フェーロー語 (フェーロー語:Føroyskt, デンマーク語:Færøsk, ドイツ語:Färöisch, フランス語:Féroïen, 英語:Faroese;フェロー語とも) に関する記述として、もっとも古いものは 17 世紀に遡る。フェーロー諸島の気候・風土や政治・文化・宗教などに関する著述のなかに見いだされる断片的な記載がそれで、この種の著作として、
- Wolff, Jens Lauritzsøn (1651). Norrigia Illustrata, eller Norriges med sine underliggende Lande oc Øer, kort oc sandfærdige Beskriffvelse [...].
- Tarnovius, Thomas (1669). Ferøers beskrifvelser. [現物未見、完全なタイトル不明。]
- Debes, Lucas Jacobsøn (1673). Færoæ et Færoa reserata: Det er Færøernis oc færøeske Indbyggeris beskrifvelse [...].
を挙げることができる。たとえば Wolff の s. 201 に次のような描写がある:
Dette Lands underliggende Øer, er hen ved sytten, oc lige som at Øerne ere store til, saa haffve de oc der paa mange Kircker, oc Prædicker deris Præster, Danske Maal for deris Tjlhører, huilcket de vel forstaar, oc kunde Lands Folcket lige som de Norske, læse udi Danske Bøger, oc den ene den anden, der udi lærer oc underviser; Men ellers tale de oc naar de ville, saaledis imellem sig sielff, at huo som er icke vant med dem at omgaas, da kand mand dem icke forstaa.
古いデンマーク語でどうも理解しづらいが、だいたいのところを解釈してみる:フェーロー諸島の 17 の島々にはおのおのの面積に応じて大小の教会があり、そこで牧師たちはデンマーク語で聴衆に説教をする。島民たちはそれを「ノルウェー語」と同様によく理解できており、デンマーク語の本を読み教えあっている。しかし彼ら島民どうしのあいだでは、彼らとつきあいなれていない者には理解ができないしかたで話したがるという。
もうひとつ関連箇所、すなわち Debes, s. 253 から引用してみよう:
Deris Spraack er Norsk, dog udi disse Tjder meest Dansk, dog hafve de endnu beholdne mange gamle Norske Ord, oc er der ellers stoer Forskiel mellem deris Tale hos det Folck som boer Norden i Landet, oc hos dem som boe udi Suderøerne.
これは上のものに比べればずいぶんと読みやすいが、しかしその意味するところがはっきりしているとは言いがたい:彼ら〔フェーロー諸島人〕の言語はノルウェー語であるが、この時代においては主としてデンマーク語である。しかるに彼らはいまだ多数の古いノルウェー語の単語を保持している。また島の北部に住む人々の言葉と南部に住む人々のそれとのあいだには大きな違いがある。
Mitchinson (2012, p. 92) もこの „meest Dansk“ (‘mostly Danish’) という箇所を ‘hard to interpret’ としているが、彼が引いているように Debes の復刻版を刊行した Rischel (1963) の序説の示唆するところでは、この当時に諸島の教会・教育・行政の言語がデンマーク語であったという意味だとすれば前掲 Wolff と軌を一にするであろうということである。
もっともそういった詳細はいまは脇においてよい。われわれがまず注目すべきところはひとつで、このとおり 17 世紀にはフェーロー諸島人の話している言語はノルウェー語、あるいはそれが理解しがたいほどに訛ったもの、とみなされていたという事実である。フェーロー語という独立の言語として扱う意識はまだ存在しなかった。
この見かたは次の 18 世紀後半から 19 世紀はじめにかけて変わっていく。デンマーク人の牧師 Jørgen Landt は世紀末の 1800 年に、上掲のテーマと同じようにフェーロー諸島の風土や文化を取り扱った書籍 Forsøg til en Beskrivelse over Færøerne を刊行しているが、その「言語について」(Om Sproget) と題する節 (s. 436–440) は次のように書きだされている:
