Affichage des articles dont le libellé est 誤植訂正. Afficher tous les articles
Affichage des articles dont le libellé est 誤植訂正. Afficher tous les articles

mercredi 25 novembre 2020

Guiraud, 有田訳『ギリシア文法 [改訳新版]』誤植訂正

シャルル・ギロー著、有田潤訳『ギリシア文法 [改訳新版]』(白水社、2003 年) の誤植訂正。底本は 2010 年 5 月 30 日第 2 刷。行数の表記にある上矢印 ↑ はページの下から数えることを意味し、その場合脚注の行数は含めないものとする。

  • 2 頁 11 行:「方法よって」→「方法よって」
  • 7 頁 3 行:「――「幹母音」F voyelle thématique」の後ろに閉じるダッシュが欠。前後のページにおけるダッシュの使いかたと比べれば脱字と思われる。
  • 15 頁脚注 1:「(「閉じた」F fermé」の後ろに閉じ括弧「)」が欠。
  • 17 頁 7 行:「べつとば」→「〜すれば」または「ば」
  • 17 頁脚注 1:「[エイ,エ]」、伸ばし棒が漢数字の 1 になっている。
  • 19 頁 ↑6 行:「17 ペジ参照」、同上。
  • 24 頁 8 行:「まぬれる」→「まぬれる」または「まぬれる」(140 頁 9 行には後者の例あり)
  • 25 頁 9 行:「εμι」→「εμι」
  • 25 頁脚注 2:「「或る(人,物)」意味する語」→「〜意味する語」
  • 26 頁 11 行:「κ (ἐξ)」→「κ (ἐξ)」
  • 27 頁 ↑6 行:「γὼ」→「γὼ」
  • 27 頁脚注 1:「θεος + κῦδος」、「θεός」に鋭か重のアクセントがほしい気がするが、原書はどうか。
  • 33 頁 8 行:「この曲用にに従う」→「〜従う」
  • 34 頁 ↑4 行:「にいて一言述べておきたい」→「にいて〜」
  • 35 頁 10 行:「「神殿」を意味る」→「〜意味る」
  • 36 頁 6 行:「ἀδρός」→「ἀνδρός」
  • 37 頁脚注 2:「18 ペジ参照」、漢数字の 1
  • 38 頁 11 行:「38 ページ参照」→「36 ページ参照」
  • 38 頁脚注 1:末尾に句点「.」欠
  • 39 頁 ↑9 行:中性複数主格「*ἀληθές-α」→「*ἀληθέσ-α」
  • 40 頁 10 行:「属 αίδοῦς (<*αίδόσ-ος)」→「属 αδοῦς (<*αδόσ-ος)」。鋭アクセントを無気記号に。
  • 41 頁 ↑10 行:複数対格「παρέρες」→「πατέρες」
  • 41 頁脚注 1:「Morphologoe」→「Morphologie
  • 42 頁 7 行:「対 ἄνδ-ρα」→「対 ἄνδρ-α」
  • 45 頁 6 行:「ώτ-ός」→「τ-ός」
  • 48 頁 ↑6–2 行:複数および双数のすべての格で「ἰ」の無気記号が鋭アクセント「ί」に間違えられている (計 9 ヶ所)。さらに双数直格では「ίξθῦ」→「ἰχθῦ」。
  • 50 頁脚注 2:「Ju-, Ju- の部分」とあるが、同じ「Ju-」の重複を 1 つ削除、または後者がマクロンつき「Jū-」の誤りか。
  • 58 頁 ↑7 行:「-ις- ではなく,-ιοσ- の形で」→「-ισ- 〜」
  • 59 頁 3 行:「最 ἔχθίσ-τος」→「最 ἔχθισ-τος」
  • 59 頁 ↑11 行:「νδοξότερος」→「νδοξότερος」
  • 60 頁 14 行:「最上級は -αίοτατος ではなく」→「〜 -αιότατος 〜」
  • 60 頁 ↑9 行:「ἴσος「等しい」,比 ἰσαίτερος,最 ἰσαίτατος」。直前の例 μέσος の提示法と比べても、またコンマがあることから見ても丸括弧は不要。
  • 61 頁 ↑5 行:中性双数主・対格「τ」→「τώ
  • 62 頁 1 行:「οτος「この,これ,その,それ」」→「οτος 〜」
  • 62 頁 3 行:「κεῖνος「あの,あれ」」→「κεῖνος 〜」
  • 62 頁 10 行:「οτος」、2 つ上と同じ。
  • 62 頁 ↑5 行:「これは *ταυτῶν となるはずであった」。不確かだが、男・中性形 τούτων と比べればアクセントは「*ταύτων」ではないのか? それとも第 1 変化として -ῶν に推定する意図?
  • 63 頁 12 行:「幹母音式語幹がが」→「〜が」
  • 64 頁 ↑8 行:「ὁ αὐτος πολίτης」→「ὁ αὐτς πολίτης」
  • 64 頁 ↑6 行:「ギリシア語の関係詞 ς」→「〜 ς」
  • 65 頁 7 行:「ホメーロスにある ὅσ τε」→「〜 ὅς τε」
  • 65 頁 15 行:「E that, D daβ」→「〜 daß」または「dass」、ベータとエスツェットはぜんぜん違う文字。
  • 65 頁 ↑9 行:「ντινων」→「ντινων」
  • 65 頁 ↑1 行:「ἄττα = τινά」、ここでは前接語の不定代名詞として言われているのでアクセントなしの「τινα」(前頁 3 行も参照)。
  • 65 頁脚注 1:「lre partie」→「1re partie」、L ではなく数字の 1
  • 68 頁 9 行:「今げられた」、旧字を使っているのはここだけ。
  • 68 頁 10–11 行:「直接指す(いわゆる「再帰的」用法)である」、「か」が重複。
  • 69 頁 11 行:「αὐτούς, -ς, -ά」→「〜 -άς, 〜」
  • 70 頁 2 行:「αὐτον, -ήν, -ό」→「αὐτόν, 〜」
  • 70 頁 10 行:「この ἑ- は αὐτσ́ν の諸形と結合する」→「〜 αὐτόν 〜」。どうやって打ったのか不思議だがシグマにアクセントは乗らない。
  • 70 頁 ↑3 行:女性 1 人称複数属格「μῶν αὐτών」→「μῶν αὐτν」
  • 71 頁 ↑3 行:「-ον́」→「-όν」。2 つ上に同じ。
  • 71 頁脚注 2:「*sewo-s>ἑός, *sewo-s>ὅς」、後者は「*swo-s」。
  • 72 頁 12 行:「μέτερος「われわれの」」→「μέτερος 〜」
  • 73 頁 (表を除き) 7 行:「*ἑμός, *ἑμι となるはず」→「〜 *ἑμί 〜」
  • 73 頁脚注 1:「A tennatative Grammar of Mycenean Greek- Götenorg, 1960」→ tentative, Mycenaean, ハイフンをコンマに、Göteborg。
  • 75 頁 ↑8 行:「ἑπτά「7」にたいする ἕβδομος「第 7 の」,ὀκτώ「8」にたいす ὄγδοος「第 8 の」」、後半は「たいす」の脱字。
  • 75 頁 ↑3 行:「ες, κατά+対格」→「ες 〜」
  • 78 頁脚注 2:「フランス文法式に「先立未来」F futur antérieur と称する」。フランス語学の用語では「未来」が支配的。前未来・前過去を先立未来・先立過去とも呼ぶのはイタリア語学だけではないか? 古い呼びかたかとも考え念のため田辺『フランス文法大全』(白水社、1955 年) にもあたったが「前未来」の名しか確認できなかった。
  • 79 頁脚注 1:文末が閉じ括弧」で終わっているが、対応する開き括弧がなく、句点「.」の誤りか。
  • 81 頁 ↑8–7 行:「1) 第 1 次語尾は現在系および接続法に,第 2 次語尾は過去系および希求法に用いられる」とあるが、「1)」だけがあって「2)」がないので、たぶん「第 2 次語尾は〜」のまえに必要。
  • 81 頁脚注 2:第 1 次語尾のうちに「未来完了」が欠けている。
  • 82 頁 2 行:「過完 -λελύκη」→「〜 -λελύκη」
  • 82 頁 ↑8 行:「似二重母音 ει」。このほうがふつうの漢字表記だと思うが、これまで本書は一貫して「似」と書いている (17 頁脚注 1、19 頁 ↑6 行および ↑3 行、27 頁 ↑6 行)。以降同じものの指摘は省略するが、全体を通して統一されるべき。
  • 83 頁 10 行:節の最後にもかかわらず「ἐψαυκέναι,」とコンマで終わっている。もしこの続きに訳し抜けがあるのでなければ、ピリオドの誤り。また、その上の行の末尾には本来コンマがあったかもしれない。
  • 83 頁 ↑3 行:複数 3 人称「δίδο-ᾱσι(ν)」→「διδό-ᾱσι(ν)」
  • 85 頁 5 行:複数 2 人称「δίδοτε」はハイフンでなくおそらく en ダッシュになっている。あまり細かいことを言うようだが、実際の紙面では表中で並んでいるなか 1 つだけ違うので悪目立ちしている。
  • 86 頁 1–5 行:「λύ-ωμεν」以下 5 ヶ所。同上。
  • 86 頁 1–3 行:「διδῶμεν」以下 3 ヶ所。こちらは語基と活用語尾を区別するハイフンがすっぱり抜けている。
  • 86 頁 ↑7 行:双数 2 人称「λυ-ο-ίην」→「λύ-ο-ιον」
  • 87 頁 ↑2 行:「名詞的尾辞」→「〜尾辞」
  • 87 頁脚注 3:「p. 129-134」→「pp. 129–134」
  • 88 頁 8 行:女性単数属格「λυούσης」、ハイフンに
  • 88 頁 ↑11 行:「接続接続する」
  • 90 頁 ↑2 行:双数 2 人称「λυ-ο-ί-σθην」→「λύ-ο-ι-σθον」、「διδο-ί-σθην」→「διδο--σθον」
  • 92 頁 12 行:双数 2 人称「ἐ-λυ-έην」→「ἐ-λύ-εον」、「ἐ-διδόην」→「ἐ-δίδοον」
  • 93 頁 10 行:双数 2 人称「ἐ-λυ-έ-σθην」→「ἐ-λύ-ε-σθον」、「ἐ-διδό-σθην」→「ἐ-δίδο-σθον」
  • 95 頁 12 行:複数 2 人称「ἐλύ-σ-α-τε」→「ἐ-λύ-σ-α-τε」
  • 95 頁 14 行:双数 2 人称「ἐ-λυ-σ-άην」→「ἐ-λύ-σ-αον」
  • 96 頁 15 行:単数 2 人称「λύ-σ-ειας」。このアイオリス風希求法は分析が難しいのかもしれないが、複数 3 人称が「λύ-σ-εια-ν」とされているのに比べれば「λύ-σ-εια-ς」になるはず。
  • 96 頁 ↑4 行:双数 2 人称「λυ-σ-α-ίην」→「λύ-σ-α-ιον」
  • 97 頁 1 行:「λύσ-αι」は前後と比べてハイフンを削除。
  • 97 頁 ↑8 行:単数 1 人称「έδόθην も同様」→「δόθην 〜」
  • 97 頁 ↑2 行:双数 2 人称「ἐ-λυήην」→「ἐ-λύηον」
  • 97 頁脚注 1:「Chatraine」→「Chantraine」
  • 99 頁 8 行:双数 2 人称「λυ-θε-ίην」→「λυ-θε-ον」
  • 99 頁 9 行:双数 3 人称「λυ-θε--την」→「λυ-θε-ί-την」
  • 99 頁 ↑2–1 行:「ἐμίγην「混合された」(μείγνυμι「混合する」)」という一文が脈絡なく現れているが、次頁 6 行以下にもあるのでおそらく誤って混じったものか。
  • 100 頁脚注 3:「A. Préυot」→「A. Prévot」。なお検索すると o もシルコンフレクスのついた Prévôt の表記も見つかり、どちらが正しいか要調査。
  • 100 頁脚注 4:「この -οκ-」→「この -σκ-」
  • 101 頁 13 行:複数 2 人称「ἐλύ-σ-α-σθε」→「ἐ-λύ-σ-α-σθε」
  • 101 頁 15 行:双数 2 人称「ἐ-λυ-σ-ά-σθην」→「ἐ-λύ-σ-α-σθον」
  • 104 頁 ↑8 行:双数 2 人称「όην」→「οον」、「ό-σθην」→「ο-σθον」
  • 105 頁 15 行:単数 3 人称「δ」→「δ
  • 106 頁 ↑2 行:双数 2 人称、語尾のまえにハイフン
  • 108 頁 ↑1 行:「-*ᾰνσι」、アスタリスクをハイフンのまえに
  • 108 頁脚注 1:「ἐπιθόημν」→「ἐπιθόμην」
  • 109 頁 5 行:「δεδώκωδεδώκῃς,. . .」、コンマに
  • 110 頁脚注 3:「στημι」→「στημι」
  • 111 頁 4 行:女性単数属格「τεθνεσης」→「τεθνεώσης」
  • 112 頁 15 行:「を有し未完了と同様に」、コンマに
  • 113 頁 9 行:双数 3 人称「σ-την」→「σ-την」
  • 114 頁 9 行:「語内の yod -y」、ハイフンに
  • 115 頁 6–9 行:ほとんどぜんぶアクセントが間違っている。単数の 3 つは ἥ- でなく ἧ-、複数の 3 つおよび双数 2 人称は εἵ- でなく εἷ-。双数 3 人称 εἵτην のみが正しい。8–9 行の > の後ろも同様に直すこと。計 9 ヶ所。
  • 116 頁 ↑6 行:接続法現在単数 2 人称「ς」→「ς」
  • 116 頁 ↑2 行:希求法現在双数 2 人称「ετην」→「ετον」
  • 116 頁脚注 1:「Mycenean」→「Mycenaean
  • 117 頁 7 行:未完了双数 2 人称「στην」→「στον」
  • 118 頁 11 行:接続法現在単数 2 人称「ἴς」→「ἴς」
  • 118 頁 ↑3 行:未完了双数 3 人称「την」→「την」
  • 119 頁 3–4 行:「アクセントは 25 ページ」と注記し、また 116 頁の εἰμι の諸形の表示に倣うならば、φῄς 以外のアクセントはすべて削除。逆にもしそうでないなら 8 行「*φανσι > φᾱσι」の後者にはアクセントが必要。
  • 120 頁 3 行:「完了の語尾 -θα-」、後ろのハイフンは不要
  • 120 頁 ↑4 行:「受動」→「受動
  • 120 頁 ↑3 行:「. . .」を削除
  • 120 頁脚注 2:「ἦν δ’ἐγώ」と「ἦ δ’ὅς」、δ’ の後ろにスペース
  • 125 頁 ↑11 行:単数 3 人称「ἐλᾷς」→「ἐλᾷ」
  • 127 頁脚注 2:「d’Homère Euripide」→「d’Homère à Euripide
  • 132 頁脚注 4:「έρήνην」→「εἰρήνην」
  • 133 頁 14 行:「δει」→「δει」
  • 134 頁脚注 2:「Oxford, Clarendon, Press」、第 2 のコンマを削除
  • 136 頁 2 行:「οὐ πυθόμην」の次にコンマを追加
  • 140 頁 ↑10 行:「F subiectum」→「L 〜」
  • 141 頁 ↑3–2 行:ここでは感嘆詞「おお」が「ὤ」となっているが、次頁では 3 ヶ所とも「ὦ」で、どちらのアクセントも実在するようではあるがなぜ断りもなくまちまちに使うのかわからない。原書のとおり?
  • 144 頁 ↑11 行:「τό δῆγμα」→「τ 〜」
  • 147 頁 3 行:「κατέρων」→「κατέρων」
  • 147 頁 ↑10–2 行:動詞が列挙されているが、-ειν, -σθαι の不定詞と -ω, -μι, -μαι の現在 1 人称単数が混在しており気もちが悪い。たとえ原書がそうだとしてもこれは直すべきところ。以降の頁を考慮すれば不定詞に統一するほうがよい (その場合計 3 ヶ所)。
  • 148 頁 7 行:「それは部分属格であろうかそれとも奪格的属格であろうか ラテン語〜」、最初の疑問符のあとにも全角スペースを追加
  • 150 頁 1 行:同上
  • 150 頁 9 行:「ἐπί「〜のうえで」,μετά「〜とともに」,ἄχρι「まで」」、「まで」にも「〜」を追加
  • 150 頁脚注 2:「λαθρᾳ,λαθρῃ」→「λάθρᾳ,λάθρῃ」
  • 152 頁脚注 1:「148 ペジ」、漢数字の 1
  • 152 頁脚注 2:「comitatatif」→「comitatif」
  • 156 頁 4 行:「ο τοὺς νόμους」→「ο 〜」
  • 156 頁 12 行:「163 ペジ参照」、漢数字の 1
  • 157 頁 10 行:疑問符のあとにスペース
  • 158 頁 2 行:「これ対して」→「これ対して」
  • 158 頁脚注 1:「D Konjunkiv」→「D Konjunktiv」
  • 158 頁脚注 4:「F éventualité」、F 以外はローマンに (161 頁 6 行も参照)
  • 159 頁 ↑4 行:「μὴ ο θεμιτὸν 」→「μὴ ο θεμιτὸν 」。後者は下書きのイオタだけでなく気息記号も逆。
  • 161 頁 13 行:疑問符のあとにスペース
  • 162 頁 ↑8 行:「εθε」→「εθε」
  • 162 頁 ↑4 行:「εἰ γαρ」→「εἰ γάρ」
  • 163 頁 ↑5 行:「δ’ἂν」、δ の後ろにスペース
  • 164 頁脚注 2:「たとえ」→「たとえ」、「βούλεται(直説法). . . を」→「βούλεται . . .(直説法)を」
  • 167 頁脚注 1:「εναι」→「εναι」
  • 168 頁 13 行:「143 ペジ」、漢数字の 1
  • 170 頁 12 行:「ερημένα」→「ερημένα」
  • 174 頁 ↑2 行:「正していただい」→「正していただい

