mardi 30 janvier 2018

北欧語の単語集の必要

デンマーク語やアイスランド語のような北欧語を勉強していると,当然のことではありますが,しばしば英語やドイツ語とよく似た単語に出会います.記憶に定着しやすくするためにも,たとえばアイスランド語の学習書には英語・ドイツ語・デンマーク語の訳語が書いてあると助かるのですが,需要がないためかなかなかそういうふうにはなっていません.

これはしかし一考の余地がある点だと思われます.そもそもアイスランド語 (フェーロー語・デンマーク語・スウェーデン語・ノルウェー語) の学習者じたいが日本では僅少ですから,中学・高校で英語をやったきりの人がいきなりアイスランド語を始めるというパターンと,ゲルマン語を専門に勉強している人か私のような趣味人でドイツ語の知識があるというパターン,かならずしも後者のほうが割合として少数派だとは言いきれないでしょう.

日本語で読める既存の出版物でいまいちばん近いのは河崎・大宮・西出『ゲルマン語基礎語彙集』(大学書林,2015 年) ですが,学習用の単語集として使うにはまったくボリュームが不足していますし不便です.そこでそうした需要を満たすための単語集を自分のためにそのうち作りたいと思っているのですが,なかなか準備が進まないので,走り書き程度に思いつきをここに記しておきます.


配列は見出し語をすべてアルファベット順に並べるというのがいちばんシンプルですが,そうしないという選択肢もあります.それはたとえば野里・白崎『英語から覚えるイタリア語単語』(創拓社,1996 年) がとっている戦略で,まずイタリア語の品詞ごとに分け,それからそのなかで英語と対応しているかどうかで分類,最後に ABC 順という配列になっています.この利点はもちろん,英語から簡単に類推できるものは分離してしまい,覚えにくい単語を重点的に見られるようになることです.

いまこれを模倣して,英語とドイツ語の知識がある人向けの北欧語の単語集を作るとすれば,だいたい次のような 5 分類になるでしょう.

(1) 英語もドイツ語も北欧語もぜんぶ対応している単語.これは大雑把に言って,ゲルマン祖語に遡る単語のリストとおおかた重なるかと思います (ほかにも「茶」のような,どの言語にとっても借用語である単語も考えられますが,アイスランド語はきわめて外来語に不寛容なのでさほど多くないはずです).

このグループの単語はたくさんあるでしょうが,対応しているからといってもただちに語形が思い浮かぶようになるためには,ある程度歴史言語学の知識が必要になりそうです.例としては氷 segja : 丁 sige : 独 sagen : 英 say や, 氷 vatn : 丁 vand : 独 Wasser : 英 water,氷 ungur : 丁 ung : 独 jung : 英 young などなど.一般には cognate だからといって現代における意味および使用頻度も同一とは限らないことが常ですから,もっとも危険なケースといえるかもしれません (次節に後述する英 eat および英 think にあたる語についてを参照).

(2) 英語とドイツ語は対応するが,それらと北欧語が似ていない単語.要するに北欧語 (北ゲルマン語群) 独自の語彙です.その例としてはたとえば氷 vinur : 丁 ven / 独 Freund : 英 friend や,氷 gamall : 丁 gammel / 独 alt : 英 old (なお比較級・最上級では氷 eldri, elstur, 丁 ældre, ældst として英独と同源),氷 aldrei : 丁 aldrig / 独 nie : 英 never (ただし nie と never の対応はちょっとずるいですが) などなどいくらでもあるでしょう.

(3) 英語と北欧語が同源で,ドイツ語だけが似ていない単語.これはいちばんおもしろいパターンです.英語は非常に数奇な歴史をたどった言語で,ノルマン・コンクエストによって中英語以降フランス語の影響が顕著になったことは現代の両言語を見てもただちに知られますが,それ以前にブリテン島はヴァイキングの侵攻とデーン人による支配を受けていましたから,北欧語 (古ノルド語) の語彙が入っている場合があります.

その例のひとつが動詞 take で,ご存知のとおりドイツ語に訳すとまずは nehmen ですが,デンマーク語では tage, アイスランド語では taka です.ほかには氷 rót : 丁 rod : 英 root / 独 Wurzel や,氷 deyja : 丁 dø : 英 die / 独 sterben などの例があります.

