧模糊としてわからない部分が多いようであるが、顕著な類似点がいくらか見受けられる (以下、上村勝彦『インド神話』ちくま学芸文庫、2003 年、34 頁以下による)。ヴェーダにおける創造説のひとつとして、「一切を造った者」を意味するヴィシュヴァカルマンは、あらゆる方角に目・腕・足をもつ天地の創造者であったという。また、これとはべつの話として、「万有そのもの」でありのちに造物主プラジャーパティ——この名はさきに「始まりの話」の記事でも少し触れた——と同一視される原人プルシャは千頭・千眼・千足を有し、過去と未来にわたって存する一切の存在であるとされる。いずれも直接に「千本の腕」という表現こそ見られないが、創造神の風貌の描写としてはかなり似通ったところがあるといえるのではないか。
なお繰りかえしになるが、ミオ図書館で読める「始まりの話」はアルセウスにまつわる最重要の資料であり、そちらの記事でもアルセウスに関してさまざまな点を論じているので、あわせてお読みいただきたい。
英語版:Arceus [アールキーアス]
[D] It is described in mythology as the Pokémon that shaped the universe with its 1,000 arms.[P] It is told in mythology that this Pokémon was born before the universe even existed.[Pt] It is said to have emerged from an egg in a place where there was nothing, then shaped the world.[HGSS] According to the legends of Sinnoh, this Pokémon emerged from an egg and shaped all there is in this world.
[D] 神話において千本の腕で宇宙を形作ったポケモンとして描かれている。[P] 神話においてこのポケモンは宇宙が存在すらしなかったときに生まれたと伝えられている。[Pt] なにもなかったところにタマゴから生じ、それから世界を形作ったと言われている。[HGSS] シンオウの伝説によると、このポケモンはタマゴから生じてこの世界にある一切を形作った。
HG/SS 版では「神話」ではなく legends「伝説」と訳されている点が目を引く。この連載のはじめ、『シンオウ神話』の記事のまえがきにおいて私は、神話・伝説・昔話の区別が作中で曖昧であるという問題について触れた。欧米語でも日本語と同じように——というより日本語におけるそれらの区分はヨーロッパの研究伝統に従っているのだから話が逆であって、神話という単語じたい明治期に作られた翻訳語である——myth, legend, folktale の 3 者は適切に使いわけられねばならないのに、日本語が「神話」と言っているところを legends と対応させる英訳 (と独訳) には問題がある (この点を認識しているのか不明だが、仏・伊・西訳は mythologie にあたる語で映している)。せっかくの機会なので、連載も終盤に至ったこの場においてその点をもう少し詳しく検討してみよう。
myth はギリシア語 μῦθος (mȳthos) に由来し、その原義は「言われたこと、言葉、語り、物語」というほどのもので、「神」という含みは本来ないけれども、現在では「神話」、すなわち「神や女神の行いに関する物語」としてふつう用いられる。一方で legend はラテン語の動形容詞 legendum から来ているから「読まれるべきもの」が本義である。キリスト教の聖人の祝日に読まれたものであって「聖人伝、聖人の生涯に関する物語」を指したが、しだいに聖人だけに限定されず「歴史上の人物に関する架空の物語」を意味するようになった。日本語に即して言えば「義経伝説」がうってつけの例で、源義経はむろん平安時代末期に生きた実在人物であるが、彼が平泉で死なず大陸に渡ってチンギス・ハンになったなどというのは明らかに架空の「伝説」である。現代でも「全盛期のイチロー伝説」などというのはまさしくこの語の完璧な用例といえる。最後に、folktale は文字どおり「民衆の物語」であって、とくに誰ということもない「一般の人を主人公とする超自然的な物語」と定義できる。「ヘンゼルとグレーテル」のように人名が含まれている場合でも、これは日本語にすれば「太郎くんと花子ちゃん」のような名前であって具体的に特定できる人物ではない。
ここまでをまとめると、3 つのジャンルのうち「myth=神話」は神々、「legend=伝説」は歴史上の人物、「folktale=民話、昔話」は名もなき人というように、登場人物の性格にもとづいて区分けすることができる。また物語の舞台設定に関しても、「神話」ははるか太古の神代の時間——あるいは無時間——を背景とするに対して、「伝説」はその主人公の生きた時代として歴史上のおおよその時間と場所がはっきりしている——筋書きは架空であっても具体的な現実の人名・地名が出てくる——、また「昔話」はいつ・どこのこととは知れないが人間の時代である昔の話と分けられる。べつの整理のしかたとして、史実と虚構、聖と俗という 2 次元の図にプロットしてみると、「神話」は聖なる虚構の話、「昔話」は俗なる虚構の話、そして「伝説」はどちらの軸に関してもちょうど中間あたりに置かれる。
❀ とはいえかならずしもつねにきれいに分類できるとは限らないことはすでに触れたとおりだし、3 者の区分を画する特徴はこのほかにもあり——物語の意味が字義どおりか象徴的かという象徴性の度合とか、神話は信じられた真実の語りであるのに対して昔話は作りごとと承知のうえで楽しむという聞き手の信じかたおよび娯楽性の有無とか。伝説はいずれの観点でもおおよそ中間に位置する——、上のものはあくまでもっともわかりやすい基準として解説したまでである。また神話と昔話の時間についてはユクシーの項目のフランス語版解説で述べたこともあわせて参考にされたい。
さて、このような定義をポケモン世界に応用するとき、ひとつの重大な問題が浮上する。それはポケモンに限らずファンタジーの世界で「神」とされる存在が実在する場合、神話と伝説との境目が溶融してしまうということだ。神が実在するのであればその虚構性に関して「伝説」との差が失われ、かつその行いの時は人の代に引きつけられ歴史上の時間におけるできごとになってしまうので、「神話」という言葉は意味をなさないことになりはしないか。まだ聖俗という縦軸が残っており、「神話」というときにはその主人公を神として崇めているニュアンスが「伝説」よりも強いと考えられるから、完全に区分が消失するわけではないとしても、程度の問題に還元されてしまうとは言えそうだ。そう考えてみると、ここで問題とした HG/SS 版のテクストが「伝説」の語を用いたことは、アルセウスの実在性を暗々裡に主張していると好意的に解釈することもできる。
ドイツ語版:Arceus [アルスース、アルツォイス]
[D] Die Mythologie nennt dieses Pokémon als Former des Universums, wobei es seine tausend Arme eingesetzt hat.[P] Die Mythologie erzählt, dass dieses Pokémon geboren wurde, bevor das Universum überhaupt existierte.[Pt] Man sagt, es sei im Nichts aus einem Ei geschlüpft und habe dann die Welt geformt.[HGSS] In den Legenden Sinnohs heißt es, es sei aus einem Ei erschienen und hätte die gesamte Welt geschaffen.
