jeudi 30 septembre 2021

シンオウ神話翻訳集成 (7) シンオウ むかしばなし

旧作『ダイヤモンド/パール』における「シンオウ神話」の読みなおしを期して、ここに日本語版と欧米 5 言語版との翻訳比較ならびに考察を試みる。この記事では「シンオウ むかしばなし」その1およびその2を扱う (その3は別途過去記事で詳述したので省略)。


各言語版のテクストは以下の各国語版ポケモン wiki より引用した (閲覧した版はこの記事時点における最新版)。ただし改行位置などについて細かな改変をとくに断らずに加えた場合がある。


日本語版:シンオウ むかしばなし その1

うみや かわで つかまえた
ポケモンを たべたあとの
ホネを きれいに きれいにして
ていねいに みずのなかに おくる
そうすると ポケモンは
ふたたび にくたいを つけて
この せかいに もどってくるのだ
おくりのいずみともどりのどうくつにまつわる説話であろう。この記述をアイヌと関連づけることは多分に疑わしい。まずときどき言われているようなイオマンテとは共通点が少なすぎるように思われる。イオマンテというのはふつうクマ送りと訳され、1 年ないし数年をかけて村ぐるみで大事に育てた子グマを最後に殺して魂を天に送る、アイヌ最大の儀式である。一方ここで語られている民話では対象とされるポケモンは陸ではなく海や川でとれたものに限られているし、骨を水に送るという部分も一致していないし、特別な機会ではなく年中の食事すべてについて行われる習慣のように読める (食べたあとの骨を長期間とっておけるわけがないから)。肉体をつけてまた戻ってくるという点も、べつにイオマンテで送られたクマだけではなくちゃんと敬意を払って狩った獲物はみんな戻ってきてくれるのである。この儀式と結びつけるべき根拠はひとつもないようである。

魚が骨から生きかえるという点では、チェパッテカムイとの連想はもう少し有力かもしれない。アイヌの神謡では鹿と鮭にはユカッテカムイ「鹿を増やす神」とチェパッテカムイ「魚を増やす神」という増やす専門の神がいて、「そのカムイたちが袋の中からシカの骨やサケの骨をばらまくと、地上を幾多のシカの群れ、サケの群れとなって、駆け回り泳ぎ回るという話」がたくさん伝わっているそうだ (中川裕『アイヌの物語世界』改訂版 61 頁)。

だがこれは、鹿と鮭が無尽蔵とも見えるほど獲れたところから「誰かがどこかで一生懸命増やしてい」るのだろうという理由づけを与える神話である。骨をばらまくのはそのカムイが勝手にやっていることであって、人間が水に送るという儀式があるのではない。このように大量に獲れる鮭については、カムイチェㇷ゚と呼ばれる特別なリーダ個体だけは「別扱いにして、イナウキケでくるんでお祀りするという話で、一般のサケに対してはそんなことはしない(あまりにもたくさんとれるので、いちいちする余裕はない)」と証言されている (同所)。それに鹿が含まれることからもやはり水棲生物に限った話でもない。関連を考えるとしてもかなり間接的と言わねばならないだろう。

如上の理由により、この話に関してはアイヌの儀礼に原型を求めることに私は懐疑的である。獲物の肉や魚はカムイからの贈り物であるというアイヌの信仰をひとつの背景として取り入れつつも、具体的なところはお盆の精霊 (しょうりょう) 送り・灯篭流しのような和人の風習に材をとっているのではなかろうか。ただ、しょせん私のアイヌに関する知識はほんの 5, 6 冊の本で勉強した程度のものなので、もし元ネタとしてもっとぴったりくる話をご存知のかたがいらしたらコメントで典拠をご教示いただきたい。


英語版:Sinnoh Folk Story 1

Pick clean the bones of Pokémon caught in the sea or stream.
Thank them for the meals they provide, and pick their bones clean.
When the bones are as clean as can be, set them free in the water from which they came.
The Pokémon will return, fully fleshed, and it begins anew.
海や川でとらえたポケモンの骨をきれいにこそげとりなさい。
与えていただく肉に感謝し、骨まできれいに平らげなさい。
できるかぎり骨がきれいになったら、来たところの水に放してやりなさい。
ポケモンはちゃんと肉をつけて戻ってきて、またもとどおりになるでしょう。
第 3 行では当のポケモンが獲れたところの水に戻してやるのだと明確に補われている。これではおくりのいずみが特別な儀式の場であると解することはできず、人間の集落ごと・漁場ごとにそれぞれの場所で送られていたことになる。もちろんおくりのいずみで獲れたポケモンだけはおくりのいずみで送るわけだが、あの場所を特別視するほど多くの獲物がとれたとは思えないし、もしそうだとすればもっとべつの縁起のいい名前——豊漁の泉とか?——がついたはずだろう。だが英語版でもこの場所は Sendoff Spring と呼ばれている。英語版のこの昔話はおくりのいずみでの儀式がシンオウじゅうに広まったあとのものか、あるいは順番は逆かもしれないがともかく異なる時代の記述といえよう。


ドイツ語版:Sinnoh Volkssage 1

Säubere die Knochen der Pokémon, die du in einem Meer oder Fluss gefangen hast.
Danke ihnen für die Nahrung, die sie dir spenden, indem du ihre Knochen säuberst.
Hast du das getan, wirf die Knochen wieder zurück ins Wasser, aus dem sie kamen.
Die Pokémon werden aus den Knochen neu entstehen und der Kreislauf beginnt von neuem.
海や川で獲ったポケモンたちの骨をきれいにしなさい。
それらが恵んでくれる栄養に感謝して、それらの骨をきれいにしなさい。
それをしたら、それらが来たところの水のなかへ骨を放りこんで帰してやりなさい。
ポケモンたちはその骨から新たに生まれて、あらためて循環が始まるでしょう。
骨の返しかたがここでは werfen「投げる、放る」という動詞で指示されており、いささか乱暴に響く。とくに「ていねいに」という副詞があった日本語からはずいぶん遠ざかったようである。

ところで、ドイツ語版のおくりのいずみの名前は Scheidequelle というが、これはなかなか気の利いた翻訳である。この Scheide- という部分は多義的であるが、ここで関係すると思われるのは次の 2 つの意味だ:ひとつは Scheidelinie「境界線」や Scheidepunkt「分岐点、分かれ道」におけるように、「境界、境目、分かれ目」といった意味、もうひとつは Scheidebrief「別れの手紙=離縁状、離婚届」や Scheidegruß「別れの挨拶」のような「別れ、別離」の意味である。2 つといっても両者の意味はもちろん密接につながっている。日本語でも「分かれ」と「別れ」は同源である。そのことを考慮してこの地名は「わかれのいずみ」とでも訳せよう。泉は死んだポケモンと「別る」場にして、この世とあの世とを「分かる」境界面でもある。


フランス語版:Contes Populaires de Sinnoh, Partie 1

Régalez-vous d’un Pokémon attrapé dans une mare ou un ruisseau.
Remerciez-le pour ce repas, et ne laissez pas de restes.
Quand ses os sont blancs comme l’albâtre, déposez-les au point d’eau qui a vu naître ce Pokémon.
Le Pokémon réapparaîtra, bien en chair, pour commencer une nouvelle vie.
海や小川で獲ったポケモンを心ゆくまで賞味しなさい。
その食事に感謝して、残さないようにしなさい。
その骨がアラバスターのように真っ白になったら、そのポケモンが生まれた水源にそれを降ろしてやりなさい。
ポケモンはまるまると肉をつけて再生し、新たな生を始めるでしょう。
1 文めの動詞が se régaler「ごちそうを食べる・楽しむ、舌鼓を打つ」に変わっている。これは英語版の pick clean「きれいに平らげる」を 2 行にわたって繰りかえしているという下手な作文をそのまま移すことを避けたがったためだろう。その勢いで 2 行めも独自の内容に変わっているが、骨をきれいにすることは 3 行めの前半だけでわかるのでいちいち最初の 2 行では言わずに済ませているわけだ。

参考までにフランス語版のおくりのいずみは Source Adieu「さよならのいずみ」という。アデューというのは文字どおり「神のもとで」の意味であり、ふつうの別れの挨拶ではなく長いもしくは永劫の別れを含意する言葉である (方言ではふつうの挨拶にも使うというが)。これなどはまさに翻訳を参照する効用の好例といえよう。日本語の「おくり」、英語の ‘Sendoff’ などは、それだけでは「死別、二度と会えない別れ」というニュアンスを確実に伝えないから、われわれはたとえばこの「シンオウ昔話」を読むことやギラティナのイベントを通して「おくりのいずみ」の意味を推察するわけだが、フランス語名にあたればそこのところがただちにはっきりするのである。


イタリア語版:Prima storia popolare della regione di Sinnoh

Pulisci bene le ossa dei Pokémon catturati in mare o nei torrenti.
Ringraziali per i pasti che forniscono e puliscine bene le ossa.
Quando le ossa saranno completamente ripulite, rimettile nell’acqua.
I Pokémon torneranno, con nuova carne attorno alle ossa e potrai ricatturarli.
海や渓流で獲ったポケモンたちの骨はすっかりきれいにしなさい。
それらが与えてくれる食事に感謝し、骨をすっかりきれいにしなさい。
骨が完璧にきれいになったら、それを水に戻しなさい。
ポケモンたちはその骨に新たな肉をつけて戻ってくるから、またそれを獲ることができるでしょう。
3 行めでは返すべき水がただの acqua「水」という以上になんら指示されていない、この点では日本語版に立ちかえっているようである (実際にイタリア語訳者が参照したかは別として)。もう 1 点大きな違いとしては、最後の部分でポケモンが新たな命を取り戻すというのでなく、人間の立場——動詞 potrai は 2 人称単数で聞き手一般への呼びかけになっている——でまた漁獲できるという表現になっている。


スペイン語版:Historias populares de Sinnoh, Primera historia

Limpia los huesos de los Pokémon atrapados en el mar o en un arroyo.
Agradéceles la comida que proporcionan y limpia completamente los huesos.
Cuando los huesos estén tan limpios como el agua de la que provienen, devuélvelos a esta.
Los Pokémon regresarán, con un nuevo cuerpo y una nueva vida.
海や小川で獲ったポケモンの骨をきれいにしなさい。
それらが提供してくれる食事に感謝し、骨を完璧にきれいにしなさい。
骨がそれらの来たところの水と同じくらいきれいになったら、それらをそこへ戻してやりなさい。
ポケモンたちは新しい肉体と新しい命をもって戻ってくるでしょう。
1 行めでは arroyo「小川、細流」という単語が使われているが、ふつうの川を指す río と言ってもいいところである (たとえば川魚は pez de río だし、「鮭が川を遡る」という場合も los salmones remontan el río と言える)。じつはこの問題はフランス語でも同様で、川を表す単語はたくさんあるのにそのなかでもいちばん小さい川を指す ruisseau が用いられていた。またイタリア語版ではとくに激しい急流・渓流を指す torrente と言われている。おそらくこのようなばらつきの原因は英語版があえて river ではなく stream を使ったせいかと思われ、各訳者はそこになんらかの含みを読みとってしまったのかもしれない。stream はたしかにしばしば小川を指すのではあるが、river をも含めた河川一般を指す単語であるから、これは彼らの誤解である。

