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mardi 3 septembre 2019

16 世紀ゲルマン語訳聖書を読む:ガラテア 1:1–5

ルター訳およびそれに影響を受けたとされる同時代の北ゲルマン語訳聖書を比較して読んでみる。ここでは「ガラテアの信徒への手紙」1 章 1–5 節を題材にとる。

聖書のテクストはルターが翻訳の底本としたエラスムスによる第 2 版のギリシア語聖書 (1519 年)、ルターの初訳であるいわゆる「9 月聖書」 (1522 年)、そして事実上ルター訳がその「基礎を置くことになった」(塩谷饒『ルター聖書 抜粋・訳注』大学書林、1983 年、194 頁) というデンマーク語、スウェーデン語、アイスランド語訳の順に掲げる。

すなわちデンマーク語訳は 1524 年のいわゆるクリスチャン II 世聖書、スウェーデン語訳はグスタフ・ヴァーサ聖書に利用されることになる 1526 年の新約聖書、アイスランド語訳は 1540 年のオッドゥルの聖書で、いずれもそれぞれの言語で出版された最初の聖書である。

聖書のテクストを現在のような節に分けたのは 1550 年代のロベール・エティエンヌによるギリシア語聖書からであったから、本稿で用いたテクストにはもとよりないものであるが、便宜上この区分けを採用した。

エラスムスのギリシア語刊本にあるさまざまの特殊な文字・合字については再現できないためほとんどを通常の文字に戻したが、例外として ϛ (スティグマ = στ) と ϖ (π の異体字)、また現用と異なる記号の用法 (ὀυκ や ὁι など語頭二重母音における気息記号やアクセント記号の位置、δϊά の分音符など) だけはそのままにした。

その他のラテン文字の各国語訳において、ſ (long s) および ꝛ (r rotunda) はたんなる s, r として区別せず表した。古く上つきの小さな e として書かれていた本来のウムラウトは現代式に直した (スウェーデン語のみ。ルター初版のドイツ語にはまだなく、現在の ä は e、ö, ü はたんに o, u と書かれていた)。


Gal 1:1


Gk. Erasm 1519  [Π]ΑΥΡΟΣ ἀπόϛολος, ὀυκ ἀπὸ ἀνθρώπων, ὀυδὲ δἰ ἀνθρώπου, ἀλλὰ δϊὰ Ιησοῦ Χριϛοῦ, καὶ θεοῦ ϖατρὸς, τοῦ ἐγείραντος ἀυτὸν ἐκ νεκρῶν,
De. Lut 1522  [P]Aulus ein Apostel: nicht von menschen: sondern durch Jhesum Christ vnd Got den vater / der yhn aufferweckt hatt von den todten /
Dk. ChrII 1524  [P]Øuild en apostel / icke aff mēnisken oc ey wed noget mēniske / men wed Jesum Christū / oc gud fader / som haffuer opveisd hānom aff the døde /
Sv. NT 1526  Paulus Apostel icke vthaff mennisker / ey heller genom någhon menniskio / vthan genom Jesum Christum / och gudh fadher som honom vpwäct haffuer aff dödha /
Is. Odd 1540  [P]All ein̄ Apostule / eigi af mōm [= mönnum] / nie helldr fyre man̄in̄ / helldr fyrer Jesū Kristū / ⁊ gud faudr / sa han vpp vackti af dauda /

奇妙なことに、9 月聖書では「人々からではなく」nicht von menschen の次に続くべき「人々を通してでもなく」auch nicht durch menschen が欠けており、すぐさま「イエス・キリストと……」sondern durch Jhesum Christ vnd... と続いている。エラスムスの編集したギリシア語原文では含まれているのであるから、ルターの翻訳ミスか植字工による脱字かのどちらかであろう。ルターが生前最後に手直しした版 (Ausgabe letzter Hand, 1545 年) には „auch nicht durch Menschen“ が入っているので、この間のどこかのタイミングで修正されたらしい。北欧 3 言語ではいずれも正しく含まれている。

オッドゥル訳に Pall (= Páll) の同格の称号 ein̄ (= einn) Apostule「使徒パウロ」とあるが、このように数詞 1 を不定冠詞として使う用法は中世 (古アイスランド語) から現在に至るまでアイスランド語にはない。これは明らかにルター訳 Paulus ein Apostel のドイツ語の敷き写しである。

Gal 1:2


Gk. Erasm 1519  καὶ ὁι σὺν ἐμοὶ ϖάντες ἀδελφοὶ, ταῖς ἐκκλησΐαις τῆς γαλατΐας.
De. Lut 1522  vnd alle bruder die bey myr sind. Den gemeynen ynn Galatia.
Dk. ChrII 1524  oc alle brødre som ere hoss meg. Thend men hed vti Gallatia
Sv. NT 1526  och alle brödher som när migh äro. Then forsamblinge som är j Galatia.
Is. Odd 1540  ⁊ aller þ̄r [= þeir] brædr sem medr mier eru. Sofnudunū [= Söfnuðunum] i Galatia

alle bruder にかかる関係節内の語順に注意されたい (ギリシア語では前置詞句であって関係節でないが)。ドイツ語では die bey myr sind (= die bei mir sind) のように定動詞が末尾に来る枠構造が義務的であるが、北ゲルマン語ではそのような語順をとらない。デンマーク語訳はそのとおりデンマーク語的な語順を呈しているが、スウェーデン語訳およびアイスランド語訳では定動詞 äro, eru が文末に来ているのはルター訳の影響であろう。

