Affichage des articles dont le libellé est 翻訳元:ドイツ語. Afficher tous les articles
Affichage des articles dont le libellé est 翻訳元:ドイツ語. Afficher tous les articles

mardi 8 mars 2022

フレイヤとその別名——Simek の北欧神話事典より

ジメクのゲルマン神話事典 (Rudolf Simek, Lexikon der germanischen Mythologie, ³2006) の内容を翻訳紹介するシリーズ第 5 弾にして最終回。これ以上はやりすぎかと思われるので、もっと読みたいかたはぜひともリンクから Amazon に飛んで買ってほしい (ドイツ語を読める必要はある)。私の翻訳の底本は第 3 版だが、これから買う人の便宜のためリンク先は最新第 4 版 (2021) にしてある。


最後に取り扱う内容は女神フレイヤの関連名を一挙紹介。同書 S. 112–14, 129, 200, 264, 404, 459 より、「フレイヤ」Freyja, 「マルドッル」Mardöll, 「ホルン」Hörn (1), 「ゲヴン」Gefn, 「スュール」Sýr, 「ヴァナディース」Vanadís の 6 項目のほぼ全訳である (項目末の参考文献と近現代の受容についてのみ省略)。なお「ホルン」Hörn には同名の女巨人を扱う (2) があるがこれは省いた。

じつはフレイヤの別名はここに挙げられている以外にもまだあり、まずは (スュールの項で触れられているスルル Thulur の同じ箇所に) スキャルヴ Skjalf とスルングヴァ Þrungva がある。前者は本書にも立項されているが、基本的にはユングリンガ・サガ 14 章におけるフィン人の王の娘と説明され、そのあとでフレイヤの一名でもあるとして関連を述べている。後者は項目そのものがない。またメングロズ Menglöð がフレイヤと同一視されることもあり、これもその項には解説されている。その他、全部はまとめきれない。

本稿を補うものとして次の論文をあげることができ、翻訳に際しても参考にした:Britt-Mari Näsström (1996), ‘Freyja—A Goddess with Many Names’, in: Sandra Billington and Miranda Green (eds.), The Concept of the Goddess, pp. 68–77。この著者にはフレイヤに関してだけで 200 頁超の成書になった Freyja: The Great Goddess of the North, 1995, ²2003 があるのだが、残念ながら私は未読である。また、フォルケ・ストレム、菅原邦城訳『古代北欧の宗教と神話』(人文書院、1982) のフレイヤの節 (186–90 頁) も参照し、とくにノルウェーとスウェーデンの地名のカナ表記はほぼこれに従った。

亀甲括弧〔・〕は通例に従って訳者の補足を表す。丸括弧 (・) は原文のもの。エッダ各編の略号は次のとおり:Vsp 巫女の予言、Grm グリームニルの言葉、Ls ロキの口論、Thrk スリュムの歌、Odd オッドルーンの嘆き、Hdl ヒュンドラの歌;Gylf ギュルヴィたぶらかし、Skáldsk 詩語法。


フレイヤ (古ノルド語 Freyja「女性、貴婦人」) は、古スカンディナヴィア神話でもっとも重要な女神であり、恋人たちのための麗しい女神である。彼女はヴァン神族に属し、ニョルズとその姉妹との娘であり、フレイの妹 (にして本来は妻でもあったはず) である。エッダ神話は彼女にオズ Oðr〔またはオーズ Óðr〕という夫がいると言っており (ほかではほとんど言及されていない)、彼とのあいだにフレイヤはフノッス Hnoss とゲルシミ Gersimi〔またはゲルセミ Gersemi〕という娘たちをもうけたという (Gylf 34);この娘 2 人の名前は同義であり「貴重なもの」を意味し、したがってあくまで遅い時期の、女神〔フレイヤ〕自身の詩的流出である。

スノッリは彼女について次のように記述している (Gylf 23):「フレイヤは女神たちのうちもっとも有名である;彼女は天においてフォルクヴァング Folkvangr という名前の場所に住んでおり、戦いに赴くときには全戦死者の半分を受けとり、オーディンがもう半分をとる」(Grm 14 も同様で、スノッリはここでそれを引用している);「彼女の館はセッスルームニル Sessrúmnir という名で、それは大きく美しい。フレイヤが旅をするとき、彼女は猫たちの牽く車に座る (中略)。彼女は恋の歌を好み、恋に関わる事柄においては彼女に願うのが有益である」。

猫たちの牽く車のほかに、隼〔または鷹〕の衣 Falkengewand (フリッグと同様:Thrk 5; Skáldsk 1) とおそらく猪ヒルディスヴィーニ Hildisvíni (Hdl 7)、そしてなかんずく首飾りブリーシンガメン Brísingamen が彼女のシンボルである。

古ノルド語文学においてフレイヤはしばしば話題に出てくる;Thrk では巨人スリュム Thrymr が、フレイヤを妻に得られるならそのときに限り〔盗んで隠していた〕ミョルニルの鎚を引き渡そうと言い、Ls 30 では彼女は姦淫を咎められ、Hdl ではある女巨人と競いあい、そして Odd 9 で彼女は女神フリッグといっしょに願われる。

スノッリはフレイヤの立ち位置を、女神たちのうちでもっとも美しくもっとも重要なものとして強調している。巨人たちの企てにおいて彼女は女神たちの代表者であり、Thrk のみならず、巨人の建築家の話や巨人フルングニル Hrungnir の話においても、巨人たちにとって彼女はいつも何度でも求める価値のある女なのである。

10 世紀のスカルド詩人たちもまた、フレイヤの名を挙げることがまれではない;異教宗教における彼女の代表的な立ち位置の特徴を明らかにしているのは、スカルド詩人ヒャルティ・スケッギャソン Hjalti Skeggjason に関する逸話である。この人物は、異教とキリスト教との対立を背景とした 999 年のアルシング〔アイスランドの全島集会〕において、フレイヤの風刺詩を創作した:「われは吠えたてる神々を好かぬ/わが思うにフレイヤは雌犬なり」。そしてその代償として彼は涜神のかどで法益剥奪刑を受けた (アイスランド人の書 7)。

フレイヤはヴァン神族の出身であり、それゆえに豊穣の女神である。彼女は魔術の教師でもあり、アース神族に魔術をもたらす (ユングリンガ・サガ 4)。スノッリはこれとの関連で、ヴァン神族のもとでは兄弟姉妹間の結婚が一般に行われていることに言及する。このことからフレイとフレイヤにおいて神的な兄妹対/夫婦対を想定してかまわないであろう;フレイヤにオズという名の夫が見いだされるのは、のちになってアース神の社会においてのことである。彼はあるとき長らく不在となって、そのことでフレイヤは黄金の涙を流す (Vsp 25, Hdl 47; Gylf 35)。この話も同様に 10 世紀にはすでに周知であった。

スカルド詩においてフレイヤは多数の名前で呼ばれており、スノッリ (Gylf 34) が列挙するところではマルドッル Mardöll, ホルン Hörn, ゲヴン Gefn, スュール Sýr, さらにまたヴァナディース Vanadís が加えられる。これらの名前を通してフレイヤは、家内の守り神としての性質が際立っている;スュールという別名が指摘しているのは、フレイヤは彼女の兄フレイと同様、豚のシンボルで特徴づけられていたということである;Hdl において彼女は猪〔または豚〕ヒルディスヴィーニにも騎乗している。

同様に Hdl 10 においてフレイヤは、彼女のお気に入りであるオッタル Óttar が彼女の祭壇を築き犠牲を捧げてくれたことを自慢している。そして文献資料はこのほかにはまったくフレイヤの祭儀について知らせてくれないのではあるが、スカンディナヴィアの地名の総数は、フレイヤへの崇拝がスウェーデンとノルウェーにおいて存在していたことを示している;ノルウェーの地名としてはフレイホヴ Frøihov (*Freyjuhof「フレイヤの神殿」から)、スウェーデンの地名としてはフレーヴィ Frövi (*Freyjuvé「フレイヤの聖域」から) などが、公的な祭儀のあったことを示唆しているかもしれないが、守り神や愛の女神としてはむしろ純粋に家庭内の祭儀が期待されるところであろう。


マルドッル (古ノルド語 Mardöll) とは、スノッリ (Gylf 34) が挙げている女神フレイヤの名前のひとつで、スカルド詩においては「黄金」を表すケニングのなかで何度か登場している。その名前の意味は完全に明らかではないが、おそらくマルドッルとは「海を照らす者」(ヘイムダッル Heimdallr と比較せよ)、あるいは「海を膨れあがらせる者」(þöll に比する) の意か?