Det færøeske Sprog forekommer en Fremmed i Begyndelsen meget uforstaaeligt, men man lærer at forstaae det, førend man ventede det; thi en stor Deel af Ordene er gamle danske eller rettere norske, hvilke ved en fordrejet Udtale have faaet et fremmed Udseende;
ここにはまず「フェーロー語」(det færøeske Sprog) という名前が現れている。そして (デンマーク語母語話者にとっては)「〔長く〕待つこともなく理解できるようになる」と述べる点ではあまり言語間の違いを認めていないようにも見えるが、このような事態が出来するのはもともと北欧語間に大きな差異がない事情にもよる。じっさい、ラントがフェーロー語習得の容易さの理由を「大部分の単語が古いデンマーク語、あるいはむしろノルウェー語であるから」と言っているとき、1800 年にはまだデンマーク゠ノルウェー同君連合が生きていたことを思いおこせば、デンマーク語とノルウェー語を別物とみなすのと同程度にはフェーロー語もまた別個の言語であると考えていたことになろう。
そしてこの段落の下にラントはデンマーク語とフェーロー語で発音が少し違うだけの単語の対を数十組並べたあと、「しかしフェーロー語には多くの独自の点があり、それについて若干の列挙をしたいと思う」(Dog ere mange egne for det færøeske Sprog, af hvilke jeg vil anføre nogle) として、デンマーク語話者には一見してわからないと思われるフェーロー語の単語と、日常のシーンの会話見本にことわざ (デンマーク語の対訳あり)、フェーロー人の男女の人名例を紹介している。
〔12 月 12 日追記。ラントのこの部分を訳出し、現代フェーロー語のための訳注を施した記事を書いたのであわせてご覧いただきたい:「18 世紀のフェーロー語瞥見」〕
ところで順番は前後するが、この間にフェーロー諸島生まれのイェンス・クリスティアン・スヴェアボ (Jens Christian Svabo, 1746–1824) という人が出て 1770 年代ころから仕事を始め、フェーロー語・デンマーク語・ラテン語辞書 Dictionarium Færoense やフェーロー諸島のバラッド (民謡、デンマーク語で言うフォルケヴィーサ) を書きとめて編纂したのだが、いずれも手稿のままに終わり出版されることがなかったためこの時点で影響を及ぼすことがなかった。彼のこれらの著作はメアトラス (Christian Matras) の編集によって 20 世紀のなかばになってからようやく刊行されている (民謡集は 1939 年、辞書は 1966–70 年)。
フェーロー語の学問的な取り扱いに先鞭をつけたのはなんといってもラスクに始まると言っていいだろう。ラスクは 1811 年に世界初の体系的な (そしてすでにかなりの程度完成されていた) アイスランド語文法として名高いあの『アイスランド語あるいは古ノルド語への手引』(Vejledning til det islandske eller gamle nordiske sprog) を出版したが、このなかに若干のフェーロー語文法が描かれている (第 7 部 §§16–24: s. 262–282)。その前置きとして §3 (s. 240) に
[...] Paa Færøerne derimod har det gamle Sprog endnu vedligeholdt sig i en egen fra Islandsken noget afvigende Sprogart. Imidlertid er det dog gaaet med Islandsken paa Færøerne, som med Dansken i Slesvig;
と言うように、この本で彼はまだフェーロー語をアイスランド語の多少異なった方言として扱っているのであるが、実際のところ彼はフェーロー語の位置づけに迷っていたのであって、総じてこの『手引』以外の著作では、アイスランド語に非常に近いが独立したノルド語のひとつとして扱っているという、Skårup (1964, s. 5) の次の証言を引いておく:
