jeudi 11 novembre 2021

シンオウ神話翻訳集成 (10) ポケモン図鑑:ユクシー

旧作『ダイヤモンド/パール』における「シンオウ神話」の読みなおしを期して、ここに日本語版と欧米 5 言語版との翻訳比較ならびに考察を試みる。今回からしばらくポケモン図鑑の説明文を扱っていくが、これは神話のポケモンに関するこれらの解説も立派な神話資料の一部であるという考えにもとづく。図鑑番号順に見ていく予定であり、この記事ではユクシーのポケモン図鑑説明文を扱う。


各言語版のテクストは以下の各国語版ポケモン wiki より引用した (閲覧した版はこの記事時点における最新版)。ただし改行位置などについて細かな改変をとくに断らずに加えた場合がある。

また、今回からの試みとして外国語版のポケモン名にカタカナで発音の目安を付してみた。このさい英語版の発音は Pokémon Let’s Play Wiki の Pokémon Pronunciation Guide/Generation IV に依拠している。ほかの言語については、つづりと発音の関係が英語のように支離滅裂ではなくどれも非常に規則的なので、つづりのとおりに読んだものを示してある。

❀ ただし注意として、今回であれば伊・西の Uxie がそうであるように英語版と共通のつづりである場合、たとえばスペイン語話者のうち英語の知識をもっている人ならば英語ふうに読む可能性があることを妨げない。他方、独 Selfe, 仏 Créhelf のようにそれらの言語のために作られそのまま通用するつづりである場合、それらの話者がわざわざ英語なまりにひねって読むということは考えられない。


日本語版:ユクシー

[D, X, OR]
ちしきのかみと よばれている。
めを あわせた ものの きおくを
けしてしまう ちからを もつという。
[P, Y, AS]
ユクシーの たんじょうにより
ひとびとの せいかつを ゆたかにする
ちえが うまれたと いわれている。
[Pt, BW(2)]
ユクシーが とびまわったことで
ひとびとに ものごとを かいけつする
ちえと いうものが うまれた。
[HGSS]
ひとびとに さまざまな もんだいを
かいけつするための ちえを
さずけたと いわれる ポケモン。
ダイヤモンド版の「目を合わせた者の記憶を消してしまう力を持つ」という説明は、すでに見た「恐ろしい神話」の語るところと符合している。パール版とプラチナ版の解説を文字どおり理解するなら、ユクシーは誕生の瞬間には「生活を豊かにする知恵」を、さらにその後に (シンオウ地方を?) 飛びまわった期間には「物事を解決する知恵」をという形で、2 回にわたって人々に恩恵を授けている。このような働きはユクシーが神話学で言うところの文化英雄の機能をもっていることを示している。

❀ 文化英雄とは火や栽培技術などをもたらすことで人間を文明化させる存在であり、アイヌではオキクㇽミ (アエオイナカムイ) が典型的な例、日本神話ではオホクニヌシおよびスサノヲが一部そうした側面を有しているとされる。この点ユクシーは火や稲種など具体的な発明ではなく「知恵」一般を与えるという点が大仰であるが、旧約聖書 (古代イスラエル神話) において蛇がイヴとアダムに対し果たした役割も文化英雄の例に加えられるとすれば納得できよう。


英語版:Uxie [ユークシー]

[D] Known as “The Being of Knowledge.” It is said that it can wipe out the memory of those who see its eyes.
[P] It is said that its emergence gave humans the intelligence to improve their quality of life.
[Pt] When Uxie flew, people gained the ability to solve problems. It was the birth of knowledge.
[HGSS] According to some sources, this Pokémon provided people with the intelligence necessary to solve various problems.
[D]「知識の化身」として知られる。その目を見た者の記憶を拭い去ることができると言われている。
[P] その誕生が人間たちに彼らの生活の質を改善する知能を与えたと言われている。
[Pt] ユクシーが飛んだとき、人々は問題を解決する能力を獲得した。これが知識の誕生だった。
[HGSS] いくつかの資料によると、このポケモンが人々にさまざまな問題を解決するのに必要な知能を与えた。
「知識」の訳語が knowledge であることはむろん適切だが、「知恵」が intelligence あるいは knowledge と訳されていることは問題視せざるをえない。訳語が一定しない点もさることながら、「知恵」に対する訳語は wisdom がもっとも望ましいと思われる。英語の wisdom は「知識や経験を生かして優れた決定や判断を行う能力」を意味するから、プラチナ版で「問題を解決する能力」と言われているところなどはまさにこの語がぴったり来るであろう。学び理解する能力が intelligence で、知られた事実を蓄積し体系化したものが knowledge、これを活用する賢明さが wisdom である。ユクシーが intelligence や knowledge までしか与えなかったとなると日本語版とは印象がだいぶ違ってくる。

