北欧神話における「九つの世界」という表現は通例、神々の住まう天上のアースガルズから人間の住む中央のミズガルズ、そして地底のヘルに至るまで、神話の世界全体、全宇宙を指す表現として、数あるゲームやライトノベルなどを通して一般に認められている。しかし神話の原典であるエッダをよくよく読んでみると、じつはそんなふうにはほとんど使われていないようなのである。そうだとすればわれわれはこれまで大いなる勘違いをしてきたことになるし、いまも世間にその誤解が繰りかえされているのは由々しき事態である。本稿ではまずそうした現状を確認したうえで、それがいかに不安定な基盤の上に立っているかを説明してみたい。
本題に入るまえにひとつ前置きをしておきたい。本稿の内容は Wikipedia の「九つの世界」の記事とかなりの程度重複するけれども、それはその項目の現在の版 (2021 年 12 月 6 日以降の全面改稿版) を書いたのがほかならぬ私じしんだからである。しかし無論のこと Wikipedia は独自研究を発表する場ではないし、そこにはあまり自由すぎる説明や私個人の雑感も書きこむわけにゆかない。別途にこのブログエントリを設けるゆえんである。そういう事情なので、本稿の内容はその記事に強く依拠しているように見えるだろうが、まさか私が Wikipedia で読みかじっただけというふうに思われるとすればそれは話が逆で、執筆した当人なのだから内容が重なるのは当然のことだし、ましてや剽窃でもない。
世間的な理解
一般的に「九つの世界」という言いまわしが北欧神話の全宇宙を指す総称として理解されているという現状の確認から始めよう。北欧神話の第一の資料といえば『詩のエッダ (古エッダ)』と『散文のエッダ (新エッダ、スノッリのエッダ)』であるが、わが国には谷口幸男訳『エッダ—古代北欧歌謡集』(新潮社、1973 年) という重要な訳業があり、これは『詩のエッダ』の全体と『散文のエッダ』のうちもっとも重要な第 1 部「ギュルヴィたぶらかし」の全訳を収めた唯一のもので、いやしくも北欧神話を学ぼうという者がこの本を通らないということはありえない。それほど基本的な図書であるが、その本のなかのエッダ詩「巫女の予言」2 節に見られる「九つの世界」という表現に付した訳注 7 で、その内訳を谷口は次のように解説している:
(七)九つの世界——1アース神の国、アースガルズ 2ニョルズとその一族の国、ヴァナヘイム 3フレイ神により支配される妖精の国、アールヴヘイム 4火の巨人スルトの支配する火の世界、ムスペル 5人間界、ミズガルズ 6巨人族の国、ヨーツンヘイム 7死者の国、ニヴルヘル 8暗黒の妖精または小人の国、スヴァルタールヴァヘイム 9極北の世界。(16 頁)
また山室静による北欧神話の再話とも概説ともつかない折衷的な入門書『北欧の神話』(ちくま学芸文庫、2017 年〔底本は筑摩書房《世界の神話》シリーズ、1982 年刊〕) は、やはり「巫女の予言」の当該部分に触れて「北欧人は、世界は九つあると考えていたようです」と述べたあと、その世界というのは「ほぼ次の九つだと思われます」として次のとおり列挙している (32–33 頁):一、アスガルド。二、ヴァナヘイム。三、アルフヘイム。四、小人の国、とくにスヴァルトアルフヘイム。五、ミッドガルド。六、ヨツンヘイム。七、ムスペルヘイム。八、ヘルあるいはニブルヘル。九、極北の世界ニブルヘイム。谷口前掲書とは一部順番やカナ表記などに違いがあるが、ほぼ同じものを考えていることが見てとれる。
高名な神話学者の吉田敦彦がジョルジュ・デュメジル『ゲルマン人の神々』(松村一男訳、TBS ブリタニカ、1980 年) の巻頭に寄せた解説中で、「わが国におけるゲルマン神話研究の最高権威者と目されている、山室静氏と谷口幸男氏との両名の碩学者たち」(10 頁) と評しているように、この 2 人は旧世代の日本の北欧神話研究を牽引してきた双璧ともいえ、一般読者への神話・文学の紹介にも骨を折ってきた偉人たちである。彼らが現在に至るまで日本人の北欧文学理解に及ぼしてきた影響は深甚であり計り知れない。
では「九つの世界」をこのように理解しているのは彼らが原因であって日本人だけの話なのかというと、どうもそうではないようである。ニール・ゲイマンによる最新の再話『物語 北欧神話 (上)』(金原瑞人・野沢佳織訳、原書房、2019 年) では、ユグドラシルの接する「九つの世界とは、次のとおり」として、アースガルズ、アールヴヘイム、スヴァルトアールヴヘイム (別名ニザヴェッリル)、ミズガルズ、ヨトゥンヘイム、ヴァナヘイム、ニヴルヘイム、ムスペッル、ヘルという順に説明している (36 頁)。またトム・バーケット『図説 北欧神話大全』(井上廣美訳、原書房、2019 年) にも次のように書かれている:
創造の中心にミッドガルドがある。ミッドガルドは、しずくを垂らすユグドラジルの大枝の下にある人間たちが住む世界だ。しかし、ミッドガルドだけが唯一の世界ではない。全部で9つの世界があると言われている。それらには、神々、巨人、エルフ、ドヴェルグ、生きている者、そして死者が住む。(28 頁)
そのものずばり「9つの世界」と題された章の冒頭であるが、ここに挙げられている住人たちのリストと、続く描写 (とくに 30 頁にある図) を見ていけば、バーケットもやはりゲイマンのリストと同じものを指してそう呼んでいることは明らかである。これらの原著はそれぞれ 2017 年と 2018 年に刊行されたもので、たしかについ最近の英語圏でも同様の理解が普及していることがわかる。
原典における用例
ところがエッダの原文にあたってみると、このように天上・地上・地下からなる全宇宙を指して「九つの世界」と言っている実例はほとんど存在しないのである。エッダにおける「九つの世界」(níu heimar) の用例は『詩のエッダ』の「巫女の予言」と「ヴァフスルーズニルの歌」にそれぞれ 1 例、また『散文のエッダ』に 1 例が観察されるが、それらを次に掲げてみよう:
níu man ek heima, / níu íviðjur, / mjǫtvið mæran / fyr mold neðan.
九つの世界、九つの根を地の下に張りめぐらした名高い、かの世界樹を、わたしはおぼえている。(「巫女の予言」2 節 5–8 行、谷口訳)
níu kom ek heima / fyr Niflhel neðan; / hinig deyja ór helju halir.
人間が死に冥府からくだる/ニヴルヘルの下にある世界の/九つを私はおとずれた。(「ヴァフスルーズニルの歌」43 節 6–8 行、菅原訳)
Hel kastaði hann í Niflheim ok gaf henni vald yfir níu heimum at hon skipti ǫllum vistum með þeim er til hennar váru sendir, en þat eru sóttdauðir menn ok ellidauðir.
オーディンはヘルをニヴルヘイムに投げ込み、九つの世界を支配する力を彼女に与えて、彼女のところに送られるすべての者たちに住居を割り当てることができるようにした。それは、病気で死んだ者と寿命がつきて死んだ者たちだ。(「ギュルヴィたぶらかし」34 章、谷口訳)
このうち後 2 者は明らかに、全世界ではなく地下にある冥界だけを指して「九つの世界」と表現している。まず最後のものから見てみよう。ここではオーディン——原文は名前でなく「彼」で、その前文ではアルフォズルという称号で呼ばれているのだが——によってヘルに「九つの世界を支配する力」が与えられたというが、言うまでもなくアースガルズやミズガルズなどを彼女に支配させるはずがない。ヘル女神が支配しているのはむろん死者の世界だけであって、現にその支配権が賦与された目的は病気や老衰で「死んだ者たち」を管理できるようにするためだと語られているとおりである。したがってここでは死者の世界が九つあると言われているのである。
2 番めのものも「ニヴルヘルの下にある世界」と読んでのとおり単純明快で疑問の余地はない、と言いたいところだが、エッダを読んだことのあるかたには違和感を生じるかもしれないので補足しておく。この「ヴァフスルーズニルの歌」の当該箇所は菅原邦城による訳 (『北欧神話』東京書籍、1984 年、42 頁) を引いたものだけれども、谷口訳では次のように訳されており、こちらは全世界を意味しているように読める:
それは、わしがあらゆる世界をへめぐって歩いたからだ。わしは九つの世界をめぐり、人が死んでくだるニヴルヘルまで降りたものだ。
じっさい私も以前はこの訳文で理解していたので、この「九つの世界」は当然全世界のことだと思いこんでいた。しかしここは谷口の訳文に語弊があり、さきに確認した「ギュルヴィたぶらかし」の記述と考えあわせると菅原訳のほうが適切と思われるのである。英訳をいくつか参照してみても、Terry 訳 (²1990) が ‘nine worlds under Niflhel’、Orchard 訳 (2011) と Dodds 訳 (2014) が ‘nine worlds below Niflhel’、Crawford 訳 (2015) が ‘nine realms beneath Hel’ となっており、揃ってヘル・ニヴルヘルより下に九つを想定している。エッダ詩集の詳しい校訂版・注解書を公刊したアーシュラ・ドロンケは ‘the nine worlds down to (? below) Niflhel’ とし、地下内部の位置関係に関して九つの冥界のうちの最下層をニヴルヘルとみなすほうがもっともらしいと考えているが、結局「九つ」をすべて死者の領域 (realms of the dead) とする点では軌を一にしている (Dronke 1997, The Poetic Edda. Volume II: Mythological Poems, p. 109)。