ほかにはデンマーク語・スウェーデン語の独立 (前置) 定冠詞 thend, then が興味を引く。デンマーク語では次の 17 世紀の文法書 (Koch) では dend とされているし、すでに 1550 年のクリスチャン III 世聖書でも den になっているので、古東ノルド語式に th の文字が使われている最後の時代と思われる。

Gal 1:3


Gk. Erasm 1519  Χάρις ὑμῖν καὶ ἐιρήνη ἀπὸ θεοῦ ϖατρὸς, καὶ κυρΐου ἡμῶν Ιησοῦ Χριϛοῦ,
De. Lut 1522  Gnade sey mit euch vnd frid von Gott dem vater / vnnd vnserm hern Jhesu Christ /
Dk. ChrII 1524  Nade ware met eder oc fryd aff gud fader wor herre Jesu Christo /
Sv. NT 1526  Nådh wari medh idher och fridh aff gudh fadher och wårom herra Jesu Christo /
Is. Odd 1540  Nad sie med ydr / ⁊ fridr af gudi faudr / ⁊ vorū Drottne Jesu Christo

内容が挨拶の定型的であることも手伝ってか、これまでの 2 節にもまして、すべての語句が順番まで一語一句ルター訳とまるきり同じである。すなわち Gnade = Nade = Nådh = Nad、希求の接続法 sey = ware = wari = sie、前置詞 mit = met = medh = med、人称代名詞 euch = eder = idher = ydr、等々。

Gal 1:4


Gk. Erasm 1519  τοῦ δόντος ἑαυτὸν ὑπὲρ τῶν ἁμαρτϊῶν ἡμῶν, ὅπως ἐξέληται ἡμᾶς ἐκ τοῦ ἐνεϛῶτος ἀιῶνος ϖονηροῦ, κατὰ τὸ θέλημα τοῦ θεοῦ καὶ ϖατρὸς ἡμῶν,
De. Lut 1522  der sich fur vnser sund geben hat / das er vns erredtet von diser gegenwertigē argen welt / nach dem willen Gottis vnsers vaters /
Dk. ChrII 1524  som haffuer giffued sig selff for wor sønder / paa thet hand motte redde oss fran thenne neruerende onde werden / effter gudz wor faders willte /
Sv. NT 1526  som sigh för wåra synder giffuit haffuer / på thet han skulle vthtagha oss frå thēne näruarādes snödho werld / effter gudz och wårs fadhers wilia /
Is. Odd 1540  sem sialfan sig hefer vt gefit fyre vorar synder / þ̄ [= það] hn̄ frelsadi oss i fra þ̄ssari nalægri vōdri verolld / epter gudz vilia / ⁊ vors faudis /

2 節で見たのと同じく、デンマーク語はルター訳の語順 der ... geben hat に引きずられず、haffuer giffued (= 現 har givet) を関係節内の最初にもってきているのに対し、スウェーデン語訳では som ... giffuit haffuer でルター訳と同じである。アイスランド語訳 hefer vt gefit (= hefur útgefið) はここでは 2 節と異なりアイスランド語本来の語順といえる。

アイスランド語訳についてはもう 1 点指摘することができる。「私たちの父なる神の意志」(希 τὸ θέλημα τοῦ θεοῦ καὶ ϖατρὸς ἡμῶν, 独 dem willen Gottis vnsers vaters) では「神の」と「私たちの父の」という同格の属格が「意志」の後ろに 2 つ並んでおり、デンマーク語訳とスウェーデン語訳では 2 つがいずれも「意志」willte, wilia の前に並んでいるが、アイスランド語訳 gudz vilia ⁊ (= og) vors faudis では 2 つの属格が vilia の前後に分離しており、これは古風な統語法といえる (たとえば「赤毛のエイリークのサガ」Eiríks saga rauða で saga の前後に「エイリークの」と「赤毛の」が並ぶような)。じっさい、最近のアイスランド語訳聖書 (1981 年、2007 年) ではこの箇所は vilja Guðs vors og föður と後ろにまとめられている。

ギリシア語本文につき 1 点注意すると、τοῦ ἐνεϛῶτος ἀιῶνος は NA28 では τοῦ αἰῶνος τοῦ ἐνεστῶτος だが、意味は同じ (定冠詞つき名詞の修飾語になる形容詞の 2 通りの位置)。

Gal 1:5


Gk. Erasm 1519  ᾧ ἡ δόξα ἐις τοὺς ἀιῶνας τῶν ἀιώνων, ἀμήν.
De. Lut 1522  wilchem sey preysz von ewickeyt zu ewickeyt Amen.
Dk. ChrII 1524  huilken ske ere fran euighed til euighed Amen.
Sv. NT 1526  huilkom ware prijs frå ewogheet till ewogheet Amen.
Is. Odd 1540  hueriū at sie dyrd vm allder allda Amen.

永遠から永遠へ」の訳は、ギリシア語の ἐις τοὺς ἀιῶνας (複数対格) τῶν ἀιώνων (複数属格) に対し、独丁瑞では von ... zu ..., fran ... til ..., frå ... till ... のごとく、語順を逆転させ起点のほうに前置詞 von, fran, frå を補う必要があったが、アイスランド語では vm allder allda = 現 um aldir (複数対格) alda (複数属格) と時を表す格の用法の平行によってすっきり表現できている。すなわちここではオッドゥルはルター訳ではなくギリシア語原文に直接あたったのかもしれない。

mercredi 17 avril 2019

エルヴダーレン語入門 (2)

出典および凡例については第 1 回のエントリを参照のこと。Nyström och Sapir 第 1 課の続きから。


5. Fem


Og wen ir eð-dar? ではあれは何ですか?