なお拙訳が Being の訳語として「化身」をあてたことについては、次回エムリットの図鑑説明の解説で弁明する。日本語版の「神」に対して欧米語版が God や deity を回避してこういう抽象的な語を用いている問題にもそのとき触れるつもりである。


ドイツ語版:Selfe [ゼルフェ]

[D] “Das wissende Wesen”. Es soll die Erinnerungen derer löschen, die ihm in die Augen sehen.
[P] Man sagt, dass durch sein Auftauchen Menschen die Intelligenz erhielten, ihr Leben zu verbessern.
[Pt] Als Selfe flog, erlangten Menschen die Fähigkeit, Probleme zu lösen. Es war die Geburt des Wissens.
[HGSS] Einst wurde Selfe seiner Weisheit wegen, mit der es viele Probleme der Menschen löste, verehrt.
[D]「知る者」。その目を見た者の記憶を失わせるであろう。
[P] その現出を通して人々は生活を改善するための知能を授かったと言われている。
[Pt] ユクシーが飛んだとき、人々は問題を解決するための能力を獲得した。これが知の誕生であった。
[HGSS] かつてユクシーは、人々の多くの問題を解決したその知恵のゆえに崇められていた。
なぜか HG/SS 版の説明文のみ日本語版とも英語版とも大きく異なっている。ここではユクシーは人々に考える力を与えたのではなくみずから問題を解決したことになっており、さらにそれを理由として尊崇されたとまで新たに言われている。

改めて日本語をよく読みなおしてみれば、問題を解決するための「知恵を授けた」という言いかたはたしかに両義的だ。パール版やプラチナ版を参考に総合的に考えるならば、ここは「人間がみずから考える能力をその心や頭脳のうちに芽生えさせた」意に解すべきだと思われるが、個別の問題や事件が発生したときに頼られる長老や賢者が「解決法や答えを教えてやる」といったこともなるほど「知恵を授ける」と言いうる。したがって独訳者が日本語を読んだとすれば——wurde ... verehrt「崇められた」の追加を除いては——すなおな一解釈になっている。英語版からはこのようには訳せない——‘according to some sources’ も消えているし——ので、もしやこの箇所はふだんと違って重訳ではないのかもしれない。


フランス語版:Créhelf [クレエルフ]

[D] On l’appelle « être du savoir ». On raconte que son regard a le pouvoir d’effacer la mémoire.
[P] On dit que sa venue a fourni aux humains le bon sens nécessaire pour améliorer leur existence.
[Pt] Quand il prit son envol, les hommes apprirent à résoudre les problèmes. Le savoir était né.
[HGSS] On dit qu’il a offert la connaissance aux humains pour résoudre de nombreux problèmes.
[D]「知の化身」と呼ばれている。その視線は記憶を消す力をもっていると語られている。
[P] その到来が人間に、暮らしを改善するために必要な分別を与えたと言われている。
[Pt] それが飛翔したとき、人々は問題を解決する術を学んだ。知が生まれていたのだ。
[HGSS] 数々の問題を解決するための知識を人間に与えたと言われている。
プラチナ版の説明で、他言語では——日本語も含めて——人々が問題解決能力を身につけたことがイコール知恵・知識の誕生であると言われているところ、ここでは le savoir「知」の誕生の時制は大過去で語られており、問題解決法を得るより以前に「知」は生まれている、つまり「知」は問題解決法の前提であることになっている。たしかに savoir があるだけでは具体的な問題解決にただちに結びつくものではないからこの言いかたは適切であって、不注意な英語版よりも言葉を繊細に操っていると評価できる。

時制についてはなお注目してみたい点がある。この文章中で過去のできごとを語っている動詞を抜きだしてみると、プラチナ版の prit, apprirent という単純過去に対して、パール版の a fourni および HG/SS 版の a offert は複合過去時制である。神話の大昔に一回きり起こったできごとであれば単純過去のほうがふさわしいように思われるが、複合過去——英語の現在完了に似ている——を使うことでこれは現在に至るまで地続きの時間のなかで起こったことであり、その結果は現代の人間にまで影響を及ぼしているということを伝えんとしているのではないか。