ところでその「若干のバラッド」(några folkvisor) というのが前出スヴェアボの未公刊の著作を指していたのかどうかは定かでない。というのは、ラスクはたしかにスヴェアボの仕事を知っていたようなのであるが、このすぐ 4 年後の 1822 年には別の人 H. C. Lyngbye がフェーロー語版ジークフリート伝説とも言うべきバラッドをまとめた著作 Færøiske Qvæder om Sigurd Fofnersbane og hans Æt を出版するからである。ラスクのスウェーデン語版『手引』の英訳 (George Webbe Dasent による。1843 年) を見るとこの箇所の脚注で ‘These ballads were published with a Dansk translation by Lyngbye, Randers 1822.’ と言われているのである。ただし 1843 年といえばすでにラスク死後 (1832 年没) のことであるから英訳者は著者に確かめてこう記したはずはなく、いまだ発表されていないスヴェアボの仕事を彼が知らなかっただけかもしれない。
このほかにもフェーロー語を本文とする出版物がだんだんと現れてくる。まずは 1823 年の J. H. Schrøter によるマタイ福音書のフェーロー語訳。それから 1832 年にはこのブログでもすでに取りあげた『フェーロー諸島人のサガ』のフェーロー語訳を含む C. C. Rafn の Færeyínga saga eller Færöboernes historie i den islandske grundtekst med færöisk og dansk oversættelse が登場する (フェーロー語の訳者は Schrøter)。1822 年のリュングビューから始まるこれら 3 冊こそ、フェーロー語による最初の印刷出版物として永久に記念されているのである。
この間に注目されるのは、1829 年ころ Jacob Nolsøe (1775–1869) なる人物がフェーロー語文法 Mállæra を書きあげていたらしいという事実である。しかしながらこの作品は現在に至るまで公刊されておらず、ただアウルトニ・マグヌソン写本コレクション (Den Arnamagnæanske Samling) のうちの写本番号 AM 973 として保存されているとの由である。彼は晩年のラスクとも交際があり、そのフェーロー語文法や正書法に関して書簡のやりとりが知られている (Skårup, s. 6)。またフェーロー諸島に移住したアイスランド人 Jón Guðmundsson Effersøe という人も同様にフェーロー語の正書法に関して同じころラスクと文通していたそうだ。
すなわち、ラスクはこの最晩年の時期 (彼は若死であったため、晩年といっても 40 代前半である) にもフェーロー語に関心を抱いていた。既述のとおりこのころフェーロー語の出版物はようやく出はじめたばかりであったので、まだフェーロー語の正書法というものは固まっておらず、18 世紀のスヴェアボの辞書やラスクの文法、シュレーターのフェーロー語訳マタイ伝やフェーロー人のサガ等々は、現代の正書法とはまったく異なる、むしろ実際の音声に即したつづりを試みていた。
現在のフェーロー語のような、実際の発音とはかなりかけ離れて語源的配慮にもとづいた、かつアイスランド語に強く影響を受けた正書法を確立させたのは、V. U. Hammershaimb の尽力によるところが大きい。この人は早くも 1854 年にデンマーク語でフェーロー語文法の小冊子 Færøisk sproglære を書いているが、彼のものはその後の半世紀以上にわたって唯一のフェーロー語の手引でありつづけた (Jákup Dahl による 1908 年の学校教育用文法が登場するまでのこと)。
ところでこの間にあまり知られていないスウェーデン語の論文、Nore Ambrosius による Undersökningar om ordfogningen i färöiskan (1876 年) という本文 30 ページほどの小冊子がある。これはどうやらフェーロー語の統語論を取り扱った時代に先駆けた研究であるようだが、私じしんスウェーデン語がよく読めないことと、諸研究もこの著作を名前だけ挙げているばかりで詳細な書評が見あたらないのでどの程度のものか判断がつかない。
19 世紀最後のそしてもっとも重要な仕事として挙げられるのが、Hammershaimb と Jacobsen の編になる Færøsk anthologi 全 2 巻 (1886–91) である。第 1 巻選文篇の巻頭には、ハンマシュハイムによる先の文法を増補改訂した 100 ページを超える「歴史的・文法的序説」(historisk og grammatisk indledning) が収められている。また第 2 巻はほとんどフェーロー語・デンマーク語辞典とも称すべき大きな語彙集になっている。この本に見られるフェーロー語正書法は、まだ ö と ø が入りまじっている (当時のデンマーク語では開音と閉音で使いわけていた) ことなど些細な相違を除けばすでに現代のそれと見分けがつかないものである。