Eð-dar ir įe grån, eð. あれはモミの木です。grån f. = gran c.「モミ、トウヒ、エゾマツ」〔Steensland 式では gron〕。こういう動植物の名前の翻訳は辞書で一対一の単語対応を見ても難しく、間違いかもしれないが、いまはたいした問題ではないので無精させていただく。似た事例のケーススタディとして新谷 (2017)「アンデルセンの Grantræet はモミの木ではない?」を参照のこと。

Ukin ir ą̊ i ferg, ą̊-dar grånę? そのモミの木はどんな色ですか? ukin = vilken, vem, hurdan「どの、どれ、どんな種類の」。grånę は既知形〔この変化は第 8 課〕。3. の an-dar rattjin や 4. の an-dar erin にも見られるように、指示詞 ą̊-dar がつくと既知形になるようだ。

Ą̊ ir fel gryön. それは緑色です。gryön = grön「緑色の」。

Grånär irå gryöner. モミの木は緑色です。grånär は複数主格既知形。irå 現在 3 人称複数 < wårå。gryöner は一致によって女性複数主格形〔形容詞の変化は第 7 課〕。ドイツ語・オランダ語・フリジア語などの西ゲルマン語を除き、叙述用法 (述語位置、i predikativ (självständig) ställning) の形容詞は性数の一致をするから、スウェーデン語話者には自明の事柄であって文法的説明がない。

6. Sjäks


Jär sir an iet aus åv noger. ここではある種の家が見られます。jär sir an = här ser man「ここでは見られる (=人は見る)」〔男性単数の 3 人称代名詞 an は不定の主語にもなる。スウェーデン語では han と man を区別〕、iet aus åv noger = något slags hus (逐語的には ett hus av något)「なんらかの種類の家」。aus n. = hus n. の対応はエルヴダーレン語で語頭の h- が規則的に消えたためで、代名詞 an = han, ą̊ = hon も同様の例。

An dug it sją̊ åv ukk eð-dar auseð ir byggt. その家がなんの素材で建てられているのかわかりません (=見ることができない)。an は前文と同じく不定主語。dug 現在単数? < dugå = duga「する、適する」〔ここでは kunna「できる」の意〕、åv ukk(u) = av vad, av vilket material「何から、どんな素材から」。

Fråmånað ausę ir eð ien kall og įe kelingg. 家のまえに男と女がいます。fråmånað = framför, före「〜の前に」、kall m. = man, karl「男」、kelingg f. = kvinna「女」。ausę は単数与格既知形または複数主・対格既知形、ここでは前者〔前置詞の与格支配〕。動詞 ir が男女 2 人 (英語なら there are) ではなく eð に一致して単数であるのは、スウェーデン語 det är とパラレルとして理解できるか。

Sir du wen dier djärå? 彼らが何をしているかわかりますか? du pron.2sg. = du「君、あなた」、dier pron.3pl. = de「彼ら」。

Ja, dier knupå min ymsu. ええ、いろんなことで忙しくしていますね。knupå = pyssla「(med 〜で) 忙しい」、min = med〔この前置詞は単語欄に出ていないが本当にスウェーデン語話者が推測できるのだろうか? 第 2 課の文法解説 (与格支配の前置詞) に出る〕、ymsu = allt möjligt, både det ena och det andra「あらゆること、あれやこれや」。

Kalln kumb min watusilån og bjär wattneð. 男性は (桶をぶら下げた) 天秤棒を担いで水を運んでいます。watusilå (古く watusili) m. = ok n.「くびき (英 yoke)」、bjär wattneð = bär vatten〔wattneð 既知形 < wattn「水」は意味上は不定なのに定形標識がつく例。Sapir (2006), p. 25〕。

Keliendję stand nest jäldem. 女性は火のそばに立っています。stand 単数現在? < standa = stå「立っている」、nest = hos, vid、jäld m. = eld c.「火」。

Yvyr ånum aindjer eð ien ketil. その (=火の) 上には鍋がかけられています。yvyr ånum = över den m.「それの上に」〔yvyr など若干の場所の前置詞は与格および対格支配で、その使いわけはドイツ語などと同様。代名詞は男性名詞 jäld を受けたもの。ånum は an の与格、第 3 課〕、aindjer 単数現在 < aindja = hänga「吊るす」、ketil m. = gryta c., kittel c.「鍋」。

7. Sju


Eð-dar ir ien byönn. これは熊です。byönn m. = björn c.「熊」。

Byönn bruker wakken i aprill. 熊は 4 月に目覚めるもの (習性) です。bruka = bruka はここでは「〜する習慣である」の意。wakken = vakna、aprill m. = april。

An kuogär autyr åyvę. (それは) 巣穴から外を窺っています。kuogär 単数現在 < kuogå = titta「見る (look, glance, gaze, stare)」、autyr = utantill; utur, ur、åyve n. = ide n.「冬眠の巣穴」〔Steensland 式では åive。語尾 -ę は与格既知形で、「その熊の」という所有が前提されている。中性名詞の格変化は第 6 課〕。

Brukum sją̊ ferdär etter åm, men int so kringgt sos luokkallär bruka. (私たちは) 熊の足跡を見ることができるでしょうが、ロカ村の人々 (がそうしている) ほど頻繁にではありません。brukum 現在 1 人称複数 < bruka〔1・2 人称複数では代名詞主語が省略されることがある。Sapir (2006), p. 30〕、ferd f. = färd; (fot)spår「旅;足跡 (efter 〜の)」、etter = efter, efteråt、åm = honom「彼に、それに」〔an の与格で ånum の別形、第 3 課〕、sos = som, såsom, liksom、luokkallär = lokakarlarna, folket i byn Loka「ロカ村の人々」。

Isn-jär byönn jät ien fisk. この熊は魚を食べています。fisk m. = fisk c.「魚」〔黙って使われているが主格と同形の対格。対格の説明は第 3 課〕。

8. Åtta


Og wen ir eð-dar? それからあれは何ですか?

