samedi 25 août 2018

16 世紀北ゲルマン語圏の聖書を読むための覚書

ヨーロッパの 16 世紀は宗教改革の世紀である。ルターがいわゆる 95 箇条の提題を (ラテン語で) 張りだしたのが 1517 年の 10 月 31 日、そして聖書のもっとも重要な (初期新高) ドイツ語訳であるルター聖書が世に出たのは、1522 年のいわゆる 9 月聖書であった (新約のみ。旧約および外典を含む完訳は 1534 年)。

このときルターが翻訳の基礎としたのは、エラスムスの手になるギリシア語新約聖書 Novum Testamentum omne の第 2 版 (1519 年) である。エラスムス校訂のギリシア語テクスト (初版は 1516 年) は公認本文 (テクストゥス・レケプトゥス textus receptus) と呼ばれ、ルター訳のみならずそれを通して以下の北欧語訳に、それからなにより英訳聖書のティンダルや KJV のもととなっていくもので、現代の本文批評からすればさまざまの問題があるにせよいまも熱心な支持者はいるようだ。

デンマーク語で印刷された最初の聖書は 1524 年のクリスチャン II 世聖書で、これも新約のみであったが、最初の完訳は 1550 年のクリスチャン III 世聖書 (Christian III’s Bibel) である。この底本についてはいまいちよくわかっていないが、王の希望でルターのドイツ語訳に可能なかぎり近づけられたものらしい。そのためデンマーク語訳ではあっても教養のない農民階級にとっては理解困難なものだったという。この聖書はノルウェーでも用いられた。

スウェーデン語訳はやはり翻訳を命じた王の名前をとったグスタフ・ヴァーサ聖書 (Gustav Vasas bibel) が重要であり、これは新約部分が 1526 年、完訳は 1541 年。スウェーデン語は私の守備範囲外なので詳しく調べていない。

アイスランド語の最初の完訳聖書は、ホーラル司教グヴュズブランドゥル・ソルラウクスソンによるグヴュズブランドゥル聖書 (Guðbrandsbiblía) で、これは 1584 年に刊行された。ただしその新約部分は先行する 1540 年出版のオッドゥル・ゴットスカウルクソンの新約聖書 (Nýja testamenti Odds Gottskálkssonar) をあまり変えずに用いているということである。

フェーロー語に聖書が翻訳されるのは残念ながら 19 世紀に入ってからのことなのでここでは取り扱わない。宗教改革期以降フェーロー諸島ではデンマーク語の影響が顕著になり、聖書以下宗教関係の文献はデンマーク語のまま用いられた。


さてこれらの聖書は (エラスムスのものを除いて) 当時のゲルマン語の出版物であるからすべてブラックレター体で印刷されている。ブラックレターは俗にドイツ文字と呼ばれるフラクトゥールの同義語として用いられることも多いが、正確にはより広い呼び名であって、ここではフラクトゥール (Fraktur) の作られるまえに使われていたシュヴァーバッハー体 (Schwabacher) の名をとくにあげておく。

というのは、このシュヴァーバッハー体はだいたい 1530 年ころからフラクトゥールに取って代わられていくのだがそれ以前には広く使われ、とりわけ 1522 年のルター聖書ではシュヴァーバッハー体が用いられているのに加えて、先述のもののなかではオッドゥルのアイスランド語新約聖書もこの書体で組まれているからである。

シュヴァーバッハーにせよフラクトゥールにせよ、読むうえでの注意点はだいたい共通している。まず、何度も頻出する単語や語尾などは略記される場合があるということ。どういう語がそうであるかは言語によって違うので一概に言えないが、その言語を読めるほどに習熟していれば難しくはない。

それからいくつか特殊な文字があるということ。代表例は ſ すなわち「長い s」だが、これはあまりにも有名であって、ブラックレターのみならずかなり最近 (19 世紀) のローマン体の文書でもおなじみであるからあえて贅言を要しない。

しかし s に 2 種類あることは周知でも、r にも 2 種類 (あるいはそれ以上) あったことはあまり知られていないのではないか。ブラックレターを読むときに覚えておかなければならないのは r rotunda「丸い r」と呼ばれるもので、ローマン体の r と似ていてすぐにわかる 𝔯 のほかに、一定の場合に ꝛ という数字の 2 に似たべつの形をとるのである。

その一定の場合というのはかならずしも明らかでなく、前の字が右側に弧状の丸みをもつ場合 (b, o, p など) と説明されていることがあるが、それはドイツ語あるいはラテン語などでは正しかったのかもしれないがどうもそうではない例も見受けられる。


この画像はオッドゥルの新約からルカ伝 4 章冒頭の段落である。いちばん上の行は „fiordi capitule“ と書かれている。その 2 行下の最初の単語は „Jordan“ である。いずれも o の直後に r が来るが、見慣れた r が書かれている。

一方この段落のいちばん最後の単語 „ordi“ では、同じ o のあとなのに r rotunda が使われている。その真上の語 „madrin̄“ (現代のつづりでは maðurinn にあたる) もそうであるが、d はブラックレターでは右側が丸い文字にあたるのでこれは法則どおりである。しかし 1 行め後ろから 2 番めの „aptr“ はそれでは説明がつかない。


いま掲げた画像はグヴュズブランドゥル聖書からルカ伝 4 章の続き。顕著なのは 3 行め右から 5 番めの単語 „fellr“ で、明らかにどこも丸い部分がない l の直後で r rotunda が用いられている。


ダメ押しにもうひとつだけ示しておく。これは 1526 年のスウェーデン語の新約マタイ伝 1 章冒頭だが、1 行め大きい活字の最後 „Chri⸗[sti]“ の r も、この行だけテクストゥールらしい書体で、たまたまどこも丸くない h の直後に r rotunda が置かれている (もっとも r rotunda を使う基準として、その書体のグリフが丸いかどうかはあまり関係がないようだが)。

ところでこれらの文書は s の使いかたもわれわれの知る常識どおりではないところがある。さきほどのグヴュズブランドゥル聖書の画像の 2 行め中央から „⁊ þeſſ pryde mun eg ...“ とあって、明らかに語末なのに長い s が使われている。逆に最初のオッドゥルの最下行を写すと „dr af sier hueriu gudz ordi“ となっているが、語頭で丸い s が使われている。まあどちらの形でも s は s、r は r なので読解上の支障はないと思う。

では最後に、すでに画像から気がついていたかもしれないが、オッドゥルの紙面ではギリシア文字の τ かひらがなの「て」に似た、あるいはグヴュズブランドゥルの活字では数字の 7 か ƶ にでも似た謎の文字が頻出している。

これはアイスランド語では og、すなわち英語の and にあたる記号である。もともとローマ時代の速記官ティロ Tiro の記法 (にあとから付け加えられたもの) といい、とりわけ古英語やアイルランド語で ⁊ の形でよく見かけられるもので、Tironian ond や Tironian et などと呼ばれている (ond は古英語で and にあたる語、et はラテン語で & の字形のもとになった語。アイルランド語のため agus と呼ばれることもある)。

vendredi 24 août 2018

フェーロー諸島人のサガ (3 章)

昨日公開した 1–2 章の続き。底本は C. C. Rafn (1832), s. 7–13. なおコメントで私が「原語」というとき、翻訳元であるデンマーク語と、そのさらなる原文である古アイスランド語のいずれを指す場合もあるが、つづりから明らかなので混乱はないだろう。


3. そのすぐあとにシグルズルは天幕にいる彼の弟のところに〔戻って〕きて、言った:「銀をもってこい、いまや売買はまとまった」。「一瞬まえに* 俺は兄さんに渡したじゃないか」と彼は答えた。「いいや」とシグルズルは言った、「俺はそれを受けとっていない」。

* なんだか誇張めいているがれっきとした直訳 (D. for et Öieblik siden = E. lit. an eye-blink ago)。より自然に訳すなら「(ほんの) ついさっき」とでもするか。

そこで彼らはこの件をめぐって喧嘩になり、そののちにそのことを王に言った。するとほかの者たちはもちろん彼も悟った、〔銀入りの〕袋は盗み去られたのだと。そこで王は、この件が解明されるまえにはいかなる船も出航してはならないように、出発に対する禁止を行った。そのことを多く〔の人々〕が大きな不便であると考えた、それは長引くと市が終わったあとになってもそうであったので。

ノルド人たちはそこで審議のために彼らのあいだで集会をもった。そこにスラーンドゥルが出席しており、こう話した:「ここにいる人々はたいそう解決に困っているようだ」と彼は言った。「ではおまえはなにか解決策を知っているのか」と彼らは彼に尋ねた。「俺はたしかに知っている」と彼は答えた。「ではおまえの解決策を持って前に出てくれ」と彼らは続けた。「俺は無駄にそれをしたくない」と彼は答えた。

彼らは尋ねた、なにを彼は要求しているのかと。彼は答えた:「あなたがたのうちおのおのが俺に 1 オーレ* の銀をくれるべきだ」。彼らはそれは多いと言った。だがしかしながら妥協が成り、おのおのが彼に即座に半オーレを手渡し、さらにもし彼の提案が望ましい成果を生んだならばもう半オーレを約束した。

* デンマーク語 Øre (クローネの 100 分の 1 の補助通貨) をそのまま訳したが、古アイスランド語原文では eyrir で銀 1 オンスのことという (E. V. Gordon, A. R. Taylor (rev.), An Introduction to Old Norse)。それは貴金属の計量に用いられる金衡オンス (トロイオンス) のことだとすれば約 31.1 グラム。一方 Faulkes の英訳の脚注によれば eyrir は 10 世紀には約 25 グラム半であった。

その翌日、王は会議を催し、そのさい彼の決定を表明した。それはこの窃盗についての確かな情報がもたらされないうちは、何人も決してそこから離れ去ることはまかりならないということであった。

そのとき若い男が歩み出た。頭の毛はだらりと長く伸びて赤毛で、顔にはそばかすがありたいそう荒々しかった;彼は話しはじめ、こう話した:「ここにいる人々はたいそう解決に困っているようだ」と彼は言った。王の相談役は尋ねた、それではどんな解決策を彼は見いだしたのかと。

「これが俺の解決策だ」と彼は答えた、「ここに来ているめいめいが、王が要求するだけ多くの銀を前に置く。そしてその金がひとつところに集められたとき、人が被った〔ぶんの〕損害が補償されるが、王は残りのものを名誉の贈り物* として保有する。俺は知っている、彼〔=王〕はご自分の取り分をうまく用いられるであろうと。そうすると民衆はあたかも固く築かれた** かのようにここにいつづけ、ここに集まってきているこれほど多数の人々の大きな損害になる必要はない〔」〕。

* 原語 Hædersskjenk (現代語では -skænk になる)、Mohnike の独訳では Ehrengeschenk。次の段落の同じ語句は原語 Æresskjenk だが、これは Ehrengeschenk によりよく対応し同義であろう。