歴史的・語源的な意識に導かれた現行のフェーロー語正書法にはいまも異論がなきにしもあらずのようだが、ハンマシュハイムの当時からすでに反対派は存在していた。考えてもみれば、先駆者たるスヴェアボやラスク、リュングビューやシュレーターたちがみな発音に忠実なつづりかたを試行錯誤していたのだから (あれだけ古アイスランド語を偏愛したラスクからしてそうだったのだから!)、むしろハンマシュハイムのほうが異色で急進的だったはずである。じつはハンマシュハイム自身ももともとは前者に近い立場だったが、N. M. ピーターセン (この人はラスクの学生時代からの友人でもあった言語学者) の説得の影響があったらしい (Hovdhaugen et al., §4.5.2.2 参照)。デンマークが誇る言語学者イェスペルセンは自叙伝のなかで次のように述べるところがある (前島訳、20 頁):
とはいえ学習者にとってこれはかならずしも悪いことばかりではない。学習者はつづり字から発音を導きだす規則を大量に覚えねばならなくなったが、それとひきかえに文字上の語形変化には混乱する点が少なくなっていると言える。
例として英語の to have にあたる動詞 at hava は、過去単数 hevði、過去複数 høvðu のように変化するが、これらを発音に忠実に、たとえばラスクの 1811 年文法に従ってつづると、順に heava, heji, höddu となる。歴史的綴字法では h_v- という語幹の子音字のおかげで同じ動詞の活用形であることが明瞭、また共通する弱変化過去接尾辞の -ð- のおかげで hevði, høvðu はその過去形であることがわかりやすく見てとれるのに対し、heava, heji, höddu では同じ動詞なのかどうかすら見かけには明らかでない。名詞でも同様で、たとえば dagur (英 day) の格変化をどうつづることになるか考えてみるとよろしい。
フェーロー語の母語話者ではない私たちにとって、このために読み書きはむしろ容易になっている。この正書法の弊害を被っているのはむしろ母語話者のほうなのではないか。ネイティヴはいちいち意識しなくとも自然に格変化を体得している。そうすると dagur の変化形を文字で書かねばならないとき、主格 dagur [dεavʊr] では [v] なのに g を、与格 degi [deːjɪ] では [j] なのにまた g を、対格 dag [dεa] ではなにもないのにやはり g を書かねばならない。上述の hava の活用形も同様だし、そこで見た ð の文字 (フェーロー語ではいっさい発音しない!) が動詞の過去形に限らずフェーロー語全体にいかに溢れているかに思いを致せば、彼らの苦労は日本語の四つ仮名などの比ではなさそうだ。ハンマシュハイム以来の正書法がいつまで存続するか、百年を経ても安心してよいかはまだわからない。
Den placering af færøsk i forhold til de andre nordiske sprog, som Rask foretog allerede i sin skoletid alene på grundlag af eksemplerne hos Landt, ændrede han således ikke siden. Han vaklede mellem at regne færøsk som en sprogart inden for det islandske sprog og som en selvstændig nordisk sprogart, som dog lå islandsk meget nær. Den sidste opfattelse var den almindeligste hos ham, den første findes kun i Vejl.さてその『手引』はラスク自身の手によってスウェーデン語訳された増補版 Anvisning till isländskan eller nordiska fornspråket が 1818 年に出ている。これは章や節の番号づけが通し番号に変えられているほか随所に差異があり一見すると同じ著作とは思われない見かけだが、じつはフェーロー語に関しても大きな違いがある、というのは 1811 年版にあった文法の一切が削除されてしまっているのである。唯一残っているのは先の引用部分 (Rask 1811, s. 240) に対応する第 7 部第 24 章 §519 (s. 278f.) の次の記述である:
På Färöarne talas ännu en folkdialekt, som nårmar sig Isländskan betydligt, men som dock har litet intresse, emedan den har ingen Litteratur, utom några folkvisor, hvilka likvål hittills icke genom trycket blifvit utgifna.つまるところ、フェーロー語には (未刊の) 若干のバラッドを除いて文学というものがないため関心がないというのである。もっともこの書物が古アイスランド語文学のための文法であることを思えば当然の判断と言えよう。