Eð-dar ir iet baur, eð. あれは倉庫です。baur n. = härbre, visthusbod「倉庫、貯蔵所」。

Og war stand eð-dar baureð? ではその倉庫はどこに立っているのですか。

Nų stand eð iem ą̊ gardem. いまは家の庭に立っています。nų = nu、iem = hem「家 (で)」〔中性名詞および副詞〕、ą̊ gardem = på gården〔gard m. = gård c.「庭」。前置詞 ą̊ は与格支配〕。

Avið it apt eð dar olltiett? いつもはそれはそこにないのですか。avið apt = har ni haft〔avið は åvå の現在 2 複、apt は同じく完了分詞〕。

Näi, för ar eð stendeð auti buðum. ええ、以前は店の外に立っていました。ar 現在単数 < åvå、stendeð = stått、auti = ute, uti、buð f. = affär, bod。否定疑問への同意なので näi「いいえ」は日本語の肯定。

Ir eð iet gåmålt baur? 古い倉庫なのですか? gåmålt は属詞位置で baur に一致し中性単数形。

Ja, eð-dar baureð ir allt liuotgåmålt, eð. ええ、その倉庫は本当に恐ろしく古いものです。liuot- = väldigt「ひどく、とてつもなく (強調)」。

Irið i baurę kringgt? あなたがたはよくその倉庫にいる (来る) のですか。irið 現在 2 人称複数 < wårå。

Näi, irum it dar noð kringgt. いいえ、そう頻繁にはそこにいません (来ません)。irum 現在 1 人称複数 < wårå、it noð kringgt = inte så ofta, sällan「頻繁ではない、めったにない」。

文法


§ 男性名詞、未知形と既知形。

A. M1a (唇音で終わる語):ien kripp — krippin「子ども」、ien wep — wepin

B. M1b (k または子音 + g で終わる語):ien korg — kordjin、ien påyk — påytjin。〔前舌音 i の影響で破擦音になり、正書法にも反映される。〕

C. M1c (歯音・歯茎音・そり舌音で終わる語) と M3f. (母音で終わる語):ien kall — kalln、ien såmår — såmårn、ien uott — uottn、ien eri — erin。〔これら歯音のあとの語末 -n は成節的 stavelsebildande、本書 s. 7。〕

§ 代名詞。人称代名詞、単数 ig, du, an, ą̊, eð; 複数 wįð, ið, dier。〔wįð と ið は省略されることがあり、じっさい上の 7–8. でもいちども現れていない。〕

指示代名詞 isn, isų, ittað(-jär)「これ」、an-dar, ą̊-dar, eð-dar「それ」。

不定冠詞 ien byönn, įe kulla, iet aus。

§ 動詞の現在形

A1 グループ (dalska, spilå)。エルヴダーレン語では非常にしばしば、動詞の主要形 (temaformer) をその不定形から知ることができない。〔エルヴダーレン語の動詞の主要形とは、不定形・現在単数・過去単数・完了分詞の 4 形。〕

スウェーデン語と同じく、エルヴダーレン語には強変化動詞と弱変化動詞がある。弱変化動詞 (A) はここでは 5 つのグループに分けられる。これらのグループのうちもっとも大きいのは A1 の dalska/spilå グループである。dalska 型の動詞は長音節、spilå 型は短音節である。主に次のことが言える:
  • 長音節動詞は語尾 -a (不定形), -er (現在単数形)
  • 短音節動詞は語尾 -å (不定形), -är (現在単数形)
  • 現在 3 人称複数形は不定形と同一。dalska > dier dalska

A1 グループの動詞の現在形は以下の規則に従って活用する:

dalska 型。ig, du, an dalsker, (wįð) dalskum, (ið) dalsk, dier dalska「tala dalmål エルヴダーレン語を話す」。bruka「bruka 使う;〜する習慣である;〜するつもりである」、ietta「heta 〜という名前である」もこの型。

spilå 型。ig, du, an spilär, spilum, spil, dier spilå「spela 遊ぶ」。kuogå「titta 見る」、luvå「lova 約束する、誓う」もこの型。

不規則動詞。重要な動詞 wårå「vara 〜である」と åvå「ha 持っている」は以下のように活用する。wårå: ig, du, an ir, irum, irið, dier irå。åvå: ig, du, an ar, amme, avið, dier åvå。

mardi 16 avril 2019

エルヴダーレン語入門 (1)

スウェーデンのダーラナ県北西部、エルヴダーレン市で数千人によって話されている、エルヴダーレン語 (övdalsk, スウェーデン語 älvdalska, 英語 Elfdalian; エルフダール語とも) という言語がある。伝統的にはスウェーデン語のいち方言と考えられてきたが、スウェーデン語との相互理解可能性はなく、近年ではひとつの言語とみなされてきている。

