mardi 8 mars 2022

フレイヤとその別名——Simek の北欧神話事典より

ジメクのゲルマン神話事典 (Rudolf Simek, Lexikon der germanischen Mythologie, ³2006) の内容を翻訳紹介するシリーズ第 5 弾にして最終回。これ以上はやりすぎかと思われるので、もっと読みたいかたはぜひともリンクから Amazon に飛んで買ってほしい (ドイツ語を読める必要はある)。私の翻訳の底本は第 3 版だが、これから買う人の便宜のためリンク先は最新第 4 版 (2021) にしてある。


最後に取り扱う内容は女神フレイヤの関連名を一挙紹介。同書 S. 112–14, 129, 200, 264, 404, 459 より、「フレイヤ」Freyja, 「マルドッル」Mardöll, 「ホルン」Hörn (1), 「ゲヴン」Gefn, 「スュール」Sýr, 「ヴァナディース」Vanadís の 6 項目のほぼ全訳である (項目末の参考文献と近現代の受容についてのみ省略)。なお「ホルン」Hörn には同名の女巨人を扱う (2) があるがこれは省いた。

じつはフレイヤの別名はここに挙げられている以外にもまだあり、まずは (スュールの項で触れられているスルル Thulur の同じ箇所に) スキャルヴ Skjalf とスルングヴァ Þrungva がある。前者は本書にも立項されているが、基本的にはユングリンガ・サガ 14 章におけるフィン人の王の娘と説明され、そのあとでフレイヤの一名でもあるとして関連を述べている。後者は項目そのものがない。またメングロズ Menglöð がフレイヤと同一視されることもあり、これもその項には解説されている。その他、全部はまとめきれない。

本稿を補うものとして次の論文をあげることができ、翻訳に際しても参考にした:Britt-Mari Näsström (1996), ‘Freyja—A Goddess with Many Names’, in: Sandra Billington and Miranda Green (eds.), The Concept of the Goddess, pp. 68–77。この著者にはフレイヤに関してだけで 200 頁超の成書になった Freyja: The Great Goddess of the North, 1995, ²2003 があるのだが、残念ながら私は未読である。また、フォルケ・ストレム、菅原邦城訳『古代北欧の宗教と神話』(人文書院、1982) のフレイヤの節 (186–90 頁) も参照し、とくにノルウェーとスウェーデンの地名のカナ表記はほぼこれに従った。

亀甲括弧〔・〕は通例に従って訳者の補足を表す。丸括弧 (・) は原文のもの。エッダ各編の略号は次のとおり:Vsp 巫女の予言、Grm グリームニルの言葉、Ls ロキの口論、Thrk スリュムの歌、Odd オッドルーンの嘆き、Hdl ヒュンドラの歌;Gylf ギュルヴィたぶらかし、Skáldsk 詩語法。


フレイヤ (古ノルド語 Freyja「女性、貴婦人」) は、古スカンディナヴィア神話でもっとも重要な女神であり、恋人たちのための麗しい女神である。彼女はヴァン神族に属し、ニョルズとその姉妹との娘であり、フレイの妹 (にして本来は妻でもあったはず) である。エッダ神話は彼女にオズ Oðr〔またはオーズ Óðr〕という夫がいると言っており (ほかではほとんど言及されていない)、彼とのあいだにフレイヤはフノッス Hnoss とゲルシミ Gersimi〔またはゲルセミ Gersemi〕という娘たちをもうけたという (Gylf 34);この娘 2 人の名前は同義であり「貴重なもの」を意味し、したがってあくまで遅い時期の、女神〔フレイヤ〕自身の詩的流出である。

スノッリは彼女について次のように記述している (Gylf 23):「フレイヤは女神たちのうちもっとも有名である;彼女は天においてフォルクヴァング Folkvangr という名前の場所に住んでおり、戦いに赴くときには全戦死者の半分を受けとり、オーディンがもう半分をとる」(Grm 14 も同様で、スノッリはここでそれを引用している);「彼女の館はセッスルームニル Sessrúmnir という名で、それは大きく美しい。フレイヤが旅をするとき、彼女は猫たちの牽く車に座る (中略)。彼女は恋の歌を好み、恋に関わる事柄においては彼女に願うのが有益である」。

猫たちの牽く車のほかに、隼〔または鷹〕の衣 Falkengewand (フリッグと同様:Thrk 5; Skáldsk 1) とおそらく猪ヒルディスヴィーニ Hildisvíni (Hdl 7)、そしてなかんずく首飾りブリーシンガメン Brísingamen が彼女のシンボルである。

古ノルド語文学においてフレイヤはしばしば話題に出てくる;Thrk では巨人スリュム Thrymr が、フレイヤを妻に得られるならそのときに限り〔盗んで隠していた〕ミョルニルの鎚を引き渡そうと言い、Ls 30 では彼女は姦淫を咎められ、Hdl ではある女巨人と競いあい、そして Odd 9 で彼女は女神フリッグといっしょに願われる。

スノッリはフレイヤの立ち位置を、女神たちのうちでもっとも美しくもっとも重要なものとして強調している。巨人たちの企てにおいて彼女は女神たちの代表者であり、Thrk のみならず、巨人の建築家の話や巨人フルングニル Hrungnir の話においても、巨人たちにとって彼女はいつも何度でも求める価値のある女なのである。

10 世紀のスカルド詩人たちもまた、フレイヤの名を挙げることがまれではない;異教宗教における彼女の代表的な立ち位置の特徴を明らかにしているのは、スカルド詩人ヒャルティ・スケッギャソン Hjalti Skeggjason に関する逸話である。この人物は、異教とキリスト教との対立を背景とした 999 年のアルシング〔アイスランドの全島集会〕において、フレイヤの風刺詩を創作した:「われは吠えたてる神々を好かぬ/わが思うにフレイヤは雌犬なり」。そしてその代償として彼は涜神のかどで法益剥奪刑を受けた (アイスランド人の書 7)。