ところでその「若干のバラッド」(några folkvisor) というのが前出スヴェアボの未公刊の著作を指していたのかどうかは定かでない。というのは、ラスクはたしかにスヴェアボの仕事を知っていたようなのであるが、このすぐ 4 年後の 1822 年には別の人 H. C. Lyngbye がフェーロー語版ジークフリート伝説とも言うべきバラッドをまとめた著作 Færøiske Qvæder om Sigurd Fofnersbane og hans Æt を出版するからである。ラスクのスウェーデン語版『手引』の英訳 (George Webbe Dasent による。1843 年) を見るとこの箇所の脚注で ‘These ballads were published with a Dansk translation by Lyngbye, Randers 1822.’ と言われているのである。ただし 1843 年といえばすでにラスク死後 (1832 年没) のことであるから英訳者は著者に確かめてこう記したはずはなく、いまだ発表されていないスヴェアボの仕事を彼が知らなかっただけかもしれない。
このほかにもフェーロー語を本文とする出版物がだんだんと現れてくる。まずは 1823 年の J. H. Schrøter によるマタイ福音書のフェーロー語訳。それから 1832 年にはこのブログでもすでに取りあげた『フェーロー諸島人のサガ』のフェーロー語訳を含む C. C. Rafn の Færeyínga saga eller Færöboernes historie i den islandske grundtekst med færöisk og dansk oversættelse が登場する (フェーロー語の訳者は Schrøter)。1822 年のリュングビューから始まるこれら 3 冊こそ、フェーロー語による最初の印刷出版物として永久に記念されているのである。
この間に注目されるのは、1829 年ころ Jacob Nolsøe (1775–1869) なる人物がフェーロー語文法 Mállæra を書きあげていたらしいという事実である。しかしながらこの作品は現在に至るまで公刊されておらず、ただアウルトニ・マグヌソン写本コレクション (Den Arnamagnæanske Samling) のうちの写本番号 AM 973 として保存されているとの由である。彼は晩年のラスクとも交際があり、そのフェーロー語文法や正書法に関して書簡のやりとりが知られている (Skårup, s. 6)。またフェーロー諸島に移住したアイスランド人 Jón Guðmundsson Effersøe という人も同様にフェーロー語の正書法に関して同じころラスクと文通していたそうだ。
すなわち、ラスクはこの最晩年の時期 (彼は若死であったため、晩年といっても 40 代前半である) にもフェーロー語に関心を抱いていた。既述のとおりこのころフェーロー語の出版物はようやく出はじめたばかりであったので、まだフェーロー語の正書法というものは固まっておらず、18 世紀のスヴェアボの辞書やラスクの文法、シュレーターのフェーロー語訳マタイ伝やフェーロー人のサガ等々は、現代の正書法とはまったく異なる、むしろ実際の音声に即したつづりを試みていた。
現在のフェーロー語のような、実際の発音とはかなりかけ離れて語源的配慮にもとづいた、かつアイスランド語に強く影響を受けた正書法を確立させたのは、V. U. Hammershaimb の尽力によるところが大きい。この人は早くも 1854 年にデンマーク語でフェーロー語文法の小冊子 Færøisk sproglære を書いているが、彼のものはその後の半世紀以上にわたって唯一のフェーロー語の手引でありつづけた (Jákup Dahl による 1908 年の学校教育用文法が登場するまでのこと)。
ところでこの間にあまり知られていないスウェーデン語の論文、Nore Ambrosius による Undersökningar om ordfogningen i färöiskan (1876 年) という本文 30 ページほどの小冊子がある。これはどうやらフェーロー語の統語論を取り扱った時代に先駆けた研究であるようだが、私じしんスウェーデン語がよく読めないことと、諸研究もこの著作を名前だけ挙げているばかりで詳細な書評が見あたらないのでどの程度のものか判断がつかない。
19 世紀最後のそしてもっとも重要な仕事として挙げられるのが、Hammershaimb と Jacobsen の編になる Færøsk anthologi 全 2 巻 (1886–91) である。第 1 巻選文篇の巻頭には、ハンマシュハイムによる先の文法を増補改訂した 100 ページを超える「歴史的・文法的序説」(historisk og grammatisk indledning) が収められている。また第 2 巻はほとんどフェーロー語・デンマーク語辞典とも称すべき大きな語彙集になっている。この本に見られるフェーロー語正書法は、まだ ö と ø が入りまじっている (当時のデンマーク語では開音と閉音で使いわけていた) ことなど些細な相違を除けばすでに現代のそれと見分けがつかないものである。