〔訳注。ヘイムダッルを挙げている箇所は、「世界を照らす者」と解しうるヘイムダッルの -‍dallr という男性形に対して、マルドッルの -‍döll が対応する同じ意味の女性形である可能性があるという理屈である。〕


ホルン (1) (古ノルド語 Hörn) とは、スカルド詩とスノッリ (Gylf 34) において女神フレイヤを表す名前のひとつで、その意味は完全に明らかではないが、hörr「亜麻」と関係があるかもしれない;だからといってただちに彼女が亜麻の収穫の女神とみなすべき (デ・フリースはそうしている〔『古ゲルマン宗教史』§556〕) なのではなく、むしろ亜麻の加工一般——じっさいこれは完全に女性の専門領域であった——の守り神としてみなすべきである。

スウェーデンの地名ヘーネヴィ Härnevi (またイェーネヴィ Järnevi も〔異綴ではなくそれぞれ別の地〕) < *Hörnar-vé「ホルンの聖域」がホルンの祭儀を暗示していることによって彼女は、その他若干数の北欧の、マトロンやディースと類似した女性の守護女神 (フリーン Hlín, スノトラ Snotra, ヴァール Vár などのような) とは一線を画している。


ゲヴン (古ノルド語 Gefn「与える女」) とは、スノッリ (Gylf 34, Skáldsk 35) によれば女神フレイヤを表す名前のひとつで、スカルド詩にも何度か現れている。もしこれが本来独立した守護女神のことだったのでないとすると、この名前はもうひとつの別名としてフレイヤを豊かさの女神として呼称するものであろう。


スュール (古ノルド語 Sýr「雌豚」) とは、女神フレイヤの別名のひとつで、早くもスカルド詩人ハッルフレズ Hallfreðr〔1007 年ころ没〕の作品において、それからスノッリ (Gylf 34) とスルル Thulur〔一種の記憶詩〕のなかに見られる。豚はどうやら祭儀と生贄の習慣においてヴァン神族と、とりわけフレイ・フレイヤ兄妹と密接に結びついているらしいことは、フレイの所有する猪グッリンボルスティ Gullinborsti も示すとおりである。


ヴァナディース (古ノルド語 Vanadís「ヴァン神族のディース」)。フレイヤを表すこの名前はスノッリ (Gylf 34) にのみ見られ、ヴァン神族に数えられるべき女神を表すケニング (「ヴァンの女」) にすぎないと言ってよさそうである。とはいえディースとの関連がまったくありえないわけではない。


dimanche 6 mars 2022

ラグナロク/ラグナレクル/終末論——Simek の北欧神話事典より

ドイツ語を読むのも少しだけ慣れてきた第 4 弾。ジメクのゲルマン神話事典 (Rudolf Simek, Lexikon der germanischen Mythologie, ³2006, S. 92, 340–41) より、「ラグナロク」Ragnarök, 「ラグナレクル」ragnarökr, 「終末論」Eschatologie の 3 項目のほぼ全訳 (項目末の参考文献と近現代の受容についてのみ省略)。


エッダ各編の略号は次のとおり:Vsp 巫女の予言、Vm ヴァフスルーズニルの歌、Ls ロキの口論、HH II フンディング殺しのヘルギの歌その 2、Sd シグルドリーヴァの歌、Hdl ヒュンドラの歌;Gylf ギュルヴィたぶらかし。

さて著者の本論のまえに長々と前置きするのは僭越だが、「ラグナレクル」ragnarökr という見慣れぬカナ表記については説明ないし弁明が必要だろう。これは第一には「ラグナロク」ragnarök と区別がつくようにという目的から決めたものであるが、たんなる表記上の便宜にとどまらないそれなりの根拠もある。

まず同じ ö という母音なのにロとレという揺らぎはおかしいという疑念が当然あるであろう。この母音はもともと ǫ というアに近い広いオの音と、ø というエに近い音とが混同され、1200 年ころから融合し現代アイスランド語と同じ ö の音になったという経緯がある。Ragnarök は本来 -‍rǫk であり、ragnarök(k)r のほうはゲルマン比較言語学の知見より -‍røk(k)r であった可能性がきわめて大だとわかっている (古い写本では ǫ と ø が書きわけられていないためあくまで理論上のこと)。さらに以下でジメクも書いているように、古い本来の ragnarök —— Vsp は西暦 1000 年ころ成立、Vm はそれより古い——に対して ragnarökr のほうは新しいいわば改悪された形であって、もっぱら 13 世紀のスノッリが用いているものであるから、後者の時点ではすでに両母音は合流して ö となり、レで表すほうが適切な発音になっていたはずである。

以上でロ/レについては納得してもらえたものとすると、ラグナロクと「ラグナレク」でよいではないかと早合点されるかもしれないが、最後のルもどうしても必要なのである。というのはこの語はロキの口論でもギュルヴィたぶらかしの用例の過半数でも ragnarök(k)rs という単数属格形で現れている。ここからわかるように -‍rök(k)r の最後の r は語幹に属するのであって、主格の語尾ではない。すなわちスルト Surtr (属 Surts) やウルズ Urðr (属 Urðar) などのように慣習的に省略する語尾のルとは違い、バルド Baldr (属 Baldrs) やアルフォズ Alföðr (属 Alföðrs) などと同様のもので、勝手に省略してはならないルなのである。

最後にもうひとつややこしいことを付け加えるようであるが、じつはスノッリのエッダにおける用例は実際の写本では ragnarök(k) と ragnarök(k)r それぞれの変化形が混じりあっている。既述のとおり後者のほうが多く——これの属格形だけで過半を占め、さらに対格形もある——、前者は写字生の書き間違いだとみなして刊本では ragnarök(k)r に修正・統一されるのが通例である。下でジメクが、スノッリは「一貫して durchwegs」ragnarökr を用いていると述べていること、そしてそれが端的に後代の誤りであると断じているのも通説に従った見解であろう。事典としての性格ゆえか、これらの項目に見られるジメクの説明は伝統的なものである。

しかし従来考えられてきたほど -‍rök「運命」と -‍rökkr「黄昏」はまったくの別物なのではなく、両者は密接に関連しているのだとする新説もある (Haraldur Bernharðsson, ‘Old Icelandic ragnarök and ragnarökkr’, 2007; 上の説明にあたってもかなり参考にした)。神話におけるラグナロクは滅びだけでなくその後の新生までを含めた概念であり、røk(k)r は「黄昏、夕闇」だけでなく「夜明け」の薄暮をも指す言葉である。さらに彼の説に従えば ragnarök の後半要素はじつは rǫk ではなく røk(k) であり røk(k)r と同じ動詞にもとづく可能性があって、太陽の運行を通して「運命、決まった流れ」の語義までは近い。こうして両者はつながっており、スノッリはどちらの名称も互換的に「神々の力の (滅びと) 新生」のような意味で用いていたのだ、というのがその主張である。

とはいえ私見ではこの論文、細部は詳しいが主張の根幹のところで臆測を重ねており、魅力的な説ではあっても説得力はそれほど高くはない。少なくとも、これによって今後は「神々の新生」で決まり!とはいかないように思われる。やはり古くから生き残っている標準的な説にはそれだけの理由があるのであろう。といったところで前置きを締めくくり、ジメクの堅実な解説にお進みいただきたい。


ラグナロク (古ノルド語 ragnarök「神々の終末の運命」) とは、エッダ歌謡において北欧人の終末論を表す名称。一方スノッリのエッダでは (Ls 39 と同様に) 一貫してラグナレクル ragnarökr「神々の黄昏」が用いられているが、これはより後の時代の再解釈を表しているにすぎない。

世界滅亡の観念についての主要資料は Vsp 44–66 節と、Gylf 50–52〔51–53〕におけるスノッリによって注解を付された散文的改作である。

北欧人の宇宙論は、世界の破滅をも含みこんでおり、それは神々にまでも人間と同様に降りかかる。したがって神々の生存には期限がつけられており、そのことは偶然によるのではない:彼らは犯罪と戦争とを通じて人間と同様に罪を負っているのである。

