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mardi 3 septembre 2019

16 世紀ゲルマン語訳聖書を読む:ガラテア 1:1–5

ルター訳およびそれに影響を受けたとされる同時代の北ゲルマン語訳聖書を比較して読んでみる。ここでは「ガラテアの信徒への手紙」1 章 1–5 節を題材にとる。

聖書のテクストはルターが翻訳の底本としたエラスムスによる第 2 版のギリシア語聖書 (1519 年)、ルターの初訳であるいわゆる「9 月聖書」 (1522 年)、そして事実上ルター訳がその「基礎を置くことになった」(塩谷饒『ルター聖書 抜粋・訳注』大学書林、1983 年、194 頁) というデンマーク語、スウェーデン語、アイスランド語訳の順に掲げる。

すなわちデンマーク語訳は 1524 年のいわゆるクリスチャン II 世聖書、スウェーデン語訳はグスタフ・ヴァーサ聖書に利用されることになる 1526 年の新約聖書、アイスランド語訳は 1540 年のオッドゥルの聖書で、いずれもそれぞれの言語で出版された最初の聖書である。

聖書のテクストを現在のような節に分けたのは 1550 年代のロベール・エティエンヌによるギリシア語聖書からであったから、本稿で用いたテクストにはもとよりないものであるが、便宜上この区分けを採用した。

エラスムスのギリシア語刊本にあるさまざまの特殊な文字・合字については再現できないためほとんどを通常の文字に戻したが、例外として ϛ (スティグマ = στ) と ϖ (π の異体字)、また現用と異なる記号の用法 (ὀυκ や ὁι など語頭二重母音における気息記号やアクセント記号の位置、δϊά の分音符など) だけはそのままにした。

その他のラテン文字の各国語訳において、ſ (long s) および ꝛ (r rotunda) はたんなる s, r として区別せず表した。古く上つきの小さな e として書かれていた本来のウムラウトは現代式に直した (スウェーデン語のみ。ルター初版のドイツ語にはまだなく、現在の ä は e、ö, ü はたんに o, u と書かれていた)。


Gal 1:1


Gk. Erasm 1519  [Π]ΑΥΡΟΣ ἀπόϛολος, ὀυκ ἀπὸ ἀνθρώπων, ὀυδὲ δἰ ἀνθρώπου, ἀλλὰ δϊὰ Ιησοῦ Χριϛοῦ, καὶ θεοῦ ϖατρὸς, τοῦ ἐγείραντος ἀυτὸν ἐκ νεκρῶν,
De. Lut 1522  [P]Aulus ein Apostel: nicht von menschen: sondern durch Jhesum Christ vnd Got den vater / der yhn aufferweckt hatt von den todten /
Dk. ChrII 1524  [P]Øuild en apostel / icke aff mēnisken oc ey wed noget mēniske / men wed Jesum Christū / oc gud fader / som haffuer opveisd hānom aff the døde /
Sv. NT 1526  Paulus Apostel icke vthaff mennisker / ey heller genom någhon menniskio / vthan genom Jesum Christum / och gudh fadher som honom vpwäct haffuer aff dödha /
Is. Odd 1540  [P]All ein̄ Apostule / eigi af mōm [= mönnum] / nie helldr fyre man̄in̄ / helldr fyrer Jesū Kristū / ⁊ gud faudr / sa han vpp vackti af dauda /

奇妙なことに、9 月聖書では「人々からではなく」nicht von menschen の次に続くべき「人々を通してでもなく」auch nicht durch menschen が欠けており、すぐさま「イエス・キリストと……」sondern durch Jhesum Christ vnd... と続いている。エラスムスの編集したギリシア語原文では含まれているのであるから、ルターの翻訳ミスか植字工による脱字かのどちらかであろう。ルターが生前最後に手直しした版 (Ausgabe letzter Hand, 1545 年) には „auch nicht durch Menschen“ が入っているので、この間のどこかのタイミングで修正されたらしい。北欧 3 言語ではいずれも正しく含まれている。

オッドゥル訳に Pall (= Páll) の同格の称号 ein̄ (= einn) Apostule「使徒パウロ」とあるが、このように数詞 1 を不定冠詞として使う用法は中世 (古アイスランド語) から現在に至るまでアイスランド語にはない。これは明らかにルター訳 Paulus ein Apostel のドイツ語の敷き写しである。

Gal 1:2


Gk. Erasm 1519  καὶ ὁι σὺν ἐμοὶ ϖάντες ἀδελφοὶ, ταῖς ἐκκλησΐαις τῆς γαλατΐας.
De. Lut 1522  vnd alle bruder die bey myr sind. Den gemeynen ynn Galatia.
Dk. ChrII 1524  oc alle brødre som ere hoss meg. Thend men hed vti Gallatia
Sv. NT 1526  och alle brödher som när migh äro. Then forsamblinge som är j Galatia.
Is. Odd 1540  ⁊ aller þ̄r [= þeir] brædr sem medr mier eru. Sofnudunū [= Söfnuðunum] i Galatia

alle bruder にかかる関係節内の語順に注意されたい (ギリシア語では前置詞句であって関係節でないが)。ドイツ語では die bey myr sind (= die bei mir sind) のように定動詞が末尾に来る枠構造が義務的であるが、北ゲルマン語ではそのような語順をとらない。デンマーク語訳はそのとおりデンマーク語的な語順を呈しているが、スウェーデン語訳およびアイスランド語訳では定動詞 äro, eru が文末に来ているのはルター訳の影響であろう。

ほかにはデンマーク語・スウェーデン語の独立 (前置) 定冠詞 thend, then が興味を引く。デンマーク語では次の 17 世紀の文法書 (Koch) では dend とされているし、すでに 1550 年のクリスチャン III 世聖書でも den になっているので、古東ノルド語式に th の文字が使われている最後の時代と思われる。

Gal 1:3


Gk. Erasm 1519  Χάρις ὑμῖν καὶ ἐιρήνη ἀπὸ θεοῦ ϖατρὸς, καὶ κυρΐου ἡμῶν Ιησοῦ Χριϛοῦ,
De. Lut 1522  Gnade sey mit euch vnd frid von Gott dem vater / vnnd vnserm hern Jhesu Christ /
Dk. ChrII 1524  Nade ware met eder oc fryd aff gud fader wor herre Jesu Christo /
Sv. NT 1526  Nådh wari medh idher och fridh aff gudh fadher och wårom herra Jesu Christo /
Is. Odd 1540  Nad sie med ydr / ⁊ fridr af gudi faudr / ⁊ vorū Drottne Jesu Christo

内容が挨拶の定型的であることも手伝ってか、これまでの 2 節にもまして、すべての語句が順番まで一語一句ルター訳とまるきり同じである。すなわち Gnade = Nade = Nådh = Nad、希求の接続法 sey = ware = wari = sie、前置詞 mit = met = medh = med、人称代名詞 euch = eder = idher = ydr、等々。

