mardi 21 septembre 2021

シンオウ神話翻訳集成 (5) はじまりの はなし

旧作『ダイヤモンド/パール』における「シンオウ神話」の読みなおしを期して、ここに日本語版と欧米 5 言語版との翻訳比較ならびに考察を試みる。この記事では「はじまりの はなし」を扱う。


各言語版のテクストは以下の各国語版ポケモン wiki より引用した (閲覧した版はこの記事時点における最新版)。ただし改行位置などについて細かな改変をとくに断らずに加えた場合がある。


日本語版:はじまりの はなし

はじめに あったのは
こんとんの うねり だけだった
すべてが まざりあい
ちゅうしんに タマゴが あらわれた
こぼれおちた タマゴより
さいしょの ものが うまれでた
さいしょの ものは
ふたつの ぶんしんを つくった
じかんが まわりはじめた
くうかんが ひろがりはじめた
さらに じぶんの からだから
みっつの いのちを うみだした
ふたつの ぶんしんが いのると
もの というものが うまれた
みっつの いのちが いのると
こころ というものが うまれた
せかいが つくりだされたので
さいしょのものは ねむりについた
原初の混沌というイメージは日本神話——中国の影響を受けた『日本書紀』の描く天地開闢——も含めて世界中に見られる映像であるが、卵から世界が生じたとするいわゆる宇宙卵型の神話は「意外と数は少なく」(松村一男『この世界のはじまりの物語』43 頁)、フィンランドのカレワラ神話のようにたんに卵が天地を造る材料となったようなものを除くとますます少なくなるだろう。なにもない混沌のなかに生じた卵から創造神が生まれるという筋書きが符合する例は、日本神話やアイヌ神話には見られないと思う。しかし近くは中国の漢民族に伝わる盤古神話 (植朗子編『はじまりが見える世界の神話』80–83 頁) と、インド神話の『シャタパタ・ブラーフマナ』におけるプラジャーパティ神 (松村前掲書 49–50 頁) の例を指摘できる。

実際の制作意図としてはおそらく、『金銀』以来常識となった「ポケモンはタマゴから生まれる」という発想をどうしても組みこみたかったために、それをありがちな神話に接ぎ木して作られたというところではないか。ポケモン世界内的には自然な発想といえるが、これが神話の古層であるとすればシンオウでははるか先史時代からポケモンのタマゴが知られていたことになる。このことは『金銀』とは矛盾しており、したがってジョウトとのつながりはあってはならない。少なくともシント遺跡を建てた移入者たちはジョウトでは早々に死に絶えたか同化され、その知識は失われたのだろう。

結末では「世界がつくりだされたので最初のものは眠りについた」と言われている。このように世界創造の役目を果たした創世神がただちに退場するという締めくくりかたはいかにも無難である。神話学者の大林太良は次のように述べているが、ここでのアルセウスの行きかたもまさにこのテンプレートに沿っているといえる:
世界の諸民族の宇宙創造神話を一貫している大きい特徴は、創造神の多くはいったん自分の仕事である創造を済ませてしまうと、あとはなにもしないことだ。ペッタッツォーニが論じたように、創造神の無為は、創造神の本質的な性格の一部であって、ある意味においては彼の創造的な活動を補うものである。つまり、世界がいったんつくられ、宇宙の秩序が確立されたならば、創造者の仕事は終わったも同然である。彼がそれ以上干渉したりするのは、よけいなことであるばかりでなく危険なことにもなりかねない。なぜならば、宇宙の秩序におけるいかなる変化も、創造以前の混沌状態に逆もどりさせる原因となるかもしれないからだ。いったん世界がつくられたならば、世界の存続を延長させ、世界が変わることも、変わりうることもないという安定性を保証するのがまさに創造神の本質的な機能なのである。
(大林太良『神話学入門』94 頁)
一方で、この「始まりの話」という神話が異色なのはひとつに、ここで創造主アルセウスが最初に作るのが天地などではなく「時間」「空間」を司る分身だという点である。これほど抽象的なものが根本に置かれることはめったにないのではないか。ふつうの神話では、天地を作り日月星辰を作るとその「世界の広がり」や「日の巡り」からおのずと空間・時間が定まっているという成りゆきをたどるはずである。こういった具体的な存在なしにいきなり時間・空間を体現する者を生みだすというのは、ちょっと古代人の発想として納得しがたい。ここにはたとえば海と大地と天空、太陽と月の神といったポケモンは含まれていないが、天地の広がりとそれが定める境界のないところに「空間」そのもの、太陽の動きや昼夜の交代を抜きにした「時間」そのものという観念を、ポケモン世界の原始人は理解できたのだろうか。この問題にはあとがきでもういちど触れることにする。