ゲルマン祖語・ノルド祖語・古ノルド語まではあったが現代のアイスランド語やスウェーデン語などでは総じて失われている鼻母音をいまも保存していることや、これまたアイスランド語・フェーロー語以外では失われている主格・対格・与格の区別を保っていること (属格もいちおうあるもののもはや生産的ではない、この点はフェーロー語と同じ) などのアルカイスム (古拙性) がとくに注目されている興味深い言語である。世界でもっとも遅くまでルーン文字が現用されていた言語でもある (ダーラナ・ルーン、英 Dalecarlian runes)。

ここでは Gunnar Nyström och Yair Sapir, Introduktion till älvdalska, ²2015 に沿ってこの言語の文法を学んでいくことにしよう。テキストは DiVA Portal にて PDF 全文と付属の音声ファイルとがオープンアクセスとなっている (しかし音声はかならずしもテキストと一致していない。おそらく 2005 年の初版とのあいだに異同があるのだろう)。

原文はスウェーデン語による解説であり、スウェーデン語の読者にとって容易に推定されるエルヴダーレン語の単語や文法事項については説明が省かれている。それゆえ以下に記すものはテキストの忠実な翻訳ではなく、日本語の読者にとって必要と思われたこと (そしてついでにスウェーデン語の勉強になること) を適宜補ったノートというべきものである。

正直に言ってこのテキストの解説はかなり不十分であり、その課で (あるいはテキスト全体のどこにも) 説明されていない事項も無数に出てくるので、たとえスウェーデン語の母語感覚があったとしても満足のゆく理解は難しいと思われる (ヨーロッパの語学入門書にありがちな、母語の類推でなんとなくわかったまま進めていくスタイル。弊害も多いが、人工的でなくまともな内容のある文を序盤から出せるという利点がある)。

したがって以下の日本語部分は括弧〔・〕の有無を問わず大半が私じしんのコメントである。そのさい Steensland のエルヴダーレン語–スウェーデン語辞典 Älvdalsk ordbok を頻繁に活用したことと、時に応じて Lars Levander (1909), Älvdalsmålet i Dalarna など若干の文献を参照したことを記しておく。

重大な注意として、エルヴダーレン語の正書法はいまだ確立されておらず、エルヴダーレン語言語評議会 Råðdjärum によるものと、2 人の著者 Steensland および Åkerberg それぞれのもの (いずれの人物にもこの言語の辞書や文法書などの著作があり、そこで採用されている) との合計 3 つが並立しているという状況のようである。ここで扱っているのは Råðdjärum 式だが上掲のオンライン辞書は Steensland 式なので使いかたには習熟を要する。

また、エルヴダーレン語には時代に応じて 3 期の区分が行われている。すなわち 20 世紀初頭まで使われており上掲 Levander (1909) の記述した古典エルヴダーレン語 klassisk älvdalska、おおよそ 1920–50 年生まれの話者が話す格変化を若干失った伝統的エルヴダーレン語 traditionell älvdalska、そしてそれ以降の世代の話者の現代エルヴダーレン語 modern älvdalska の 3 つである (時期区分については Garbacz (2010), ‘Word Order in Övdalian’, esp. pp. 35f.)。

しかし現在盛んな再活性化 revitalisering の運動のただなかにあるこの言語では、古風な特徴をとどめた古典エルヴダーレン語に大きな敬意が払われており、Nyström och Sapir で概説されているのも、Bo Westling 訳『星の王子さま』Lisslprinsn (初版 2007 年、改訂版 2015 年) が書かれているのもこの文法なのである。百年以上まえの Levander (1985 年にリプリントされた) をいまも参考にしうるのはこのゆえである。


第 1 課 (Fuost leksiuon)


1. Iett


Wen ir ittað-jär? これは何ですか? wen = vad「何」、ittað-jär n. = det här「これ (中性)」〔男性 isn-jär, 女性 isų-jär とともに 3 性を区別する〕。ir は be 動詞 wårå の現在単数形。

Ittað-jär ir įe kulla. これは少女です。kulla f. = flicka c.「少女」。įe は女性の不定冠詞。

Ur ietter isų-jär kullą? この少女はなんという名前ですか? ur = hur「どのように」〔スウェーデン語では vad heter と「何」を使う〕、ietter 現在単数 < ietta = heta「という名前である」。kullą は kulla の既知形〔弱変化女性名詞の既知形は第 3 課〕。

Ą̊ ietter Emma. 彼女はエンマといいます。ą̊ pron.f.sg. = hon, den f.「彼女、それ (女性名詞)」。

Ur gåmål ir ą̊? 彼女は何歳ですか。gåmål = gammal「古い、歳をとった」。

Eð ir it guott witå. それは簡単にはわかりません。eð pron.n.sg. = det「それ」、it = inte「〜ない」、guott 中性単数 < guoð = god「よい」、witå = veta「知る」。単語欄にこの全体が det är inte lätt att veta とあるのでそれを訳したが、エルヴダーレン語文を直訳すれば it is not good [to] know.  英語の to にあたる不定詞標識 te = att が省略されている (Sapir (2006), ‘Elfdalian, the Vernacular of Övdaln’, p. 30 を見よ)。

Ą̊ ir ellåv år, truor ig. 彼女は 11 歳だと思います。ellåv = elva「11」、år n. = år n.「年」、truor 単数現在 < truo = tro「思う、信じる」〔この動詞の活用は第 4 課〕、ig pron. = jag「私」。

