jeudi 30 septembre 2021

シンオウ神話翻訳集成 (7) シンオウ むかしばなし

旧作『ダイヤモンド/パール』における「シンオウ神話」の読みなおしを期して、ここに日本語版と欧米 5 言語版との翻訳比較ならびに考察を試みる。この記事では「シンオウ むかしばなし」その1およびその2を扱う (その3は別途過去記事で詳述したので省略)。


各言語版のテクストは以下の各国語版ポケモン wiki より引用した (閲覧した版はこの記事時点における最新版)。ただし改行位置などについて細かな改変をとくに断らずに加えた場合がある。


日本語版:シンオウ むかしばなし その1

うみや かわで つかまえた
ポケモンを たべたあとの
ホネを きれいに きれいにして
ていねいに みずのなかに おくる
そうすると ポケモンは
ふたたび にくたいを つけて
この せかいに もどってくるのだ
おくりのいずみともどりのどうくつにまつわる説話であろう。この記述をアイヌと関連づけることは多分に疑わしい。まずときどき言われているようなイオマンテとは共通点が少なすぎるように思われる。イオマンテというのはふつうクマ送りと訳され、1 年ないし数年をかけて村ぐるみで大事に育てた子グマを最後に殺して魂を天に送る、アイヌ最大の儀式である。一方ここで語られている民話では対象とされるポケモンは陸ではなく海や川でとれたものに限られているし、骨を水に送るという部分も一致していないし、特別な機会ではなく年中の食事すべてについて行われる習慣のように読める (食べたあとの骨を長期間とっておけるわけがないから)。肉体をつけてまた戻ってくるという点も、べつにイオマンテで送られたクマだけではなくちゃんと敬意を払って狩った獲物はみんな戻ってきてくれるのである。この儀式と結びつけるべき根拠はひとつもないようである。

魚が骨から生きかえるという点では、チェパッテカムイとの連想はもう少し有力かもしれない。アイヌの神謡では鹿と鮭にはユカッテカムイ「鹿を増やす神」とチェパッテカムイ「魚を増やす神」という増やす専門の神がいて、「そのカムイたちが袋の中からシカの骨やサケの骨をばらまくと、地上を幾多のシカの群れ、サケの群れとなって、駆け回り泳ぎ回るという話」がたくさん伝わっているそうだ (中川裕『アイヌの物語世界』改訂版 61 頁)。

だがこれは、鹿と鮭が無尽蔵とも見えるほど獲れたところから「誰かがどこかで一生懸命増やしてい」るのだろうという理由づけを与える神話である。骨をばらまくのはそのカムイが勝手にやっていることであって、人間が水に送るという儀式があるのではない。このように大量に獲れる鮭については、カムイチェㇷ゚と呼ばれる特別なリーダ個体だけは「別扱いにして、イナウキケでくるんでお祀りするという話で、一般のサケに対してはそんなことはしない(あまりにもたくさんとれるので、いちいちする余裕はない)」と証言されている (同所)。それに鹿が含まれることからもやはり水棲生物に限った話でもない。関連を考えるとしてもかなり間接的と言わねばならないだろう。

如上の理由により、この話に関してはアイヌの儀礼に原型を求めることに私は懐疑的である。獲物の肉や魚はカムイからの贈り物であるというアイヌの信仰をひとつの背景として取り入れつつも、具体的なところはお盆の精霊 (しょうりょう) 送り・灯篭流しのような和人の風習に材をとっているのではなかろうか。ただ、しょせん私のアイヌに関する知識はほんの 5, 6 冊の本で勉強した程度のものなので、もし元ネタとしてもっとぴったりくる話をご存知のかたがいらしたらコメントで典拠をご教示いただきたい。