mercredi 23 septembre 2020

中山『ラテン語練習問題集』の難所および疑問点 (第 21 課から)

前回の記事の続きで、中山恒夫『ラテン語練習問題集』(白水社、1995、新装版 2009) を最後まで解き終わったので、第 21 課以降で私が引っかかった箇所や誤記と思われる箇所について覚え書きを残しておく。


練習問題 XXI


1. 3) eō は指示代名詞 is の男性単数奪格で、quod adest の先行詞となり原因の奪格。

1. 12) « G. (= Gāius) Iūlius Caesar » とあるが、イニシャルで書く場合は C. の間違い (cf. 第 16 課 5 節、練習問題 XIX 3. 1).)。

1. 14) 問題文の pugnāvērunt は語幹の ū にマクロンが欠けている……と思ったが、べつの本では pugnō だったりする。だがこの本の単語集では pūgnō で立項されているし、これまでの説明や問題文 (たとえば第 8 課 6 節、練習問題 VIII 4. 8) などなど。また練習問題 X 4. 3) などにおける expūgnō も同様) も一貫してそうだったはずである。

2. 4) 問題文は vēre「春に」なのに解答の訳が「夏に」になっている。

2. 20) « Fugientēs urbibus receptī sunt. »「逃げる人々は町々に迎え入れられた」。私は奪格 urbibus を「町々から」と思いこんだのと、単語集で recipiō が「取り戻す」の語義しか載っていなかったこともあいまって、「町から逃げる人々は取り戻された=ふたたび捕まった」のかと考えた。このように読むには ab urbibus と前置詞が必要だろうか?

