mardi 30 mai 2017

『星の王子さま』で学びたい世界の言語

私は『星の王子さま』(Le Petit Prince) に関してはちょっとしたオタクで,多数ある日本語訳と関連書籍,それに各国語訳をも含めると計 100 冊くらいの蔵書を有しています〔追記。2020 年 9 月には 200 冊になりました〕.もっとも『星の王子さま』には世界中に熱心な愛好家たちがいて,世界のオタクのなかには 1 000 冊を軽く超えていく蒐集家が何人もいるので,この程度ではあまり自慢にならないのですが.

その翻訳先言語の数は,三野博司『「星の王子さま」事典』(大修館書店,2010 年) によると「二〇〇九年九月までに〔……〕二〇八となっている」(198 頁) と言い,その後も増えつづけていることが示唆されています.これは一説には聖書に次いでもっとも多く翻訳された作品だとも聞いたことがありますが,三野によれば「毛沢東とレーニンの著作に次いで、四位を占める」(同書,200 頁) ということです.いずれにせよ,文学作品のなかではもっとも多くの言語に訳されているようです.

ここ 10 年ほどはとりわけドイツのティンテンファス出版 (Edition Tintenfaß, 「インク壺」の意) から,同じ版型の白い表紙で統一感のある装丁で,次々に世界中の言語・方言で『星の王子さま』の翻訳が刊行されています.一般に各国でばらばらに出版されている各国語訳は,Amazon も進出していない国や地方となると入手に相応の手間がかかる (もしくは根本的に入手不可) のですが,このシリーズだけは日本の Amazon からも購入しやすいためおすすめで,驚くべきことに古英語中英語古高ドイツ語中高ドイツ語版なんてものも出ています.もちろん私はぜんぶ買っています (読んだとは言っていない).

『星の王子さま』に限らず,同じ文章,意味の判明している文章 (翻訳の等価 equivalence についての難しい問題は脇に置くとして) がいくつもの言語に訳されているということは,それを用いて語学の学習に役立てられるのでないかという期待を抱かせます.しかも日本語訳が最たる例ですが,ひとつの言語のなかでも何通り (ときには何十通り) もの翻訳があるとなれば,表現の言いかえを知るにも好個の材料を提供してくれそうです.

むろんあくまで翻訳表現である危険性がある,少なくとも翻訳元のフランス語の影響がありうるという難点がありますから (じっさい日本語でも「いかにも翻訳調の文」というのはありますね),その言語を学びたいなら最初からその言語のオリジナルで書かれた文学作品のほうがよいという意見は可能ですが,そうなると前述した複数通りの表現比較はありえないということ,そしてマイナーな言語の作品となると日本語訳はおろか英訳なども存在しないか入手困難ということも多いので,「答え」がないのでは学習用には使いづらいのが実情です.

星の王子さま』にはそれらをクリアする利点があるわけですが,ここでもうひとつ懸念となる (というか偏見がありそうな) のは,『星の王子さま』は子ども向けの作品なので大人の言語学習には向かないという疑いです.なるほど幼児向けの絵本のように平易な言葉で何度も同じパターンの文章を繰りかえし,たとえば時制も現在形しか出てこないというようなことであれば役には立ちませんが,『星の王子さま』はまったくそうではありません.

三野博司『「星の王子さま」で学ぶフランス語文法』(大修館書店,2007 年) という本があります.フランス語は緻密に体系立った文法,とりわけ複雑な時制組織をもつ言語です.この本は文法の解説に際して極力実際に作中にある例をとっているのですが,これを見ると『星の王子さま』の作中にはほとんどありとあらゆる文法事項の実例が見いだされること,とくに時制について言えば大過去や前未来,単純過去,そのうえ条件法過去に接続法半過去・大過去すらも確認されることがわかります!(惜しくも直説法前過去だけは見られないようです)

こうした豊かな時制,それからフランス語学習のもうひとつの難所である中性代名詞 en, y, le などといったさまざまな文法事項が,各国語訳でどのように反映されているのかを見るのは楽しいことです.言うまでもなくフランスにはフランス人が他国語を学ぶための語学書があり,また逆に世界各国にはその国の言葉でフランス語の文法を教える語学書があります.私はそうした世界中の語学書も好んで集めていますが,『星の王子さま』を各国語で読むことは,そういう各国語とフランス語との文法知識のインタラクションを思い起こさせます.