英語版:Sinnoh Folk Story 1

Pick clean the bones of Pokémon caught in the sea or stream.
Thank them for the meals they provide, and pick their bones clean.
When the bones are as clean as can be, set them free in the water from which they came.
The Pokémon will return, fully fleshed, and it begins anew.
海や川でとらえたポケモンの骨をきれいにこそげとりなさい。
与えていただく肉に感謝し、骨まできれいに平らげなさい。
できるかぎり骨がきれいになったら、来たところの水に放してやりなさい。
ポケモンはちゃんと肉をつけて戻ってきて、またもとどおりになるでしょう。
第 3 行では当のポケモンが獲れたところの水に戻してやるのだと明確に補われている。これではおくりのいずみが特別な儀式の場であると解することはできず、人間の集落ごと・漁場ごとにそれぞれの場所で送られていたことになる。もちろんおくりのいずみで獲れたポケモンだけはおくりのいずみで送るわけだが、あの場所を特別視するほど多くの獲物がとれたとは思えないし、もしそうだとすればもっとべつの縁起のいい名前——豊漁の泉とか?——がついたはずだろう。だが英語版でもこの場所は Sendoff Spring と呼ばれている。英語版のこの昔話はおくりのいずみでの儀式がシンオウじゅうに広まったあとのものか、あるいは順番は逆かもしれないがともかく異なる時代の記述といえよう。


ドイツ語版:Sinnoh Volkssage 1

Säubere die Knochen der Pokémon, die du in einem Meer oder Fluss gefangen hast.
Danke ihnen für die Nahrung, die sie dir spenden, indem du ihre Knochen säuberst.
Hast du das getan, wirf die Knochen wieder zurück ins Wasser, aus dem sie kamen.
Die Pokémon werden aus den Knochen neu entstehen und der Kreislauf beginnt von neuem.
海や川で獲ったポケモンたちの骨をきれいにしなさい。
それらが恵んでくれる栄養に感謝して、それらの骨をきれいにしなさい。
それをしたら、それらが来たところの水のなかへ骨を放りこんで帰してやりなさい。
ポケモンたちはその骨から新たに生まれて、あらためて循環が始まるでしょう。
骨の返しかたがここでは werfen「投げる、放る」という動詞で指示されており、いささか乱暴に響く。とくに「ていねいに」という副詞があった日本語からはずいぶん遠ざかったようである。

ところで、ドイツ語版のおくりのいずみの名前は Scheidequelle というが、これはなかなか気の利いた翻訳である。この Scheide- という部分は多義的であるが、ここで関係すると思われるのは次の 2 つの意味だ:ひとつは Scheidelinie「境界線」や Scheidepunkt「分岐点、分かれ道」におけるように、「境界、境目、分かれ目」といった意味、もうひとつは Scheidebrief「別れの手紙=離縁状、離婚届」や Scheidegruß「別れの挨拶」のような「別れ、別離」の意味である。2 つといっても両者の意味はもちろん密接につながっている。日本語でも「分かれ」と「別れ」は同源である。そのことを考慮してこの地名は「わかれのいずみ」とでも訳せよう。泉は死んだポケモンと「別る」場にして、この世とあの世とを「分かる」境界面でもある。


フランス語版:Contes Populaires de Sinnoh, Partie 1

Régalez-vous d’un Pokémon attrapé dans une mare ou un ruisseau.
Remerciez-le pour ce repas, et ne laissez pas de restes.
Quand ses os sont blancs comme l’albâtre, déposez-les au point d’eau qui a vu naître ce Pokémon.
Le Pokémon réapparaîtra, bien en chair, pour commencer une nouvelle vie.
海や小川で獲ったポケモンを心ゆくまで賞味しなさい。
その食事に感謝して、残さないようにしなさい。
その骨がアラバスターのように真っ白になったら、そのポケモンが生まれた水源にそれを降ろしてやりなさい。
ポケモンはまるまると肉をつけて再生し、新たな生を始めるでしょう。
1 文めの動詞が se régaler「ごちそうを食べる・楽しむ、舌鼓を打つ」に変わっている。これは英語版の pick clean「きれいに平らげる」を 2 行にわたって繰りかえしているという下手な作文をそのまま移すことを避けたがったためだろう。その勢いで 2 行めも独自の内容に変わっているが、骨をきれいにすることは 3 行めの前半だけでわかるのでいちいち最初の 2 行では言わずに済ませているわけだ。