5. 9) « Discite, dum occāsiō discendī est ! » いちおう est を選んで正解はしたが、選択肢にある未来 erit は絶対にだめなのだろうか? 「学ぶ機会があるかぎりずっと」でも通りそうなものだが。

練習問題 XXII


2. 4) および 5) 接続法の時制の使いかたがどうもわからない。ut 節には完了は来ないのだろうか? 「順風がなかった」(前半が過去完了) とか「橋はきわめて早く完成した」(前半は完了) とか一回的なできごとなので、過去完了や完了だと思って habuisset, perfectus sit と書いてしまったが、正解はどちらも接続法未完了 habēret, perficerētur だった。未完了が過去の同時性であることは当然わかるが、とくに後者はアスペクト的に腑に落ちない。

5. 例.cōpiās の o にマクロンがついていない。

7. 4) 例および残りの 4 問のように主文の主語を奪格にするのではないところが難しい。かならず主文の主語をそうするのかと思って、完了受動分詞で Lēgātō ā nūllō hoste prohibitō と書いたが、そうすると後半の動詞 potuit が浮いてしまう。しかしこれも不定の 3 人称複数 potuērunt に変えればいけるだろうか?(文意からして不定主語は不可能?)

練習問題 XXIII


2. 1) ここまでずいぶん類題をこなしてきたが、そもそもこの分詞構文などに書きかえよという問題ではどれくらい同じ意味・ニュアンスが保たれているのか、解答集には書きかえ前の訳文しか載っていないのでわからない。書きかえられるということはもちろんおおむね同義のはずだが、今回の問題は本当にそうなのか疑わしい。« Carthāginiēnsēs, quamquam pācem petīverant, impetum in nāvēs Rōmānās fēcērunt. » に対して « Carthāginiēnsēs pāce petītā impetum in nāvēs Rōmānās fēcērunt. » というのが模範解答だが、前者では「講和」を求めているのは明らかにカルタゴ人であるのに対し、後者の「講和が求められていながら」という絶対奪格からは、講和を求めていたのがカルタゴ人だったことが本当に読みとれるだろうか。この後者の文だけを切りとって見ると、むしろローマ側もしくは不定一般の世論によって平和が求められているところをカルタゴ人が一方的に攻撃したような感じを受けないか。もしそうだとすればこの書きかえという問題はどうして可能になるか。

5. 例.書きかえ後の fīliī が書きかえ前では filiī となっている (マクロン欠)。

6. 3) および 7) 解答が ut ... nōn になっているが、願望文や目的文が否定の場合 nē を使うのではなかったのか?(cf. 第 9 課 4, 6 節)

練習問題 XXIV


2. 2, 6, 7) 問題がこのとおりならば、対応する第 24 課 2 節 (ferō の複合語) の説明がよくない。その節では 2) に現れる intulit < īnferō が一覧から漏れているほか、differō には「延ばす」、cōnferō は「比べる」の語義が与えられているところ、問題では「異なる」および「集める」の意味で使われている (cōnferō は 9) では「比べる」の意味に使われているからまだしも、differō「延ばす」はこの練習問題 XXIV 全体を通してどこにもない)。ついでに 7) の問題文で ūnum のマクロンが欠けている。

3. 8) ラテン語がわかるだけでは解けない問題。というのは aestāte exeunte「夏の終わりに」と ineunte vēre「春の初めに」の現在分詞を入れる空欄は、交換して「夏の初めに」「春の終わりに」のように埋めても文法的に成り立つから。一方で動詞 abit と redeunt の欄は主語の数 (magna avium pars の単数と omnēs の複数) が異なるためちゃんと決まるのでよい。

4. 2) metuī は第 4 変化名詞 metus, -ūs, m.「恐怖」の与格と同形だが、そうではなくここは動詞 metuo, -ere, -uī「恐れる」の不定法受動態現在である (直説法能動態完了 1 単とも同形でたいへんややこしい)。

4. 8) « cum nōlueris, nōn potuistī. »「欲しなかったからできなかったのだ」は理由の cum なので接続法完了 (第 10 課 3 節)。

5. 2) 解答の訳文が「ぼくは」となっているが、faciēmus (直・能・未来 1 複) なので「ぼくたちは」。

5. 3) 問題文 fīliī のマクロン 1 つ欠 (解答のほうは正しい)。

練習問題 XXV


1. 8) ここが初出でもないのでいまさら書くことではないのだが、いま気づいたので。単語集で「flūmen, -imis, n. 川,流れ」となっているが、これでは属格が *flūmimis になってしまう。-inis の誤植。

練習問題 XXVI


3. 2) 問題文 longitūdinem のマクロン欠。

4. 3) 問題の指示が直説法未完了過去だったので patiēbantur と書いたのだが、解答が paterentur (接続法未完了過去) になっていた。これは解答の誤り。

5. 3) fēceris は直説法未来完了ではなく接続法完了、間接疑問のため (第 25 課 4 節)。

9. 1, 2, 3)「主格を属格か奪格のどちらかに変えなさい」という問題で、問題文の括弧内は単数なのに解答は複数になっている。4) と 5) では括弧内が複数主格の dīvitiae, iniūriae になっているとおり、数を変えろとは書かれていないのだから問題文を複数に直すべき。

9. 2) Nē glōriātus sīs は接続法完了だが、この完了は禁止の言いかたであって過去の意味はない (第 24 課 6 節。また松平・国原『新ラテン文法』§613 によればこれは nōlī + 不定法現在に比べてより強制的なニュアンスという)。

練習問題 XXVII


2. 5) « Caesar metuit, nē hostēs noctū ex oppidō (profugere). » の動詞を適切な時制の接続法に変えよという問題。だが主文の動詞 metuit は 3 単では直説法現在と完了が同形であり、そのうえ文意から副文は同時でも以前でも成りたつため、4 通りの答えが可能のように思われる:つまりカエサルは敵が夜のうちに町から「逃げないかと恐れる/恐れた」「逃げてしまったのでないかと恐れる/恐れた」、順に接続法現在 profugiant, 未完了過去 profugerent, 完了 profūgerint, 過去完了 profūgissent。ちなみに模範解答は 2 番めで私も正解したが、それは前問までの流れから見て未完了を書かせたいだろうなという忖度による。

3. 4) 問題・解答ともに mīlle のマクロン欠。

5. 5) ヘルウェーティイー族とゲルマーニー人の 2 民族が出てくるが、日本語ではどちらも「彼ら」と訳しうる代名詞のうち、指示代名詞の eōs, eōrum は一貫して G. のほうを指し、文の主語である H. は再帰所有形容詞 suīs か強意代名詞 ipsī で受けられている。このうち副文中 2 つめの aut の次に出る ipsī は主語の述語的同格「自分たち自身でも」。主文の cottīdiānīs ferē proeliīs「ほとんど毎日の戦闘で」は奪格だと思うが正確に何の奪格かはわからない (時や場所? 手段?)。ちなみにこの問題文は『ガリア戦記』I 巻 1 章 4 節を少し改変したもの。

5. 6) commīsērunt < committō は単語集では「(悪事などを)行なう,犯す」としか書いておらず、解答の訳文にある「開始する」の意味が載っていない (水谷羅和には 4 番めの語義として挙げられており、「proelium [pugnam] committō 会戦する」というイディオムとしても出ている)。

練習問題 XXVIII


2. 2) ānserēs Iūnōnī sacrī「ユーノーに捧げられたガチョウ」を見ると sacer に「〔与〕に捧げられた」の意味があることがわかるが、単語集には「神聖な」としかなく自力でこのようには訳せない。最終段 Rōmānīs はふつうの利害の与格「ローマ人にとって」、salūtī fuit は目的の与格「救いであった」(第 18 課 6 節の例にはないが、『標準ラテン文法』§62 [4] b.)。

2. 4) trānseundus は trānseō の動形容詞の男性単数主格で Rhodanus に一致しており、Helvētiīs は行為者の与格 (第 19 課 3 節)。

2. 5) centuriō「百人隊長」が解答の訳文で「百人隊」になっている (脱字)。この原文は『ガリア戦記』V 巻 44 章 4 節。先行詞 pars hostium が関係文のなかにとりこまれたもので、主文では対格であるべきところ。Kelsey のテクストでは主文に in eam と方向の対格が補われている。

練習問題 XXIX


1. 1) 単語集にミスあり。「pulvis, -is, m. 砂」となっており、これでは属格形が pulvis になってしまう。正しくは pulveris なので pulvis, -eris。

2. 12) quō には先行詞がなく、関係代名詞の奪格というよりは「そこへ」という副詞ととるのがよいかもしれない:「そこへ投げ槍が届きうる (ところの範囲) よりも遠く離れてはいなかった」。原文は『ガリア戦記』II 巻 21 章 3 節改変。

2. 13) 関係文のなかの主語 (非難される対象) は tū かと思い reprehendāris としてしまったが、quae が主格 (= inertia tua) だからそれは不可能か。