直近の体験では 1 年ほどまえに,リトアニア語を勉強してリトアニア語版の『星の王子さま』(Mažasis princas; ヴィータウタス・カウネツカス Vytautas Kauneckas 訳とプラナス・ビエリャウスカス Pranas Bieliauskas 訳の 2 通り存在します) に取り組んだことがあります (通読とはいきませんでしたが).リトアニア語は豊富な分詞の体系をもち,それでもって微妙な時間的関係を表現する言語で,現在・過去・未来それから習慣過去という耳慣れない時制それぞれの能動分詞,現在・過去・未来の受動分詞に「必要分詞」と「半分詞」,そして現在・過去・未来の「副分詞」という恐るべきバリエーションがあります.

ということはこれらを縦横無尽に駆使することで,フランス語の複雑な時制を翻訳文に表現することができるわけで,実際にリトアニア語訳にはありとあらゆる分詞が見られました.前述のようなフランス語の複合時制をさまざまな時制と法のコピュラ + 能動/受動分詞に移すことはもちろん,付帯状況のジェロンディフ « tout en regardant mon avion »「僕の飛行機を見ながら」(第 3 章) は半分詞 „žiūrėdamas į mano lėktuvą“ に,また « J’étais bien plus isolé qu’un naufragé sur un radeau au milieu de l’océan »「(直訳) 海のただなかで筏の上の難船した人よりもずっと孤独だった」(第 2 章) は,que 以下を „negu žmogus, laivui sudužus, klaidžiojantis plaustu vidury vandenyno“「船が難破してしまい,海のただなかで筏によって漂っている人より」というふうに,原文では名詞的な過去分詞のなかに含意されている「船が難破した」という主節と異なる主語の過去の動作を過去副分詞の独立分詞構文に変え,そして彼が現在漂流していることを現在能動分詞で表しています.またフランス語の半過去はしばしば習慣過去に移っていました.

こういう調子でまんべんなく文法事項がちりばめられているわけですから,おそらく『「星の王子さま」で学ぶリトアニア語文法』もやろうと思えば有意義なものになるはずで (望むらくは自分で作りたいのですが),これはどんな言語にも敷衍できる話だということは想像に難くありません.それだけ『星の王子さま』は教育的にも優れた作品なのです.

星の王子さま』でフランス語を学ぼうという趣旨の本は,前出の三野のフランス語文法のほかに,
などがあります.また変わったところでは,1958 年のノーラ・ガリ (Нора Галь) によるロシア語訳『星の王子さま』(Маленький принц) をもとに対訳と語注をつけた,
という本もあります.看板どおり訳と注はロシア語訳にもとづいてつけられているので,フランス語原文とは内容が異なっている部分があります (たとえば第 2 章冒頭に « à mille milles de toute terre habitée »「人の住むあらゆる地から千マイル……」とありますが,ノーラ・ガリ訳では «на тысячи миль вокруг» と複数対格なので「何千マイル」となっています).この本は私の知るかぎり,フランス語以外の言語についての唯一の試みです.

さきのリトアニア語の話ではありませんが,もっとこうしたものがどんどん増えてくれればよいのですが,今度は翻訳後の作品についての著作権も問題になりますから,なかなか実現が難しいのでしょうか.

lundi 29 mai 2017

マビノギオンのウェールズ語版

中世ウェールズの物語集『マビノギオン』につき,前回はフランス語訳前々回はドイツ語訳について情報をまとめましたから,順当にいけばもっとも歴史が長く数も多い英語訳についての話をするべきでしょうが,少し目先を変えてみました.なにしろ英訳については誰でも簡単に調べがつくので,あえてここに屋上屋を架すほどの価値はないでしょう (もちろんその情報が日本語で読めるというだけでも一定の意味はあるでしょうから,時間が許せばまとめてみたいですが).

さて「マビノギオンのウェールズ語版」とは奇妙なタイトルです.言うまでもなく『マビノギオン』はもともとウェールズ語,詳しく言えば中期ウェールズ語 (Cymraeg Canol, 英 Middle Welsh) という,中世なかばから後期にかけての時代のウェールズ語で書かれたものです.ですからウェールズ語であるのはあたりまえです.