Gal 1:4


Gk. Erasm 1519  τοῦ δόντος ἑαυτὸν ὑπὲρ τῶν ἁμαρτϊῶν ἡμῶν, ὅπως ἐξέληται ἡμᾶς ἐκ τοῦ ἐνεϛῶτος ἀιῶνος ϖονηροῦ, κατὰ τὸ θέλημα τοῦ θεοῦ καὶ ϖατρὸς ἡμῶν,
De. Lut 1522  der sich fur vnser sund geben hat / das er vns erredtet von diser gegenwertigē argen welt / nach dem willen Gottis vnsers vaters /
Dk. ChrII 1524  som haffuer giffued sig selff for wor sønder / paa thet hand motte redde oss fran thenne neruerende onde werden / effter gudz wor faders willte /
Sv. NT 1526  som sigh för wåra synder giffuit haffuer / på thet han skulle vthtagha oss frå thēne näruarādes snödho werld / effter gudz och wårs fadhers wilia /
Is. Odd 1540  sem sialfan sig hefer vt gefit fyre vorar synder / þ̄ [= það] hn̄ frelsadi oss i fra þ̄ssari nalægri vōdri verolld / epter gudz vilia / ⁊ vors faudis /

2 節で見たのと同じく、デンマーク語はルター訳の語順 der ... geben hat に引きずられず、haffuer giffued (= 現 har givet) を関係節内の最初にもってきているのに対し、スウェーデン語訳では som ... giffuit haffuer でルター訳と同じである。アイスランド語訳 hefer vt gefit (= hefur útgefið) はここでは 2 節と異なりアイスランド語本来の語順といえる。

アイスランド語訳についてはもう 1 点指摘することができる。「私たちの父なる神の意志」(希 τὸ θέλημα τοῦ θεοῦ καὶ ϖατρὸς ἡμῶν, 独 dem willen Gottis vnsers vaters) では「神の」と「私たちの父の」という同格の属格が「意志」の後ろに 2 つ並んでおり、デンマーク語訳とスウェーデン語訳では 2 つがいずれも「意志」willte, wilia の前に並んでいるが、アイスランド語訳 gudz vilia ⁊ (= og) vors faudis では 2 つの属格が vilia の前後に分離しており、これは古風な統語法といえる (たとえば「赤毛のエイリークのサガ」Eiríks saga rauða で saga の前後に「エイリークの」と「赤毛の」が並ぶような)。じっさい、最近のアイスランド語訳聖書 (1981 年、2007 年) ではこの箇所は vilja Guðs vors og föður と後ろにまとめられている。

ギリシア語本文につき 1 点注意すると、τοῦ ἐνεϛῶτος ἀιῶνος は NA28 では τοῦ αἰῶνος τοῦ ἐνεστῶτος だが、意味は同じ (定冠詞つき名詞の修飾語になる形容詞の 2 通りの位置)。

Gal 1:5


Gk. Erasm 1519  ᾧ ἡ δόξα ἐις τοὺς ἀιῶνας τῶν ἀιώνων, ἀμήν.
De. Lut 1522  wilchem sey preysz von ewickeyt zu ewickeyt Amen.
Dk. ChrII 1524  huilken ske ere fran euighed til euighed Amen.
Sv. NT 1526  huilkom ware prijs frå ewogheet till ewogheet Amen.
Is. Odd 1540  hueriū at sie dyrd vm allder allda Amen.

永遠から永遠へ」の訳は、ギリシア語の ἐις τοὺς ἀιῶνας (複数対格) τῶν ἀιώνων (複数属格) に対し、独丁瑞では von ... zu ..., fran ... til ..., frå ... till ... のごとく、語順を逆転させ起点のほうに前置詞 von, fran, frå を補う必要があったが、アイスランド語では vm allder allda = 現 um aldir (複数対格) alda (複数属格) と時を表す格の用法の平行によってすっきり表現できている。すなわちここではオッドゥルはルター訳ではなくギリシア語原文に直接あたったのかもしれない。

samedi 25 août 2018

16 世紀北ゲルマン語圏の聖書を読むための覚書

ヨーロッパの 16 世紀は宗教改革の世紀である。ルターがいわゆる 95 箇条の提題を (ラテン語で) 張りだしたのが 1517 年の 10 月 31 日、そして聖書のもっとも重要な (初期新高) ドイツ語訳であるルター聖書が世に出たのは、1522 年のいわゆる 9 月聖書であった (新約のみ。旧約および外典を含む完訳は 1534 年)。

このときルターが翻訳の基礎としたのは、エラスムスの手になるギリシア語新約聖書 Novum Testamentum omne の第 2 版 (1519 年) である。エラスムス校訂のギリシア語テクスト (初版は 1516 年) は公認本文 (テクストゥス・レケプトゥス textus receptus) と呼ばれ、ルター訳のみならずそれを通して以下の北欧語訳に、それからなにより英訳聖書のティンダルや KJV のもととなっていくもので、現代の本文批評からすればさまざまの問題があるにせよいまも熱心な支持者はいるようだ。

デンマーク語で印刷された最初の聖書は 1524 年のクリスチャン II 世聖書で、これも新約のみであったが、最初の完訳は 1550 年のクリスチャン III 世聖書 (Christian III’s Bibel) である。この底本についてはいまいちよくわかっていないが、王の希望でルターのドイツ語訳に可能なかぎり近づけられたものらしい。そのためデンマーク語訳ではあっても教養のない農民階級にとっては理解困難なものだったという。この聖書はノルウェーでも用いられた。

スウェーデン語訳はやはり翻訳を命じた王の名前をとったグスタフ・ヴァーサ聖書 (Gustav Vasas bibel) が重要であり、これは新約部分が 1526 年、完訳は 1541 年。スウェーデン語は私の守備範囲外なので詳しく調べていない。

アイスランド語の最初の完訳聖書は、ホーラル司教グヴュズブランドゥル・ソルラウクスソンによるグヴュズブランドゥル聖書 (Guðbrandsbiblía) で、これは 1584 年に刊行された。ただしその新約部分は先行する 1540 年出版のオッドゥル・ゴットスカウルクソンの新約聖書 (Nýja testamenti Odds Gottskálkssonar) をあまり変えずに用いているということである。

フェーロー語に聖書が翻訳されるのは残念ながら 19 世紀に入ってからのことなのでここでは取り扱わない。宗教改革期以降フェーロー諸島ではデンマーク語の影響が顕著になり、聖書以下宗教関係の文献はデンマーク語のまま用いられた。


さてこれらの聖書は (エラスムスのものを除いて) 当時のゲルマン語の出版物であるからすべてブラックレター体で印刷されている。ブラックレターは俗にドイツ文字と呼ばれるフラクトゥールの同義語として用いられることも多いが、正確にはより広い呼び名であって、ここではフラクトゥール (Fraktur) の作られるまえに使われていたシュヴァーバッハー体 (Schwabacher) の名をとくにあげておく。

というのは、このシュヴァーバッハー体はだいたい 1530 年ころからフラクトゥールに取って代わられていくのだがそれ以前には広く使われ、とりわけ 1522 年のルター聖書ではシュヴァーバッハー体が用いられているのに加えて、先述のもののなかではオッドゥルのアイスランド語新約聖書もこの書体で組まれているからである。

シュヴァーバッハーにせよフラクトゥールにせよ、読むうえでの注意点はだいたい共通している。まず、何度も頻出する単語や語尾などは略記される場合があるということ。どういう語がそうであるかは言語によって違うので一概に言えないが、その言語を読めるほどに習熟していれば難しくはない。

それからいくつか特殊な文字があるということ。代表例は ſ すなわち「長い s」だが、これはあまりにも有名であって、ブラックレターのみならずかなり最近 (19 世紀) のローマン体の文書でもおなじみであるからあえて贅言を要しない。

