dimanche 5 juillet 2015

Tonnet『現代ギリシア語の歴史』第 4 章

Henri Tonnet, Histoire du grec moderne, L’Asiathèque, 2011³ をもとにまとめた résumé (という名の全訳に近い).語例は半数あまりを省略し,脚注も (本文理解の参考にはしたが) 訳出ではすべて割愛しているので,気になる向きは原書を求められたい.


第 4 章 十分に資料のない時代 (6 世紀から 11 世紀まで) La période mal documentée (du VIe au XIe siècle)


6 世紀から 11 世紀まで,話し言葉に関する資料は非常にまれで短く,この時代に起こった重要な変化を確実にたどることはできない.

ギリシア語口語に関する資料がこのようにほとんど消えてしまっている理由は以下のとおりである.厳密な意味でのギリシアにおいて,6–7 世紀のスラヴ人の侵入と異教徒の文化の終わり (紀元後 529 年のアテネ大学 l’Université d’Athènes の閉鎖) は,文化の水準を下げないではおかなかった.アラブ人によるエジプトの征服 (紀元後 642 年,アラブ人によるアレクサンドリア占領) とともに,ギリシア語を話す grécophone エジプトの有産階級は,国を捨てるか庶民階級にまぎれこんだようである.いずれにせよ,ギリシア語での資料の生産は終わる.

それにもかかわらず,この時期の終わりには,ビザンティン帝国はそれをギリシア語の話される hellénophone 領域にほとんど一意に限定している小アジアを失う (マンツィケルトの戦い [訳注],1071 年).フランク人との直接の接触はギリシア人に,学問の言語であるラテン語に加えて俗語をも叙事詩 épopée, 叙情詩 lyrisme, 物語 roman において用いる文化を知らしめる.12 世紀のはじめ,またおそらくもう少し早くには,ギリシアの詩人は彼らじしん,話し言葉に近い簡単な言葉で作品を書きはじめる.
[訳注] bataille de Mantzikert.  マラズギルトの戦いとも.


1. 語彙 Vocabulaire


俗ラテン語によるギリシア語の語彙の相当深い混交 contamination が認められる,とはいえこの現象はローマ人によるギリシアの占領から始まっていたのであるが.ギリシア語口語に影響を及ぼしたラテン語はまずは兵士たちのそれであった.ラテン語の影響の強まりはそれから,ローマ帝国の首都がビザンティウムへ移ったことで説明される.少なくとも 2 世紀のあいだ,王宮と行政機関ではラテン語が話された;10 世紀になってもなお王宮のラテン語の深い痕跡が,コンスタンティノス 7 世による『儀式の書 Livre des Cérémonies (Ἔκθεσις τῆς βασιλείου τάξεως)』に見られる.定住のラテン語人口や,ダルマチア,現在のルーマニア,ギリシアの放浪民も,ギリシア語の語彙に少し影響をした可能性がある.

若干の語例.οσπίτιν < hospitium「家」,πόρτα < porta「扉」,σκάλα < scala「はしご」,κάμπος < campus「平原,野原」,τίτλος < tit(u)lus「題名」,στράτα < strata (via)「通り,道」,βίγλα < vigilia「監視の持ち場」,σαγίττα < sagitta「矢」,τα άρματα < arma「武器,軍隊 armes」〔等々,まだまだ例が続くが,どう見てもギリシア語ふうではない雰囲気と,軍隊の関係の語が見てとれる〕.

スラヴ語の影響は地名 toponyme にとりわけ顕著である:Ζαγορά, Ζαγόρι「山の向こう」,Γρανίτσα「国境」,Γρεβενά「櫛」,Βοδενά「水」,Αράχοβα「梨 poirier」[訳注 1].しかし一般のギリシア語でも牧畜の語彙には見あたる:σανός「干し草」,στάνη「羊小屋」,τσέλιγκας「羊飼いのリーダー chef de bergers」,κοτέτσι「鶏小屋」,γουστερίτσα「トカゲ」,λόγγος「森」,βάλτος「湿地」[訳注 2].地方の方言の語彙にはよりスラヴらしさがあることがあるが,共通語にはほとんどない.κορίτσιν「若いお嬢さん」や αρκλίτσα「小箪笥」に見られる非常に生産的な接尾辞 -ίτσιν, -ίτσα はスラヴ起源に見えるが,接尾辞 -ίκι(ο)ν やラテン語のそれの口蓋化の可能性もある.
[訳注 1] ロシア語に対応する語句を探すと,順に,за горе, граница, гребень, вода であろう.Αράχοβα は調べがつかなかった.
[訳注 2] σανός はロシア語 сено に同根.στάνη はブルガリア語の стан「キャンプ」やルーマニア語 stână「羊小屋」に対応.τσέλιγκας はセルビア語・クロアチア語の челник/čelnik「リーダー」に対応するようである.κοτέτσι は Sr/Cr の котац/kotac「豚小家,汚い場所」に対応.γουστερίτσα は Sr/Cr やマケドニア語の гуштер/gušter に同根.λόγγος は調べがつかなかった.βάλτος はロシア語 болото などスラヴ語のすべてに同根語が残り,ルーマニア語 baltă, アルバニア語 baltë なども同じである.