ラグナロクは Gylf 50〔51〕で詳しく描写されている 4 つの大きな終末論的事件によって特徴づけられる:フィンブルの冬 Fimbulwinter、スルトが全世界を無に帰す世界炎上 Weltenbrand、ミズガルズ蛇 Midgardschlange により波立たされた大海のなかでの大地沈没、そして最後にフェンリル狼 Fenriswolf によって飲みこまれる太陽の暗転である。さらなる自然的事件が続いて起こる:大地は震え、岩塊が転がり落ち、世界樹ユグドラシルは揺らぎ (Vsp 47)、ビヴロスト Bifröst の橋は倒壊する (Gylf 50〔51〕)。神々に警告するためにヘイムダッルはギャッラルホルン Gjallarhorn を吹き鳴らす (Vsp 46)。オーディンはミーミルの頭に助言を求め (Vsp 46)、神々は協議する。いまやあらゆる方角から地下世界の軍勢が迫る:ナグルファル Naglfar の船が浮かびあがり、フリュム Hrymr が舵をとって巨人たちとともに来る (Gylf 50〔51〕; Vsp 51 によれば舵をとるのはロキ);スルトはムスペルの子らを率いてくる。とりわけ詳しく物語られるのは戦いの野ヴィーグリーズ Vígríðr (Vm 18) における神々の戦いであり (Vsp 53–58; Gylf 50〔51〕)、そこで神々はエインヘリャル Einherier の支援とともに地下世界の軍勢に対する戦いに踏みこむ。オーディンはフェンリル狼と戦って敗れるが、ヴィーザル Víðarr によって仇がとられる。トールはミズガルズ蛇を殺すが、その毒によって死ぬ。フレイはスルトと戦って敗れる、というのは彼には剣がないからである;テュール Týr と冥府の犬ガルム Garmr が、またヘイムダッルとロキが相打ちになる。最後にスルトがすべてを滅する世界火 Weltfeuer を燃えあがらせる。

この滅亡はしかしながら終局的ではない;円環的な世界観念に従って、浄化された新たな世界が海から浮かびあがるのである。生き残った神々ヴィーザル、ヴァーリ Váli、モージ Móði、マグニ Magni が、かつてのアースガルズの地、イザヴォッル Iðavöllr の平原で相会する;ヘルからはバルドル Balder とホズ Höðr が戻ってくる。そして Vsp の最後の数節は死の竜ニーズホッグ Níðhöggr が最終的に沈むことを語る。

新世界の語りをもつ Vsp 59–66 節は、スノッリがラグナロクとの関連で引用し天と冥府の描写の枠組みにおいて解釈している 37 節と並んで、Vsp のラグナロク物語におけるキリスト教的要素を問う問題へと導いてきた。というのはそれは部分的に、ヨハネの黙示録における天のエルサレムの物語を強く思い起こさせるからである。オルリックはこれらの要素の分離に努力し、それに際して世界の道徳的退廃、ギャッラルホルンを吹くこと、太陽の消失、世界炎上と新世界の物語をキリスト教の影響とみなした。

エッダにおいてラグナロクのほかに世界滅亡を表す類義の名称として、aldar rök (「世の終わり」Vm 39)、tíva rök (「神々の運命」Vm 38, 42)、þá er regin deyja (「神々が死す時」Vm 47)、unz um rjúfask regin (「神々が滅ぶ時」Vm 52; Ls 41, Sd 19)、þá er Muspellz-synir herja (「ムスペルの子らが出陣する時」Gylf 18〔?〕, 36〔37〕)、aldar rof (「世の破れ」HH II 41)、regin þrjóta (「神々の終焉」Hdl 42) がある。


ラグナレクル (古ノルド語 ragnarökr「神々の黄昏」) は、Ls 39 ならびにスノッリにおいて、より古い名称であるラグナロク「神々の運命」にかわって、北欧人の世界滅亡の観念を表す名前として誤って用いられている。スノッリによるこの崩れた形から、今日なおドイツ語ではたいてい「神々の運命 Götterschicksal」ではなく「神々の黄昏 Götterdämmerung」が、ゲルマンの黙示録を意味するのに用いられている。


終末論 (Eschatologie)。最後のできごとと世界の終わりについての諸観念;ゲルマン人におけるそれは、ラグナロクに関する幻視におけるエッダ神話のなかと、余さず明瞭だとはいえない西ゲルマンの概念であるムスペルとにおいて出てくる。とはいえこれらは決して全ゲルマン民族にとってではなく、異教時代後期についてのみ等しく妥当する概念である。


samedi 5 mars 2022

巫女/巫女の予言/巫女の予言短編——Simek の北欧神話事典より

独文和訳の訓練を兼ねたシリーズ第 3 弾。ジメクのゲルマン神話事典 (Rudolf Simek, Lexikon der germanischen Mythologie, ³2006, S. 475–78) より、「巫女」Völva, 「巫女の予言」Völuspá, 「巫女の予言短編 (短篇)」Völuspá in skamma の 3 項目のほぼ全訳 (項目末の参考文献と近現代の受容についてのみ省略)。


エッダ各編の略号は次のとおり:Vsp 巫女の予言、Bdr バルドルの夢、Hdl ヒュンドラの歌、Gylf ギュルヴィたぶらかし。


巫女 (古ノルド語 völva「女予言者、預言者」、本来の意味は「杖を持つ女 Stabträgerin」) とは、女予言者 Seherin を意味する古ノルド語の名。エッダにおいて、とりわけ Vsp と Bdr において、巫女には予言者として重要な役割が与えられている。サガにおいては巫女はしばしば魔女 Zauberin として登場し、それにより中世スカンディナヴィア文学においてゲルマン異教世界の典型的な代表者となっており、常套句としてキリスト教の悪魔視の軽微な傾向をも巫女は示している。女予言者 Seherinnen の項も参照せよ。


巫女の予言 (古ノルド語 Völuspá) は確実に詩のエッダのうちもっとも有名な神話詩である;巫女の予言は 66 の節 Strophen からなっており (うち 62 節は王の写本 Codex Regius に、残り 4 節は第 2 の主要写本であるハウク本 Hauksbók にあるべつの版に含まれる)、幻視的な一人語りの形式をとっている;最初の 2 節と、第 28 節その他の若干の短い暗示が、幻視に枠〔物語〕を与えており、そこでは巨人の女予言者 Seherin がオーディンに情報を分け与えている。そうとはいえこの一人語りは教訓的でもないし真の意味で叙事詩的でもなく、強い視覚的喚起力をもった個々の図像から構成されている。

巫女の予言の最古の写本である王の写本は 13 世紀後半に発するが、この歌そのものはそれよりはるかに古い。ここでそれが 10 世紀初頭のものにせよ (ヨウンソン)、11 世紀前半に生まれたにせよ (ホイスラー)、どのみち下限はヤールのスカルド詩人アルノール Arnórr Járlaskáld のソルフィン頌歌 Þorfinnsdrápa に借用されていることで 1065 年ころと与えられる。ノルダル以来概して巫女の予言は、宗教的変革の風潮と終末の時の到来を待つなかの 1000 年の直前に〔成立年代を〕定められている。散文のエッダにおいてスノッリは、巫女の予言の節を多数引用し、彼の神話記述の資料として豊富に活用したばかりか、この歌の題をもわれわれに伝承してくれている。

巫女の予言は原初の巨人ユミル Ymir から世界が創造されたこと、神々と人間の原初の歴史、また巨人とドヴェルグについて、そしてアース神族とヴァン神族のあいだの最初の戦争について伝えている。その後バルドルの死から、神々と人間にとって危険な力の描写に至り、そのうえにラグナロクにおける終末の事件についての広範な叙述が続く (43–58 節)。しかし太陽の消滅と神々の転落そして破滅的な世界炎上は、最後的な終わりを意味しない:巫女の予言の最後の数節は、来たるべきよりよい世界の誕生を物語っている。

ただにその主題のみからではなく、そのうちに包含する想念に関しても、巫女の予言は並外れて豊饒である。あらゆる神話詩のうちでもっとも印象深いこの作品は、ひたすら異教ゲルマンの神話のみを再現しているのではない (ミュレンホフはそう言うのだが) ということはただちに認識されたが、この歌をもっぱら初期中世・キリスト教的な観念の産物とみなそうとする解釈 (マイヤー) は、巫女の予言にとり決してふさわしくはない。たんにキリスト教的のみならず、インド゠イラン゠印欧的な平行例をも (リュードベリ、ストレム)、またさらにはペルシア゠マニ教的なそれをも (ライツェンシュタイン、シュレーダー)、人は巫女の予言のなかに見いだそうとする。——この歌の内部でゲルマン的な層とキリスト教的な層とを峻別しようとすることも試みられてきたが (オルリック)、この道によって巫女の予言の源泉を決定的に明確化するには至りえない。ノルダルはそこから、この歌はその作者が土着の素材を加工したものであり、たとえキリスト教的な影響も非常に蓋然性が高いにせよ、それについてはその範囲も仲介手段も明らかにはなっていないので、ひとつの統一体としてみなすことを提唱した。多様な由来をもつ諸観念をひとつの不朽の形に鋳造したことは 1 人の単独の詩人による功績なのであって、たとえ彼の作品がおそらくそれじしんで異教時代後期を代表したものではなく、たんに彼の個人的な告白を芸術的な形で表現したものであったとしてもそうなのである。ゲルマン神話の資料として巫女の予言を利用するに際しては、このような制限が見落とされてはならない。宇宙誕生、宇宙論、バルドル、冥府、ラグナロク、終末論の項も参照せよ。


巫女の予言短編 (古ノルド語 Völuspá in skamma, 短い巫女の予言とも) とは、巫女の予言を模倣した作品の名であり、ヒュンドラの歌 29–44 節に保存されている。