ただ現代の日本人が鎌倉時代の文学,たとえば方丈記徒然草宇治拾遺物語あるいは吾妻鏡などを原文 (を活字化したもの) で読めるかというと,これは読めることは読めるでしょうが大変なもので,一般的な読者は現代語訳で読みたいと思うはずです (それともやっぱり雰囲気が大事なので原文で読みたいと思うでしょうか).ウェールズ語話者にとっての『マビノギオン』もきっと似たようなものでしょう.その需要に応えるものが 2 つか 3 つ存在しています.

「マビノギの四つの枝」,英語で言うと ‘Four Branches of Mabinogi’ にあたるウェールズ語の題名は,中期ウェールズ語では ‘Pedeir Keinc y Mabinogi’ とつづりましたが (というのは標準化したつづりの話で,実際の写本には Mabinogy とか Mabinyogi とか表記のゆらぎがあるわけですが),現代ウェールズ語では ‘Pedair Cainc y Mabinogi’ と書きます.この後者が,現代語訳の最初の試みであろうパリー゠ウィリアムズが 1937 年に出版した書籍のタイトルです.

トマス・ハーバート・パリー゠ウィリアムズ (Thomas Herbert Parry-Williams, 1887–1975) はウェールズ生まれウェールズ育ち,ウェールズ語で著作した詩人・作家・学者であったそうです.先述のとおり Pedair Cainc y Mabinogi: Chwedlau Cymraeg Canol (『マビノギの四つの枝:中世ウェールズの伝説』) というタイトルで,1937 年に Gwasg Prifysgol Cymru (ウェールズ大学出版局) から現代語訳を刊行しています.私の手もとにあるのは 1966 年の第 4 版でこれが最終版であり,けっこう大きな活字なのに全 115 ページの小冊子で,初版の序文に加えて 1959 年に第 3 版が出たときの短い序文と,巻末に 7 ページばかりの注がついています.

内容としては中期ウェールズ語の原文を,基本的にはまったく語順を変えずに現代式の正書法に改めているほか (ウェールズ語に限らず中世の写本のつづり字は一貫しなかったり発音どおりでなかったりするところが多いので,これだけでもだいぶありがたいのですが),そうした保守性にもかかわらずたまに (数十語あたりに 1 回?) べつの単語に置きかえているところがあるのでそれはおそらく廃語なのでしょう.巻末の注のほうは本文のいくつかの単語 (つまり彼が「現代語化」したあとの語) について短い説明を与えているようなのですが,すべてウェールズ語ですし ‘pedrain, crwper’ や ‘trythyll, bywiog’ のように 1 語だけの言いかえも多く,少なくとも辞書で調べるかぎりそれらはだいたい同じ意味の単語なので,私のような初学者にはなにを意図してそう書かれているのかわかりません (注でさらに言いかえるなら最初から本文をその語に変えたらいいと思うのですが,すっかりべつの語にしている箇所とはなにが異なるのでしょう.古い言葉でもぎりぎり通じるが念のため補足したという感じでしょうか.日本の中世文学の現代語訳にもそういうことがあるかもしれません).

よりよいと思われるのは,ウェールズの小説家・翻訳者であるダヴィズ・イヴァンスと中世ウェールズ文学の専門家リアノン・イヴァンス (Dafydd a Rhiannon Ifans) による 1980 年の現代語化 Y Mabinogion で,いわゆる「マビノギオン」の 11 話すべてを含んでいます.これは手もとの 2001 年 (通算) 第 7 刷/版 (seithfed argraffiad) の書誌情報によると,93 年まで 5 回刷を重ねたあと 95 年に新版になっています.旧版をもっていないのでどう変わっているのかはわかりませんが,少なくともブリンリー・ロバーツ (Brynley F. Roberts) が寄せている専門的な序論 (rhagymadrodd) は新版のためのものです.

こちらは中期ウェールズ語のオリジナルと比べて,正書法や単語の置換だけでなく,ときには語順をも大胆に変えていますから,それによっておそらくパリー゠ウィリアムズのものよりも格段に現代の読者に配慮されたウェールズ語になっているのではないでしょうか.2 人の著者ないし編者の経歴から見てもきっと正確で美しいウェールズ語に違いありません (私はネイティブではないので想像にすぎませんが).ちなみにこの現代語訳は中野訳『マビノギオン』でも参考文献に挙げられ「細かい点で大変参考になった」と評されています.ただしこちらの本は一見して注などはどこにも見あたらないので,背景知識などは他書で補う必要があるかと思います.

