いまや彼女は彼〔=主/キリストの声?〕を聞くことができる。彼の knirkende からの声が彼女を støvler し戻す? ここは文型というかどの単語がどうかかっているのかよくわからない。どのように彼が彼女に対し (中に?) lister sig stille するのか、ほとんど blu しきって (?)、前回も出てきた næsten を「ほとんど」ととってあるが定かでない、若い bejler のように genert で、彼女は聞く、どのようにして彼がその重い gispende な åndedræt をこらえようと試みるのかを。少し思いきって語義を想像してみた、そうでもなければなにもわからないまま上滑りしてしまうので。まず「こらえる」ととったのは undertrykke で、類似の単語としてデンマーク語 indtryk, udtryk がドイツ語 Eindruck, Ausdruck を介して (英語の impression, expression に対応する) フランス語からの翻訳借用であることを知っていたので、独 druck/drücken が丁 tryk(ke) になるであろうと考える。そうするとこの動詞は unterdrücken「抑える、こらえる」に違いない。ではその at-不定詞を目的にとる定動詞 forsøger は、こらえようとどうするのか、たぶん独 versuchen「試みる」ではないかと仮定しておくが、こちらはちょっと自信がない。だが今後もきっと同じ動詞が出てくるだろうからとりあえず気にしすぎないことにしよう。ところでいま最後に出た åndedræt という名詞はまえにも出たもので、そのときは tvunget の目的語であった。この動詞はまだ判明していないのだが、今回キリスト (?) が耐えようとしているのが重いまたは困難な gispende åndedræt なのだというから、試練とか苦痛とかそういった言葉だろうか。次の助動詞 kan の主語は彼女か彼かよくわからないが、自分のために/まえで genkendende hen して微笑むことをしないではほとんどいられない。lade være med at といういかにもイディオムらしいものはこのままでは永久にわからないだろうと判断したので辞書を引いた。今回の段落は短くて、次のイタリックの祈りで終わりである:「私たちは汝に乞う、私たち〔の声〕を聞きたまえ、主よ!」 bede はたぶん独 bitten「乞う」だと思う、しかし定動詞の現在形なら -r がつくはずなのでなにかがおかしい。
そのように/そのとき彼女は感じる、彼がただ 2, 3 歩ばかり彼女の後ろに stoppet op したことを。ここで mærke「感じる、気づく」は前回首尾よく割りだしたものである。そして彼女は forestiller sig する、彼が立っていて彼女を見つめている (?) ことを、彼らがともにいた最初のときのように。ser ... an という分離動詞というか句動詞っぽいものはいつも苦手だ、その副詞的前置詞の部分がどういうニュアンスなのかつかむのが大変である。ただ「見ている」だけではないようなので暫定的に勝手に言葉を足しておく。その次の overvejer という動詞はまったく見当がつかない。vej は英 way, 独 Weg「道」のことだが vejer とはなんだろう、「道」を over するなら行きすぎるとか逸脱するとかだろうか? その目的語は彼が何を ramme するだろうかということを overvejer する。違いそうだ。ramme という動詞もどこかで見た、そう、海の水が崖を rammer するのであった。削る? 打ちつける? それと何が (どんな、どれくらい?) hårdt かを。デンマーク語 å がドイツ語のどの母音に対応するかもそろそろ見極められたら推定もしやすくなるのだが。というのは彼女は彼が彼女を dræbe したいということを、しかし彼は彼女を fortræd にしたくはないということを知っていたから。それから føles というおそらく s-受動態の動詞がわからないが、慰めのある føles である、彼に så tæt på させることは。trøstende というおそらく現在分詞は独 trösten「慰める、元気づける、希望を与える」に違いない。いまや何を彼女の生が være slut しようとしてるか (を?)。このあたりは文のつながりがわからず前後の句とどう関係しているのか支離滅裂。それは彼女を tryg にし、また彼女に slappe af させる。そして彼女は brystet に向かって下に hagen を曲げ〔=かがみこみ?〕、深く天気を trækker する。最後は絶対に間違っているなあ。原文は trækker vejret dybt で、dybt は「深く」という副詞のはずだし、vejr は「天気」という意味しか知らない。あんまり暗中模索を続けるのも気分がよくないので vejr を辞書で引いてみると「息」という語義もあった。trække vejret で「呼吸する」も載っていた。深呼吸か。また祈り、「神の子よ、私たちは汝に乞う、私たちを聞け!」 かなり信心深い、もしくはそういう境遇に陥っている女性のようだ。あまり進まなかったが時間なので今日はここまで。
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