lundi 29 mai 2017

マビノギオンのウェールズ語版

中世ウェールズの物語集『マビノギオン』につき,前回はフランス語訳前々回はドイツ語訳について情報をまとめましたから,順当にいけばもっとも歴史が長く数も多い英語訳についての話をするべきでしょうが,少し目先を変えてみました.なにしろ英訳については誰でも簡単に調べがつくので,あえてここに屋上屋を架すほどの価値はないでしょう (もちろんその情報が日本語で読めるというだけでも一定の意味はあるでしょうから,時間が許せばまとめてみたいですが).

さて「マビノギオンのウェールズ語版」とは奇妙なタイトルです.言うまでもなく『マビノギオン』はもともとウェールズ語,詳しく言えば中期ウェールズ語 (Cymraeg Canol, 英 Middle Welsh) という,中世なかばから後期にかけての時代のウェールズ語で書かれたものです.ですからウェールズ語であるのはあたりまえです.

ただ現代の日本人が鎌倉時代の文学,たとえば方丈記徒然草宇治拾遺物語あるいは吾妻鏡などを原文 (を活字化したもの) で読めるかというと,これは読めることは読めるでしょうが大変なもので,一般的な読者は現代語訳で読みたいと思うはずです (それともやっぱり雰囲気が大事なので原文で読みたいと思うでしょうか).ウェールズ語話者にとっての『マビノギオン』もきっと似たようなものでしょう.その需要に応えるものが 2 つか 3 つ存在しています.

「マビノギの四つの枝」,英語で言うと ‘Four Branches of Mabinogi’ にあたるウェールズ語の題名は,中期ウェールズ語では ‘Pedeir Keinc y Mabinogi’ とつづりましたが (というのは標準化したつづりの話で,実際の写本には Mabinogy とか Mabinyogi とか表記のゆらぎがあるわけですが),現代ウェールズ語では ‘Pedair Cainc y Mabinogi’ と書きます.この後者が,現代語訳の最初の試みであろうパリー゠ウィリアムズが 1937 年に出版した書籍のタイトルです.

トマス・ハーバート・パリー゠ウィリアムズ (Thomas Herbert Parry-Williams, 1887–1975) はウェールズ生まれウェールズ育ち,ウェールズ語で著作した詩人・作家・学者であったそうです.先述のとおり Pedair Cainc y Mabinogi: Chwedlau Cymraeg Canol (『マビノギの四つの枝:中世ウェールズの伝説』) というタイトルで,1937 年に Gwasg Prifysgol Cymru (ウェールズ大学出版局) から現代語訳を刊行しています.私の手もとにあるのは 1966 年の第 4 版でこれが最終版であり,けっこう大きな活字なのに全 115 ページの小冊子で,初版の序文に加えて 1959 年に第 3 版が出たときの短い序文と,巻末に 7 ページばかりの注がついています.

内容としては中期ウェールズ語の原文を,基本的にはまったく語順を変えずに現代式の正書法に改めているほか (ウェールズ語に限らず中世の写本のつづり字は一貫しなかったり発音どおりでなかったりするところが多いので,これだけでもだいぶありがたいのですが),そうした保守性にもかかわらずたまに (数十語あたりに 1 回?) べつの単語に置きかえているところがあるのでそれはおそらく廃語なのでしょう.巻末の注のほうは本文のいくつかの単語 (つまり彼が「現代語化」したあとの語) について短い説明を与えているようなのですが,すべてウェールズ語ですし ‘pedrain, crwper’ や ‘trythyll, bywiog’ のように 1 語だけの言いかえも多く,少なくとも辞書で調べるかぎりそれらはだいたい同じ意味の単語なので,私のような初学者にはなにを意図してそう書かれているのかわかりません (注でさらに言いかえるなら最初から本文をその語に変えたらいいと思うのですが,すっかりべつの語にしている箇所とはなにが異なるのでしょう.古い言葉でもぎりぎり通じるが念のため補足したという感じでしょうか.日本の中世文学の現代語訳にもそういうことがあるかもしれません).