参考までに,マビノギ第一の枝『ダヴェドの大公プイス』の書きだしを例に,上記 2 つの現代語訳と中期ウェールズ語の原文を見比べてみましょう.中期ウェールズ語のテクストは R. L. Thomson 編 (1957) の Pwyll Pendeuic Dyuet によります.引用文中,注意する相違点をイタリックで強調してあります.
中期ウェールズ語:Pwyll Pendeuic Dyuet a oed yn arglwyd ar seith cantref Dyuet. A threigylgweith yd oed yn Arberth, prif lys idaw, a dyuot yn y uryt ac yn y uedwl uynet y hela. Sef kyueir o’y gyuoeth a uynnei y hela, Glynn Cuch.
パリー゠ウィリアムズ (P-W): Pwyll, Pendefig Dyfed, a oedd yn arglwydd ar saith gantref Dyfed. A rhyw dro yr oedd yn Arberth, prif lys iddo; a dyfod yn ei fryd ac yn ei feddwl fyned i hela. Sef cyfer o’i deyrnas a fynnai ei hela, Glyn Cuch.
イヴァンス (I): Yr oedd Pwyll Pendefig Dyfed yn arglwydd ar saith cantref Dyfed. Ac un diwrnod yr oedd yn Arberth, un o’i brif lysoedd, a daeth i’w fryd ac i’w feddwl fynd i hela. Dyma’r rhanbarth o’i deyrnas a fynnai ei hela, Glyn Cuch.
子音の u (= v) を f に,摩擦音の d を dd, また有声音の t や c を d, g に直したり,y を単語に応じて i や ei に改めるなど,発音と文法にもとづく現代風の表記にそろえているところは 2 つとも共通しています.それを除いて冒頭から見ていくと,第 1 文で P-W はコンマの挿入とつづり以外なにひとつ変更していないのに対し,I がいきなり動詞 ‘Yr oedd’ を文頭にもってくるところ (これは現代語で普通の語順) が目を引きます.

第 2 文に入って ‘treigylgweith’「(昔々) あるとき」という古い言葉が出てくると,両者それぞれ ‘rhyw dro’ と ‘un diwrnod’ というべつの表現に置きかえています.第 3 文の ‘kyuoeth’「富;権力;土地」も同様で,このわかりにくい多義語は両者そろって ‘teyrnas’「王国,領地」に変えています.この範囲で P-W の変更点といえばつづり以外には以上 2 点のみです.

I はそれにとどまりません.語彙だけに関して言ってもそうですが,顕著なのはすでに触れた第 1 文 ‘Yr oedd’ に加えて,第 2 文のなかば,‘prif lys idaw’「彼の第一の宮廷」というところ,‘un o’i brif lysoedd’ とまるっきり異なる語法に変えています.もとの ‘idaw = iddo’ は前置詞 ‘y = i’ の 3 人称単数男性「活用形」で,直訳すれば ‘principal court to him’ という形式であり,英語で言う〈to + (代) 名詞〉で所有表現になるという,スラヴ語のエンクリティック与格にもあるような用法を使っています.P-W ではそのまま踏襲しているこれを I は許さず,代名詞の所有格形 ‘ei’ に変えて ‘one of his principal courts’ と言っています.‘One of’ にあたる ‘un o’ がついている (ついでに llys を複数形 llysoedd に変えている) のは,原文が定冠詞のついていない形であることから判断して不定 (a principal court) であることを明確化したもので,これも P-W にはない I 独自の配慮です.

もうひとつ興味深いのは P-W の 1 文めにある ‘saith gantref’ という軟音化 (lenition) です.Thomson のエディションによるかぎりここは中期ウェールズ語では ‘seith cantref’ であり,I もそうしているのに中間の P-W だけが軟音化した g- に変えているという不思議があります.じつは Thomson の異読資料欄は,とくに興味深い場合を除いてたんなるつづりや語頭変異 (mutation) の異同は掲げないという方針を記しており,ということはここに載っていなくても実際には原典に ‘seith gantref’ も見られた可能性があります.そして『ヘルゲストの赤い本』の翻刻版である Rhys and Evans (1887) をひもとくと,たしかにプイスの最終局面 (p. 25) にこの実例を確認できます.