歴史的・語源的な意識に導かれた現行のフェーロー語正書法にはいまも異論がなきにしもあらずのようだが、ハンマシュハイムの当時からすでに反対派は存在していた。考えてもみれば、先駆者たるスヴェアボやラスク、リュングビューやシュレーターたちがみな発音に忠実なつづりかたを試行錯誤していたのだから (あれだけ古アイスランド語を偏愛したラスクからしてそうだったのだから!)、むしろハンマシュハイムのほうが異色で急進的だったはずである。じつはハンマシュハイム自身ももともとは前者に近い立場だったが、N. M. ピーターセン (この人はラスクの学生時代からの友人でもあった言語学者) の説得の影響があったらしい (Hovdhaugen et al., §4.5.2.2 参照)。デンマークが誇る言語学者イェスペルセンは自叙伝のなかで次のように述べるところがある (前島訳、20 頁):
私が王立学生寮にいたころ、フェーロー語学者 V. U. Hammershaimb の二人の令息達もそこに住んでいた。私は多数のフェーロー語の音韻関係を調べ、Hammershaimb とその若い助手 Jacob Jacobsen を助けて「フェーロー詩華集」の中の音標文字を執筆した。私はまた 1884 年の五旬節に南ゼーランドの Hammershaimb の牧師館の客となった。彼はフェーロー文語を創ったが、それは彼の若いころの見地に基づいて(古代)アイスランド語の綴字法に似せたきわめて擬古的なものであった。私は彼に対してスウィートの語を引用した:語原が興味があり有益であるとの理由で、現代語を歴史的・語原的見地から綴ることは、すべて綴字の固定化をはかる者が分別くさく首にマコーレーの『英国史』をぶら下げて歩くようなものだ。」古代やアイスランドに拘泥せずに、もっぱらこの言語の現在の語形に基づいてフェーロー文語を創造する方が正しいというのが私の考えであった。しかし彼は自己流を固執した。結局イェスペルセンのこの諫言は容れられず、ハンマシュハイムとヤコブセンによる大部な Anthologi の採用した歴史的つづり字が影響力をもつようになった。
とはいえ学習者にとってこれはかならずしも悪いことばかりではない。学習者はつづり字から発音を導きだす規則を大量に覚えねばならなくなったが、それとひきかえに文字上の語形変化には混乱する点が少なくなっていると言える。
例として英語の to have にあたる動詞 at hava は、過去単数 hevði、過去複数 høvðu のように変化するが、これらを発音に忠実に、たとえばラスクの 1811 年文法に従ってつづると、順に heava, heji, höddu となる。歴史的綴字法では h_v- という語幹の子音字のおかげで同じ動詞の活用形であることが明瞭、また共通する弱変化過去接尾辞の -ð- のおかげで hevði, høvðu はその過去形であることがわかりやすく見てとれるのに対し、heava, heji, höddu では同じ動詞なのかどうかすら見かけには明らかでない。名詞でも同様で、たとえば dagur (英 day) の格変化をどうつづることになるか考えてみるとよろしい。
フェーロー語の母語話者ではない私たちにとって、このために読み書きはむしろ容易になっている。この正書法の弊害を被っているのはむしろ母語話者のほうなのではないか。ネイティヴはいちいち意識しなくとも自然に格変化を体得している。そうすると dagur の変化形を文字で書かねばならないとき、主格 dagur [dεavʊr] では [v] なのに g を、与格 degi [deːjɪ] では [j] なのにまた g を、対格 dag [dεa] ではなにもないのにやはり g を書かねばならない。上述の hava の活用形も同様だし、そこで見た ð の文字 (フェーロー語ではいっさい発音しない!) が動詞の過去形に限らずフェーロー語全体にいかに溢れているかに思いを致せば、彼らの苦労は日本語の四つ仮名などの比ではなさそうだ。ハンマシュハイム以来の正書法がいつまで存続するか、百年を経ても安心してよいかはまだわからない。
参考文献 (刊行年順。上記で紹介した 19 世紀までの文献は除く)
- Jespersen, Otto (1938). En Sprogmands Levned.〔前島儀一郎訳『イェスペルセン自叙伝』1962 年。〕
- Skårup, Povl (1964). Rasmus Rask og færøsk.
- Hovdhaugen, Even, Fred Karlsson, Carol Henriksen, and Bengt Sigurd (2000). The History of Linguistics in the Nordic Countries.
- Petersen, Hjalmar P. (2010), The Dynamics of Faroese-Danish Language Contact.
- Mitchison, John (2012). ‘Danish in the Faroe Islands: A Post-Colonial Perspective’.
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