しかし s に 2 種類あることは周知でも、r にも 2 種類 (あるいはそれ以上) あったことはあまり知られていないのではないか。ブラックレターを読むときに覚えておかなければならないのは r rotunda「丸い r」と呼ばれるもので、ローマン体の r と似ていてすぐにわかる 𝔯 のほかに、一定の場合に ꝛ という数字の 2 に似たべつの形をとるのである。

その一定の場合というのはかならずしも明らかでなく、前の字が右側に弧状の丸みをもつ場合 (b, o, p など) と説明されていることがあるが、それはドイツ語あるいはラテン語などでは正しかったのかもしれないがどうもそうではない例も見受けられる。


この画像はオッドゥルの新約からルカ伝 4 章冒頭の段落である。いちばん上の行は „fiordi capitule“ と書かれている。その 2 行下の最初の単語は „Jordan“ である。いずれも o の直後に r が来るが、見慣れた r が書かれている。

一方この段落のいちばん最後の単語 „ordi“ では、同じ o のあとなのに r rotunda が使われている。その真上の語 „madrin̄“ (現代のつづりでは maðurinn にあたる) もそうであるが、d はブラックレターでは右側が丸い文字にあたるのでこれは法則どおりである。しかし 1 行め後ろから 2 番めの „aptr“ はそれでは説明がつかない。


いま掲げた画像はグヴュズブランドゥル聖書からルカ伝 4 章の続き。顕著なのは 3 行め右から 5 番めの単語 „fellr“ で、明らかにどこも丸い部分がない l の直後で r rotunda が用いられている。


ダメ押しにもうひとつだけ示しておく。これは 1526 年のスウェーデン語の新約マタイ伝 1 章冒頭だが、1 行め大きい活字の最後 „Chri⸗[sti]“ の r も、この行だけテクストゥールらしい書体で、たまたまどこも丸くない h の直後に r rotunda が置かれている (もっとも r rotunda を使う基準として、その書体のグリフが丸いかどうかはあまり関係がないようだが)。

ところでこれらの文書は s の使いかたもわれわれの知る常識どおりではないところがある。さきほどのグヴュズブランドゥル聖書の画像の 2 行め中央から „⁊ þeſſ pryde mun eg ...“ とあって、明らかに語末なのに長い s が使われている。逆に最初のオッドゥルの最下行を写すと „dr af sier hueriu gudz ordi“ となっているが、語頭で丸い s が使われている。まあどちらの形でも s は s、r は r なので読解上の支障はないと思う。

では最後に、すでに画像から気がついていたかもしれないが、オッドゥルの紙面ではギリシア文字の τ かひらがなの「て」に似た、あるいはグヴュズブランドゥルの活字では数字の 7 か ƶ にでも似た謎の文字が頻出している。

これはアイスランド語では og、すなわち英語の and にあたる記号である。もともとローマ時代の速記官ティロ Tiro の記法 (にあとから付け加えられたもの) といい、とりわけ古英語やアイルランド語で ⁊ の形でよく見かけられるもので、Tironian ond や Tironian et などと呼ばれている (ond は古英語で and にあたる語、et はラテン語で & の字形のもとになった語。アイルランド語のため agus と呼ばれることもある)。

samedi 1 juillet 2017

キルケゴール『死に至る病』邦訳一覧

デンマーク語を勉強するついでに,キルケゴール (Søren Aabye Kierkegaard, 1813–1855) の主著『死に至る病』(初版 1849 年) を一部だけでも原文で読んでみたいと思いたち,いまはその準備段階として邦訳をいろいろと探して少しずつ読み進めている.

キルケゴールは実存主義の祖として祭りあげられ,一時は日本でもずいぶんな人気を博したようであるから,この書の日本語訳は数が多い.日本におけるキルケゴールの紹介は,早くも 1915 年 (大正 4 年) に和辻哲郎の浩瀚な研究書『ゼエレン・キエルケゴオル』(内田老鶴圃,661 頁) が出ているが,『死に至る病』の訳書が次々と現れるのは 1930 年代後半 (昭和 10 年代) になってからである.以来,私の調べえたかぎり以下の 9 種の邦訳が登場している.

とはいえ私はまだそれらのひとつとて通読したわけではなく,もともとこの種の哲学に明るいわけでもないので,訳の良し悪しを比較して云々するのは差し控え,ここでは単純に機械的なリストアップに努める.ただ翻訳の底本がデンマーク語原典であるかあるいはほかの何であるかくらいは注意しておいたほうが参照にも便利だろうと思い,その点のみ言及する.

邦題『死に至る病』はデンマーク語の原題 Sygdommen til Døden のすなおな直訳であって,ドイツ語訳 Die Krankheit zum Tode ならびに英訳 The Sickness unto Death も同様であるが,フランス語では一般に直訳にあたる La maladie à la mort よりは Traité du désespoir (『絶望論』) の名でよりよく知られているようだ.これらの外国語訳については私の調査が不徹底なので,基本的には日本語訳の底本として関与するかぎりでとりあげることとする.


日本語訳


斎藤信治 (1907–1977) 訳『死に至る病』.初刊は岩波書店,1939 年で,Gottsched und Schrempf の独訳 (1924 年) からの重訳.のち 1957 年第 23 刷より改訳で (版を改めているのに刷数を通算するのは岩波の間違ったところで,またこの書は違うが時には訳者すら変わり中身が別物にもかかわらず同じ番号 [青 XXX-Y などの] に重ね,近年は同一 ISBN に上書きするという悪行を重ねている),あとがきによれば旧訳をもとにしつつ Hirsch の独訳 (1954 年),Dohrenburg の独訳 (1949 年),Lowrie の英訳 (1941 年),Ferlov et Gateau の仏訳 (1931 年) を参照して改めているという (仏訳は版元の Gallimard 社サイトによれば 1932 年で,おそらくこのほうが正しい)

菅円吉 (1895–1972)・大村晴雄 (1910–2016) 共訳?「死に至る病 (弁証法的人間学)」,伊藤郷一ほか訳『キェルケゴール選集 第 1 巻』改造社,1935 年所収.

安中登美夫 (生没年不明) 訳『死に至る病』史学社,1948 年

片山泰雄 (1910–1989) 訳『死に至る病』人文書院,1949 年

以上 3 者は古く現物未見のため詳細不明だが,後述する飯島宗享 (改訳版) のあとがきを考えればいずれも Schrempf の独訳からの重訳と思われる.ただ飯島の旧訳初版のあとがきを考慮すれば,安中訳だけは Schrempf の改訂が入るまえの Gottsched 訳か?〔7 月 6 日追記:大学図書館にて片山訳の 1949 年 10 月 5 日再版の現物を確認.扉裏・奥付・訳者あとがきなどのどこにも翻訳の底本につき書かれていないが,訳文からまず間違いなく Schrempf の独訳によっていると見える.〕

松浪信三郎 (1913–1989) 訳『死にいたる病』.初刊は小石川書房,1948 年.その後,パンセ書院,1952 年;三笠書房,1953 年などから単行本,また『世界大思想全集 13』河出書房,1953 年;『キルケゴール著作集 11』白水社,1962 年,新装復刊版 1995 年;哲学思想名著選『死にいたる病・現代の批判』白水社,1983 年,同 イデー選書版 1990 年,同 白水 u ブックス版 2008 年 (「現代の批判」のほうは飯島宗享訳) など多数の版に収録される.白水社のものはイデー選書版より当初の訳者松浪・飯島による解説・訳者あとがきが割愛され,池澤直樹・村上恭一による解説・解題に変えられている.これももともとは Schrempf の独訳 (1924 年) からの重訳で,白水 u ブックス版巻末の原典表記によれば Ferlov et Gateau の仏訳 (1932 年),Lowrie の英訳 (1946 年),Hirsch の独訳 (1957 年) を参照したというので,初版以後どこかのタイミングで修正が加えられたのだろう (松浪本人の解説が削られているため詳細不明.出版年がすべて斎藤訳と食い違うことについては後述)