フレイヤはヴァン神族の出身であり、それゆえに豊穣の女神である。彼女は魔術の教師でもあり、アース神族に魔術をもたらす (ユングリンガ・サガ 4)。スノッリはこれとの関連で、ヴァン神族のもとでは兄弟姉妹間の結婚が一般に行われていることに言及する。このことからフレイとフレイヤにおいて神的な兄妹対/夫婦対を想定してかまわないであろう;フレイヤにオズという名の夫が見いだされるのは、のちになってアース神の社会においてのことである。彼はあるとき長らく不在となって、そのことでフレイヤは黄金の涙を流す (Vsp 25, Hdl 47; Gylf 35)。この話も同様に 10 世紀にはすでに周知であった。

スカルド詩においてフレイヤは多数の名前で呼ばれており、スノッリ (Gylf 34) が列挙するところではマルドッル Mardöll, ホルン Hörn, ゲヴン Gefn, スュール Sýr, さらにまたヴァナディース Vanadís が加えられる。これらの名前を通してフレイヤは、家内の守り神としての性質が際立っている;スュールという別名が指摘しているのは、フレイヤは彼女の兄フレイと同様、豚のシンボルで特徴づけられていたということである;Hdl において彼女は猪〔または豚〕ヒルディスヴィーニにも騎乗している。

同様に Hdl 10 においてフレイヤは、彼女のお気に入りであるオッタル Óttar が彼女の祭壇を築き犠牲を捧げてくれたことを自慢している。そして文献資料はこのほかにはまったくフレイヤの祭儀について知らせてくれないのではあるが、スカンディナヴィアの地名の総数は、フレイヤへの崇拝がスウェーデンとノルウェーにおいて存在していたことを示している;ノルウェーの地名としてはフレイホヴ Frøihov (*Freyjuhof「フレイヤの神殿」から)、スウェーデンの地名としてはフレーヴィ Frövi (*Freyjuvé「フレイヤの聖域」から) などが、公的な祭儀のあったことを示唆しているかもしれないが、守り神や愛の女神としてはむしろ純粋に家庭内の祭儀が期待されるところであろう。


マルドッル (古ノルド語 Mardöll) とは、スノッリ (Gylf 34) が挙げている女神フレイヤの名前のひとつで、スカルド詩においては「黄金」を表すケニングのなかで何度か登場している。その名前の意味は完全に明らかではないが、おそらくマルドッルとは「海を照らす者」(ヘイムダッル Heimdallr と比較せよ)、あるいは「海を膨れあがらせる者」(þöll に比する) の意か?

〔訳注。ヘイムダッルを挙げている箇所は、「世界を照らす者」と解しうるヘイムダッルの -‍dallr という男性形に対して、マルドッルの -‍döll が対応する同じ意味の女性形である可能性があるという理屈である。〕


ホルン (1) (古ノルド語 Hörn) とは、スカルド詩とスノッリ (Gylf 34) において女神フレイヤを表す名前のひとつで、その意味は完全に明らかではないが、hörr「亜麻」と関係があるかもしれない;だからといってただちに彼女が亜麻の収穫の女神とみなすべき (デ・フリースはそうしている〔『古ゲルマン宗教史』§556〕) なのではなく、むしろ亜麻の加工一般——じっさいこれは完全に女性の専門領域であった——の守り神としてみなすべきである。

スウェーデンの地名ヘーネヴィ Härnevi (またイェーネヴィ Järnevi も〔異綴ではなくそれぞれ別の地〕) < *Hörnar-vé「ホルンの聖域」がホルンの祭儀を暗示していることによって彼女は、その他若干数の北欧の、マトロンやディースと類似した女性の守護女神 (フリーン Hlín, スノトラ Snotra, ヴァール Vár などのような) とは一線を画している。


ゲヴン (古ノルド語 Gefn「与える女」) とは、スノッリ (Gylf 34, Skáldsk 35) によれば女神フレイヤを表す名前のひとつで、スカルド詩にも何度か現れている。もしこれが本来独立した守護女神のことだったのでないとすると、この名前はもうひとつの別名としてフレイヤを豊かさの女神として呼称するものであろう。


スュール (古ノルド語 Sýr「雌豚」) とは、女神フレイヤの別名のひとつで、早くもスカルド詩人ハッルフレズ Hallfreðr〔1007 年ころ没〕の作品において、それからスノッリ (Gylf 34) とスルル Thulur〔一種の記憶詩〕のなかに見られる。豚はどうやら祭儀と生贄の習慣においてヴァン神族と、とりわけフレイ・フレイヤ兄妹と密接に結びついているらしいことは、フレイの所有する猪グッリンボルスティ Gullinborsti も示すとおりである。


ヴァナディース (古ノルド語 Vanadís「ヴァン神族のディース」)。フレイヤを表すこの名前はスノッリ (Gylf 34) にのみ見られ、ヴァン神族に数えられるべき女神を表すケニング (「ヴァンの女」) にすぎないと言ってよさそうである。とはいえディースとの関連がまったくありえないわけではない。


dimanche 6 mars 2022

ラグナロク/ラグナレクル/終末論——Simek の北欧神話事典より

ドイツ語を読むのも少しだけ慣れてきた第 4 弾。ジメクのゲルマン神話事典 (Rudolf Simek, Lexikon der germanischen Mythologie, ³2006, S. 92, 340–41) より、「ラグナロク」Ragnarök, 「ラグナレクル」ragnarökr, 「終末論」Eschatologie の 3 項目のほぼ全訳 (項目末の参考文献と近現代の受容についてのみ省略)。


エッダ各編の略号は次のとおり:Vsp 巫女の予言、Vm ヴァフスルーズニルの歌、Ls ロキの口論、HH II フンディング殺しのヘルギの歌その 2、Sd シグルドリーヴァの歌、Hdl ヒュンドラの歌;Gylf ギュルヴィたぶらかし。

さて著者の本論のまえに長々と前置きするのは僭越だが、「ラグナレクル」ragnarökr という見慣れぬカナ表記については説明ないし弁明が必要だろう。これは第一には「ラグナロク」ragnarök と区別がつくようにという目的から決めたものであるが、たんなる表記上の便宜にとどまらないそれなりの根拠もある。