練習問題 XXX


1. 9) 問題文 virtūte のマクロン欠。

2. 2) postulāta は中性複数対格 (少なくとも旧版の単語集では postulātum が補遺に隔離されていて見つけづらい)。出典は『ガリア戦記』I 巻 44 章 1 節および 7–8 節省略改変。

2. 3) 出典はリーウィウス『ローマ建国史』XXXIV 巻 11 章 5–6 節改変、ただし冒頭のみ『ガリア戦記』I 巻 31 章 2 節と混合している。第 2 文の repulsos ab Rōmānīs は不定法句の対格主語 sē に一致した男性複数対格で、「追い返されたら」という条件を与えている述語的分詞句 (第 23 課 1 節)。第 3 文 speī は nihil にかかる配分の属格 (第 15 課 5 節、および練習問題 XV の 7. 4) と関連)。

2. 4) 出典はスエートーニウス『ローマ皇帝伝』II 巻 (アウグストゥスの巻) 28 章 5 節改変。quam は urbem < urbs を受ける関係代名詞の女性単数対格で、関係文のなかの latericiam は述語的分詞のかわりをする形容詞「煉瓦造りであるときに (であるものとして)」か。

2. 5) 出典は『ガリア戦記』IV 巻 16 章 5–6 節一部省略。reliquī は temporis にかかる中性単数属格であって、relinquō の完了 relīquī とは第 2 音節の長短が違う。最後の futūrum は未来不定法の esse が省略されたもの (主語は対格の id なので未来分詞が中性単数対格)。

2. 6) 出典は『ガリア戦記』I 巻 31 章 3–5 節改変。最初のコロン以下、Haeduī et Arvernī は外置されているが次の cum 節の中にある主語で、歴史的または時の cum なので contenderent は接続法未完了。主文の動詞は factum esse であり、これは ut の導く名詞的結果文を伴う非人称の fit < fīō の完了時制の不定法である (第 22 課 2 節、ならびに練習問題 XXII 2. 3) をとくに参考。非人称なので中性単数、ディーウィキアークスの語る間接話法だから不定法句)。最後の trāductōs esse は不定法受動態完了・3 人称男性複数=plūrēs「いっそう多くの〔ゲルマーニー〕人たち」に一致。


終盤のほうで何度か問題文の出典箇所を探ることに努めたが、『ガリア戦記』からの採用がずいぶん多いことが見てとれる。解答上とくに注意点がなかったので触れなかったが、最後の大問では 1) も『ガリア戦記』I 巻 42 章 4 節である。

ラテン語の勉強のために『ガリア戦記』を読もうとする場合、ラテン語原文と比べるには岩波文庫の近山金次訳がいちばん直訳に近く忠実で便利かと思う。逆に講談社学術文庫の国原吉之助訳は日本語としてうますぎる箇所が多いため、対照のためよりは読書としてそのものを読むのに向いている、あるいは達意の訳文がゆえに高い目標として掲げるのもありかもしれない。平凡社ライブラリーの石垣憲一訳は両者の中間という感があり、前 2 者よりも後発かつ大人数の勉強会から生まれた産物というだけあって、まじめな作業を経た可もなく不可もなしという翻訳。ただし近山訳の注釈がずいぶん学問的にすぎるのに対して、この石垣訳は地理的その他の背景情報につきかゆいところに手が届く適切なレベルで初心者の目線に立っており親切である。岩波から出た単行本の高橋宏幸訳は現在最新の翻訳で評判も高いが私は現物未見。なお I 巻に限れば大学書林から遠山一郎訳注の対訳本も出ており、(言) 語学的な注解が豊富で役に立つ。以上のほかにも若干のものがあるがわざわざ言及に値しない。

vendredi 11 septembre 2020

中山『ラテン語練習問題集』の難所および疑問点 (第 20 課まで)

中山恒夫『ラテン語練習問題集』(白水社、1995、新装版 2009) の大半を解き終わったので (全 30 課のうちの 20 課。後のほうほど注記が長くなりそうなのでいったんここで切っておく)、その過程で私が間違えた箇所、難しいと感じた箇所について、たんなる覚え間違いや不注意のミスは除き、後続の学習者にも役に立つかもしれない点に絞って覚え書きを残しておく。

私の手元にあるのは新装版になるまえの旧版のおそらく最後の刷 (2005 年 3 月 30 日第 4 刷) であり、以下に記す誤植等の指摘のなかには新装版ですでに解消されているものもあるかもしれない。

ところで旧版の別冊解答・単語集が新装版では巻末に一体化されてしまったというが、何百回何千回と開かなければならない解答・単語集は別冊のほうが望ましいことは学習していれば誰でも実感されることであり、これは残念な改悪である。しかしもしこのために古本で手に入れようとする場合は、別冊や付録というものは失われていることが多いので注意されたい。



練習問題 I, II, III ― とくになし


練習問題 IV


6. 5) 問題文中 porcōrum < porcus, -ī, m.「豚」が単語集 P の欄に出ておらずミスかと思ったが、単語集最後のページの補遺に含まれていた。初刷では抜けていたものを追加したということだろうが、気づきにくい。新装版ではちゃんと順番どおりの箇所に入れられているとよいが。

11. 1) 動詞 dōnō「…に〜を贈る」には、日本語の感覚で自然な「与格の人に対格の物を」だけでなく、「対格の人に奪格の物を」という語法がある。すぐ前の 8. では与格の puellīs に対格の pōma を与えていたこともあって、この問題の suam fīliam, ... fīliam vīcīnī pōmīs では (pōmīs が与格と奪格で同形ゆえ) 与格と対格が逆でないかと悩み時間をとられた。

練習問題 V, VI, VII ― とくになし


練習問題 VIII


1. 5) 受動文に変えるという問題。Quid が主語かと勘違いし対格目的語が見あたらず戸惑ったが、これが対格で主語は明示されていない不定の 3 人称複数だった。

6. 例の書きかえ後の文、ならびに 7. 6) 問題文の文末にピリオドがない。

練習問題 IX


4. 2) 動詞 sacrificāmus, sacrificēmus < sacrificō は付属の単語集によれば他動詞で「犠牲に捧げる、供える」とだけ出ているが、この問題文 (のみならず他のほとんどの箇所でも) には対格目的語 (捧げられるもの) が含まれていない。ここでは自動詞として使われているものと思われる。

練習問題 X


2. 4) および 5) 問題文で Troia, Troiam の o の上にマクロンがついていない。

3. 4) および 6) 問題文の重文が〈直説法完了,直説法未完了過去または完了〉となっているところ、cum を使う複文で〈Cum + 接続法過去完了,直説法未完了過去または完了〉に直すもので、どうやら副文中の接続法は相対時称ということを使うべき問題であった。だが正解がこうなるということは、直説法の問題文の意味はたんに完了時制の 2 つの動詞を並列するだけで (たとえば現代フランス語における単純過去のように) その順の時間的継起・先後関係が決まるのだろうか? それともこの 2 文ではたまたま文脈からそうなったということ?

練習問題 XI


1. 1) 解答が « Sī mūrus oppidī aedificātus, erit, incolae tūtī erunt. » となっており、erit の前のコンマが誤植。

4. 7) 解答の末尾が firmātī erat となっているが、主語 aditūs は複数だし完了受動分詞 firmātī も男性複数であるとおり、erant の間違いであろう。

練習問題 XII, XIII ― とくになし


練習問題 XIV


2. 5) 動詞 dīligitis < dīligō の訳語が解答では「選出する」となっているが、付属の単語集はもとより水谷『羅和辞典』にもそういう語義は載っていない。単語集の訳語「尊敬する,敬愛する」でもふつうに通る文なので、解答の誤りか (参考までに、のちの練習問題 XVI の 1. 3) にある類似の文では同じ動詞が「尊敬した」と訳されている)。〔追記:たぶん dēligō「選ぶ」と混同したのだろう。〕

練習問題 XV


1. 4) 問題文の quod, quae から推して答えは正しく書けたが、なぜそうなるのかはわからない。前半は中性単数対格、後半は中性複数対格のようだが、考える内容が複数?

練習問題 XVI


1. 5) melle < mel, mellis, n.「蜜」が付属の単語集 (補遺も含めて) に載っていない。

7. 4) 解答および単語集 (diū の項) ともに間違っており、比較級 diutius、最上級 diutissimē の ū は長い (cf. 練習問題 XXIV 1. 6) は正しく diūtius とつづっている)。

8. 1) 単語集には vacō, -āre の語義が「空いている;暇である」しか載っておらず、「((ā +) 奪) を欠いている・から免れている」がないと vacāre culpā の意味を正しくとれない (「罪によって暇である」かと勘違いした:職を失ったのか、それとも蟄居や禁固刑みたいなことか)。それを抜きにしてもこの文は、māius と sōlācium が離れていて述語形容詞 (「逆境において慰めは大きくない」) にも見えるため、nōn est が (非) 存在であることに気づくのがなかなか難しい。

練習問題 XVII


1. 8) 同じ語の省略と考えてどちらも属格 alterīus を埋めたが、正解は後者が与格 alterī だった。だが « Duae deae [...]. Herculēs alterīus cōnsilium neglēxit, alterīus autem (cōnsiliō) obtemperāvit. » でも通るのではなかろうか? じっさい、続く大問 4. のいくつもの文ではそのような省略をしている:たとえば 2) « Fābulae hūius librī nōbīs placent, illīus displicent. » の後半における属格 illīus など。obtemperō が人でなく助言を与格目的語にとれるかどうかがネックか。