参考までにフランス語版のおくりのいずみは Source Adieu「さよならのいずみ」という。アデューというのは文字どおり「神のもとで」の意味であり、ふつうの別れの挨拶ではなく長いもしくは永劫の別れを含意する言葉である (方言ではふつうの挨拶にも使うというが)。これなどはまさに翻訳を参照する効用の好例といえよう。日本語の「おくり」、英語の ‘Sendoff’ などは、それだけでは「死別、二度と会えない別れ」というニュアンスを確実に伝えないから、われわれはたとえばこの「シンオウ昔話」を読むことやギラティナのイベントを通して「おくりのいずみ」の意味を推察するわけだが、フランス語名にあたればそこのところがただちにはっきりするのである。


イタリア語版:Prima storia popolare della regione di Sinnoh

Pulisci bene le ossa dei Pokémon catturati in mare o nei torrenti.
Ringraziali per i pasti che forniscono e puliscine bene le ossa.
Quando le ossa saranno completamente ripulite, rimettile nell’acqua.
I Pokémon torneranno, con nuova carne attorno alle ossa e potrai ricatturarli.
海や渓流で獲ったポケモンたちの骨はすっかりきれいにしなさい。
それらが与えてくれる食事に感謝し、骨をすっかりきれいにしなさい。
骨が完璧にきれいになったら、それを水に戻しなさい。
ポケモンたちはその骨に新たな肉をつけて戻ってくるから、またそれを獲ることができるでしょう。
3 行めでは返すべき水がただの acqua「水」という以上になんら指示されていない、この点では日本語版に立ちかえっているようである (実際にイタリア語訳者が参照したかは別として)。もう 1 点大きな違いとしては、最後の部分でポケモンが新たな命を取り戻すというのでなく、人間の立場——動詞 potrai は 2 人称単数で聞き手一般への呼びかけになっている——でまた漁獲できるという表現になっている。


スペイン語版:Historias populares de Sinnoh, Primera historia

Limpia los huesos de los Pokémon atrapados en el mar o en un arroyo.
Agradéceles la comida que proporcionan y limpia completamente los huesos.
Cuando los huesos estén tan limpios como el agua de la que provienen, devuélvelos a esta.
Los Pokémon regresarán, con un nuevo cuerpo y una nueva vida.
海や小川で獲ったポケモンの骨をきれいにしなさい。
それらが提供してくれる食事に感謝し、骨を完璧にきれいにしなさい。
骨がそれらの来たところの水と同じくらいきれいになったら、それらをそこへ戻してやりなさい。
ポケモンたちは新しい肉体と新しい命をもって戻ってくるでしょう。
1 行めでは arroyo「小川、細流」という単語が使われているが、ふつうの川を指す río と言ってもいいところである (たとえば川魚は pez de río だし、「鮭が川を遡る」という場合も los salmones remontan el río と言える)。じつはこの問題はフランス語でも同様で、川を表す単語はたくさんあるのにそのなかでもいちばん小さい川を指す ruisseau が用いられていた。またイタリア語版ではとくに激しい急流・渓流を指す torrente と言われている。おそらくこのようなばらつきの原因は英語版があえて river ではなく stream を使ったせいかと思われ、各訳者はそこになんらかの含みを読みとってしまったのかもしれない。stream はたしかにしばしば小川を指すのではあるが、river をも含めた河川一般を指す単語であるから、これは彼らの誤解である。

このスペイン語版は 3 行めの訳しかたも奇異な感じがある。tan limpios como el agua「水と同じくらいきれいに」と言うのだが、骨に肉片が残らないくらいきれいにというのと水のきれいさを比べるのは違うような気がする (スペイン語話者には通じるのか?)。


小括

  • いかにも元ネタがありそうだが、管見のかぎりアイヌに該当例は見あたらない。
  • 骨を送りかえす水場は漁をした場所? おくりのいずみ?
  • 獲れた場所だとすればおくりのいずみはなぜそう呼ばれるかという問題が生じる。