まず同じ ö という母音なのにロとレという揺らぎはおかしいという疑念が当然あるであろう。この母音はもともと ǫ というアに近い広いオの音と、ø というエに近い音とが混同され、1200 年ころから融合し現代アイスランド語と同じ ö の音になったという経緯がある。Ragnarök は本来 -‍rǫk であり、ragnarök(k)r のほうはゲルマン比較言語学の知見より -‍røk(k)r であった可能性がきわめて大だとわかっている (古い写本では ǫ と ø が書きわけられていないためあくまで理論上のこと)。さらに以下でジメクも書いているように、古い本来の ragnarök —— Vsp は西暦 1000 年ころ成立、Vm はそれより古い——に対して ragnarökr のほうは新しいいわば改悪された形であって、もっぱら 13 世紀のスノッリが用いているものであるから、後者の時点ではすでに両母音は合流して ö となり、レで表すほうが適切な発音になっていたはずである。

以上でロ/レについては納得してもらえたものとすると、ラグナロクと「ラグナレク」でよいではないかと早合点されるかもしれないが、最後のルもどうしても必要なのである。というのはこの語はロキの口論でもギュルヴィたぶらかしの用例の過半数でも ragnarök(k)rs という単数属格形で現れている。ここからわかるように -‍rök(k)r の最後の r は語幹に属するのであって、主格の語尾ではない。すなわちスルト Surtr (属 Surts) やウルズ Urðr (属 Urðar) などのように慣習的に省略する語尾のルとは違い、バルド Baldr (属 Baldrs) やアルフォズ Alföðr (属 Alföðrs) などと同様のもので、勝手に省略してはならないルなのである。

最後にもうひとつややこしいことを付け加えるようであるが、じつはスノッリのエッダにおける用例は実際の写本では ragnarök(k) と ragnarök(k)r それぞれの変化形が混じりあっている。既述のとおり後者のほうが多く——これの属格形だけで過半を占め、さらに対格形もある——、前者は写字生の書き間違いだとみなして刊本では ragnarök(k)r に修正・統一されるのが通例である。下でジメクが、スノッリは「一貫して durchwegs」ragnarökr を用いていると述べていること、そしてそれが端的に後代の誤りであると断じているのも通説に従った見解であろう。事典としての性格ゆえか、これらの項目に見られるジメクの説明は伝統的なものである。

しかし従来考えられてきたほど -‍rök「運命」と -‍rökkr「黄昏」はまったくの別物なのではなく、両者は密接に関連しているのだとする新説もある (Haraldur Bernharðsson, ‘Old Icelandic ragnarök and ragnarökkr’, 2007; 上の説明にあたってもかなり参考にした)。神話におけるラグナロクは滅びだけでなくその後の新生までを含めた概念であり、røk(k)r は「黄昏、夕闇」だけでなく「夜明け」の薄暮をも指す言葉である。さらに彼の説に従えば ragnarök の後半要素はじつは rǫk ではなく røk(k) であり røk(k)r と同じ動詞にもとづく可能性があって、太陽の運行を通して「運命、決まった流れ」の語義までは近い。こうして両者はつながっており、スノッリはどちらの名称も互換的に「神々の力の (滅びと) 新生」のような意味で用いていたのだ、というのがその主張である。

とはいえ私見ではこの論文、細部は詳しいが主張の根幹のところで臆測を重ねており、魅力的な説ではあっても説得力はそれほど高くはない。少なくとも、これによって今後は「神々の新生」で決まり!とはいかないように思われる。やはり古くから生き残っている標準的な説にはそれだけの理由があるのであろう。といったところで前置きを締めくくり、ジメクの堅実な解説にお進みいただきたい。


ラグナロク (古ノルド語 ragnarök「神々の終末の運命」) とは、エッダ歌謡において北欧人の終末論を表す名称。一方スノッリのエッダでは (Ls 39 と同様に) 一貫してラグナレクル ragnarökr「神々の黄昏」が用いられているが、これはより後の時代の再解釈を表しているにすぎない。

世界滅亡の観念についての主要資料は Vsp 44–66 節と、Gylf 50–52〔51–53〕におけるスノッリによって注解を付された散文的改作である。

北欧人の宇宙論は、世界の破滅をも含みこんでおり、それは神々にまでも人間と同様に降りかかる。したがって神々の生存には期限がつけられており、そのことは偶然によるのではない:彼らは犯罪と戦争とを通じて人間と同様に罪を負っているのである。

ラグナロクは Gylf 50〔51〕で詳しく描写されている 4 つの大きな終末論的事件によって特徴づけられる:フィンブルの冬 Fimbulwinter、スルトが全世界を無に帰す世界炎上 Weltenbrand、ミズガルズ蛇 Midgardschlange により波立たされた大海のなかでの大地沈没、そして最後にフェンリル狼 Fenriswolf によって飲みこまれる太陽の暗転である。さらなる自然的事件が続いて起こる:大地は震え、岩塊が転がり落ち、世界樹ユグドラシルは揺らぎ (Vsp 47)、ビヴロスト Bifröst の橋は倒壊する (Gylf 50〔51〕)。神々に警告するためにヘイムダッルはギャッラルホルン Gjallarhorn を吹き鳴らす (Vsp 46)。オーディンはミーミルの頭に助言を求め (Vsp 46)、神々は協議する。いまやあらゆる方角から地下世界の軍勢が迫る:ナグルファル Naglfar の船が浮かびあがり、フリュム Hrymr が舵をとって巨人たちとともに来る (Gylf 50〔51〕; Vsp 51 によれば舵をとるのはロキ);スルトはムスペルの子らを率いてくる。とりわけ詳しく物語られるのは戦いの野ヴィーグリーズ Vígríðr (Vm 18) における神々の戦いであり (Vsp 53–58; Gylf 50〔51〕)、そこで神々はエインヘリャル Einherier の支援とともに地下世界の軍勢に対する戦いに踏みこむ。オーディンはフェンリル狼と戦って敗れるが、ヴィーザル Víðarr によって仇がとられる。トールはミズガルズ蛇を殺すが、その毒によって死ぬ。フレイはスルトと戦って敗れる、というのは彼には剣がないからである;テュール Týr と冥府の犬ガルム Garmr が、またヘイムダッルとロキが相打ちになる。最後にスルトがすべてを滅する世界火 Weltfeuer を燃えあがらせる。