ここには込み入った事情があり,現代語では ‘saith’「7」は ‘wyth’「8」とともに変異を起こさないということになっているところ,少し古めかしいウェールズ語文法を扱っている Stephen J. Williams (1980), A Welsh Grammar, §62 は,‘saith’ と ‘wyth’ は北部方言では p-, t-, c- のみ軟音化を引き起こすと言います (そのうち t- の軟音化はその時点でなくなりつつあったと言います).そして実際にパリー゠ウィリアムズは北部の出身です.

しかしながら,本来は中期ウェールズ語においても ‘seith’ は軟音化を引き起こすべき単語ではなく,これは ‘wyth’ からの類推によって生じたものだと D. Simon Evans (1964), A Grammar of Middle Welsh は言います.‘Seith’ は本来 ‘seith mlyned’, ‘seith nieu’, ‘seith mroder’ のごとく鼻音化 (nasalisation) を引き起こすはずの数詞だったらしいのです (同書 §§20, 25).そうだとすれば理論的には ‘seith nghantref’ となるところですが,この実例は私は知りません.ともあれ話を戻すと,P-W の ‘saith gantref’ は現代語と思いきや大昔の誤りから生じた古い北部訛りだということで,もしかすると全体を通してまた同じような例が見られるかもしれないので,この 80 年まえの「現代語訳」には注意を要するということです.

最後に,未確認情報ですが第 3 の選択肢として,ウェールズの詩人グウィン・トーマス (Gwyn Thomas) による 1984 年出版の現代語化 (diweddariad) があると,ウェールズ語版 Wikipedia には書いてあります.これが本当に忠実な現代語化なのか,それとも翻案や再話のたぐいなのかは不明で,少なくともいま Amazon で手に入りやすい Gwyn Thomas の Y Mabinogi (2006) は子ども向けの再話だと思われます.なにしろあまりにもありふれた人名なので調べるのが難しく,とくにマビノギオンの標準的な英訳である Jones and Jones, すなわち Gwyn Jones and Thomas Jones の 2 人のファーストネームを並べたものと同じなので検索のさいはひっかからないように注意してください.

dimanche 28 mai 2017

マビノギオンのフランス語版

前回は『マビノギオン』のドイツ語訳の状況について,幻の (?) マルティン・ブーバー訳を中心に紹介しましたが,今日はそれに引きつづいてフランス語訳 Les Mabinogion の来歴について概観しましょう.

前回すでに触れましたが,まずはジョゼフ・ロト (Joseph Loth, 1847–1934) による 1889 年および 1913 年の訳業が挙げられます.彼の訳は現在「マビノギオン」と呼ぶときにいちばん一般的なくくりである 11 話 (シャーロット・ゲスト版の 12 話からタリエシンの物語を除いたもの) すべての完訳であり,フランス語では 1993 年に後述する新訳が登場するまでは唯一の選択肢でありつづけました.

その仏訳は先駆的な仕事としては驚くほどに正確かつ充実したものであったようで,中期ウェールズ語から日本語への直接訳という大業を達成された中野節子氏も「ゲスト夫人訳よりも原典に忠実な訳で、注も豊富である」(p. *32) と評するほか,ゲスト夫人訳の省略にはもちろん第 2 の英訳 Ellis and Lloyd (1929) にも若干の不満を漏らす Jones and Jones (1949) がロトには ‘brilliant French translation’ との一言です (Everyman Library 1993 年版,p. xxviii.これは言語の違いのためもあるかもしれませんが).ブーバーが翻訳の種本にするのも納得というものです.

フランス語版 Wikipedia によればこのジョゼフ・ロトは,1847 年,現在のブルターニュ地域圏の中央やや西寄りにあるゲムネ゠スュル゠スコルフ (Guémené-sur-Scorff) に生まれていますから,おそらく幼いころからブルトン語には親しむ機会があったのでしょう.1870–71 年の普仏戦争が終わったあと,彼より 20 歳年上のケルト学者アンリ・ダルボワ・ド・ジュバンヴィル (Henri d’Arbois de Jubainville ; また稿を改めて述べるつもりですが,こちらは『クアルンゲの牛捕り』の最初の仏訳者です) と知りあったことがきっかけでケルト諸語の研究に入ります.

