samedi 5 novembre 2022

古川『ギリシヤ語四週間』解答補足 (4)

古川晴風『ギリシヤ語四週間』(大学書林、1958 年) 練習問題解答の補足解説。この記事では第二週後半 (第五日〜第七日、週末訳読) を扱う。

目次リンク:第 1 回を参照のこと。


第五日


練習 47. (109 頁)


単語欄の誤字:νεός, ᾱ́, όν の女性語尾のアクセントを欠く。

9. ζῷων のアクセントは ζῴων の誤り。τὰ μὲν ..., τὰ δὲ ... は ὁ μὲν ..., ὁ δὲ ...「ある者は……、またある者は……」の中性複数版。

10. δικαίου πολῑ́του は属格だけで「正しい市民の務め・なすべきこと」を意味する;これは練習 29-6. のように ἔργον のような名詞が省略されていると思ってもよい。文全体の骨格は κρῑ́νω だけが外側にあって、残りは対格不定法の被引用文。その主語が λαμβάνειν で動詞は不定詞の εἶναι で δικαίου πολῑ́του が述語、あとはすべて λαμβάνειν の目的語。


練習 48. (111 頁)


5. 解答に誤字:εὐεργασίᾱς → εὐεργεσίᾱς。


112 頁最下行:ἐτίμησα → ἐτῑ́μησα。


練習 49. (114 頁)


4. ἀξιόω は「対格の人や物が属格の報奨に値する」というのが基本であり、ここは属格の部分が不定詞に変わって「対格の人や物が〜するにふさわしい」という語法で、τὴν Πύλον がいわば対格主語で τειχίζεσθαι は受動態の不定詞「ピュロスが防衛強化されるにふさわしい」と見るのがよい。τειχίζεσθαι が中間態で τὴν Πύλον はその直接目的語として「(デーモステネースが自国のために) ピュロスを防衛強化する」ととるのは、不可能ではないかもしれないが必然性はない。

10. これは日本語にしても少々意味不明の文であるが、ニーキアースは前 4 世紀後半に活躍した画家で、自分が風呂に入ったか・食事をとったかどうかさえ忘れるほど仕事に没頭していたということ。原文はプルタルコス『モラリア』第 10 巻 (京大出版会の西洋古典叢書では第 9 巻所収) 786B–C 改変。


練習 50. (114 頁)


2. 誤字:ἐντεφανοῦντο → ἐστεφανοῦτο。語尾も間違っているので注意 (3 複 -‍ντο ではなく 3 単 -‍το)。

5. 問題文も解答もおかしい。「弓と投槍(τόλμη, ης, ἡ)と楯を用いて」に対し解答は « τόξοις καὶ παλτοῖς καὶ τόλμαις » となっているが、解答のとおり投槍は παλτόν であるし、τόλμη は投槍でも楯でもない。楯を意味するもっとも普通の語は ἀσπίς, ίδος, ἡ で (本書巻末語彙集にも出ている)、これを用いれば複数与格 ἀσπίσιν である。この曲用 (第三曲用歯音幹) はちょうどこの第二週第五日 §67 に出ているので、出題意図としてもおそらくこれが本来の正答であろう。


第六日


117 頁 χαρίεις の曲用表に誤字:中複主・呼 χορίεντα → χαρίεντα。


練習 51. (119 頁)


1. 現在不定詞 εἶναι は、副詞 πάλαι「昔」があるから時間としては不完了過去=「過去における現在」として訳す。このように現在と不完了過去は基準点がスライドしているだけなので不完了過去の不定詞は存在しない。過去完了の不定詞がないのも同じ理由による。◆ 動詞は受動態の λέγεται であるから、τὰ ζῷα は主文の主語 (λέγεται の主語) でもあり被引用文の主語 (εἶναι の主語) をも兼ねているというわけで、したがってこれと一致する述語の φωνήεντα は中性複数主格である。ここで動詞をもし λέγουσι という能動態の 3 複「一般に人々は〜と言っている=〜と言われている」に取りかえたとすれば、残りの単語の形はすべてそのままで τὰ ζῷα と φωνήεντα は中性複数対格と解釈されるわけである。

2. « δὶς παῖδες οἱ γέροντες »「老人は 2 度子ども (になる)」という格言そのもののほうが有名だと思う。老いると子どものときのように世話が必要な状態になるということ。

5. 注 (ロ) のようなことを形容詞の述語的用法と呼び、ふつうに修飾する限定的 (属性的) 用法に対する。これと関連して、形容詞の位置について冠詞と名詞との外側に置かれる形を述語的位置、内側もしくは冠詞をもう 1 つ使って修飾的に働く位置を限定的位置と呼ぶ。今回は述語的位置にあるから述語的用法として副詞的に訳すわけである。


練習 52. (120 頁)


5. 今度は ῎ᾱκοντας は限定的位置にあって「いやがる兵士たち」という修飾になっている。これをもし ῎ᾱκοντας τοὺς στρατιώτᾱς のように外側に出してしまうと述語的 (副詞的) になって、「兵士たちがいやがりながら進軍するよう命じた」という滑稽なことになってしまう。