このスペイン語版は 3 行めの訳しかたも奇異な感じがある。tan limpios como el agua「水と同じくらいきれいに」と言うのだが、骨に肉片が残らないくらいきれいにというのと水のきれいさを比べるのは違うような気がする (スペイン語話者には通じるのか?)。


小括

  • いかにも元ネタがありそうだが、管見のかぎりアイヌに該当例は見あたらない。
  • 骨を送りかえす水場は漁をした場所? おくりのいずみ?
  • 獲れた場所だとすればおくりのいずみはなぜそう呼ばれるかという問題が生じる。


日本語版:シンオウ むかしばなし その2

もりのなかで くらす
ポケモンが いた
もりのなかで ポケモンは かわをぬぎ
ひとにもどっては ねむり
また ポケモンの かわをまとい
むらに やってくるのだった
こちらは明確にアイヌがモチーフである。まず根本的な話からするが、「かつてのアイヌにとって、この世界は二種類の精神的存在によって構成されていると考えられていた。ひとつはアイヌ=『人間』であり、もうひとつがカムイと呼ばれるものである。このカムイという言葉はひとことで言ってしまえば、『人間にない力を持ったものすべて』を指す言葉である」(中川裕『アイヌの物語世界』23 頁)。以前にも少し触れたのだが、〈カムイ=ポケモン〉というアナロジーはここから理解できる。

これをわかってもらったうえで、カムイに関する次の記述を読んでみてほしい:「カムイたちは、カムイモシㇼでは人間と同じ姿をしているといわれる。(中略) カムイたちが人間の前に姿を現すときは、それぞれよそいきの衣裳をつけてくる。たとえばクマの神であれば、肉を人間へのお土産として背負って、その上に立派な毛皮のコートを着てやってくる。その衣装を身にまとうと、私たちが写真や動物園で知っている、あのクマの姿になるというわけなのだ」(同書 25 頁)。カムイたちは神の領域にいるときは皮を脱いで人間の姿に戻っている、そして人間の領域に来るときには動物の皮をまとってくる。「シンオウ昔話」と完全に符合していることがわかるだろう。

私はアイヌについて勉強するまえ、この「シンオウ昔話」を予備知識抜きに純粋に読んだときにはどうにも腑に落ちなかった。森のなかでわざわざ皮を脱いで人間に戻るというのは逆なのではないか、危険な森のなかでこそ頑強なポケモンの姿をとり、人間の村ではむしろ人間の姿をとって溶けこめばよいではないかと思っていたのだ。この話は単独で読んで合理的に理解することは難しい。それはアイヌの信仰をそのままもってきていることが理由なのだとわかったときとてもすっきりする思いがした。おそらく『DPt』——そして『BD/SP』と『LEGENDS アルセウス』——の作中にはほかにもこのような解明を待っている謎が存在しているのではないだろうか。


英語版:Sinnoh Folk Story 2

There lived a Pokémon in a forest.
In the forest, the Pokémon shed its hide to sleep as a human.
Awakened, the human dons the Pokémon hide to roam villages.
森のなかで暮らすポケモンがいた。
森のなかでそのポケモンは皮を脱ぎ捨て人間として眠った。
目覚めるとその人間はポケモンの皮をまとって村々を巡った。
私が日本語版のテクストを読むとき、「その1」や「その3」との総合的理解、さらには先述したようなアイヌ的理解もあいまってか、この「ポケモン」は一般論的な複数を言っているように解していたので、ここで英語版が単数を使ってきたのを見て驚いた。しかし考えてみればこれはあくまで昔話のひとつであって、かならずしもポケモン世界の過去の歴史を物語るものではないし、「その1」「その3」とも独立したエピソードである。ひとつの昔話として特定不能の 1 匹のポケモンを主人公に立てた物語とすれば別段おかしなところはない。

それにしてもこの昔話には続きというものがあるはずだ。人間の格好をして村にやってきたあとどうなったのだろうか。どんなに短い絵本だって、たったこれだけで 1 冊が終わるということはない。英語版では 3 文、日本語版だと 2 文でたったの 68 文字 (スペース除く) である。ゲームの主人公はこんな序盤で本を閉じないで、ちゃんと最後まで読んでもらいたいものである。


ドイツ語版:Sinnoh Volkssagen 2

Einst lebte ein Pokémon in einem Wald.
In diesem Wald legte das Pokémon seine Haut ab und schlief wie ein Mensch.
Als es erwachte, hatten Menschen seine Haut genommen und übergezogen.
Sie plünderten Dörfer in der Gestalt dieses Pokémon.
昔あるポケモンが森のなかで暮らしていた。
この森のなかでポケモンは皮を脱ぎ去り人間のように眠った。
そのポケモンが目覚めたとき、人間たちはそれの皮を奪って身にまとった。
彼らはこのポケモンの姿で村々を略奪した。
???????? 唖然。ドイツ語訳者、どうした……?? 今回までで私はミオ図書館のすべてのテクストを訳したことになるが、最後にここにきて衝撃の展開、まるで意味がわからない。3 行めから訳のわからないことが起こっている。なぜか複数の Menschen「人間たち」が登場し、そいつらは最初のポケモンとはべつの存在らしく、ポケモンが脱いでいた皮を奪っていく。そしてあろうことかこのポケモンに扮して plündern「略奪する、荒らす」という蛮行まで働く。もうぜんぜんついていかれない。どうしてこうなった?

じつは 2 行めの時点でおかしいところはあって、wie ein Mensch「人間のように」という部分だが、正しく英語を訳せていれば als Mensch「人間として」になるはずである (vgl. Er spricht als Fachmann.「彼は専門家として発言する」対 Er spricht wie ein Fachmann.「彼は専門家のような口を利く」)。つまり独訳者はこの時点で、このポケモンはあくまで人間ではないと一線を引いて読んでいるようである。あくまでポケモンはポケモン、中性名詞のままなので次の行でも es として出てくるわけだ。だが英語文からそのような解釈は不可能である。英訳の第 3 文頭は awakened という分詞 1 語であるから、この分詞の主語は主節の the human と同じであって、独訳のように副文と主文でべつの主語にはなりえない。ちょっとありえないような初歩的なミスだが、〈ポケモン=人間〉という事実が理解できなかったがために色眼鏡を通して読むことになり、無理やりつじつまあわせを試みてしまったのだろうか。

ここまでひどいとさすがに直らないはずはないので、『BD/SP』でどうなるか確認するのが楽しみである。せっかく修正する理由ができたのだから、ほかの文書もいろいろと見なおされるかもしれない。


フランス語版:Contes Populaires de Sinnoh, Partie 2

Il était une fois un Pokémon vivant en forêt.
En forêt, le Pokémon retirait son pelage pour s’endormir sous forme humaine.
A son réveil, l’humain enfilait le pelage du Pokémon pour arpenter les villages.
かつて森のなかで暮らすポケモンがいた。
森のなかでそのポケモンは毛皮を脱ぎ、人間の姿で寝入ったものだった。
目覚めるとその人間はポケモンの毛皮を身につけ、村々を歩きまわるのだった。

イタリア語版:Seconda storia popolare della regione di Sinnoh

Tanto tempo fa c’era un Pokémon che viveva nel bosco.
Nel bosco il Pokémon si spogliava della pelle per dormire come un umano.
Svegliatosi, l’umano indossava la pelle di Pokémon per vagare nei villaggi.
ずっと昔、森のなかで暮らすポケモンがいた。
森のなかでそのポケモンは皮を脱ぎ人間として眠っていた。
目覚めるとその人間はポケモンの皮を身につけて村々をさまようのだった。

スペイン語版:Historias populares de Sinnoh, Segunda historia

Érase una vez un Pokémon en un bosque.
En ese bosque, el Pokémon se despojaba de su piel para dormir como un humano.
Despierto, el humano vestía la piel del Pokémon para vagar por los poblados.
かつて森のなかにポケモンがいた。
その森でポケモンは皮を脱ぎ人間として眠っていた。
目覚めるとその人間はポケモンの皮を身につけて村々をさまようのだった。
さすがに短い文章だけあって、仏・伊・西とも英訳に忠実で変わったところはない。とんでもない暴走をしたのはドイツ語版だけだったようだ。


小括

  • この話はアイヌのカムイに関する観念をそのまま導入したもの。
  • ドイツ語訳があさっての方向へ暴走。修正に期待。


「シンオウ むかしばなし その3」についてはすでに過去の記事「ひとと けっこんした ポケモンがいた」で詳しく取りあげたので改めて繰りかえさない。ただ、上の「その2」で述べたことに続けて補足すると、「各地に伝承されている神謡のひとつに、カッコウのカムイが人間の姿になって人間の女性と結婚するという話がある」(中川前掲書 25 頁) そうである。

mercredi 22 septembre 2021

シンオウ神話翻訳集成 (6) おそろしい しんわ

旧作『ダイヤモンド/パール』における「シンオウ神話」の読みなおしを期して、ここに日本語版と欧米 5 言語版との翻訳比較ならびに考察を試みる。この記事では「おそろしい しんわ」を扱う。


各言語版のテクストは以下の各国語版ポケモン wiki より引用した (閲覧した版はこの記事時点における最新版)。ただし改行位置などについて細かな改変をとくに断らずに加えた場合がある。


日本語版:おそろしい しんわ

その ポケモンの めを みたもの
いっしゅんにして きおくが なくなり
かえることが できなくなる
その ポケモンに ふれたもの
みっかにして かんじょうが なくなる
その ポケモンに きずを つけたもの
なのかにして うごけなくなり
なにも できなくなる
上から順にユクシーエムリットアグノムのことを語っているのはまず間違いない。これがポケモン図鑑の並びと一致していることは注目に値する。図鑑の番号順を定めたのは誰なのか不明だが——ナナカマド博士か?——その人物はこの伝承を知っていたうえでそれに沿って並べたと思われる。おそらくこれじたいは神話の研究家でない一般の人であってもある程度教養があれば知られているような話なのではないか (日本人が日本神話の有名なエピソードを知っている程度に)。しかしながら、図鑑にはディアルガパルキアギラティナまでも登録される余地があることからして、この編集者に関しては神話を人並み以上に知悉していることが確実である。

ところでこの話もまたこれだけで「神話」と呼ぶには簡素にすぎるように思われる。目を見ると記憶がなくなる、触れると感情がなくなる、傷つけると動けなくなる、という特徴を端的に語っているだけで、「物語」というものがここにはない。ゲーム内では読めないが実際には「昔あるところにいたある者が禁を破って目を見てしまい……」というようなエピソードがちゃんと付随しているのではないか。

厳密にはこの日本語版は「見るな」といった言いかたはしていないが、内実としては禁止であるし、英語版その他ははっきりと禁止 (否定命令) の表現をしている。そこで日本神話のイザナキの黄泉国訪問に際して次のように言われていることは参考になろう:「こうした『見るな』のタブーは、世界中の神話や昔話に語られる別離の様式です。逆説的な言い方になりますが、神話や昔話において『見るな(開けるな)』というタブーが語られる場合、それは『見ろ(開けろ)』と命じるのと同じです。『見るな』と言われた側ががまんできずに見てしまうことによって、お話は大きく展開する、それがこの種の話の唯一の進路になります」(三浦佑之『古事記神話入門』31 頁、強調引用者)。古事記だとウガヤフキアヘズの出生譚もそうだし、昔話では鶴の恩返しや浦島太郎の玉手箱もしかり。このことが目下の「恐ろしい神話」にもあてはまるとすれば、おそらくユクシーの目を覗きこんでしまい帰れなくなって、海の底の竜宮城よろしくエイチ湖の底でいまも暮らしている若者の話、といった筋の個別のお話が 3 匹それぞれに伝わっているはずである。