彼の初期の研究業績としては 1883 年の『5–7 世紀におけるアルモリカへのブルトン〔ブリトン〕人の移住』(L’Émigration bretonne en Armorique du Ve au VIIe siècle de notre ère),そして翌 1884 年の『古ブルトン語の語彙』(Vocabulaire vieux-breton) があり,この後者はウェールズ語・コーンウォール語・ブルトン語・アイルランド語はもとよりラテン語・ギリシア語・サンスクリット語などとも対照した比較言語学の労作です.こうした積み重ねが基礎となって 1889 年の『マビノギオン』完訳 (de Jubainville et Loth (éds.), Cours de littérature celtique, tt. III et IV) に結実したのでしょう.

ロト訳の『マビノギオン』は 1979 年に Les Mabinogion : Contes bardiques gallois として Les Presses d’Aujourd’hui 社から,当時までの最新の情報を付した新しい紹介文つきで再版されています.この序文は 22 ページにわたるしっかりした分量のものですが,署名がなく本にも編者の名前がないので誰が書いたものかはわかりません.専門家によるものではなく出版社の編集部と考えるのが妥当でしょうか.当時のフランスの一般読者向けに概要を解説したものとして一定の役割があったでしょうが,そう思うと内容もどこか胡散臭いものです.

というのも,この解説文は冒頭で『レゼルフの白い本』の年代を「13 世紀」,『ヘルゲストの赤い本』を「14 世紀初頭」と称していますが (« le Livre blanc de Rhydderch datant du XIIIe siècle et le Livre rouge de Hergest rédigé au début du XIVe »),1970 年代末の研究状況に鑑みてもこれは根拠がなく,それぞれ 14 世紀前半から中葉,14 世紀末から 15 世紀初頭とする当時のコンセンサス (現在もほぼ同様) から 100 年ほどもずれています.じっさい,この序文は先行する英訳である Jones and Jones (1949)Gantz (1976) に言及しているにもかかわらず,当の Gantz のイントロダクションでは『白本』を ‘c. 1325’, 『赤本』を ‘c. 1400’,Jones and Jones は順に ‘1300–1325’ と ‘1375–1425’ (これは Ford 1977 も同様), また R. L. Thomson の Pwyll Pendeuic Dyuet (1957) と D. S. Thomson の Branwen Uerch Lyr (1961) それぞれのイントロダクションは一致して ‘mid-fourteenth’ と ‘late fourteenth/early fifteenth’ に比定しています.さらに次のページではシャーロット・ゲスト夫人が「1833 年に」これら 11 の物語をひとつに集成したと書かれていますが (« le regroupement qu’effectua, en 1833, Lady Charlotte Guest de ces onze contes à première vue un peu disparates, pour leur première traduction en langue anglaise. »),これもなにかの勘違いではないかと疑ってしまいます.ゲスト夫人は 1838 年から 45 年 (49 年) にかけてタリエシンを含む 12 の物語を順次英訳・出版しますが,1833 年と言えば 21 歳の彼女がはじめてウェールズ語を学びはじめた年ですから.

ともあれそんな謎の解説文はさておいてロト本人による訳文そのものは評判がよかった仏訳ですが,1993 年にやはりケルト語学者であるピエール゠イヴ・ランベール (Pierre-Yves Lambert) がガリマール社から刊行した新訳 Les Quatre Branches du Mabinogi et autres contes gallois du Moyen Âge によって役目を終えてしまったのかもしれません.ランベールはさすがに新訳をあえて世に問うだけのことはあって,その序文は「ジョゼフ・ロトは 19 世紀ウェールズの文献学の伝統に依拠しすぎていた」(« Joseph Loth était trop dépendant de la tradition philologique du XIXe siècle gallois ») 云々と辛口です.

この新訳はシャーロット・ゲスト夫人と同じくタリエシンの話を含む 12 話構成という点でどちらかといえば例外的なつくりです.各話の冒頭には 1992 年までの学界の最新の研究動向を踏まえたおのおの数ページの解説が付されており,巻末には小さい活字で全 50 ページにも及ぶ注がつけられています.数ある英訳と比べてももっとも充実した決定版と呼ぶべき現代語訳のひとつと言え,2000 年の中野訳がまったく触れていないのはかえって不思議なほどです.

以上の 2 種が,フランス語でマビノギオン (マビノジョン) を読もうと思ったとき候補になる選択肢です.最後に余談として,時系列では逆順になってしまいますが,テオドール・エルサール・ド・ラ・ヴィルマルケ (Théodore Hersart de La Villemarqué) の発表した,ロト以前の「最初のフランス語訳」について一言触れておきましょう.