123 頁 14 行:書たれた → 書かれた

124 頁 1 行:表わはす → 表わす


練習 53. (125 頁)


2. πέφῡκεν は φύω「生む」の完了受動態で、「生まれてある=生まれついている、生来そういう性質である」ということ。ここでは不定詞を伴って「〜する性質である、〜するのが自然である」。

6. 後段は、ἐπ’ ἴσᾱς ἡδονᾱ̀ς ἄγουσα が「同じ楽しみへと導くことで」という理由や手段を表す分詞句で、現在能動分詞 ἄγουσα は ἰσότης に一致した女性単数主格になっている。なお φιλίᾱν のアクセントが抜けている誤字。

8. ὀλίγον χρόνον「短い時間のあいだ」は期間の対格。

9. ἄνθρωπος ἀτυχῶν は無冠詞であるから、この分詞は模範解答のように「不幸なときには」と述語的にもとれるし、「不幸な人間は」と限定的にとることも許される。σῴζεθ’ は σῴζεται の末母音 αι が省音され、子音 τ が後続の有気音 ὑ の直前に立つことになったために同化して帯気音となった形 (§28)。


練習 54. (125 頁)


1. 解答に誤字:μεγλάῃ → μεγάλῃ、また文末のセミコロン · もピリオドの誤り。

2. 解答に誤字:έστρατευόμεθα の語頭を ἐ に。


第七日


練習 55. (129 頁)


単語欄のうち ποιητής, ου, ὁ が οῦ のアクセントを欠く。

1. θανάτου は価値の属格とみなしうる:「死に値すると判断された=死刑の判決を受けた」。

5. 巻末語彙集の「τροφός, ός, όν 養う」というのは少々わかりにくい語釈だが、語尾が 3 つあることから形容詞であって「養う (ような)、育てる (ような)」という意味の語。模範解答のとおり女性形としては「乳母」という女性名詞として定着しており、また中性形は「食物、栄養」の意味で使われる。復習になるが αὐτῆς が冠詞の内側に入っている限定的位置なので「同じ乳母」の意。外側 (述語的位置) であればもちろん「その乳母本人によって」という意味になる。

9. ἡγέομαι は語頭が長母音なので加音がついても変わらないから時制の区別に注意。3 単は現在なら ἡγεῖται だが、語尾が違って ἡγεῖτο なのでこれは不完了過去である。ちなみに完了なら ἥγηται、過去完了は ἥγητο であり 4 つとも非常によく似ている。また αὑτῷ の気音も見落とさないように (=ἑαυτῷ、再帰代名詞「彼自身に」)。◆ その彼が課せられたと考えている内容も少々難しい:査察し尋問する対象の人々が対格で言われており、この人たちはまず τοὺς οἰομένους「思っている人々」なのだが、どう思っているのかというと εἶναι σοφούς「(自分たちが) 賢いと思っている」、これはさきの対格主語に一致した男性複数対格なので自身のことだとわかる;そして続きが ὄντας οὔ であって、これは be 動詞に補語の σοφούς が省略されている形で、「(実際には) 賢くはない」というわけである。μέν ... δέ があるので「思ってはいるが実際はそうではない」という対比になっている。◆ 否定辞 οὐ はふつう無アクセントだがここでは文末に立っているのでアクセントがある:この語は後接辞 (§11) であってふつう後ろの語とあわせて発音される、つまり後ろに寄りかかる語なのでアクセントがないのだが、文末の場合は寄りかかるさきがないので自分で立っているというわけ。

10. 注 (ヘ) に誤字:女性名詞があるが → であるが。この注によれば Οἰνόη を受けている αὐτῷ は「地名だから中性」なのだという。これに関して、代名詞の性の用法として直接の説明は見いだせなかったが、Smyth, Greek Grammar, §1049 に、地名を受ける述語的形容詞が中性になるという例が出ている:ἔστι δὲ ἡ Χαιρώνεια ἔσχατον τὴς Βοιωτίᾱς.「カイローネイアはボイオーティアー地方の端にある」。また本問の場合、αὐτῷ に同格の説明として中性与格 φρουρίῳ が結びついているから、このつながりからも中性形のほうが収まりがよい一種の牽引という側面をも指摘できる (じっさい E. C. Marchant の注解は簡単に、この αὐτῷ は先行詞ではなく述語の性に従っていると言っている)。文の出典はトゥーキューディデース『歴史』2.18.2 で、原文 (一般的なテクスト) では αὐτῷ φρουρίῳ οἱ Ἀθηναῖοι という語順なので 2 語のあいだがいっそう緊密であり、これであれば性の牽引という説明がさらにもっともらしい。

