mardi 8 octobre 2019

デンマーク語素読――永遠のフィヨルドの預言者たち (3)

段落が変わって、luft は穏やかである。風だろうか、それとも波? opadstigende な乱流は muslinger と tang とから dufter する。turbulenser は英語とほぼ同じだから「乱流、大荒れ」で間違いない。難しい言葉ほど借用が多いので、デンマーク語をなにも知らないのにやたら高度な言葉ばかりちゃんと訳せるという事態が生じる。opadstigende はどうだろう、形態素に切ると op-ad-stig-ende と思われ、接頭辞が 2 つと現在分詞語尾がついているが語幹 stig- は独 steigen「登る、上がる」ではないか。op- も上がる感じだし、全体的に上向きの雰囲気がある。それから tidevandslinjen のなか (上?) は blotlagt である。tide-vands-linje(n) と分ければ「時間・水の・線」? 「時間」を意味する tid は英 tide「潮」と同源だったはずなので、それと関係がありそうだが……。その fjerne のなかで mågerne が skriger している。mågerne は複数既知形で、単数は måge だろうか。わからない単語が多すぎて話がまったく見えてこない。Uvilkårligt に彼女は目を開ける。u- は否定の接頭辞で -lig-t は副詞だから、非 vilkårlig に、というのが目を開ける動作の様態を示しているのだろうが、さすがに候補が多すぎる。彼女は今でさえも lade være することができない、このイディオムもいまいちわかっていない。逐語的に訳せば「〜であることをさせる、であらしめる」? それがどうして英 with, 独 mit にあたる med をつけて lade være med になると「させない、やめる」になるというのか (前回)、これがすでに私の勘違いだったのか? どうも泥沼にはまっている。無視。彼女の sind が地上の生のつまらぬ事々の上にあえて hævet され、天的なものへと stemt されるところの、あらゆるもののうちの最後の udkant に。かなりわかったように見えるが肝心なところの動詞がさっぱりである。雰囲気からすると sind は魂とか霊とか? 「つまらぬ事々」ととったのは trivialiteter、つまり独 Trivialitäten である。英語だと trivialities... なんて単語はないか。「天的な」himmelske も独 himmlisch とすぐにわかる。彼女は larmende な måge(r) たちが何を har for しているか見る必要がある。har じたいは英 have で簡単なのだがやはり句動詞は厄介でどうにもならない。そして彼女は北 (から? へ?) の道の上に skibet を、〔すなわち?〕fyldte sejl をもった tomaster を見る。skib は ship「船」、sejl は sail「帆」っぽく見える。fyldte は独 füllen, 英 fill「満たす」にあたる動詞の過去分詞っぽく、この 2 語で「満帆」かもしれない。そうすると vej が「道」というのはべつに陸路にこだわる必要はないので航路だろうか。おそらく前の語句を修飾する分詞節、mågevinger のように白くまばゆく。まばゆくというのは blændende で、すでに mærke の件で独 e : 丁 æ とわかっているのでこれは独 blenden の現在分詞。måge はさっきから何度も出てきている。ving が英 wing だったら鳥の種類らしく思えるが、「翼」は独では Flügel だし、これまでも見てきたように基本的な語は英よりは独に近いのでたぶん違うと思う。そして masterne のまわりを driver する skrigende な måger によって sværmen。また måger、それに skrige という動詞もやはり最初に mågerne が出てきたときにそれらがしていた動作だ。同じ組みあわせが再登場したところでヒントにはならない。いいや、彼女はいまだに自分の skaber を møde するのに parat でない、昼と同じようにではなく。次に for sent が 3 度繰りかえされるのでカンニングして調べてしまった、sent は「遅い」らしい。だが彼女は知っていた、fortryde するにはあまりに遅い、彼女自身にとってあまりに遅い、彼女の後ろに立っている彼にとってあまりに遅いということをすべては rette するよう整えられ置かれている。次の、この段落最後の文は faldet 以外完全な自信をもって訳せる:落下はすでに始まっていた、それは何年もまえに始まったのだ。プロローグのタイトルでもある fald(et) は第 1 回の途中で「落下」と改めていた。どうも海のそばの断崖の上に彼女はいるようなので火サス的な場面を思いうかべているが、投身自殺なら「何年も」というのは妙だし、もしかするともっと抽象的な話で「凋落、没落」とかそういったことかもしれない。

彼女はほかの〔もうひとつの? 他人の?〕静かな vejrtrækning を聞く。trækning というのは trække の名詞形だろう。あっ、わからないと思ったが違う、これは前回出た trækker vejret「呼吸する」の名詞か。では「もうひとりの静かな呼吸」か。「静かな」rolig は独 ruhig と似ていそうで似ていないが少し似ているので覚えていた。で、その vejrtrækning の直後にコンマもなく at-節が続いているかかりかたがよくわからないが、その中身を見ると彼は目をその船に得る〔=一瞥する?〕ことができなかった、と。なんだか違う気がするがしかたがない。彼は彼がしなければならないことによって optaget には老いている。待て待て、どうも前回から、「彼」とは「彼女」が祈りを捧げている相手の主/キリストであって、「彼女」がなにか宗教的幻想を見ている話だと思いこんでいたが、この呼吸もしている「彼」は現実にいる登場人物なのか? そうなると前回の読みもかなり修正を要することになりそうだ。彼は彼女と同じように不安なのだろうか? 彼はそれ (形式主語かも?) が ske しないことを望みたがっているのか? 疑問文が続く。もし彼女が彼に skibet を見させることができたら、と彼女は思う、すべてのことはひょっとして別様になりうるであろうか。skib は「船」だと仮定してきたが、船を見るだけですべてが変わるというのはよくわからないので間違いだったかも。そして彼らはこの morderiske stævnemøde を udsætte できる〔だろうかと〕。morderiske はちゃんと考えればわかりそうな気配のする字面だ。もしかして独 mörderisch, 英 murderous「殺人的な」? でも独 ö は丁 ø のはずだし……。