この滅亡はしかしながら終局的ではない;円環的な世界観念に従って、浄化された新たな世界が海から浮かびあがるのである。生き残った神々ヴィーザル、ヴァーリ Váli、モージ Móði、マグニ Magni が、かつてのアースガルズの地、イザヴォッル Iðavöllr の平原で相会する;ヘルからはバルドル Balder とホズ Höðr が戻ってくる。そして Vsp の最後の数節は死の竜ニーズホッグ Níðhöggr が最終的に沈むことを語る。

新世界の語りをもつ Vsp 59–66 節は、スノッリがラグナロクとの関連で引用し天と冥府の描写の枠組みにおいて解釈している 37 節と並んで、Vsp のラグナロク物語におけるキリスト教的要素を問う問題へと導いてきた。というのはそれは部分的に、ヨハネの黙示録における天のエルサレムの物語を強く思い起こさせるからである。オルリックはこれらの要素の分離に努力し、それに際して世界の道徳的退廃、ギャッラルホルンを吹くこと、太陽の消失、世界炎上と新世界の物語をキリスト教の影響とみなした。

エッダにおいてラグナロクのほかに世界滅亡を表す類義の名称として、aldar rök (「世の終わり」Vm 39)、tíva rök (「神々の運命」Vm 38, 42)、þá er regin deyja (「神々が死す時」Vm 47)、unz um rjúfask regin (「神々が滅ぶ時」Vm 52; Ls 41, Sd 19)、þá er Muspellz-synir herja (「ムスペルの子らが出陣する時」Gylf 18〔?〕, 36〔37〕)、aldar rof (「世の破れ」HH II 41)、regin þrjóta (「神々の終焉」Hdl 42) がある。


ラグナレクル (古ノルド語 ragnarökr「神々の黄昏」) は、Ls 39 ならびにスノッリにおいて、より古い名称であるラグナロク「神々の運命」にかわって、北欧人の世界滅亡の観念を表す名前として誤って用いられている。スノッリによるこの崩れた形から、今日なおドイツ語ではたいてい「神々の運命 Götterschicksal」ではなく「神々の黄昏 Götterdämmerung」が、ゲルマンの黙示録を意味するのに用いられている。


終末論 (Eschatologie)。最後のできごとと世界の終わりについての諸観念;ゲルマン人におけるそれは、ラグナロクに関する幻視におけるエッダ神話のなかと、余さず明瞭だとはいえない西ゲルマンの概念であるムスペルとにおいて出てくる。とはいえこれらは決して全ゲルマン民族にとってではなく、異教時代後期についてのみ等しく妥当する概念である。


samedi 5 mars 2022

巫女/巫女の予言/巫女の予言短編——Simek の北欧神話事典より

独文和訳の訓練を兼ねたシリーズ第 3 弾。ジメクのゲルマン神話事典 (Rudolf Simek, Lexikon der germanischen Mythologie, ³2006, S. 475–78) より、「巫女」Völva, 「巫女の予言」Völuspá, 「巫女の予言短編 (短篇)」Völuspá in skamma の 3 項目のほぼ全訳 (項目末の参考文献と近現代の受容についてのみ省略)。


エッダ各編の略号は次のとおり:Vsp 巫女の予言、Bdr バルドルの夢、Hdl ヒュンドラの歌、Gylf ギュルヴィたぶらかし。


巫女 (古ノルド語 völva「女予言者、預言者」、本来の意味は「杖を持つ女 Stabträgerin」) とは、女予言者 Seherin を意味する古ノルド語の名。エッダにおいて、とりわけ Vsp と Bdr において、巫女には予言者として重要な役割が与えられている。サガにおいては巫女はしばしば魔女 Zauberin として登場し、それにより中世スカンディナヴィア文学においてゲルマン異教世界の典型的な代表者となっており、常套句としてキリスト教の悪魔視の軽微な傾向をも巫女は示している。女予言者 Seherinnen の項も参照せよ。


巫女の予言 (古ノルド語 Völuspá) は確実に詩のエッダのうちもっとも有名な神話詩である;巫女の予言は 66 の節 Strophen からなっており (うち 62 節は王の写本 Codex Regius に、残り 4 節は第 2 の主要写本であるハウク本 Hauksbók にあるべつの版に含まれる)、幻視的な一人語りの形式をとっている;最初の 2 節と、第 28 節その他の若干の短い暗示が、幻視に枠〔物語〕を与えており、そこでは巨人の女予言者 Seherin がオーディンに情報を分け与えている。そうとはいえこの一人語りは教訓的でもないし真の意味で叙事詩的でもなく、強い視覚的喚起力をもった個々の図像から構成されている。

巫女の予言の最古の写本である王の写本は 13 世紀後半に発するが、この歌そのものはそれよりはるかに古い。ここでそれが 10 世紀初頭のものにせよ (ヨウンソン)、11 世紀前半に生まれたにせよ (ホイスラー)、どのみち下限はヤールのスカルド詩人アルノール Arnórr Járlaskáld のソルフィン頌歌 Þorfinnsdrápa に借用されていることで 1065 年ころと与えられる。ノルダル以来概して巫女の予言は、宗教的変革の風潮と終末の時の到来を待つなかの 1000 年の直前に〔成立年代を〕定められている。散文のエッダにおいてスノッリは、巫女の予言の節を多数引用し、彼の神話記述の資料として豊富に活用したばかりか、この歌の題をもわれわれに伝承してくれている。