❀ 時間だけならばまだしも実例が存在し、フェニキアの宇宙起源神話では最初に「時間」があってそれから「欲望」と「晦冥」があったという (大林前掲書 101 頁)。だが時間と空間とが対になり相補う概念であるという発想は近代の物理学の所産ではなかろうか。萌芽的にはニュートンくらいまでたどれようが、おそらくは 20 世紀初頭の相対論以後のきわめて新しい考えかたがここには反映されているように思われる。

❀ 余談ながら、ギラティナが神話から忘れ去られた理由もまさにここにあるのではないか——そして暴れ者ゆえに存在が抹消されたというのは後づけではないか——というのが私の想像である。ギラティナは「反物質」を司る存在だと言われるが、反物質とはいったいなんなのか、古代人どころか 21 世紀の現代人ですらはっきりわかっている人は少ないだろう。古代人がよく理解できなかったために記憶されず伝承にも残らなかったのではないだろうか。

もうひとつ奇妙な点は、アルセウスが「分身」や「命」と言われているものを自分に似せて作らなかったことである。現実のたいていの神話で神は自分に似た形に人間たちを作る。ポケモンの神であればポケモンというものを自分と似た姿に作ってもよかったのではないかと思われるが、そうならなかったのはもちろんポケモンは何百種類といて姿形におよそ共通点というものがないという前提があったせいに違いない。(それほど多様なのに「ポケモン」という一括りの分類を古代人はいかにして着想しえたかというのはべつの問題だが、これはポケモン世界の (古) 生物学や考古学、宗教人類学などによって解決されるべきだろう。)

洋の東西を問わず、われわれの神話においてなぜ神が自身の似姿として人間を作るかというに、それは話が逆で神というものが人間の考えた存在であるから、神のほうが人間に似ているのである。早くも紀元前 6 世紀のギリシアの哲学者クセノパネスが指摘したとおり、もし牛や馬が絵を描けたならば彼らは牛や馬に似せて神を作ったはずなのである。そこからこのシンオウ神話を考えなおしてみると、なぜシンオウの人間は自分たちに似た神をもたなかったのかという疑問が生じてくる。シンオウ神話には「人間を作った神」が見あたらない。人間と動物/ポケモンを両方とも作った存在だとしても、姿は人間に似ているのが普通であろう。それはなにも人間のほうが動物/ポケモンよりも偉いとか優れているからというのではなくて、神話を想像=創造したのが人間だからそう言えるのだ。

ここからして、突拍子がないとしても唯一の解決法と思われるのは、シンオウ神話を考えだした祖先は人間ではなくポケモンだという発想の転換である。あるいはポケモンだったころの人間と言うほうが正確な表現かもしれない。「シンオウむかしばなし その3」が伝えるように、古いシンオウでは「昔は人もポケモンも同じだった」と信じられている。このように人間とポケモンが認識的に区別されていなかった時代の人間が、「自分たちと同じポケモン」である原初の祖先に似たものとして神を思い描いたのであろう。すなわち、シンオウ神話の創造神が人間に似ていないことからは「むかしばなし」の記述が事実として裏づけられ、これらは整合的に結びつけうるエピソードだと考えられるのである。