よりよいと思われるのは,ウェールズの小説家・翻訳者であるダヴィズ・イヴァンスと中世ウェールズ文学の専門家リアノン・イヴァンス (Dafydd a Rhiannon Ifans) による 1980 年の現代語化 Y Mabinogion で,いわゆる「マビノギオン」の 11 話すべてを含んでいます.これは手もとの 2001 年 (通算) 第 7 刷/版 (seithfed argraffiad) の書誌情報によると,93 年まで 5 回刷を重ねたあと 95 年に新版になっています.旧版をもっていないのでどう変わっているのかはわかりませんが,少なくともブリンリー・ロバーツ (Brynley F. Roberts) が寄せている専門的な序論 (rhagymadrodd) は新版のためのものです.

こちらは中期ウェールズ語のオリジナルと比べて,正書法や単語の置換だけでなく,ときには語順をも大胆に変えていますから,それによっておそらくパリー゠ウィリアムズのものよりも格段に現代の読者に配慮されたウェールズ語になっているのではないでしょうか.2 人の著者ないし編者の経歴から見てもきっと正確で美しいウェールズ語に違いありません (私はネイティブではないので想像にすぎませんが).ちなみにこの現代語訳は中野訳『マビノギオン』でも参考文献に挙げられ「細かい点で大変参考になった」と評されています.ただしこちらの本は一見して注などはどこにも見あたらないので,背景知識などは他書で補う必要があるかと思います.

参考までに,マビノギ第一の枝『ダヴェドの大公プイス』の書きだしを例に,上記 2 つの現代語訳と中期ウェールズ語の原文を見比べてみましょう.中期ウェールズ語のテクストは R. L. Thomson 編 (1957) の Pwyll Pendeuic Dyuet によります.引用文中,注意する相違点をイタリックで強調してあります.
中期ウェールズ語:Pwyll Pendeuic Dyuet a oed yn arglwyd ar seith cantref Dyuet. A threigylgweith yd oed yn Arberth, prif lys idaw, a dyuot yn y uryt ac yn y uedwl uynet y hela. Sef kyueir o’y gyuoeth a uynnei y hela, Glynn Cuch.
パリー゠ウィリアムズ (P-W): Pwyll, Pendefig Dyfed, a oedd yn arglwydd ar saith gantref Dyfed. A rhyw dro yr oedd yn Arberth, prif lys iddo; a dyfod yn ei fryd ac yn ei feddwl fyned i hela. Sef cyfer o’i deyrnas a fynnai ei hela, Glyn Cuch.
イヴァンス (I): Yr oedd Pwyll Pendefig Dyfed yn arglwydd ar saith cantref Dyfed. Ac un diwrnod yr oedd yn Arberth, un o’i brif lysoedd, a daeth i’w fryd ac i’w feddwl fynd i hela. Dyma’r rhanbarth o’i deyrnas a fynnai ei hela, Glyn Cuch.
子音の u (= v) を f に,摩擦音の d を dd, また有声音の t や c を d, g に直したり,y を単語に応じて i や ei に改めるなど,発音と文法にもとづく現代風の表記にそろえているところは 2 つとも共通しています.それを除いて冒頭から見ていくと,第 1 文で P-W はコンマの挿入とつづり以外なにひとつ変更していないのに対し,I がいきなり動詞 ‘Yr oedd’ を文頭にもってくるところ (これは現代語で普通の語順) が目を引きます.

第 2 文に入って ‘treigylgweith’「(昔々) あるとき」という古い言葉が出てくると,両者それぞれ ‘rhyw dro’ と ‘un diwrnod’ というべつの表現に置きかえています.第 3 文の ‘kyuoeth’「富;権力;土地」も同様で,このわかりにくい多義語は両者そろって ‘teyrnas’「王国,領地」に変えています.この範囲で P-W の変更点といえばつづり以外には以上 2 点のみです.