巫女の予言は原初の巨人ユミル Ymir から世界が創造されたこと、神々と人間の原初の歴史、また巨人とドヴェルグについて、そしてアース神族とヴァン神族のあいだの最初の戦争について伝えている。その後バルドルの死から、神々と人間にとって危険な力の描写に至り、そのうえにラグナロクにおける終末の事件についての広範な叙述が続く (43–58 節)。しかし太陽の消滅と神々の転落そして破滅的な世界炎上は、最後的な終わりを意味しない:巫女の予言の最後の数節は、来たるべきよりよい世界の誕生を物語っている。

ただにその主題のみからではなく、そのうちに包含する想念に関しても、巫女の予言は並外れて豊饒である。あらゆる神話詩のうちでもっとも印象深いこの作品は、ひたすら異教ゲルマンの神話のみを再現しているのではない (ミュレンホフはそう言うのだが) ということはただちに認識されたが、この歌をもっぱら初期中世・キリスト教的な観念の産物とみなそうとする解釈 (マイヤー) は、巫女の予言にとり決してふさわしくはない。たんにキリスト教的のみならず、インド゠イラン゠印欧的な平行例をも (リュードベリ、ストレム)、またさらにはペルシア゠マニ教的なそれをも (ライツェンシュタイン、シュレーダー)、人は巫女の予言のなかに見いだそうとする。——この歌の内部でゲルマン的な層とキリスト教的な層とを峻別しようとすることも試みられてきたが (オルリック)、この道によって巫女の予言の源泉を決定的に明確化するには至りえない。ノルダルはそこから、この歌はその作者が土着の素材を加工したものであり、たとえキリスト教的な影響も非常に蓋然性が高いにせよ、それについてはその範囲も仲介手段も明らかにはなっていないので、ひとつの統一体としてみなすことを提唱した。多様な由来をもつ諸観念をひとつの不朽の形に鋳造したことは 1 人の単独の詩人による功績なのであって、たとえ彼の作品がおそらくそれじしんで異教時代後期を代表したものではなく、たんに彼の個人的な告白を芸術的な形で表現したものであったとしてもそうなのである。ゲルマン神話の資料として巫女の予言を利用するに際しては、このような制限が見落とされてはならない。宇宙誕生、宇宙論、バルドル、冥府、ラグナロク、終末論の項も参照せよ。


巫女の予言短編 (古ノルド語 Völuspá in skamma, 短い巫女の予言とも) とは、巫女の予言を模倣した作品の名であり、ヒュンドラの歌 29–44 節に保存されている。

巫女の予言短編がかつては Hdl とは独立したひとつの詩として存在していたことはスノッリによっても証明されており、これを彼は Gylf 4〔5〕においてその固有の表題のもとに引用してさえいる。Hdl は 13 世紀の作品であり、巫女の予言短編もそれよりずっと古いということは考えにくく、たぶん 12 世紀のものである。Vsp から逐語的な借用をしているが、文学的にはその原作よりもはるかにひけをとっている;宇宙論的な進展もほとんどなく、もっぱら神々と巨人たちのあいだの血縁関係の羅列に終始している。なかんずくロキと並んでヘイムダッルがとりわけ詳細に扱われているが (35–39 節)、ラグナロクについては、この歌は終末論的な狙いがあるような印象を与えているにもかかわらず、簡略にしか示されていない。——その描写のしかたはおそらく神話叙述を体系化しようとする省察をすでに前提にしており、この理由からも〔成立年代は〕異教神話への学術的関心が目覚める時代、12 ないし 13 世紀に定められるべきである。この歌は——巨人の系譜 (32 節) は別かもしれないが——謎めいたところはほとんどなく、われわれがほかのエッダ資料から知っている神話的な事情を裏書きするのみである;しかしながらそのさいに顧慮されるべきは、巫女の予言短編それじたいがまさしくそれらの資料より作られたのであって、それゆえ神話に関してはたかだか二次的なものであり、ほかのエッダ歌謡と比肩する資料としては考慮に値しないということである。


vendredi 4 mars 2022

ヴァン神族/ヴァン戦争——Simek の北欧神話事典より

自分が読みたかったので続いたシリーズ第 2 弾。ジメクのゲルマン神話事典 (Rudolf Simek, Lexikon der germanischen Mythologie, ³2006, S. 486–88) より、「ヴァン神族」Wanen と「ヴァン戦争」Wanenkrieg の項目のほぼ全訳 (項目末の参考文献と近現代の受容についてのみ省略)。


第 1 の「ヴァン神族」の項目の訳文においては、明示的に Götterfamilie「神族」という語がないところに補うさいには亀甲括弧〔・〕で明らかにしたが、煩雑を避けるため次の「ヴァン戦争」ではただの Asen, Wanen も「アース神族」「ヴァン神族」と訳した箇所が多い。また「ヴァン戦争」の項には詩語法およびユングリンガ・サガからの長めの引用文があるが、これも事典中のドイツ語から訳したものであり、古ノルド語原典にはあたっていない。

エッダ各編の略号は次のとおり:Vsp 巫女の予言、Gylf ギュルヴィたぶらかし、Skáldsk 詩語法。


ヴァン神族〕(Wanen, 古ノルド語 Vanir) は、スノッリ・ストゥルルソンによればアース〔神族〕と並ぶ第 2 の神族の名であるが、異教時代におけるその存在は疑われねばならない。

まずもって、彼の作品でもゲルマンの神々はみなアースと呼ばれているのであるが、スノッリによるとそれらのうちの一グループ、すなわちヴァンたち (ニョルズ Njörðr, フレイ Freyr, フレイヤ Freyja) は、べつの一族に数えられるべきである。彼らはつねにアースと平和裡に暮らしていたわけではなかった。スノッリがヴァン戦争 Wanenkrieg について伝えるところでは、その戦争の終わりに両神族は和平を結び、互いに人質を交換した。

