vendredi 26 juin 2020

『星の王子さま』サンスクリット語訳・献辞

ここまでずいぶん回り道をしてきたが、ようやくサンスクリット語をまともに勉強しようという意欲が芽生えたので、まずはデーヴァナーガリーを覚えてみた。例によって『星の王子さま』にはサンスクリット語訳 कनीयान् राजकुमारः (kanīyān rājakumāraḥ) も出ているようなので、これを読むことを目標とする。

余談ながら、この本の表紙にデーヴァナーガリーのタイトルの下にラテン文字で Kaniyaan RaajakumaaraH と書かれているのは間違いであろうと思う。ここでは長母音を ā, ī などでなく aa, ii と、またヴィサルガ ḥ を H とするなどして、扱いづらい特殊な文字を避けた記法がとられているが、最初の i も長母音なので正しくは Kaniiyaan となるはずである。もっと言えば語頭に大文字を使っているのも不用意である:この翻字方式は ITRANS かなんなのか少しはっきりしないが、ヴィサルガを H で表していることから見て大文字と小文字で意味が変わる方式なのは確実であり、単語の頭だからと勝手に大文字にすることはできない。

次のとおり版元のページにはその冒頭の献辞の部分がサンプル画像として掲載されている。今回は文字を読む練習としてそれをラテン文字に翻字してみた。方式は IAST によるが、大文字は使わなかった。まだ勉強を始めたばかりで単語の区切りはよくわからないので後の課題とし、スペースは白文と同じ、つまりシローレーカーがつながっているかぎり分かち書きせずにそのまま書いておく。



“leoṃ vartham” uddiśya...

pustakam idam ekasmai prauḍhajanāya samarpyamāṇam asti iti ataḥ bālamitrāṇāṃ purataḥ kṣamāṃ yāce | etasya kṛte mama nikaṭe vyājaḥ kaścid vartate eva : ‘astim saṃsāre saḥ mama atīva antaraṅgaṃ mitram asti’ iti | aparaḥ api ekaḥ vyājaḥ asti — ‘saḥ prauḍhaḥ janaḥ sarvaṃ kimapi avagantuṃ śaknoti, bālānāṃ kṛte uddiṣṭāni pustakāni api’ iti | mama pārśve tṛtīyaṃ kāraṇam api asti, tad ittham asti — ‘eṣaḥ prauḍhaḥ janaḥ phrāṃs-deśe vasati, tathāpi saḥ bubhukṣayā śaityena ca pīḍitaḥ asti | saḥ aparasya sahānubhūtim apekṣate | kaścit tasmai sahānubhāvaṃ darśayet’ iti | ete vyājāḥ yadi paryāptāḥ na syuḥ, tarhi mayā etat pustakaṃ tasmai bālāya utsargīkriyate yasmin bālye kadācid eṣaḥ prauḍhaḥ janaḥ āsīt | sarve prauḍhāḥ janāḥ ādau bālāḥ eva tu āsan (kintu katipayāḥ janāḥ eva etaṃ viṣayaṃ smaranti yat te api tasyāṃ bālyāvasthāyām āsan iti) | ataḥ kiñcit parivartanaṃ vidhāya eṣaḥ utsargaḥ idānīṃ prastūyate —

“leoṃ vartha” sya kṛte
yadā saḥ bālaḥ āsīt |


とりあえず文字を読んでみただけだが、連声規則をしっかり覚え、文法をちゃんと学んだうえで辞書を引けば単語を分けられるようになるはずなので、これを正しく読めるようになることが当面の目標である。


〔2022 年 6 月 30 日追記〕上の記事を書いたあと、私は結局すぐにサンスクリットの勉強に飽きてしまい継続できなかった。デーヴァナーガリーが (かなりゆっくりではあるがいちおう) 読めるようになったことだけがこのときの成果であった。

しかしその後ちょうど 2 年を経た現在、ふたたび興味が再燃してとうとう本当に勉強を始め、この数日集中して上村・風間『サンスクリット語・その形と心』をまもなく通読するところまできている。それとともに定番の教科書、ゴンダの『サンスクリット語初等文法』に取り組みはじめ練習題を VI まで終えたところであり、これについては近いうちに (これまでにラテン語・ギリシア語の多くの教科書の解答を作ってきたと同様に) 解答の記事を作成する予定でいる。

このように最小限の勉強を経たことで気づくようになったのだが、上のサンスクリット文を改めて眺めてみると、これはひょっとして単語をすでに (複合語以外あらかた) 区切った形で提示してくれているのではないだろうか。スペースがいっぱいあり、子音で終わっているのにシローレーカーが切れているところが多数あるではないか。文の途中でヴィラーマが現れるということは本来の書法ではありえないはずである。またもうひとつすぐに目につく奇妙な点がある:何度も出てくる saḥ という単語 (指示代名詞 tad の男性単数主格) が、子音で始まる単語のまえでもその形であることだ。もっとちゃんと単語を調べながら読んでみないとしかとはわからないが、まだ二、三不可解な箇所も散見される。

といっても間違いを疑っているのではない。訳者はインド人のサンスクリット学者なのだから、素人の気づくようなミスはするまい。となればこのサンスクリット語はひょっとして、かなり学習者に親切な形でわざと書かれているのではないかというのがいまの所見である。想定していたよりもハードルが低いのかもしれず、早いところゴンダを読み終えてこの読書に進んでみたいと思っている。

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