日本語版:シンオウ むかしばなし その2

もりのなかで くらす
ポケモンが いた
もりのなかで ポケモンは かわをぬぎ
ひとにもどっては ねむり
また ポケモンの かわをまとい
むらに やってくるのだった
こちらは明確にアイヌがモチーフである。まず根本的な話からするが、「かつてのアイヌにとって、この世界は二種類の精神的存在によって構成されていると考えられていた。ひとつはアイヌ=『人間』であり、もうひとつがカムイと呼ばれるものである。このカムイという言葉はひとことで言ってしまえば、『人間にない力を持ったものすべて』を指す言葉である」(中川裕『アイヌの物語世界』23 頁)。以前にも少し触れたのだが、〈カムイ=ポケモン〉というアナロジーはここから理解できる。

これをわかってもらったうえで、カムイに関する次の記述を読んでみてほしい:「カムイたちは、カムイモシㇼでは人間と同じ姿をしているといわれる。(中略) カムイたちが人間の前に姿を現すときは、それぞれよそいきの衣裳をつけてくる。たとえばクマの神であれば、肉を人間へのお土産として背負って、その上に立派な毛皮のコートを着てやってくる。その衣装を身にまとうと、私たちが写真や動物園で知っている、あのクマの姿になるというわけなのだ」(同書 25 頁)。カムイたちは神の領域にいるときは皮を脱いで人間の姿に戻っている、そして人間の領域に来るときには動物の皮をまとってくる。「シンオウ昔話」と完全に符合していることがわかるだろう。

私はアイヌについて勉強するまえ、この「シンオウ昔話」を予備知識抜きに純粋に読んだときにはどうにも腑に落ちなかった。森のなかでわざわざ皮を脱いで人間に戻るというのは逆なのではないか、危険な森のなかでこそ頑強なポケモンの姿をとり、人間の村ではむしろ人間の姿をとって溶けこめばよいではないかと思っていたのだ。この話は単独で読んで合理的に理解することは難しい。それはアイヌの信仰をそのままもってきていることが理由なのだとわかったときとてもすっきりする思いがした。おそらく『DPt』——そして『BD/SP』と『LEGENDS アルセウス』——の作中にはほかにもこのような解明を待っている謎が存在しているのではないだろうか。


英語版:Sinnoh Folk Story 2

There lived a Pokémon in a forest.
In the forest, the Pokémon shed its hide to sleep as a human.
Awakened, the human dons the Pokémon hide to roam villages.
森のなかで暮らすポケモンがいた。
森のなかでそのポケモンは皮を脱ぎ捨て人間として眠った。
目覚めるとその人間はポケモンの皮をまとって村々を巡った。
私が日本語版のテクストを読むとき、「その1」や「その3」との総合的理解、さらには先述したようなアイヌ的理解もあいまってか、この「ポケモン」は一般論的な複数を言っているように解していたので、ここで英語版が単数を使ってきたのを見て驚いた。しかし考えてみればこれはあくまで昔話のひとつであって、かならずしもポケモン世界の過去の歴史を物語るものではないし、「その1」「その3」とも独立したエピソードである。ひとつの昔話として特定不能の 1 匹のポケモンを主人公に立てた物語とすれば別段おかしなところはない。

それにしてもこの昔話には続きというものがあるはずだ。人間の格好をして村にやってきたあとどうなったのだろうか。どんなに短い絵本だって、たったこれだけで 1 冊が終わるということはない。英語版では 3 文、日本語版だと 2 文でたったの 68 文字 (スペース除く) である。ゲームの主人公はこんな序盤で本を閉じないで、ちゃんと最後まで読んでもらいたいものである。