そのあたりの事情はわが国の古事記・日本書紀が語る神話とも一脈相通ずるところがあると感じる。神話と昔話、「古」と「昔」の違いについて、次のように言われていることを紹介しよう:
 神話は「いにしへ」の出来事を語るものである。それに対して、昔話は「むかし」の出来事を語るものである。どちらも遠い過去を指す言葉であるが、両者は語源からして意味が異なっている。
「いにしへ」の語源は「去にし辺」で、「かつて通った所」の意味である。そこから一本道を通ってきたところに「今」が存在している。「いにしへ」は「今」に続く遠い過去である。〔中略〕つまり「いにしへ」は、人が直接経験した、間違いなく通ってきた過去のことである。だからこそ「今」あること、「今」ある物を保証する神話は「いにしへ」に属しているのである。〔中略〕
 それに対して「むかし」の語源は「向か岸」で、「今」と反対の遠い過去である。「昔はこうだった」という時、そこには「今は違う」という意味が込められていよう。「むかし」と「今」はつながっていないのだ。
(松本直樹『神話で読みとく古代日本』26–27 頁)
「いにしへ」の「し」はむろん過去の助動詞「き」の連体形であって、直接に経験した過去を表すこの助動詞は伝聞過去の「けり」と対立する。「いにしへ」の物語である神話を、古事記や日本書紀は「き」で語っており、これは平安期の物語文学が「昔男ありけり」のように「けり」で語る昔話の伝聞調とは違っているのだ (以上、松本前掲書 26–29 頁を参考)。

❀ 西郷信綱『古事記注釈』所収の補考「神話と昔話」(ちくま学芸文庫版第四巻 174–178 頁) にも類似の議論があり——初出 1975 年、松本もこれに学んだものかもしれない——、とくに「神話が語ろうとするのは〔中略〕『今』と一体であるところの、あるいは『今』がそこにいわれを持つところの創造的過去」だと言われている。同著者の『神話と国家—古代論集』171–205 頁所収の論文「神話と昔話」はそれを一段と膨らませた論考で、本稿の当面の問題からはいくぶん逸脱するが、表題のとおり両ジャンルの関連と区別を理解するのに有益なのであわせて読むことを勧めたい。

これに似て、フランス語版の図鑑がユクシーの行いを「昔」の単純過去ではなく「古」より今に至る複合過去で語るのも、神話が今に生きていることの反映である、と読むのは穿ちすぎであろうか。もとより「き/けり」は第一義的にはエビデンシャリティの対立であって、テンスとアスペクトの問題である複合過去/単純過去の区別とは次元を異にするが、私の言わんとするところは承知していただけるであろう。


イタリア語版:Uxie [ウクシエ]

[D] Noto come “Essere della conoscenza”. Pare che faccia perdere la memoria a chiunque lo fissi.
[P] Alla nascita di questo Pokémon l’uomo avrebbe ricevuto la capacità di migliorare la propria esistenza.
[Pt] Al volo di Uxie, gli uomini impararono a risolvere i problemi. In tal modo nacque la conoscenza.
[HGSS] Si dice che gli sia stata conferita la saggezza necessaria a risolvere gli svariati problemi degli umani.
[D]「知識の化身」として知られる。何人であれそれを凝視する者から記憶を失わせるようだ。
[P] このポケモンの誕生に際して、人は自分たちの生活を改善する能力を受けとったそうだ。
[Pt] ユクシーの飛翔で、人々は問題を解決する術を学んだ。このようにして知識が生まれた。
[HGSS] 人間たちの多様な問題を解決するのに必要な知恵はそれに与えられているのだと言われている。
ダイヤモンド版の faccia < fare と fissi < fissare は接続法現在で che 節内が不確実な所見であることを、パール版の avrebbe ricevuto は条件法過去で「〜そうだ、らしい」という伝聞・推測を表している。内容的にはとりたてて注意すべき点はない。


スペイン語版:Uxie [ウクシェ]

[D] Se le conoce como el “ser de la sabiduría”. Se dice que puede borrar la memoria con una mirada.
[P] Se dice que su aparición otorgó a los humanos la inteligencia para mejorar sus vidas.
[Pt] Voló y las personas adquirieron la capacidad para resolver problemas. Así nació la sabiduría.
[HGSS] Dicen que Uxie otorga a la gente la sabiduría necesaria para resolver los más diversos problemas.
[D]「知恵の化身」として知られている。ひと目で記憶を消すことができると言われている。
[P] その出現が人間たちに彼らの生活をよくするための知能を授けたと言われている。
[Pt] それが飛ぶと人々は問題を解決する能力を獲得した。こうして知恵が生まれた。
[HGSS] ユクシーは人々にきわめて多様な問題を解決するための必要な知恵を授けると言われている。
パール版を除いては sabiduría「知恵、思慮、賢明さ」という訳語が用いられており、この点英語版よりも望ましいと感じられる。一方他言語のどれとも相違するスペイン語版独自の点として、HG/SS 版に otorga「授ける」という現在形で言われていることは不可解である (パール版は同じ動詞を点過去形 otorgó として用いているのに)。