(4) その逆に,ドイツ語と北欧語が同源で,英語だけが似ていない単語.中英語までで廃れてしまった単語の事例を思えば,こちらのパターンのほうが (3) よりも多そうです.たとえば氷 hlaupa : 丁 løbe : 独 laufen / 英 run (英語の cognate は leap) や氷 svartur : 丁 sort : 独 schwarz / 英 black,また氷 himinn : 丁 himmel : 独 Himmel / 英 sky が挙げられます.

ところでこの最後の例でおもしろいのは,英語の sky という単語じしんは (3) のように古ノルド語に遡るということです.アイスランド語で ský, デンマーク語で sky は「雲」を意味します.これが英語に入ったあと「空」に転じたものです.ドイツ語で「雲」は Wolke ですから,この線でいけばこの単語は (3) のパターンと言えないこともありません.実際上は北欧語を見出しの基準にすれば曖昧さは生じませんが,このような豆知識は記憶にとってとても有益ですから,そういう遊びを包摂できるような単語集が望ましいでしょう.

(5) 英語もドイツ語も北欧語もてんでばらばらな単語.北欧語を覚えるにあたって英語もドイツ語も頼りにならないということですから,(2) とともにいちばん大変な場合です.おそらく数も少ないとは言えないでしょう (というか構成上 (2) と分ける必要もないかも;ドイツ語を読者にとっての学習 (復習) 対象に見据えるかどうかの違いか).

たとえば氷 skógur : 丁 skov / 独 Wald / 英 forest や,氷 stór : 丁 stor / 独 groß / 英 large (もっとも独 groß は英 great と同源なので,そのかぎりではこれは (2) のパターンですが) がそうです.つづりから想像されるとおり,forest も large も古フランス語から中英語に入った単語です.もちろんそういうものばかりでなく,氷 barn : 丁 barn / 独 Kind / 英 child や氷 spyrja : 丁 spørge / 独 fragen / 英 ask のように,どれもゲルマン語本来の単語なのに現代に残ったものが異なるというパターンもあります.


さてここまで「北欧語」をひとまとめに扱ってきましたが,それは英語・ドイツ語に比べれば北欧語間の互いのばらつきは比較的小さいためです.しかしいまかりにアイスランド語の単語集を作ることにし,そこで英語・ドイツ語のみならずデンマーク語の知識も助けにすることとすれば,アイスランド語とデンマーク語でふつう使われる単語の訳語が同源でない場合が問題になりましょう.

これに関して思いつくのは「食べる」を意味する動詞で,デンマーク語ではふつう spise という動詞を使います.しかし「食べる」が spise だなんていかにもゲルマン語らしくない感じがします.それもそのはず,この単語はラテン語 expensa に源を発し,中低ドイツ語を通してデンマーク語に入ったということです (独 Speise も同源).一方アイスランド語では borða が一般的です.これに対して丁 æde : 氷 éta という,英 eat : 独 essen と同源の動詞もありますが,これらはいずれも動物が餌を食べることを言い,人に使うと軽蔑的な意味になるようです.

また「考える,思う」を意味するいちばんふつうの語は英 think : 独 denken : 丁 tænke ですが,アイスランド語では hugsa です.アイスランド語における前者の cognate は þekkja という動詞で,これは「知っている」を意味します.なおデンマーク語の tænke およびスウェーデン語・ノルウェー語でそれに対応する語は,もともと中低ドイツ語の denken から入ったということです.

こういったことは少なからずほかにも例があろうかと思われます.そして最終的にはそのようなアイスランド語単語集を作りたいのですが,具体的なことはもう少し両者の勉強を進めてから考えることにしましょう.また,資料としてたとえばアイスランド語―デンマーク語辞典のようなものが必要になりますから,その点でもまだ私のほうで準備が不足しています.