I はそれにとどまりません.語彙だけに関して言ってもそうですが,顕著なのはすでに触れた第 1 文 ‘Yr oedd’ に加えて,第 2 文のなかば,‘prif lys idaw’「彼の第一の宮廷」というところ,‘un o’i brif lysoedd’ とまるっきり異なる語法に変えています.もとの ‘idaw = iddo’ は前置詞 ‘y = i’ の 3 人称単数男性「活用形」で,直訳すれば ‘principal court to him’ という形式であり,英語で言う〈to + (代) 名詞〉で所有表現になるという,スラヴ語のエンクリティック与格にもあるような用法を使っています.P-W ではそのまま踏襲しているこれを I は許さず,代名詞の所有格形 ‘ei’ に変えて ‘one of his principal courts’ と言っています.‘One of’ にあたる ‘un o’ がついている (ついでに llys を複数形 llysoedd に変えている) のは,原文が定冠詞のついていない形であることから判断して不定 (a principal court) であることを明確化したもので,これも P-W にはない I 独自の配慮です.

もうひとつ興味深いのは P-W の 1 文めにある ‘saith gantref’ という軟音化 (lenition) です.Thomson のエディションによるかぎりここは中期ウェールズ語では ‘seith cantref’ であり,I もそうしているのに中間の P-W だけが軟音化した g- に変えているという不思議があります.じつは Thomson の異読資料欄は,とくに興味深い場合を除いてたんなるつづりや語頭変異 (mutation) の異同は掲げないという方針を記しており,ということはここに載っていなくても実際には原典に ‘seith gantref’ も見られた可能性があります.そして『ヘルゲストの赤い本』の翻刻版である Rhys and Evans (1887) をひもとくと,たしかにプイスの最終局面 (p. 25) にこの実例を確認できます.

ここには込み入った事情があり,現代語では ‘saith’「7」は ‘wyth’「8」とともに変異を起こさないということになっているところ,少し古めかしいウェールズ語文法を扱っている Stephen J. Williams (1980), A Welsh Grammar, §62 は,‘saith’ と ‘wyth’ は北部方言では p-, t-, c- のみ軟音化を引き起こすと言います (そのうち t- の軟音化はその時点でなくなりつつあったと言います).そして実際にパリー゠ウィリアムズは北部の出身です.

しかしながら,本来は中期ウェールズ語においても ‘seith’ は軟音化を引き起こすべき単語ではなく,これは ‘wyth’ からの類推によって生じたものだと D. Simon Evans (1964), A Grammar of Middle Welsh は言います.‘Seith’ は本来 ‘seith mlyned’, ‘seith nieu’, ‘seith mroder’ のごとく鼻音化 (nasalisation) を引き起こすはずの数詞だったらしいのです (同書 §§20, 25).そうだとすれば理論的には ‘seith nghantref’ となるところですが,この実例は私は知りません.ともあれ話を戻すと,P-W の ‘saith gantref’ は現代語と思いきや大昔の誤りから生じた古い北部訛りだということで,もしかすると全体を通してまた同じような例が見られるかもしれないので,この 80 年まえの「現代語訳」には注意を要するということです.

最後に,未確認情報ですが第 3 の選択肢として,ウェールズの詩人グウィン・トーマス (Gwyn Thomas) による 1984 年出版の現代語化 (diweddariad) があると,ウェールズ語版 Wikipedia には書いてあります.これが本当に忠実な現代語化なのか,それとも翻案や再話のたぐいなのかは不明で,少なくともいま Amazon で手に入りやすい Gwyn Thomas の Y Mabinogi (2006) は子ども向けの再話だと思われます.なにしろあまりにもありふれた人名なので調べるのが難しく,とくにマビノギオンの標準的な英訳である Jones and Jones, すなわち Gwyn Jones and Thomas Jones の 2 人のファーストネームを並べたものと同じなので検索のさいはひっかからないように注意してください.

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