スノッリによってヴァンとしてまとめられている神々は、なによりも豊穣の神々であって、彼らはとりわけ農民人口からは豊作・太陽・雨・よい風を、また航海者や漁師からはよい天候条件を求めて願われていた;フレイに関してはとくに、スノッリはこの豊穣の機能を強調したことで、この神の統治機能にとっては著しく不利になったであろう。ヴァン〔神族〕はまた、アース〔神族〕からは恥ずべきものとみなされた形式の魔法——アースたちはこれをフレイヤを通して知った——を実践していた。それに加えて (スノッリの『ユングリンガ・サガ』4 章によると)、ヴァン〔神族〕のもとではアース〔神族〕とは違い、兄弟姉妹間の結婚が容認されていた。このことは、ヴァン崇拝の本来の担い手たちの社会における、母権制的な環境を示している可能性がある。

ニョルズ、フレイ、フレイヤという神々への尊崇は、はるか昔まで遡ることができる:ニョルズと語源的に同一の女神ネルトゥス Nerthus は、早くもタキトゥス〔『ゲルマーニア』〕において言及されており、青銅器時代の岩壁画に現れている豊穣の神々は確実にこのグループに数えることができる。また著しいのは、スカンディナヴィアにおいてこれらの神々の名前から作られた地名が、——ウッル Ullr を除くと——ほかのすべての神々をあわせたものと総数において釣りあっていることである;それと引きかえ、ヴァンという単語それじたいは地名に見いだされないが、このこともまた、これらの神々とヴァンという概念との結びつきが新しいことを示唆している。

ニョルズおよびその 2 人の子フレイとフレイヤと並び、おそらくより後代にスカンディナヴィアにおいてフレイと重ねられた神、イング Ing がこの神々のグループに数えられる;フロージ Fróði (=フレイ) がかつて独立した神として尊崇されていたということは反対に疑われるべきである;また、ときおり推定されているようなウッル神がヴァン〔神族〕に所属するということはまず証明しえない。

ヴァンという名の語源は、数々の説明の試みがあるとはいえ、なおまだ納得のいく解釈はなされていない。


ヴァン戦争 Wanenkrieg と呼ばれているのは、アース神族とヴァン神族のあいだの戦いのことであり、これはただスノッリと Vsp のあまり意味明瞭でない数節によってのみわれわれに伝わっている。スノッリはヴァン戦争について 2 通りの短い梗概を与えており、1 つはきわめて簡素なもので Skáldsk 1 に見られる:「それはこのように始まった。神々はヴァンと呼ばれた人々と戦争を行った。しかし彼らは和平会議に合意し、次のようなしかたで和平を約定した。すなわち両グループがある容器のところへ歩いていき、そのなかへ唾を吐き入れるとするのだ。そうして立ち去るさいに神々はこの和解のしるしを受けとり、それが失われることのないようにと欲し、かわりにそこからクヴァシル Kvasir という名の人間を創りだした」。

もう 1 つはこれよりいくらか詳しいバージョンで、『ユングリンガ・サガ』4 章にある:「オーディンは軍を率いてヴァン神族に向かったが、彼らはそのことを早くに察知し、自分たちの国を防衛したので、双方とも相手を破ることができなかった。おのおのが相手の国土を荒らし損害を引き起こした。双方ともがそのことに倦むと、彼らは和平会議に合意して和平を結び、人質を交換した。このときヴァン神族はもっとも重要な者たち、すなわち裕福なニョルズと彼の息子フレイを連れてきたが、アース神族はヘーニル Hœnir という名の者を連れてきて、首領としてうってつけの者だと称した。それは背が高く美しい男だった。その男とともに彼らはミーミル Mímir というとても賢い男を送ったが、ヴァン神族はそのかわりに彼らの集団からもっとも利口な者を与え、これがクヴァシルといった」。

これらと並んでスノッリ (Gylf 22〔23〕) は、ニョルズとヘーニルの人質取りに言及し、それによって間接的にヴァン戦争のことをほのめかしている。

Vsp 21–26 もヴァン戦争のことを物語っていると推測され、スノッリはこれらの詩節を知っていたが、スノッリの説明の内容は 2 つとも、Vsp のそれとははなはだしく異なっている;すなわち Vsp においては人質取りについてなにも語られておらず、Vsp においてヴァン戦争の原因となった者はヴァン神族の女予言者グッルヴェイグ Gullveig であるが、彼女のことはスノッリには言及されていないのである。

旧世代の研究において、ヴァン戦争神話はたいてい、紀元前 2 千年紀に実際に起こった戦争の反映とみなされがちである;その当時、定着していた南スカンディナヴィア゠西ヨーロッパの巨石文化が、北西へ進出する戦斧民族によって蹴散らされ、それにもとづいてその後 (非印欧語族の?母権的な?) 巨石文化の担い手たち (=ヴァン?) と印欧語族の戦斧民族 (=縄目文土器文化?=アース?) との混交が生じた。この歴史的できごとがヴァン戦争そしてアース神族とヴァン神族のあいだの平和締結という神話の形式のなかになごりをとどめているというのである (エックハルト)。

反対にデュメジルは、ほかの印欧民族 (ローマ人、インド人) にある類似の神話伝説を指摘し、そこからヴァン戦争を、ある社会内部における社会的摩擦と解釈している。その社会においては階級的に区分された、好戦的な王に従う者たち (=アース?) と、他方では植物崇拝と魔術が意味をもっているような農民階級という、〔2 つの〕グループが対峙していた。これらの社会階層間の平和締結——なるほどこれはヴァン戦争神話においてたしかに本質的な位置を占めている——を通してはじめて、印欧語族社会の秩序だった社会的・宗教的構造は発生したのである (デュメジル、デ・フリース)。


jeudi 3 mars 2022

アールヴとその区分——Simek の北欧神話事典より

ジメクのゲルマン神話事典 (Rudolf Simek, Lexikon der germanischen Mythologie, ³2006, S. 8–10) より、「アールヴ」Alben の項目のほぼ全訳 (項目末の参考文献と近現代の受容についてのみ省略)。