** デンマーク語 fastmurede、しかし G. festgebannt「(呪文や魔法で) 呪縛された」、OIcel. veðrfastir「(悪) 天候に妨げられた」(Powell の英訳で ‘weather-bound’)。

〔このセリフはどうも全体的に意味不明だし、後述する莫大な報酬に値するほどのたいした解決案にも思われないのでまったくの誤訳かも。機会があれば再検討したい。〕

この提案はただちに全体の賛成を勝ちとった。そして船長たちは言った、ここでぐずぐずして大きな損害になるよりは、喜んで金を出し王に名誉の贈り物とすると。そこで決定がなされ、金が集められ、それは相当な額になった。

すぐあとに彼らは船の大部分を海に出して去った。それから王はふたたび会議を催し、相当の多額の金が観察された。同じ〔金〕によっていまや最初の兄弟の損害は償われた;その次に王は彼の〔伴の〕男たちと話した、この大きな富によってなにがなされるべきであるかと。

そこで 1 人の男が話しはじめて、言った:「陛下* はこの解決策を与えた者になにが値すると思われますか」。それで彼らは気づいた、いま王のまえに立っている同じ若者が、その解決策を与えた者であったと。

* 原文はただ「あなたに eder」、しかし OIcel. は「わが主人よ」„herra minn!“ との呼びかけで始めており、私訳はこれに近い。

そこでハラルドゥル王は言った〔:*〕「このすべての財が 2 つの等しい部分に分けられ〔=2 等分され〕、一方の半分はわが〔伴の〕男たちがとり、もう半分はその後いまいちど 2 つの部分に分けられ、この若者がこれらの半分のうち一方の部分をとり、しかしてもう一方の部分は私が求めたい〔」〕。

* 底本デンマーク語の箇所ではセミコロンだがこれは誤植で、古アイスランド語・フェーロー語の対応箇所ではコロン。

スラーンドゥルはこのために美しく丁重な言葉を用いて王に感謝した、そしてスラーンドゥルに割りあてられた富は並外れて大きかったので、はっきりした数字を算出するのが困難なほどであった。

ハラルドゥル王は出航し、そしてそこにいた多くの民衆もみな同じように〔出航〕した。スラーンドゥルは彼が伴ってきていたノルウェー人の商人たちとともにノルウェーへ向かった。彼らは彼に留保していたところの金を支払った。

彼はそこで大きくてよい貨物船を買い、彼がこの旅で得たところの相当額の財をそれに積んだ。この船によっていまや彼はフェーロー諸島へと舵をとった、そして彼の全財産をもって無事にたどりついたのである;春には住居をガータに用意し、そしてなお富に不足はしていなかった*。

* 最近の Faulkes の英訳ではこの文までで第 3 章が終わる。また最新のフェーロー語訳 (Bjarni Niclasen, 1995) も同様。おそらくより最近の編集になる刊本の古アイスランド語テクストがそうなっているのだろう。次の文はたしかに部分的にはすでに書かれたことの繰りかえしに見えるし、あとはひどい悪口雑言である。

スラーンドゥルは体の大きな男で、髪は赤く、赤いひげで、顔にはそばかすがあり荒々しく、心は陰気で、悪賢くすべての陰謀の第一人者であり、ひねくれていて人々に対し邪悪、自分より立場が上の者に対しては甘い言葉を話したが、いつも心のなかでは不実であった。

jeudi 23 août 2018

フェーロー諸島人のサガ (1–2 章)

Carl Christian Rafn による 1832 年の版 Færeyínga saga eller Færöboernes historie i den islandske grundtekst med færöisk og dansk oversættelse をもとにした『フェーロー諸島人のサガ (フェロー人のサガ)』の試訳 (今回の 1–2 章は同書 s. 1–7)。この底本は表題のとおりフェーロー語訳・デンマーク語訳との対訳になっている。また翌 1833 年にはこれにさらに G. C. F. Mohnike のドイツ語訳を付した版が刊行されている。

アイスランドのサガは先達の努力によってかなりの程度まで日本語訳されているが、このサガはアイスランドが舞台でなく周辺的であるせいか、私の知るかぎり邦訳はまだないはずである (とりわけ日本アイスランド学会のサイト「中世北欧文学日本語翻訳リスト」を参照)。

ここに行う私の翻訳は Rafn のデンマーク語からの重訳である。ただし固有名詞は古アイスランド語の表記・発音に則っている (主格語尾の -r はわずらわしく略すこともふつうに行われているが、ここでは一貫してつけたままにした)。固有名詞は初出のさいに古アイスランド語の原語表記を付したが、それが原文で斜格の場合は私が主格に直しているので不測の誤りなしとしない。

そのほかデンマーク語の文意がよくわからないときもアイスランド語その他を参照することがあるが、これは逐一断っている。亀甲括弧〔……〕は訳者による敷衍ないし補足説明。また、段落については原文よりもかなり細かく短めに分けている。


1. グリームル・カンバン (Grímr Kamban) という名の男がいた。彼はフェーロー諸島に定住した最初の者で、それはハラルドゥル美髪王 (Haraldr hinn hárfagri)〔=ハーラル 1 世、在位 c. 871–c. 932〕の時代のことだった。そのころ王の支配の強さのゆえに逃亡する者が多く、そのうちのいくばくかがフェーロー諸島に落ちついて居を構えたが、またいくばくかはほかの未開の地を求めた。

大金持ちのアウズル (Auðr hin djúpauðga) はアイスランドへ赴き、その途上でフェーロー諸島まで来たところ、そこで彼女は赤毛のソルステイン (Þorsteinn rauði) の娘オーロヴ (Ólof) を結婚させた。その女からフェーロー諸島人のもっとも家格の高い家柄は源を発するのであり、〔その一族は〕ゴートゥスケッグ (Götuskegg=ガータ Gata の髭男) と呼ばれており、東島 (Austrey)* に住んでいた。

* 「東島 Austrey」は Rafn のデンマーク語訳では Østerø、併記されたフェーロー語訳 (Johan Henrik Schrøter による) では Estroj となっており、この後者は現代の正書法に直せば Eysturoy である。これはそのまま現在 Eysturoy = Østerø と呼ばれている、フェーロー諸島で 2 番めに大きい島のことであって、言及されている Gøta (あるいは Norðragøta) の村はいまもこの島に現存する。

2. ソルビョルン (Þorbjörn) という名の男がいて、ゴートゥスケッグと呼ばれていた;彼はフェーロー諸島の東島に住んでいた。彼の妻はグズルーン (Guðrún) という名であった。

彼らには 2 人の息子がいて、そのうち兄のほうがソルラークル (Þorlákr)、弟のほうがスラーンドゥル (Þrándr) という名だった;彼らは将来を嘱望された男たちだった。ソルラークルは体が大きく強かったし、スラーンドゥルも成長すると同じ性質をもった;しかしほかの点では大きな違いがこれらの兄弟にはあった。スラーンドゥルは髪が赤く、顔にはそばかすがあり、外見が荒々しかった。ソルビョルンは富裕であり、このことが起こったときすでに年がいっていた。

ソルラークルは〔フェーロー〕諸島で結婚して、それでもなおガータ (Gata)〔その斜格が前出のゴートゥ Götu〕にある彼の父の家にとどまっていた;しかしソルラークルが結婚したすぐあとにソルビョルン・ゴートゥスケッグは死に、彼は古い慣習に従って運びだされ* 埋葬された、というのはそのころまだフェーロー諸島人はみな異教〔を信仰して〕いたからである。

* D. udbaaren (= udbåren) の調べがつかず、OIcel. útborinn の直訳とみられるがこれも不明で、bære ud, bera út に戻しても特別に語義が載っていないので、やむをえず「外に-運ぶ=運びだす」と直訳した。しかし Mohnike の独訳は「埋葬され盛り土 (または丘) の下に横たえられた wurde bestattet und in einen Hügel gelegt」で、F. Y. Powell による古い英訳 (1896 年) も同様 (was laid in the barrow and buried)。最近の英訳 (Faulkes, 2016) は「葬儀が執り行われた his funeral was carried」と訳している。

彼の息子たちは自分たちのあいだで遺産を分けあった;双方ともガータの荘園を得たがった、というのはそれが最大の財産だったからである;そこで彼らはそれをめぐってくじを引いた、するとそれはスラーンドゥルに帰した。遺産分割のあとでソルラークルはスラーンドゥルに頼んだ、動産のより多くの部分をスラーンドゥルに得させるかわりに荘園は彼がもらえないかと;しかしこれをスラーンドゥルは望まなかった。そこでソルラークルは去り、諸島内にべつの住居を構えた。

スラーンドゥルはガータの土地をさまざまの男たちに貸しだし、そうしてそこから彼の得られる〔かぎりの〕多額の賃料を得た。その次に彼は夏に航海に出たが、少数の貿易品だけを持っていた。彼はノルウェーへ行き、そこで冬のあいだ屋敷に滞在したが、たえず暗い心持ちのようであった。この時代には灰外套のハラルドゥル (Haraldr gráfeldr)〔=ハーラル 2 世灰衣王、在位 c. 959–970〕がノルウェーを統治していた。

その次の夏、スラーンドゥルは海運業の者たちとともにデンマークへと下り、その夏のあいだハル浜 (OIcel. Haleyrr, D. Haløre) に来ていた。当時そこには多数の人々が集まっており、この場所には市の時期に、ここノルドの地で出会う最大の人々が集合したと伝えられている。

デンマークをこのころ統治していたのは青歯 (D. Blaatand, OIcel. blátönn) の通称をもつハラルドゥル・ゴルムソン王 (Haraldr konúngr Gormsson)〔=ハーラル青歯王、在位 958–987〕であった。ハラルドゥル王は夏のあいだハル浜にいて、多くの従者に伴われていた。王の廷臣のうち 2 人、シグルズル (Sigurðr) とハーレクル (Hárekr) 兄弟の名をあげられる。この者たちは途切れなく市をめぐった、得られる〔かぎり〕最良にして最大の金の指輪を買うことが目的であった。

彼らはとうとう、たいそうよい作りの店へとたどりついた。そこには 1 人の男がいて、彼らをよく応対し、彼らがなにを買いたいのか尋ねた。彼らは答えた、大きくて良質な金の指輪がほしいと。すると彼は言った、そのなかから選ぶべきいいものがいくつかあると。そこで彼らが彼に名前を尋ねると、彼は金持ちのホールムゲイル (Hólmgeir auðgi) と名乗った。

さて彼は彼の宝石類をとりだし、彼らに重厚な金の指輪を見せた。それは大変な値打ちものであった;しかし彼はそれにとても高い値段をつけており、彼が請求するとても多額の銀を即座に準備してのけることは、どんな方策でも達せられないと思われるほどであった。それゆえそこで〔彼らは〕彼に翌日まで未払いのままそれを取り置いてくれることを頼み、彼もまたそのことを約束した。

