mardi 28 décembre 2021

古代ギリシア語訳『星の王子さま』を読む:序文

現代の文学作品が古代ギリシア語に翻訳された例は数少ないのだが、そのわずかななかに『星の王子さま』が含まれているのは幸運というべきか、それとも必然であるかもしれない。この訳業はセント・アンドリューズ大学で長年ギリシア語とラテン語を講じている Juan Coderch 氏が 2017 年に公にしたもので、氏は現代の世界のニュースを古代ギリシア語で紹介するという活動 (Akropolis World News) をすでに 2002 年から 20 年来続けてこられている、生きた言語としての古代ギリシア語の普及に熱心な人物である。

そしてたいへんありがたいことに、彼はギリシア語とラテン語の文法書をはじめとした自著のほとんどをホームページで無償で公開しておられるのだが、『星の王子さま』のギリシア語訳もまたその例に漏れていない (ちなみに紙の本の販売も行われている)。この訳書は CC BY-NC-SA 3.0 のライセンスで公開されており、著者名を正しくクレジットし非営利の利用であるかぎりは全文の転載も翻案も自由である。

この恩恵にあずかって、以下では古代ギリシア語版『星の王子さま』の精読を行い、翻訳に加えて文法の分析・語彙の解説をしていきたい。本書は副題に ‘with vocabulary help’ とあるとおり難しい単語に語注がついているのではあるが、(私のように) 文法を通り一遍終えた程度で語彙力はぜんぜんない者にとってはこれでも不足しており、ギリシア語で説明されている語注それじたいが理解できないということもまれではない。イマージョン教育を目的とした本書の編集方針をぶち壊しにすることになってしまうが、私は日本人の学習者のために日本語で語義を与え日本語で文法を説明していくことにする。

では、例によって序文 (献辞) から順番に読みはじめるとしよう。


Τῷ Leon Werth


レオン・ヴェルトに

献辞。名前の部分はラテン文字表記で無変化で使われており、定冠詞によってこれが与格であることが示されている。ちなみに Léon のアクサンはなぜか落ちている。


Tοὺς παῖδας συγγνώμην αἰτοῦμαι διότι ταύτην τὴν βίβλον ἀνθρώπῳ τινὶ καθιέρωσα ἤδη τελείῳ ὄντι.


私は子どもたちに許しを請う、この本をすでに成人しているある人物に捧げたことについて。

συγγνώμην (女) 単対 < συγγνώμη「許し、容赦」。

αἰτοῦμαι 直現中 1 単 < αἰτέω「求める」。自分のために求めるという中動態。

διότι 接「〜なので、という理由で」。理由を表す接続詞。διὰ ὅτι より。

καθιέρωσα 直アオ能 1 単 < καθιερόω「捧げる」。

τελείῳ 男単与 < τέλειος, (α,) ον「最終的な、完全な;大人の」。


ὅμως δέ, μεγάλη μοι πρόφασις ὑπάρχει· οὗτος ὁ ἄνθρωπος βέλτιστός ἐστί μοι τῶν ἐμῶν ἐν πάσῃ τῇ οἰκουμένῃ φίλων·


とはいえ、私には大きな言い訳がある:この人は全世界の私の友人たちのうちで最良の (友人) なのである。

ὅμως 接「しかしながら、それにもかかわらず」。

πρόφασις, εως (女) 単主「動機、理由;口実、言い訳」。

ὑπάρχει 直現能 3 単 < ὑπάρχω「根底にある、以前に存在する;[与] の手にある、自由に使える」。

βέλτιστος 最・男単主 < ἀγαθός「よい」。不規則な最上級 (補充形)。

οἰκουμένῃ (女) 単与 < οἰκουμένη「人の住む領域、世界」。πᾶς は位置によって意味が変わる単語なので、教科書どおりに考えると「全世界」というには冠詞の内側で ἡ πᾶσα οἰκουμένη ということになりそう——外側では「すべての世界、どの世界でも」になりそう——だが、なんでかこのように言うらしい。