飯島宗享 (1920–1987) 訳『死にいたる病』.初刊は創元文庫『キルケゴール選集 第 6 巻』創元社,1952 年.底本はデンマーク語原典の全集第 2 版 (1929 年).のちキリスト教古典叢書『死にいたる病』教文館,1982 年として改訳され,こちらの底本はデンマーク語の全集第 3 版 (1963 年).この改訳版の訳者あとがきにて 1954 年の初訳当時の事情を述懐し,「当時は、一九三九年に岩波文庫で出された斉〔ママ〕藤信治氏の訳書をふくめて、すでに存在した四種ほどの訳書のどれもが、クリストフ・シュレンプフによるドイツ語訳を底本とするものであった」と述べている.前掲のとおりこうした先行訳は飯島以前に 4 種ではなく 5 種あるが,飯島の旧訳のあとがきにはこれらすべてが挙げられているので知らなかったということはないであろう.

桝田啓三郎 (1904–1990) 訳『死にいたる病』.初刊は『キルケゴール全集 第 24 巻』筑摩書房,1963 年.その後,『世界の名著 40 キルケゴール』中央公論社,1966 年,同 中公バックス版 1979 年;ちくま学芸文庫『死にいたる病』筑摩書房,1996 年;中公クラシックス『死にいたる病・現代の批判』中央公論新社,2003 年などに収録.底本はデンマーク語原典〔全集第 2 版か.未確認〕.

山下秀智 (1944– ) 訳『死に至る病』.初刊は『キェルケゴール著作全集 原典訳記念版 12』創言社,1990 年.のち,『死に至る病』創言社,2007 年として単行本化.底本はデンマーク語全集第 3 版 (1963 年).

鈴木祐丞 (1978– ) 訳『死に至る病』.初刊は講談社学術文庫『死に至る病』講談社,2017 年.デンマーク語最新版全集 Søren Kierkegaards Skrifter (『死に至る病』を含む第 11 巻は 2006 年) からの目下唯一の翻訳.

上記のうち,現在手に入りやすいのは最初の岩波文庫の斎藤訳,ちくま学芸文庫の桝田訳 (と中公クラシックス版),そして 3 ヶ月まえに出たばかりの講談社学術文庫の鈴木訳の 3 つだけである.ほかはすべて絶版か品切となっており,古本で探すしかない.


独・英・仏語訳


ドイツ語訳そのものもむろんいくつもあるわけだが,邦訳にあたって重訳の底本とされてきたのはもっぱら,Hermann Gottsched und Christoph Schrempf (übers.), Die Krankheit zum Tode. Eugen Diederichs, 1924 であった.これはドイツ語版キルケゴール全集 Sören Kierkegaard Gesammelte Werke の Bd. 8 として出たもので,もともと Gottsched による単独訳として 1911 年に刊行されたものが Schrempf によって改訂されたものである.

この両者について飯島の旧訳 (1952 年) の訳者あとがきによれば,
ゴットシェド版(一九一一年版)は極めて忠実な翻訳で、デンマルク原典をほとんど片言隻句にいたるまで直訳的にドイツ語に移しているが、シュレンプフの改訂版(一九二四年版)は個々の語句はもとより、文章全体にわたって、かなり大幅の言いかえ、省略補訳が行われ、時としては数頁にわたって原典の意味だけを汲んでの解義的文章に改変され、原典とは相当趣きの異ったものとなっている。
と言い,Gottsched 版ならばまだしも Schrempf 版からの重訳には問題があるとして日本初の原典訳に踏み切ったということである.このとき飯島は同時に Schrempf の自由な改変の意図を好意的に認めもし,彼の「解義」そのものはたいていの場合に正しく,キルケゴールの原文よりわかりよくなってすらいると述べているのであるが,のちの新訳 (1982 年) のあとがきではこの評価を変え,
とりわけ、シュレンプフ自身の理解がゆきとどかなかったせいか、本文中の重要な箇所での原典における「前置詞の使い分け」が無視され、その重要性のゆえに原典でこの「前置詞の使い分け」について説明されている長文の注が完全に脱落させられていることは、本書解釈とキルケゴール理解に重大な損傷を与えるほどのものとして、許されないことのように思えた。
と書いている.まさにその Schrempf からの重訳である岩波文庫の斎藤訳がいまもって一般に親しまれているとき,私たちはこの意見を念頭に置いたうえで重訳に接する必要がある.

Schrempf と並んで重要視されている独訳は Emanuel Hirsch, Die Krankheit zum Tode. Eugen Diederichs, 1954 である.Schrempf 訳に比べて「精密にデンマーク語からの逐語訳をおこなっていた」(飯島) と言い,斎藤訳 (改訳後) などはかえってこれを「あまりに厳密に原文を追いすぎている」と評している.これは 1957 年にも刊行されているようだが,書誌情報を見ると出版者もシリーズ名も同じでページ数も xi + 185 p. と共通なので,おそらく実質は同一のものだろう.上で斎藤訳が参照した Hirsch を 1954 年,松浪訳が 1957 年と書いているのはこのことの反映と思われる.

もうひとつ上で名前が挙がっている独訳は Thyra Dohrenburg, Die Krankheit zum Tode. Johs. Storm, 1949 で,斎藤訳によればこれは「シュレンプㇷ訳に一番近い」ということである.いずれにせよ現在ではこれらはどれも手に入りにくい.参考までに,その他ここに名前が出ていないものとしては Walter Rest 訳 (1956 年),Liselotte Richter 訳 (1962 年),Hans Rochol 訳 (1995 年),Gisela Perlet 訳 (1997 年) などが存在しているようだ.この最後のものは Reclam 版で入手が容易である.

英訳として上記で参照されているのは Walter Lowrie (trans.), The Sickness unto Death. Princeton U. P., 1941 だけである.この評価については日本語訳者の誰もとくに述べていないようなのでよくわからない.松浪訳がこれのことを 1946 年と言っている理由は不明だが,まあ昔の本なのでそういうこともあるのだろう (日本語訳も上記リストのとおり昭和期には何度も同じものが装いを変えて出たものである).

これも参考として,近年は Hong 夫妻 (Howard Vincent Hong and Edna Hatlestad Hong) による英語版全集 (うち The Sickness unto Death は 1980 年,ペーパーバック版 1983 年) が定評あるものである.また Penguin Classics からも Alastair Hannay 訳 (1989 年,増補版 2004 年) が出ていて安価で手に入る.

仏訳は最初に述べたとおり Traité du désespoir (『絶望論』) の表題で知られ,斎藤訳・松浪訳でも利用されている Knud Ferlov et Jean-Jacques Gateau (1932 年) は,現在もっとも入手しやすいものと言って間違いないと思う.これはいまもペーパーバック版 (1988 年) で売られている (同訳者で『哲学的断片』Miettes philosophiques および『不安の概念』Le concept de l’angoisse と 3 ついっしょになったペーパーバック版もある).