そうして要件が果たされると彼らはそこを離れ、その〔日の〕夜が過ぎた。〔次の〕朝にシグルズルは天幕を出たが、ハーレクルは居残った。すぐあとにシグルズルは天幕の布張りの外まで来て、こう話した:「わが弟* ハーレクルよ」、〔続けて〕言った、「急いで俺に渡してくれ、指輪を買うためにと決めていた銀の〔入った〕袋を。いまや売買はまとまったからだ。だがおまえはそのあいだここで待ち、幕屋を見張っていろ」。そこで彼〔=ハーレクル〕は彼〔=シグルズル〕に天幕の布を通して銀を手渡した。

* 原文は「親族、親戚」(D. Frænde, OIcel. frændi)、しかし日本語での呼びかけには適さないので、Mohnike の独訳 („Bruder Harek“) を参考に「弟」とした。

lundi 13 août 2018

アンデルセン「人魚姫」冒頭の翻訳比較

あまたあるアンデルセン童話のなかでも「人魚姫」はもっとも人気のある作品のひとつであり、日本語にも多数の翻訳がある。本稿ではアンデルセンのデンマーク語原文冒頭の数段落を読み、それに逐語的な直訳を付すことで、既存の代表的な邦訳 7 種と比較してお目にかける。

そのさい邦訳が直訳した場合と明らかに食い違っている箇所 (たいていは原文にない敷衍) を赤字で指し示す。ただし日本語が代名詞の過剰使用を避けて名前を繰りかえしたり省いたりすることなど、日本文としてやむをえないと思われる点はいちいち指摘していない (が、その基準を厳格に定式化することは難しく、読者には不統一に感じられる箇所があるかもしれない)。

もとより翻訳の良し悪しを評価する尺度というのは、語学的な厳密な正確さばかりではなく、日本語として読んで自然で美しい文かどうか、あるいはこういうジャンルだとさらに子どもにとって言いまわしが難しすぎないかとか、読み聞かせるため朗読したときの調子とかも基準に加わってくる、きわめて複合的な問題であるから、原文との違い (赤字) が多いからといって短絡的にそれだけ悪いというものでもないことは念のため述べておく。さらに翻訳の底本の違いによって訳文に異同が生じている可能性もあるが、これは確かめていない。

本稿では原文テクストはデンマーク語版 Wikisource によった。ただしいくぶん長い段落については、見比べやすくするためそれぞれ半分に分割した (邦訳でも山室訳・高橋訳・大塚訳・天沼訳はだいたい同じような段落分けをしている)。また「人魚姫」は 1837 年に書かれた古いデンマーク語であるから、随所で現代の正書法と異なっているが、これはあえて改めていない。この点につき知りたい向きは、過去の記事「アリスの最初のデンマーク語訳 (1)」にて概略を述べてあるのでそちらをご覧いただきたい。

ここに私が付す直訳では、日本語としての自然さは犠牲にして一語一句過不足なく移すようにし、句読点の切りかたもなるべく原文と順番が前後しないことに意を用いた。原文を直接読めない人にも違いが見わけられるためにである。原文に対応しない敷衍を行う場合は亀甲括弧〔……〕に入れて示す。一方、引用される各種邦訳に見られる赤字の亀甲括弧と打消線は、実際の訳文には欠けているが原文にあるはずだった語句、すなわちなにが訳し落とされているかを示している (もちろんこれも多いほどただちに悪いというものではない、すべて訳出すると日本語では冗長になる場合も多いので)。

比較対象の邦訳の所収著作一覧は以下のとおり (刊行年順):
訳文の表記は句読点や漢字/かなの変換に至るまで一字一句すべて引用元のとおりとするが、振りがなと傍点は再現せず省略した。上で注意した亀甲括弧以外の括弧は訳書にあるとおりである。


第 1 段落


Langt ude i Havet er Vandet saa blaat, som Bladene paa den deiligste Kornblomst og saa klart, som det reneste Glas, men det er meget dybt, dybere end noget Ankertoug naaer, mange Kirketaarne maatte stilles ovenpaa hinanden, for at række fra Bunden op over Vandet. Dernede boe Havfolkene.

直訳 海のずっと外では水はあまりに青いこと、もっとも美しいヤグルマギク* の花びらのごとく、またあまりに澄んでいることもっとも透明なるガラスのごとくであるが、そこはとても深く、どんな錨綱が達するよりさらに深く、多くの教会塔がたがいの上に積まれねばならない、〔水〕底から水〔面〕の上まで届くためには。その下には海の人々が住んでいる。

* 以下の邦訳ではヤグルマギク・ヤグルマソウが 4 対 3 でほぼ拮抗しているが、デンマーク語版 Wikipedia に „Kornblomst“ として立項されている学名 Centaurea cyanus の植物は日本語版で「ヤグルマギク」、その項目によるとかつて「ヤグルマソウ」とも呼ばれたがべつの植物と混同のおそれがあるのでヤグルマギクのほうが望ましいということである。

大畑訳 海をはるか沖へ出ますと、水は一番美しいヤグルマソウの花びらのように青く、このうえなくすんだガラスのようにすんでいます。ところが、その深いことといったら、どんなに長い、いかりづなでもとどかないくらい深くて、教会の塔をいくつも、いくつも積み重ねて、ようやく〔底から水の上までとどくほどです。このような深い海の底に、人魚たちは住んでいるのです。

山室訳 海をはるか沖へでますと、水はいちばん美しいヤグルマソウの花びらのように青く、またこのうえなくすんだガラスのようにすんでいます。けれども、そのふかいことといったら、どんなに長いいかりづなでもとどかないほどふかくて、その底から水のおもてまでとどかせるには、教会の塔をいくつもいくつもつみかさねなくてはならないことでしょう。人魚たちがすんでいるのは、そういう海の底なのです。

高橋訳 海のずっと沖では、水の色は、いちばん美しいやぐるまぎくの花びらのように青く、きれいにすきとおったガラスのようにすみきっています。そして、たいそう深く、どんな長いいかりづな(いかりと船を結ぶつな)でも、とどかないほど深いのです。海の底から水の上までとどくためには、教会の塔をたくさんつみ重ねなければならないでしょう。そういう深い底に人魚は住んでいます。

大塚訳 海の沖のほうへ、はるか遠くまでいくと、そこの水は、いちばん美しいヤグルマギクの花びらのように青くて、いちばんすきとおったガラスのように、澄みきっています。それでも、そこはとても深いのです。どんなに長いいかり綱をおろしても、底までつかないくらいに深いのです。その海の底から水のおもてまでとどかせるためには、教会の塔をとてもたくさん、上へ上へと積みかさねなければならないでしょう。そういう深い海の底に、海の民である人魚たちは住んでいるのです。

長島訳 ずっと沖の海は、もっともすばらしいヤグルマソウの花びらのように青くて、もっともきれいなグラスのように澄んでいますが、そこはとっても深いのです。どんな錨の綱がとどかないほどで、底から海面まで、教会の塔をいくつも重ねないととどかないような深さです。そんな海の底に人魚たちが住んでいまし

金原訳 海のはるか沖では、水はもっとも美しい矢車菊の花びらのように青く美しくもっとも透明な〕水晶のように澄んでいる。そしてどんな錨のロープをおろして計りきれないほど深い。教会の塔をいくつ積み重ねても水面に届かない* ほどの海の底に、海の王さまと臣下たちが住んでい

* 原文ではたくさん積み重ねれば届くことになっているので、いくつ重ねても届かないというのはこの訳独自の誇張。それはもちろんレトリックの範疇ではあるが、少なくともほかの訳はどれもそこまで言っていない。

天沼訳 はるか海の沖では、水はもっとも美しいヤグルマギクの花さながらに青く、また、もっともすきとおったガラスのように澄んでいる。そのあたりはとても深くて、どれほど長い錨綱だって、底まで届かぬほどなのだ。海の底から水のおもてまで届かせるには、教会の高い塔をいくつも積みかさねなくてはならないだろう。そんな深い海の底に人魚たちは暮らしてい


第 2 段落前半


Nu maa man slet ikke troe, at der kun er den nøgne hvide Sandbund; nei, der voxe de forunderligste Træer og Planter, som ere saa smidige i Stilk og Blade, at de ved den mindste Bevægelse af Vandet røre sig, ligesom om de vare levende. Alle Fiskene, smaae og store, smutte imellem Grenene, ligesom heroppe Fuglene i Luften.

直訳 さて〔次のように〕考えてはぜんぜんいけない、そこにはただむきだしの白い砂地があるだけであると;いいえ、そこではもっとも不思議なる木々や植物が育っており、それらは茎や葉がとてもしなやかなこと、水のもっとも小さな動きでも揺れるほどであり、あたかもそれらは生きている* かのようだ。すべての魚たちは、小さいのも大きいのも、枝々のあいだをすいすいと動く、この〔地〕上で空の鳥たち〔が飛ぶ〕ように。

* この var は反事実的仮定を表す過去時制であり、時間的に過去のことを表すのではないから、逐語訳にもかかわらず非過去 (現在) で訳した。

大畑訳 さて、海の底は、なにも生えていないで、ただ白い砂地だけだろう、などと思ってはいけませんよ。いいえ、そこには、それは珍しい木や草が生えているのです。その茎や葉のなよなよしていることは、水がほんのすこし動いても、まるで生きもののように、ゆらゆら動くのです。そして、小さいのや大きいのや、ありとあらゆる魚がその枝のあいだをすいすいとすべって行きます。それはちょうど、この地上で、鳥が空を飛びまわっているのと同じです。

山室訳 ところでみなさん、海の底はただ白い砂地になっているだけだろう、なぞと思ってはいけません! いいえ、そこには、世にもめずらしい木や草がはえていて、その茎や葉のしなやかなことは、水がほんのちょっとでもゆれると、まるで生きもののようにうごくのです。小さいのや大きいのや、ありとあらゆるお魚が、その枝のあいだをすいすいとすべっていくところは、まるきりこの地上で、鳥が空をとびまわっているのと同じことです。

高橋訳 さて、海の底はがらんとしていて、白い砂地があるばかりだと思ってはなりません。いいえ、そこには、ほんとにふしぎな木や草が生えています。その茎や葉はなよなよしているので、水がちょっと動いても、まるで生き物のようにゆらゆらと動くのです。大小の魚はみんなそのえだの間を地上でをとぶ鳥のようにすいすいと泳ぎ回ります。

大塚訳 さて、そういう海の底には、はだかの白い砂地があるだけだろう、などと思ってはいけません。いいえ、そこには、とてもめずらしい木々や草が生えているのです。そして、それらの茎や葉は、ほんとにしなやかなので、ほんのすこし水が動いても、それにつれて、まるで生きもののように、ゆらゆら動きます。そして、魚たちは、小さいのも大きいのもみんな、それらの枝のあいだをすいすいと泳ぎまわりますが、そのようすは、この地上で鳥が空を飛びまわるのとそっくりです。

長島訳 さて海の底が何もないただの白い砂浜だと思ったりしたら大まちがいです。いいえ、そこには世にもふしぎな木々や草花が生えています。茎も葉もしなやかで、ちょっとした水の動きにもゆらゆら揺れて、まるで生き物のよう。大きな魚も小さな魚もみんなその枝の間を通り抜けていきます。地上で鳥たちが大気の中を飛びまわるようにです。

金原訳 さて海の底の白い砂にはなにもないと思ってはまったくいけない。いや、そこには地上ではとてもみられないような草花が生えている。葉や茎はやわらかで、少しでも水が揺れると、まるで生き物のように体をくねらせ、大きな魚やちいさな魚がすべて、その枝のあいだをすばやく泳いでいくところは、まるで地上で空の鳥が木々のあいだを飛んでいるようだった。

天沼訳 さて、海の底といえば、ガランとしてなんにもなくて、白ちゃけた砂があるだけだと想像しているとしたら、それはずいぶんちがっている。まったくちがうのだ。海の底には、ほんとうに不思議このうえない植物が生えている。その茎や葉はしなやかそのもので、水がすこしばかり動くだけで、生き物のようにユラリユラリと動くのだ。大小の魚たちは、みんなその枝をくぐるようにして、地上でを飛ぶ鳥よろしく、かろやかに泳ぎ回っている。


第 2 段落後半


Paa det allerdybeste Sted ligger Havkongens Slot, Murene ere af Coraller og de lange spidse Vinduer af det allerklareste Rav, men Taget er Muslingskaller, der aabne og lukke sig, eftersom Vandet gaaer; det seer deiligt ud; thi i hver ligge straalende Perler, een eneste vilde være stor Stads i en Dronnings Krone.