〔2022 年 3 月 7 日追記〕さらに「光アールヴ」Lichtalben, 「闇アールヴ (ダークエルフ)」Dunkelalben, 「黒アールヴ」Schwarzalben の 3 項目 (S. 81–82, 244, 366) を追加で翻訳した。ほかに関連する「アールヴァブロート」と「エルフ」も訳したいところではあるがあまり勝手にいろいろ訳すのもなんなので (出版でもさせてもらえるならやりますが)、あとは上に Amazon へのリンクを貼った原著をご購入ください。私が使っているのは第 3 版ですがリンク先は最新第 4 版 (2021) です。

〔2022 年 3 月 9 日追記〕原著者ジメクには最近、Rudolf Simek (2017), ‘On Elves’, in: Stefan Brink and Lisa Collinson, Theorizing Old Norse Myth, pp. 195–224 という論文があり、本稿にも述べられているようなエッダをはじめとした文献資料のより綿密な用例調査に加えて、新しい考古学的証拠をも援用して当時のエルフ (アールヴ) の観念について再検討している。ひょっとすれば事典第 4 版にはその内容が反映されているのかもしれない (未確認)。


なぜこの翻訳を思い立ったかというに、同書には (底本は初版とはいえ) 英訳 Dictionary of Northern Mythology があるのだが、どうしたことか英訳書にはこの項目が欠けていることを発見したのである。英語版はところどころ項目名にも英語化した語形を用い、したがって項目の順番が入れかわっているのでひょっとしてどこかにあるのかもわからない。それにもかかわらず私がないと結論づけた理由は、古ノルド語の álfar で引くとドイツ語版では → Alben、英語版では → Elves を参照するように指示されているところ、この 2 つの項目の内容がまるで対応していなかったからである。これは版の違いによるのではない;念のためドイツ語の初版 (1984) も確認したが、1 文を除いては第 3 版とまったく変更点はなかった。

じつはドイツ語原書には、神話の「アールヴ」を解説した Alben のほかに、(一部内容は重複しつつも) より周縁的な地域・時代の「エルフ」を説明する Elfen の項目が別個に立てられている (これも初版からある)。英訳の Elves はこの Elfen の項を翻訳したもので、他方 Alben のほうはまったく見落とされ消滅してしまったようなのである。しかしいま言ったように Alben の項目のほうこそ第一に重要なのであって、単純に文章量を比べても倍以上長く、ぜひとも読みたい興味のある項目なのである。わざわざ苦手なドイツ語を苦心して訳したゆえんである。

以下の訳文のうち丸括弧 (・) は原文、亀甲括弧〔・〕は訳者の補足である。必要に応じてドイツ語および古ノルド語の原語を併記した。改段落は原文のとおりである (やたらと長かったりまちまちなのもそのまま)。神話資料の略号は、『詩のエッダ』Vsp 巫女の予言、Háv 高き者の言葉、Grm グリームニルの言葉、Skm スキールニルの言葉 (旅)、Ls ロキの口論、Alv アルヴィースの歌;『スノッリのエッダ』Gylf ギュルヴィたぶらかし、Skáldsk 詩語法。


アールヴ (Alben, 古ノルド語 álfr, 古高ドイツ語 alb, 古英語 ælf;〔女性形は〕古英語 ælfen, 中高ドイツ語 elbinne) は神話的存在の一種。エッダにおいては何度かアース神族とともに言及されており (æsir ok alfar: Ls 2, Grm 4, Skm 7; Skáldsk 1, 29)、Háv では 2 度、アース神族・アールヴ・ドヴェルグという序列でも言及されている。疑いなくアールヴは (あるいはこの多層的な概念のもとに包括された存在の一部は) 実際のところアース神族に近い。アールヴァブロート álfablót という、アールヴに対する崇拝もしくは少なくとも供物についても、散発的な報告がわれわれにまで伝わっている。アールヴという古ノルド語の名称は、Vsp のドヴェルグ一覧表 dvergatal における若干のドヴェルグの名前にも現れており (アールヴ Álfr, ガンダールヴ Gandálfr, ヴィンダールヴ Vindálfr)、これによってアールヴはドヴェルグに接近している。スノッリがドヴェルグをスヴァルトアールヴァヘイムに住むものとしているのは (Gylf 33, Skáldsk 37)、アールヴの下位グループである黒アールヴ Schwarzalben をこれ〔=ドヴェルグ〕と同一視しているようである。鍛冶師ヴィーラント Wieland〔=ヴォルンド Völundr〕の英雄伝説においても (ヴォルンドの歌 10, 13, 32)、ヴィーラントはアールヴたちの指導者にして同胞と呼ばれているが、このことは確実に彼の鍛冶師としての技量と関連づけられている。おそらくドヴェルグとの親縁関係に対して直接にではないせよ、さだめし彼らの性格の悪魔的な面を指しているのが、ぎっくり腰〔ドイツ語で「魔女の一撃 Hexenschuß」〕を意味する「アールヴの一撃 Albschuß」、すなわち古英語 ylfa gescot のような表現である。アールヴと巨人との関連は、『ベーオウルフ』(eotenas ond ylfe) におけるのを除けば Alv にのみ現れるが、ここではたださまざまな存在 (人間、アース神族、ヴァン神族、ドヴェルグ、アールヴ、巨人) が数え上げられているだけである。こうしたアールヴの、スノッリの言う闇アールヴ Dunkelalben ないし黒アールヴというグループと同一視しうるような側面とは対照的に、ノルウェーのハラルド美髪王の系譜のなかの若干の名前 (アールヴ Álfr, アールヴゲイル Álfgeirr, ガンダールヴ Gandálfr, アールヴヒルド Álfhild) のように、まったく異なる種類のアールヴともわれわれは出会う;すなわちこれに関するある出典テクスト (古の王のサガ断片 Sögubrot af fornkonungum 第 10 章) の伝えるところでは、この (アールヴたちの) 系譜はもっとも美しい人物たちを名づけたものだという;しかしながら「アールヴ〜」というのはほかの古ノルド語の人名にもありふれたものである。スノッリも同様に、彼の言う光アールヴ Lichtalben というグループは太陽よりも美しいと称しており、古英語の詩は「すばらしく美しい」という意味で ælfsciene「アールヴのように美しい」を用いている。「太陽」を表す álfrödull「アールヴの車輪」という何度も使われたケニングもこの線に沿ったものだろう。(白い?) アールヴと太陽との結びつきは、彼らの住処アールヴヘイム (Gylf 16) にも表れているが、そこは Grm ではフレイの住処として述べられている。