英語版:A Horrific Myth

Look not into the Pokémon’s eyes.
In but an instant, you’ll have no recollection of who you are.
Return home, but how? When there is nothing to remember?
Dare not touch the Pokémon’s body.
In but three short days, all emotions will drain away.
Above all, above all, harm not the Pokémon.
In a scant five days, the offender will grow immobile in entirety.
そのポケモンの目を覗きこむなかれ。
ほんの一瞬で自分が誰だかの記憶を失うであろう。
家へ帰ろう、だがいかにして? なにも思いだせないというのに?
そのポケモンの体に触れることなかれ。
ほんの 3 日のうちに一切の感情が枯れはてるであろう。
それよりなにより、そのポケモンを傷つけるなかれ。
わずか 5 日にして傷つけた者は完全に動けなくなるであろう。
2–3 行めでは、日本語版では「記憶がなくなり帰ることができなくなる」と言われていたところ、帰ることができないのは「自分が誰だか」わからなくなったためであると補足されている。これは合理的な解釈と言えよう。ただ帰り道を忘れただけではなくあらゆる記憶が失われるようだ。

しかしはなはだ不可思議と思われるのは、アグノムに攻撃してから罰があたるまでの猶予期間が 7 日から 5 日に短縮されていることである。そして例によってこの変更は重訳を通して欧米 5 言語全体に広がってしまう。

7 日という数字を避ける理由がなにか英訳者にあるのかと考えてみると、ユダヤ・キリスト教の神が 7 日で天地を創造したので、それと同じ期間で不吉なことが起こるというのはよくないのではないか、と想像してみたくなる。あるいは同じ背景から、7 日に足りない 5 日という中途半端な期間を設定することで、まだ動けなくなってすべてが完結したわけではない、つまり 6・7 日めの救いの余地を残しているのではないかとも考えうる。

だがこうしたことはおそらく深読みのしすぎだろう。というのは、7 よりもよほどメジャな神聖数である 3——三位一体のように——のほうがそのまま捨て置かれているからである。3 日といえばキリスト復活までの日数なのだから、どうせ変えるならそちらも変えるべきだったろう。したがってキリスト教的観点からは十分に説明がつかない。7 日ではなぜいけないか、あるいは 5 日であるべき積極的な理由があるのか、私にはわからない。


ドイツ語版:Mythos des Schreckens

Sieh dem Pokémon niemals in die Augen.
Denn sonst verlierst du das Wissen, zu sagen, wer du bist.
Wie willst du nach Hause zurückkehren? Wenn du nicht weißt, wer du bist?
Berühre das Pokémon nicht.
Denn sonst verlassen dich innerhalb dreier Tage alle Gefühle.
Aber vor allem: Füge dem Pokémon kein Leid zu.
Denn sonst verfällst du nach fünf Tagen in eine ewige Starre.
そのポケモンの目を決して見るな。
さもなくば、自分が誰であるかを言うすべもなくしてしまう。
いかにして家に帰ることを望みうるか。自分が誰であるかもわからないというのに。
そのポケモンに触れるな。
さもなくば、3 日のうちにすべての感情を失ってしまう。
それになにより、そのポケモンに危害を加えるな。
さもなくば、5 日後には永遠の硬直に陥るだろう。
英語版と大差なし。強いて違いを探すなら、最後の「動けなさ」について ewig「永遠の」と言われている点が英語版よりも恐ろしくなっている (この点でフランス語版と一致)。


フランス語版:Un Mythe Terrifiant

Ne regardez jamais ce Pokémon droit dans les yeux.
Il suffirait d’un instant pour oublier votre identité.
Comment faire pour rentrer chez soi quand il n’y a rien dont on se souvient ?
Evitez tout contact avec ce Pokémon.
Il suffirait de trois jours pour perdre vos émotions.
Et surtout, surtout, ne portez jamais la main sur ce Pokémon.
Au bout de cinq jours, l’agresseur serait paralysé pour l’éternité.
そのポケモンの目を決して直視するな。
一瞬もあれば自分が自分であることを忘れてしまうだろう。
帰るにはどうすればいいのか。自分についてなにも覚えていないというのに。
そのポケモンとは一切の接触を避けよ。
3 日もあれば感情をなくしてしまうだろう。
そしてなによりもなによりも、そのポケモンに決して手を上げるな。
5 日後には攻撃した者は永遠に身動きできなくなるだろう。
特記事項なし。フランス語版についてなにも言うことがないという事態そのものが珍しいとは言える。


イタリア語版:Un mito raccapricciante

Non guardare i Pokémon negli occhi.
Dopo un istante non saprai più chi sei.
Tornare a casa... ma come... quando non riesci a ricordare niente?
Non toccare il corpo di un Pokémon.
Nel giro di tre giorni non sarai più in grado di provare emozioni.
Ma soprattutto, non fare del male ai Pokémon.
In meno di cinque giorni ti trasformerai in un’unità immobilmente immobile.
そのポケモンたちの目を見るな。
一瞬ののちにもはや自分が誰であるかわからなくなるだろう。
家へ帰る、だがいかにして? なにも思いだせないというのに。
あるポケモンには体に触れるな。
3 日めぐるうちに感情を感じることができなくなるだろう。
だがなによりも、そのポケモンたちには害をなすな。
5 日もせぬうちに不動にして不動なる一体に変わってしまうだろう。
1 行めおよび 6 行めで「ポケモン」が複数形になっていることが不可解 (なのに 4 行めだけ単数にした理由はなおさらわからない)。これではユクシーだけ、アグノムだけと解することはできなくなる。とりわけ 1 行めの改変によって、明らかに目を開けているエムリットやアグノムの目も見てはならないことになってしまいはなはだまずい。『BD/SP』では修正されていてほしいが、はたしてどうなるか。

この原因はもとをただせば英語版からして the Pokémon というのが単複同形で -s などはつかないため曖昧なのである。ポケモンもじゅうぶん人口に膾炙したためか、現在では非公式には英語化・イタリア語化等々を果たして語形変化する Pokémons, Pokémoni といった形も観察されるが、公式にはたぶん使われていない。


スペイン語版:Un mito horrible

No oses mirar a los ojos del Pokémon.
Pues de lo contrario, en un instante no recordarás quién eres.
¿Regresar a casa? ¿Cómo? Pues no hay nada que recordar.
No oses tocar el cuerpo del Pokémon.
Pues en tres cortos días, todas las emociones desaparecerán.
Y sobre todo, sobre todas las cosas, no oses hacer daño al Pokémon.
Pues en cinco días escasos, el culpable quedará completamente inmovilizado.
そのポケモンの目を見るな。
さもなくば一瞬のうちに、自分が誰であるか思いだせなくなるだろう。
家へ帰る? どうやって? なにも覚えていることがないのに。
そのポケモンの体に触れるな。
わずか 3 日で一切の感情が消え失せるだろう。
そしてなによりも、どんなことよりも、そのポケモンに傷をつけるな。
たった 5 日でその罪人は完全に動けなくなってしまうだろう。
スペイン語版の英訳への忠実さは例のごとくである。だからこそ日本語版と食い違う点もまるっきりなぞってしまうわけだが。


総括

  • 図鑑の編纂者はこの神話を知っていると思われる。
  • 欧米語版ではアグノムに触れた罰がなぜか 5 日で下される。
  • ユクシー以外の目も見てはいけない?(イタリア語版)

mardi 21 septembre 2021

シンオウ神話翻訳集成 (5) はじまりの はなし

旧作『ダイヤモンド/パール』における「シンオウ神話」の読みなおしを期して、ここに日本語版と欧米 5 言語版との翻訳比較ならびに考察を試みる。この記事では「はじまりの はなし」を扱う。


各言語版のテクストは以下の各国語版ポケモン wiki より引用した (閲覧した版はこの記事時点における最新版)。ただし改行位置などについて細かな改変をとくに断らずに加えた場合がある。


日本語版:はじまりの はなし

はじめに あったのは
こんとんの うねり だけだった
すべてが まざりあい
ちゅうしんに タマゴが あらわれた
こぼれおちた タマゴより
さいしょの ものが うまれでた
さいしょの ものは
ふたつの ぶんしんを つくった
じかんが まわりはじめた
くうかんが ひろがりはじめた
さらに じぶんの からだから
みっつの いのちを うみだした
ふたつの ぶんしんが いのると
もの というものが うまれた
みっつの いのちが いのると
こころ というものが うまれた
せかいが つくりだされたので
さいしょのものは ねむりについた
原初の混沌というイメージは日本神話——中国の影響を受けた『日本書紀』の描く天地開闢——も含めて世界中に見られる映像であるが、卵から世界が生じたとするいわゆる宇宙卵型の神話は「意外と数は少なく」(松村一男『この世界のはじまりの物語』43 頁)、フィンランドのカレワラ神話のようにたんに卵が天地を造る材料となったようなものを除くとますます少なくなるだろう。なにもない混沌のなかに生じた卵から創造神が生まれるという筋書きが符合する例は、日本神話やアイヌ神話には見られないと思う。しかし近くは中国の漢民族に伝わる盤古神話 (植朗子編『はじまりが見える世界の神話』80–83 頁) と、インド神話の『シャタパタ・ブラーフマナ』におけるプラジャーパティ神 (松村前掲書 49–50 頁) の例を指摘できる。

実際の制作意図としてはおそらく、『金銀』以来常識となった「ポケモンはタマゴから生まれる」という発想をどうしても組みこみたかったために、それをありがちな神話に接ぎ木して作られたというところではないか。ポケモン世界内的には自然な発想といえるが、これが神話の古層であるとすればシンオウでははるか先史時代からポケモンのタマゴが知られていたことになる。このことは『金銀』とは矛盾しており、したがってジョウトとのつながりはあってはならない。少なくともシント遺跡を建てた移入者たちはジョウトでは早々に死に絶えたか同化され、その知識は失われたのだろう。

結末では「世界がつくりだされたので最初のものは眠りについた」と言われている。このように世界創造の役目を果たした創世神がただちに退場するという締めくくりかたはいかにも無難である。神話学者の大林太良は次のように述べているが、ここでのアルセウスの行きかたもまさにこのテンプレートに沿っているといえる:
世界の諸民族の宇宙創造神話を一貫している大きい特徴は、創造神の多くはいったん自分の仕事である創造を済ませてしまうと、あとはなにもしないことだ。ペッタッツォーニが論じたように、創造神の無為は、創造神の本質的な性格の一部であって、ある意味においては彼の創造的な活動を補うものである。つまり、世界がいったんつくられ、宇宙の秩序が確立されたならば、創造者の仕事は終わったも同然である。彼がそれ以上干渉したりするのは、よけいなことであるばかりでなく危険なことにもなりかねない。なぜならば、宇宙の秩序におけるいかなる変化も、創造以前の混沌状態に逆もどりさせる原因となるかもしれないからだ。いったん世界がつくられたならば、世界の存続を延長させ、世界が変わることも、変わりうることもないという安定性を保証するのがまさに創造神の本質的な機能なのである。
(大林太良『神話学入門』94 頁)
一方で、この「始まりの話」という神話が異色なのはひとつに、ここで創造主アルセウスが最初に作るのが天地などではなく「時間」「空間」を司る分身だという点である。これほど抽象的なものが根本に置かれることはめったにないのではないか。ふつうの神話では、天地を作り日月星辰を作るとその「世界の広がり」や「日の巡り」からおのずと空間・時間が定まっているという成りゆきをたどるはずである。こういった具体的な存在なしにいきなり時間・空間を体現する者を生みだすというのは、ちょっと古代人の発想として納得しがたい。ここにはたとえば海と大地と天空、太陽と月の神といったポケモンは含まれていないが、天地の広がりとそれが定める境界のないところに「空間」そのもの、太陽の動きや昼夜の交代を抜きにした「時間」そのものという観念を、ポケモン世界の原始人は理解できたのだろうか。この問題にはあとがきでもういちど触れることにする。