直訳 そのもっともいちばん* 深いところには海王の宮殿があり、その壁は珊瑚で、長く先のとがった窓はもっともいちばん* 澄んだ琥珀で〔できて〕いるが、屋根は二枚貝であり**、それらは開いたり閉じたりしている、水の行くのに従って;それは美しく見える;というのもどの〔貝〕のなかにも輝く真珠があり、たったひとつでも女王の王冠のなかで大きな飾りになるであろうから。

* 最上級に接頭辞 aller- がついてさらに強めている。このような訳しかたが適切かどうかは別として、ただの最上級と違うことを訳文だけからも判明にするために便宜上こう書いておく。

** 先行する「壁は珊瑚、窓は琥珀」には、英語の of にあたる素材を表す前置詞 af があるので「〜でできている」と訳せるが、この「屋根は二枚貝」はそうではなく直接 be 動詞で結ばれている。しかし以下に見る邦訳では長島訳「屋根は貝殻でした」以外すべて、ここも素材のように「葺いて」「できて」と訳されている。

大畑訳 この海の底の、そのまた一番深いところに、人魚の王様のお城が建っています。お城の壁はさんごで築いてあり、上のとがった高い窓は、このうえもなくすきとおったこはくでできています。屋根は、貝殻でふいてありましたが、それが水の動くにつれて、開いたり閉じたりする様子は、まったくみごとなものでした。なぜなら、その貝殻の一つ一つには、きらきら光る真珠がはいっているのですから。それ一つだけでも、女王様の冠の、りっぱな飾りになるくらいでした。

山室訳 そして、その海の底の、そのまたいちばんふかいところに、人魚の王さまのお城はあるのでした。お城のかべはサンゴでできていて、上のとがった長い窓には、このうえもなくすきとおったコハクがはめこんであります。屋根は貝がらでふいてありましたが、それが水のながれるにつれて、ひらいたりとじたりするようすは、まったくみごとなものでした。なぜといって、その貝がらの一つ一つには、それ一つだけでも女王さまのかんむりのりっぱなかざりになるくらいの、きらきら光る真珠がはいっているのですもの。

高橋訳 この海のいちばん深い所に、人魚の王様のお城があります。かべは、さんごでできており、先のとがった高いまどは、もっともすきとおったこはくでできていますが、屋根は水の流れにつれて、開いたりとじたりする貝がらばかりできています。どの貝がらの中にも、かがやく真珠が入っているので、何とも言えずきれいに見えます。そのひとつだけでも、女王様の冠の大きなかざりになったでしょう。

大塚訳 その海の底でも、いちばん深いところに、海の王である、人魚の王さまのお城があります。お城の壁はサンゴでできているし、上のとがった高い窓々は、このうえなくすきとおった琥珀でつくってあります。でも、屋根になっているのはたくさんの貝がらで、それらは水が流れるのにつれて、開いたり、閉じたりします。そのようすは、ほんとにきれいです。というのも、その貝がらのどの一つにも、きらきら光る真珠がはいっているからです。それに、その真珠は、そのうちのたった一つだけでも、女王さまの冠の、すばらしい飾りになろうというものなのです。

長島訳 海の底のいちばん深いところに人魚王のお城がありまし。壁は珊瑚、高くて先のとがった窓はこのうえなく澄んだ琥珀でできていましたが、屋根は貝殻でした。それが水の動きにあわせてあいたり閉じたりしていたのです。すばらしい屋根でしたが、それもそのはず、貝殻のひとつひとつに真珠が入っていました。その真珠ひとつだけでも、女王さまの冠のすばらしいかざりになったことでしょう。

金原訳 のいちばん深いところに、海/人魚の王さまの城がたってい。壁は珊瑚で、細長いゴシック風の窓はもっとも透きとおった琥珀、屋根は貝殻で葺いてあり、上を潮が流れるたび、それが開いたり閉じたりするところをみたら誰でも目をみはるだろう。というのは、貝殻すべてにきらめく真珠がはめこんで* あって、その真珠は、ひとつあれば、女王のかんむりを飾るのに十分なほど美しかった。

* 直訳のところで付した注とやや関連するが、ここはおそらく生きた貝たちがそのまま屋根をなしているのであって、だからこそみずから殻を開いたり閉じたりしているのだろう。それを「真珠がはめこんである」と言うと死んで加工された貝殻のようである。

天沼訳 のもっとも深いところに、人魚の王様の宮殿がある。宮殿の壁は珊瑚で、先のとがった高窓には、もっともすきとおった琥珀がはめこまれていた。その屋根はというと、水の流れのままに開いてはまた閉じる貝殻で葺かれていた。貝殻のなかには輝く真珠がはいっていたから、その美しさといったらたとえようもなかった。その一粒だけでも、女王様の冠の大きな装飾にじゅうぶんなくらいだった。


第 3 段落前半


Havkongen dernede havde i mange Aar været Enkemand, men hans gamle Moder holdt Huus for ham, hun var en klog Kone, men stolt af sin Adel, derfor gik hun med tolv Østers paa Halen, de andre Fornemme maatte kun bære seks. — Ellers fortjente hun megen Roes, især fordi hun holdt saa meget af de smaa Havprindsesser, hendes Sønnedøttre.

直訳 その〔海の〕下の海王は多年のあいだ男やもめであったが、彼の老いた母が彼のために家を世話していた、彼女は賢い女性だったが、自分の高貴さを誇っており、それゆえに 12 個の牡蠣を尻尾につけて歩いたものだった、そのほかの高貴な〔者たち〕は 6 個だけを持たねばならなかった〔のに〕。――ほかの点では彼女は多くの称賛に値した、とりわけ彼女は小さな海姫たち、〔つまり〕彼女の孫娘たちをたいそう多く愛したから。

大畑訳 このお城に住まっている人魚の王様は、もう何年も前から、やもめ暮らしをしておいででした。それで、お年寄りのお母様が、いっさい、おうちの世話をしていました。お母様は賢いかたでしたが、家柄のよいのが、ご自慢で、尻尾にはいつも、かきを十二もつけていました。ほかの者は、どんなに身分が高くても、たった六つしかつけられないのです。――けれども、そのほかのことでは、ほんとうに、ほめてあげてよいかたでした。とりわけ、お孫さんの小さい海/人魚姫たちを、だいじにすることは、たいしたものでした。

山室訳 このお城にすまっている人魚の王さまは、もう何年もまえから、やもめぐらしをしておいででした。それで、おうちのことはばんじ、年とったおかあさまが、とりしきっていらっしゃいます。おかあさまはかしこいおかたでしたが、家がらのよいのがごじまんで、しっぽにはカキを十二もつけていらっしゃるのでした。ほかのものは、どんなに身分が高くても、たった六つしかつけることはゆるされませんでしたのに。――けれども、そのほかの点では、ほんとに、ほめてあげてよいかたでした。とりわけ、おまごさんの小さい海/人魚の姫ぎみたちを、それはかわいがってくださったのですから。

高橋訳 海の底の人魚の王様は、何年も前におきさき様をなくされて、おひとりでした。年を取ったお母様が、うちの中のめんどうを見ておりました。お母様は、かしこい方でしたが、身分の高いことを鼻にかけ、しっぽにかきを十二もつけていました。ほかの貴族たちは、六つしかつけることをゆるされませんでした。――そのほかのことでは、このお母様は本当にほめられてよい方でした。とりわけ、孫むすめに当たる小さい人魚ひめたちを、たいそうかわいがっていたからです。

大塚訳 この海の底のお城にいる人魚の王さまは、もう何年もまえにお妃をなくして、ひとり身でした。けれど、王さまの年とったお母さまが、うちの中の世話を、ちゃんとしてくれていました。このお母さまは、かしこいかたでしたが、身分が高いというのがご自慢で、だから、自分の尻尾には、カキを十二もつけていました。ほかのものなら、位が高くても、せいぜい六つしかつけてはいけなかったのです。……けれど、そのほかのことでは、このお母さまは、たいそうほめてもらってもいいかたでした。というのも、とりわけ、このかたが、孫娘にあたる、小さい人魚姫たちを、とてもよくかわいがっていたからです。

長島訳 海の下の人魚王は、妻亡きあと、もう何年も独身でしたので、年老いた母親がかわりに家の世話をやいてくれていました。かしこいおばあさんでしたが、自分の身分の高いことが何よりも自慢で、尻尾に十二のカキをつけていました。ほかの高貴な人たちは六つしかつけてはいけないのでした。――それはともかく、孫にあたる小さな人魚姫たちをとってもかわいがっていましたので、ほめられて当然の人でした。

金原訳 海の下の王さまがお妃をなくしてから何年もたち、王さまの年老いたお母さんが家の〕色んなことを取り仕切っていた。そのかたはとても賢く、しかし〕王さまの母親だということがとても自慢で尻尾には牡蠣を十二個つけていた。どんなに位の高い人魚でも六個しかつけてはならない決まりがあったのに、それを破っていた*。しかしそれさえ目をつぶれば、誰からも尊敬される立派なかただったし、それというのもなにより、孫にあたる幼い海/人魚の姫たちをとてもかわいがっていた。

* さすがに言いすぎ。そもそもこの件、もともとあった規則なのかどうかも不詳である。私は最初に読んだときから、この王母が自分を高い位置に置くために「自分は 12、ほかは 6 まで」と勝手に新しく決めたものだとばかり思っていたので、今回この翻訳を見て既成の有職故実のように捉える解釈がありうることにまず驚いた (「ほかの貴人たち de andre Fornemme」と言っているのだからなおさらそう。はじめから王母も含む一般の規則ならこうは言わなかろう)。

天沼訳 海の底をおさめる人魚の王様は、お妃をなくし、長いこと独身をとおしていたけれど、お年をめされた王様の母上が、宮中のきりもりをしていた。この母上は、ご聡明な方だったけれど、御自分の身分ならそうあるべきだと思いこんで、その尾ひれに牡蠣を十二も飾りつけていた。ほかのやんごとない身分のかたでさえ六つしかつけることをゆるされていなかったのに――けれども、そのほかについては、なかなかご立派なかただった。とりわけ、孫娘の、小さい人魚姫たちのことを、とてもかわいがっていたからである


第 3 段落後半


De vare 6 deilige Børn, men den yngste var den smukkeste af dem allesammen, hendes Hud var saa klar og skjær som et Rosenblad, hendes Øine saa blaa, som den dybeste Sø, men ligesom alle de andre havde hun ingen Fødder, Kroppen endte i en Fiskehale.

