私はあまりフィクションの読みものを読まないたちなので寡聞にして知らなかったのだが,数年まえから北欧発のミステリが流行していたらしい.調べてみると,北欧 5 ヵ国,すなわちデンマーク・スウェーデン・ノルウェー・フィンランド・アイスランドすべてから,何冊もの小説が翻訳されているではないか (もちろん数は均等ではなく,どうやらスウェーデンが頭ひとつ抜けているようだが).それはつまりその原書と訳書とを手に入れれば,日本語訳のついたデンマーク語やアイスランド語の例文を大量に手に入れられるということだ! 小説をとりあげるとは,このブログとしてははじめての語学以外の記事ということになるが,こういう事情であるからどうにも私は語学から完全には離れられない定めのようだ.
アイスランドからの推理小説は,調べのついたかぎり,これまでに 5 点が邦訳されている.Arnaldur Indriðason の『湿地』(Mýrin), 『緑衣の女』(Grafarþögn「墓の沈黙」), 『声』(Röddin), Yrsa Sigurðardóttir の『魔女遊戯』(Þriðja táknið「第三の象徴」), そして Viktor Arnar Ingólfsson の『フラテイの暗号』(Flateyjargáta) である.これらの原著はいずれも 2000 年から 2005 年までの作品だが,邦訳はもっとも早いもので 2012 年,すなわちたったの 4 年まえからのニューウェーブというわけだ.続刊の翻訳が期待される.
とはいえ細かいことを言えば,なんとこれらはどの 1 つをとってもアイスランド語から直接に日本語に移されたわけではなく,Arnaldur の 3 作はスウェーデン語,Yrsa のものは英語,そして Viktor Arnar のものはドイツ語に訳されたものから重訳されたものであるという.それについては残念というよりはむしろ興味深いという思いが先に立つ.アイスランド語を訳せる日本人がまったくいないわけではなかろうが,その能力があってなおかつ現代の大衆的な作品に関心をもっている人というのは難しいのかもしれない (1955 年にノーベル文学賞を受賞した Laxness の作品もあまり邦訳されていない).
さて 3 作が邦訳されている Arnaldur Indriðason のカナ表記は,スウェーデン語文学の翻訳者として著名であるらしい柳沢由実子氏による既刊の訳書ではアーナルデュル・インドリダソンとされており,日本語版 Wikipedia もこの表記で立項されている.しかしもっとも原音に近い表記をするならば,アルトナルトゥル・イントリザソンくらいになろう.IPA で書けば [artnaltʏr ɪntrɪðasɔn] である.
詳しくは昨日のエントリ「現代アイスランド語の発音規則」を参照してほしいが,いま関わりのあるかぎりで,すなわち柳沢氏によって普及し (てしまっ) た表記との相違に関して,5 つのポイントを指摘しておく.言うまでもなくカナ表記には一定の妥協とある種の立場へのコミットメントが不可避であるからして,私の主張にも言い訳が必要なのである.以下ではまた,ゲルマン語学の大家である清水誠先生の論文,
- 清水誠 (2010).「アイスランド語の音韻とカナ表記の問題点 (一)」,『北海道大学文学研究科紀要』132: 1–44.
- 清水誠 (2011).「アイスランド語の音韻とカナ表記の問題点 (二)」,『北海道大学文学研究科紀要』133: 57–77.
問題が簡単な順に説明しよう.第 1 は,ar や er はアメリカ英語のように「アー」「エー」のような r 音化母音にはならないということである (というより,そんな奇妙なことが起こるのは英語と中国語,ドイツ語の er の一部,といったどちらかといえば例外的現象と言わねばならない.R は伸ばし棒ではなく子音なので,常識的には「アル」「エル」である).第 2 は,rn という並びのときには [t] の音の語中音添加 (epenthesis) が起こるということである.この点についてはこの記事の最後に紹介する 2 つの音源を聞いてもほとんど疑いがない.
第 3 は,ð という文字は誰にも中学校以来英語の辞書でおなじみのとおり,[ð] という音,すなわち that の th の音を表すということである.しかしこちらの点は音源を聴けば (少なくとも私の耳には)「ザ」よりは「ダ」に聞こえる.面倒な話ではあるが,アイスランド語の実際の音声では有声の [ð] は無声の [θ] ときれいな対照をなすわけではなく,摩擦音よりはむしろ接近音に近い性質を示すからである.それでも私が「ザ」を選んだのは,そちらのほうが ð の字の思い浮かべやすいことと,もう 1 人の作家シグルザルドッティルの「ザ」と一貫するのが望ましいと考えたからである.清水 (2010) でもザ行を選択している.ただしこの点に関しては私も確信しているわけではなく,より聞こえに近い「ダ」が望ましいような気もする.