練習問題 XVIII


1. 10) perīcula maris ingentis「巨大な海の危険」にあうよう ingēns「巨大な」を変化させる問題だが、私は「危険」が「巨大」なものかと思い中性複数対格 ingentia にしてしまった。同じく 5) の 3 つめの空所 scholīs philosophōrum (nōbilis → nōbilium)「有名な哲学者の学校」も、「学校」のほうが「有名」だと思えば nōbilibus になる。別解として可能かと思われる。

4. 5) temerē「無謀に」(水谷羅和では「3 無分別に,むこうみずに」) が、(その派生前と思われる語も含めて) 単語集に載っていない。

5. 8) custōdīrī の現在 3 単。解答が custōditur となっているが、custōdītur の誤りだろう。

練習問題 XIX


1. 3) 解答の訳文が「使者の亡骸」となっているが、corpus mortuī なので「死者」の誤変換。

1. 6) これはべつに間違いの話ではないが、quae (中性複数) と hominēs はどちらもそれぞれ主格と対格が同形だから、問題の関係文は「人間を体力で凌ぐ動物」だけでなく逆に「人間が〜」と解することも文法的には可能である。その場合は現在分詞句には書きかえられず、完了受動分詞を用いて numerus animālium ā hominibus vīribus corporis superātōrum とでもなろうか。ちなみに vīribus corporis「体力において」は関係・限定の奪格 (第 12 課 1 節)。

1. 8) 文頭の laetī は主語 (私たち) の精神状態を補足する述語的同格 (第 17 課 2 節)。

3. 素朴な疑問として、ローマ数字で書くとき基数と序数を書き分ける方法はラテン語にはないのか? たとえばドイツ語では序数には 21. Jahrhundert のように点をつけて区別するし、英語やフランス語その他では -th や -e といった語尾を数字につけて表すところだが (序数標識という)。

練習問題 XX


3. 1) magis necessārium の直後に est が省略されている。nōn sōlum sibi「自分にだけでなく」の sōlum が sibi にあわせた与格にならないのは nōn sōlum ... sed etiam ~ でイディオム化しているためか?

3. 3) Plūrēs equī が文の主語で、sunt は存在。したがって vīcīnō と patrī は所有者の与格 (第 10 課 6 節)。ぼさっと眺めて雰囲気で訳していると「隣人の馬は父のより多い」なのになぜ属格でないのだろうなどと悩むことになる。

4. 1) 解答は « Studium reī pūblicae virō Rōmānō maximē necessārius fuit. » となっているが、主語は中性単数 studium なので necessārium になるのではないのか。この magis, maximē によって分析的な比較級・最上級を作る場合に、もとの形容詞 (いまなら necessārius) のほうの語尾がどうなるのか労を厭わず説明してある本はきわめて少ないが *、探せば小林『独習者のための楽しく学ぶラテン語』§122 (120 頁) には magis, maximē idōneus (-a, -um) という記述が見つかった。そもそも先述の 3. 1) にも magis necessārium の形が出ている。

* 泉井『広文典』も呉『入門』も松平・国原『新ラテン』も樋口・藤井『詳解』も中山『標準』も、無精して -us の形しか書いていない。ためにこういうミスが生じるわけである。田中『初歩』と有田『インデックス式』には magis, maximē による分析的比較級について言及そのものがない。

4. 2) 同上。主語 plērīque canēs は男性複数なので、答えは maximē idōneus ではなく maximē idōneī になるはず。

5. 1) iī は指示代名詞 is の男性複数主格で、続く quī 関係節の先行詞となり文全体の主語。

5. 4) これも主動詞が存在の erat。私は文頭の Italiae を属格と思って次の空欄に īnferiōris を入れてしまった、というのはこの属格句が後ろの nōmen を限定し「下部イタリアの名前は……大ギリシアだった」というコピュラ文だと考えたから。これでもいちおう通るのでは?

5. 8) 解答が propius となっているが、これが修飾する castra は中性複数対格なので propiōra の間違いだろう。

7. 3) Mārcum ... agentem は現在分詞の男単対。ここは知覚動詞 vīdī < videō の目的語なので、対格不定法の agere にそのまま交換することもできようが、ニュアンスはどう違うか。松平・国原『新ラテン文法』§508 注 (176 頁) が参考になる。


〔2020 年 9 月 23 日追記〕第 21 課以降は次の記事に続く。

dimanche 22 mai 2016

Briquel, 平田監,斎藤訳『エトルリア人』誤植訂正

Dominique Briquel, 平田隆一監修,斎藤かぐみ訳『エトルリア人』白水社,2009 (文庫クセジュ 932) の typo などのメモです (底本は 2009 年 2 月 5 日第 1 刷).

  • p. 12, l. ↑3: 「エルトリア」
  • p. 23, l. 5: 「埋葬された男性の戦士として役割が」→「……戦士として役割が」
  • p. 26, l. 6: 「八五〜一二九一頁」→「……一二九頁」
  • p. 37, l. ↑5: 「リュデア説」.ほかの箇所では「リュデア」.
  • p. 41, l. ↑3: 「驚かなかったのでである」
  • p. 53, l. ↑3: 「( ウェルギリウスの家名」.スペースの混入?
  • p. 54, l. 10: 「ラテン語で『トリウンス』」→「……『トリウンス』」
  • p. 56, l. 7: 「惹きけられて」.この 2 行まえでは「惹きけてきた」.
  • p. 60, l. 8: 「オリエント的な家屋『ベイト・ヒラニ』というオリエント的な家屋様式」?
  • p. 64, l. ↑1: 「三四一から三七〇頁」.ほかの箇所では「〜」.
  • p. 65, l. 5: 「商取引」.この次の行では「商取引」.
  • p. 67, ll. 8–9: 「イタリア半島南部の同じようにギリシア人をも制圧しようと」.語順?
  • p. 88, ll. ↑4–3: 「『非常に口が悪い』と(コルネリウス・ネポス……で評された)テオポンポス」→「『非常に口が悪い』(と……評された)テオポンポス」
  • p. 89, l. 3: 「いかに間違っていたことを示している」→「いかに間違っていた……」?
  • p. 94, l. 1: 「ぜいたくな暮らし」対 p. 99, l. ↑5: 「贅沢と懶惰」
  • p. 96, l. 4: 「複数形で」→「……」または「……」?
  • p. 103, l. 7: 「作られたのかもれない」.ほかの箇所ではもっぱら「かもれない」.
  • p. 104, l. 6: 「神の怒りの」.ほかの箇所では「兆」(たとえば p. 102, ll. 2, 3, 6).
  • p. 118, l. 1: 「組み合せ法」対 同 l. 4: 「組合わせ法」対 p. 121, l. ↑4; p. 154, l. 7: 「組み合わせ法」
  • p. 124, l. ↑2: 「認められることができる」?
  • p. 125, l. : 「形となり(たとえば三〇は……)、」.括弧のまえの読点を削除.
  • p. 128, l. ↑1: 「fler ……フレ」→「……フレ
  • p. 131, ll. 4–5: 「teis ……テス」→「……テス」
  • p. 134, l. 8: 「エトルリア語には……音素を持たなかった」→「エトルリア語は……」または「……音素がなかった」
  • p. 134, l. ↑2: 「つづけた、がその音価が変えられた」
  • p. 140, 訳注〔3〕: 「ゴクノーメン」
  • p. 141, 訳注〔9〕: この注が付されているところの本文の記述 (p. 121) に照らせば,主格だけでなく与格の固有名詞と並んだ例文をあげるほうが適切ではないでしょうか.
  • p. 142, l. ↑3: 「『ペラスゴイ人その伝説の……』」.「その伝説の」のまえにスペース.
  • p. 143, l. 2: ‘Les Tyrrhènes , ...’ スペースの削除.
  • p. 143, l. ↑2: 「恩師ブロックの同名の著書が本叢書で一九六四年に刊行されてからすでに四〇年」.Bloch, Les Étrusques は 1954 年.
  • p. iv: ‘G. M. Facchetti, L’enigma della lingua etrusca’ → ‘..., L’enigma svelato della lingua etrusca
  • 帯気音のカナ転写が一貫していません.無気音と区別せず「ク,ケ」などとした箇所と,ハ行音を加えて「クフ,クヘ」などとした箇所とが混在し,前者のほうがやや多い印象がありますが,p. 126 における完了形の能動 -ke と受動 -che (-khe) との対立のごとくカナ表記上区別したい気もちもあり,判断が難しいところではあります.ハ行音を加えているのは,p. 121, l. ↑1 で ‘mlakh’ を「ムラクフ」,p. 126, l. 6 で ‘-che’ を「クヘ」,p. 126, ll. 8–9 で ‘zichuche’ を「ツィクヘ」,p. 130, l. ↑4 で ‘vachl’ を「ワクフル」,p. 130, l. ↑2 で ‘ich ca cecha zichuche’ を「イ・カ・ケクハ・ツィクヘ」としている 5 ヶ所と,p. 111 の文字表および pp. 132f. の説明における χ, φ, ψ の名称に関してで尽きていると思われ,ゆらぎのほとんどは kh に関する問題で ph は φ の名称のみ,また th は一貫して無気音と同じになっています.なお ‘zichuche’ については p. 114, l. 5 では「ツィ」となっていることをあわせて指摘しておきます.