直訳 彼女らは 6 人の美しい子どもたちだったが、最年少の〔子〕が彼女ら全員のうちでもっとも美しかった、彼女の肌はとても透きとおって柔らかなること薔薇の花びらのごとく、彼女の目はとても青いこと、もっとも深い湖〔または海〕のごとくであった、しかしちょうどほかの全員と同じように彼女には足がなかった、その体は魚の尾で終わっていた。

大畑訳 姫はみなで六人で、どれもきれいなかたばかりでしたが、わけても末の姫は、一番きれいでした。膚は、バラの花びらのように、すきとおるほどきめがこまかく、目は深い深い海のような青い色をしていました。けれども、おねえさんたちと同じく、足というものがなくて、胴の下は魚の尻尾になっているのでした。

山室訳 姫ぎみはみんなで六人で、みんなたいそうきりょうよしでしたが、わけてもすえのむすめが、いちばんきれいでした。はだは、バラの花びらのようにすきとおって、きめがこまかく、目はふかいふかい海のように青い色をしていました。けれども、やっぱりおねえさまの姫たちと同じく、足というものがなくて、胴のおわりはお魚のしっぽになっていたのです。

高橋訳 六人いた人魚ひめは、そろってきれいでしたが、なかでも、いちばん下の人魚ひめがいちばんきれいでした。はだは、ばらの花びらのようにすきとおっていて、きめが細かく、目は、もっとも深いのように青くすんでいました。でも、ほかの人魚ひめと同じように足がなく、体のすそは、魚のしっぽになっていました。

大塚訳 このお姫さまはみんなで六人で、そろってきれいでしたが、なかでも、いちばん下のお姫さまは、いちばんきれいでした。このお姫さまの肌は、バラの花びらのように、とても清らかで、きめが細かく、その目は、深い深い海のように青いのでした。けれど、このお姫さまも、ほかのお姉さんたちとおなじように、足はなくて、胴の下のほうは、魚の尻尾のようになっているのでした。

長島訳 いい子ばかり六人のお姫さまがいましたが、中でもいちばん年下の子が、飛び抜けてきれいでした。その子の肌はバラの花びらのように透きとおって輝き、目ももっとも深い湖のように青かったのですが、ほかの人魚* たち同様、足がなくて** から下が魚の尻尾になっていました。

* これは間違いと言うと細かすぎるようであるが、純粋に語学的なことを言うとこの alle de andre「ほかの全員」は文脈から 5 人の姉姫たちであって (ほかの既存訳 6 つがすべてそうしているとおり)、いきなり全人魚を指せはしないであろうから、いちおう相違点のひとつに数えた。

** 原語 krop は胴体もしくは体全体の意なので、その端というなら腿からということも不可能ではないだろうが、他訳には見られない独自意見。しかもそのわりにこの本の表紙画は腰からすべて魚の鱗に覆われている。

金原訳 王さまには* 六人の美しいがいたが、とくに末娘は信じられないほど愛らしく、肌はバラの花びらのようにつややかでなめらかで、目はもっとも深い深海のように青かった。しかし、お姉さんたちと同じで足はなく、腰から下は魚の尾だった。

* ここでふたたび王をもちだす理由がわからない。いま話の流れとして、寡夫の王がいて彼には老母がいて、老母にはかわいがっている孫娘たちがいる、という順番にフォーカスが移っている。この祖母は孫たちに人間の世界の話をして彼女らが海上に出かけるきっかけを作り、さらに後には末姫に人間と人魚の寿命について教える重要な登場人物であるのに対し、父王はその存在だけが言及されるのみの背景にすぎないので、原文を曲げてまでここに名前を出すことはいたずらに焦点をぼやかし流れを悪くするばかりである。

天沼訳 六人いる人魚姫は、みな美しい娘さんだった。なかでも、いちばん末の人魚姫がとくべつ美しかった。バラの花びらを思わせる、すきとおってきめの細かい肌をして、もっとも深い海のように青くすんだ瞳をしていた。けれども、ほかの人魚の姫様たちと同じで足がなく、からだの腰から下は魚の尻尾だった。


第 4 段落


Hele den lange Dag kunde de lege nede i Slottet, i de store Sale, hvor levende Blomster voxte ud af Væggene. De store Rav-Vinduer bleve lukkede op, og saa svømmede Fiskene ind til dem, ligesom hos os Svalerne flyve ind, naar vi lukke op, men Fiskene svømmede lige hen til de smaae Prindsesser, spiste af deres Haand og lode sig klappe.

直訳 一日中ずっと彼女らは遊んでいられた、〔海の〕下の宮殿のなか、その大きな広間* のなかで、そこでは生きている花々が壁から生えていた。大きな琥珀の窓が開け放たれた、そうすると魚たちがそのなかへ泳ぎ入ってきた、ちょうど私たちのところで**、私たちが〔窓を〕開け放つとツバメたちが飛んで入ってくるように、しかし魚たちはまっすぐに小さな姫たちのほうへと泳いでいった、〔そして〕彼女らの手から〔餌を〕食べ、自分たちを軽く触れさせた。

* 原文 de store Sale は複数。わざわざ区別させるのも冗長だが、さりとてたんに「大きな広間」とか、また長島訳・天沼訳のようにとりわけ「大広間」と言ってしまうと、特別大きいひとつのホールに全員が雁首そろえて遊んでいるようなイメージになる (というか、私は小さいときからずっとそうだと思っていた)。これをあえて明示的に区別しているのは「いくつもの」を付す大塚訳だけ。

** 文字どおりに「私たちの家」、もしくはより一般的に「地上」ないしは「人間の世界」を指すと解しうるか。

大畑訳 一日じゅうずっと、みんなは海の底宮殿の広々した部屋で遊び暮らしました。部屋の壁には、生きている花が咲いていました。大きなこはくの窓を開きますと、魚が泳いではいってきます。ちょうど私たちのところで、わたくしたちが窓をあけると、ツバメが飛んではいってくるように。魚は小さい姫たちの方へ泳いできて、みんなの手から、たべものをたべたり、また、なでてもらったりしました。

山室訳 一日じゅうずっと姫たちは、海の底のお城の、広びろしたおへやで遊びくらしました。おへやのかべには、生きている花が咲いていますし、大きなコハクの窓をひらくと、ちょうど私たちのところでわたしたちが窓をあけるとツバメがとびこんでくるように、いろんなお魚がおよいではいってきました。そしてお魚たちは、小さい姫たちのそばへおよいでくると、その手からえさを食べたり、せなかをなでてもらったりするのでした。

高橋訳 おひめ様たちは、一日中ずっとのんびり海の底のお城の、大きい広間で遊ぶことができました。広間のかべからは、生きた花が生えていました。大きなこはくのまどが開かれると、魚たちが泳いで入ってきました。ちょうど、わたしたちの所で、まどを開けるとつばめがとびこんでくるのと同じようです。魚たちは、小さいおひめ様たちのすぐそばに泳ぎよってきて、その手から食べ物をもらったり、さすってもらったりしました。

大塚訳 お姫さまたちは、一日じゅう、海の底のお城の、いくつもの大きい広間で遊んでいられました。広間の壁には、生きている花たちが咲いていました。大きい琥珀の窓々をあけると、魚たちが泳いで、はいってきました。それはちょうど、わたしたちのところで、窓をあけると、ツバメが飛びこんでくるのとそっくりです。けれど、その魚たちは泳いで、まっすぐに小さいお姫さまたちのところにやってくると、みんなの手から食べものをたべたり、その手でなでてもらったりするのでした。

長島訳 お姫さまたちは一日中ずっとお城の大広間で遊んでいました。広間の壁からは生きた花が咲き出ていました。大きな琥珀の窓をあけると魚たちが泳ぎ寄ってきま。わたしたちのところで、窓をあけるとツバメが飛んで入ってくるような具合にです。けれども魚たちは、小さいお姫さまたちのほうに泳ぎ寄って、その手のひらにのせられたエサを食べたり、やさしくたたいてもらったりしていたのでした。

金原訳 六人の娘たちは毎日遅くまで、お城の大広間や、壁から生えている揺れうごくのあいだで遊んだりした。大きな琥珀窓は開け放たれていたからよく魚が飛びこんできた。私たちのところで、私たちが窓を開けるとつばめが開け放した窓から飛びこんでくるのにそっくり。ただ魚はつばめとちがって小さい女の子たちのまわりに泳ぎやってきては、手から餌をもらったり、なでてもらったりした。

天沼訳 姫様たちは、海の底にある宮殿の大広間で、一日中のんびりと遊んでいた。広間の壁からは、生きた花がはえていて、大きな琥珀でできた窓を開くと、魚たちが泳ぎはいってきた。ちょうど、私たちのところで家の窓をあけるとツバメが飛びこんでくるのと同じようだった。魚たちは、小さい姫様たちのそばに泳ぎきて、手から餌をもらったり、なでてもらったりした。


第 5 段落前半


Udenfor Slottet var en stor Have med ildrøde og mørkeblaae Træer, Frugterne straalede som Guld, og Blomsterne som en brændende Ild, i det de altid bevægede Stilk og Blade. Jorden selv var det fineste Sand, men blaat, som Svovl-Lue.