このほかには,La maladie à la mort の題で,L’Orante 社版フランス語全集 Œuvres complètes de Søren Kierkegaard, t. 16 (ISBN 2703110413) 所収の P.-H. Tisseau 訳 (1971 年) が存在する.Régis Boyer 編のもの (R. Laffont, 1993. ISBN 2221073738) は,フランス国立図書館の検索結果では書誌情報に « trad. du danois par Paul-Henri Tisseau et Else-Marie Tisseau » とあるので同じものだろう.


デンマーク語原典全集


この 100 年あまりのあいだに,デンマーク語でキルケゴールの全集は都合 4 度出ている.最初の Søren Kierkegaards Samlede Værker が 1901 年から 1906 年にかけてで全 14 巻 (A. B. Drachmann, J. L. Heiberg og H. O. Lange 編).次の第 2 版は同一の刊行者により,J. Himmelstrup による主要用語解説・索引がついた全 15 巻で 1920 年から 1936 年.それから全集第 3 版は全 20 巻で 1962 年から 1964 年にかけて出ており,これは全集第 2 版を底本として若干の校訂・本文批評を加えたものであるという (以上の説明は P. ガーディナー,橋本淳・平林孝裕訳『キェルケゴール』に付された訳者作成の参考書目によった).

その後,前世紀末 1997 年から 2013 年にかけて,SKS (Søren Kierkegaards Skrifter) のタイトルで最新のかつより徹底した全集が刊行された (N. J. Cappelørn, J. Garff, A. M. Hansen og J. Kondrup 編).これは本編全 28 巻とコメンタール (K) 全 28 巻からなり,『死に至る病』(Sygdommen til Døden) はこのうち bd. 11/K11 (2006 年) のなかに収録されている.これには web 版 (http://sks.dk) もあり,全文検索までできてたいへん便利になっている.


『キリスト教への修練』邦訳一覧


補足として,当初一体のものとして構想され『死に至る病』の続編にあたる『キリスト教への修練』(Indøvelse i Christendom) の日本語訳をまとめておく.これは数がそう多くない.

井上良雄 (1907–2003) 訳「キリスト教の修練」.『イエスの招き―キリスト教の修錬』角川書店,1948 年として初出,1953 年より角川文庫.のち改題して『キリスト教の修練』新教出版社,2004 年として復刊.これは現在でも新本で手に入る.表紙に Einübung im Christentum の題が見えるので独訳からの重訳か.

杉山好 (1928–2011) 訳「キリスト教の修練」.白水社『キルケゴール著作集 17』1963 年所収.新装版 1995 年.現在品切.

山下秀智 (1944– )・國井哲義 (1947– ) 共訳「キリスト教への修練」.創言社『キェルケゴール著作全集 原典訳記念版 第 13 巻』2011 年所収.版元が今年 2017 年 3 月に廃業し,いくつかの巻は手に入るがこの巻はすでに品切.

dimanche 25 juin 2017

ドイツ語既習者のためのデンマーク語学習 (2)

昨日の前半の続きとして,三村竜之『ニューエクスプレス デンマーク語』(白水社,2011 年) の章立てに沿ってデンマーク語とドイツ語の簡単な比較をしていきます.前回と同様,本稿におけるドイツ語や英語の例文は私の訳例なのでネイティブのものではありません.


第 11 課


vej : Weg : 英 way「道」,gerne : gern(e)「喜んで」,færdig : fertig「終えている,終わった」,opgave : Aufgabe「課題,レポート」,lykke : 英 luck「幸せ」に対する独 Glück < MHG gelücke は前つづり ge- のついたもの.

Jeg ved, at Nozomi ikke kan lide tomater. Nozomi er en pige, der ikke kan lide tomater. ― 従位接続詞や関係代名詞が導く従属節中でも定動詞が末尾に行かないことに大注意 (vgl. Ich weiß, dass Nozomi nicht gern Tomaten isst.).


第 12 課


angående : 蘭 aangaande「〜に関して」,bede : bitten : 英 bid「頼む」.tale「話す」は英 tale「物語」と同源.英 tale には廃義で「数,計算」の意味がもともとあり,独では Zahl にあたります.spørge「尋ねる」は独 spüren「感じる」に関連し,この後者は遡ると OHG spurian「追跡する,痕跡を探す」となってつながりを感じられます.

Hun er kommet hjem. Han er begyndt at lære dansk. ― 現在完了形の助動詞で have (har) : haben と være (er) : sein を使い分けることはドイツ語 (やフランス語など) と同様です.blive : bleiben (意味は werden) や begynde : beginnen に være : sein を使うことはドイツ語とよく似ています (フランス語では devenir, rester は être ですが commencer はつねに avoir です).


第 13 課


tænke : denken「思う,考える」,læse : lesen「読む」.få「手に入れる」は独 fangen「つかむ」に同源.dertil「そこへ」のような der と前置詞との複合は独 dazu, 英 thereto (古風) などとパラレルです.

man「(不特定の) 人は」の用法と訳しかたはドイツ語をご存知の人には説明するまでもないでしょう.また再帰代名詞 sig を伴う再帰動詞についても.

〔森田貞雄『デンマーク語文法入門』(大学書林,1971 年) は,この不定代名詞 man と通常の名詞 mand「男」が同源で ON maðr とその対格 mann に遡ると思われることにつき,用法も含めてフランス語の on, homme < 羅 homo, 対格 hominem の関係に似ていると指摘しつつ,「但し,ドイツ語の影響大」とも断っています (35 頁).〕


第 14 課


regne : regnen「雨が降る」,kold : kalt「寒い,冷たい」,vejr < ON veðr < PG *wedrą > OHG wetar > 独 Wetter : 英 weather「天気」.

天候や自然現象を表す文に形式主語 det : es : 英 it を用いることは共通しています.Det regner meget i august. に対し Es regnet viel im August. ; 英 It rains a lot in August. また Det bliver meget koldt om vinteren. に対し Es wird sehr kalt im Winter. ; 英 It gets very cold in winter.

Der er meget koldt i Island. ― være を用いた表現で場所を表す語句があると der を主語に用いる (?) ということですが,ドイツ語の場合こういう文で倒置が起こるとき形式主語の es は省かれないので Dort ist es sehr kalt. (comp. 英 It is very cold there.) であり,具体的な副詞句 in Island があるならば dort なしで In Island ist es sehr kalt. と言うと思います.

den her pige, den der pige ― 語順は違いますがドイツ語でも das Mädchen hier, das Mädchen da と言えます.フランス語で cette fille-ci などと言うときの -ci, -là にも似ています.


単語力アップ 曜日・月名・四季・時間帯


曜日のうち,「水曜日」もふつうに onsdag と言うので独 Mittwoch と異なります (独では方言でのみ Wodenstag).もうひとつ注意なのは lørdag「土曜日」で,これは ON laugardagr に遡り字義どおりには「入浴の日」を意味するということです.標準ドイツ語 Samstag は仏 samedi などとともに安息日 (サバト) に由来します.

i forgårs「おととい」の for- の部分は vorgestern と共通し,「あさって」i overmorgen : übermorgen も同様です.


第 15 課


åbne : öffnen : 英 open「開ける」,kende : kennen「〜のことを知っている」.gammel「古い」は北ゲルマン語の外では OE gamal (詩語),OHG gamol (人名中のみ) など中世前期までしか生き残りませんでした.

Biblioteket blev åbnet sidste år. Frikadeller er lavet af kød. ― 過去分詞と組みあわせる助動詞 blive : werden および være : sein によって動作受動と状態受動の使い分けが生じるのはドイツ語とまったく同様です.冒頭の文はドイツ語なら Die Bibliothek wurde im letzten Jahr eröffnet. Frikadeller sind aus Fleisch gemacht. と訳せるでしょう.

