jeudi 9 juillet 2015

Portner, 片岡訳『意味ってなに? 形式意味論入門』誤植訂正

Paul H. Portner, 片岡宏仁訳『意味ってなに? 形式意味論入門』勁草書房,2015 をおととい購入しさっそく読了しました.原文のおそらくくだけた語り口を,よくこなれた親しみやすい日本語で訳されてあり,平易ながら興味深い内容にひきこまれてあっという間に読み終えてしまいました.詳細な感想はべつの機会と場所に譲るとして,このエントリはその typo などのメモです (底本は 2015 年 6 月 30 日第 1 刷).

以下,原文の誤りである可能性のあるものも,とくに区別せずあげてあります.l. は行数を表し,l. ↑n は下から数えて n 行めを意味するものとします.ほとんどは些細なミスですが,理解に影響するか混乱を招きそうな比較的重大なものを含む指示箇所を太字にしておきます.誤の側 (矢印やダッシュのまえ) に「?」を付したものはそれが誤りではないとも解釈できること,正の側に「?」を付したものは訂正案に確信がないことを示します.
  • p. 2, ll. ↑4–3: “Dos Passos’USA”, “meeting?It’s”; p. 5, l. 10: ‘Quine1953’ ――  スペースの脱落.
  • p. 22, l. ↑6: 「円が正方形のうつ側にある」
  • p. 27, l. 10: 「どうやって利益を引き出しているんだろう 答え:」――  疑問符 (と全角スペース) の脱落.
  • p. 29, ll. 3, 7: 「意決定」→「意決定」
  • p. 29, l. 12: 「スモールトーク」?――  カタカナ語として通じにくいので「世間話,おしゃべり」などとすべきでは?
  • p. 30, l. 1: 「(11) 誰がシルヴィアのところに行ったの?」――  p. 30, l. 8: 「シルヴィアが人物 x のところに行った」や,p. 31, l. 2: 「シルヴィアがある人物のところに行ったものと仮定しよう」などに照らすと,主語が逆では?
  • p. 43, ll. ↑8–7: 「『シェルビー』を範疇 NP に……」はべつの箇条では?
  • p. 51, l. 3: 「一字一違わず」
  • p. 54, l. ↑8: 「たしかに (8) はなかなか複雑そう」→ (7)
  • p. 56, l. ↑1: 「同じようもの」
  • p. 57, l. 7: 「取り去らないと」
  • p. 58, ll. 3–4: 「ぼくらの心はいったいどうやってこの文の意味が……にならないんだろう?」→「……にならないとわかるんだろう?」
  • p. 63, l. ↑1: ‘the hammar’
  • p. 68, ll. 3–4: 「図 3 (p.13)」→ 図 3 は p. 17.
  • p. 72, l. ↑2: 「図 12 のようなお絵かきで表示できる (p.41)」→ 図 12 は p. 49.
  • p. 78, ll. 11–12: 2 組の亀甲括弧〔  〕ではさまれた地の文「との比較が関与……ではない」のポイントが落ちている.
  • p. 83, l. 5: 「出来事の時記述している」→「……時……」
  • p. 83, l. ↑2: 「(8) は偽になる」; p. 84, l. 2: 「(8) は真でなきゃ」→「(8a) は……」
  • p. 86, l. 4; p. 156, l. 2; p. 157, l. 10; p. 158, ll. 18, 22; p. 159, ll. 1, 5, 10, 14: 「下位集合」――  p. 26, l. 8; pp. 189f.; p. 199, ll. 6, 12; pp. 266–267, 269 のように「部分集合」としてある箇所も多くあります.(数学ではなく) 哲学や言語学よりの論理学では「下位集合」の訳語もふつうなのでしょうか.集合論を含む数学プロパーではまず言わないと思います (「開集合」と同音のためか.経済学・最適化理論では「下位集合」を別途 ‘sublevel set = lower contour set’ の意味で使うことがあります).
  • p. 99, l. 5: 「脈」→「文脈」
  • p. 100, 原注 5: ‘Kripke (972)’
  • p. 104, ll. 7–8: 「is the famous Chinese philosopher (その有名な中国人哲学者である)」→「is the most famous... (そのいちばん有名な……)」
  • p. 107, l. 7: 「その指示に他ならないだというんだ」
  • p. 110, l. 17: 「一の教師」
  • p. 116, l. ↑5: 「この練習問題の答えは巻末に掲載してある」――  ほかの 10 問のように番号 (no. 5) を明記していない.