英語版:The Original Story

In the beginning, there was only a churning turmoil of chaos.
At the heart of chaos, where all things became one, appeared an Egg.
Having tumbled from the vortex, the Egg gave rise to the Original One.
From itself, two beings the Original One did make.
Time started to spin. Space began to expand.
From itself again, three living things the Original One did make.
The two beings wished, and from them, matter came to be.
The three living things wished, and from them, spirit came to be.
The world created, the Original One took to unyielding sleep...
はじまりに、混沌のかきまぜられる揺れ動きだけがあった。
混沌の中心であらゆるものがひとつになり、そこに卵が現れた。
卵はその渦から転げ出ると〈はじまりのもの〉を生みだした。
それ自身から 2 つの存在を〈はじまりのもの〉は作った。
時間が回りはじめた。空間が広がりだした。
ふたたびそれ自身から、3 つの生きものを〈はじまりのもの〉は作った。
2 つの存在が願うと、それらから物質が存在するようになった。
3 つの生きものが願うと、それらから精神が存在するようになった。
世界が創りだされ、〈はじまりのもの〉は不変の眠りについた。
全体を通して日本語版にきわめて忠実で、訳し落としも付け加えもほとんど見られない。前回までに検討してきた 4 編のように、具体的・歴史的あるいは人格的なエピソードと違って、ここではまさしく太初における無時間的で人間の把握能力を超えたできごとが語られており、テクストが容易な再解釈を寄せつけなかったのだろう。英訳者の慎重な態度が透けて見えるようである。


ドイツ語版:Die Geschichte des Ursprungs

Zunächst gab es nur undurchdringbares Chaos.
Mitten in diesem Chaos entwickelte sich ein Ei.
Das Chaos hinter sich lassend, wurde das Ei zum Ursprung aller Pokémon.
Das Ei teilte sich und aus ihm wurden zwei Wesen.
Das Rad der Zeit fing an, sich zu bewegen. Der Raum dehnte sich aus.
Und dem Ei entsprangen drei Leben.
Die zwei Wesen sprachen einen Wunsch und Materie entstand.
Die drei Leben sprachen einen Wunsch und Intelligenz entstand.
Nachdem dies vollzogen war, zog sich das Ei zurück in einen immerwährenden Schlaf...
はじまりに、見通しえない混沌だけがあった。
この混沌の中央に卵が発生した。
混沌をあとに残して、卵はすべてのポケモンの起源となった。
卵は分かれてそこから 2 つの存在が生じた。
時の車輪が巡りはじめた。空間が拡大した。
そして卵より 3 つの生命が発した。
2 つの存在が願いを語ると、物質が起こった。
3 つの生命が願いを語ると、知性が起こった。
これらのことが行われたあと、卵は恒久の眠りに戻っていった。
このドイツ語版がきわめて奇妙なのは、〈はじまりのもの〉アルセウスが存在せず、最後まで das Ei「卵」のままであることだ。とりわけ中間の第 2 節では、卵そのものが分割してディアルガ・パルキアとなり、また同じ卵からエムリットたちが発生したことになっている。たしかに「卵はすべてのポケモンの起源」という記述はそれだけ読めば完璧に正しいし、アルセウスがどうやってかポケモンを創ったというより理解しやすいが、そもそも他言語版ではポケモンの起源ということじたい書いていないので勇み足である。

これは独訳者がアルセウスのエピソードをよく理解していなかったことによる誤訳……と言いたくなるところだが——『BD/SP』で変更されるのかどうか注目したい——、第 2 回で論じたようにそれは世界外からの視点であってポケモン世界の解釈とは分けて考えるべきである。ドイツ語版のシンオウ世界は現に存在しており、そのなかにはこう書かれた神話の本があってそれが読まれているのだから、その世界の人々は世界創造をこういうものと理解していることになる。

彼らはアルセウスを卵のままの、または卵型の生きものと思っているのだろうか? だがそれは図鑑説明において aus einem Ei geschlüpft「卵から孵化した」(プラチナ版) とか seine tausend Arme「千本の腕」で宇宙を創った (ダイヤモンド版) とか書かれていることと矛盾する。図鑑とても誰かが書いたものなのだから、その執筆者はなにを頼りにそう書けたのかという謎が生じる。これを内在的にはいかに解決するべきであろうか。また外在的にも、ドイツ語版のプレーヤーはこれらを読んでどう反応したのかと懸念される。