Jeg ved ikke, om det bliver fint vejr i morgen. Kender du det gamle tempel, som hedder Kinkakuji? ― この vide と kende の使い分けはドイツ語の wissen と kennen の区別と同様に思われます.

cykel, cyklen; gammel, gamle ― 弱い母音 -e- の脱落もドイツ語と同じ法則に従っています (z. B. dunkel, dunkles).ただし後者 gammel, gamle のような二重子音字の省略はドイツ語にはなかったかと思います (ぱっと例を思いつきませんが……).


第 16 課


ven : 氷 vinur < ON vinr「友人」,egen : eigen「自身の」.eksempel「例」および invitere「招待する」はもちろん羅 exemplum および invitare からですが,fest「パーティー」も借用元である独 Fest をさらに遡れば羅 festum.

Lars kyssede sin kone. Lars kyssede hans kone. ― 3 人称の所有形容詞は同一人物なら再帰形の sin を用い,3 人称の hans では別人になってしまいます.sein ではわかりにくいですが,ドイツ語でも Er wäscht sich. と Er wäscht ihn. では対象が違うことを考えればはっきりします.


第 17 課


betyde : bedeuten「意味する」,håb : Hoffnung : 英 hope「希望」.lækker「ハンサムな」は lecker「おいしい」にあたり,独 lecker も方言では「かわいい,魅力的な」の意味があります.familie「家族」はやはりドイツ語を通じてラテン語に遡ります.


第 18 課


gave「プレゼント」は geben に関係.end「〜よりも」は OHG enti, 羅 ante「〜の前に」が起源と言い,独 als とも英 than とも関係がありません.

比較級・最上級語尾 -ere, -est も英独とだいたい同じです.


単語力アップ 序数詞


1., 2. のようにアラビア数字の後ろにピリオドを打つと序数詞の意味になることはドイツ語と同じ.


第 19 課


hjælpe : helfen : 英 help「助ける」,grund : Grund「理由」,sælge : 英 sell「売る」,stærk : stark「強い」,vand : 氷 vatn : 英 water : 独 Wasser「水」.

Det er 〜, at / der / som ...「…なのは〜です」という強調構文は,ドイツ語でも Es ist [sind] 〜, das [welche, wo, uzw.] ..., また英語でも It is 〜 that [who, which] ... とパラレルです.いまさらっと触れたように,ドイツ語では形式主語 es ではなく本来の主語の数に従って動詞が sind ということもありますが,デンマーク語では ist も sind も er なので文法上単複どちらで扱われているのかはわかりません.

børnehave : Kindergarten「幼稚園」,fødselsdag : Geburtstag「誕生日」のごとき複合語の作りかたもいまさら特筆することはないでしょう.


第 20 課


måned : Monat : 英 month「(暦の) 月」,hurtig : hurtig「速い」.se frem til「楽しみにする」は逐語的には「見る・前方に・へ」なので英 look forward to と酷似しています.

反事実的仮定において過去形を用いるのは印欧語の常套手段です.

samedi 24 juin 2017

ドイツ語既習者のためのデンマーク語学習 (1)

ここのところ連日グリーンランド語の文法についての紹介記事を公開してきましたが,その初回にも申しましたとおりグリーンランド語の本格的な学習にはデンマーク語の能力が不可欠です.私はもちろんグリーンランド語を勉強しても実践する機会はないと考えていますが,それはそれとしてちょっと気になったことを調べるにもデンマーク語で書かれた本を読めなければ話になりません.そういうわけでデンマーク語も少しは使えるようになっておかねばと思い,三村竜之『ニューエクスプレス デンマーク語』(白水社,2011 年) をぱらぱらと読みはじめたしだいです.

改めて指摘するまでもないことですがデンマーク語はドイツ語にけっこう似ています.ということは文法を理解するにも単語や表現を記憶するためにも,ドイツ語を知っている人にとってはそれと比較しながら説明してもらうほうが,ずっとわかりやすくまた記憶に残りやすいのです.ところが残念ながら日本語の本ではそういう必要に応えてくれるものはおそらくありません (ロマンス語には伊藤太吾『イタリア語からスペイン語へ』『スペイン語からカタルーニア語へ』『スペイン語からガリシア語へ』等々のシリーズと,同著者の『フランス語・イタリア語・スペイン語が同時に学べる本』があるのに;もちろんゲルマン語全体に関する概説書はいくつもありますが,それを言うならロマンス語でも対応するものを同じほどに挙げられます).

ないなら自分でそれを書こう,と言えればよかったのですが残念ながら私はドイツ語がアクティブに使えるほど得意ではありません.それなのでおのずから限界があるのですが,かといってなにもわからないというほどではないので,『NX デンマーク語』を読みながら「これはドイツ語と同じだ」,あるいは逆に「字面は似ているのに違っていて紛らわしい」などと,思いついたところを指摘していく形で自分用の学習メモを作っていこうと考えました.以下,NX の章立てに沿ってそれを述べていきます.

もとよりこの本の説明中にドイツ語や英語が出てくるわけではありませんから (というよりそれが不便なのでこれを書いているわけですが),本稿の説明におけるドイツ語や英語などの訳は私によるものです.いちおううろ覚えの文法事項は手もとの文献にあたって調べ,かつなるべく Google 検索でそのドイツ語表現などが完全一致で多数ヒットするよう注意していますが,あくまでネイティブの作文ではないということにはご留意ください.


文字と発音


とにかく s は無声.ドイツ語のように母音間で有声に読まないように注意します.s がつねに無声であるというのは,ほかの北ゲルマン語 (スウェーデン語・ノルウェー語・アイスランド語・フェーロー語) もすべて同様なので覚えやすいです.

二重子音字を長く読まないことは英語やドイツ語やオランダ語などと同じなので大丈夫でしょうが (ご存知のとおり『アンネの日記』の Anne の発音はオランダ語でもドイツ語でも「アネ」ですね),日本語やフィンランド語・エストニア語などのように撥音・促音にしないように.


第 1 課


似ている単語 (同源語 cognate) をいちいちぜんぶ挙げていくとキリがないので,単語についての比較は適度にとどめます.略号一覧:PG ゲルマン祖語,OE 古英語,OHG 古高ドイツ語,ON 古ノルド語,OS 古サクソン語,MHG 中高ドイツ語,MLG 中低ドイツ語.氷はアイスランド語,瑞はスウェーデン語,芬はフィンランド語.

rejse : reisen「旅行する」,næste : nächste「次の」,uge : 氷 vika : 英 week : 独 Woche「週」,og < ON ok, auk「と,そして」は独 auch と同源.

men「しかし」は独 aber とも英 but とも似ても似つかず面食らいますが (ダジャレではなく),伊 ma, 仏 mais などと関係があるわけではないようです.現代語の imens「〜するあいだ,〜に反して一方」にあたる古デンマーク語 emæthen に対応し,MLG men, man「ただ,〜だけ」の影響があって時間的意味が薄れたらしいです.

ほかに nyde : 瑞 njuta : 氷 njóta : OE nēotan : OHG niozan「楽しむ」など,北欧語 (北ゲルマン語) では共有しているものの英独では中世までで廃れた語も意外と多く,英独の単語力ですべて安泰というわけにはゆかなそうです.