  • p. 137, l. 3: 「between three and six women (3〜5 人の女性たち)」
  • p. 138, 「訳者の補足」のツリー:‘every child’ → ‘every baby
  • p. 141, ll. 1–2: 「(表の一列目にある)『すべての赤ちゃん』」→「……一行目……」
  • p. 144, l. 8: ‘shelby’ → ‘Shelby’
  • p. 144, l. ↑8: 「some『いくつかの』」――  次の行で「つまり,少なくとも 1 つの……」とあるので,この some は「ある」のほうがはまるのでは?
  • p. 146, l. ↑9: 「機能にって」?
  • p. 149, ll. 1–2: インデントされている問いかけの 2 行「否定辞 not は……だろうか?」を水平線で囲む.
  • p. 152, l. 3: ‘hyperhym’ → ‘hypernym’
  • p. 152, l. ↑9: 「否定でない単純な文 (25a) は上方伴立にあたる」→ (23a)
  • p. 153, ll. 11–19: 「〔every dog〕」のあとから「〔(25a) によって〕」までで地の文のポイントが落ちている.
  • p. 154, 原注 7: ‘Kadmoon and Ladman’ → ‘Kadmon and Landman’
  • p. 154, (26): every の行の最後のセル (第 2 の属性,上方伴立) は ‘No’ → ‘Yes’.  また three についた ‘[8]’ は消し忘れ?
  • p. 154, l. 2: 「させるもの他ならない」
  • pp. 160ff.: これまでの章で「正方形の内側」であった ‘inside the square’ がここから「四角のなか」になります (同じ図を再掲しているので気になります).
  • p. 166, l. 2: 「難しいもの 1 つ」
  • p. 174, l. 3: 「例 (16) の場合だとぼくが物語を語る時点と……」――  読点.
  • p. 174, ll. 8–9: 「次の等式を満たさなくてはいけない:R < S, R = E」→ 等式でないものがある.S のみイタリック (本当はこういう文字はすべてイタリックが正しいのですが,文系諸分野の出版物ではローマンが優勢と理解しています).
  • p. 176, ll. 10–11: 「Es の場合はその逆の T ⊆ E もありうる」→ T ⊆ Es.
  • p. 177, l. 14: 「もちろん,(18c) は有意味だ」→ (18a)
  • p. 178, l. 6: 「考えを験してみよう」?――  「ためして」と読めますが文体から浮いているように見え,脱字か誤変換 (表記ゆらぎ) の印象を受けます.
  • p. 179, ll. 11–12: 「いちばん基本的なものだ他のおおむね……」――  句点の脱落.
  • p. 182, (25): T と S がイタリックだったりローマンだったりする.また,現在完了のセルの ‘E = S’ と過去完了のセルの ‘E < S’ は,それぞれ ‘T = S’, ‘T < S’ では?
  • p. 185, l. ↑10: 「たんにたんに」
  • p. 186, l. ↑3: 「この可能世界ではトラックは」→「……バスは」
  • p. 189, l. 14: 「このトピックを検鏡してる」
  • p. 190, (38): ‘onto Clarendon boulevard, not onto Wilson Boulevard.’
  • p. 192, (39b): 「道徳により」「徳により」
  • p. 192, l. ↑10: 「世界 1 から 3 つのがのびている」? また,図 45 を見ると世界 1 から 3 へ向かう矢印はないようである.
  • p. 194, l. 14: 「他の自国に出発する」
  • p. 198, ll. ↑2–1: 「(3) は w1 で偽,w2 で真だ」――  例文 (3) が見あたらない (例文 (2) の主節の動詞 believes を wants に変えたものか?).
  • p. 204, l. 7: 「聞き及んでいるもの」→「……もの
  • p. 210, l. 11: 「心置きなく言える」――  文末句点の脱落.
  • p. 211, l. 3: 「たいして役立たない (9a) は」――  句点またはコロンの脱落.
  • p. 217, l. 9: 「場面にそう左右されるか」→「……どう……」
  • p. 219, ll. 1–2: 「こまかい技術的な話をすると」――  文脈から「……話を省略すると」などの脱字に見えるが,不明.
  • p. 220, 訳注 1: 文末句点の脱落.
  • p. 220, (8): 訳文に「また」の脱落.