フランス語版:L’histoire Originelle

Au départ, il n’y avait qu’un tourbillon de chaos bouillonnant.
Et au cœur du chaos, où toutes choses ne font plus qu’une, un Œuf apparut.
Echappé du vortex, l’Œuf donna naissance à l’Etre Originel.
Puis l’Etre Originel se sépara en deux entités distinctes.
Le temps se mit en branle. L’espace commença à s’étendre.
Puis l’Etre Originel se sépara à nouveau, pour fonder trois entités.
Les deux entités firent le vœu de donner naissance à la matière.
Les trois entités firent le vœu de donner naissance à l’âme.
Une fois le monde créé, l’Etre Originel plongea dans un sommeil profond...
はじまりに、沸きたつ混沌の渦だけがあった。
そして混沌の中心で、すべてのものがもはやひとつだけと成りはて、卵が現れた。
渦から漏れ出ると、卵は〈はじまりのもの〉を生みだした。
それから〈はじまりのもの〉は 2 つの異なる存在に分かれた。
時間が始動した。空間が広がりだした。
それから〈はじまりのもの〉はまた分かれ、3 つの存在を作りあげた。
2 つの存在は祈願した、物質が生まれるように。
3 つの存在は祈願した、精神が生まれるように。
ひとたび世界が創られると、〈はじまりのもの〉は深い眠りに沈んだ。
細かいことを言うようであるが、第 2 節の 1 行め se sépara en deux「2 つに分かれた」というのは日本語版や英語版と同じではない。これは le chemin se sépare en deux「道が二股に分かれる」というように、1 つだったものが 2 つに割れたのであってそこからさきは 2 つのものしかないことになる。アルセウスからディアルガとパルキアが出て (切り離されて) 全部で 3 者が残るのであれば en ではなく de と言うべきであろう。現に〈はじまりのもの〉はそのあとも再登場している。


イタリア語版:La storia originale

In principio era il caos, un tumulto agitato di caos.
Nel centro del caos, quando tutto divenne una cosa sola, comparve un Uovo.
Caduto dal vortice, l’Uovo diede vita alla Creatura Originaria.
Dalla Creatura Originaria vennero generati due esseri.
Il tempo cominciò a scorrere. Lo spazio cominciò a espandersi.
Dalla Creatura Originaria vennero generate tre forme di vita.
I due esseri espressero un desiderio e da loro nacque la materia.
Le tre forme di vita espressero un desiderio e da loro nacque lo spirito.
Dopo la creazione, la Creatura Originaria cadde nel sonno profondo...
はじまりに混沌、揺れ動き荒れ狂う混沌があった。
混沌の中心で、一切がただひとつのものと成ったとき、卵が現れた。
渦から落ちると卵は〈原初の生物〉を生みだした。
〈原初の生物〉によって 2 つの存在が作りだされた。
時間が流れはじめた。空間が拡大しはじめた。
〈原初の生物〉によって 3 つの生命が作りだされた。
2 つの存在が願望を発し、それらから物質が生まれた。
3 つの生命が願望を発し、それらから精神が生まれた。
創造のあと、〈原初の生物〉は深い眠りに落ちた。
英語版その他との違いはわずかだが、ひとつだけ看過できない重大な違いがある。それはアルセウスが Creatura「被造物」と呼ばれていることである。これは英語の creature と同じく——否それ以上に——神によって作られたものを意味する単語であるから、アルセウスがそうであるとすればアルセウスを創造したさらに上位の存在が想定されてしまう。イタリア語版のシンオウ世界の人々にとっては、アルセウスはすべての創造主ではなくそれじしんが創られた存在であるようだ (そして真なる神は今度こそ人間に似た姿をしているのかもしれない)。

外在的に見ると、フランス語 l’Etre Originel やスペイン語 el Ser Original と同様に l’Essere Originario のように呼んでもよかったところをあえてそうした背景には、カトリック教会のお膝元に暮らすイタリア人と思われる翻訳者の思想を嗅ぎとれないでもない。ローカライゼーションにおいてそういうことは慎んでもらいたいものだが。


