詳しくはこの企画の第 1 回に述べた概説を見ていただくとして、いわゆる古典エルヴダーレン語の参考書として Lars Levander (1909), Älvdalsmålet i Dalarna の資料的価値は計り知れない。以前述べたことの繰りかえしになるが、それはただに歴史的価値というのではなくて、現在の実践にとって有益であるということである。
Levander は遅くとも 1921 年の時点で、子どもたちの話す新しい世代のこの言語 (方言) が主格と対格の形態的区別を失ったり、語彙の面でもスウェーデン語の影響に侵食されたりしてきていることに気づき懸念していた。このような変化は実際に後の時代の研究で確証される。古典エルヴダーレン語 klassisk älvdalska から伝統的エルヴダーレン語 traditionell älvdalska が区別される所以である。Levander が記述している、名詞形態論に 4 格 (+部分的に呼格) のフルなパラダイムを保持する古典語の文法は、記念碑的業績として現在 2010 年代の諸論文でも頻繁に参照されている。
Levander は遅くとも 1921 年の時点で、子どもたちの話す新しい世代のこの言語 (方言) が主格と対格の形態的区別を失ったり、語彙の面でもスウェーデン語の影響に侵食されたりしてきていることに気づき懸念していた。このような変化は実際に後の時代の研究で確証される。古典エルヴダーレン語 klassisk älvdalska から伝統的エルヴダーレン語 traditionell älvdalska が区別される所以である。Levander が記述している、名詞形態論に 4 格 (+部分的に呼格) のフルなパラダイムを保持する古典語の文法は、記念碑的業績として現在 2010 年代の諸論文でも頻繁に参照されている。
この本は 1985 年にリプリントされ、いまも紙の現物を古本で入手することはやや困難とはいえ不可能ではないが、最近 Ulum Dalska のページにて全文 PDF へのリンクが紹介されわかりやすく入手できるようになった (ファイルじたいはもう少し以前からスウェーデンの言語・民間伝承研究所 Institutet för språk och folkminnen で同じ叢書の古い巻号とともに公開されていたもの。Internet Archive にも別のスキャンがあるので、好きなほうを選べばよい)。Ulum Dalska は当地のいわばエルヴダーレン語普及協会で、その名前は「エルヴダーレン語を話そう」との意味である。著作年からも推測されることだが、著者 Levander は 1950 年没なので、スウェーデン国内の事情はわからないにしても、日本国内ではすでに著作権が切れているはずである (欧米で一般的な 70 年で数えても来年末までだ)。
しかるにこの本を学習の参考に役立てようとしても容易にはゆかない事情がある。そのことは私が贅言を尽くして説明しなくても、中身をひと目見てもらえばただちに承知してもらえるだろう:
これは Levander が細分するところの男性名詞第 1 曲用 a 型、すなわち kall「男」と同じ型の変化に属する名詞の一覧の一部で、左から順に未知形単数主格、既知形単数主格、既知形単数与格、既知形複数主格の 4 形を並べたものである。
ラテン・アルファベットをひねりまわしたような、非常に奇怪な文字が連なっているのが見てとれる。(当然スウェーデン語の語釈は除いて) この画面に映っている約 300 文字のうち、子音はまだしも普通の形の字も多いが、母音はほとんどひとつも通常の文字がない。唯一の例外は u、あとは æ も 2 種の形 (左側 a 部分が 2 階建てかそうでないか) が区別されているがこれに数えてもよいか。それら以外は、一見ふつうの a や e に見えるものも、よく見ればなにかが違っている。それは印刷のかすれやスキャン時のゴミではない。
これはどうやら当時のスウェーデン語方言学に必要とされていた一種の音標文字であって、Levander にはまったく説明がないが、調べてみると J. A. Lundell (1879), ‘Det svenska landsmålsalfabetet’ に詳しい解説が与えられているのを見いだした (どうやらこの文字じたいは Sundevall (1856) に遡るようだが)。音声学的に厳密なことを知りたければこれにあたられるのがよかろう。
しかしややこしいことは置いておいて、さしあたって役に立つのは Adolf Noreen (1881), Dalmålet I: Inledning till Dalmålet の冒頭に見いだされる次の対応表である:
これは Noreen がその本でエルヴダーレン方言の概説をするにあたって、厳密な音標文字でなく簡素な (彼の言う「粗い表記 en «gröfre» beteckning」)、ほぼ通常の北欧語で使われている文字セット (等式の左側、例外は左下の合字 ng くらいか) で話をするために備えられた一覧表である。つまり、これを逆用すれば Levander の表記を現代の通常の正書法に戻せる可能性がある。