直訳 宮殿の外には火のように赤い〔木々〕と暗い青の木々をもつ大きな庭があった、その果実は黄金のように輝き、その花は燃える火のよう〔であった/に輝いた〕、それらはつねに幹や葉を動かしていたので。地面そのものはもっとも細かな砂であったが、硫黄の閃光のように青〔かった〕。

大畑訳 お城のそとには、大きな庭があって、火のようにまっかな木や、まっさおな木が生えていて、木の実は金色に光り、花は燃える火のように輝き、たえず茎や葉をそよがせていました。地面そのものはごくこまかい砂地で、それがゆおうの炎のような青い光をはなっていました。

山室訳 お城の外には、大きな庭があって、火のようにまっかな木やまっさおな木がはえ、金色に光っている実や、もえる火のような花をつけて、たえず茎や葉をそよがせていました。地面そのものはごくこまかい砂でしたが、それがいおう* のような青い光をはなっていました。

* ただの「いおうのような青い光」では、硫黄という化学物質そのものが青いかのように聞こえてしまうが、硫黄はまさに黄の字が示すように鮮やかな黄色である。ついでながら、いま大畑訳と山室訳で「光をはなって」を赤字にしたが、物理的には色が見えることはとりもなおさず光を反射しているにほかならないので、こんなことをうるさく言うのはある意味ナンセンスではある。

高橋訳 お城の外には、広い庭があって、もえるように赤い木や、青あおとしげった* 木がありました。その茎や葉がたえず動き、実は金のように、花はもえる火のようにかがやきました。底のそのものもっとも細かい砂でしたが、いおうの炎のように青い色をしていました。

* これでは通常の植物らしい緑色に見えるが、いま「火のように真っ赤な木」と並んで海の底の不思議な植物の情景を描いているので、正しくは文字どおりの青色を指しているであろう。

大塚訳 お城の外には、大きい庭があって、火のように赤い木や、濃い青色の木が生えていました。それらの茎や葉がたえずゆれ動くのにつれて、木の実は金のようにかがやき、花々は、燃える火のようにかがやきました。そこの地面はとても細かい砂でしたが、それは硫黄の炎のように、青く光っていました。

長島訳 お城の外に、火のように赤い木や濃い青色をした木々が生えている広い庭園がありました。果物は金のように輝き、花々は茎と葉をたえず動かしていたために、燃え上がる炎のようでした。地面そのものはこの上なくすばらしい砂地でしたが、硫黄の炎のような青色でした。

金原訳 お城の外にはきれいな〔広い庭がひろがり、そこには火のようにまっ赤な木やまっ青な木が生えていて、その実は金色に輝き、花は燃えるような赤で、葉や茎はいつも揺れていた。そのものもっともこまかい砂でできていたが、色は硫黄の火のような青。

天沼訳 宮殿の外は広い庭園になっていて、炎のように赤い木や藍色の木々が立っていた。その茎や葉が水の動きでゆれるたびに、その果実は黄金のように、花は燃える炎さながらに輝いたものだ。海の底の土というのはもっとも細かい砂なのだけれど、硫黄が燃えるときの炎のように青い色をはなっていた。


第 5 段落後半


Over det Hele dernede laae et forunderligt blaat Skjær, man skulde snarere troe, at man stod høit oppe i Luften og kun saae Himmel over og under sig, end at man var paa Havets Bund. I Blikstille kunde man øine Solen, den syntes en Purpur-Blomst, fra hvis Bæger det hele Lys udstrømmede.

直訳 その〔海の〕下すべての上には不思議な青い光が横たわっていて、人はむしろ思ったでしょう、自分は空の上高くに立っていて、自分の上にも下にも天を見る* ばかりであると、海の底にいる* と〔思う〕よりも。大凪〔のとき〕には太陽を目にすることができた、それは紫の花のように見えた、その萼からすべての光が流れでてきたような。

* 原文は時制の一致により過去だが、意味は同時性なので非過去で訳してある。

大畑訳 こうして、全体に、不思議な青い光が漂っているので、海の底にいるというよりは、上を見ても下を見ても青々とした大空に、高く浮かんでいるような感じでした。風のないでいる時には、お日様を仰ぐこともできました。そういう時、お日様は紫いろの花のように見え、そのうてなから、あたり一面の光がさしてくるようでした。

山室訳 こうして、ぜんたいの上にふしぎな青い光がただよっていましたので、まるで海の底にいるというよりは、どちらをむいても青あおとした空高くにうかんでいるような感じでした。風がないでいる日には、お日さまをあおぐことさえできましたが、そんなときには、お日さまはちょうど大きなむらさき色の花のようで、そのうてなから、あたりいちめんに光がながれでてくるかのように思われるのでした。

高橋訳 そのあたり全体に、何とも言えない青い光がきらきらとただよっていました。それで、海の底にいるというより、高い空中にうかんでいて、上にも下にも空があるのだという気がしたでしょう。風のない時は、お日様が見えました。お日様は、まっ赤な花で、そのうてな(花のがく)からすべての光が流れ出ているかのように見えました。

大塚訳 こうして、そのあたり一面には、ふしぎな青い光がほのかにかがやきわたっていました。ですから、そこにいると、自分が海の底にいるというより、むしろ、ずっと高くの大気の中にいて、上にも下にも見えるのは空ばかりだ、と思いこんだことでしょう。風がなくて海が静かなときには、上のお日さまも目で見られました。そのお日さまは、深い赤色をした花のようで、その花のがくから、まわりじゅうに光があふれでているように見えました。

長島訳 海の底はどこもかしこもなんとも言えない美しい青に輝いていたのです。それは海の底というよりは、空中高く飛び上がり、上も下も青空ばかりのところに浮かんでいるような感じでした。凪の時には太陽を目にすることができました。まるで緋色の花の萼からすべての光が流れ出ているかのように見えました。

金原訳 あたり一面に不思議な青い光がかがやき、まるで上にも下にも空しか見えない空の高みに浮かんでいるようで、暗い海の底にいるとはとても思えない。凪の日には太陽もみえて、それはその萼からすべての光が流れ出る光のに包まれた紫の花のようだった。

天沼訳 あたり一面は、この世のものと思われぬ青い光につつまれていた。もしも、人間がここに来たとしたら、海の底にいるというより、高い空にうかんでいて、上にも下にも空があるような気がしてしまうかもしれない。風がないでいるようなときは太陽が見えた。太陽は、ほんとうに深紅の花とでもいうべきで、その花びらからあらゆる光が流れでているようだった。


総評


大畑訳と山室訳は、まるでどちらか一方が他方の訳文をそのまま日本語で読んで一部自分の言葉づかいと表記法に直しただけのように似通っている。たんに原文を独立に訳しただけでは決してこれほどの一致はしないであろう。ところで出典一覧では大畑訳を改訳 1963 年、山室訳を 1978 年と記したが、どちらもさらにこれ以前の訳があるようであるから、本当のところ先後関係ははっきりしない。しかもこの 2 人にはアンデルセン童話の共訳もあるらしいから、この「人魚姫」の訳もがんらい両者の共同作業ゆえにこのような類似を呈しているのかもしれない。

金原訳は総じて無意味に思われる敷衍・改変が多すぎるし、そのなかには上で詳しく注記したように有害とすら思われる部分もある。本には訳者のことばがなくデンマーク語から直接訳したのかどうかもよくわからず、本稿で比較した 7 つの訳のなかではいちばんおすすめできないものだが、この訳書の価値は訳文だけではなくアートワークにもあるのであろうから本全体としての評価は保留とする。

それ以外の邦訳はこの範囲ではさほどの欠点なくいずれも甲乙つけがたいが (とりわけ大畑訳はその古さに鑑みれば驚くべき正確さである)、原文にもっとも忠実で過不足がないということでいえば大塚訳がいちばんで、次点が長島訳であろうか。ただ大塚訳はレーベルの制約からかひらがなと読点が多くいささか子ども向きにすぎるきらいはあり、文体が大人の読書に適した落ちついた筆致で読みごたえのあることでは長島訳に軍配が上がるかと感じた。

jeudi 2 août 2018

『フラテイの暗号』冒頭による重訳の影響の検証

前回のエントリでは、ここ数年のアイスランドの小説の邦訳を目につくかぎり列挙し、それらが例外なくほかの言語を介した重訳である事実に触れた。そのとき重訳であることは残念とはいえ、実際上にたいした問題が起こっていることはなかろうというようなコメントを述べた。

しかしもちろんそのような結論を責任をもって出すためには、ちゃんとアイスランド語原文とドイツ語なりスウェーデン語なりの訳文、それから最終的な日本語訳の訳文とを比較検討したうえでというのが正道である。原文を読みもしないでこういうことを言うのは無責任だ。

そこで今回はヴィクトル・アルナル・インゴウルフソン、北川和代訳『フラテイの暗号』(創元推理文庫、2013 年) を題材にとって、アイスランド語原文・ドイツ語訳・日本語訳の 3 者がどれくらい一致しているものか、あるいはどれくらい乖離しているか説明してみることにする。

対象の選択は、私が原典と一次訳 (ドイツ語訳) と邦訳との 3 点をセットで所有しているのがこの作品だけだからであって、とくに他意はない。この作品の重訳についてなんらかの結論が引きだせたとして、それはあくまでこのドイツ語訳と日本語訳の質の問題であって、ほかの 4 人の著者の作品について同じことが言えるともかぎらないのであるが、とりあえずは具体的な比較をお目にかけよう。

引用は第 1 章の最初の 3 段落である。当初は第 1 章全体 (原文で 4 ページ、日本語訳の文庫本で 6 ページ) を対象にしようと思っていたが、3 段落 (1 ページ少々) の時点ですでにけっこうな違いがあることが判明したので、これで十分おもしろい比較になるかと判断した。

読者が比べやすいよう、アイスランド語とドイツ語にはできるだけ過不足のない直訳を付した。なるべく直訳から離れないようにしたかったので、原文にないが日本語にするための最低限の敷衍は亀甲括弧〔……〕に入れて示してある。そのうえでドイツ語訳における変更点は赤字、日本語訳で新たに生じた変更点は青字にして見やすくした。変更点のうち前のものと比べて消えてしまっている箇所 (対応しうる語が明らかに足りない場合のみ) を示すさいはアンダースコア__によった。アイスランド語中の赤字はドイツ語訳で変更または消えることになる部分を表す。

なお、邦訳と関係がないので全文は掲げないが、アイスランド語原文の理解のため英訳 (Brian FitzGibbon 訳、2012 年) を一部参考にし、そのたびに注釈で言及する。


アイスランド語原文 (2002 年)

Vindátt var að austan á Breiðafirði í morgunsárið og svalur vornæðingur ýfði upp hvítfyssandi báru á sundunum milli Vestureyja. Einbeittur lundi var á hröðu lágflugi yfir öldutoppum og forvitinn skarfur teygði úr sér á lágu skeri. Nokkrar teistur köfuðu í hafdjúpið en í háloftunum svifu íbyggnir mávar og skimuðu eftir mögulegu æti. Allt sköpunarverkið í firðinum var í senn kvikt og vakandi í glampandi morgunsólinni.

Lítill en traustbyggður mótorbátur steytti stömpum á kröppum bárum og fjarlægðist Flateyjarlönd í suðurátt. Fleytan var með gömlu árabátalagi, svartbikuð, en á kinnungunum stóð bátsnafnið KRUMMI með stórum hvítum upphafsstöfum. Skipverjar voru þrír, ungur drengur, fulltíða maður og annar talsvert eldri. Þrír ættliðir og heimilismenn í Ystakoti, lítilli hjáleigu á vesturhorni Flateyjar.