dimanche 13 mars 2016

Perrot, 支倉・堤訳『イエス』誤植訂正

Charles Perrot, 支倉崇晴・堤安紀訳『イエス』白水社,2015 (文庫クセジュ 1000) の typo などのメモです (底本は 2015 年 6 月 10 日第 2 刷).
  • p. 22, l. 3; p. 152, l. ↑5: 「ヘレニム世界」.フランス語では濁らない「イスム」は正しいが,その場合語頭 h 音も消えてしまう.なお p. 53, l. ↑1 や p. 76, l. 1 などほかの多数の箇所では「ヘレニズム」.
  • p. 26, l. 2: 「タルピオット で一九八〇年に」.半角スペースの混入?
  • p. 31, l. 3: 「かからわず」
  • p. 40, l. ↑1: 「ゴットロー」→「ゴットロープ」
  • p. 43, l. ↑4: 「ポンオ・ピラト」.ほかの箇所ではすべて「ポンティオ/ポンティウス」.
  • p. 54, l. 6: 「フラィウス・ヨセフス」
  • p. 55, l. 8; p. 70, l. ↑6: 「エリシ」.なお p. 87, ll. 5–6 (3 回) や p. 88, l. 10 では「エリシャ」.
  • p. 60, l. ↑3: 「預言者エレミ」,および p. 131, l. ↑3: 「エレミ」.巻末の聖書索引の項目名および p. 68, l. 5 では「エレミヤ」.
  • p. 66, l. ↑1; p. 121, l. ↑4: 「共同体」.おそらくこの 2 ヶ所のみ旧字体 (ほかの箇所は p. 53, l. ↑4: 「諸共同体」や p. 64, l. 2: 「諸行為」など).
  • p. 69, l. 3: 「ゼカリ」.巻末索引および p. 126, l. ↑1 では「ゼカリヤ書」.
  • p. 69, l. 6: 「ある -『天は今や閉じられている』」.ダッシュ?
  • p. 71, l. 5: 「アラム語の malkoutha」.原語は מַלְכוּתָא で,これはフランス語式の転写と思われるが,k や th の是非はまだしも,ou はフランス語を知らない読者に誤解を与えそうである (アラム語に二重母音 [ou] はなく,これは ū の音).
  • p. 78, l. ↑4: 「( 創二の一〜三)」.半角スペースの混入?
  • p. 78, l. ↑2; p. 101, ll. ↑6, 1: 「カイファ」→「カイファ」.なお p. 117 および pp. 127ff. ではすべて「カイアファ」.
  • p. 78, l. ↑2: 「アンナ」→「アンナ
  • p. 81, l. ↑2: 「語っている」.句点?
  • p. 82, ll. 8–9: 「エピウロス」→「エピダウロス」
  • p. 82, l. ↑2: 「トゥキディデス、ポリュビオス」→「トゥキディデス、……」.前者でも誤りとは断定しがたいが,同じ υ である「ポリビオス」と並ぶと違和感がある.
  • p. 83, l. ↑3: 「ギリシア語の sôtéria」.これもフランス語式の習慣かもわからないが,原語は σωτηρία であり é は重大な誤解を招く.ついでに言えば,これ以前の箇所で外国語の表記はすべてイタリックでなくローマンであり (p. 27, l. ↑3: ‘chrestianoi’ および上掲 p. 71, l. 5: 「ギリシア語の basileia、あるいはアラム語の malkoutha」.これ以後の箇所ではなお混在しており,全体の統一が望ましい),さらにギリシア語の転写に長音符 ô やアクセント記号 é がついている箇所は全編通してほかにない (といってもこのアクサンがギリシア語の意味のアクセント記号といえるかはべつの話である:これは上で指摘した -ou- と同じで,たんに母音 [e] をフランス語式に明示しているにすぎない).
  • p. 85, l. 6: 「彼をして」→「彼をわして」
  • p. 102, l. 3: 「『お前がユダヤ人の王なのか』イエスは」.「王なのか』」と句点を追加.原文は未確認のため不明だが,あるいは新共同訳に従えば「『お前がユダヤ人の王なのか』と尋問すると、イエスは」と補う (マルコ 15:2).
  • p. 111, l. 7: 「呼格(リエ Kyrie 主よ)」.誤りとは言いがたく,ミサ曲をはじめとして日本語では一般にも「キリエ」の形がカタカナ語で定着しているので判断が難しいところだが,上掲「トゥキュディデス、ポリュビオス」の件に加え,この同じページの直前直後の行で l. 5: 「ギリシア語のキュリオス Kyrios」と l. 10: 「キュリオス・ディオニュソス」にはさまれているという理由もあり,ちょうど「キュリオスの呼格がキリエ」という流れでは違和感がある.
  • p. 112, l. 7: 「マラナタ Marana Tha」.p. 149 では「マラナタ」.
  • p. 112, ll. 7–8: 「来て下さい! という」.感嘆符のあとのスペースがちょうど行頭にきてしまっており,改段落に見える.
  • p. 113, l. 2: 「出三の一四 - ヨハネ八の五八」,および p. 151, l. ↑1: 「ルカ二四の五、二三 - ヨハネ一の四」.読点?(この例は下記 pp. 122–124 の事例とは異なり,作中ほかの類似の箇所を参照するとすべて読点になっている)
  • p. 114, l. 2: 「ゴルゴ」→「ゴルゴタ」.日本語ではどちらも通用しているが,p. 133 や pp. 139f. では「ゴルゴタ」.
  • p. 115, l. 2: 「(本書二八頁 )」.半角スペースの混入?
  • p. 116, l. 7: 「アレサンドロス」.別人への言及だが,ほかの箇所ではすべて「アレクサンドロス(・ヤンナイオス)/(シモンの息子)アレクサンドロ/アレクサンドリア(のフィロン)」.
  • p. 117, l. ↑4: 「アナス」→「アンナス」
  • p. 120, l. ↑6: 「大あわてで持っていた」→「……持っていた」
  • p. 122, l. ↑6: 「マルコ一四の四三、五三 - 一五の一」,p. 123, l. 1: 「二の一六、一八、二四 - 三の六 - 七の一〜五 - 一〇の二」,および p. 124, l. 1: 「〔使二の〕二三、三六 - 三の一三〜一五 - 五の三〇、三二」.ここではどうやら章を超える場合に読点に代えてハイフンで区切っているようだが,連続する節を意味するものとまぎらわしい.作中この 3 ページ以外の箇所ではこの場合も読点を用いている (たとえば p. 48, p. 60, pp. 72f., p. 145, p. 152).
  • p. 125, l. ↑2: 「である(ヨハネ一八の三、一二)これは」.句点の位置を修正.
  • p. 129, ll. 8–9; p. 139, l. ↑5: 「ユダヤの王」→「ユダヤの王」.p. 129 のほうは原文しだいだが,p. 139 の箇所はヨハネの引用である.
  • p. 135, l. 3: 「『ユダヤ古代誌五』XVII」と p. 137, l. 3: 「『ユダヤ戦記』二、V」で統一.なお p. 28, l. 7 ではまたべつの記法になっている.
  • p. 138, ll. 8–9: 「並びました」.この文のみ丁寧語.
  • p. 141, l. ↑1: 「ト・ハーミヴタル Giv’at ha-Mirtar」→「ト・ハ・ミヴタル Giv‘at ha-Mivtar」.p. 144, l. 2: 「ジヴァト・ハーミヴタル」も同様.訳書のこの「ジヴァト」という表記はフランス語につられたものであろう.原語は גִּבְעַת で,ベート ב の下のシェヴァが示すとおりここで音節が Giv-‘at と切れるので,「ヴァ」ということはありえない (後ろの「アト」のほうがアクセント音節である).訳書のラテン文字表記のうち Mirtar はご愛敬で,またアイン ע を表す Givat のアポストロフはアレフ א と区別されるべく正しくは右開きの ‘ の形でなければならないが,これをも修正するかどうかは訳者と出版社の判断に委ねる.
  • p. 143, ll. 10–11: 「普通であった(スエトニウス〔……〕)。」.括弧のまえの句点を削除.
  • 聖書索引 p. i: 「列王上」.間違いではないかもしれないが,このすぐ下では「列王下」とされている.

そのほか,「殆ど/ほとんど」,「関連付ける,位置付ける,特徴付ける/づける」,「扇動者/煽動者」といった変換ゆらぎが多数ある.もちろんこれには,新共同訳をはじめとした他書からの引用文とのあいだのゆらぎは数えていない.

また,これは訳書のミスではなく原文のとおりであると思われるが,
  • p. 9, ll. ↑2–1: 「少なくとも五〇年前から〔……〕イエス史料がとりわけ補強された」
  • p. 16, ll. 3–4: 「研究者が自由に使えるようになっている――一〇年ばかり前はそうなっていなかった」
といった記載は,原著初版の刊行された 1998 年を基準にしていると思われ (前者は 1940 年代後半のクムランとナグ・ハマディの発見,後者は 90 年代はじめに死海写本が急速に公開されるようになったことを受けているのであろう),2014 年の最新版をもとに訳出したというわりにはいくぶん時代錯誤に響く (p. 26, l. 7: 「二〇〇二年に東エルサレムの……」のように本文中に新しい情報が混じってもいるのでなおさらである).