  • p. 221, (a): ‘she are ate an apple’
  • p. 221, (c): この訳文のみ「りんご」がひらがな.
  • p. 221, (e): 訳文に「も」の脱落.
  • p. 223, l. 6: 「たとえば:」
  • p. 224, (19); ll. ↑11–10: 「ジョン」→「ジョン
  • p. 224, (21): 「φP プラス,φP のうち φ の」→「…… ψP のうち……」
  • p. 229, (34): ‘Mary arrive’ → ‘Mary arrived
  • p. 232, (39): 右辺の括弧の数.
  • p. 233, (41): 「ハンニバル」→「ハンニバル
  • p. 235, ll. ↑10–9: 「表現もする (……)」?――  句点に,もしくは「する」を「するし」に.
  • p. 236, l. 7: ‘illocutioanry’
  • p. 242, l. 2: 「(2) は自然な応答になる」→ (a)
  • p. 242, (54): ‘??’ がつくのは (b) でなく (a).
  • p. 242, ll. 14–15: 「豚肉を食べる」が重複 (順番から前者を削除).
  • p. 242, l. ↑4: 「話し手魚を食べるってこと」→「話し手……」,または「聞き手に……〔only は伝えている〕」?
  • p. 242, (55): 「通常の意味」の ‘I eat FISH’ は小文字の ‘fish’ では?
  • p. 244, 関係の格率:文末句点の脱落.
  • p. 246, (5-i): 開きカギ括弧の重複.
  • p. 247, (5-ix, xiv): 「S は」の重複.
  • p. 249, l. ↑11: 「話し手は3 つ食べたと言っただろう」――  二重カギ括弧に.
  • p. 250, l. 12: 「分離不可能性」?
  • p. 251, l. 4: 「そうした生き物たちついて」
  • p. 254, l. 11: 「W2 → {個体 no.2, 個体 no.4,}」――  最後のコンマを削除.
  • p. 254, l. ↑12: 「{W1, W2, ...} みたいな命題になるだろう」→「{W1, W3, ...} ……」
  • p. 254, l. ↑9: 「構成的につくりあられる」
  • p. 261, l. 12: 「進めるがいい」
  • p. 263, 原注 8: 「どれも Montague (1974) に録されている」→「再録」?
  • p. 264, l. ↑6: 「意味論研究者もふくめって」
  • p. 265, l. 3: 「『〜にちがいない
  • p. 267, 練習問題 3 の答え:いちばん下の関数が誤りで,正しくはどちらも F.
  • p. 268, 練習問題 5 の答え:集合が [  ] で表されているが,正しくは {  }.
  • p. 269, 練習問題 9 の答え:‘λx.x. + x = 4, 2’ の 2 つめのドットを削除.ところで,2 つの TWO に文強勢をおかせるための答えは,変数が x 1 つのこの形でいいのだろうか.言いかえると,われわれが「なにたすなにで 4 になる?」という質問をするとき,(ありうべき回答の 1 つに ‘2 + 2’ を予期するとしても) はなから 2 つの「なに」は共通の値であることを前提にしているだろうか.
  • p. 270, 練習問題 11 の答え,l. 5: “X’ + Hannnibal ate [...]” → “C’ ”
  • p. 287, l. 10: 「点」?
  • p. 292, l. 5: ‘Jacknedoff, Ray (2007)’

(原著の) 参照文献の箇所は著者名で指示します (著者名じたいが誤っているときは重複するので省略).一見して気がついたところのみ指摘しますが,目で見るよりテキストデータで検索をかけ置換するほうが漏れがなく効率もよいでしょう.なお,こうした文献一覧では避けられない表記ゆれ (たとえば repr. と Repr.) と,英語の著作名の語頭大文字化 (ドイツ語では名詞のみ大文字,フランス語やイタリア語では最初の語と固有名詞を除いて大文字化しない) の不備については無視しています.
  • p. 272: ‘Austin, J. L. (1962),’; ‘Cooper, R. [...] (1990),’; p. 274: ‘Gazdar, G. (1979),’; ‘Hamblin, C. L. (1973),’; p. 276: ‘Landman, F. (1992),’; ‘Lycan, W. G. (1984),’; p. 277: ‘Partee, B. (1973),’; p. 278: ‘Reichenbach, H. (1947),’; ‘Soames, S. (1990),’; p. 279: ‘Wittgenstein, L. (1953),’ ――  出版年のあとのコンマをピリオドに.