❀ 時間だけならばまだしも実例が存在し、フェニキアの宇宙起源神話では最初に「時間」があってそれから「欲望」と「晦冥」があったという (大林前掲書 101 頁)。だが時間と空間とが対になり相補う概念であるという発想は近代の物理学の所産ではなかろうか。萌芽的にはニュートンくらいまでたどれようが、おそらくは 20 世紀初頭の相対論以後のきわめて新しい考えかたがここには反映されているように思われる。

❀ 余談ながら、ギラティナが神話から忘れ去られた理由もまさにここにあるのではないか——そして暴れ者ゆえに存在が抹消されたというのは後づけではないか——というのが私の想像である。ギラティナは「反物質」を司る存在だと言われるが、反物質とはいったいなんなのか、古代人どころか 21 世紀の現代人ですらはっきりわかっている人は少ないだろう。古代人がよく理解できなかったために記憶されず伝承にも残らなかったのではないだろうか。

もうひとつ奇妙な点は、アルセウスが「分身」や「命」と言われているものを自分に似せて作らなかったことである。現実のたいていの神話で神は自分に似た形に人間たちを作る。ポケモンの神であればポケモンというものを自分と似た姿に作ってもよかったのではないかと思われるが、そうならなかったのはもちろんポケモンは何百種類といて姿形におよそ共通点というものがないという前提があったせいに違いない。(それほど多様なのに「ポケモン」という一括りの分類を古代人はいかにして着想しえたかというのはべつの問題だが、これはポケモン世界の (古) 生物学や考古学、宗教人類学などによって解決されるべきだろう。)

洋の東西を問わず、われわれの神話においてなぜ神が自身の似姿として人間を作るかというに、それは話が逆で神というものが人間の考えた存在であるから、神のほうが人間に似ているのである。早くも紀元前 6 世紀のギリシアの哲学者クセノパネスが指摘したとおり、もし牛や馬が絵を描けたならば彼らは牛や馬に似せて神を作ったはずなのである。そこからこのシンオウ神話を考えなおしてみると、なぜシンオウの人間は自分たちに似た神をもたなかったのかという疑問が生じてくる。シンオウ神話には「人間を作った神」が見あたらない。人間と動物/ポケモンを両方とも作った存在だとしても、姿は人間に似ているのが普通であろう。それはなにも人間のほうが動物/ポケモンよりも偉いとか優れているからというのではなくて、神話を想像=創造したのが人間だからそう言えるのだ。

ここからして、突拍子がないとしても唯一の解決法と思われるのは、シンオウ神話を考えだした祖先は人間ではなくポケモンだという発想の転換である。あるいはポケモンだったころの人間と言うほうが正確な表現かもしれない。「シンオウむかしばなし その3」が伝えるように、古いシンオウでは「昔は人もポケモンも同じだった」と信じられている。このように人間とポケモンが認識的に区別されていなかった時代の人間が、「自分たちと同じポケモン」である原初の祖先に似たものとして神を思い描いたのであろう。すなわち、シンオウ神話の創造神が人間に似ていないことからは「むかしばなし」の記述が事実として裏づけられ、これらは整合的に結びつけうるエピソードだと考えられるのである。


英語版:The Original Story

In the beginning, there was only a churning turmoil of chaos.
At the heart of chaos, where all things became one, appeared an Egg.
Having tumbled from the vortex, the Egg gave rise to the Original One.
From itself, two beings the Original One did make.
Time started to spin. Space began to expand.
From itself again, three living things the Original One did make.
The two beings wished, and from them, matter came to be.
The three living things wished, and from them, spirit came to be.
The world created, the Original One took to unyielding sleep...
はじまりに、混沌のかきまぜられる揺れ動きだけがあった。
混沌の中心であらゆるものがひとつになり、そこに卵が現れた。
卵はその渦から転げ出ると〈はじまりのもの〉を生みだした。
それ自身から 2 つの存在を〈はじまりのもの〉は作った。
時間が回りはじめた。空間が広がりだした。
ふたたびそれ自身から、3 つの生きものを〈はじまりのもの〉は作った。
2 つの存在が願うと、それらから物質が存在するようになった。
3 つの生きものが願うと、それらから精神が存在するようになった。
世界が創りだされ、〈はじまりのもの〉は不変の眠りについた。
全体を通して日本語版にきわめて忠実で、訳し落としも付け加えもほとんど見られない。前回までに検討してきた 4 編のように、具体的・歴史的あるいは人格的なエピソードと違って、ここではまさしく太初における無時間的で人間の把握能力を超えたできごとが語られており、テクストが容易な再解釈を寄せつけなかったのだろう。英訳者の慎重な態度が透けて見えるようである。


ドイツ語版:Die Geschichte des Ursprungs

Zunächst gab es nur undurchdringbares Chaos.
Mitten in diesem Chaos entwickelte sich ein Ei.
Das Chaos hinter sich lassend, wurde das Ei zum Ursprung aller Pokémon.
Das Ei teilte sich und aus ihm wurden zwei Wesen.
Das Rad der Zeit fing an, sich zu bewegen. Der Raum dehnte sich aus.
Und dem Ei entsprangen drei Leben.
Die zwei Wesen sprachen einen Wunsch und Materie entstand.
Die drei Leben sprachen einen Wunsch und Intelligenz entstand.
Nachdem dies vollzogen war, zog sich das Ei zurück in einen immerwährenden Schlaf...
はじまりに、見通しえない混沌だけがあった。
この混沌の中央に卵が発生した。
混沌をあとに残して、卵はすべてのポケモンの起源となった。
卵は分かれてそこから 2 つの存在が生じた。
時の車輪が巡りはじめた。空間が拡大した。
そして卵より 3 つの生命が発した。
2 つの存在が願いを語ると、物質が起こった。
3 つの生命が願いを語ると、知性が起こった。
これらのことが行われたあと、卵は恒久の眠りに戻っていった。
このドイツ語版がきわめて奇妙なのは、〈はじまりのもの〉アルセウスが存在せず、最後まで das Ei「卵」のままであることだ。とりわけ中間の第 2 節では、卵そのものが分割してディアルガ・パルキアとなり、また同じ卵からエムリットたちが発生したことになっている。たしかに「卵はすべてのポケモンの起源」という記述はそれだけ読めば完璧に正しいし、アルセウスがどうやってかポケモンを創ったというより理解しやすいが、そもそも他言語版ではポケモンの起源ということじたい書いていないので勇み足である。

これは独訳者がアルセウスのエピソードをよく理解していなかったことによる誤訳……と言いたくなるところだが——『BD/SP』で変更されるのかどうか注目したい——、第 2 回で論じたようにそれは世界外からの視点であってポケモン世界の解釈とは分けて考えるべきである。ドイツ語版のシンオウ世界は現に存在しており、そのなかにはこう書かれた神話の本があってそれが読まれているのだから、その世界の人々は世界創造をこういうものと理解していることになる。

彼らはアルセウスを卵のままの、または卵型の生きものと思っているのだろうか? だがそれは図鑑説明において aus einem Ei geschlüpft「卵から孵化した」(プラチナ版) とか seine tausend Arme「千本の腕」で宇宙を創った (ダイヤモンド版) とか書かれていることと矛盾する。図鑑とても誰かが書いたものなのだから、その執筆者はなにを頼りにそう書けたのかという謎が生じる。これを内在的にはいかに解決するべきであろうか。また外在的にも、ドイツ語版のプレーヤーはこれらを読んでどう反応したのかと懸念される。


フランス語版:L’histoire Originelle

Au départ, il n’y avait qu’un tourbillon de chaos bouillonnant.
Et au cœur du chaos, où toutes choses ne font plus qu’une, un Œuf apparut.
Echappé du vortex, l’Œuf donna naissance à l’Etre Originel.
Puis l’Etre Originel se sépara en deux entités distinctes.
Le temps se mit en branle. L’espace commença à s’étendre.
Puis l’Etre Originel se sépara à nouveau, pour fonder trois entités.
Les deux entités firent le vœu de donner naissance à la matière.
Les trois entités firent le vœu de donner naissance à l’âme.
Une fois le monde créé, l’Etre Originel plongea dans un sommeil profond...
はじまりに、沸きたつ混沌の渦だけがあった。
そして混沌の中心で、すべてのものがもはやひとつだけと成りはて、卵が現れた。
渦から漏れ出ると、卵は〈はじまりのもの〉を生みだした。
それから〈はじまりのもの〉は 2 つの異なる存在に分かれた。
時間が始動した。空間が広がりだした。
それから〈はじまりのもの〉はまた分かれ、3 つの存在を作りあげた。
2 つの存在は祈願した、物質が生まれるように。
3 つの存在は祈願した、精神が生まれるように。
ひとたび世界が創られると、〈はじまりのもの〉は深い眠りに沈んだ。
細かいことを言うようであるが、第 2 節の 1 行め se sépara en deux「2 つに分かれた」というのは日本語版や英語版と同じではない。これは le chemin se sépare en deux「道が二股に分かれる」というように、1 つだったものが 2 つに割れたのであってそこからさきは 2 つのものしかないことになる。アルセウスからディアルガとパルキアが出て (切り離されて) 全部で 3 者が残るのであれば en ではなく de と言うべきであろう。現に〈はじまりのもの〉はそのあとも再登場している。


イタリア語版:La storia originale

In principio era il caos, un tumulto agitato di caos.
Nel centro del caos, quando tutto divenne una cosa sola, comparve un Uovo.
Caduto dal vortice, l’Uovo diede vita alla Creatura Originaria.
Dalla Creatura Originaria vennero generati due esseri.
Il tempo cominciò a scorrere. Lo spazio cominciò a espandersi.
Dalla Creatura Originaria vennero generate tre forme di vita.
I due esseri espressero un desiderio e da loro nacque la materia.
Le tre forme di vita espressero un desiderio e da loro nacque lo spirito.
Dopo la creazione, la Creatura Originaria cadde nel sonno profondo...
はじまりに混沌、揺れ動き荒れ狂う混沌があった。
混沌の中心で、一切がただひとつのものと成ったとき、卵が現れた。
渦から落ちると卵は〈原初の生物〉を生みだした。
〈原初の生物〉によって 2 つの存在が作りだされた。
時間が流れはじめた。空間が拡大しはじめた。
〈原初の生物〉によって 3 つの生命が作りだされた。
2 つの存在が願望を発し、それらから物質が生まれた。
3 つの生命が願望を発し、それらから精神が生まれた。
創造のあと、〈原初の生物〉は深い眠りに落ちた。
英語版その他との違いはわずかだが、ひとつだけ看過できない重大な違いがある。それはアルセウスが Creatura「被造物」と呼ばれていることである。これは英語の creature と同じく——否それ以上に——神によって作られたものを意味する単語であるから、アルセウスがそうであるとすればアルセウスを創造したさらに上位の存在が想定されてしまう。イタリア語版のシンオウ世界の人々にとっては、アルセウスはすべての創造主ではなくそれじしんが創られた存在であるようだ (そして真なる神は今度こそ人間に似た姿をしているのかもしれない)。