巫女の予言短編がかつては Hdl とは独立したひとつの詩として存在していたことはスノッリによっても証明されており、これを彼は Gylf 4〔5〕においてその固有の表題のもとに引用してさえいる。Hdl は 13 世紀の作品であり、巫女の予言短編もそれよりずっと古いということは考えにくく、たぶん 12 世紀のものである。Vsp から逐語的な借用をしているが、文学的にはその原作よりもはるかにひけをとっている;宇宙論的な進展もほとんどなく、もっぱら神々と巨人たちのあいだの血縁関係の羅列に終始している。なかんずくロキと並んでヘイムダッルがとりわけ詳細に扱われているが (35–39 節)、ラグナロクについては、この歌は終末論的な狙いがあるような印象を与えているにもかかわらず、簡略にしか示されていない。——その描写のしかたはおそらく神話叙述を体系化しようとする省察をすでに前提にしており、この理由からも〔成立年代は〕異教神話への学術的関心が目覚める時代、12 ないし 13 世紀に定められるべきである。この歌は——巨人の系譜 (32 節) は別かもしれないが——謎めいたところはほとんどなく、われわれがほかのエッダ資料から知っている神話的な事情を裏書きするのみである;しかしながらそのさいに顧慮されるべきは、巫女の予言短編それじたいがまさしくそれらの資料より作られたのであって、それゆえ神話に関してはたかだか二次的なものであり、ほかのエッダ歌謡と比肩する資料としては考慮に値しないということである。


vendredi 4 mars 2022

ヴァン神族/ヴァン戦争——Simek の北欧神話事典より

自分が読みたかったので続いたシリーズ第 2 弾。ジメクのゲルマン神話事典 (Rudolf Simek, Lexikon der germanischen Mythologie, ³2006, S. 486–88) より、「ヴァン神族」Wanen と「ヴァン戦争」Wanenkrieg の項目のほぼ全訳 (項目末の参考文献と近現代の受容についてのみ省略)。


第 1 の「ヴァン神族」の項目の訳文においては、明示的に Götterfamilie「神族」という語がないところに補うさいには亀甲括弧〔・〕で明らかにしたが、煩雑を避けるため次の「ヴァン戦争」ではただの Asen, Wanen も「アース神族」「ヴァン神族」と訳した箇所が多い。また「ヴァン戦争」の項には詩語法およびユングリンガ・サガからの長めの引用文があるが、これも事典中のドイツ語から訳したものであり、古ノルド語原典にはあたっていない。

エッダ各編の略号は次のとおり:Vsp 巫女の予言、Gylf ギュルヴィたぶらかし、Skáldsk 詩語法。


ヴァン神族〕(Wanen, 古ノルド語 Vanir) は、スノッリ・ストゥルルソンによればアース〔神族〕と並ぶ第 2 の神族の名であるが、異教時代におけるその存在は疑われねばならない。

まずもって、彼の作品でもゲルマンの神々はみなアースと呼ばれているのであるが、スノッリによるとそれらのうちの一グループ、すなわちヴァンたち (ニョルズ Njörðr, フレイ Freyr, フレイヤ Freyja) は、べつの一族に数えられるべきである。彼らはつねにアースと平和裡に暮らしていたわけではなかった。スノッリがヴァン戦争 Wanenkrieg について伝えるところでは、その戦争の終わりに両神族は和平を結び、互いに人質を交換した。

スノッリによってヴァンとしてまとめられている神々は、なによりも豊穣の神々であって、彼らはとりわけ農民人口からは豊作・太陽・雨・よい風を、また航海者や漁師からはよい天候条件を求めて願われていた;フレイに関してはとくに、スノッリはこの豊穣の機能を強調したことで、この神の統治機能にとっては著しく不利になったであろう。ヴァン〔神族〕はまた、アース〔神族〕からは恥ずべきものとみなされた形式の魔法——アースたちはこれをフレイヤを通して知った——を実践していた。それに加えて (スノッリの『ユングリンガ・サガ』4 章によると)、ヴァン〔神族〕のもとではアース〔神族〕とは違い、兄弟姉妹間の結婚が容認されていた。このことは、ヴァン崇拝の本来の担い手たちの社会における、母権制的な環境を示している可能性がある。

ニョルズ、フレイ、フレイヤという神々への尊崇は、はるか昔まで遡ることができる:ニョルズと語源的に同一の女神ネルトゥス Nerthus は、早くもタキトゥス〔『ゲルマーニア』〕において言及されており、青銅器時代の岩壁画に現れている豊穣の神々は確実にこのグループに数えることができる。また著しいのは、スカンディナヴィアにおいてこれらの神々の名前から作られた地名が、——ウッル Ullr を除くと——ほかのすべての神々をあわせたものと総数において釣りあっていることである;それと引きかえ、ヴァンという単語それじたいは地名に見いだされないが、このこともまた、これらの神々とヴァンという概念との結びつきが新しいことを示唆している。

ニョルズおよびその 2 人の子フレイとフレイヤと並び、おそらくより後代にスカンディナヴィアにおいてフレイと重ねられた神、イング Ing がこの神々のグループに数えられる;フロージ Fróði (=フレイ) がかつて独立した神として尊崇されていたということは反対に疑われるべきである;また、ときおり推定されているようなウッル神がヴァン〔神族〕に所属するということはまず証明しえない。

ヴァンという名の語源は、数々の説明の試みがあるとはいえ、なおまだ納得のいく解釈はなされていない。


ヴァン戦争 Wanenkrieg と呼ばれているのは、アース神族とヴァン神族のあいだの戦いのことであり、これはただスノッリと Vsp のあまり意味明瞭でない数節によってのみわれわれに伝わっている。スノッリはヴァン戦争について 2 通りの短い梗概を与えており、1 つはきわめて簡素なもので Skáldsk 1 に見られる:「それはこのように始まった。神々はヴァンと呼ばれた人々と戦争を行った。しかし彼らは和平会議に合意し、次のようなしかたで和平を約定した。すなわち両グループがある容器のところへ歩いていき、そのなかへ唾を吐き入れるとするのだ。そうして立ち去るさいに神々はこの和解のしるしを受けとり、それが失われることのないようにと欲し、かわりにそこからクヴァシル Kvasir という名の人間を創りだした」。

もう 1 つはこれよりいくらか詳しいバージョンで、『ユングリンガ・サガ』4 章にある:「オーディンは軍を率いてヴァン神族に向かったが、彼らはそのことを早くに察知し、自分たちの国を防衛したので、双方とも相手を破ることができなかった。おのおのが相手の国土を荒らし損害を引き起こした。双方ともがそのことに倦むと、彼らは和平会議に合意して和平を結び、人質を交換した。このときヴァン神族はもっとも重要な者たち、すなわち裕福なニョルズと彼の息子フレイを連れてきたが、アース神族はヘーニル Hœnir という名の者を連れてきて、首領としてうってつけの者だと称した。それは背が高く美しい男だった。その男とともに彼らはミーミル Mímir というとても賢い男を送ったが、ヴァン神族はそのかわりに彼らの集団からもっとも利口な者を与え、これがクヴァシルといった」。

これらと並んでスノッリ (Gylf 22〔23〕) は、ニョルズとヘーニルの人質取りに言及し、それによって間接的にヴァン戦争のことをほのめかしている。

Vsp 21–26 もヴァン戦争のことを物語っていると推測され、スノッリはこれらの詩節を知っていたが、スノッリの説明の内容は 2 つとも、Vsp のそれとははなはだしく異なっている;すなわち Vsp においては人質取りについてなにも語られておらず、Vsp においてヴァン戦争の原因となった者はヴァン神族の女予言者グッルヴェイグ Gullveig であるが、彼女のことはスノッリには言及されていないのである。

旧世代の研究において、ヴァン戦争神話はたいてい、紀元前 2 千年紀に実際に起こった戦争の反映とみなされがちである;その当時、定着していた南スカンディナヴィア゠西ヨーロッパの巨石文化が、北西へ進出する戦斧民族によって蹴散らされ、それにもとづいてその後 (非印欧語族の?母権的な?) 巨石文化の担い手たち (=ヴァン?) と印欧語族の戦斧民族 (=縄目文土器文化?=アース?) との混交が生じた。この歴史的できごとがヴァン戦争そしてアース神族とヴァン神族のあいだの平和締結という神話の形式のなかになごりをとどめているというのである (エックハルト)。