ところでこの練習問題では完了時制がたくさん出てきたので、それが過去とは意味あいが違うということを確認しておこう。たとえば 4. の τέθαπται「葬られてある」というのは、アオリスト ἐτάφη が単純に歴史的事実としてマケドニアに「葬られた」というのとは違って、葬られた結果いま彼の遺体かなにかは現在その場所にあるということ、少なくとも話者はそう観念して言っているというわけである。6. の συντέτακται は「整理された結果として現在整っている」というわけで、「過去に整理された (が、それから乱れた可能性がある)」というのとは違う。同様に 7. βεβλάφθαι は「傷つけられた結果現在もその傷が残っている」、8. κέκρυπται は「隠された結果現在も隠れたままである」ということを言っている。2. καταλελειμμένοι ἦσαν や 10. ἐτετείχιστο のように過去完了であれば、その過去の時点において見て、「残された結果としてそのときキューロスのそばにいた」「築城された結果そのとき防壁があった」ということ。


練習 56. (130 頁)


3. τὸν πόδα は限定の対格「片足において」。


131 頁最下行:「未来及び完了」とあるが、命令法に未来はないので「未来及び」を削除。


練習 57. (132 頁)


8. 前半は οὐ μόνον ..., ἀλλὰ καὶ ...「〜だけではなく〜をも (英 not only ..., but also ...)」の否定辞 οὐ が命令法のため μή に変わっただけの形。分詞を否定する 2 つめの μή は一般論的に「およそ妬まないような者たちを」の意 (125 頁注 (イ) を参照)。◆ 後半に入って、現在能動分詞の男・中性複数与格は直説法現在能動態の 3 複と同形となるためややこしいが、ἀτυχοῦσι と πρᾱ́ττουσι は分詞の男複与「不幸である人々と」「行っている人々を」であるのに対し、φθονοῦσιν は直説法の動詞「妬んでいる」である。コツとしてはやはり μὲν ... δὲ ... は対比を表すわけだから形式としてもパラレルになるのがふつうで、ここでは 2 種類のタイプの人々が同じ男性複数与格の現在能動分詞で言われていて、残りは主動詞という仕組みである。

10. 模範解答は「兄弟を真の友と思え」となっているが、τοὺς ἀληθινοὺς φίλους のほうが冠詞つきなのであるからこちらが主語で「真の友は兄弟だと思え」のほうがよいはずである。それに命令の相手である「君」の兄弟たちがさきに念頭に置かれているのであれば、所有の意味の冠詞がつく τοὺς ἀδελφούς が自然であるから、その点でも解答はやや無理がある。


練習 58. (133 頁)


4. ἔλθετε は ἔρχομαι の命令法 2 アオ 2 複で、直説法の 2 アオ ἦλθον から加音を落として短い ε となった形 (不定法 2 アオ ἐλθεῖν において加音なしの本来の形がわかる)。ἀγγέλλω のほうも命令法アオリスト ἀγγείλατε でも構わないと思う。


週末訳読


ΔΥΟ ΠΗΡΑΙ (133 頁)


1 行:ἕκαστος は男性単数主格ゆえ主語の ἄνθρωπος に一致した述語的同格「人はそれぞれ」。また δύο πήρᾱς (および表題の δύο πῆραι) は「2 つ」であるが名詞は双数形ではなくふつうに複数形で言われていることにも注目したい。かならずしも双数を使う必要はないのである。

2–3 行:ἑκατέρᾱ ならびに次の文の ἡ μὲν ἔμπροσθεν と ἡ δὲ ὄπισθεν はむろん πήρᾱ が省略されているから女性単数主格なのである。ἀλλοτρίων と τῶν の (中性) 複数属格は κακῶν が省略されているから、そして属格目的語をとる動詞 γέμει をも省略されているから属格になっている。


ΕΚ ΤΟΥ ΕΥΑΓΓΕΛΙΟΥ ΤΟΥ ΚΑΤΑ ΜΑΘΘΑΙΟΝ (134 頁)


VII,7–8:きわめて有名な文句なので訳じたいに困難はなかろう。ただ、αἰτεῖτε, ζητεῖτε, κρούετε という命令法の動詞がいずれも時制は現在であるということは特筆に値する。命令法アオリストではなくて現在で言われているのである。つまり αἰτεῖτε であればたんに 1 回だけ「求めよ」というのとは違って、何度も継続的に「求めていろ、求めつづけろ」という意味なのであり、1 回求めただけで簡単に与えられるのではなく、不断に求めつづけなければ得られないのである (cf. D. A. Hagner, Matthew 1–13 [Word Biblical Commentary 33A], p. 174)。

VII,15–20:下から 3 行 ποιοῦν は現在能動分詞の中単主で、μή はやはり一般論として「よい実を作らないような木は」ということ。

単語欄の誤字:ἀπά-γω → ἀπ-άγω。


金言集 (137 頁)


5.「時節」という解答の訳語は少々はっきりしないが、この καιρός は「危機」や「重大なタイミング」と考えるとよい。そういうときにこそ真の友情が試されるということ。

7. αἰτί’ は αἰτία の省音。

8. σώμαθ’ は σώματα の省音で、ἡ の直前なので同化して τ が θ になっている。