以下ではそれを確かめてみよう。どのようにして検証するかというと、近年の論文が Levander (1909) の語形変化表を引用するさい現代の正書法に直して掲げていることがままあるので、それを Levander と比較してみればよい。混乱を避けるため正書法は Råðdjärum 式になっているものを用いる (ただし辞書を使う人の便宜のため Steensland 式にも一部言及する)。
まず、もっとも頻繁に見かけるのは Levander, s. 11 すなわち本論のいちばん最初に出てくる kall「男」の変化表である:
これは Garbacz (2010), ‘Word Order in Övdalian’, p. 40 にて次のような形で引用されている (原文では単複が横に並んでいるが、Levander と見比べやすいよう改めた):
ここから学びとれることは、まずいちばん簡単なこととして、見慣れた形の k, l, m, n, r, s に見えるものはそのままそのとおりの文字とみなしてよいということだ。それから、l の下のマクロンは子音が長子音 ll であることを示すのだということ、そして a の字の内側下部にくるっと小さい丸がついていたり、e の書き終わりで小さくはねていたりするものは無視してただの a, e だと思っていいということである。
注意すべきことの第 1 は、既知形複数主格 kallär の ä である。Garbacz の表に -är と -er の 2 形あるのは、Levander の表にも見える脚注 b の内容に書かれてあることで、エルヴダーレン語内部のさらに細かい村間の方言差を反映したもので、いまはとにかく -är のほうに注目しよう。これは Levander では a の左側の弧がへこんだような活字が使われているが、それがじつは ä だということである。上掲 Noreen の対応表に立ち戻ってみると、たしかに ‘ä =’ の右側にそのへこんだ a があるのがわかる。ついでに a と e の対応も確認されたい。
第 2 に、現代の正書法でも ą, ę, į, ų のようにオゴネクがついた文字が鼻母音を表すのに使われるが、それに関して観察されることがある。Svenonius (2015), ‘The Morphological Expression of Case in Övdalian’, p. 178, n. 3 に言われているように、Levander の音声表記はあらゆる鼻母音にフック (原文 hook) をつけて明示しているのだが、現代の正書法では m, n の前で規則的に予測可能な場合はそれをつけないのである。それが上の kall の変化表で、Levander が kallęmes, kallęm, kallųmes, kallųm, kallą のように書いているのに対し、Garbacz では既知形複属 kallą にしかオゴネクをつけていない理由である。このことは Levander を読みとくうえで覚えておいてよい。
次に、Levander, s. 25 で女性名詞の最初に出てくる表が次のものである:
これを Garbacz, p. 40 と比べてみると、未知形単数主・対格は buð であると知られる (「小屋」の意。同じパラダイムが Nyström och Sapir (²2015), s. 64 にもある)。つまり、b はそのまま、偏微分の記号 ∂ のようなのは ð で、このことはやはり Noreen の対応表どおりである。また母音 u の下にマクロンがあるが、それは現代の正書法には反映しないということだ。
厄介なのは既知形単数与格に見られる、n の下にリングがついたものである。この箇所が Garbacz では buðn(e) と書かれている。つまりここでは n̥ = ðn と理解できるが、なぜそうなるかというと現代の Råðdjärum 式正書法ではときどき読まない文字をつづりに含めるためである。ð は n の前で無音になる (Nyström och Sapir, s. 7)。一方 Levander はあくまで発音を厳密に記録したものだから ∂ がないのだ。われわれ学習者が読み書きをするうえでは buðn のほうが都合がよい。もし bun と書く決まりだったなら、それが buð の格変化形だとは気づけない恐れがある。
だがこのような場合、語形変化を調べるのに Levander を利用するのは難しいことになる。まずは現代の正書法で規則 (発音も形態論も) をある程度覚えてからでないと、Levander を正しく使うことはできないということだ。身も蓋もない結論であるが、とにかくこういう陥穽が存在することは認識されるべきである。
そのほか、Noreen の対応表のなかで気づいたことをランダムにメモしておく。子音は大枠で見たままとわかったが、ほかにも落とし穴があるためだ。まず ‘h =’ の右に書かれている、λ に少し似た文字だが、これは無声化 l すなわち [l̥] の音を表す記号であって、現代の正書法では (Råðdjärum も Steensland も) h ではなく s または sl である。たとえば Levander, s. 26 の λläkt (ä は例のへこんだ a) は現 släkt、同頁 ie̯kλ は現 ieksl である。h にあたることはたぶんないと思う。