反対にデュメジルは、ほかの印欧民族 (ローマ人、インド人) にある類似の神話伝説を指摘し、そこからヴァン戦争を、ある社会内部における社会的摩擦と解釈している。その社会においては階級的に区分された、好戦的な王に従う者たち (=アース?) と、他方では植物崇拝と魔術が意味をもっているような農民階級という、〔2 つの〕グループが対峙していた。これらの社会階層間の平和締結——なるほどこれはヴァン戦争神話においてたしかに本質的な位置を占めている——を通してはじめて、印欧語族社会の秩序だった社会的・宗教的構造は発生したのである (デュメジル、デ・フリース)。


jeudi 3 mars 2022

アールヴとその区分——Simek の北欧神話事典より

ジメクのゲルマン神話事典 (Rudolf Simek, Lexikon der germanischen Mythologie, ³2006, S. 8–10) より、「アールヴ」Alben の項目のほぼ全訳 (項目末の参考文献と近現代の受容についてのみ省略)。

〔2022 年 3 月 7 日追記〕さらに「光アールヴ」Lichtalben, 「闇アールヴ (ダークエルフ)」Dunkelalben, 「黒アールヴ」Schwarzalben の 3 項目 (S. 81–82, 244, 366) を追加で翻訳した。ほかに関連する「アールヴァブロート」と「エルフ」も訳したいところではあるがあまり勝手にいろいろ訳すのもなんなので (出版でもさせてもらえるならやりますが)、あとは上に Amazon へのリンクを貼った原著をご購入ください。私が使っているのは第 3 版ですがリンク先は最新第 4 版 (2021) です。

〔2022 年 3 月 9 日追記〕原著者ジメクには最近、Rudolf Simek (2017), ‘On Elves’, in: Stefan Brink and Lisa Collinson, Theorizing Old Norse Myth, pp. 195–224 という論文があり、本稿にも述べられているようなエッダをはじめとした文献資料のより綿密な用例調査に加えて、新しい考古学的証拠をも援用して当時のエルフ (アールヴ) の観念について再検討している。ひょっとすれば事典第 4 版にはその内容が反映されているのかもしれない (未確認)。


なぜこの翻訳を思い立ったかというに、同書には (底本は初版とはいえ) 英訳 Dictionary of Northern Mythology があるのだが、どうしたことか英訳書にはこの項目が欠けていることを発見したのである。英語版はところどころ項目名にも英語化した語形を用い、したがって項目の順番が入れかわっているのでひょっとしてどこかにあるのかもわからない。それにもかかわらず私がないと結論づけた理由は、古ノルド語の álfar で引くとドイツ語版では → Alben、英語版では → Elves を参照するように指示されているところ、この 2 つの項目の内容がまるで対応していなかったからである。これは版の違いによるのではない;念のためドイツ語の初版 (1984) も確認したが、1 文を除いては第 3 版とまったく変更点はなかった。

じつはドイツ語原書には、神話の「アールヴ」を解説した Alben のほかに、(一部内容は重複しつつも) より周縁的な地域・時代の「エルフ」を説明する Elfen の項目が別個に立てられている (これも初版からある)。英訳の Elves はこの Elfen の項を翻訳したもので、他方 Alben のほうはまったく見落とされ消滅してしまったようなのである。しかしいま言ったように Alben の項目のほうこそ第一に重要なのであって、単純に文章量を比べても倍以上長く、ぜひとも読みたい興味のある項目なのである。わざわざ苦手なドイツ語を苦心して訳したゆえんである。

以下の訳文のうち丸括弧 (・) は原文、亀甲括弧〔・〕は訳者の補足である。必要に応じてドイツ語および古ノルド語の原語を併記した。改段落は原文のとおりである (やたらと長かったりまちまちなのもそのまま)。神話資料の略号は、『詩のエッダ』Vsp 巫女の予言、Háv 高き者の言葉、Grm グリームニルの言葉、Skm スキールニルの言葉 (旅)、Ls ロキの口論、Alv アルヴィースの歌;『スノッリのエッダ』Gylf ギュルヴィたぶらかし、Skáldsk 詩語法。


アールヴ (Alben, 古ノルド語 álfr, 古高ドイツ語 alb, 古英語 ælf;〔女性形は〕古英語 ælfen, 中高ドイツ語 elbinne) は神話的存在の一種。エッダにおいては何度かアース神族とともに言及されており (æsir ok alfar: Ls 2, Grm 4, Skm 7; Skáldsk 1, 29)、Háv では 2 度、アース神族・アールヴ・ドヴェルグという序列でも言及されている。疑いなくアールヴは (あるいはこの多層的な概念のもとに包括された存在の一部は) 実際のところアース神族に近い。アールヴァブロート álfablót という、アールヴに対する崇拝もしくは少なくとも供物についても、散発的な報告がわれわれにまで伝わっている。アールヴという古ノルド語の名称は、Vsp のドヴェルグ一覧表 dvergatal における若干のドヴェルグの名前にも現れており (アールヴ Álfr, ガンダールヴ Gandálfr, ヴィンダールヴ Vindálfr)、これによってアールヴはドヴェルグに接近している。スノッリがドヴェルグをスヴァルトアールヴァヘイムに住むものとしているのは (Gylf 33, Skáldsk 37)、アールヴの下位グループである黒アールヴ Schwarzalben をこれ〔=ドヴェルグ〕と同一視しているようである。鍛冶師ヴィーラント Wieland〔=ヴォルンド Völundr〕の英雄伝説においても (ヴォルンドの歌 10, 13, 32)、ヴィーラントはアールヴたちの指導者にして同胞と呼ばれているが、このことは確実に彼の鍛冶師としての技量と関連づけられている。おそらくドヴェルグとの親縁関係に対して直接にではないせよ、さだめし彼らの性格の悪魔的な面を指しているのが、ぎっくり腰〔ドイツ語で「魔女の一撃 Hexenschuß」〕を意味する「アールヴの一撃 Albschuß」、すなわち古英語 ylfa gescot のような表現である。アールヴと巨人との関連は、『ベーオウルフ』(eotenas ond ylfe) におけるのを除けば Alv にのみ現れるが、ここではたださまざまな存在 (人間、アース神族、ヴァン神族、ドヴェルグ、アールヴ、巨人) が数え上げられているだけである。こうしたアールヴの、スノッリの言う闇アールヴ Dunkelalben ないし黒アールヴというグループと同一視しうるような側面とは対照的に、ノルウェーのハラルド美髪王の系譜のなかの若干の名前 (アールヴ Álfr, アールヴゲイル Álfgeirr, ガンダールヴ Gandálfr, アールヴヒルド Álfhild) のように、まったく異なる種類のアールヴともわれわれは出会う;すなわちこれに関するある出典テクスト (古の王のサガ断片 Sögubrot af fornkonungum 第 10 章) の伝えるところでは、この (アールヴたちの) 系譜はもっとも美しい人物たちを名づけたものだという;しかしながら「アールヴ〜」というのはほかの古ノルド語の人名にもありふれたものである。スノッリも同様に、彼の言う光アールヴ Lichtalben というグループは太陽よりも美しいと称しており、古英語の詩は「すばらしく美しい」という意味で ælfsciene「アールヴのように美しい」を用いている。「太陽」を表す álfrödull「アールヴの車輪」という何度も使われたケニングもこの線に沿ったものだろう。(白い?) アールヴと太陽との結びつきは、彼らの住処アールヴヘイム (Gylf 16) にも表れているが、そこは Grm ではフレイの住処として述べられている。

ドヴェルグとは対照的に、アールヴについてはほとんど名前が伝わっていない;はっきりとアールヴとして言及されているのは〔前出のヴォルンドを別とすれば〕ダーイン Dáinn (Háv 143) だけであり、しかもこれとてほかの場所ではドヴェルグの名前になっている。

スノッリは Gylf 16, 33 において、アールヴを光アールヴ、闇アールヴ、黒アールヴ (ljósálfar, dökkálfar, svartálfar) に分類することを試みており、これに際して彼は、スヴァルトアールヴァヘイムに住むドヴェルグを黒アールヴと同一視している。光アールヴはアールヴヘイムに、闇アールヴは地の下に住む。これについて早くもグリムが指摘しているところでは、一方では明るい高みに住まうすばらしく美しい存在と、他方では地の下に居着く瀝青のように黒い者たちとに分けるスノッリの分類 (Gylf 16) は、民間信仰における天使と悪魔というキリスト教的な二元論に従っている疑いを思わせる。グリムはもう一歩進んで、光エルフ=天使、黒エルフ/ドヴェルグ=悪魔に加えてさらに、闇エルフ (青ざめたエルフ?) を死者の魂と同一視しうると考えていた。いずれにせよこうした可能性が示すのは、より古い詩にもスカルド詩にも証拠を求められないような、スノッリによるこのような神話的存在の体系化の試みを、認めるに際しては注意が必要だということである;だがもしスノッリがこのさいに、彼の時代の民衆宗教的な信仰の観念を反映しているのだとしたら、これらは第一にはキリスト教的な概念であり、そこにおいてアールヴ/エルフは中世スカンディナヴィアの魔除けの護符におけるように、すでに悪魔の同義語である。——アールヴァブロートのもとに引用された事例のうち 2 つは、アールヴはギリシアの英雄崇拝を思い起こさせるような崇拝を人が行うような、尊敬された死者に関わる問題である、ということを示唆しているように思われる。しかしながら上述の事例においては、死者崇拝の要素もたしかにアールヴ崇拝に流れこんでいる。闇アールヴと光アールヴという 2 種類のアールヴは両方とも、2 つの関連した祭儀、すなわち死者の祭儀と豊穣の祭儀とを代表している、ということもまた十分ありうることである。——体系化の傾向はきわめて早く (10 世紀以前の) アングロサクソンの資料に見えており、それらにはすでに北欧の民間信仰のアールヴと古英語のエルフとのあいだの相違がほの見えている。この後者は明らかにケルトの観念による影響を受けている。