外在的に見ると、フランス語 l’Etre Originel やスペイン語 el Ser Original と同様に l’Essere Originario のように呼んでもよかったところをあえてそうした背景には、カトリック教会のお膝元に暮らすイタリア人と思われる翻訳者の思想を嗅ぎとれないでもない。ローカライゼーションにおいてそういうことは慎んでもらいたいものだが。


スペイン語版:La historia original

Al principio, solo había confusión y caos.
En el corazón de este caos, donde todo era una cosa, apareció un huevo.
Tras salir del vórtice, el huevo dio lugar al Ser Original.
El Ser Original creó dos seres a partir de sí mismo.
El tiempo empezó a avanzar. El espacio comenzó a expandirse.
Y de nuevo, el Ser Original creó tres seres vivos de sí mismo.
Los dos seres desearon que surgiera la materia, y de ellos surgió.
Los tres seres vivos desearon que surgiera el espíritu, y de ellos surgió.
Una vez creado el mundo, el Ser Original se sumergió en el sueño eterno...
はじまりに、無秩序なる混沌だけがあった。
この混沌の中心で一切がひとつのものになったとき卵が現れた。
渦から抜け出たあと、卵は〈はじまりのもの〉のもととなった。
〈はじまりのもの〉は自分自身から分けて 2 つの存在を作った。
時間が進みはじめた。空間が広がりだした。
そしてまた、〈はじまりのもの〉は自分自身から 3 つの生命を作った。
2 つの存在は物質が発さんことを欲した、するとそれらから発した。
3 つの生命は精神が発さんことを欲した、するとそれらから発した。
ひとたび世界が創られると、〈はじまりのもの〉は永遠の眠りに沈んだ。
前回前々回もそうであったが、この場合もスペイン語は重訳 4 言語のなかでもっとも英語版に忠実であり目立った差異がない。翻訳者たちの方針の違いが窺われるようである。


総括とあとがき

  • 人間の神話がポケモンを創造神とする発想は、かつて人間=ポケモンという認識があったことを裏づけており、「シンオウ昔話」を補完している。
  • アルセウスなど存在せず、原初にあったのは卵だけだった?(ドイツ語版)
  • アルセウス自身がさらに上位の何者かに作られた存在だった?(イタリア語版)

日本語版に対するコメントで指摘したように、ディアルガ、パルキア、そしてギラティナという、アルセウスが最初に創った「分身」の神々が司るもの、というより概念は、現実の神話の実例と比べてみたとき異様なほど壮大かつ抽象的、言ってみれば「現代的」な世界観とでも形容すべきものである。それは身も蓋もない言いかたをすれば 21 世紀の日本人が創案した架空の「神話」であることに原因があると言えそうだが、われわれはこれまでどおりなるべく作品世界をありのまま真剣に受けとめ、世界のなかでこのような神話が発生してくるとすればどういうことになるかと考えてみよう。

日本神話の第一の資料たる『古事記』において、最初に現れる神であるアメノミナカヌシ (天之御中主神) は十中八九後づけの神格であろうと多くの研究者が考えている。たとえば「天の真ん中の主というのは、まるで、両脇に文殊菩薩と普賢菩薩とを侍らせた釈迦如来像のようなイメージ」であって、「釈迦三尊像のイメージが投影しているのかもしれません」と言われている (三浦佑之『古事記講義』文庫版 31 頁)。加えて次の説明も参考にされたい:
神話においては、物語のなかでもっとも古いとされる部分ほど、じつは新しい時点の産物だと考えてよさそうである。たとえば『古事記』の最初の部分、「天地初めて発けし時」にあらわれる、アメノミナカヌシ以下の五神が、別格の天つ神とされたのは、新しく加えられたことのしるしであろう。はじまりの世から天孫降臨まで、物語の順序は時間の流れに沿った形だが、できあがった順序の点では、逆に天孫降臨からはじまりの世へ、ということになるはずである。
シンオウ神話が本物の神話であるかぎり、現実の神話学の知見はそれにも援用できるはずである。この日本神話に関して観察される類型がシンオウ神話にもあてはまるとするなら、アルセウスやディアルガ以下の最初の「神々」がやたらに大仰である理由、世界観が現代的である理由にある程度納得がゆくではないか。つまりこの「始まりの話」という創世説話はシンオウ神話のなかで比較的後代に作られた部分なのである。すべての始まりから説き起こした宇宙の全歴史を語ろう、と思いつくほどに文明・文化が成熟してはじめてこの語りの生じる前提が整うのだ。

そうなればシンオウの先史時代の人々が知っていた本来の神話の中核部分にはなにがあったのかという問題が浮上する。たとえばハードマウンテンの誕生を伝えるヒードランに関する神話はそのような古層に属する部分で、周縁に位置していたからこそ細々と受けつがれてきたのかもしれない。これと並行してシンオウ本土の誕生についても土地ごとにたくさんの伝承があったのだが忘れ去られてしまい、それに対応するさまざまな「土着の」伝説ポケモンたちが消えていった……、というのは想像が飛躍しすぎだろうか。

dimanche 19 septembre 2021

シンオウ神話翻訳集成 (4) トバリの しんわ

旧作『ダイヤモンド/パール』における「シンオウ神話」の読みなおしを期して、ここに日本語版と欧米 5 言語版との翻訳比較ならびに考察を試みる。この記事では「トバリの しんわ」を扱う。


最初に「トバリの神話」という題について一言はっきりさせておくと、こういう名前の神話が「シンオウ神話」と別立てに存在するのではなくて、トバリとはシンオウ地方の一都市の名前なのだから、総称としてのシンオウ神話のうちに含まれる一エピソードなのである。それはちょうど出雲神話や日向神話が日本神話の一部であるのと同じことである。

各言語版のテクストは以下の各国語版ポケモン wiki より引用した (閲覧した版はこの記事時点における最新版)。ただし改行位置などについて細かな改変をとくに断らずに加えた場合がある。


日本語版:トバリの しんわ

つるぎを てにいれた わかものがいた
それで たべものとなる ぽけもんを
むやみやたらと とらえまくった
あまったので すててしまった
つぎのとし なにもとれなかった
ぽけもんは すがたをみせなくなった
わかものは ながいたびのあと
ぽけもんを みつけだし たずねた
どうして すがたをかくすのか?
ぽけもんは しずかにこたえた
おまえが つるぎをふるい
なかまを きずつけるなら
わたしたちは つめときばで
おまえのなかまを きずつけよう
ゆるせよ わたしのなかまたちを
まもるために だいじなことだ
わかものは さけんだ
おまえたち ぽけもんがいきていること
つるぎをもってから わすれていた
もうこんな やばんなことはしない
つるぎも いらない
だから ゆるしてほしい
わかものは つるぎをじめんに
たたきつけて おってみせた
ぽけもんは それをみると
どこかに きえていった
つとに指摘されているようにこの物語は、かつて人間は「つるぎ」をもってポケモンを直接に殺傷していたがそれを放棄したのだという筋書きを通して、現代の人間がポケモンと直接戦わなくなったという慣行の起源を説明する役割を果たしている。これもまた、現在成り立っている社会の慣習や制度を架空の物語によって合理化するあるいは基礎づけるという、神話の典型的な機能にあてはまるといえる。

テクストそのものを見たときまず気づかれるのは、「ぽけもん」という単語がひらがなで表記されていることである。このことはおそらく、この『トバリのしんわ』という本が未就学児童向けに書かれた絵本かなにかであることを示唆していよう。したがってこの物語は大元の「トバリの神話」の全容をありのままに語っているとは限らない。現実の神話をベースにした子ども向けの再話もそうであるように、このポケモンの虐殺を含むエピソードは実際にはもっとショッキングな形であったものがマイルドに、かつ教訓がわかりやすいように教育的配慮を通して書きなおされていると考えるのが自然である。6 歳以下の子どもに理解できないと思われる事柄は除去さえされているかもしれない。とはいえ大まかな筋書きについては正しく伝えられているとみなしてよいだろう。

じつはこの神話には明確な下敷きがある。アイヌの神謡がひとつ「梟の神が自ら歌った謡『コンクワ』」である。短い話なので各位読んでいただいたほうが早いが、知里幸恵編訳『アイヌ神謡集』によってとくに共通部分に注意しつつその梗概を説明してみると次のとおり。

あるとき「人間の世界に饑饉があって人間たちは今にも餓死しようとしている」という由々しき問題が起こった。それは天界にいる「鹿を司る神様と魚を司る神様とが相談をして鹿も出さず魚も出さぬことにした」がために、「人間たちは猟に山へ行っても鹿も無い,魚漁に川へ行っても魚も無い」という事態が生じたのだ。なぜそんな意地悪をするのかと、人間たちを守護する梟の翁神が天界へ使者を送って問いただしてみるに、じつは人間に非があったということがわかった。すなわち「人間たちが鹿を捕る時に木で鹿の頭をたたき,皮を剥ぐと鹿の頭をそのまま山の木原に捨ておき,魚をとると腐れ木で魚の頭をたたいて殺す」という、頂いた獲物に対しまったく敬意を欠く粗末な取り扱いをしていたことが元凶であり、そのようにして殺され神のもとへ帰った鹿や魚たちがそれぞれの神様に泣きつき神様が怒ったのである。こういう事情を知った守護神の梟神は「以後は,決してそんな事をしない様に」と人間たちに「教えてやったら,人間たちも悪かったという事に気が付き」行動を改めた。するとまた獲物がとれるようになって一件落着という話である。

この神謡がどのように「トバリの神話」の土台となったかはおのずから明らかであろう。一方で最大の相違点として、人間と獲物=ポケモンとのあいだを仲介する守護神や使者などの介在がなく、「トバリの神話」では人間とポケモンとが直接相会している点をあげられる。神謡と異なり人間がみずから別世界=ポケモンの去った地まで旅をして探しにいくことも、ポケモンがみずからの判断で姿を隠したことも、さらには人間の言葉を用いて返答していることさえも、これらすべては登場人物を 2 者だけに削ぎ落として集約したことに起因すると言うことができる。

ひょっとするとこの違いは、先述したようにこの本が子ども向けに短く語りなおされているということで説明がつくのかもしれない。とりわけ、ポケモンが人間の言葉を話しているように見えるところは「トバリの神話」のもっとも特異な点であって、作中のほかの神話にそういうことは観察されないのである。もしこれが幼児向け絵本ゆえの脚色なのだとすれば、このエピソードもシンオウ一般の神話と整合的に理解できることになり、実際には神話時代にもポケモンが人語を話したことはないということになる。