第 4 は,[ʏ] という音を「ユ」にするか「ウ」にするかという問題である.柳沢氏は前者を選び「デュル」としたわけだが,私は後者として「ドゥル (トゥル)」を推す (濁点の問題は次項).聞こえを優先した形だが,これも非常に微妙な問題であって,前項で述べたような「もとのつづりを思い浮かべやすい」かどうかという基準で言えばじつは「ユ」に軍配が上がろう.ドイツ語の y, ü やフランス語の u をはじめとして,[yː, ʏ] の音は日本では伝統的にそのように表記されてきたからである.しかしながら清水 (2011:59) はこれに関し,長い [ʏː] には「ユー」,短い [ʏ] には「ウ」をあてるという折衷的な立場をとっており,その理由として短い [ʏ] のほうは口蓋化の度合が弱く「ウ」に近く聞こえること,日本語として「ユ」を多用することは不自然に見えること,そしてまたオランダ語の同じ音のカナ表記との兼ねあいをあげている.これはある点では苦しい判断ではあるが,私もこれに賛同するものである.
この点に関してもう少し言えば,じつは柳沢訳は作中でこの (短い [ʏ] の) 音のカナ表記が一貫していない.私はまだ『湿地』しか読んでいないのでそこに出てくる例しかあげられないが,著者名「アーナルデュル Arnaldur」や主人公の「エーレンデュル Erlendur」,事件の起こる「ノルデュルミリ Norðurmýri」などは「ユ」なのに対して,重要人物「ウイドル Auður」と,レイキャヴィク市中の通りの名前「バロンスティーグル Barónsstígur」ではそれぞれ (なぜか)「オ」と「ウ」であり,また同僚の「シグルデュル Sigurður」では「ウ」と「ユ」が混在している.これはやはり清水先生の言うとおり「ユ」ではうるさいので「ウ」にあわせるのがよいと思う.
最後に,閉鎖音を表す b/p, d/t, g/k はアイスランド語においては有声と無声 (日本語の濁音と清音) の対立ではなく,どちらも無声だということである.しかしながらこれに関していえば,それをわかったうえでカナ表記では濁点を用いる,という立場も有力であって,清水論文はそのようにしている.その最大の利点はなんといっても原綴を復元しやすいことである.しかし一方で欠点となるのは,実際の音と食い違うことばかりでなく,同じ音が 2 通りに表されてしまうことである.
というのも,私の主張する「アルトナルトゥル」ばかりでなく,作中に出てくる人物名「エットリデ Elliði」(「デ」にはこのさいつっこむまい) や地名「シンクヴェトリル Þingvellir」の ll に現れる挿入音「ト」は,d の表す無気無声音 [d̥] ([t]) とまったく同じ音だからである.したがって,もし d をダ行で表し「アルトナルドゥル」とすれば,これは同じ音が 1 度めは「ト」,2 度めは「ド」と書かれてしまうことになる.しかるにこの挿入音のほうを「ド」にすることは考えられない.というのも世界遺産にもなっているシンクヴェトリルはかなり人口に膾炙した表記であるし,アイスランドの地名にはアルトナルスターピ (Arnarstapi) やセルチャルトナルネース (Seltjarnarnes) のようにほかにもこういう「ト」の例はあって,観光ガイドなどの日本語表記でこれらを「ド」にした例はおそらく存在しないからだ.
一貫して清音を使うことの犠牲として,カナ表記から原綴が復元しにくくなることはすでに指摘した.たしかに b, d, g が無声音だからといって p, t, k との違いがまったくないわけではなく,その音の違いがカナ表記上明らかに見えることは有用である.しかしその違いというのは henda [hεnta] 対 henta [hεn̥ta] のように,d/t そのものは同じで隣接する鼻音・流音を無声化するかどうかという違いなのであるから,あくまで「ト」じたいは「ト」なのである.「ン」や「ル」の無声化をカタカナで表記する一般的な方法がない以上は「ド」を次善の策として認める意義はあるのだが,そういう事情を知らないふつうの読者に対しては誤解を与えるので問題なしとはしない.
以上のような検討にもとづいて私は前掲の著者名表記を主張するものだが,清水 (2010) の言うような「カナ表記とカナ発音の違い」に鑑みれば,ダ行の濁点に関しては妥協する用意がある.この場合には「アルトナルドゥル・インドリザソン」となり,清水論文の提案に全面的に沿うならばこの形になる.アイスランド人による Arnaldur Indriðason の発音例としては,原著の版元 Forlagið が YouTube で公開している,この Erlendur シリーズ第 12 作にあたる Einvígið の宣伝動画と,一般人のネイティブによる発音が聞けるソーシャルサイト Forvo に登録された録音を聞いてみて判断してほしい.
このエントリを書きはじめたときには本当は Erlendur シリーズの内容や Yrsa の作品について触れたかったのだが,カナ表記の問題でずいぶん長くなってしまったので,いったんここで区切ることにする.小説の話をしようとしていたのだが,結局語学に関する話題に終始してしまったのは痛恨の極みである.