ドヴェルグとは対照的に、アールヴについてはほとんど名前が伝わっていない;はっきりとアールヴとして言及されているのは〔前出のヴォルンドを別とすれば〕ダーイン Dáinn (Háv 143) だけであり、しかもこれとてほかの場所ではドヴェルグの名前になっている。

スノッリは Gylf 16, 33 において、アールヴを光アールヴ、闇アールヴ、黒アールヴ (ljósálfar, dökkálfar, svartálfar) に分類することを試みており、これに際して彼は、スヴァルトアールヴァヘイムに住むドヴェルグを黒アールヴと同一視している。光アールヴはアールヴヘイムに、闇アールヴは地の下に住む。これについて早くもグリムが指摘しているところでは、一方では明るい高みに住まうすばらしく美しい存在と、他方では地の下に居着く瀝青のように黒い者たちとに分けるスノッリの分類 (Gylf 16) は、民間信仰における天使と悪魔というキリスト教的な二元論に従っている疑いを思わせる。グリムはもう一歩進んで、光エルフ=天使、黒エルフ/ドヴェルグ=悪魔に加えてさらに、闇エルフ (青ざめたエルフ?) を死者の魂と同一視しうると考えていた。いずれにせよこうした可能性が示すのは、より古い詩にもスカルド詩にも証拠を求められないような、スノッリによるこのような神話的存在の体系化の試みを、認めるに際しては注意が必要だということである;だがもしスノッリがこのさいに、彼の時代の民衆宗教的な信仰の観念を反映しているのだとしたら、これらは第一にはキリスト教的な概念であり、そこにおいてアールヴ/エルフは中世スカンディナヴィアの魔除けの護符におけるように、すでに悪魔の同義語である。——アールヴァブロートのもとに引用された事例のうち 2 つは、アールヴはギリシアの英雄崇拝を思い起こさせるような崇拝を人が行うような、尊敬された死者に関わる問題である、ということを示唆しているように思われる。しかしながら上述の事例においては、死者崇拝の要素もたしかにアールヴ崇拝に流れこんでいる。闇アールヴと光アールヴという 2 種類のアールヴは両方とも、2 つの関連した祭儀、すなわち死者の祭儀と豊穣の祭儀とを代表している、ということもまた十分ありうることである。——体系化の傾向はきわめて早く (10 世紀以前の) アングロサクソンの資料に見えており、それらにはすでに北欧の民間信仰のアールヴと古英語のエルフとのあいだの相違がほの見えている。この後者は明らかにケルトの観念による影響を受けている。

語源探究がアールヴ信仰の起源に関する疑問解明の助けになるところはほとんどない:この単語はラテン語 albus「白い」とともに印欧語根 *albh-「輝く、白い」に属し、したがっておそらく「白い霧の人影」のような意味だった;あるいは古代インド語 ṛbhu-「巧みな、名人」につながっていた。どちらの説明も、資料がわれわれに与えてくれているアールヴの複雑な像の、あくまで一面のみを照明するにすぎない。


光アールヴ (Lichtalben, 古ノルド語 ljósálfar〔英語 light elves〕) とはアールヴの一グループであり、スノッリ (Gylf 16) はアールヴを光アールヴと闇アールヴ Dunkelalben とに区分している。スノッリによれば光アールヴはアールヴヘイム Álfheimr に住んでいるといい、そこを彼は天国のような領域のなかに思い描いているらしい。アールヴは彼によって陽の光よりも美しいと描写されており、このさいスノッリはキリスト教の天使を念頭に置いていたようである;このことがとりわけあてはまるのは、彼がギムレー Gimlé は第 3 の天にあり現在は光アールヴだけがそこに住んでいるのだ、と語っている点である。実際にはしかしながら、光アールヴとは早くからアース〔神族〕に近接していたアールヴの一グループ (もしくは一側面) である。


闇アールヴ (Dunkelalben, 古ノルド語 Dökkálfar〔英語 dark elves〕) とは、スノッリによればアールヴの一グループであり、彼は Gylf 16 においてアールヴを闇アールヴと光アールヴとに分けている。闇アールヴのことを彼は「瀝青よりも黒い」とし、光アールヴとははなはだ異なっていると称している。——推測では、アールヴの概念のもとに伝統的にさまざまな神話的存在が統合されたという経験が、スノッリにおいてキリスト教的な民間信仰の諸範疇を手がかりに体系化の試みへと導かせたものであろう;グリムはそれゆえ、スノッリは闇アールヴを悪魔と、光アールヴを天使と同一視していたと考えた点で、ほとんど誤っていた。実際にはしかしながら、おそらく闇アールヴと光アールヴとは、死の祭儀と豊穣の祭儀のように互いに接近した関係にある、死者の霊 Totendämonen という同一の観念の 2 つの側面の問題なのである。


黒アールヴ (Schwarzalben, 古ノルド語 svartálfar〔英語 black elves〕) とはアールヴの一カテゴリであり、スノッリ (Gylf 33; Skáldsk 37) において見いだされうるスヴァルトアールヴァヘイム Svartálfaheim「黒アールヴたちの世界」という名前から導かれうるものである〔すなわち黒アールヴ svartálfr という種族名は単独では使われておらず、あくまで世界の名前の一部として知られているということ。ただここで著者は見落としたと思われるのだが、実際には Skáldsk 35 に複数与格形 svartálfum が出ている〕。スノッリは 2 つの用例においてスヴァルトアールヴァヘイムをドヴェルグたちの住処と呼んでいるので、彼にとってドヴェルグと黒アールヴは同一であったと受けとることができ、2 つの神話的存在のカテゴリのあいだのぼやけた変わり目もそれを物語っている。