とはいえもちろん「トバリの神話」は「梟の神が自ら歌った謡『コンクワ』」そのものとは違うのだし、そもそも神話というものは体系の内部で矛盾することがあっても一向にかまわないのだから、絵本の原典においてもポケモンがしゃべっているということを可能性として否定しない。あるいはこの若者が——それとも昔の人はみんな——『ブラック/ホワイト』の N のように特別な能力をもっていてポケモンの言葉を理解できたという想定も可能である。この本ひとつから古代シンオウの歴史的事実を読みとろうとするのは早計だろう。


英語版:Veilstone’s Myth

A young man, callow and foolish in innocence, came to own a sword.
With it, he smote Pokémon, which gave sustenance, with carefree abandon.
Those not taken as food, he discarded, with no afterthought.
The following year, no Pokémon appeared. Larders grew bare.
The young man, seeking the missing Pokémon, journeyed afar.
Long did he search. And far and wide, too, until one he did find.
Asked he, “Why do you hide?” To which the Pokémon replied...
“If you bear your sword to bring harm upon us, with claws and fangs, we will exact a toll.”
“From your kind we will take our toll, for it must be done.”
“Done it must be to guard ourselves and for it, I apologize.”
To the skies, the young man shouted his dismay.
“In having found the sword, I have lost so much.”
“Gorged with power, I grew blind to Pokémon being alive.”
“I will never fall savage again. This sword I denounce and forsake.”
“I plead for forgiveness, for I was but a fool.”
So saying, the young man hurled the sword to the ground, snapping it.
Seeing this, the Pokémon disappeared to a place beyond seeing...
ある若者がいた。未熟で無知ゆえに分別がつかないのに、剣を所有するようになってしまった。
それを用いて彼はポケモンたちを殺傷した。それは暮らしを支えるのに必要なことではあったが、気配りもせず放埒に行っていた。
それらを食べものにもせず彼は打ち捨てた。なんの反省もなしに。
その次の年、ポケモンは現れなかった。食糧庫は空になっていった。
若者はいなくなったポケモンたちを探してはるばる旅をした。
長いこと彼は探した。(旅路が) 広くまた遠くになったとき、ようやく 1 匹を見つけた。
彼は尋ねた、「なぜ隠れるのか?」それにポケモンは答えて言った。
「おまえがその剣を帯びてわれわれを害するなら、爪と牙とでわれわれはその代償を取り立てよう。
 おまえの種族からわれわれは代償をとろう。そうなされるべきだからだ。
 そうなされるべきなのだ、われわれが自身を守るために。そのことを私は詫びよう」
天に向かって若者は狼狽を叫んだ。
「剣を見いだしたことで、私はかくも多くのことを見失っていたものだ。
 力に満たされて、ポケモンが生きていることが見えなくなっていた。
 以後二度とこのような野蛮に堕するつもりはない。この剣を私は放棄し捨て去る。
 許しを請う、私は愚か者以外の何者でもなかった」
このように言い、若者は剣を地に叩きつけてへし折った。
これを見るとポケモンは見えない場所へと消えていった。
全体として日本語の原文にかなり忠実、変わったところはあまり多くはない。指摘しうるのは冒頭で若者について「未熟・無知・無分別」という点などで若干の修飾が加わっている* ことのほか、第 1 節の末尾で「食糧庫は空になっていった」と明言されて飢饉を明確に示唆していること、そして最後にポケモンが去っていくさき——日本語では「どこか」としか書かれていない——が a place beyond seeing「見ることの及ばない場所」と言われている点くらいか。

この「見えない場所」とは最初に乱獲のあとポケモンたちが姿を隠した場所と同じであろうと思われるが、これにはこの世の裏側の世界=やぶれたせかいではないかとする推測がある。ちなみにやぶれたせかいのそもそものモチーフとして、「アイヌはあの世とこの世はお互い裏がえしの、逆転した世界と考えるのである」(山田孝子『アイヌの世界観』51 頁) と言われていることをあわせて紹介しておこう。同じ箇所で「あの世では、死んだ人びとはちょうどハエが天井に止まったように足をさかさにして歩いている」とも書かれており、これもやぶれたせかいの光景に似ている。

* 書きだしの描写に関連して、クセノポン『キュロスの教育』(3.1.38) から οὐ γὰρ κακονοίᾳ τοῦτο ποιεῖ, ἀλλ’ ἀγνοίᾳ「なぜなら彼は悪意からそれをするのではなく、無知によって (するのだから)」という一節を紹介しておくことはあながち興味なくもあるまい。そしてそれにはこう続く:ὁπόσα δὲ ἀγνοίᾳ ἄνθρωποι ἐξαμαρτάνουσι, πάντ’ ἀκούσια ταῦτ’ ἔγωγε νομίζω.「だが無知によって人が過ちを犯すのであるかぎり、それらの一切は (その人の) 意に反したものであると私は思う」。無知ゆえのこの若者の過ちもまた許されるべきであろうか。


ドイツ語版:Schleiedes Mythen

Ein junger Mann, naiv und unschuldig, kam in den Besitz eines Schwertes.
Mit diesem bedrohte er Pokémon aufs Grausamste, die ihm daraufhin aus Angst und Furcht Nahrungsmittel gaben.
Was er selbst nicht essen wollte, warf er achtlos, ohne einen zweiten Gedanken daran zu verschwenden, weg.
Im folgenden Jahr erschien kein einziges Pokémon. Seine Speisekammer blieb leer.
Der junge Mann machte sich auf die Suche nach den Pokémon und sein Weg führte ihn weit in die Ferne.
Er suchte lange. Und reiste immer weiter auf seiner Suche, bis er schließlich ein Pokémon fand.
Er fragte es: „Warum versteckst du dich?“ Worauf das Pokémon antwortete:
„Trägst du dein Schwert, um uns Gram zu bringen, so werden unsere Krallen und Zähne den Gram zurückzahlen.
Deinesgleichen wird für das Leid zahlen, das du uns verursachst. Denn dies muss getan werden.
Getan werden, um uns zu schützen. Und wir bedauern, dass es so kommen muss.“
Der junge Mann erhob seine Hände und rief bestürzt:
„Ich habe das Schwert gefunden, und so viel verloren.
Geblendet von der Macht, wurde ich blind gegenüber den Pokémon.
Ich werde niemals wieder den Blick verlieren. Ich verfluche dieses Schwert und gebe es auf.
Ich bitte um Vergebung. Vergebung, für einen von Macht geblendeten Narren.“
Und mit diesen Worten schwang der junge Mann sein Schwert und stieß es so heftig in den Boden, dass es zerbrach.
Das Pokémon sah dieses und verschwand an einen Ort, der sich jedem Auge entzieht...
ある若者がいた。純朴で無邪気だったのだが、剣を所有するようになった。
それでもって彼はポケモンたちをもっとも残虐なしかたでおびやかした。その結果それらは不安と恐怖から彼に食べものを与えた。
彼は自分が食べたいと思わないものは無頓着に投げ捨てた。それについて改めて考えを巡らすこともなかった。
その次の年、ただの 1 匹もポケモンは現れなかった。彼の食糧庫は空のままであった。
若者はポケモンを探しに出発し、その道のりはずっと遠くまで及んだ。
彼は長いこと探した。どんどん遠くまで探して旅した、とうとう 1 匹のポケモンを見つけるまで。
彼は尋ねた、「なぜ隠れるのか?」それにポケモンは答えて言った。
「おまえが剣を帯びてわれわれに悲嘆をもたらすならば、われわれの爪と牙がその悲嘆に報いるだろう。
 おまえと似た者が、おまえの引きおこすこの苦痛の報いを支払うだろう。そうなされねばならないからだ。
 そうなされるのだ、われわれ自身を守るために。残念だ、そうならねばならないことが」
若者は諸手を挙げ、狼狽して叫んだ。
「私は剣を見いだして、かくも多くのことを失ったものだ。
 力に目がくらみ、ポケモンに対して盲目になっていた。
 決して二度と見失うまい。この剣を呪い、私は放棄する。
 許してくれ。許してくれ、力に目がくらんでいた愚か者を」
これらの言葉とともに若者は剣を振り上げ、激しく地面に突き立てたので、その剣は砕け散った。
ポケモンはこれを見ると、あらゆる目から逃れる場所へと消えていった。
全体を 3 つの節に分けるとして、このドイツ語版の第 1 節ではポケモンを「殺す」という事実が他言語版よりも希薄になっている。ここでは剣による威嚇の Angst und Furcht「不安と恐怖」からポケモンたちは食料を差し出していることになっており、そのことの反映として第 3 節の 3 行めでは、ほかの版が「ポケモンが生きていること」のように言う部分から「生きている」や「命」に対応する語が唯一消えているのである。もちろん、aufs Grausamste「もっとも残虐なしかたで」という表現からは、この威嚇には殺害も含まれていたように推測されるが、婉曲であり後景に退いている (このことは次のフランス語版と対照するといっそう明白である)。


フランス語版:Le Mythe de Voilaroc

Un jeune homme, nocif autant qu’innocent, reçut la garde d’une épée.
Ainsi armé, il pourfendit les Pokémon pour s’en repaître jusqu’à la lie.
Il abandonna sans une pensée les corps de ceux qu’il ne voulait pas manger.
L’année suivante, aucun Pokémon ne se montra. Les réserves s’épuisaient.
La damoiseau voyagea loin, en quête des Pokémon disparus.
Il chercha longtemps, épuisant les terriers, jusqu’à enfin en rencontrer.
« Pourquoi vous cacher ? », demanda-t-il. Ce à quoi le Pokémon répondit...
« Si tu sors ta lame pour nous frapper. Nos griffes et nos crocs te puniront.
Nous punirons les tiens sans hésiter, car c’est pour nous la seule solution.
La seule solution pour nous protéger, et je suis contraint de m’en excuser. »
Le jeune homme implora les cieux, criant son désarroi.
« En gagnant cette épée, j’ai perdu la raison.
Ivre de puissance, j’ai méprisé la vie des Pokémon.
Je regrette cette épée et renonce à jamais à la sauvagerie.
J’implore votre pardon, je n’étais qu’un imbécile. »
Et sur ces mots, le jeune homme abattit son épée vers le sol et la brisa.
Voyant cela, les Pokémon s’enfuirent en un lieu à l’abri des regards...
ある若者がいた。無邪気でありながらも有害な者が、剣の管理を任されてしまった。
そうして武器を得ると、彼はポケモンたちを叩き斬った。食料にするためではあったが、残らず徹底的なまでに。
彼は考えもなしに、食べたいと思わないものたちの死体を打ち捨てた。
次の年、ポケモンは 1 匹も現れなかった。備蓄は尽きていった。
若人は遠く旅をした。消えたポケモンたちを求めて。
彼は長いこと探した。あらゆる巣穴をしらみつぶしにして、とうとう出くわすまで。
「なぜ隠れるのだ?」と彼は尋ねた。これにポケモンは答えて言った。
「おまえが刃を抜いてわれわれを襲うのなら、われわれの爪と牙がおまえに報いるだろう。
 われわれはおまえの仲間たちを躊躇なく襲うだろう。それが唯一の手立てだからだ。
 自分たちを守る唯一の手立てなのだ。それを詫びろというなら詫びよう」
若者は狼狽を叫び、天に向かって懇願した。
「この剣を得て、俺は正気を失っていた。
 力に酔いしれて、ポケモンたちの命を軽んじてしまった。
 こんな剣など持たねばよかった。俺は野蛮を永久に捨て去る。
 どうか許してくれ、俺は愚物でしかなかった」
こう言ってから、若者は自分の剣を地面に打ちつけ砕いた。
それを見るとポケモンは、人目から隠された場所へと逃げ去った。
この若者はほかの諸言語訳よりもはるかに非道で救いがたい悪漢になっている。ポケモンに対しては pourfendre「叩き斬る、一刀両断にする」という無慈悲な攻撃を、しかも jusqu’à la lie「とことん、徹底的に」、文字どおりには「最後の (かす) ひとつまで」殺しつくして容赦をしない。その結果残されるのは当然犠牲となったポケモンたちの corps「死体」であることを仏訳者は隠さずに語る。若者はほかの欧米語訳ではあくまで無知・未熟のために分別がないとされていたところ、フランス語版では最初から nocif「有毒・有害な」と言われているのもむべなるかな。内容のむごたらしさもさることながら、表現も古めかしく難しい単語をいくつも用いており、とうてい幼児向きの読みものではなくなっている