語源探究がアールヴ信仰の起源に関する疑問解明の助けになるところはほとんどない:この単語はラテン語 albus「白い」とともに印欧語根 *albh-「輝く、白い」に属し、したがっておそらく「白い霧の人影」のような意味だった;あるいは古代インド語 ṛbhu-「巧みな、名人」につながっていた。どちらの説明も、資料がわれわれに与えてくれているアールヴの複雑な像の、あくまで一面のみを照明するにすぎない。


光アールヴ (Lichtalben, 古ノルド語 ljósálfar〔英語 light elves〕) とはアールヴの一グループであり、スノッリ (Gylf 16) はアールヴを光アールヴと闇アールヴ Dunkelalben とに区分している。スノッリによれば光アールヴはアールヴヘイム Álfheimr に住んでいるといい、そこを彼は天国のような領域のなかに思い描いているらしい。アールヴは彼によって陽の光よりも美しいと描写されており、このさいスノッリはキリスト教の天使を念頭に置いていたようである;このことがとりわけあてはまるのは、彼がギムレー Gimlé は第 3 の天にあり現在は光アールヴだけがそこに住んでいるのだ、と語っている点である。実際にはしかしながら、光アールヴとは早くからアース〔神族〕に近接していたアールヴの一グループ (もしくは一側面) である。


闇アールヴ (Dunkelalben, 古ノルド語 Dökkálfar〔英語 dark elves〕) とは、スノッリによればアールヴの一グループであり、彼は Gylf 16 においてアールヴを闇アールヴと光アールヴとに分けている。闇アールヴのことを彼は「瀝青よりも黒い」とし、光アールヴとははなはだ異なっていると称している。——推測では、アールヴの概念のもとに伝統的にさまざまな神話的存在が統合されたという経験が、スノッリにおいてキリスト教的な民間信仰の諸範疇を手がかりに体系化の試みへと導かせたものであろう;グリムはそれゆえ、スノッリは闇アールヴを悪魔と、光アールヴを天使と同一視していたと考えた点で、ほとんど誤っていた。実際にはしかしながら、おそらく闇アールヴと光アールヴとは、死の祭儀と豊穣の祭儀のように互いに接近した関係にある、死者の霊 Totendämonen という同一の観念の 2 つの側面の問題なのである。


黒アールヴ (Schwarzalben, 古ノルド語 svartálfar〔英語 black elves〕) とはアールヴの一カテゴリであり、スノッリ (Gylf 33; Skáldsk 37) において見いだされうるスヴァルトアールヴァヘイム Svartálfaheim「黒アールヴたちの世界」という名前から導かれうるものである〔すなわち黒アールヴ svartálfr という種族名は単独では使われておらず、あくまで世界の名前の一部として知られているということ。ただここで著者は見落としたと思われるのだが、実際には Skáldsk 35 に複数与格形 svartálfum が出ている〕。スノッリは 2 つの用例においてスヴァルトアールヴァヘイムをドヴェルグたちの住処と呼んでいるので、彼にとってドヴェルグと黒アールヴは同一であったと受けとることができ、2 つの神話的存在のカテゴリのあいだのぼやけた変わり目もそれを物語っている。


vendredi 23 juin 2017

グリーンランド語入門 (10) 比較級・副詞

グリーンランド語入門第 10 回の範囲は,Kölbl, Grönländisch, S. 53–55 です (全体の目次は第 1 回をご覧ください).前回学んだ形容表現の比較級・最上級にあたる表現と,ついでに短いので副詞に関する部分もいっしょにまとめます.


比較級


形容動詞は強めることもできます.グリーンランド語では形容動詞について第 1 比較級と第 2 比較級〔ドイツ語の用語で,比較級と最上級のこと〕とをはっきりとは区別しません.両者とも動詞接尾辞 +neruvoq「より〜だ ist mehr」によって作られます.

母音幹 portu|voq は高い → portu|neruvoq はより高い,もっとも高い
子音幹 pikkorip|poq は有能だ → pikkorin|neruvoq はより有能だ,もっとも有能だ
r-幹   ajor|poq は悪い → ajor|neruvoq はより悪い,もっとも悪い

Oqaluf|fik portu|neru|voq. その教会はより高い/もっとも高い.
Aqagu sila ajor|neru|ssaa|q. 明日には天気は悪くなるだろう〔比較・未来・3 単〕.

-toq-形〔形容名詞形〕は,そのそれぞれの語尾 (-toq, -soq, -sooq) を +neq (3 類) に置きかえることで強められます.語尾 +neq は第 2 比較級〔=最上級〕形にのみ対応します.

母音幹 portu|sooq 高い → portu|neq もっとも高い
子音幹 pikkoris|soq 有能な → pikkorin|neq もっとも有能な
r-幹   ajor|toq 悪い → ajor|neq もっとも悪い

Qaqqaq portu|neq taku|(v)ara. 私はもっとも高い山を見る〔1 単・3 単〕.

比較は「〜より」にあたる ±mit〔奪格語尾〕によって表されます.

Ujarak qisu|mmit oqimaan|neru|voq. 石は木材〔奪格〕より重い.

〔以下は〕不規則な比較級〔=最上級〕をもついくつかの形容動詞です.

形容動詞 -toq-形   +neq の最上級
ajunngilaq ajunngitsoq ajunnginneq よい
angivoq  angisooq  anneq    大きい
mikivoq  mikisoq   minneq    小さい
takivoq   takisooq  tanneq    長い
utoqqa|avoq utoqqaq*  utoqqaaneq 年老いた
nuta|avoq  nutaaq*  nutaaneq  新しい
qorsu|uvoq qorsuk*  ―      緑の

* のついた形容〔名〕詞は例外的に動詞ではなく,-uvoq「〜である」を伴ってはじめてそうなります〔„sind keine Verben“ なので「動詞ではない」としか読めないのですが,-toq-形はもとより動詞ではありません.* をつける位置をむしろ第 1 列にして,「形容動詞 (-voq 形) が存在せず,utoqqaq その他に -uvoq を伴って……」とみなすとよいでしょう.このさい utoqqaavoq と nutaavoq には A-法則が働いています〕.またこれらは真の〔=固有の〕-toq-形をもちません.


副詞


ある行為がどのように生じるか (たとえば「早く行く」や「ゆっくり話す」のように) を表すためには,副詞 (Umstandwort) が用いられます.これは -toq-形から -mik〔単数具格語尾〕によって作られます:

arriip|poq 何かをゆっくりする (etwas langsam tun) → arrii|tsoq ゆっくりの → arrii|tsu|mik ゆっくりと.

Arrii|tsumik oqalup|poq. 彼はゆっくり話す.
ariin|nerusumik よりゆっくりと

〔欄外注:〕副詞は +nerusumik によって比較級になります.

jeudi 22 juin 2017

グリーンランド語入門 (9) 形容表現

グリーンランド語入門第 9 回の範囲は,Kölbl, Grönländisch, S. 50–53 です (全体の目次は第 1 回をご覧ください).グリーンランド語に「形容詞」という品詞はないことを以前見ましたが,それでは物の性質などをどのように記述・表現するのかを今回学ぶことになります.


形容表現


「よい」「小さい」「木製の」「グリーンランドの」といった性質は,さまざまなしかたで表現されます.基本的にはそれらは名詞の後に立ちます.

一方で,名詞は形容詞として用いられることができ,±mit〔奪格語尾〕を伴ったり伴わなかったりします:

angut utoqqaq 男+老いた人=老人
ukkusissa|mit sanaaq 滑石から+製品=滑石製品

それから形容接尾辞 (Eigenschaftssuffix) があります.たとえば -suaq「大きい」や -nnguaq「小さい,愛らしい」などです.

qimi|nnguaq 小さい (かわいい) 犬
Kunu|nnguaq 愛すべきクヌート (・ラスムセン)

〔欄外注:〕有名な極地探検家クヌート・ラスムセン (Knud „Kunuk“ Rasmussen) は今日でもこのように呼ばれています.