Ą̊ sir aut so ny̨ögd og glað. 彼女はとても喜んでいてうれしそうに見えます。sir 単数現在 < sją̊ = se「見る」、aut = ut〔sją̊ aut = se ut「に見える」。sją̊ は Steensland 式の綴字法では sjǫ〕、so = så、ny̨ögd = nöjd「満足した、喜んだ (nöja の過去分詞)」、og = och、glað = glad「うれしい」。

Emma baðer i sju’mm kringgt. エンマはよく湖で (?) 水浴びをします。baðer < baða = bada「入浴する、水浴びする」、kringgt = ofta「しばしば」。sju’mm がわからず、sju m. = sjö c.「湖」の複数与格かと推測〔第 9 課 tjyr の複数与格 tjy’mm に比するか。Levander, s. 23 には sju の完全なパラダイムも載っているが、彼はたいへんややこしい文字表記を用いているため判断がつかない〕。

2. Twå


Wen ir ittað-jär? これは何ですか?

Ittað-jär ir ien påyk. これは少年です。påyk m. = pojke c.「少年」〔Steensland 式では påik。この語は明らかにフィンランド語 poika からの借用である〕。ien は男性の不定冠詞。

Wen bruker isn-jär påytjin djärå? この少年は何をしようとしているのですか? bruker 単数現在 < bruka = använda, bruka「使う、利用する」、しかしここでは英 will の意か。påytjin は påyk の既知形〔k > tj の発音変化はフェーロー語と同じだが、綴り字に反映されるところが向こうと違っている〕。djärå = göra, arbete「する、行う」〔Steensland 式では dşärå、Åkerberg 式では dşäro〕。

An bruker renn ą̊ skrikkskuo’mm. 彼はスケートをするつもりです。an pron.m.sg. = han, den m.「彼、それ (男性名詞)」、renn ą̊ skrikkskuo’mm = åka skridskor「スケートをする」〔ą̊ は与格支配の前置詞、この -’mm も複数与格語尾か〕。

Ur ietter eð an ar ą̊ nevum? 彼が手に持っている (つけている?) ものはなんという名前ですか? ar 単数現在 < åvå = ha「持っている」、ą̊ nevum = på händerna「(両) 手に」〔nevi (若い世代で nevå) m. = hand c.「手」〕。

Eð ir fel uottär. 手袋ですよ。fel = väl, ju, nog、uottär 複数主格既知形 < uott = vante c.「手袋」〔一見わかりづらいが PG. *wantuz > ON. vǫttr, vantr に遡る同源語。älv. および isl. vöttur, før. vøttur では nt > tt の同化が起こったため。男性複数形の説明は第 4 課〕。

3. Tri


Wen ir ittað-jär för iet krytyr? これは何の動物ですか? krytyr n. = djur n., kreatur n.「動物」。iet は中性の不定冠詞。för は調べがつかず、しかし会話の流れから見てこのようにしかとれないだろう。

Ittað-jär ir ien rakke. これは犬です。rakke m. = hund「犬」。

An-dar rattjin ir it stur, an itjä. その犬は大きくはありません。an-dar m. = den där m.「それ、その」〔同様に女性 ą̊-dar, 中性 eð-dar〕、rattjin は rakke の既知形。itjä も否定詞で、ここでは代名詞と否定詞が繰りかえされている (このような反復については Sapir 前掲論文 p. 30 に説明がある)。

Kanstji eð ir ien wep? おそらくこれは仔犬では? kanstji = kanske「たぶん、おそらく」、wep m. = valp c.「仔犬;動物の仔」。

An swisker rumpun, dar nogär kumb. 誰かが近づけば尻尾を振ります。swisk(a) rumpun = vifta med svansen「尻尾を振る」〔rumpa f. = svans c.「尻尾」〕、dar = när「〜するとき」、nogär = någon、kumb 単数現在 < kumå = komma「来る」〔kumå の活用は第 8 課。しかし、ここではなく後掲 6. の会話には kumb = kommer の注釈がある〕。

4. Fyra


Og wen ir eð-dar för krytyr? それからあれは何の動物ですか? やはり för の意味がとれず。しかもなぜ不定冠詞 iet が消えたのか?

Eð-dar ir ien eri. それは兎です。eri m. = hare c.「野兎」。

An ir it stur an eld! それはぜんぜん大きくありません。eld = eller, heller。2 つめの an は不明、代名詞の反復ならばほかの例ではコンマが前置されているが……?

War sit an-dar erin noger? その兎はどこに (座って) いますか? war = var「どこ」、sit 単数現在? < sittja, sitta = sitta「座っている、いる」、noger = någonstans「どこか」?