mercredi 17 janvier 2018

『奇妙な孤島の物語』各国語訳

Judith Schalansky, Atlas der abgelegenen Inseln: Fünfzig Inseln, auf denen ich nie war und niemals sein werde の各国語訳の情報をまとめた覚書.タイトル „Atlas der abgelegenen Inseln“ の翻訳は,日本語版と 2 つの中国語版でのみ原義から離れたものになっている.また副題 „Fünfzig Inseln, auf denen ich nie war und niemals sein werde“ は,訳されている場合日本語訳も含めてほぼすべて原題に忠実な直訳になっており,例外は簡体中文の 1 つだけである.
  1. リンクは日本の Amazon に商品ページがあるもののみ付した.ただしタイトル・訳者名・出版社名といった情報はリンク先と食い違う場合がある.日本の Amazon は (とくに英語以外の) 洋書につき,いつも驚くほど不正確で嘘ばかり書くので信用してはいけない (英語に使う 26 文字以外が出てくるとすぐにまともでなくなる.Amazon で信じていいのは ISBN だけ).ここに挙げた書誌情報はいずれも原語で検索して調べたものを載せている.
  2. 私は下記のうち半分足らず (ドイツ語版,日本語版,英語版の片方,フランス語版,スペイン語版,ポーランド語版,アラビア語版) しか所有していないため,未確認の部分多し.
  3. 調査にはなるべく手を尽くしたが,世界に存在するすべての翻訳を網羅しているわけではない可能性がある.Despite all my efforts, the list below may not be exhaustive.

ドイツ語原著:Atlas der abgelegenen Inseln: Fünfzig Inseln, auf denen ich nie war und niemals sein werde.  著者:Judith Schalansky, 出版社:mare Verlag (ハンブルク,ドイツ), 出版年:2009, ISBN: 978-3866481176.

日本語訳:『奇妙な孤島の物語:私が行ったことのない、生涯行くこともないだろう 50 の島』.訳者:鈴木仁子,出版社:河出書房新社 (東京,日本),出版年:2016 年,ISBN: 978-4309207018.
〔あらゆる翻訳のうち,原書のカバーデザインを踏襲していないのは日本語版だけ.ほかは版型や素材 (背表紙付近のみ黒い布製) も含めてなるべくオリジナルと同じにしているのに,日本語版だけは二回りも小さく表紙の色も異なっているうえ,なぜか原題でなく英訳のタイトルがデザインされている.これらは訳者というより出版社の手抜かりだろう.邦訳の帯や著者略歴にもあるとおり原書はブックデザインに関する賞を得た書籍であるし,日本語訳はこの記事に挙げた 16 冊のうちもっとも遅い後発の出版だというのに,こういうことになる理由がわからない.〕

英語訳:2 種あり.前者しか持っていないため,内容の異同は未確認.
Atlas of Remote Islands: Fifty Islands I Have Never Set Foot On and Never Will.  訳者:Christine Lo, 出版社:Penguin Books (ニューヨーク,アメリカ), 出版年:2010, ISBN: 978-0143118206.
Atlas of Remote Islands: Fifty Island I Have Not Visited and Never Will.  訳者:Christine Lo, 出版社:Particular Books, Penguin Global, Penguin UK など複数の記載あり未詳 (ロンドン,イギリス),出版年:2010/2011, 同前,ISBN: 978-1846143489.

フランス語訳:Atlas des îles abandonnées.  訳者:不明 (WorldCat にも情報がない;序文は Olivier de Kersauson),出版社:Arthaud (パリ,フランス), 出版年:2010, ISBN: 978-2081238206.

イタリア語訳:Atlante delle isole remote: Cinquanta isole dove non sono mai stata e mai andrò.  訳者:Francesca Gabelli, 出版社:Bompiani (ミラノ,イタリア), 出版年:2013, ISBN: 978-8845275067.

スペイン語訳:Atlas de islas remotas.  訳者:Isabel García Gamero, 出版社:Capitán Swing y Nórdica Libros (2 社ともマドリード,スペイン), 出版年:2013, ISBN: 978-8494169076.

オランダ語訳:De atlas van afgelegen eilanden: Vijftig eilanden waar ik nooit ben geweest en ook nooit zal komen.  訳者:Goverdien Hauth-Grubben, 出版社:Uitgeverij Signatuur [A. W. Bruna] (ユトレヒト,オランダ), 出版年:2014, ISBN: 978-9056724900.

デンマーク語訳:Atlas over afsidesliggende øer: halvtreds øer, som jeg aldrig har været på og aldrig vil komme til.  訳者:Anette Petersen, 出版社:Forlaget Vandkunsten (コペンハーゲン,デンマーク), 出版年:2014, ISBN: 978-8776952532.

スウェーデン語訳:Atlas över avlägsna öar: femtio öar som jag aldrig besökt och aldrig kommer att besöka.  訳者:Carl Henrik Fredriksson, 出版社:Pequod Press (マルメ,スウェーデン), 出版年:2012, ISBN: 978-9186617172.