しかしながら,もっとも大きな意味をもつのは形容動詞 (Eigenschaftsverb) です.〔これもまた語弊のある訳語ですが,形容詞 Eigenschaftswort の働きをする動詞 Verb ですからちょっとこれ以外に訳しようがないでしょう.「性質動詞」などと言って言えなくはなさそうですが,どうも字面からなにが言いたいのかはっきりしません.むしろ日本語文法の「形容動詞」のほうが動詞でもないくせに悪い言葉で,英語の本ではそれが adjectival noun (形容名詞) や nominal adjective (名詞的形容詞) と呼ばれているほか,日本語学習者向けにはふつう「ナ形容詞」という名前で教えられています.〕


形容動詞 (Eigenschaftsverb)


形容動詞はこれまでに扱ってきた動詞と異なるところがありません.これらのなかには「私は〜です,君は〜です,彼は〜です」といった〔sein 動詞の〕性質が含まれています.

angivoq「大きい」,aappaluppoq「赤い」,kusanarpoq「美しい」.

これらは自動詞のように屈折〔=活用〕し,否定・疑問形・未来など〔も同様〕です.

Qimmeq angi|voq. その犬は大きい〔3 単〕.
Tupe|rput miki|voq. 私たちのテントは小さい〔3 単〕.
Qasu|(v)it? 君は疲れているか〔疑問形・2 単〕.〔原語 „müde“ のため「疲れている」か「眠い」のいずれかです.下も同様.〕
Qimmi|t qasu|nngilla|t? その犬たち〔複数基本形〕は疲れていないか〔否定・3 複〕.

「よい ist gut」を表す特定の単語はありません.ajorpoq「悪い ist schlecht」の否定を用います.

Aju|nngila|q. 悪くない=よい.

これはつまり「悪くない」だけではなく実際に「よい」をも意味するのです.

Aqagu sila aju|ssa|nngila|q. 明日はよい天気になるだろう〔未来・否定・3 単〕.


-toq の形容名詞 (Eigenschaftsnomen)


形容動詞は „bin, bist, ist, ...“〔という sein 動詞の意味〕を伴わずにはいられません.次を見比べてください:

Das Zelt ist klein〔テントは小さい〕= Tupeq mikivoq.
Das kleine Zelt〔小さいテント〕= Tupeq ... ??〔mikivoq を置くと述語になってしまう.〕

推測できるかもしれませんが,„ist“ というつなぎの単語なしに名詞に直接隣りあうこの位置では,形容動詞はべつの語尾を必要とするのです.

母音幹
miki|voq は小さい → miki|soq 小さい

子音幹
aappalup|poq は赤い → aappalut|toq 赤い
oqimaap|poq は難しい → oqimaa|tsoq 難しい
pikkorip|poq は有能だ → pikkoris|soq 有能な

r-幹
ajor|poq は悪い → ajor|toq 悪い

〔接尾辞がついた形をさらに -toq 形にする場合〕
-nngilaq (aju|nngilaq はよい) → -nngitsoq (aju|nngitsoq よい)
-ssaaq (miki|ssaaq は小さいだろう wird klein sein) → -ssasoq (miki|ssasoq 未来に小さい〔?〕ein zukünftig kleines)

母音幹および r-幹は,少数の例外を除いて,〔それぞれ〕ひとつの語尾 (順に -soq, -toq) をもちますが,子音幹には 3 通りの語尾 (-ttoq, -tsoq, -ssoq) がありえます.またいくつかは長い -oo- をもっており,これが表しているのはその〔形容詞によって〕言われている性質が高度に現存している (in hohem Maße vorhanden) ということです:puala|sooq「太った dick, fett」.

この -toq-形の意味は「この性質をもった誰か/何か jemand/etwas mit dieser Eigenschaft」です.これらはどこか名詞に似ていますが,さらにそれ以上のものでありえます.簡単にこれらを形容名詞 (Eigenschafts-Nomen) と呼ぶことにします.

〔欄外注:〕形容名詞は 1 類の名詞のように屈折します.これらは数と格においてそれが伴う名詞と一致します.

tupeq miki|soq 小さいテント
illu angi|sooq 大きい家

mercredi 21 juin 2017

グリーンランド語入門 (8) 未来・否定

グリーンランド語入門第 8 回の範囲は,Kölbl, Grönländisch, S. 47–50 です (全体の目次は第 1 回をご覧ください).内容は未来時制と否定文で,さほどつながりはありませんが作りかたには共通するところがあり,おのおのが短いので 1 回にまとめてしまいます (ちなみに「未来時制」というのは言葉の綾のようなもので,これを「時制」と呼べるかには問題があります).


-ssa- による未来 (Zukunft)


未来の行為 (zukünftige Handlung) は特定の語尾〔=接辞〕によって標示されます.語幹の最後の子音を切りとりますが,〔接辞 -ssa- に続く語尾は前々回見た「過去-現在」形のそれと〕すべての動詞について同一です.

〔見出し形 aperi|voq, 語幹 aperi-「尋ねる」〕
1 単 aperi|ssaanga 私は尋ねるだろう〔以下同様〕
2 単 aperi|ssaatit
3 単 aperi|ssaaq
1 複 aperi|ssaagut
2 複 aperi|ssaasi
3 複 aperi|ssapput

2 人称と 3 人称には特別の疑問形があります.

〔見出し形 sinip|poq, 語幹 sinip-「眠る」〕
2 単 sini|ssavit? 君は寝るだろうか/つもりか〔以下同様〕
3 単 sini|ssava?
2 複 sini|ssavasi?
3 複 sini|ssappat?

未来の他動詞形を作るには,すべての動詞で -ssa- に他動詞語尾 (前回の vara, vat, vaa など) を組みあわせます:

neri|ssavara 私はそれを食べるだろう
atua|ssavara 私はそれを読むだろう
naapi|ssavarput 私たちは彼に会うだろう
atua|ssavisiuk? 君たちはそれを読むだろうか

〔欄外注:〕-ssa- 形は „soll“〔〜すべきだ〕の意味ももちます.

Tuper|mi sini|ssa|agut. 私たちはテントで〔処格〕寝るつもりだ/べきだ〔未来・1 複〕.
Angallat aqagu tiki|ssa|aq. その船は明日来るだろう〔未来・3 単〕.〔主語は原文で das Schiff と書かれていますが,自動詞文で基本形なので定・不定いずれにも訳せるでしょう.〕


-nngila- による否定


否定 (Verneinung) は切断接尾辞〔-nngila- により表され〕,その語尾はすべての動詞について同一です.

1 単 aperi|nngilanga 私は尋ねない〔以下同様〕
2 単 aperi|nngilatit
3 単 aperi|nngilaq
1 複 aperi|nngilagut
2 複 aperi|nngilasi
3 複 aperi|nngillat

3 人称単数のみ,否定疑問において特定の形をもち,そこでは -q が脱落します:sininngila?「彼は寝ないのか」

neri|nngilara 私はそれを食べなかった
atua|nngilara 私はそれを読まなかった
naapi|nngilarput 私たちは彼に会わなかった
atua|nngilisiuk? 君たちはそれを読まなかったのか

〔欄外注:〕他動詞では -va-, -ppa-, -rpa- は -nngila- に置きかえられます.

Tuper|mi sini|nngila|gut. 私たちはテントで〔処格〕寝ない.
Atuagaq atua|nngila|ra. 私はその本〔基本形〕を読んでいない〔否定・1 単・3 単〕.

これらすべての形は問題なく未来形にできるでしょう.-nngila- の前に -ssa- を挿入すればよいのです.

Angallat aqagu tiki|ssa|nngila|q. 船は明日来ないだろう〔未来・否定・3 単〕.

非常に重要な動詞として nalu(v)aa「彼はそれを知らない」があります.肯定の「知っている」は,これの否定形によって表現されます:

nalu|nngila|ra 私はそれを知っている〔否定・1 単・3 単〕

〔「知らない」が無標で「知っている」のほうが有標というのは驚くべきことで,この動詞をどのように自然に理解できるのでしょうか? 「知らない」という訳しかたには私たち日本語やドイツ語話者の先入観が否応なしに反映されています.〕


文の核 (Satzkern)


グリーンランド語の文はつねに,他動または自動の語尾のひとつを伴った動詞だけを含みえます.これは誰が中心的な行為者 (=文の主語) であるのかを確定する重要な文の核です.このことは 1 つの文に複数の動詞が必要になるときに意味をもちます.

mardi 20 juin 2017

グリーンランド語入門 (7) 定補語

グリーンランド語入門第 7 回の範囲は,Kölbl, Grönländisch, S. 44–47 です (全体の目次は第 1 回をご覧ください).前回は動詞の概説に加えて,他動詞が不定 (unbestimmt) の補語 (目的語) をもつ場合の活用について説明しましたが,今回はそれが定 (bestimmt) である場合を考えます.