最後に,訳者あとがきは巻末の参考文献につき「この中に邦訳されているものは存在しないと思われる」(p. 159) としているが,Theissen, G., Le mouvement de Jésus. Histoire sociale d’une révolution des valeurs, 2006 には邦訳『イエス運動 ある価値革命の社会史』(新教出版社,2010) がすでに存在していた (原著はドイツ語 Die Jesusbewegung: Sozialgeschichte einer Revolution der Werte, 2004).

vendredi 11 mars 2016

Vermes, 浅野訳『イエスの受難』誤植訂正

Géza Vermes, 浅野淳博訳『イエスの受難 本当は何が起こったのか』教文館,2010 の typo などのメモです (底本は 2010 年 3 月 15 日初版〔第 1 刷〕).8 割以上を読了してしまってから振りかえってまとめはじめたので,いくつか見逃している箇所があります.
  • p. 40, l. 7: 「愚象礼拝」
  • p. 54, l. 4: 「蜂起の徴候ともとり違えないのです」→「……とり違えかねないのです」
  • p. 89, l. 6: 「値するほどものもであるか」→「……のもの……」
  • p. 89, l. ↑2: 「罵詈雑言浴びせかけます」→「罵詈雑言……」
  • p. 129, ll. ↑4–1: ヨハネ福音書の引用文のフォント (楷書体) が,この部分のみ明朝体になっている.
  • p. 133, l. ↑4: 「エリアがイエスの救出に」.ほかの箇所では「エリヤ」.
  • p. 144, l. ↑3: 「マコ二五 33」→「マコ一五 33」
  • p. 158, ll. 2–3: 「に鑑みれば注意が必要である」.この文のみですます調でない.
  • p. 174, l. 9: 「外国人の入」?
  • p. 176, l. 8: 「引き立てたてました」
  • p. 184, l. 3: 「後一〇〇―一〇年」.百の位の省略は脱字とは言いきれないが,紀元前後のためひっかかるかもしれない.
  • p. 185, l. 6: 「神殿警備団警護責任を担う」→「神殿警備団が警護に……」
  • p. 190, (8): 「イエスの十字架を担ぐ」
  • p. 196, ll. 6–7: 「であったことがわれます」→「……窺われます」
  • p. 196, l. 7: 「悪魔のよう人物」
  • p. 210, l. 7: 「学生」→「学生証」

増刷の折には修正に役立てていただければ幸いです.そのさい,必要であれば訳注〔4〕において「二〇一〇年刊行予定」とされている「ボーカム『イエスとその目撃者たち』」は,著者名を「ボウカム」,刊行年を「二〇一一年」と改めてもよいかもしれません.

jeudi 9 juillet 2015

Portner, 片岡訳『意味ってなに? 形式意味論入門』誤植訂正

Paul H. Portner, 片岡宏仁訳『意味ってなに? 形式意味論入門』勁草書房,2015 をおととい購入しさっそく読了しました.原文のおそらくくだけた語り口を,よくこなれた親しみやすい日本語で訳されてあり,平易ながら興味深い内容にひきこまれてあっという間に読み終えてしまいました.詳細な感想はべつの機会と場所に譲るとして,このエントリはその typo などのメモです (底本は 2015 年 6 月 30 日第 1 刷).

以下,原文の誤りである可能性のあるものも,とくに区別せずあげてあります.l. は行数を表し,l. ↑n は下から数えて n 行めを意味するものとします.ほとんどは些細なミスですが,理解に影響するか混乱を招きそうな比較的重大なものを含む指示箇所を太字にしておきます.誤の側 (矢印やダッシュのまえ) に「?」を付したものはそれが誤りではないとも解釈できること,正の側に「?」を付したものは訂正案に確信がないことを示します.
  • p. 2, ll. ↑4–3: “Dos Passos’USA”, “meeting?It’s”; p. 5, l. 10: ‘Quine1953’ ――  スペースの脱落.
  • p. 22, l. ↑6: 「円が正方形のうつ側にある」
  • p. 27, l. 10: 「どうやって利益を引き出しているんだろう 答え:」――  疑問符 (と全角スペース) の脱落.
  • p. 29, ll. 3, 7: 「意決定」→「意決定」
  • p. 29, l. 12: 「スモールトーク」?――  カタカナ語として通じにくいので「世間話,おしゃべり」などとすべきでは?
  • p. 30, l. 1: 「(11) 誰がシルヴィアのところに行ったの?」――  p. 30, l. 8: 「シルヴィアが人物 x のところに行った」や,p. 31, l. 2: 「シルヴィアがある人物のところに行ったものと仮定しよう」などに照らすと,主語が逆では?
  • p. 43, ll. ↑8–7: 「『シェルビー』を範疇 NP に……」はべつの箇条では?
  • p. 51, l. 3: 「一字一違わず」
  • p. 54, l. ↑8: 「たしかに (8) はなかなか複雑そう」→ (7)
  • p. 56, l. ↑1: 「同じようもの」
  • p. 57, l. 7: 「取り去らないと」
  • p. 58, ll. 3–4: 「ぼくらの心はいったいどうやってこの文の意味が……にならないんだろう?」→「……にならないとわかるんだろう?」
  • p. 63, l. ↑1: ‘the hammar’
  • p. 68, ll. 3–4: 「図 3 (p.13)」→ 図 3 は p. 17.
  • p. 72, l. ↑2: 「図 12 のようなお絵かきで表示できる (p.41)」→ 図 12 は p. 49.
  • p. 78, ll. 11–12: 2 組の亀甲括弧〔  〕ではさまれた地の文「との比較が関与……ではない」のポイントが落ちている.
  • p. 83, l. 5: 「出来事の時記述している」→「……時……」
  • p. 83, l. ↑2: 「(8) は偽になる」; p. 84, l. 2: 「(8) は真でなきゃ」→「(8a) は……」
  • p. 86, l. 4; p. 156, l. 2; p. 157, l. 10; p. 158, ll. 18, 22; p. 159, ll. 1, 5, 10, 14: 「下位集合」――  p. 26, l. 8; pp. 189f.; p. 199, ll. 6, 12; pp. 266–267, 269 のように「部分集合」としてある箇所も多くあります.(数学ではなく) 哲学や言語学よりの論理学では「下位集合」の訳語もふつうなのでしょうか.集合論を含む数学プロパーではまず言わないと思います (「開集合」と同音のためか.経済学・最適化理論では「下位集合」を別途 ‘sublevel set = lower contour set’ の意味で使うことがあります).
  • p. 99, l. 5: 「脈」→「文脈」
  • p. 100, 原注 5: ‘Kripke (972)’
  • p. 104, ll. 7–8: 「is the famous Chinese philosopher (その有名な中国人哲学者である)」→「is the most famous... (そのいちばん有名な……)」
  • p. 107, l. 7: 「その指示に他ならないだというんだ」
  • p. 110, l. 17: 「一の教師」
  • p. 116, l. ↑5: 「この練習問題の答えは巻末に掲載してある」――  ほかの 10 問のように番号 (no. 5) を明記していない.
  • p. 137, l. 3: 「between three and six women (3〜5 人の女性たち)」
  • p. 138, 「訳者の補足」のツリー:‘every child’ → ‘every baby
  • p. 141, ll. 1–2: 「(表の一列目にある)『すべての赤ちゃん』」→「……一行目……」
  • p. 144, l. 8: ‘shelby’ → ‘Shelby’
  • p. 144, l. ↑8: 「some『いくつかの』」――  次の行で「つまり,少なくとも 1 つの……」とあるので,この some は「ある」のほうがはまるのでは?
  • p. 146, l. ↑9: 「機能にって」?
  • p. 149, ll. 1–2: インデントされている問いかけの 2 行「否定辞 not は……だろうか?」を水平線で囲む.
  • p. 152, l. 3: ‘hyperhym’ → ‘hypernym’
  • p. 152, l. ↑9: 「否定でない単純な文 (25a) は上方伴立にあたる」→ (23a)
  • p. 153, ll. 11–19: 「〔every dog〕」のあとから「〔(25a) によって〕」までで地の文のポイントが落ちている.
  • p. 154, 原注 7: ‘Kadmoon and Ladman’ → ‘Kadmon and Landman’
  • p. 154, (26): every の行の最後のセル (第 2 の属性,上方伴立) は ‘No’ → ‘Yes’.  また three についた ‘[8]’ は消し忘れ?
  • p. 154, l. 2: 「させるもの他ならない」
  • pp. 160ff.: これまでの章で「正方形の内側」であった ‘inside the square’ がここから「四角のなか」になります (同じ図を再掲しているので気になります).
  • p. 166, l. 2: 「難しいもの 1 つ」
  • p. 174, l. 3: 「例 (16) の場合だとぼくが物語を語る時点と……」――  読点.
  • p. 174, ll. 8–9: 「次の等式を満たさなくてはいけない:R < S, R = E」→ 等式でないものがある.S のみイタリック (本当はこういう文字はすべてイタリックが正しいのですが,文系諸分野の出版物ではローマンが優勢と理解しています).
  • p. 176, ll. 10–11: 「Es の場合はその逆の T ⊆ E もありうる」→ T ⊆ Es.
  • p. 177, l. 14: 「もちろん,(18c) は有意味だ」→ (18a)
  • p. 178, l. 6: 「考えを験してみよう」?――  「ためして」と読めますが文体から浮いているように見え,脱字か誤変換 (表記ゆらぎ) の印象を受けます.
  • p. 179, ll. 11–12: 「いちばん基本的なものだ他のおおむね……」――  句点の脱落.
  • p. 182, (25): T と S がイタリックだったりローマンだったりする.また,現在完了のセルの ‘E = S’ と過去完了のセルの ‘E < S’ は,それぞれ ‘T = S’, ‘T < S’ では?
  • p. 185, l. ↑10: 「たんにたんに」
  • p. 186, l. ↑3: 「この可能世界ではトラックは」→「……バスは」
  • p. 189, l. 14: 「このトピックを検鏡してる」
  • p. 190, (38): ‘onto Clarendon boulevard, not onto Wilson Boulevard.’
  • p. 192, (39b): 「道徳により」「徳により」
  • p. 192, l. ↑10: 「世界 1 から 3 つのがのびている」? また,図 45 を見ると世界 1 から 3 へ向かう矢印はないようである.
  • p. 194, l. 14: 「他の自国に出発する」
  • p. 198, ll. ↑2–1: 「(3) は w1 で偽,w2 で真だ」――  例文 (3) が見あたらない (例文 (2) の主節の動詞 believes を wants に変えたものか?).
  • p. 204, l. 7: 「聞き及んでいるもの」→「……もの
  • p. 210, l. 11: 「心置きなく言える」――  文末句点の脱落.
  • p. 211, l. 3: 「たいして役立たない (9a) は」――  句点またはコロンの脱落.
  • p. 217, l. 9: 「場面にそう左右されるか」→「……どう……」
  • p. 219, ll. 1–2: 「こまかい技術的な話をすると」――  文脈から「……話を省略すると」などの脱字に見えるが,不明.
  • p. 220, 訳注 1: 文末句点の脱落.
  • p. 220, (8): 訳文に「また」の脱落.
  • p. 221, (a): ‘she are ate an apple’
  • p. 221, (c): この訳文のみ「りんご」がひらがな.
  • p. 221, (e): 訳文に「も」の脱落.
  • p. 223, l. 6: 「たとえば:」
  • p. 224, (19); ll. ↑11–10: 「ジョン」→「ジョン
  • p. 224, (21): 「φP プラス,φP のうち φ の」→「…… ψP のうち……」
  • p. 229, (34): ‘Mary arrive’ → ‘Mary arrived
  • p. 232, (39): 右辺の括弧の数.
  • p. 233, (41): 「ハンニバル」→「ハンニバル
  • p. 235, ll. ↑10–9: 「表現もする (……)」?――  句点に,もしくは「する」を「するし」に.
  • p. 236, l. 7: ‘illocutioanry’
  • p. 242, l. 2: 「(2) は自然な応答になる」→ (a)
  • p. 242, (54): ‘??’ がつくのは (b) でなく (a).
  • p. 242, ll. 14–15: 「豚肉を食べる」が重複 (順番から前者を削除).
  • p. 242, l. ↑4: 「話し手魚を食べるってこと」→「話し手……」,または「聞き手に……〔only は伝えている〕」?
  • p. 242, (55): 「通常の意味」の ‘I eat FISH’ は小文字の ‘fish’ では?
  • p. 244, 関係の格率:文末句点の脱落.
  • p. 246, (5-i): 開きカギ括弧の重複.
  • p. 247, (5-ix, xiv): 「S は」の重複.
  • p. 249, l. ↑11: 「話し手は3 つ食べたと言っただろう」――  二重カギ括弧に.
  • p. 250, l. 12: 「分離不可能性」?
  • p. 251, l. 4: 「そうした生き物たちついて」
  • p. 254, l. 11: 「W2 → {個体 no.2, 個体 no.4,}」――  最後のコンマを削除.
  • p. 254, l. ↑12: 「{W1, W2, ...} みたいな命題になるだろう」→「{W1, W3, ...} ……」
  • p. 254, l. ↑9: 「構成的につくりあられる」
  • p. 261, l. 12: 「進めるがいい」
  • p. 263, 原注 8: 「どれも Montague (1974) に録されている」→「再録」?
  • p. 264, l. ↑6: 「意味論研究者もふくめって」
  • p. 265, l. 3: 「『〜にちがいない
  • p. 267, 練習問題 3 の答え:いちばん下の関数が誤りで,正しくはどちらも F.
  • p. 268, 練習問題 5 の答え:集合が [  ] で表されているが,正しくは {  }.
  • p. 269, 練習問題 9 の答え:‘λx.x. + x = 4, 2’ の 2 つめのドットを削除.ところで,2 つの TWO に文強勢をおかせるための答えは,変数が x 1 つのこの形でいいのだろうか.言いかえると,われわれが「なにたすなにで 4 になる?」という質問をするとき,(ありうべき回答の 1 つに ‘2 + 2’ を予期するとしても) はなから 2 つの「なに」は共通の値であることを前提にしているだろうか.
  • p. 270, 練習問題 11 の答え,l. 5: “X’ + Hannnibal ate [...]” → “C’ ”
  • p. 287, l. 10: 「点」?
  • p. 292, l. 5: ‘Jacknedoff, Ray (2007)’