次にこの画像のような下にループのついた ts であるが (s. 30)、Noreen の表には厳密に見あたらない。これは Råðdjärum では tj にあたる破擦音である (Steensland では tş と書く)。すなわちこの単語は現代式では tjya/tşya とつづる (スウェーデン語 fägata「一種の獣道?」)。
また母音字 æ のうち、左側が 2 階建て a のものは ‘e =’、1 階建てのものは ‘ä =’ となっているが、下にブレーヴェがつく半母音 æ̯ はそのかぎりでなく、順に ö, o に対応する。
この左のものは työr、右のものは fuor である (意味は前者が tjära「タール」、後者が fåra「あぜ溝、畝間」。2 例とも s. 28。後者の関係は Garbacz, p. 41 の引く中性名詞 buord によっても確かめられる)。これらはかなりわかりづらい。また u̯ は現代式で u のままになる場合も w に対応する場合もあるようだが、よくわからない (母音の前なら w で後なら u?)。一方 i̯, e̯ はそのまま i, e のように見える。
エルヴダーレン語は語形変化が多様で、Levander 以上に豊富かつ体系的に表が並べてある参考書が目下存在しないからには、この本に頼りたくなる機会はかなり多いのであるが、しかしそうするためにはこの言語の文法を一定程度身につけることが前提であるという板ばさみの状況である。エルヴダーレン語学習の障壁はいささか以上に高いようだ。
しかるにこの本を学習の参考に役立てようとしても容易にはゆかない事情がある。そのことは私が贅言を尽くして説明しなくても、中身をひと目見てもらえばただちに承知してもらえるだろう:
ラテン・アルファベットをひねりまわしたような、非常に奇怪な文字が連なっているのが見てとれる。(当然スウェーデン語の語釈は除いて) この画面に映っている約 300 文字のうち、子音はまだしも普通の形の字も多いが、母音はほとんどひとつも通常の文字がない。唯一の例外は u、あとは æ も 2 種の形 (左側 a 部分が 2 階建てかそうでないか) が区別されているがこれに数えてもよいか。それら以外は、一見ふつうの a や e に見えるものも、よく見ればなにかが違っている。それは印刷のかすれやスキャン時のゴミではない。
これはどうやら当時のスウェーデン語方言学に必要とされていた一種の音標文字であって、Levander にはまったく説明がないが、調べてみると J. A. Lundell (1879), ‘Det svenska landsmålsalfabetet’ に詳しい解説が与えられているのを見いだした (どうやらこの文字じたいは Sundevall (1856) に遡るようだが)。音声学的に厳密なことを知りたければこれにあたられるのがよかろう。
しかしややこしいことは置いておいて、さしあたって役に立つのは Adolf Noreen (1881), Dalmålet I: Inledning till Dalmålet の冒頭に見いだされる次の対応表である:
これは Noreen がその本でエルヴダーレン方言の概説をするにあたって、厳密な音標文字でなく簡素な (彼の言う「粗い表記 en «gröfre» beteckning」)、ほぼ通常の北欧語で使われている文字セット (等式の左側、例外は左下の合字 ng くらいか) で話をするために備えられた一覧表である。つまり、これを逆用すれば Levander の表記を現代の通常の正書法に戻せる可能性がある。
以下ではそれを確かめてみよう。どのようにして検証するかというと、近年の論文が Levander (1909) の語形変化表を引用するさい現代の正書法に直して掲げていることがままあるので、それを Levander と比較してみればよい。混乱を避けるため正書法は Råðdjärum 式になっているものを用いる (ただし辞書を使う人の便宜のため Steensland 式にも一部言及する)。
まず、もっとも頻繁に見かけるのは Levander, s. 11 すなわち本論のいちばん最初に出てくる kall「男」の変化表である:
これは Garbacz (2010), ‘Word Order in Övdalian’, p. 40 にて次のような形で引用されている (原文では単複が横に並んでいるが、Levander と見比べやすいよう改めた):
kall | kalln |
kalles | kallemes |
kalle | kallem |
kall | kalln |
kaller | kallär/kaller |
—— | kallumes |
kallum | kallum |
kalla | kallą |
ここから学びとれることは、まずいちばん簡単なこととして、見慣れた形の k, l, m, n, r, s に見えるものはそのままそのとおりの文字とみなしてよいということだ。それから、l の下のマクロンは子音が長子音 ll であることを示すのだということ、そして a の字の内側下部にくるっと小さい丸がついていたり、e の書き終わりで小さくはねていたりするものは無視してただの a, e だと思っていいということである。