命令法は komme, tage, nyde → kom, tag, nyd のごとく語幹がそのまま活用形になりますが,これはドイツ語との共通点というよりは印欧語がだいたいすべてそうです.命令というのはいちばん急いで言われる言葉なので語尾をとらず最短なのだ,と聞いたことがありますが典拠を知らないので俗説かもしれません.


第 2 課


undskyld : Entschuldigung「すみません」(ドイツ語のほうは派生語の名詞形なので厳密な対応ではありません),hedde : heißen「〜という名前である」,glæde「喜ばせる」(cf. 英 glad),lige : gleich : 英 like「等しい」(PG *galīkaz, ドイツ語は前つづり ge- のついたもの),mad「食事」(cf. 英 meat).kone : ゴート qēns : 希 γυνή「妻」は英 queen に同源.

疑問文は,Du rejser til Danmark. → Rejser du ... ? (独 Du reist nach Dänemark. → Reist du ... ?) のように主語と動詞とを転倒させて作り,英語のような助動詞 do を要求しませんが,これはむしろそんな謎の語が無から湧いてくる英語が世界的に見ても特異です.


第 3 課


skal < skulle : sollen : 英 should「〜する予定である,〜しなくてはならない」,kan < kunne : können : 英 can, could「〜できる」,hvad : was : 英 what「何」,aften : Abend : 英 even(ing)「晩」.

kunne (godt) lide が「〜が (大) 好きである」の意味になる理由は調べがつきませんでした.英語やドイツ語にこれと似たようなイディオムはあるでしょうか? 逐語訳にあたる ‘can well suffer’ でググってみたら,まさにこのデンマーク語表現が謎だ (elske ‘to love’ は強すぎるし,1 語でぴったり ‘to like’ にあたる動詞はないのか) という話がヒットしました.

Nozomi skal rejse til Danmark næste uge. ― 助動詞を使った文で,不定形に置かれる本動詞は,ドイツ語のように文末に行かないので大注意!


第 4 課


begynde : beginnen「始める」,sprog : Sprache「言語」,lære : lehren : ゴート laisjan : OS lērian < PG *laizijaną「教える,学ぶ (再帰的)」(一方,独 lernen : 英 learn : OS lernōn < PG *liznaną),år : Jahr : 英 year「年」.

名詞の性は残念ながらなぜか同源語でもドイツ語と一致しないものがちょくちょくあります.たとえば上記 sprog は et sprog で中性ですが,ドイツ語は die Sprache と女性です.同じく et æble (中性) に対し der Apfel (男性).逆の例は en bog (共性) 対 das Buch (中性) など.


第 5 課


med : mit「といっしょに」,vide : wissen「知っている」.Hvad for en/et ... ?「どの〜ですか」は独 Was für ein ... ? と一語一句同じです.

Hvor skal du hen? Jeg skal hjem. ― 助動詞に動詞を省略した用法 (本動詞としての用法) があることもドイツ語と同じです (z. B. Ich muss morgen in die Stadt.).これは現代英語では不可能ですが,古くは可能でした:シェイクスピアに見られる I must to England. (ハムレット) や You may away by night. (ヘンリー四世) など.


第 6 課


følge(s) : folgen : 英 follow「同行する」.på「〜で,の上で」は ON upp á に遡り,英 upon と同じ作りです.travl「忙しい」は仏 travail から.

否定疑問文に対して肯定文で答えるとき,ja でなく jo という語を使いますが,ドイツ語でも同じように ja でなく doch と言います.フランス語もこういうとき oui でなく si という特別の語を使いますが,英語やイタリア語は疑問文が肯定形か否定形かにかかわらず yes や sì ですね.

I morgen rejser jeg til Danmark. ― 副詞句などが文頭に立つとき動詞が第 2 位の位置を保持して倒置が起こるのもドイツ語と同様です.


単語力アップ 基数詞


21 以上の数を言うさい,enogtyve : einundzwanzig, femogtredive : fünfunddreißig のごとく「一の位 + and + 十の位」と言うこともドイツ語と共通しています.

ただし問題なのはその「何十」の部分が独特の 20 進法であることで (50: halvtreds, 60: tres, 70: halvfjerds, 80: firs, 90: halvfems と,あからさまに 2½, 3, 3½, 4, 4½),混乱しないためには丸暗記するしかないでしょう (しかしどう見ても 3, 4, 5 なのでそれが難しい;もし tres を見て「60 だ!」と感じる人がいたら,それはデンマーク語の上級者かもしくは印欧語のセンスがないと言わざるをえません).


第 7 課


hoved : Haupt : 羅 caput「頭」,må : mögen : 英 may「〜してもよい」,igen : 英 again「ふたたび」.læge : 瑞 läkare「医者」は芬 lääkäri へ借用されますが,露 лекарь, ブルガリア лекар, チェコ lékař などのスラヴ語とも関係があるかも?

時刻の言いかたもドイツ語と同じ感じです.kvart over fire : viertel nach vier「4 時 15 分」,kvart i fem : viertel vor fünf「4 時 45 分」,halv syv : halb sieben「6 時半 = 7 の半分」のように,「半」の使いかたも一致.


第 8 課


billede : Bild「絵」.børnehave「保育園」は børn「子どもたち」+ have「庭」で Kindergarten とまったく同じ構造ですが,それもそのはずでこれはドイツ語からの翻訳借用 (calque) だそうです (日本語の「幼稚 + 園」もそう?);barn「子ども」は現代の標準英語にはないもののスコットランド語 bairn に残ります.blive「〜になる」は bleiben と同源ですが意味の違いに注意.


第 9 課


arbejde : arbeiten「働く」,ung : jung : 英 young「若い」.pige「女の子」は氷 píka「アバズレ」と同源で,同じく瑞 piga「メイド」は古い言葉ですが借用により芬 piika「メイド」に残ります.interesseret「興味がある」は独 interessiert とともに仏 intéresser からの借用です.butik「店,商店」も仏 boutique より.

en rød tomat, et rødt æble, to røde tomater, to røde æbler; den røde tomat, det røde æble, de røde tomater, de røde æbler ― 定冠詞 den, det, de がついたときの形容詞の変化が弱くなるというのは,ドイツ語の形容詞弱変化を思わせます.不定のときにドイツ語に比べて強めの変化をしているように感じるのは,格変化がないためにそう見えるだけでしょう.ドイツ語で 1 格だけ同じように比べてみると,ein roter Apfel, eine rote Tomate, ein rotes Buch, zwei rote Äpfel/Tomaten となります.

〔たぶんゲルマン語の歴史的なものとして弱変化・強変化という名残があるのだと想像しますが,そういう用語も出てこないこの本だけではちょっとわかりません.秦宏一『デンマーク語の入門』(白水社,1978 年) ではまさにこれを形容詞の強変化・弱変化と呼んでいます (第 4 課,第 5 課).〕

Tomaten er rød. Æblet er rødt. Tomaterne/Æblerne er røde. ― 形容詞が叙述的に使われるとき,性数が一致します.いや一致するのはあたりまえだろうと思うわけですが,じつはドイツ語は一致しないのでびっくりします (vgl. 独 Die Äpfel sind rot. ; 仏 Les pommes sont rouges. ; 伊 Le mele sono rosse.).ドイツ語に明るい人ほど引っかかるでしょう.


第 10 課


købe : kaufen「買う」,allerede : 英 already「もう,すでに」.øl : 瑞 öl「ビール」は英 ale「エール」と同源です (Öl「油」ではないので大注意).flaske : Flasche「瓶」はゲルマン語起源で,後期ラテン語から葡 frasco を経て遠く日本語の「フラスコ」に至ります.stor「大きな」は露 старый「古い,年老いた」に関連.