スペイン語版:La historia original

Al principio, solo había confusión y caos.
En el corazón de este caos, donde todo era una cosa, apareció un huevo.
Tras salir del vórtice, el huevo dio lugar al Ser Original.
El Ser Original creó dos seres a partir de sí mismo.
El tiempo empezó a avanzar. El espacio comenzó a expandirse.
Y de nuevo, el Ser Original creó tres seres vivos de sí mismo.
Los dos seres desearon que surgiera la materia, y de ellos surgió.
Los tres seres vivos desearon que surgiera el espíritu, y de ellos surgió.
Una vez creado el mundo, el Ser Original se sumergió en el sueño eterno...
はじまりに、無秩序なる混沌だけがあった。
この混沌の中心で一切がひとつのものになったとき卵が現れた。
渦から抜け出たあと、卵は〈はじまりのもの〉のもととなった。
〈はじまりのもの〉は自分自身から分けて 2 つの存在を作った。
時間が進みはじめた。空間が広がりだした。
そしてまた、〈はじまりのもの〉は自分自身から 3 つの生命を作った。
2 つの存在は物質が発さんことを欲した、するとそれらから発した。
3 つの生命は精神が発さんことを欲した、するとそれらから発した。
ひとたび世界が創られると、〈はじまりのもの〉は永遠の眠りに沈んだ。
前回前々回もそうであったが、この場合もスペイン語は重訳 4 言語のなかでもっとも英語版に忠実であり目立った差異がない。翻訳者たちの方針の違いが窺われるようである。


総括とあとがき

  • 人間の神話がポケモンを創造神とする発想は、かつて人間=ポケモンという認識があったことを裏づけており、「シンオウ昔話」を補完している。
  • アルセウスなど存在せず、原初にあったのは卵だけだった?(ドイツ語版)
  • アルセウス自身がさらに上位の何者かに作られた存在だった?(イタリア語版)

日本語版に対するコメントで指摘したように、ディアルガ、パルキア、そしてギラティナという、アルセウスが最初に創った「分身」の神々が司るもの、というより概念は、現実の神話の実例と比べてみたとき異様なほど壮大かつ抽象的、言ってみれば「現代的」な世界観とでも形容すべきものである。それは身も蓋もない言いかたをすれば 21 世紀の日本人が創案した架空の「神話」であることに原因があると言えそうだが、われわれはこれまでどおりなるべく作品世界をありのまま真剣に受けとめ、世界のなかでこのような神話が発生してくるとすればどういうことになるかと考えてみよう。

日本神話の第一の資料たる『古事記』において、最初に現れる神であるアメノミナカヌシ (天之御中主神) は十中八九後づけの神格であろうと多くの研究者が考えている。たとえば「天の真ん中の主というのは、まるで、両脇に文殊菩薩と普賢菩薩とを侍らせた釈迦如来像のようなイメージ」であって、「釈迦三尊像のイメージが投影しているのかもしれません」と言われている (三浦佑之『古事記講義』文庫版 31 頁)。加えて次の説明も参考にされたい:
神話においては、物語のなかでもっとも古いとされる部分ほど、じつは新しい時点の産物だと考えてよさそうである。たとえば『古事記』の最初の部分、「天地初めて発けし時」にあらわれる、アメノミナカヌシ以下の五神が、別格の天つ神とされたのは、新しく加えられたことのしるしであろう。はじまりの世から天孫降臨まで、物語の順序は時間の流れに沿った形だが、できあがった順序の点では、逆に天孫降臨からはじまりの世へ、ということになるはずである。
シンオウ神話が本物の神話であるかぎり、現実の神話学の知見はそれにも援用できるはずである。この日本神話に関して観察される類型がシンオウ神話にもあてはまるとするなら、アルセウスやディアルガ以下の最初の「神々」がやたらに大仰である理由、世界観が現代的である理由にある程度納得がゆくではないか。つまりこの「始まりの話」という創世説話はシンオウ神話のなかで比較的後代に作られた部分なのである。すべての始まりから説き起こした宇宙の全歴史を語ろう、と思いつくほどに文明・文化が成熟してはじめてこの語りの生じる前提が整うのだ。

そうなればシンオウの先史時代の人々が知っていた本来の神話の中核部分にはなにがあったのかという問題が浮上する。たとえばハードマウンテンの誕生を伝えるヒードランに関する神話はそのような古層に属する部分で、周縁に位置していたからこそ細々と受けつがれてきたのかもしれない。これと並行してシンオウ本土の誕生についても土地ごとにたくさんの伝承があったのだが忘れ去られてしまい、それに対応するさまざまな「土着の」伝説ポケモンたちが消えていった……、というのは想像が飛躍しすぎだろうか。

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