2. 形態論 Morphologie


2.1 実詞 Le substantif

ラテン語の単語の同化,音声学的変化,および類推は,第 1 曲用の単純化をひきおこした.

ἡ θάλασσα, τῆς θαλάσσης のような第 1 変化の若干の実詞の属格における語末の音の変化は,語尾の [a] と [is] がきちんと区別して発音されていたので任意のようであった.最初にラテン語の借用語 emprunt の語尾で規則化がなされた:η πόρτα, της πόρτας.  それからギリシア語にも敷衍された:η ήττα, της ήττας.  こうした規則化は,音の交替を伴わない純粋な α の名詞 ἡ μοῖρα, τῆς μοίρας の曲用によって促進された.

第 3 曲用と第 1 との混同は,今日のような混合曲用をもたらすまで互いに続けられた.まだ遠慮がちの規則化が 2 世紀ないし 6 世紀にすでに見られた:την Καρανίδαν, τους θέλοντες.  9 世紀には,ο χειμώνας や οι Πέρσες のような形が,第 3 と第 1 曲用の完全な作りなおしを証している.それ以来,話し言葉ではこの型の曲用が使用された:ο χειμώνας, τον χειμώναν, του χειμώνα, οι χειμώνες, τους χειμώνες.  しかし書かれた資料にこのような規則性が見られることはまったくない.

すべての中性の直格 cas direct [訳注] において -ν は一般化し,-ιν の中性も増える.
[訳注] 直格とは主格・呼格のことで,斜格 cas oblique に対立する語である.


2.2 動詞 Le verbe

時量的加音 augment temporel の用法において,音声学的変化に関係する不規則性が確認される.διοικῶ [diykó], 未完了 διῴκουν [dikun], の活用は,過去時制の語幹に [y] がなく,話し手にとってもはや自明とは思われなかった.そこで未完了は接頭辞のまえに音節的加音 augment syllabique を置いて規則化された:ἐδιοίκουν.

古代ギリシア語において母音のまえで母音衝突 hiatus を避けて発音を容易にした,母音で終わる vocalique 動詞形の語末の -ν は,過去時制の 3 人称単数のほとんどすべてで一般化された:έφαγεν, έβαλεν, εφόρειν.

古代の接続法の語尾は消失する.それらは直説法のそれ (-o, -is, -i, -omen, -ete, -ousi) に置きかえられる.

古代の接続法が古代の直説法から区別されていた形態的差異という方法―― テーマ母音 voyelle thématique の延長 allongement,λύωμεν, λύητε ≠ λύομεν, λύετε―― は,キリスト時代のころに母音の長短 quantité vocalique が消滅していらい機能しなくなった.若干の人称では存在しつづけた [i] ≠ [e] の音の対立は,ついにはいたるところでなくなった.しかしこのことは意味としての接続法の消失には対応しない,というのも時代の経過につれて,その時点を正確に特定することは不可能であるが,目的を表す final 古代の接続詞 ἵνα は単音節の前接辞 να になった;この形態素は,主節 principale および従属節 subordonnée において,新たな接続法の形成に使われ,それは不定詞と古代の未来にとってかわった;この後者は接続法と区別されず,継続 continu と synoptique [訳注] の 2 つの相 aspect で現れる.
[訳注] 訳語不明.語義としては「概観的な,要約の」という意味であることと,継続相との対として書かれていることを踏まえれば,完結相に似た意味だろうか.


3. 構文論 Syntaxe


与格は 10 世紀ころに使われなくなった,とはいえそれ以後も純粋な書き言葉には多く例が見られるが.与格とともに用いる動詞は,今日では対格または属格をとっている.ἐν + 与格の形式は εἰς + 対格に置きかえられる.

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