そのとき彼女は彼の手が halsen の上に〔あることに〕気づく。halsen は肩か背中か、ともかく身体の部位だろう。また彼女は lav klynken とともに farer する。動詞 fare はいくぶん独 fahren「(乗り物で) 行く、走る」っぽくはあるがこの文脈で現れるようには思えない。しかしそれは彼女が ude efter である裸の/むきだしの十字架である。ude は英 out、efter は after だが意味はわからない。素早い/迅速な tag とともに彼は彼女の頭の上に remmen を løfter op する。「素早い」hurtig(t) は独と同じつづりなので明らか。tag は独 Tag「日」ではない、後者は丁 dag なので。remmen (未知形は remme? rem?) はなんであろうか、とにかくそれを頭に載せたかなにかしたようだ。そしてそれを握っていた (?) 彼女の手から金の十字架をひっぱる〔奪う?〕。knuge(t) は初回の末尾で「握る」と想定したがたぶん正しい気がしてきた。裸の十字架を tag、と彼女は思う、私はこれほど長く brug for したことがなかった、と。brug はたしか「使用」という名詞だったと思うが for がつくのはなんだろう。それに多くの gavn をそれは私になさなかった

彼女は頭を少し片側に drejer する、彼からの glimt を得るために。drejer は文脈から「傾ける」でほぼ確定ではないか、しかし glimt のほうは見当がつかない。そのあと現在分詞節、それが hanglingen をただ fremskynder するだけで、それをなおさらいっそう uafvendelig にする、ということが彼女の dumt だとよく知りながら。わかりそうでわからない単語が続く。hangling(en) は英 hang, 独 hängen の名詞なのだろうか。u-af-vende-lig は独 abwenden「逸らす、背ける」の形容詞の否定? もしそうなら「不可避的」くらいだろうか。そして彼女は闇がその肩を skygge しかえすのを見たので、ともに farer し、大声で言う:「主イエス・キリストよ、私たちに憐れみをかけたまえ!」と。もう barmhjertighed は「憐れみ、慈悲」でいいだろう。「肩」skulder(en) は英 shoulder に酷似するのでわかった。そうして彼女は背中に støvle を得、彼女の頭は hårdt に svirper bagud し、そうそう背中は ryg(gen) だ、リュックサックでおなじみ独 Rücken「背中」なので間違いない、では前出の身体部位らしき halse(n) は肩でも背中でもなくなるがいったい……? 次のコンマで挟まれた 2 語 kroppen fremover はまったく不明、そして彼女は kanten の上に tumler ud し、現在分詞がいくつも og (英 and) で結ばれて続く、flagrende に hvirvlende に baksende に落ちる。そして lodret な skrig を引く、彼女の後ろの kulstift から streg な ujævn のように。efter は英 after のようにさまざまの意味があるから「後ろの」ではないかも。火サス的イメージを引きつぎつつここまでを思いきり想像力豊かに読みなおしてみると、「彼」は鈍器かなにかを高速で「彼女」の頭に殴りつけ、「彼女」は助かろうと祈ったり十字架にすがったりしつつも、背中を押されたか刺されたかして崖から転落していく――、という場面に思えてくる。これはミステリ小説だったのだろうか?

ここで場面転換を表すであろう † の記号が段落間に挟まっている。その次の段落。彼は一歩を取り〔=離れ?〕、forsigtigt に støvlen を置く、bløde で eftergivelige な mos の上に。sætter はたぶん英 sit/set, 独 sitzen/setzen, 日「すわる/すえる」のペアの他動詞のほうでないかと思うので「置く」とした。efter-give-lige の give(r) は英 give なので、after-give-ly となるがそれはなんだろう。それから kanten の上に自分を læner ud し、kroppen に目をやる。kant(en) も krop(pen) も何度も見た覚えのある名詞なのにいっこう見当がつかない。その動作は ansigtet nedad をもって brændingen のなかに/を進んだり戻ったりと、fred に満ちて vuggende しながらである。この段落の、そしてプロローグ全体の最後の文、彼は huen を取り去り、mod な brystet を握り、そしてつぶやく:「私たちの主イエス・キリストが、私たちすべてを evindelig に nåde være するように、アーメン」。mumler は知らない単語だが英 mumble に似ているし流れからしても「つぶやく、ぶつぶつ言う」という感じでたぶん正しかろう。bryst(et) もここまで頻出なのに正体不明なのは遺憾だ。

ともかくもこれでやっとかプロローグが完全に終わったわけである。私はデンマークのオンライン書店 saxo で買った電子書籍で読んでおり、ページ数は電子書籍リーダの文字サイズ設定しだいで変わるのでわからないが、たぶん紙の本で 2 ページかぎりぎり 3 ページに入るくらいにすぎない。それだけでまる 3 日かかってしまったのは不甲斐ないばかりで、はたしてこの調子で続けてわかるようになるのか、そもそも続けられるのか自信がなくなっている。せめて現状の倍くらいは読める単語がないと推測もはかどらないのだが……。それでも kors「十字架」、knuge「握る」、mørke「感じる、気づく」のようにいくつか語義の決定に成功した単語のあるのも事実だ。このことに慰めを得てとにかく進んでみるしかない。

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