καὶ δὴ καὶ ἄλλην πρόφασιν ἔχω· οὗτος ὁ ἄνθρωπος οἷός τ’ ἐστι πάντα συνιέναι, ἄλλα τε καὶ τὰς βίβλους τὰς τοῖς παισὶ γεγραμμένας·


さらにまたほかの言い訳もある:この人はすべてを理解できる、ほかのことも子どもたちのために書かれた本をも (理解できる人なのである)。

καὶ δὴ καί このような小辞のニュアンスのちゃんとした説明は私の手に余る。Denniston, Greek Particles, pp. 253, 255 によれば、καὶ δὴ καί の第一義的な意味は καὶ ... δή と基本的に異なるところがなく、この後者は καί による付け加えが重要なものであることを意味するという。

οἷός τ’ ἐστι「できる、能力がある」。οἶος だけでは「そのような、どのような」という関係代名詞であるが、οἶός τ’ εἶναι になるとどんなわけかそういう意味になる。

συνῑέναι 不現能 < συνῑ́ημι「知覚する、理解する」。


τρίτη δὲ πρόφασίς μοι κεῖται· οὗτος ὁ ἄνθρωπος ἐν τῇ Γαλατίᾳ οἰκεῖ, οὗ πεινῶν τε καὶ ῥιγῶν πάσχει, δεῖ οὖν μάλιστα πραΰνειν αὐτόν·


また 3 つめの言い訳も私にはある:この人はガリアに住んでいて、そこで彼は飢えと寒さに苦しんでいる、それゆえ彼を慰めることが大いに必要なのである。

Γαλατίᾳ (女) 単与 < Γαλατίᾱ「ガラテア;ガリア」。新約聖書にも出てくる小アジアの地方ガラテアと、アルプスの両側のガリアいずれをも指すが、ここではもちろんガリア=フランスのこと。

πεινῶν (女) 複属 < πεῖνα「飢え」。

ῥῑγῶν (中) 複属 < ῥῖγος, εος「冷気、寒さ」。

πραΰνειν 不現能 < πραΰνω「和らげる、なだめる、落ちつける」。


εἰ δὲ αὗται αἱ προφάσεις οὐχ ἱκαναί εἰσιν, βούλομαι ταύτην τὴν βίβλον τῷ παιδὶ καθιεροῦν ὅς ποτε οὗτος ὁ ἄνθρωπος ἦν,


だがもしこれらの言い訳が十分でないならば、私はこの本を、かつてこの人がそれであったところの子どもに捧げることにしたい。

ἱκαναί 女複主 < ἱκανός, ά, όν「十分である、満足である」。

καθιεροῦν 不現能 < καθιερόω。οω 動詞の不定法語尾の形に注意。だがなぜここに不定法アオリスト καθιερῶσαι でなく現在が選ばれたのかはいまいちわからない。「捧げようとしたい」という起動 (inchoative) の感じか?


πάντες γὰρ οἱ ἄνθρωποι παῖδες ἦσαν τὸ πρότερον (καὶ εἰ ὀλίγοι τινὲς τούτου μέμνηνται)·


というのもすべての人間は以前には子どもだったのだから (たとえ少数の人しかそのことを覚えていないとしても)。

πρότερον 中単対 < πρότερος「前の、以前の;前者の」。πρό から作られた比較級。この中性はもちろん副詞として働いている。

μέμνηνται 直現完中 3 複 < μιμνήσκω「思いだす、覚えている」。記憶に関する動詞は属格目的語をとるのが相場 (高津春繁『基礎ギリシア語文法』§118.2.a.)。


ἐπανορθῶ οὖν τὴν ἐμὴν καθιέρωσιν· Τῷ Leon Werth τότε ποτὲ παιδὶ ὄντι


それゆえ私は私の献辞を書きなおす:かつて子どもだった当時のレオン・ヴェルトに

ἐπανορθῶ 直現能 1 単 (約音後) < ἐπανορθόω「修正する、改訂する」。

καθιέρωσιν (女) 単対 < καθιέρωσις, εως「献呈」。

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