ノルウェー語訳:Atlas over fjerne øyer: Femti øyer jeg aldri har vært på og aldri kommer til.  訳者:Per Qvale, 出版社:Forlaget Press (オスロ,ノルウェー), 出版年:2012, ISBN: 978-8275474931.

ポーランド語訳:Atlas wysp odległych: Pięćdziesiąt wysp, na których nigdy nie byłam i nigdy nie będę.  訳者:Tomasz Ososiński, 出版社:Dwie Siostry (ワルシャワ,ポーランド), 出版年:2015, ISBN: 978-8363696337.

チェコ語訳:Atlas odlehlých ostrovů: Padesát ostrovů, které jsem nikdy nenavštívila a nikdy nenavštívím.  訳者:Martina Loskotová, 出版社:Nakladatelství 65. pole (プラハ,チェコ), 出版年:2011, ISBN: 978-8087506059.

アラビア語訳:أطلس الجزر النائية (ʾAṭlas al-juzur an-nāʾiyah).  訳者:Ag'sāyīn, ʿAbd al-Laṭīf (?), 出版社:Bloomsbury Qatar Foundation Publishing (ドーハ,カタール), 出版年:2013, ISBN: 978-9992195536.

繁体字中国語訳:『寂寞島嶼:50 座我從未也永遠不會踏上的島嶼』.訳者:劉燕芬,出版社:大塊文化 (台北,台湾),出版年,2011 年,ISBN: 978-9862132609.

簡体字中国語訳:『岛屿书:天堂是岛,地狱也是』.訳者:晏文玲,出版社:湖南文艺出版社 (湖南省,中国),出版年:2013 年,ISBN: 978-7540453992.

samedi 30 décembre 2017

Curiouser and curiouser!

『不思議の国のアリス』II 章の劈頭を飾る ‘Curiouser and curiouser!’ というセリフは有名だ.ここでキャロルはツッコミを入れて「アリスは good English の話しかたを忘れてしまっている」と言っているので,これが正しくない英語の好例として提示されていることは明らかである.したがって私たちが翻訳するときも,おかしな日本語になるように訳さねばならない.

既存の翻訳における訳者たちの苦心の歴史を少しくたどってみよう.例によって Amazon リンクでもって出典表記に替えさせていただく.表示環境によってはフリガナにした傍点が正しく表示されていないかもしれない:
芹生 1979:「だわ。ほんとに。」
柳瀬 1987:「奇妙れてきつ! 奇妙れてきつ!」
高橋 1988:「ますます、妙だわ、ちきりんよ!」
矢川 [1990] 1994:「へんてこんて、へんてこんてえ!」
北村 1992:「てこへん、へんてこ!」
山形 [1999] 2012:「チョーへん!」
河合 2010:「へんてこりんがどんどこりん!」
佐野 2015:「びっくり!」
以上で私の手もとの訳書すべてではないが,おおかた大同小異なのでこのあたりで比較をやめておく.山形訳や佐野訳のような顕著な例外を除いて,邦訳者がこの箇所の翻訳で採用しがちな戦略は一見して明らかだろう.別宮『「不思議の国のアリス」を英語で読む』は次のように解説している:
原文が bad English だから訳文でもそれに応じて bad Japanese にすべきところで、それも上記辞書にあるように単に「奇妙きてれつ」では不十分と思います。「奇妙きてれつ」はやや俗語ではあるけれども、文法上少しもおかしくはありません。翻訳者の方々はいろいろ知恵をしぼっておいでです。「てこへん」「てこりんへん」「へんてこれん」「奇妙てけれつかま不思議」――なかなかいいじゃありませんか。(105 頁)
上にも挙げた「てこへん」「れてきつ」のほか,「かま不思議」といった文字の並びかえや (似た仲間で「ふぎし」というのもどこかで見た記憶があるのだが,思いだせない),「へんてこれん」や「てけれつ」,「へんてこんて」のようなひねりかた,つまり実際にしゃべっているアリスにしてみれば言い間違い,俗に言う噛んだという状況に仕立てあげて処理している

残念ながら私はこれにまったく感心しない.別宮の言う「文法上少しもおかしくはありません」というダメ出しは,「奇妙きてれつ」ばかりでなく「れてきつ」その他のほうにもそのままあてはまるではないか.こういうものは狭義の「文法」の間違いではなく,いわば「つづり」の間違いである.