An sit fel nið ą̊ bokkam, i grasį. 野原に (座って) いますよ、茂みのなかに。nið ą̊ bokkam = på marken「地面に、野原に」〔bokka m. = mark c.「野原」〕、i grasį = i gräset「草のなかに」〔gras n. = gräs n.「草」。grasį は単数与格既知形〕。

An jät graseð, an. それは草を食べます。jät 単数現在 < jätå = äta「食べる」。graseð は gras の単数対格既知形〔中性名詞の語形変化は第 6 課〕。

Itjä ir erin slaik i ferg olltiett? 野兎はいつもこのような色をしていないのではありませんか? itjä = inte, icke〔Steensland 式では itşä〕、erin ir slaik i ferg = haren har sådan färg〔slaik = sådan「その (この) ような」、ferga f. = färg c.「色」〕、olltiett = alltid, hela tiden。

Näi, slaik ir an, dar såmårn ir. ええ、夏にはこんなふうなのです。dar såmårn ir = på sommaren (逐語的には när sommaren är)「夏に (=夏であるとき)」。

Um wittern ir an wait. 冬には白いです。witter m. = vinter c.「冬」〔um wittern = på vintern; um wittrą = på vintrarna〕、wait = vit「白い」。

Du lär fel witå ur erir uppa? 兎がどのように跳ねるかはよくご存知ですね? lär 単数現在? < lära = lära「教える;学ぶ」、erir = harar(na) 複数未知形および既知形、uppa = hoppa「跳ねる」。

samedi 25 août 2018

16 世紀北ゲルマン語圏の聖書を読むための覚書

ヨーロッパの 16 世紀は宗教改革の世紀である。ルターがいわゆる 95 箇条の提題を (ラテン語で) 張りだしたのが 1517 年の 10 月 31 日、そして聖書のもっとも重要な (初期新高) ドイツ語訳であるルター聖書が世に出たのは、1522 年のいわゆる 9 月聖書であった (新約のみ。旧約および外典を含む完訳は 1534 年)。

このときルターが翻訳の基礎としたのは、エラスムスの手になるギリシア語新約聖書 Novum Testamentum omne の第 2 版 (1519 年) である。エラスムス校訂のギリシア語テクスト (初版は 1516 年) は公認本文 (テクストゥス・レケプトゥス textus receptus) と呼ばれ、ルター訳のみならずそれを通して以下の北欧語訳に、それからなにより英訳聖書のティンダルや KJV のもととなっていくもので、現代の本文批評からすればさまざまの問題があるにせよいまも熱心な支持者はいるようだ。

デンマーク語で印刷された最初の聖書は 1524 年のクリスチャン II 世聖書で、これも新約のみであったが、最初の完訳は 1550 年のクリスチャン III 世聖書 (Christian III’s Bibel) である。この底本についてはいまいちよくわかっていないが、王の希望でルターのドイツ語訳に可能なかぎり近づけられたものらしい。そのためデンマーク語訳ではあっても教養のない農民階級にとっては理解困難なものだったという。この聖書はノルウェーでも用いられた。

スウェーデン語訳はやはり翻訳を命じた王の名前をとったグスタフ・ヴァーサ聖書 (Gustav Vasas bibel) が重要であり、これは新約部分が 1526 年、完訳は 1541 年。スウェーデン語は私の守備範囲外なので詳しく調べていない。

アイスランド語の最初の完訳聖書は、ホーラル司教グヴュズブランドゥル・ソルラウクスソンによるグヴュズブランドゥル聖書 (Guðbrandsbiblía) で、これは 1584 年に刊行された。ただしその新約部分は先行する 1540 年出版のオッドゥル・ゴットスカウルクソンの新約聖書 (Nýja testamenti Odds Gottskálkssonar) をあまり変えずに用いているということである。

フェーロー語に聖書が翻訳されるのは残念ながら 19 世紀に入ってからのことなのでここでは取り扱わない。宗教改革期以降フェーロー諸島ではデンマーク語の影響が顕著になり、聖書以下宗教関係の文献はデンマーク語のまま用いられた。


さてこれらの聖書は (エラスムスのものを除いて) 当時のゲルマン語の出版物であるからすべてブラックレター体で印刷されている。ブラックレターは俗にドイツ文字と呼ばれるフラクトゥールの同義語として用いられることも多いが、正確にはより広い呼び名であって、ここではフラクトゥール (Fraktur) の作られるまえに使われていたシュヴァーバッハー体 (Schwabacher) の名をとくにあげておく。

というのは、このシュヴァーバッハー体はだいたい 1530 年ころからフラクトゥールに取って代わられていくのだがそれ以前には広く使われ、とりわけ 1522 年のルター聖書ではシュヴァーバッハー体が用いられているのに加えて、先述のもののなかではオッドゥルのアイスランド語新約聖書もこの書体で組まれているからである。

シュヴァーバッハーにせよフラクトゥールにせよ、読むうえでの注意点はだいたい共通している。まず、何度も頻出する単語や語尾などは略記される場合があるということ。どういう語がそうであるかは言語によって違うので一概に言えないが、その言語を読めるほどに習熟していれば難しくはない。

それからいくつか特殊な文字があるということ。代表例は ſ すなわち「長い s」だが、これはあまりにも有名であって、ブラックレターのみならずかなり最近 (19 世紀) のローマン体の文書でもおなじみであるからあえて贅言を要しない。

しかし s に 2 種類あることは周知でも、r にも 2 種類 (あるいはそれ以上) あったことはあまり知られていないのではないか。ブラックレターを読むときに覚えておかなければならないのは r rotunda「丸い r」と呼ばれるもので、ローマン体の r と似ていてすぐにわかる 𝔯 のほかに、一定の場合に ꝛ という数字の 2 に似たべつの形をとるのである。

その一定の場合というのはかならずしも明らかでなく、前の字が右側に弧状の丸みをもつ場合 (b, o, p など) と説明されていることがあるが、それはドイツ語あるいはラテン語などでは正しかったのかもしれないがどうもそうではない例も見受けられる。