Sá elsti, Jón Ferdinand, sat í skut og stýrði bátnum. Hvítir skeggbroddar í teknu andliti og svartur neftóbakstaumur rann úr víðri nös. Nokkrar gráar hárlufsur löfðu undan gamalli derhúfu og leituðu fyrir andlitið undan vindi. Stór og beinaber hönd hélt um stýrisskaftið og gömul augu undir loðnum brúnum leituðu að lítilli eyju í suðri. Siglingaleiðin var ekki augljós þrátt fyrir að skyggnið væri gott. Hólma og sker bar við meginlandið en Dalafjöllin sátu í bláu húmi þar fyrir handan.

明け方、風向きは東からブレイザフィヨルズルへ〔向けて〕で、冷涼な春風が西の島々のあいだの海峡で泡立つ波をかきまわした。決然としたニシツノメドリが、波頭の上を高速で低空飛行していて、物見高い鵜が低い岩礁の上で〔=羽または首。注 1〕を伸ばしていた。数羽のハジロウミバトが海の深みへ潜る一方、その高空では賢しらなカモメたちが浮かび〔注 2〕、獲物たりうるものを求めて見張っていた。フィヨルドにいるすべての被造物が、きらきら光る朝日のなかで同時に生き生きとしてかつ活発であった。

小さいが頑丈に作られたモーターボートが狭い波間で樽にぶつかり〔注 3〕、フラテイの陸地から南に遠ざかっていった。その小舟は古い手漕ぎ舟の形〔?。注 4〕を備えており、黒くタールで塗られていたが、船首には大きく白い大文字で „KRUMMI“ (大ガラス) という船の名前があった。乗組員は三人、年若い少年と、成人した男性、そしてもうひとりずっと年長の〔男〕であった。三世代の、フラテイの西端にある小さな貸家「最果て小屋」に〔住む〕一家の男たち〔である〕。

その最年長〔の男〕ヨウン・フェルディナンドは、船尾に座って船を操っていた。とられた〔??。注 5〕顔には白いひげでざらざら、黒い嗅ぎタバコの taumur〔注 6〕が広がった鼻の穴から流れでていた。数房の灰色の髪束が古い帽子からだらりと垂れ下がり、風のもとで顔のまえを探っていた〔注 7〕。大きくて骨と皮ばかりの手が舵の取っ手をつかみ、毛深い眉の下の老いた両目は南にある小さな島を探していた。路は明らかではなかった、たとえ視程がよかったとしても。小島や岩礁を本土のそばに抱えた一方、ダーリルの山々がその向こうがわで青い薄明のなかに鎮座していた。

〔注 1〕原文では再帰代名詞なので体のどの部分とは言っていない。現実の生態としてウミウは休むとき羽を広げることがあるそうだが、forvitinn「物見高い、好奇心の強い」という形容詞からすればここは首を伸ばしていると考えるほうがそれらしいのではないか (あるいは少なくとも首をも含めた体全体)。しかし下記のとおりドイツ語訳ではその形容詞が失われ、伸ばす箇所が「翼」と限定されている。

〔注 2〕svifu 過 3 複 < svífa「漂い [ふわふわ] 動く、浮かぶ」という動詞が、独訳では kreisen「旋回する」というはっきりした軌跡をもった動きに変わることになる。

〔注 3〕この箇所、独訳はおろか英訳 (‘tackled the choppy waves’) にもまるで対応しないので私の誤訳の可能性大。steytti は steyta「衝突する」の過去 3 単、stömpum は stampur「桶、たらい;樽」の複数与格だと思うのだが……。

〔注 4〕árabátalagi の語義は調べがつかなかった。どうやら árabátur という種類の小舟があって (アイスランド語版 Wikipedia に写真もある)、その lag がどうたらということだが (lagi はその与格)、これが「層;形;順番」などなど多義語でよくわからない。下に見るとおりドイツ語訳ではこの前後をかなり敷衍して訳している。英訳もこの箇所は比較的自由に訳しており、‘a converted old rowboat’ と古い漕船を改装してモーターボートにしたものと解されている。

〔注 5〕teknu は強変化ならば tekinn の中性単数与格でしかありえず、それは動詞 taka「とる、つかむ、得る」の過去分詞である。独訳では「皺の刻まれた zerfurchten」となるが、tekinn にそのような意味があるのか当方では根拠が得られなかった。「つかまれた=くちゃくちゃになった」? 参考までに英訳 ‘his hollow face’ =「落ちくぼんだ、うつろな」。

〔注 6〕taumur は「馬勒、手綱」の意だが、それではどうも話が通らない。もしかして嗅ぎタバコの粉で色が染みついて鼻輪かなにかのようになっている様子かとも想像するが飛躍しすぎか。後述するようにドイツ語訳では Striemen「ミミズ腫れ」、日本語訳では「ヤニが混じる鼻汁」になる。なお英訳ではこの複合語の第 2 要素にあたる部分が消え、単純に嗅ぎタバコ (の粉末) が鼻から漏れていることになっている。

〔注 7〕これもどうやら怪しいが、次の文にも出る leituðu は leita の過 3 複で、アイスランド語のアイスランド語辞典で確認してもこの動詞には「探す」とそれに類する意味しか見あたらない。英訳 ‘groping for his face’「手探りする、まさぐる」はこれに味方している。他方「顔のまえを」というのもあやふやで、これだけでは髪束が顔面をまさぐっているのか、それとも背中からの風で目のまえの空中を暴れているのか 2 通りに読める。しかし第 1 段落に東からの風とあり、フラテイから目的地ケーティルセイへは南東方向なので、向かい風で顔にあたる前者のほうが蓋然性が高いであろう。そのためもあってか独訳・邦訳の描写ではそちらに固定される。


ドイツ語訳 (Coletta Bürling 訳、2005 年)

Ein scharfer Ostwind blies in der Morgenfrühe über die weite Bucht des Breiðafjörður und wühlte das Meer zwischen den westlichsten Inseln zu weiß schäumenden Kämmen auf. Ein Papageitaucher flog konzentriert in schnellem Tiefflug dicht über der Wasseroberfläche dahin, und ein Kormoran breitete auf einer flachen Klippe die Flügel aus. Einige Gryllteisten tauchten in die Tiefen des Meeres ab, während hoch oben Möwen kreisten und nach möglicher Beute Ausschau hielten. Die gesamte Tierwelt des Fjords tummelte sich in der strahlenden Morgensonne.

Ein kleines, aber stabiles Motorboot hatte von der Insel Flatey abgelegt, Kurs in südliche Richtung aufgenommen und schlingerte jetzt auf den eiligen Wellen. Es war gebaut wie die alten Ruderboote, mit denen man in früheren Zeiten zum Fang ausgefahren war. Am Bug des schwarz geteerten Fahrzeugs stand der Name RABE mit einem großen weißen Anfangsbuchstaben. Drei Menschen befanden sich in dem Boot, ein kleiner Junge, ein Mann mittleren Alters und einer, der sichtlich älter war. Drei Generationen, die alle in Endenkate zu Hause waren, einem kleinen Hof am westlichen Ende von Flatey.

Der Älteste hieß Jón Ferdinand. Er saß im Heck und steuerte das Boot. Weiße Bartstoppeln standen in einem zerfurchten Antlitz, und aus den weiten Nasenlöchern rannen schwarze Schnupftabaksstriemen. Die grauen Haarbüschel, die unter der alten Schiffermütze hervorguckten, wehten ihm ins Gesicht. Seine große knochige Hand hielt die Ruderpinne mit festem Griff, und die alten Augen hielten unter buschigen Brauen Ausschau nach einer kleinen Insel im Süden. Es war nicht einfach, den richtigen Kurs zu halten, auch wenn die Sicht gut war. Die vielen Inseln und Schären hoben sich gegen das Festland ab, und jenseits von ihnen lagen die Berge von Dalir in blauem Dunst.

早朝、激しい東風がブレイザフィヨルズルの広い湾の上を吹き渡り、西の島々のあいだのを泡立つ波頭を立ててかきまわした。ニシツノメドリが集中して水面のすぐ上を高速で低空飛行していて、____鵜が低い岩礁の上でを広げていた。数羽のハジロウミバトが海の深みへ潜るかたわら、上空では____カモメたちが旋回し、獲物たりうるものを求めて見張っていた。フィヨルドのすべての動物界が、輝く朝日のなかではしゃぎまわっていた。

小さいが頑丈なモーターボートがフラテイ〔注 1〕から離れて針路を南の方角にとり、いまや速い波の上で横揺れしていた。それは以前の時代に漁に使われていた古い漕船のような作りだった。黒くタールで塗られた船体の舳先には、大きく白い大文字で RABE という__名前があった。三人の男が小舟には乗っていた、小さな男の子、中年の男〔注 2〕、そして見るからに年配の者であった。みなフラテイの西端の小さな農家、「最果て小屋」に住んでいる三世代〔である〕。

最年長〔の男〕はヨウン・フェルディナンドという名前だった。彼は船尾に座りボートを操っていた。白い無精髭が皺の刻まれた顔にあり、広い鼻の穴〔注 3〕からは黒い嗅ぎタバコの Striemen〔注 4〕が流れでていた。古い船乗り帽の下から覗いた___灰色の髪束が彼の顔に吹きつけていた。彼の〔注 5〕大きくて骨ばった手はしっかりした握りで舵柄をつかみ、老いた両目は毛深い眉の下で、南にある小さな島を求めて見張っていた。__正しい針路を保つこと容易ではなかった、視界がよかったとしても。本土の向かいには多数の島々と岩礁〔注 6〕が浮かびあがっており、それらの向こうがわにはダーリルの山々が青い〔注 7〕のなかに横たわっていた。

〔注 1〕Flatey の ey がアイスランド語で「島」の意味なので、「フラテイ島 Insel Flatey」はちょうど「サハラ砂漠」にも似た重言である。もっともサハラもそうだがなじみのない言語の固有名詞ではこういう配慮はよくあるので、べつだん誤訳とは言えないだろう。なぜか次の Flatey では「島 Insel」を付していないが、日本語訳ではそちらも「フラテイ島」になる。

〔注 2〕「成人、大人」(fulltíða, ドイツ語で言えば erwachsen) と「中年」とでは言葉の与える印象がだいぶ変わってくる。べつに事実として彼は中年であるのかもしれないが。英訳では ‘a grown man’ で直訳。

〔注 3〕原文 víðri nös は単数与格であるのに、独訳では den weiten Nasenlöchern と複数 3 格になっている。この結果次に見る日本語訳でも「鼻の穴の両方」と変わる。

〔注 4〕この語、どう調べても「ミミズ腫れ」という語義しか見あたらないのだが、どうして日本語訳は「ヤニが混じる鼻汁」にできるのだろうか。たしかにそう考えると前後が自然に流れるとは思うが……。私は嗅ぎタバコの実物を見たこともないので、鼻水が黒くなるものなのかどうか知らない。

〔注 5〕一般論として、ドイツ語や英語・フランス語などが所有形容詞 (所有代名詞) を使って言うところを、北欧語では文脈から明らかならばわざわざ所有詞を添えずに名詞の既知形 (定形) だけでもって代えることが多いが、この箇所ではアイスランド語原文は未知形であるにもかかわらず独訳が所有形容詞を独自に補ったところが指摘される。

〔注 6〕アイスランド語原文で「小島と岩礁 hólma og sker」は、対格でいずれも単数と複数とが同形であり、対格目的語のため文の動詞の形でも区別がつかない。もちろん文脈から言えば複数だろう。ドイツ語訳ではこれを主語に据えかえたうえ、原文にない「多数の vielen」の語を補っている。日本語訳ではこれがさらに「無数の」と誇張される。

〔注 7〕原文では「薄明、薄暗がり húm」だったのが独訳で「靄、霞 Dunst」に変わり、これが邦訳に受けつがれる。なお英訳では ‘dusk’。原語の húm は夜明けと日暮れ両方の意味がある薄明るさのようだが、いまは早朝とはっきりしているので dusk は変ではないか?