  • p. 272, Bach, E. (1986): ‘P. Weingartner, eds..
  • p. 272, Bach, E. (1989): ‘Albany, NY; SUNY Press’
  • p. 272, Block, N. (1998): ‘E. Craig, ed..
  • p. 272, Burge, T. (1979): ‘[...] the mental-
  • p. 273, Davidson, D. (1967b): ‘N. Rescher, ed..
  • p. 273: ‘Dietrich, W, (1955). [...] Eine Aspet- und Tempusstudie’ → ‘Aspekt-
  • p. 273: ‘Evans, G. and J. McDowell, eds, (1976). Truth and Meaning;
  • p. 273, Fauconnier, G. (1975): ‘In F, Guenthner’
  • p. 274, Gazdar, G. (1981): ‘A. EC Joshi’ → ‘A. K. Joshi’; ‘B. L. Webber, eds,.
  • p. 274, Groenendijk, J. and M. Stokhof (1982): ‘5,175–233’ ――  スペースの脱落.
  • p. 274, Hausser, R. (1980): ‘In R Kiefer and J. Searle, eds..’ → ‘In R. Kiefer [...]’
  • p. 275, Jacobs, J. (1983): ‘der Gradpartikel’ → ‘der Gradpartikeln
  • p. 275, Kadmon, N. (2001): 行末ピリオドの脱落.
  • p. 275: ‘Kadmon, N. and E Ladman’ → ‘Kadmon, N. and E. Landman’
  • p. 275, Karttunen, L. (2003): ‘Vol. HI’ → ‘Vol. III
  • p. 275: ‘Kratzery A.’ → ‘Kratzer, A.’
  • p. 276, Ludlow, P. (2000): ‘K. M. Jaszczolt, ed..
  • p. 276, Montague, R. (1970a): ‘Linguaggi nelia Sodeta e nella Tecnica: Edizioni di ComunitH. Milan: Edizioni di Comunita’ → ‘Linguaggi nella società e nella tecnica. Milano, Edizioni di Comunità’ (アッチェントの有無や大文字,言語による地名の違いは不問とする)
  • p. 277, Montague, R. (1973): ‘In K. J. J, Hintikka, J. M. E, Moravcsik, and P, Suppes, eds..
  • p. 278, Sadock, J. (1978): ‘[...] conversational implicature-
  • p. 278, Searle, J. R. (1965): ‘New York; Allen and Unwin’
  • p. 278, Searle, J. R. (1975b): ‘In F, Cole and J, L. Morgan, eds.’
  • p. 279, Stalnaker, R. (1974): ‘P. Unger, eds..
  • p. 279, von Stechow, A. (1991): ‘Berlin; Walter de Gruyter’
  • p. 279, Wittgenstein, L. (1953): ‘trans. G, E. M, Anscombe’

なお,あまりにも細かい (機械的な?) 事柄については記録を省きました.それはたとえば,
  • p. 20, l. ↑3: 「これも 図 3 でいうと」などの「図」のまえの余分なスペースで,p. 31, l. 8 や p. 38, ll. 7, 14 など冒頭に同様の箇所若干.
  • 逆に ‘p.13’ や ‘no.1’ のようにしばしば必要なスペースがない.
  • p. 6, 原注 1 や p. 195, 原注 13 のように,論文の出版年が (括弧が二重にならない環境で) 裸になっている箇所がある.
  • 変換ゆらぎ.同一ページ内かつ同じ生起環境で競合している例をあげると,p. 146, l. ↑8: 「S にあるモノすべてと H にあるものすべて」;p. 193: 「てらして」対「照らして」;p. 216, ll. 4–5: 「なにかを〔……〕その何かを」;p. 232: 「調った」対「ととのった」;p. 237: 「イヤな思い」対「いやな思い」など.
  • p. 93, 原注 1 の 2 度の “Paul’s” が典型的で,アポストロフィの形状を見ると右引用符型のアポストロフィ ’ といわゆるタイプライタ・アポストロフィ ' とが混在している箇所がある.
  • カギ括弧や丸括弧の閉じ括弧と句点との前後関係.カギ括弧について,たとえば p. 204 の最後の 1 組「『2 たす 2 は 4』は……ことになる.」と,同じページの残りの事例.
のようなことです.これらを逐一発見することも手作業の域を超え,また必要でもないと思われ,原稿ファイル上での一括置換が望ましいでしょう.

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