注意してほしいのだが,ここでのアリスの間違いかたはそれとは一線を画す種類のものなのだ.かりにアリスが ‘cuirous’ とでも言っていれば「れてきつ」で大正解だったが,そうではない.アリスは ‘curious’ という完璧に正しいつづり (つまりちゃんと存在する言葉) と,「比較級を作るには -er をつける」というこれまたそれじたいでは完璧に正しい文法規則を使っていながら,その適用のしかただけを誤ったというミスを犯したのだ.

言いかえると,これはちょうど言語習得論で「過度の一般化」(overgeneralisation) と呼ばれるところの現象であり,たとえば「過去形を作るには -ed をつける」と思いこんで ‘goed’ とか ‘comed’ とか言ってしまうのと同じミスなのである.「もし自然言語に例外がなく首尾一貫した規則で成りたっていれば,論理的にはこのようにも言えたはず」,そういうたぐいの主義主張がキャロルの言葉遊びにはこのほかにもしばしば見え隠れするであろう.だからこそ勝手に訳しかたを変えてはいけない箇所である.

「単独では正しいのに,組みあわせると文法的に間違い」ということがここでは肝心なのであるから,これは決して日本語で表現できないタイプの言葉遊びではない.その点,佐野訳のぜんぜんびっくり!はほぼ完璧であり,これを超える訳はそうそう現れないだろうとまで確信させる.山形訳の「チョーへん!」も世評の高いものだが,ただくだけて俗っぽいだけで変な言いまわしではないから,‘curiouser’ のおかしさの本質を表現できておらず佐野訳には負けている.じつのところ私じしんも今回は自信のある腹案があって,逆に的を外している「てこへん」「れてきつ」への不満を述べるつもりでこの記事を書きはじめたのだが,訳例を調査して「ぜんぜんびっくり!」を見つけるに及んで言うことがなくなってしまった.このうえなくすばらしい翻訳である.

もっともここでは「ぜんぜん」が否定と呼応することを前提としているので,かならずしも佐野訳もおかしな日本語になりきれていないと感じる読者もいるかもしれない.そういう意味では本当の意味での完璧には一歩だけ足りていないだろうか.

付言すれば,「チョーへん!」も山形の初訳である 1999 年時点ではいまよりずっとちゃんと (?)「へん」だったのかもしれない.なんでもかんでも -er をつけるという原文に対し,なんでもかんでも「超」をつければ強調になるということを言わんとする翻訳であるから,方針じたいは正しいのであとは読者が期待どおり変に思ってくれるかどうかの問題なのである.20 年も経てば日本語の感覚のほうもすっかり変わってしまう.

とはいえせっかくなので私の翻訳案も披露しておこう.それは「すぎる」を使う提案である.ひところ,「美人すぎる議員」やらなにやらがニュースで世間をにぎわしたことを記憶している人も多いと思う.このとき「美人すぎる」という表現に違和感を覚える人もまま見られたので,これを利用しようというものだ.ここでの比較級はいわゆる絶対比較級 (比較の対象を示さず,たんに程度を強めるもの) なので,「すぎる」は意味としてもぴったり適切である.

ただ「不思議すぎ!」「変すぎ!」くらいではもうひとつ奇妙さが弱いかもしれないので,「謎すぎます!」ではどうだろう.形容 (動) 詞の語幹よりも名詞に直接「すぎ」がつくほうが用例が少なく見慣れなさが際立つし (とはいえ〈名詞+すぎ〉は漱石などにも見られるので文法違反とは言いがたいのだが),それも名詞的な「すぎだ/です」よりも動詞的な「すぎる/ます」とすることでさらなる不自然さを演出している.またアリスのお嬢様らしさを壊さないよう最低限のポライトネスを加えることで,「ぜんぜんびっくり!」「チョーへん!」ほど子どもっぽくならずにすんでいる.当然上述したような翻訳方針もクリアしているし,私の思いつくかぎりでは佐野訳に比肩する訳案だと自負しているが,難点がゼロでないことも両者同様である.

いやはやどうもいま一歩が届かない.すでに述べたように決して訳しきれない種類の言葉遊びではないのだから,『アリス』翻訳史の果てにいつの日か,これぞ決定版,絶対に文句をつけられないという訳が現れるであろうことを祈念する.もっともそれも読者のほうが世代交代してしまえばいたちごっこになるのかもしれないが.