この画像はオッドゥルの新約からルカ伝 4 章冒頭の段落である。いちばん上の行は „fiordi capitule“ と書かれている。その 2 行下の最初の単語は „Jordan“ である。いずれも o の直後に r が来るが、見慣れた r が書かれている。

一方この段落のいちばん最後の単語 „ordi“ では、同じ o のあとなのに r rotunda が使われている。その真上の語 „madrin̄“ (現代のつづりでは maðurinn にあたる) もそうであるが、d はブラックレターでは右側が丸い文字にあたるのでこれは法則どおりである。しかし 1 行め後ろから 2 番めの „aptr“ はそれでは説明がつかない。


いま掲げた画像はグヴュズブランドゥル聖書からルカ伝 4 章の続き。顕著なのは 3 行め右から 5 番めの単語 „fellr“ で、明らかにどこも丸い部分がない l の直後で r rotunda が用いられている。


ダメ押しにもうひとつだけ示しておく。これは 1526 年のスウェーデン語の新約マタイ伝 1 章冒頭だが、1 行め大きい活字の最後 „Chri⸗[sti]“ の r も、この行だけテクストゥールらしい書体で、たまたまどこも丸くない h の直後に r rotunda が置かれている (もっとも r rotunda を使う基準として、その書体のグリフが丸いかどうかはあまり関係がないようだが)。

ところでこれらの文書は s の使いかたもわれわれの知る常識どおりではないところがある。さきほどのグヴュズブランドゥル聖書の画像の 2 行め中央から „⁊ þeſſ pryde mun eg ...“ とあって、明らかに語末なのに長い s が使われている。逆に最初のオッドゥルの最下行を写すと „dr af sier hueriu gudz ordi“ となっているが、語頭で丸い s が使われている。まあどちらの形でも s は s、r は r なので読解上の支障はないと思う。

では最後に、すでに画像から気がついていたかもしれないが、オッドゥルの紙面ではギリシア文字の τ かひらがなの「て」に似た、あるいはグヴュズブランドゥルの活字では数字の 7 か ƶ にでも似た謎の文字が頻出している。

これはアイスランド語では og、すなわち英語の and にあたる記号である。もともとローマ時代の速記官ティロ Tiro の記法 (にあとから付け加えられたもの) といい、とりわけ古英語やアイルランド語で ⁊ の形でよく見かけられるもので、Tironian ond や Tironian et などと呼ばれている (ond は古英語で and にあたる語、et はラテン語で & の字形のもとになった語。アイルランド語のため agus と呼ばれることもある)。

vendredi 8 décembre 2017

アリスの最初のスウェーデン語訳

1865 年に『不思議の国のアリス』の初版が刊行されたあと,ルイス・キャロル本人の監督のもと 1869 年にドイツ語訳とフランス語訳が出版された.その次に出た翻訳がスウェーデン語訳である.それは 1870 年のことで,タイトルは Alice’s äfventyr i sagolandet, 訳者は Emily Nonnen である.ただしこれはキャロル非公認の翻訳であったらしい (スウェーデン語版 Wikipedia より).

これもあいにく PDF やテキストファイルとしては手に入らないのだが,画像としてはスウェーデンの Litteraturbanken というサイトでファクシミリ版が閲覧できる.私はスウェーデン語は勉強したことがないのでちゃんとした検討は不可能だが,どうも忠実な直訳ではなさそうだ.I 章最初の段落はこうなっている:
Lilla Alice tyckte att det var bra tråkigt att sitta bredvid systern på den mossiga bänken och ingenting ha att göra; ett par gånger hade hon tittat in i boken, som systern låste uti; men det fanns hvarken plancher eller samtal i den, »och hvad kan det vara för roligt i en bok utan plancher eller samtal», tänkte Alice.
参考のために原文を掲げれば,次のとおり:
Alice was beginning to get very tired of sitting by her sister on the bank, and of having nothing to do: once or twice she had peeped into the book her sister was reading, but it had no pictures or conversations in it, ‘and what is the use of a book,’ thought Alice, ‘without pictures or conversations?’
比較してみればいくつか違いがあることがわかる.もちろん細かな前置詞や接続詞の違い,また her にあたる語が sister (syster) につくかわりにただの既知形になっていることなどは,おそらくそのほうがスウェーデン語として自然なのだろうということで説明ができるし,もうひとつ once or twice が ett par gånger (lit. a pair of times) になっているのも同じ理由から不問としてよさそうであるが,それら以外にも相違点は見受けられる.

すなわち,スウェーデン語訳の第 1 文 (最初のセミコロンの前まで) では英語にはない形容詞 lilla (小さな) と mossiga (苔むした) が付け加わっているし,主節の動詞は tyckte att (lit. thought that) となってまるっきり文構造が変わっている (原文では「退屈になりはじめていた」なのにスウェーデン語ではすでに退屈に思ってしまっている).またアリスのセリフ中にある use (役に立つ) も roligt (おもしろい,funny の意味) に言いかえられている.これらの 4 点は明らかに意味の改変と言うことができるだろう.

私は今回デンマーク語版のアリスを読むにあたって,英語 (1865 年) とドイツ語 (1869 年) とデンマーク語 (1875 年) の比較をしてみようと思いたち,そういえばこれらのあいだにはスウェーデン語訳 (1870 年) があったなと思いだして,読めないまでも同じゲルマン語でしかもデンマーク語とよく似ているはずのスウェーデン語ならなにかの参考にはなるのでないかと考えたのだが,どうやらこの調子の翻訳では私の期待した用途に役立てるのは難しそうである.