「ヴィルマルケ」をブルトン語に逐語訳したという「ケルヴァルケル」(Kervarker) の名でも知られる,ブルターニュ民族運動の英雄の一人であった彼は,1842 年に『古代ブルトン〔ブリトン〕人の民話』(Contes populaires des anciens bretons) という 2 巻本のなかで,マビノギオンを構成する 11 話のうちアーサー王ロマンスに属する 3 話,すなわちオワイン (Owain),ゲライント (Geraint),ペレディル (Peredur) の物語をフランス語訳しました (彼によるつづりでは Owenn, Ghéraint, Pérédur).

ところがこの仏訳をめぐってはひとつの醜聞があります.梁川英俊 (2004)「ラヴィルマルケとリューゼル (二) ―いわゆる『バルザズ・ブレイス論争』について」(『鹿児島大学法文学部紀要人文学科論集』59: 53–80 頁) はそれを「シャーロット・ゲスト夫人との確執」とまとめており,この論文はオープンアクセスで閲覧できるのでその 60 頁以下を見ていただければいいのですが,要するにヴィルマルケは実際にはウェールズ語の知識に乏しく,ほとんどゲスト夫人の英訳からの重訳であったにもかかわらずそのことを明らかにしておらず,重訳と注の剽窃につき夫人から訴えられたという話です.

さきにも述べたとおり,シャーロット・ゲスト夫人は 1838 年から 49 年にかけて彼女の英訳を順次発表していくのですが,その手始めが『オワインあるいは泉の貴婦人』の物語で,ヴィルマルケが 1842 年に仏訳した 3 話はその時点までにゲスト夫人が英訳していたものに限られていたとのことです.前述した最新訳のランベールもそのイントロダクションで,ヴィルマルケの仏訳につき「1842 年に発表された彼の翻訳は,ゲスト夫人のそれに大きく依存していたにもかかわらず,そのことは言及されなかった」(« sa traduction, publiée en 1842, dépendait largement de celle de Lady Guest, bien que cela ne fût pas mentioné. ») と述べています (脚注によればこの指摘はもともとレイチェル・ブロミッチ R. Bromwich 1986 の見解であったようです).

vendredi 26 mai 2017

マビノギオンのドイツ語版:ブーバー訳を中心に

主著『我と汝』で知られるあのマルティン・ブーバー (1878–1965) が,若いころ (1914 年) になんと中世ウェールズの物語集『マビノギオン』(Mabinogion) をドイツ語訳していたということをみなさんはご存知でしたか?

どうもこのころの彼は『マビノギオン』だけでなくいろいろと世界各地の神話・民話に興味をもっていたということで,同じ 1910 年代前半に彼はフィンランドの民族叙事詩『カレワラ』から中国の民間伝承『聊斎志異』まで手広く翻訳を手がけているとの由 (この情報は小野文生「マルティン・ブーバーの聖書解釈における〈声〉の形態学」によりました).

ただしこの訳業はドイツ語版 Wikipedia ですら彼の業績や主著一覧のなかに載っていないので,そうとう忘れられた仕事なのだと思います.私は『マビノギオン』のドイツ語訳を探していてこれを知りましたが,ブーバーのほうから調べてもなかなかこの件は出てこないので,最初 Martin Buber という同姓同名の別人なのかと疑いました.

さて Insel Verlag から刊行されたブーバーの 1914 年版『マビノギ四枝』(Die vier Zweige des Mabinogi) は archive.org で閲覧できますが,昔のフラクトゥールで組まれているので慣れるまではちょっと読むのが骨です.私の手もとにあるものは同じインゼル社から 1966 年に再版されたもので,現代の活字に直されています.いちおう Amazon.de のリンクを貼ってみましたがもちろん新本は絶版で,Abebooks 経由で古本を入手しました.

『マビノギオン』というのは中世のウェールズ語で書かれた物語集で,現在に伝わっているのは 14 世紀の 2 つの写本がいちばんまとまった形です.その翻訳の歴史についてはまたそのうち別途まとめてみたいつもりでおりますが,これは 19 世紀前半のうちに現在でも有名なシャーロット・ゲスト女史 (Lady Charlotte Elizabeth Guest) による全部の英訳と,先駆的にはその数十年まえにウィリアム・オーウェン・ピュー (William Owen Pughe) という研究者によるごく一部 (プイス Pwyll とマース Math の 2 話) の英訳がありまして,そのあと 1889 年にフランスのケルト語学者ジョゼフ・ロト (Joseph Loth) による仏訳が登場しその新版が 1913 年に出ます.ここまでがブーバーが入手しえた現代語訳になります.