このような若者の無法ぶりに対応して、返答するポケモンの側の態度も辛辣で頑なになっている。ポケモンは若者の仲間・身内を「躊躇なく」攻撃すると宣言している。その最後のセリフ「詫びろというなら詫びよう」という箇所は例外的にずいぶん意訳してしまったのだが、直訳すれば「それについて詫びることを私は自分に強制する」、つまり嫌々詫びているのである。他言語版のこのポケモンは被害者でありながらも物わかりのいい態度・反撃することへのためらいを見せていたのが、フランス語版ではもはやその片鱗も見られない。

はたしてこれほど熾烈な対立、深刻な遺恨を残して物別れに終わった両者がこのさき関係を修復できるのだろうか。そのきっかけになりそうな唯一の手がかりは——これもフランス語版独自の点なのだが——後悔した若者がじつはそれまで perdre la raison「理性・正気を失う」という状態にあったらしいことだ。これではまるで呪いの剣のようではないか。だからといって若者の犯した所業が許されるわけでもないが、剣がなくなったことを確認してポケモンたちもいくらかは安堵したかもしれない。


イタリア語版:Il mito di Rupepoli

Un giovane, stolto e inesperto, entrò in possesso di una spada.
Con questa colpiva i Pokémon, che gli fornivano nutrimento, senza rimorso.
Quelli che non mangiava li gettava, senza alcun ripensamento.
L’anno successivo non apparve più nessun Pokémon e le riserve finirono.
Il giovane vagò alla ricerca di Pokémon.
Cercò e cercò, raggiungendo terre lontane, finché ne trovò uno.
Allora chiese, “Perché vi nascondete?”. Il Pokémon rispose...
“Se continui a girare con la spada e a farci del male, ci difenderemo con zanne e artigli.
A pagarne le conseguenze sarà la tua specie, perché così deve essere.
Questo deve essere fatto a nostra difesa e per questo ti chiedo scusa.”
Il giovane urlò rivolto al cielo per lo sgomento.
“Ho trovato questa spada, ma ho perso molto di più.
Avevo la pancia piena, ma non ho capito che i Pokémon si stavano estinguendo.
Non cederò mai più agli istinti. Abbandono qui questa rea spada.
Invoco il vostro perdono, perché sono stato stolto e sciocco.”
Così dicendo, il giovane scagliò la spada a terra, distruggendola in mille pezzi.
Vedendo ciò, il Pokémon sparì lontano, dove il giovane non poteva vederlo...
ある若者がいた。愚かで未熟なのに、剣を所有するようになってしまった。
これを用いて彼はポケモンたちを傷つけていた。それらは彼に食料を与えるものであり、良心の呵責はなかった。
彼は食べないポケモンは投げ捨てた、なんら深い考えもなしに。
その次の年、もはやポケモンは 1 匹も現れず、蓄えは尽きた。
若者はポケモンを探してさまよった。
探しに探し、はるかな土地まで至ったとき、ようやく 1 匹を見つけた。
そこで尋ねた、「なぜおまえたちは隠れるのか?」ポケモンは答えた。
「おまえが剣をもってうろつき、われわれに害をなすことを続けるなら、われわれは牙と爪で身を守ろう。
 (行いの) 結果に代償を支払うのはおまえの種族になろう。そうであらねばならない。
 防衛のためにそうなされねばならないのだ、そのことは許せよ」
若者は狼狽のために天を振り仰いでわめいた。
「私はこの剣を見いだしたが、それよりもずっと多くのことを見失っていた。
 腹は満たされていたが、ポケモンが滅びようとしているということを理解していなかった。
 もう二度と本能に屈することはしない。ここにこの邪悪な剣は捨て去る。
 どうか許してくれ、私が愚かで間抜けだったのだ」
このように言い、若者が剣を地に投げつけると、それは無数の破片に砕け散った。
それを見るとポケモンは、若者が見ることのあたわぬ遠くへと消えていった。
有意に異なる点は第 3 節に集中している。若者はこの長広舌の 2 行めで諸外国語版のように「力に溺れていた」と言うかわりに、まず自分たちが前年に飽食を経験していたことを明らかにしており、そのうえで彼の行いがポケモンの estinguersi「絶滅」を招こうとしていた、と認識している。これはただ現在目のまえにいて殺そうとしている個別的な「ポケモンが生きていること」の反省よりも数段高い視点であるが、理が勝ちすぎており倫理的に不満足であると感じる人もあるかもしれない。そして続く行において agli istinti cedere「本能に屈する」ことを以後は断つと誓っている。イタリア語版の若者はほかと比べて大局的な視野をもっており理知的であるという印象を受ける。


スペイン語版:El mito de Ciudad Rocavelo

Un joven, imprudente en su inocencia, recibió una espada.
Con ella, atacaba despreocupadamente a Pokémon, que le daban sustento.
Los que no se comía, los desechaba sin pensárselo dos veces.
Al año siguiente, no apareció ningún Pokémon. Las despensas menguaron.
El joven viajó muy lejos en busca de los Pokémon desaparecidos.
Anduvo durante mucho tiempo por incontables lugares, y encontró uno.
Le preguntó: “¿Por qué os escondéis?”. Y el Pokémon respondió:
“Si blandes tu espada contra nosotros para hacernos daño, nos defenderemos con uñas y dientes”.
“Nuestra venganza caerá sobre tu pueblo, porque así debe hacerse”.
“Debemos guardarnos de quien nos ataque y, por ello, te pido perdón”.
El joven gritó a los cielos desesperadamente.
“Al encontrar esta espada, he perdido demasiado”.
“Cegado por el poder, ignoré que los Pokémon tienen vida”.
“Nunca volveré a ser cruel. Rechazo y maldigo esta espada”.
“Os pido perdón, pues he sido un estúpido”.
Y al decir esto, el joven lanzó la espada al suelo y la partió.
Y así, el Pokémon desapareció y se marchó a un lugar inaccesible...
ある若者がいた。無知にあって無分別なのに、剣を受けとってしまった。
それを用いて彼は無頓着にポケモンたちを攻撃した。それが生活の糧を与えてくれるからだが、
食べないものについては、改めてよく考えもせずに捨ててしまっていた。
その次の年、ポケモンは 1 匹も現れなかった。食料の蓄えは減っていった。
若者はずっと遠くまで旅した、消えてしまったポケモンたちを探して。
数えきれないほどの場所を通って長らく歩きつづけ、1 匹に出会った。
そのポケモンに尋ねた、「なぜ隠れるのか?」するとポケモンは答えた。
「おまえが剣を振りかざしわれわれを傷つけるなら、われわれは爪と歯で身を守るだろう。
 われわれの報復はおまえの民に降りかかるだろう。そのようになされねばならない。
 われわれは攻撃してくる者から身を守らねばならない、そのことについては詫びよう」
若者は必死に天に叫んだ。
「剣と出会って、私はあまりに多くのことを失っていた。
 力に目がくらんで、ポケモンに命があることを無視してしまった。
 二度とふたたび残酷にはなるまい。私はこの剣を拒み、呪う。
 おまえたちには許してくれ、私が愚かだったのだ」
このように言って、若者は剣を地面に投げつけて折った。
するとポケモンは消え、人の近づけない場所へと立ち去っていった。
英語版とさしたる違いはないが、1 点だけ興味を引くのがポケモンの返事のなかで tu pueblo「おまえの民」と言われていることである。ポケモンから見た「おまえの民族=人間」と解することもできるとは思うが、一方でこの若者が指導者あるいは王として従える「民・国民」のようにも聞こえる。それでなくとも強力な武器をもち、有り余るほどの糧を得て人々の暮らしを支えられる者が指導的立場となるのは古代社会において自然な成りゆきだろう。


総括

  • 人間がポケモンと直接戦わない理由を説明した神話。
  • 日本語版は幼児向けの本だが、言語によっては大人向きのものもある。
  • ポケモンが人語を話しているように見えるのは本来の神話にない創作かもしれない。
  • ポケモンが身を隠したさきはこの世から見えない場所=やぶれたせかい?
  • ポケモンは殺されて食肉にされたのではなく、脅されて食料を奪われた解釈も可能。
  • ポケモンは絶滅の危機に瀕するまで殺されたとする解釈も有力。
  • 若者は人間の代表者=王であった?

samedi 18 septembre 2021

シンオウ神話翻訳集成 (3) シンオウの しんわ

旧作『ダイヤモンド/パール』における「シンオウ神話」の読みなおしを期して、ここに日本語版と欧米 5 言語版との翻訳比較ならびに考察を試みる。この記事では「シンオウの しんわ」を扱う。


各言語版のテクストは以下の各国語版ポケモン wiki より引用した (閲覧した版はこの記事時点における最新版)。ただし改行位置などについて細かな改変をとくに断らずに加えた場合がある。


日本語版:シンオウの しんわ

3びきの ポケモンが いた
いきを とめたまま
みずうみを ふかく ふかく もぐり
くるしいのに ふかく ふかく もぐり
みずうみの そこから
だいじなものを とってくる
それが だいちを つくるための
ちからと なっている という
湖に潜る「3 匹のポケモン」がユクシーエムリットアグノム——俗に UMA トリオと称せられる——を指すことに関しては異論はない。しかし湖の底にあって「大地を造るための力」となる「大事なもの」についてはこれまでに満足のいく解釈は知られていない。「始まりの話」やプレート銘文などほかの神話資料にもとづくかぎり、これらの 3 匹は心や精神といった観念と結びつけられるのがふつうであり、かつそれは「二つの分身」=ディアルガパルキアが創りだす「もの」と対置されている。物質世界の創造に UMA トリオが関与しているように書かれた記述はこの『シンオウの神話』以外には見あたらないようである。

水の底に潜って大地の材料をとってくるという大筋は、創造神話のうちのいわゆる潜水神話という型そのものである。現実のユーラシア内陸部、すなわち東欧からシベリア、インドから東南アジア、ポリネシアを経て北米大陸まで及ぶ広い地域に分布するもので、世界が一面の海だったとき、おもに鳥や動物などが創造神に命じられて海の底に潜り、くちばしや爪を使って土のかけらをとってくる、それを使って神は陸地を造ったという筋である (たとえば大林太良『神話学入門』91–92 頁、吉田敦彦『世界の始まりの物語』24–25 頁を参照)。この『シンオウの神話』の一節にはアルセウスは出てこないが、シンオウ神話体系全体の中では UMA トリオはアルセウスから作られた下位の存在であるから、そういう協力者が創造神にかわって水に潜るという点でも潜水型の特徴に合致している。