日本語訳 (北川和代訳、2013 年)

早朝、西に大きく開けたブレイザフィヨルズル強烈な東風が吹き渡り、無数に点在する___島々のあいだの海に白い波を立たせていた。パフィンという愛称で知られる、ピエロのように滑稽な顔をした〔注 1〕ニシツノメドリが____、水面ぎりぎりを猛烈な速さで飛び去り、____ウミウが低い岩壁で漆黒のを広げている。ハジロウミバトが数羽、海中深くをめざして潜水するその上空では、____カモメが一羽〔注 2〕、旋回して獲物____に目を光らせている。フィヨルドに棲むありとあらゆる種類の生き物は、輝く朝日を浴びて大はしゃぎしていた。

一艘の頑丈そうな〔注 3〕小型モーターボートがフラテイを離れ、波にもまれて南に進路をとっていたその昔、人々が漁に使った旧式のゴムボート〔注 4〕に似た小型艇だ。タールを塗った黒いボートの舳先には、大きな白い_文字で〝カラス号〟と船名〔注 5〕が書かれている。ボートには男が三人乗っていた。少年と中年男性、そして見るからに年老いた男の三人だ。フラテイの西端の、〝最果て小屋〟と呼ばれるみすぼらしい家に暮らす三世代の男たちだった。

祖父の名をヨウン・フェルティナントという。そのヨウン老人艫に座ってボートを操縦していた。皺が刻まれた顔に白い無精髭を生やし、大きな鼻の穴の両方から、嗅ぎ煙草のヤニが混じる黒い鼻汁が流れだしている。__船乗り帽からはみだした灰色の髪束が風に吹かれ、顔を打っていた。ごつい〔注 6〕手で舵をしかと摑み、濃い眉の下の老いた瞳で南に浮かぶ小島を見すえている〔注 7〕。たとえ視界が良好でも、__針路真っ直ぐに保つこと容易ではなかった。陸地を背景にして無数の〔注 8〕島々や岩礁が際立っている。その遙か向こうには、立ちこめる青白いの中にダーリル地方の山々が横たわっていた。

〔注 1〕ニシツノメドリに関する長い追加説明はすべて日本語訳者の挿入。私じしんもそうだがニシツノメドリと聞いてピンとこない人のための補足であって、これじたいは目くじらを立てるには及ばない。次のウミウに関する「漆黒の」と、冒頭の「西に大きく開けた」も同様。そもそも本稿では重訳に伴うトラブルを検証しているので、ドイツ語文になく日本語訳がまったく新たに導入している変更はかならずしも問題視するものではない。それは日本語の翻訳作品としての翻訳家ひとりひとりの方針の問題である。

〔注 2〕アイスランド語・ドイツ語ともに「カモメ mávar, Möwen」は複数 (もちろん英訳 seagulls も)。日本語でどうしても 1 羽に変えたい理由は考えられないし、ケアレスミスではないか。

〔注 3〕なぜか主観的な推測のように言われているが、大元のアイスランド語 traustbyggður は英語に直訳すれば trustfully-built、そのような造りであることは事実として描写されていると思われる。そこからドイツ語の stabil というあっさりした形容を経て「頑丈そう」に変わることはまさに伝言ゲームの弊害といえる。

〔注 4〕原文にもドイツ語にもゴム製とは書いていないし、アイスランド語原文の注 4 にリンクを載せた árabátur の写真を見ても、「ゴムボート」という言葉から想像されるものとはだいぶ違っている。ただしもし前時代 (本文の時代設定が 1960 年なので、それよりさらに数十年まえか) に当地の漁でゴムボートを使っていたという事実があってこう訳されたのだとしたらすみません (もっとも「前時代 in früheren Zeiten」前後の語句がまるっきりドイツ語訳の挿入なので、こういう難しさが生じることじたい重訳のせいである)。

〔注 5〕アイスランド語にあったのにドイツ語訳では消え、日本語訳では偶然にも復活している「船」の字。

〔注 6〕「ごつい」という俗語はたしかに「大きい」と「骨ばった」の両方を一言で表現できているように見える。しかしここの原文は „stór og beinaber“ で、beinaber という語は Boots, Íslenzk-Frönsk orðabók だと « étique, qui n’a que la peau et les os »「皮と骨しかない、がりがりにやせた」と説明されている。この老人の手は大きいが年相応にやせ衰えた感じなのだろう。それがドイツ語訳の „große knochige“ になった時点でいくぶんか変容し、「ごつい」になるに及んで力強く頑健な印象に変わっている。

〔注 7〕アイスランド語では明らかにまだあっさりと「探していた leituðu」だったのに (なお英訳も ‘searched for’)、ドイツ語訳で「〜の出現を (期待して) 見張っていた hielten [...] Ausschau nach ...」と若干前のめりになった。それが日本語訳では「見すえている」と、すでに視野に捉えている感じである。フラテイからケーティルセイまでは直線で 20 km くらいのようだが、この時点で見えているものかどうか私にはわからない。しかし次の文で richtig「正しく」を即「真っ直ぐに」と言うのはこの間近に見えていることを前提とした訳かもしれない。

〔注 8〕すでに独訳のところで述べたように、アイスランド語になくドイツ語で追加された「多数」が「無数」へと強調される。次の文の「遙か」とあわせ、いずれも日本語訳で加わった誇張。

さて注 5 のようなまれな例外を除けば、2 度の訳のたびにいくつもの変更点が加わり蓄積することで、重訳では赤字青字をあわせれば原文と比べて少なからぬ割合の変化を被っていることがわかる。これを重大と考えるかどうかは人によるだろう。

本作の場合、意味に関わる変化では独 → 日よりも、そのまえの氷 → 独における削除のほうがとくにひっかかるように私個人としては感じる。なんのことはない情景描写とはいえ、このように細部の性格が省略されてしまうのでは今後どうなるかわかったものではない。重訳を行う場合、どの翻訳をもとにするかは最終的な出来にとって一大決定になるということである。

人間の業である以上どんな翻訳にも不行き届きはいくつもあるはずであり、訳を重ねるほどその数も質の重大さも累積していくことは当然のことである (たとえば単数・複数の取り違えというつまらないミスをとっても、この短い範囲に氷 → 独と独 → 日で 1 度ずつ生じ、結果として間違いは 2 つになっている。それ以外の質的な違いについては上記の注を細かく読まれたい)。そうである以上、もしアイスランド語に十分に習熟した翻訳者がいるのであれば直接訳が望ましいことは言うまでもない。

最近のアイスランド文学の翻訳一覧

この 2010 年代に入ってアイスランドの大衆文学というのか、要するにふつうの娯楽小説がいくつか日本語にも翻訳されるようになっているが、どうにもアイスランド語から直接翻訳したものというのはまったくないようである。

続々と出ているアーナルデュル・インドリダソン (Arnaldur Indriðason) のエーレンデュル警部シリーズ『湿地』『緑衣の女』『』『湖の男』(柳沢由実子訳、2012 年〜) はスウェーデン語からの重訳だし、ヴィクトル・アルナル・インゴウルフソン (Viktor Arnar Ingólfsson)『フラテイの暗号』(北川和代訳、2013 年) はドイツ語から、イルサ・シグルザルドッティル (Yrsa Sigurðardóttir) の『魔女遊戯』(戸田裕之訳、2011 年) とラグナル・ヨナソン (Ragnar Jónasson) の警官アリ゠ソウルシリーズ『雪盲』『極夜の警官』(吉田薫訳、2017 年〜)、それに唯一推理小説ではないがアンドリ・スナイル・マグナソン (Andri Snær Magnason) による SF『ラブスター博士の最後の発見』(佐田千織訳、2014 年) と児童文学『タイムボックス』(野沢佳織訳、2016 年) は、すべて英語からの重訳である。(以上、著者名のカナ表記はすべて既訳書の記載に従ったため不統一のところがある。)

いま計 5 名の作家による 10 点の作品の名前をあげたが、アイスランド語の原典から訳したものはひとつもない。にもかかわらず大部分のカバーデザインにはアイスランド語の原題を配しているのだから奇妙な話である (上記のうち例外は小学館文庫から出ているラグナル・ヨナソンの 2 作のみ。『ラブスター博士』は原題から英語の LoveStar である)。やはり、一般の読者には読めないアイスランド語が書かれているほうが、いかにも珍しい感じがして箔がつくのだろう。

もちろん重訳だからといってただちに不正確だというものではないし、これらのうち大部分では訳者あとがきにて、「原著者はその訳本をチェックしているので信頼に値する訳だから問題はない」というような主旨のことが書かれている。それにアイスランド語の人名・地名の固有名詞はみなさんよくお調べになっていて、なるべく原語の発音に忠実なようにカタカナ表記されている。

そういうわけで、重訳であっても日本のふつうの読者にとって問題視するような欠点はあまりないと思ってよさそうだ。それでもある国の文学が紹介されるとき、原語からではなくべつの媒介言語をさしはさんでいるということ、直接に橋渡しのできる人材が足りていないということは惜しいことであるし、まだまだ日本とアイスランドには遠い距離が隔たっているという証左であり寂しく感じる。

もう半世紀以上もまえに、アイスランド人のノーベル文学賞受賞者 (1955 年) ハルドウル・ラフスネス (Halldór Laxness) の作品が、エッダやサガなどのアイスランド古典文学の専門家でもあった山室静らによって邦訳されたことがあったが (『独立の民』邦訳 1957 年、その他数点)、これはもしかして原典訳だっただろうか (現物未見)。山室に限らず古典文学については (東海大学北欧学科などの先生がたによって) 早くから比較的に充実した原典訳の蓄積があるわけであるから、いずれは現代の作品も扱える翻訳家が育ってくれればよいと願う。

〔同日追記。重訳であることで実際にどれほどの変化が生じるか、『フラテイの暗号』冒頭の部分で検証したエントリがこちら。〕