ではブーバーは中期ウェールズ語 (Middle Welsh) を解したのかというとこれがよくわからなくて (もしヘブライ語に加えてウェールズ語・フィンランド語・中国語という,語派どころか語族レベルでばらばらの言語をぜんぶ読みこなしたとしたら恐るべきことです),先述の 1966 年版を見てみても彼がなにをもとに訳したのかどこにも書いていないっぽいんですね.序文ではシャーロット・ゲスト版とロトの仏訳 (わずか 1 年の差なのに 1913 年の新版にもきちんと言及している),それに現在でも一目置かれている 1887 年の John Rhys と John Gwenogvryn Evans による『ヘルゲストの赤い本』の翻刻版 (The Text of the Mabinogion from the Red Book of Hergest) には言及していますが,どれをもとに訳したというようなことはどうやら述べられていません.

それで私もまだ自分で詳しく検討したわけでないのではっきりしたことは言えないのですが,どうもルートヴィヒ・ミュールハウゼン (Ludwig Mühlhausen) 編の『マビノギ四枝』(Die vier Zweige des Mabinogi (Pedeir Ceinc y Mabinogi), 初版 1925) の増補改訂版 (1988) に付されたシュテファン・ツィマー (Stefan Zimmer) による序文 (S. XIII) の脚注に,ブーバーの訳は「ロト〔の仏訳〕によっていると推定される」(„vermutlich nach J. Loth“) と書かれていてびっくりしました.

これが事実なら仏訳からの重訳ということになりますが,底本を明らかにすることは現在ではあたりまえと考えられているところ (同時代の研究者の手の入った重訳ならなおさら),100 年あまり昔の当時にはそうでもなかったのでしょうか.いえ,フランス語版について述べる次回に触れるとおり,ブーバー訳のさらに 70 年まえ (1842 年) にゲスト夫人の英訳からの重訳と断らず仏訳を発表した人物が非難される事件があったので,やはりこの時代にも問題であったはずです.

さて前掲のミュールハウゼンのマビノギ四枝は校訂版であって訳はついていないので,ブーバー以後『マビノギオン』のドイツ語訳は長らく現れず,かなり最近 (1999 年) になってケルト学者ベルンハルト・マイヤー (Bernhard Maier) による翻訳 Das Sagenbuch der walisischen Kelten: Die vier Zweige des Mabinogi がようやく出ました (ケルトの神話や文化に詳しい人なら,『ケルト事典』の著者として聞き覚えのある名前でしょう).これもまたマビノギの四つの枝だけの翻訳ですが,中期ウェールズ語からの初訳 („Erstmals ... aus der Originalsprache, dem Mittelkymrischen“) とはっきり書かれています (ということはやっぱりブーバーのものはそうでないと考えられていることになります).日本の Amazon から買えて送料込 1 000 円ちょっととたいへんお買い得です.

では四枝以外の 7 つないし 8 つの物語についてはドイツ語訳がないのかというと,これは私は実物未見ですが,上記ミュールハウゼン改訂版の編者であるツィマーが,2006 年に Die keltischen Wurzeln der Artussage: Mit einer vollständigen Übersetzung der ältesten Artuserzählung Culhwch und Olwen という書籍を出しているようです.タイトルどおりなら『キルフーフとオルウェン』の物語の全訳を含んでいるということで,版元のページによる商品説明にも「初期ウェールズ語のテクスト」(„Frühe walisische Texte“) という文言が見えます.これ以外については寡聞にして存じません.

末筆になりますが,わが国日本ではなんと 2000 年に中期ウェールズ語からの完訳,中野節子訳『マビノギオン―中世ウェールズ幻想物語集』が JULA 出版局から刊行されています.たいへんな偉業なのでぜひとも買い支えてあげてください.そのほかシャーロット・ゲスト版からの翻訳が北村太郎訳 (1988 年)井辻朱美訳 (2003 年) で知られています.より断片的あるいは間接的な紹介はほかにもあるみたいですが,まとまった形としてはこの 3 つですべてでしょうか.