mercredi 9 octobre 2019

デンマーク語素読――永遠のフィヨルドの預言者たち (4)

本日からいよいよこの小説の本編に入っていく。扉に書かれているのは第 1 部、校長の息子……だろうか? skole は学校に違いないが holder(ens) が心もとない。たぶん英語と同じで保有者ということだと思うが……。とにかくそういう人物が出てくるかどうか少し待ってみよう。

第 1 章、コペンハーゲン、1782–1787 年。なかなかなじみのない時代である。アンデルセンは 1805 年、キルケゴールは 1813 年生まれだから、彼らの父が生まれたくらい、ということは祖父が青年だったほどの時代だ。理解できるかどうか自信がなくなってくると同時に、興味も惹かれる。

雲に覆われた、smule klamt な天気である。「雲に覆われた」は overskyet、これは sky が「雲」なのでたぶん正しいと思う。ノルド語の「雲」が英語に入ってしだいに「空」を意味するようになった話は英語史の豆知識として知っていた。前回までのプロローグもそうだったが、どうしてか地の文の動詞はもっぱら現在形で続いていく。訳文として少し据わりが悪いので過去形にするべきかとも思ったが、まともに訳せていないうちから考える問題ではないのでとにかく書いてあるとおりに移そう。モーテン・ペデルセンが 1782 年 6 月 1 日にコペンハーゲンに到着するときは。順番が前後したがこの da 節のときに先述の天気だったということ。「到着する」ankommer は明らかに独 ankommen なのでわかる。いま言った日付は、彼の 26 歳の誕生日の 10 日後である。ということは彼は 1756 年 5 月 22 日生まれということになるか。彼は座って、chaluppen を vipper し、森の上に戻って kigger する、rheden の上に外への master によって。戻って kigger のところは「振りかえる、顧みる」とかだろうか? rheden は間違いなく借用語だ、rh- なんてつづりがあるわけがない、でもなんなのかわからないのが歯がゆい。時刻は朝の 6 時半。たまさかこういう完璧にわかる文があると本当にうれしい。halv syv (文字どおりには「7 時の半分」) はドイツ語 halb sieben と同じで「6 時半」なのだ。彼は夜じゅう目覚めていた (?)、クリスチャニアからの paketbåden によって dækket の上を行きつ戻りつし、いらいらして、søfolkene の前で ulempe でありながら。søfolkene は sø「湖、海」の folk「人々」に見えるから、「船員」? 残りはちょっと推測がつかない。彼がトルボーデン (Toldboden) の前で kajen の上で跳ねるとき、彼の tøj はエーレスン (Øresund) の prop のように座っている tågen からの fugt によって gennemtrukket されている。うーん……。最後の過去分詞 gennemtrukket はノーヒントではない、gennem は英 through だし、trukket の原形はプロローグでも何度となく見た trække「引く」だ。しかしこの動詞じたい多義的なのでぴったりした訳語を見つけるのは困難。彼は少し forkølet に自分を føler する、そして道の上に hoste があることを知る、しかしそれはさほど遅い時間に (?) とらない。彼はよい konstitution をもっている、この名詞は明らかに独 Konstitution, 英 constitution と同じだが意味は定かでない。まさか「憲法」ではありえないし、「構造、組成」も変だ、独にも英にも「体質、素質」という意味があるからそれだろうか。兄弟姉妹の flokken のなかの udskillelsesprocessen が彼をして overlever のように自分自身を betragte させた。また高度の運命論とともに彼を udstyret した。ちょっと惜しいので最後の udstyre は辞書でカンニングしてしまうと、英 equip ということなので「彼に運命論を備えつけた、もたせた」ということか。旅は 3 日間かかった。これは多少の undervejs を blæst したが、彼は船酔いにはならなかった。søsyg は文字どおり「海の病気」なのでとりあえず船酔いと考えた、たかだか 3 日の話だしまさか壊血病のような本格的な船乗りの病気ではないだろう。彼は føler する、彼はそのはじめての船旅で男たちのように klaret したかと、また mandskabet から anerkendelse のあれやこれやの形を forventet したか、それとも最小のもののなかで〔少なくとも?〕afsked への håndtryk と若干の語を。相も変わらずわからない単語が多すぎて構文もとれない。彼は想像した、彼らは bollemælk のために stikker op しない stoute なノルウェーの knøs についての注意/言及を hvisket したのかと。となると hviske は「無視する」とかかなあ、と思って答えあわせのつもりで辞書を見たら英 whisper「ささやく」だった、まったく想像はあてにならない。だが彼らは一言もなく土地で彼の kiste だけを lemper し、彼を自分自身へ overlader するほかの多数の chalupper が彼の後ろで bolværket に向かって bumper する。chalup(per) は 2 度めの登場だ、これもどう見てもデンマーク語ではないので考えればわかるのかもしれないが。Skikkleser が kajen の上で跳ね、朝の灰色の光のなかで syne へと来て、それらの sække と kister とともに sted によって slæber する。kajen の上で跳ねることはさっき「彼」もやっていたことだ。そういえばプロローグでは最後まで「彼」も「彼女」も正体不明だったが、ここの「彼」は 26 歳の青年モーテン・ペデルセン氏とわかっているのだった。今日はあまり時間がとれなかった、一段落が終わったのでいったん切っておこうか。

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