しかし上でフランス語版の複合過去時制について論じたことと考えあわせるなら、あながち無意味な選択であるとは言いきれない。この現在形は一回きりのできごとではなく、境界のない現在の継続的な習慣と読むべきである。そしてユクシーの与える恩恵はいまも不断に続いていると理解する点では、フランス語もスペイン語も軌を一にしていると考えられるのである。


総括とあとがき

  • 「恐ろしい神話」と共通するユクシーの特徴が説明されている。
  • ユクシーはシンオウ神話における文化英雄である。
  • 知恵・知識・知能 (・知性) といった言葉は注意して適切に使いわけられるべきだが、各国語訳の理解は混乱しており、ユクシーが司るものがどんな性質であるかこの資料から導きだすことは難しい。
  • ユクシーによる知識の恵与は神話の過去に完結したことではなく現在もなお続いていると解釈しうる (フランス語・スペイン語版)。
  • ユクシーはかつて手ずから人々の問題を解決していた?(ドイツ語版)

目を見た者の記憶を消し去るという、「恐ろしい神話」と一致した内容がダイヤモンド版の図鑑で語られているが、これによって「恐ろしい神話」の記述が「裏づけられた」というように考えるのは早計だろう。なんとなればこの図鑑説明が「恐ろしい神話」にもとづいて書かれているという可能性があるからである。

本作に限らずシリーズ全体を通して、一体にポケモン図鑑の説明文というものが作中で誰によって書かれたものであるかということは定かでない。常識的に考えればおそらくポケモン図鑑をくれる各地方の博士じしん、もしくはその助手たちによる共同作業の賜物なのだろう。そうでなければ研究の剽窃ということになり研究者倫理としてあるまじきことであるし、著作権的にも問題になりそうだ。いずれにしても、図鑑の制作に携わった人間の手による文章であることはまず疑いない。

するとこの図鑑の説明文というのは、シンオウ神話の研究において、人文科学で言うところの二次資料として扱われることになる。なにかの文献や言い伝えなどを調査した結果を検討・整理した研究者が書いたものという意味である。一方で「恐ろしい神話」のほうはこの本の性質がかならずしも明らかではないが、古老が口承で伝えてきた神話や民話などを直接に聞きとって改変せずに書きおこしたものだとすれば一次資料と呼ぶことができる。生の資料である一次資料をもとに新たに書かれた二次資料がいくら増えたって、本来のできごとの裏づけにはならないことは言うまでもない。

ダイヤモンド版の説明文の書き手はおそらく「恐ろしい神話」の書かれた本——ミオ図書館の本と同一かどうかは問わない——を知っていてこれを書いたに違いない。シンオウの人々がユクシーについて知っている事実は多くはなく、ギンガ団のような乱暴な手段をとらないかぎり直接ユクシーに出会うこともできないのだから、まっとうな研究者として知りうるかぎりの数少ない資料を図鑑の書き手は調べつくしたであろう。研究者として最低限の能力をもっていれば、その過程で「恐ろしい神話」に出会わないということはありえない。

他方、パール版その他が語るところの、生活を豊かにし問題を解決するための知恵を人々に授けたという記述は、これまでに見てきた神話資料のなかには現れなかった新情報である。「始まりの話」もプレート銘文も、UMA トリオが共同して「心」や「祈り」を生んだとは言っているが、個別にユクシーが知恵を授けたというような話は載っていない。

ではこれは図鑑の著者が発見した新事実なのかというと、それはおよそ図鑑というものの性質からして考えにくいことである。まったくの新発見であればそれはまず論文として発表され本にまとめられ、検証が済んである程度学界の常識になった段階ではじめて図鑑や事典に載るはずである。こういった媒体は見つかったばかりの不確かな新情報を発表するための場ではない。

そうすると、おそらく図鑑以外にもこの知恵を授けたという話を載せている本が存在し、ある程度一般的に知られている事実のはずである (ユクシーたちの名前こそ出ていないが、カンナギタウンの民家にある本はその候補にもっとも近い)。パール版と HG/SS 版が「と言われ (てい) る」という表現をしている点をとっても、そのような資料の存在を想定することは妥当であろう。図鑑の書き手は自分の新説として主張しているわけではないのだ。このようにして、ゲーム中で読むことのできない本の情報が図鑑のなかに見いだされる場合があるわけで、図鑑説明文も神話資料の一環をなすという冒頭の主張は納得されるだろう。

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