注意すべきことの第 1 は、既知形複数主格 kallär の ä である。Garbacz の表に -är と -er の 2 形あるのは、Levander の表にも見える脚注 b の内容に書かれてあることで、エルヴダーレン語内部のさらに細かい村間の方言差を反映したもので、いまはとにかく -är のほうに注目しよう。これは Levander では a の左側の弧がへこんだような活字が使われているが、それがじつは ä だということである。上掲 Noreen の対応表に立ち戻ってみると、たしかに ‘ä =’ の右側にそのへこんだ a があるのがわかる。ついでに a と e の対応も確認されたい。
第 2 に、現代の正書法でも ą, ę, į, ų のようにオゴネクがついた文字が鼻母音を表すのに使われるが、それに関して観察されることがある。Svenonius (2015), ‘The Morphological Expression of Case in Övdalian’, p. 178, n. 3 に言われているように、Levander の音声表記はあらゆる鼻母音にフック (原文 hook) をつけて明示しているのだが、現代の正書法では m, n の前で規則的に予測可能な場合はそれをつけないのである。それが上の kall の変化表で、Levander が kallęmes, kallęm, kallųmes, kallųm, kallą のように書いているのに対し、Garbacz では既知形複属 kallą にしかオゴネクをつけていない理由である。このことは Levander を読みとくうえで覚えておいてよい。
次に、Levander, s. 25 で女性名詞の最初に出てくる表が次のものである:
これを Garbacz, p. 40 と比べてみると、未知形単数主・対格は buð であると知られる (「小屋」の意。同じパラダイムが Nyström och Sapir (²2015), s. 64 にもある)。つまり、b はそのまま、偏微分の記号 ∂ のようなのは ð で、このことはやはり Noreen の対応表どおりである。また母音 u の下にマクロンがあるが、それは現代の正書法には反映しないということだ。
厄介なのは既知形単数与格に見られる、n の下にリングがついたものである。この箇所が Garbacz では buðn(e) と書かれている。つまりここでは n̥ = ðn と理解できるが、なぜそうなるかというと現代の Råðdjärum 式正書法ではときどき読まない文字をつづりに含めるためである。ð は n の前で無音になる (Nyström och Sapir, s. 7)。一方 Levander はあくまで発音を厳密に記録したものだから ∂ がないのだ。われわれ学習者が読み書きをするうえでは buðn のほうが都合がよい。もし bun と書く決まりだったなら、それが buð の格変化形だとは気づけない恐れがある。
だがこのような場合、語形変化を調べるのに Levander を利用するのは難しいことになる。まずは現代の正書法で規則 (発音も形態論も) をある程度覚えてからでないと、Levander を正しく使うことはできないということだ。身も蓋もない結論であるが、とにかくこういう陥穽が存在することは認識されるべきである。
そのほか、Noreen の対応表のなかで気づいたことをランダムにメモしておく。子音は大枠で見たままとわかったが、ほかにも落とし穴があるためだ。まず ‘h =’ の右に書かれている、λ に少し似た文字だが、これは無声化 l すなわち [l̥] の音を表す記号であって、現代の正書法では (Råðdjärum も Steensland も) h ではなく s または sl である。たとえば Levander, s. 26 の λläkt (ä は例のへこんだ a) は現 släkt、同頁 ie̯kλ は現 ieksl である。h にあたることはたぶんないと思う。
次にこの画像のような下にループのついた ts であるが (s. 30)、Noreen の表には厳密に見あたらない。これは Råðdjärum では tj にあたる破擦音である (Steensland では tş と書く)。すなわちこの単語は現代式では tjya/tşya とつづる (スウェーデン語 fägata「一種の獣道?」)。
また母音字 æ のうち、左側が 2 階建て a のものは ‘e =’、1 階建てのものは ‘ä =’ となっているが、下にブレーヴェがつく半母音 æ̯ はそのかぎりでなく、順に ö, o に対応する。
この左のものは työr、右のものは fuor である (意味は前者が tjära「タール」、後者が fåra「あぜ溝、畝間」。2 例とも s. 28。後者の関係は Garbacz, p. 41 の引く中性名詞 buord によっても確かめられる)。これらはかなりわかりづらい。また u̯ は現代式で u のままになる場合も w に対応する場合もあるようだが、よくわからない (母音の前なら w で後なら u?)。一方 i̯, e̯ はそのまま i, e のように見える。
エルヴダーレン語は語形変化が多様で、Levander 以上に豊富かつ体系的に表が並べてある参考書が目下存在しないからには、この本に頼りたくなる機会はかなり多いのであるが、しかしそうするためにはこの言語の文法を一定程度身につけることが前提であるという板ばさみの状況である。エルヴダーレン語学習の障壁はいささか以上に高いようだ。