Jeg spiste frikadeller sidste uge. / Har du spist mad? ―「昨日」や「何年前」などの過去の時点を表す具体的な語句は,過去形でのみ用い現在完了形とは共起できないというのは,むしろ英語と共通する特徴であり,ドイツ語では現在完了形とともに過去を明示する語句を使うことができます (z. B. Ich habe es letzte Woche gekauft.).

〔ただし半世紀まえの文法書である森田貞雄『デンマーク語文法入門』(大学書林,1971 年.中身は旧版 1959 年と同じ?) は,「過去の副詞が文尾に来る時は現在完了は使える。Jeg har set ham igår. 文頭に来れば過去形が使われる。Igår så jeg ham.」と書いています (69 頁.igår と 1 語になっているのも古いつづり? ただし同書でもべつの箇所では i går と書かれており,igår は全編通してこの 2 ヵ所だけなのでたんなる誤植かも).〕

vendredi 26 mai 2017

マビノギオンのドイツ語版:ブーバー訳を中心に

主著『我と汝』で知られるあのマルティン・ブーバー (1878–1965) が,若いころ (1914 年) になんと中世ウェールズの物語集『マビノギオン』(Mabinogion) をドイツ語訳していたということをみなさんはご存知でしたか?

どうもこのころの彼は『マビノギオン』だけでなくいろいろと世界各地の神話・民話に興味をもっていたということで,同じ 1910 年代前半に彼はフィンランドの民族叙事詩『カレワラ』から中国の民間伝承『聊斎志異』まで手広く翻訳を手がけているとの由 (この情報は小野文生「マルティン・ブーバーの聖書解釈における〈声〉の形態学」によりました).

ただしこの訳業はドイツ語版 Wikipedia ですら彼の業績や主著一覧のなかに載っていないので,そうとう忘れられた仕事なのだと思います.私は『マビノギオン』のドイツ語訳を探していてこれを知りましたが,ブーバーのほうから調べてもなかなかこの件は出てこないので,最初 Martin Buber という同姓同名の別人なのかと疑いました.

さて Insel Verlag から刊行されたブーバーの 1914 年版『マビノギ四枝』(Die vier Zweige des Mabinogi) は archive.org で閲覧できますが,昔のフラクトゥールで組まれているので慣れるまではちょっと読むのが骨です.私の手もとにあるものは同じインゼル社から 1966 年に再版されたもので,現代の活字に直されています.いちおう Amazon.de のリンクを貼ってみましたがもちろん新本は絶版で,Abebooks 経由で古本を入手しました.

『マビノギオン』というのは中世のウェールズ語で書かれた物語集で,現在に伝わっているのは 14 世紀の 2 つの写本がいちばんまとまった形です.その翻訳の歴史についてはまたそのうち別途まとめてみたいつもりでおりますが,これは 19 世紀前半のうちに現在でも有名なシャーロット・ゲスト女史 (Lady Charlotte Elizabeth Guest) による全部の英訳と,先駆的にはその数十年まえにウィリアム・オーウェン・ピュー (William Owen Pughe) という研究者によるごく一部 (プイス Pwyll とマース Math の 2 話) の英訳がありまして,そのあと 1889 年にフランスのケルト語学者ジョゼフ・ロト (Joseph Loth) による仏訳が登場しその新版が 1913 年に出ます.ここまでがブーバーが入手しえた現代語訳になります.

ではブーバーは中期ウェールズ語 (Middle Welsh) を解したのかというとこれがよくわからなくて (もしヘブライ語に加えてウェールズ語・フィンランド語・中国語という,語派どころか語族レベルでばらばらの言語をぜんぶ読みこなしたとしたら恐るべきことです),先述の 1966 年版を見てみても彼がなにをもとに訳したのかどこにも書いていないっぽいんですね.序文ではシャーロット・ゲスト版とロトの仏訳 (わずか 1 年の差なのに 1913 年の新版にもきちんと言及している),それに現在でも一目置かれている 1887 年の John Rhys と John Gwenogvryn Evans による『ヘルゲストの赤い本』の翻刻版 (The Text of the Mabinogion from the Red Book of Hergest) には言及していますが,どれをもとに訳したというようなことはどうやら述べられていません.

それで私もまだ自分で詳しく検討したわけでないのではっきりしたことは言えないのですが,どうもルートヴィヒ・ミュールハウゼン (Ludwig Mühlhausen) 編の『マビノギ四枝』(Die vier Zweige des Mabinogi (Pedeir Ceinc y Mabinogi), 初版 1925) の増補改訂版 (1988) に付されたシュテファン・ツィマー (Stefan Zimmer) による序文 (S. XIII) の脚注に,ブーバーの訳は「ロト〔の仏訳〕によっていると推定される」(„vermutlich nach J. Loth“) と書かれていてびっくりしました.

これが事実なら仏訳からの重訳ということになりますが,底本を明らかにすることは現在ではあたりまえと考えられているところ (同時代の研究者の手の入った重訳ならなおさら),100 年あまり昔の当時にはそうでもなかったのでしょうか.いえ,フランス語版について述べる次回に触れるとおり,ブーバー訳のさらに 70 年まえ (1842 年) にゲスト夫人の英訳からの重訳と断らず仏訳を発表した人物が非難される事件があったので,やはりこの時代にも問題であったはずです.

さて前掲のミュールハウゼンのマビノギ四枝は校訂版であって訳はついていないので,ブーバー以後『マビノギオン』のドイツ語訳は長らく現れず,かなり最近 (1999 年) になってケルト学者ベルンハルト・マイヤー (Bernhard Maier) による翻訳 Das Sagenbuch der walisischen Kelten: Die vier Zweige des Mabinogi がようやく出ました (ケルトの神話や文化に詳しい人なら,『ケルト事典』の著者として聞き覚えのある名前でしょう).これもまたマビノギの四つの枝だけの翻訳ですが,中期ウェールズ語からの初訳 („Erstmals ... aus der Originalsprache, dem Mittelkymrischen“) とはっきり書かれています (ということはやっぱりブーバーのものはそうでないと考えられていることになります).日本の Amazon から買えて送料込 1 000 円ちょっととたいへんお買い得です.

では四枝以外の 7 つないし 8 つの物語についてはドイツ語訳がないのかというと,これは私は実物未見ですが,上記ミュールハウゼン改訂版の編者であるツィマーが,2006 年に Die keltischen Wurzeln der Artussage: Mit einer vollständigen Übersetzung der ältesten Artuserzählung Culhwch und Olwen という書籍を出しているようです.タイトルどおりなら『キルフーフとオルウェン』の物語の全訳を含んでいるということで,版元のページによる商品説明にも「初期ウェールズ語のテクスト」(„Frühe walisische Texte“) という文言が見えます.これ以外については寡聞にして存じません.

末筆になりますが,わが国日本ではなんと 2000 年に中期ウェールズ語からの完訳,中野節子訳『マビノギオン―中世ウェールズ幻想物語集』が JULA 出版局から刊行されています.たいへんな偉業なのでぜひとも買い支えてあげてください.そのほかシャーロット・ゲスト版からの翻訳が北村太郎訳 (1988 年)井辻朱美訳 (2003 年) で知られています.より断片的あるいは間接的な紹介はほかにもあるみたいですが,まとまった形としてはこの 3 つですべてでしょうか.