(原著の) 参照文献の箇所は著者名で指示します (著者名じたいが誤っているときは重複するので省略).一見して気がついたところのみ指摘しますが,目で見るよりテキストデータで検索をかけ置換するほうが漏れがなく効率もよいでしょう.なお,こうした文献一覧では避けられない表記ゆれ (たとえば repr. と Repr.) と,英語の著作名の語頭大文字化 (ドイツ語では名詞のみ大文字,フランス語やイタリア語では最初の語と固有名詞を除いて大文字化しない) の不備については無視しています.
  • p. 272: ‘Austin, J. L. (1962),’; ‘Cooper, R. [...] (1990),’; p. 274: ‘Gazdar, G. (1979),’; ‘Hamblin, C. L. (1973),’; p. 276: ‘Landman, F. (1992),’; ‘Lycan, W. G. (1984),’; p. 277: ‘Partee, B. (1973),’; p. 278: ‘Reichenbach, H. (1947),’; ‘Soames, S. (1990),’; p. 279: ‘Wittgenstein, L. (1953),’ ――  出版年のあとのコンマをピリオドに.
  • p. 272, Bach, E. (1986): ‘P. Weingartner, eds..
  • p. 272, Bach, E. (1989): ‘Albany, NY; SUNY Press’
  • p. 272, Block, N. (1998): ‘E. Craig, ed..
  • p. 272, Burge, T. (1979): ‘[...] the mental-
  • p. 273, Davidson, D. (1967b): ‘N. Rescher, ed..
  • p. 273: ‘Dietrich, W, (1955). [...] Eine Aspet- und Tempusstudie’ → ‘Aspekt-
  • p. 273: ‘Evans, G. and J. McDowell, eds, (1976). Truth and Meaning;
  • p. 273, Fauconnier, G. (1975): ‘In F, Guenthner’
  • p. 274, Gazdar, G. (1981): ‘A. EC Joshi’ → ‘A. K. Joshi’; ‘B. L. Webber, eds,.
  • p. 274, Groenendijk, J. and M. Stokhof (1982): ‘5,175–233’ ――  スペースの脱落.
  • p. 274, Hausser, R. (1980): ‘In R Kiefer and J. Searle, eds..’ → ‘In R. Kiefer [...]’
  • p. 275, Jacobs, J. (1983): ‘der Gradpartikel’ → ‘der Gradpartikeln
  • p. 275, Kadmon, N. (2001): 行末ピリオドの脱落.
  • p. 275: ‘Kadmon, N. and E Ladman’ → ‘Kadmon, N. and E. Landman’
  • p. 275, Karttunen, L. (2003): ‘Vol. HI’ → ‘Vol. III
  • p. 275: ‘Kratzery A.’ → ‘Kratzer, A.’
  • p. 276, Ludlow, P. (2000): ‘K. M. Jaszczolt, ed..
  • p. 276, Montague, R. (1970a): ‘Linguaggi nelia Sodeta e nella Tecnica: Edizioni di ComunitH. Milan: Edizioni di Comunita’ → ‘Linguaggi nella società e nella tecnica. Milano, Edizioni di Comunità’ (アッチェントの有無や大文字,言語による地名の違いは不問とする)
  • p. 277, Montague, R. (1973): ‘In K. J. J, Hintikka, J. M. E, Moravcsik, and P, Suppes, eds..
  • p. 278, Sadock, J. (1978): ‘[...] conversational implicature-
  • p. 278, Searle, J. R. (1965): ‘New York; Allen and Unwin’
  • p. 278, Searle, J. R. (1975b): ‘In F, Cole and J, L. Morgan, eds.’
  • p. 279, Stalnaker, R. (1974): ‘P. Unger, eds..
  • p. 279, von Stechow, A. (1991): ‘Berlin; Walter de Gruyter’
  • p. 279, Wittgenstein, L. (1953): ‘trans. G, E. M, Anscombe’

なお,あまりにも細かい (機械的な?) 事柄については記録を省きました.それはたとえば,
  • p. 20, l. ↑3: 「これも 図 3 でいうと」などの「図」のまえの余分なスペースで,p. 31, l. 8 や p. 38, ll. 7, 14 など冒頭に同様の箇所若干.
  • 逆に ‘p.13’ や ‘no.1’ のようにしばしば必要なスペースがない.
  • p. 6, 原注 1 や p. 195, 原注 13 のように,論文の出版年が (括弧が二重にならない環境で) 裸になっている箇所がある.
  • 変換ゆらぎ.同一ページ内かつ同じ生起環境で競合している例をあげると,p. 146, l. ↑8: 「S にあるモノすべてと H にあるものすべて」;p. 193: 「てらして」対「照らして」;p. 216, ll. 4–5: 「なにかを〔……〕その何かを」;p. 232: 「調った」対「ととのった」;p. 237: 「イヤな思い」対「いやな思い」など.
  • p. 93, 原注 1 の 2 度の “Paul’s” が典型的で,アポストロフィの形状を見ると右引用符型のアポストロフィ ’ といわゆるタイプライタ・アポストロフィ ' とが混在している箇所がある.
  • カギ括弧や丸括弧の閉じ括弧と句点との前後関係.カギ括弧について,たとえば p. 204 の最後の 1 組「『2 たす 2 は 4』は……ことになる.」と,同じページの残りの事例.
のようなことです.これらを逐一発見することも手作業の域を超え,また必要でもないと思われ,原稿ファイル上での一括置換が望ましいでしょう.