[D] 神話はこのポケモンを宇宙の造形者と呼び、それに際してその千本の腕を用いたものとしている。[P] 神話はこのポケモンが、宇宙がそもそも存在するよりまえに生まれたと語っている。[Pt] それは空虚のなかにタマゴから孵化し、それから世界を形作ったのだと言われている。[HGSS] シンオウの伝説においてタマゴから現れ全世界を創造したものと言われている。
以下、すでに英語版について説明したことに新たに付け加えることはない。
名前の発音について、実際にドイツ語圏の人たちがどう呼んでいるかはわからない。c の字はドイツ語では——ck や (s)ch というダイグラフを除いて——単独ではふつう用いられず、用いる場合は [ts] の音になるのが原則だが、c を使うのはたいてい外来語のためもとの言語の発音に従うことも多く一概には言えない。規則どおり読めばアルツォイスであるが、ceu という連続はドイツ語にはめったに見いだされず、手もとの辞書 (小学館『独和大辞典』第 2 版、アプリ版) ではわずかに Annonceuse と Berceuse の 2 例しかない。これらはいずれもフランス語からの借用語であって [søː] という発音になるので、これを念頭に置けばアルスースと読む人もあるかもしれない。もっとも、アルセウスの命名の由来はアルケー (ἀρχή「始まり」) +ゼウス (Ζεύς) であって、ゼウス Zeus はドイツ語ではツォイスと呼ばれるので、この語源を意識している人はやはりアルツォイスに傾きそうである。
フランス語版:Arceus [アルセユス]
[D] La mythologie le décrit comme le Pokémon qui a façonné l’univers avec ses 1 000 bras.[P] Dans la mythologie, ce Pokémon existait déjà avant la formation de l’univers.[Pt] On dit que son œuf a éclos dans le néant et qu’il est à l’origine de la création du monde.[HGSS] La mythologie de Sinnoh veut qu’il soit apparu sous forme d’œuf et ait créé le monde.
[D] 神話はそれを、千本の腕で宇宙を造形したポケモンとして描いている。[P] 神話によると、このポケモンは宇宙の形成以前にすでに存在していた。[Pt] そのタマゴは虚無のなかで孵化し、それが世界創造の起源であると言われている。[HGSS] シンオウの神話はそれがタマゴの形で現れ世界を創造したと説いている。
イタリア語版:Arceus [アルチェウス]
[D] Nella mitologia è descritto come il Pokémon che ha dato forma all’universo con le sue 1000 braccia.[P] Nei racconti mitologici si dice che questo Pokémon sia nato ancor prima dell’universo.[Pt] Si dice che sia nato da un uovo in mezzo al nulla e che poi abbia dato origine al mondo.[HGSS] Secondo la mitologia di Sinnoh, Arceus è nato da un uovo e poi ha creato il mondo.
[D] 神話においてそれは千本の腕で宇宙に形を与えたポケモンとして描かれている。[P] 神話の語るところではこのポケモンは宇宙がまだないときに生まれたと言われている。[Pt] 虚無の中心においてタマゴから生まれ、それから世界を誕生させたと言われている。[HGSS] シンオウの神話によれば、アルセウスはタマゴから生まれそれから世界を創造した。
スペイン語版:Arceus [アルセウス]
[D] La mitología lo describe como el Pokémon que dio forma al Universo con sus 1000 brazos.[P] La mitología cuenta que este Pokémon nació antes de que el Universo existiera.[Pt] Se dice que surgió de un huevo en un lugar en el que no había nada. Y luego dio forma al mundo.[HGSS] Según la mitología de Sinnoh, Arceus surgió de un huevo y después creó todo el mundo.
[D] 神話はそれを、千本の腕で宇宙に形を与えたポケモンとして描いている。[P] 神話はこのポケモンが宇宙の存在するよりまえに生まれたと語っている。[Pt] なにもなかった場所にタマゴから発したと言われている。そしてそれから世界に形を与えた。[HGSS] シンオウの神話によると、アルセウスはタマゴから発し、次いで世界を創造した。
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