ドイツ語版:Sinnoh Volkssagen 2

Einst lebte ein Pokémon in einem Wald.
In diesem Wald legte das Pokémon seine Haut ab und schlief wie ein Mensch.
Als es erwachte, hatten Menschen seine Haut genommen und übergezogen.
Sie plünderten Dörfer in der Gestalt dieses Pokémon.
昔あるポケモンが森のなかで暮らしていた。
この森のなかでポケモンは皮を脱ぎ去り人間のように眠った。
そのポケモンが目覚めたとき、人間たちはそれの皮を奪って身にまとった。
彼らはこのポケモンの姿で村々を略奪した。
???????? 唖然。ドイツ語訳者、どうした……?? 今回までで私はミオ図書館のすべてのテクストを訳したことになるが、最後にここにきて衝撃の展開、まるで意味がわからない。3 行めから訳のわからないことが起こっている。なぜか複数の Menschen「人間たち」が登場し、そいつらは最初のポケモンとはべつの存在らしく、ポケモンが脱いでいた皮を奪っていく。そしてあろうことかこのポケモンに扮して plündern「略奪する、荒らす」という蛮行まで働く。もうぜんぜんついていかれない。どうしてこうなった?

じつは 2 行めの時点でおかしいところはあって、wie ein Mensch「人間のように」という部分だが、正しく英語を訳せていれば als Mensch「人間として」になるはずである (vgl. Er spricht als Fachmann.「彼は専門家として発言する」対 Er spricht wie ein Fachmann.「彼は専門家のような口を利く」)。つまり独訳者はこの時点で、このポケモンはあくまで人間ではないと一線を引いて読んでいるようである。あくまでポケモンはポケモン、中性名詞のままなので次の行でも es として出てくるわけだ。だが英語文からそのような解釈は不可能である。英訳の第 3 文頭は awakened という分詞 1 語であるから、この分詞の主語は主節の the human と同じであって、独訳のように副文と主文でべつの主語にはなりえない。ちょっとありえないような初歩的なミスだが、〈ポケモン=人間〉という事実が理解できなかったがために色眼鏡を通して読むことになり、無理やりつじつまあわせを試みてしまったのだろうか。

ここまでひどいとさすがに直らないはずはないので、『BD/SP』でどうなるか確認するのが楽しみである。せっかく修正する理由ができたのだから、ほかの文書もいろいろと見なおされるかもしれない。


フランス語版:Contes Populaires de Sinnoh, Partie 2

Il était une fois un Pokémon vivant en forêt.
En forêt, le Pokémon retirait son pelage pour s’endormir sous forme humaine.
A son réveil, l’humain enfilait le pelage du Pokémon pour arpenter les villages.
かつて森のなかで暮らすポケモンがいた。
森のなかでそのポケモンは毛皮を脱ぎ、人間の姿で寝入ったものだった。
目覚めるとその人間はポケモンの毛皮を身につけ、村々を歩きまわるのだった。

イタリア語版:Seconda storia popolare della regione di Sinnoh

Tanto tempo fa c’era un Pokémon che viveva nel bosco.
Nel bosco il Pokémon si spogliava della pelle per dormire come un umano.
Svegliatosi, l’umano indossava la pelle di Pokémon per vagare nei villaggi.
ずっと昔、森のなかで暮らすポケモンがいた。
森のなかでそのポケモンは皮を脱ぎ人間として眠っていた。
目覚めるとその人間はポケモンの皮を身につけて村々をさまようのだった。

スペイン語版:Historias populares de Sinnoh, Segunda historia

Érase una vez un Pokémon en un bosque.
En ese bosque, el Pokémon se despojaba de su piel para dormir como un humano.
Despierto, el humano vestía la piel del Pokémon para vagar por los poblados.
かつて森のなかにポケモンがいた。
その森でポケモンは皮を脱ぎ人間として眠っていた。
目覚めるとその人間はポケモンの皮を身につけて村々をさまようのだった。
さすがに短い文章だけあって、仏・伊・西とも英訳に忠実で変わったところはない。とんでもない暴走をしたのはドイツ語版だけだったようだ。


小括

  • この話はアイヌのカムイに関する観念をそのまま導入したもの。
  • ドイツ語訳があさっての方向へ暴走。修正に期待。


「シンオウ むかしばなし その3」についてはすでに過去の記事「ひとと けっこんした ポケモンがいた」で詳しく取りあげたので改めて繰りかえさない。ただ、上の「その2」で述べたことに続けて補足すると、「各地に伝承されている神謡のひとつに、カッコウのカムイが人間の姿になって人間の女性と結婚するという話がある」(中川前掲書 25 頁) そうである。

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