ところがこの話では「大地を造るための力」が海ではなく湖の底から得られるというのだから、ここで造られる大地というのはシンオウ地方を指すのではないことになる。湖がすでに存在するということは、その湖を形成している地形、つまりシンオウそのものはとっくにできあがっている理屈だからだ。すなわちこの物語はシンオウの創世神話ではありえない。それではこの「大地」とはなんのことで、いつ現れるものなのか、これは未解決の謎である。より詳しくは続きの議論も参照のこと。


英語版:Sinnoh’s Myth

Three Pokémon there were.
Into the lakes they dove.
Deep, deep, drawing no breath.
Deeper, deeper they dove.
Into suffocating depths they dove.
Deeper, then deepest they alight.
From the lake floor they rise.
Bearing with them the power to make vast lands, they rise again.
3 匹のポケモンがいた。
湖のなかへそれらは潜った。
深く、深く、息もせずに。
より深く、さらに深く潜った。
窒息するほどの深みまで潜った。
もっと深く、そうしてもっとも深いところへ降り立つ。
湖の底からそれらは浮かびあがる。
広大な土地を造るための力を帯びて、ふたたび浮かびあがるのだ。
まず注目されるのは 2 行めにおいて lakes「湖」が複数形で言われていることである。この「大事なもの」が沈んでいる湖とは明らかに 3 匹のポケモン=UMA トリオに対するエイチ湖・シンジ湖・リッシ湖の三湖を指しており、おくりのいずみと解することはできない (おくりのいずみをも含めた四湖とすることは不可能でないが)。

もう 1 点、時制についても注意しよう。第 5 行までは were, dove (3x) と過去形で語られているのに対し、第 6 行からは alight, rise (2x) と現在形に切りかわり最後まで一貫する。ひとつの解釈として、この現在は物語の現在ないし歴史的現在、すなわち実際には過去のできごとであるのに生き生きと真に迫る臨場感を出すために用いられている現在形だとみなすことは可能である。

しかし未来 (未実現) のことを語っている真の現在形であると見ることもできなくはない。この場合は予言が語られていることになり、湖底に消えていったエムリットたちは神話の語り手の知るかぎりいまだ帰還せず潜りつづけており——現にアグノム (ダイヤモンド版) とエムリット (パール版) の図鑑説明では湖の底で眠りつづけていると言われている——、その後に造られる vast lands「広大な地」とは現在あるシンオウに取って代わる新世界を意味していることになろう (北欧神話において世界が滅びたあと海のなかから浮かびあがって再生する緑の大地のように)。


ドイツ語版:Sinnohs Mythen

Es existierten drei Pokémon.
Sie tauchten hinab in die Seen.
Tief, tief hinab, ohne Atem zu nehmen.
Tiefer und tiefer tauchten sie.
Hinab in luftleeren Raum.
Tiefer und tiefer sanken sie hernieder.
Und als sie den Grund erreichten, stiegen sie wieder empor.
Sie trugen in sich die Kraft, Landmassen zu formen.
3 匹のポケモンがいた。
湖のなかへそれらは潜った。
深く、より深く、息もつかずに。
さらに深く、なお深く潜った。
空気のない空間に至るまで下へ。
もっと深く、ずっと深くそれらは沈み下った。
そうして底に到達すると、ふたたび高く上った。
それらは陸塊を形作る力を携えていた。
英語版と異なって、動詞の時制は最後まで過去形で一貫している。これを優先するとすれば英語版の予言解釈は棄却される。とはいえ——どの言語版についても同様に言えることだが——「大地を造るための力」「陸塊を形作る力」についてはあくまでエムリットたちがそれを手に入れたと言われているだけであって、その力を実際に行使したかどうかについてはなにも語られていないことに注意したい。


フランス語版:Le Mythe de Sinnoh

Ils étaient trois Pokémon.
Au fond des lacs, ils plongèrent, au plus profond, sans reprendre d’air.
Au plus profond, ils s’enfoncèrent, jusqu’aux abîmes suffocants.
Et continuèrent jusqu’à toucher le fond avant d’entamer leur ascension,
Pour refaire surface, doués du pouvoir de révéler les terres immergées.
3 匹のポケモンがいた。
湖の底へそれらは沈んだ。なおも深くへ、息も継がずに。
さらなる深みへ沈みこんだ。窒息するほどの深淵にまで。
水底に触れるまでそれは続いた。それから上昇を開始するのだ。
沈んだ大地の覆いを払う力を授かり、ふたたび世に現れるために。
なんといっても最終行が異色である。ここでは les terres immergées「水中に没した大地というものがあって、それが覆い隠されていたことになっている。一般に『DP』の世界観にはアイヌの影響が大きいことがよく知られているが、アイヌの神話にこのようなモチーフは存在しないのではないか。アイヌの宇宙観において、この地上=人間の世界より下方にあるとされるのはポㇰナ・モシㇼ「下方の世界」と呼ばれる死者の国・追放の国であるが、これらは地中・地底にあると考えられている (山田孝子『アイヌの世界観』21 頁および 34 頁以下)。一方この箇所のフランス語 immerger は仏仏辞典によると「水またはその他の液体のなかに全体を入れる」、つまり日本語ではふつう「浸す、沈める」と訳しうる動詞であって、地中に隠されている場合に使うことは考えにくい。

私はむしろここからは——すでに英語版の項で触れたような——北欧神話のラグナロク後の世界再生を連想する。水中から大地が現れるという点で完全な符合を示している。あるいはその土地は水に覆われているということからすると、海の底の楽園として琉球に伝わるニライカナイやケルト神話のティル・ナ・ノーグをも部分的に思わせるところがある。

さてこの「沈んだ大地」が現れるのはいつのことか。日本語訳では十分に反映しづらかったので原文に沿って説明してみる。原文で最後の 2 行はひと続きの文になっていて、主文の動詞は continuèrent「(水底に触れるまで沈降を) 続けた」という単純過去時制であり、そのあとに avant d’entamer「(上昇に) 着手するまえに」という不定詞の形で動詞が続いている。したがって厳密に言えばこの「上昇」——ならびにその結果としての「沈んだ大地の露出」——はまだ起こったとも起こっていないとも言えないものの、すなおに考えるとこれは過去のできごとの継起、つまり「沈みつづけてそれから上昇した」ということを意図しており、べつにただ et で結んで 2 つの単純過去の動詞を並べるのでもいいのだが、それでは文章がお粗末というか朴訥すぎるからという理由で文彩としてこのように不定詞を用いたものと思える。

「沈んだ大地」がすでに現れているのだとすればどういうことになるか。これを現す力は「湖の底」において得られたのであるから、シンオウの三湖 (複数形!) はすでに存在していなければならないということは前述したとおり。とはいえ必要なのは三湖をそのうちに擁するシンオウの本土だけであるから、ポケモンリーグやバトルゾーンなどのある離れた島々は「沈んだ大地」の候補と考えても矛盾はない。これらの島々のうちにはエムリットたちの力により水中から現れた——と昔のシンオウ人が考えていた——ものがあるのかもしれない。あるいは英語版におけると同様に、ここで語られている大地はまだ浮上しておらず予言を述べているものと考えることも可能である。


イタリア語版:Il mito della regione di Sinnoh

Un tempo c’erano tre Pokémon, che nuotavano nei laghi.
Giù, giù, senza respirare. Sempre più giù si spingevano.
Scesero molto in profondità, senza temere l’oscurità.
Indi risalirono dai fondali del lago, portando con sé la forza di creare nuove terre.
かつて 3 匹のポケモンがおり、湖のなかを漂っていた。
下へ、下へと、息もつかずに。いつまでももっと下へ突き進んでいった。
はるか奥底へと沈んだのだ、闇を恐れることなしに。
しかるのち湖の深奥よりふたたび上り来た、新たなる大地を創造する力を携えて。
まずあまり重要ではないけれどもおもしろい違いとして、3 行め後半——英語版の 5 行めに対応する——ではエムリットたちの恐れる (と人々が考える) ものが空気のないことではなく oscurità「闇」と言われていることを指摘できる。

そして最後の部分ではとうとう nuove terre「新たなる大地」という表現が見いだされた。これまでにも日本語版・英語版・フランス語版それぞれについての読解から、この箇所はシンオウとは異なるこれまでに知られていない新天地・新世界を指し示す可能性があることを導いてきたが、「新しい」という直接的な形容詞が出てきたのははじめてのことで、これはイタリア語版に独自の点である。これによって如上の議論はさらに堅固に裏打ちされたことになろう。


スペイン語版:El mito de Sinnoh, segundo tomo

Éranse tres Pokémon.
En los lagos se sumergieron.
En la profundidad, sin respirar.
Grandes distancias recorrieron.
Hasta su fondo insondable tocar.
En lo más profundo se detuvieron.
Y del fondo del lago ascendieron.
Portan el poder de crear vastas tierras.
Y con él, ascienden de nuevo.
3 匹のポケモンがいた。
湖のなかへそれらは沈んだ。
奥底へと、息もつかずに。
はるかな距離を突き進んだ。
計り知れない底に触れるまで。
もっとも深きところにて止まった。
そして湖底から上り来たった。
広大な地を創造する力を携えてくる。
それを伴いてふたたび上り来るのだ。
重訳 4 言語のなかでもっとも英語版に近いと評価できよう。このスペイン語版では途中までが点過去、最後の 2 行の動詞 portan, ascienden だけが現在時制で言われており、一貫して過去 (ドイツ語)・単純過去 (フランス語)・遠過去 (イタリア語) で統一されたほかのバージョンよりも形式的に忠実である。時制以外の点でも新たに特別注目すべき点はないようだ。

むしろおもしろいのはタイトルで、El mito de Sinnoh, segundo tomo『シンオウ神話・第 2 巻』と言われている。この本は初回に扱った『シンオウ神話』の続巻であるようだ。しかしご承知のとおりこの文章は「怒るな・泣くな・???サマの祝福」云々という『シンオウ神話』とはほとんど関連が見いだされず、スペイン語版 wiki の執筆者も困ったのか「第 1 巻と第 2 巻の内容のあいだには目に見える関係はなにもない」と注記している。強いて言えばどちらもエムリットに関係していそうな点だけが共通するか。

とはいってもこの文章はスペイン語でほんの 46 語、本のサイズにしてみたら 1 頁を埋めるどころかたったの 3 行くらいにしかならない。ゲーム中で読めるこれらの文章は、『シンオウ神話』という本全体のうちでは何千分の一というごくわずかなスペースを占める微小な断片でしかないはずだ。1 巻と 2 巻でそれぞれぱっと開いたページにちょっと書いてある程度のことが直接結びつかなくても当然と言えよう。願わくは『シンオウ (の) 神話』という書籍の全体を読んでみたいものである、目次だけでも見ることができればずいぶんいろんなことが判明するだろうに。


総括

  • この神話は現在あるシンオウの創造を描いたものではない。
  • 未来解釈=シンオウに取って代わる新たなる世界の誕生を予言したもの?
  • 過去解釈=シンオウの周縁の島々の成り立ちを語ったもの?
  • その大地はエムリットたちの力によって海中から水を押しのけて現れる。