samedi 30 décembre 2017

Curiouser and curiouser!

『不思議の国のアリス』II 章の劈頭を飾る ‘Curiouser and curiouser!’ というセリフは有名だ.ここでキャロルはツッコミを入れて「アリスは good English の話しかたを忘れてしまっている」と言っているので,これが正しくない英語の好例として提示されていることは明らかである.したがって私たちが翻訳するときも,おかしな日本語になるように訳さねばならない.

既存の翻訳における訳者たちの苦心の歴史を少しくたどってみよう.例によって Amazon リンクでもって出典表記に替えさせていただく.表示環境によってはフリガナにした傍点が正しく表示されていないかもしれない:
芹生 1979:「だわ。ほんとに。」
柳瀬 1987:「奇妙れてきつ! 奇妙れてきつ!」
高橋 1988:「ますます、妙だわ、ちきりんよ!」
矢川 [1990] 1994:「へんてこんて、へんてこんてえ!」
北村 1992:「てこへん、へんてこ!」
山形 [1999] 2012:「チョーへん!」
河合 2010:「へんてこりんがどんどこりん!」
佐野 2015:「びっくり!」
以上で私の手もとの訳書すべてではないが,おおかた大同小異なのでこのあたりで比較をやめておく.山形訳や佐野訳のような顕著な例外を除いて,邦訳者がこの箇所の翻訳で採用しがちな戦略は一見して明らかだろう.別宮『「不思議の国のアリス」を英語で読む』は次のように解説している:
原文が bad English だから訳文でもそれに応じて bad Japanese にすべきところで、それも上記辞書にあるように単に「奇妙きてれつ」では不十分と思います。「奇妙きてれつ」はやや俗語ではあるけれども、文法上少しもおかしくはありません。翻訳者の方々はいろいろ知恵をしぼっておいでです。「てこへん」「てこりんへん」「へんてこれん」「奇妙てけれつかま不思議」――なかなかいいじゃありませんか。(105 頁)
上にも挙げた「てこへん」「れてきつ」のほか,「かま不思議」といった文字の並びかえや (似た仲間で「ふぎし」というのもどこかで見た記憶があるのだが,思いだせない),「へんてこれん」や「てけれつ」,「へんてこんて」のようなひねりかた,つまり実際にしゃべっているアリスにしてみれば言い間違い,俗に言う噛んだという状況に仕立てあげて処理している

残念ながら私はこれにまったく感心しない.別宮の言う「文法上少しもおかしくはありません」というダメ出しは,「奇妙きてれつ」ばかりでなく「れてきつ」その他のほうにもそのままあてはまるではないか.こういうものは狭義の「文法」の間違いではなく,いわば「つづり」の間違いである.

注意してほしいのだが,ここでのアリスの間違いかたはそれとは一線を画す種類のものなのだ.かりにアリスが ‘cuirous’ とでも言っていれば「れてきつ」で大正解だったが,そうではない.アリスは ‘curious’ という完璧に正しいつづり (つまりちゃんと存在する言葉) と,「比較級を作るには -er をつける」というこれまたそれじたいでは完璧に正しい文法規則を使っていながら,その適用のしかただけを誤ったというミスを犯したのだ.

言いかえると,これはちょうど言語習得論で「過度の一般化」(overgeneralisation) と呼ばれるところの現象であり,たとえば「過去形を作るには -ed をつける」と思いこんで ‘goed’ とか ‘comed’ とか言ってしまうのと同じミスなのである.「もし自然言語に例外がなく首尾一貫した規則で成りたっていれば,論理的にはこのようにも言えたはず」,そういうたぐいの主義主張がキャロルの言葉遊びにはこのほかにもしばしば見え隠れするであろう.だからこそ勝手に訳しかたを変えてはいけない箇所である.

「単独では正しいのに,組みあわせると文法的に間違い」ということがここでは肝心なのであるから,これは決して日本語で表現できないタイプの言葉遊びではない.その点,佐野訳のぜんぜんびっくり!はほぼ完璧であり,これを超える訳はそうそう現れないだろうとまで確信させる.山形訳の「チョーへん!」も世評の高いものだが,ただくだけて俗っぽいだけで変な言いまわしではないから,‘curiouser’ のおかしさの本質を表現できておらず佐野訳には負けている.じつのところ私じしんも今回は自信のある腹案があって,逆に的を外している「てこへん」「れてきつ」への不満を述べるつもりでこの記事を書きはじめたのだが,訳例を調査して「ぜんぜんびっくり!」を見つけるに及んで言うことがなくなってしまった.このうえなくすばらしい翻訳である.

もっともここでは「ぜんぜん」が否定と呼応することを前提としているので,かならずしも佐野訳もおかしな日本語になりきれていないと感じる読者もいるかもしれない.そういう意味では本当の意味での完璧には一歩だけ足りていないだろうか.

付言すれば,「チョーへん!」も山形の初訳である 1999 年時点ではいまよりずっとちゃんと (?)「へん」だったのかもしれない.なんでもかんでも -er をつけるという原文に対し,なんでもかんでも「超」をつければ強調になるということを言わんとする翻訳であるから,方針じたいは正しいのであとは読者が期待どおり変に思ってくれるかどうかの問題なのである.20 年も経てば日本語の感覚のほうもすっかり変わってしまう.

とはいえせっかくなので私の翻訳案も披露しておこう.それは「すぎる」を使う提案である.ひところ,「美人すぎる議員」やらなにやらがニュースで世間をにぎわしたことを記憶している人も多いと思う.このとき「美人すぎる」という表現に違和感を覚える人もまま見られたので,これを利用しようというものだ.ここでの比較級はいわゆる絶対比較級 (比較の対象を示さず,たんに程度を強めるもの) なので,「すぎる」は意味としてもぴったり適切である.

ただ「不思議すぎ!」「変すぎ!」くらいではもうひとつ奇妙さが弱いかもしれないので,「謎すぎます!」ではどうだろう.形容 (動) 詞の語幹よりも名詞に直接「すぎ」がつくほうが用例が少なく見慣れなさが際立つし (とはいえ〈名詞+すぎ〉は漱石などにも見られるので文法違反とは言いがたいのだが),それも名詞的な「すぎだ/です」よりも動詞的な「すぎる/ます」とすることでさらなる不自然さを演出している.またアリスのお嬢様らしさを壊さないよう最低限のポライトネスを加えることで,「ぜんぜんびっくり!」「チョーへん!」ほど子どもっぽくならずにすんでいる.当然上述したような翻訳方針もクリアしているし,私の思いつくかぎりでは佐野訳に比肩する訳案だと自負しているが,難点がゼロでないことも両者同様である.

いやはやどうもいま一歩が届かない.すでに述べたように決して訳しきれない種類の言葉遊びではないのだから,『アリス』翻訳史の果てにいつの日か,これぞ決定版,絶対に文句をつけられないという訳が現れるであろうことを祈念する.もっともそれも読者のほうが世代交代してしまえばいたちごっこになるのかもしれないが.

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