このようにして意外にも、「九つの世界」の用例 3 つのうち 2 つまでが地下世界を指しているとすれば、アースガルズをはじめとした天上および地上の世界を含めた全宇宙の総称であると解する根拠はきわめて薄弱と言わねばならない。いやそれどころか、唯一の根拠たりうる最初の 1 例についてもじつは残り 2 例と同様に、地下世界を意味する文脈にあるとも読めるのである。問題の「巫女の予言」2 節について、ヘルマン・パウルソンは次のように書いている:
「土のなかに」という言い回しは、従来より解されてきたように、「名高い測り樹〔=世界樹〕」ではなくむしろ「九つの世界」を形容していることは、ほとんど疑いがない。(『オージンのいる風景』東海大学出版会、1995 年、129 頁。〔〕内は引用者)
彼はこれに続けて残り 2 例の「ヴァフスルーズニルの歌」と「ギュルヴィたぶらかし」における表現も引いているが、さらに「グローッティの歌」やいくつものサガに見られる女予言者たち、当時のラップ人の呪術者たちの描写から推して、当の「巫女の予言」の詩人として想定される巫女の姿を復元しこのように述べているようである。本書は来日講演がもとになって日本オリジナルで刊行されたものであるが、この翌年に公刊された英語版の校訂・注解においてヘルマンは、この「巫女の予言」2 節後半は 5 行めと 8 行めが „Níu man ek heima fyr mold neðan“「地の下にある九つの世界を私は知っている」とつながるのだと断言し、中間の 6–7 行 „níu íviðiur, miǫtvið mæran“ はダッシュに括り入れて読ませている (Hermann P. 1996, Vǫluspá: The Sibyl’s Prophecy, pp. 47, 59)。
一方さきにも引いたドロンケはそこまでの確信は表明しておらず、この fyr mold neðan「地の下に」は第一義的には世界樹の根のことを述べているのだとするが、より一般的にすべての地下世界のことも含んで nío heima ... fyr mold neðan と連絡する可能性は彼女も認めている (Dronke, p. 110)。英訳書のなかでは Terry もこの箇所に ‘nine worlds under the earth’ を採用している。
おわりに
以上が正しいとすれば、両エッダにおいて「九つの世界」という語句はつねに地下世界の拡大図として使われており、全世界を指す用例はひとつもないことになる。いや、解釈の難しい「巫女の予言」だけは全世界を意味するのだとみなしたとしても、それでも 3 分の 1 にすぎない。神界や人間界を含む使いかたが本来的であったと考えうる理由は不足しているというべきだろう。
そもそも両エッダに限定せず古ノルド語の資料すべてを通覧しても、そのなかに「九つの世界」の名前を具体的にリストアップした箇所は存在せず、それゆえにいずれの世界が含まれるのか不明確で論者により世界のリストが異なってくるわけだが、そんな曖昧さが生じているのはなぜなのかと考えてみたとき、事実そのような意味で「九つの世界」と言われたことがなかったのだとすればそのことはすんなりと納得されよう。アースガルズやヴァナヘイムなどが入るかどうか、「九つの世界」とはいったいどれどれかと現代人が考えているのは、中世の北欧人からすれば見当はずれで噴飯ものの議論なのかもしれない。
とはいえそうだとすれば残る謎は、現在のような「九つの世界」の解釈はいつどのようにして生じたのかという問題である。このことを跡づける作業は容易ではなさそうだが、おそらくはアースガルズ、ヴァナヘイム、アールヴヘイム、……と名前のついた重要な世界を数えていった結果がたまたま 9 つ前後になっていることが、「巫女の予言」の解釈の食い違いや「ヴァフスルーズニルの歌」の誤訳と結びついてしまったのでないかと想像される。
冥界の集合を表す「九つの世界」にとってもうひとつ不幸だったのは、そこにはダンテが『神曲』で描いた地獄のように 9 層のひとつひとつに綿密な描写があり名前がついていたわけではなく、ニヴルヘルひとつを除いては名もなく内実もいっさいわからなかったことである。九の冥界に名前だけでも残されていれば、全宇宙の意味に転用される可能性はずっと低まっていただろう。
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