定の補語


ドイツ語で定冠詞で表すような補語の表しかたを見ます.グリーンランド語には与格 (ニ格 Wemfall) も対格 (ヲ格 Wenfall) もありませんから,定の補語は基本形 (Grundform) に立ちます.すなわち単数では qimmeq のように語尾なし,複数では qimmit のように通常の複数語尾です.これに伴う動詞は他動詞形 (zielende Form) に立ちます.これについて注意しなければならないのは,補語が単数であるとき,他動詞形も同じように単数の補語に対応した形 (たとえば前回見た -vaa, -vaat) を選ばねばならないということです.複数であるときもやはり複数補語のための語尾 (たとえば -vai, -vaat) が選ばれねばなりません.

〔欄外注:〕他動詞形を伴う文において,動詞の基本形 (Grundform) はこの行為の目的語を特定 (bezeichnen) するのであり,行う者 (主語) をではありません〔意味不明.前回は動詞の基本形 Grundform = 不定形 Infinitiv はグリーンランド語にはないと言っていました.いったいどの形のことを基本形と呼んでいるのでしょうか (見出し形? それは -voq ではなく -vaa?)〕.目的語の定性 (Bestimmtheit) は,他動詞語尾の形態におけるその Wiederaufgreifung (再捕捉?) を通してのみ示されます.

Qimmeq taku|(v)aa. 彼は犬 (定) を見た.(Er sah den Hund.)
Qimmi|t taku|(v)ai. 彼は犬たち (定) を見た.(Er sah die Hunde.)

〔復習になりますが,-vaa のなかに「主語が 3 人称単数である」ということと同時に「目的語が 3 人称単数である」ことが含意されています.ここが印欧語の動詞の活用と根本的に異なる点です.〕

〔定・不定の〕区別を完全に明らかにするために,+mik のついた不定の補語をもつ文をもういちど与えましょう.不定の補語には,つねに自動詞形 (nichtzielende Verbform) が伴います.ここに基本形は行為の対象を (定の場合のようには) 特定せず――それ〔対象〕は +mik (具格) で表されます――,そうではなく行為者を特定します.すなわちたとえば次の angut です:

Angut qimmi|mik taku|voq. その男〔基本形〕はその犬 (具格) を見た.(Der Mann sah den Hund.)〔説明が前文とまったく食い違っています.わざわざ den に下線まで付されていますが,これまでの説明に照らせば einen「ある犬」では?〕
Nannu|mik taku|pput. 彼らはその白熊 (具格) を見た.(Sie sahen den Eisbären.)〔同上.〕

非常に重要なこととして,定の補語のとき行為者 (Hendelnde, または主語 Subjekt) はつねに従属格 (Abhängigkeitsfall) に立ちます.基本形はすでに行為の対象のためにとっておかれています.〔主語と補語のどちらも基本形だと困るので,こういうとき基本形が表すのは補語のほうだということ.とはいえ複数では基本形と従属格が同形なのですが.〕

Angut|ip qimmeq taku|(v)aa. その男 (従属格) はその犬〔基本形〕を見た.(Der Mann sah den Hund.)
Angut|it nanoq taku|(v)aat. その男たち (複数従属格) は白熊を見た.(Die Männer sahen den Eisbär.)

〔欄外注:〕他動詞を伴うときの従属格は,ドイツ語のガ格 (Werfall, 主格 Nominativ) に対応します.グリーンランド語の動詞が自動的であるときにかぎり,ドイツ語のガ格がグリーンランド語における基本形に訳されます.

こうした私たちにとってなじみのない構造は,いくつかの言語 (たとえばバスク語) には似たようなしかたで現れるもので,能格 (Ergativ) と呼ばれます.

〔欄外注:〕ここには一定の類似性が,私たちの受動形 (Leideform, Passiv) に対して存します:„Der Hund wird vom Mann gesehen.“〔その犬はその男に見られる.〕しかしながら,私たちが受動態をもっぱら文体的その他の理由からのみ用いるのに対して,能格構文はグリーンランド語においてまったく標準的なものです.

〔ここで類似しているというのは,「自動詞文の主語」と「他動詞文の目的語=受動文の主語」が同じ基本形/主格に置かれるという意味においてのことでしょう.いま「主格」と言いましたが,グリーンランド語やバスク語のような能格言語において,この格は「絶対格」と呼ばれます.〕

行為者 (主語)     対象 (目的語)   動詞
定または不定:基本形 不定:+mik/+nik 自動詞形
angut         qimmi|mik    takuvoq
定:従属格      定:基本形    他動詞形
angut|ip       qimmeq      takuaa

これまで私たちは 3 人称の他動詞語尾だけを扱ってきました.1 人称や 2 人称のものもあり,2 人称には特別な疑問形 (Frageform) があります.ここでは例として narivaa「彼はそれを食べた」をとります.

主語\補語 3 単   3 複    疑問形 3 単 3 複
1 人称単数 neri|vara neri|vakka
2 人称単数 neri|vat   neri|vatit  neri|viuk? neri|vigit?
3 人称単数 neri|vaa  neri|vai
1 人称複数 neri|varput neri|vavut
2 人称複数 neri|varsi neri|vasi neri|visiuk? neri|visigik?
3 人称複数 neri|vaat  neri|vaat

〔2 単・3 複疑問形 neri|vigit?「君はそれらを食べたか」の下線 (アクセント) 位置は原文がこのとおりですが,規則に従えばもうひとつ前のはずです.正誤不明.〕

子音幹〔の動詞〕では,-v- のかわりに -pp- が現れます:たとえば naapip|parput「私たちは彼に会った」.また r-幹では -rp- です:atuar|para「私はそれを読んだ」,atuar|pakka「私はそれらを読んだ」.それ以外ではすべての動詞について語尾は同一です.

Qimmeq taku|(v)ara. 私はその犬〔基本形〕を見た〔1 単・3 単〕.
Qimmi|t taku|(v)akka. 私はその犬たち〔複数基本形〕を見た〔1 単・3 複〕.
Nanoq taku|(v)arput. 私たちはその白熊〔基本形〕を見た〔1 複・3 単〕.
Nannu|t taku|(v)avut. 私たちはその白熊たち〔複数基本形〕を見た〔1 複・3 複〕.

2 人称以外のすべての人称について,疑問形は平叙形 (Aussageform) と同じです.

Tuttu taku|(v)iuk? 君はそのトナカイを見たか〔2 単・3 単疑問形〕.
Tuttu taku|(v)aa? 彼はそのトナカイを見たか〔3 単・3 単〕.

lundi 19 juin 2017

グリーンランド語入門 (6) 動詞

グリーンランド語入門第 6 回の範囲は,Kölbl, Grönländisch, S. 40–44 です (全体の目次は第 1 回をご覧ください).前回までで名詞についての説明がひと段落し,いよいよ両輪のもう片方である動詞に関する説明に入ります.


動詞


ちゃんとした文のためには動詞が必要です.動詞は名詞に比べてずっと規則的であり,いくつかの点ではドイツ語の動詞よりも厳密です.


3 つの動詞幹


動詞は語幹から 3 つの類に分類され,これは屈折と接尾辞付加にとって重要です.動詞幹 (Verbalstamm) は見出し形 (Nennform) の最後の 3 文字を除去することで得られます.

見出し形 語幹
aperi|voq aperi- 母音で終わる=母音幹 (V-Stamm)
sinip|poq  sinip- 子音で終わる=子音幹 (K-Stamm)
atuar|poq atuar- r で終わる= r-幹 (R-Stamm)

グリーンランド語〔の動詞〕には基本形 (Grundform, または不定形 Infinitiv) がありません.辞書における見出し形としては 3 人称単数が与えられます.

追加的な接尾辞がなければ,すべての人称において動詞は現在 (Gegenwart) および過去 (Vergangenheit) を表します.疑わしい場合には,動詞はむしろ過去時制形 (Vergangenheitszeitform) として,すなわち現在までに行われた行為の状態または結果として,解釈されやすいです.〔この説明では現在完了的に聞こえますが,次の 3 例でタ形で訳したものの原文は過去形 fragte, schlief, las です.〕

aperivoq 彼/彼女/それ〔以下略〕は尋ねた,または尋ねる.
sinippoq 彼は眠った,または眠る.
atuarpoq 彼は読んだ,または読む.


過去-現在 (Vergangenheit-Gegenwart)


動詞は「私は行く,君は行く,彼は行く」等々の変化表に従って屈折します.このために必要とされる語尾は,ひとつの語幹〔類〕のすべての動詞について同一です.

人称 母音幹   子音幹    r-幹
1 単 aperi|vunga sinip|punga  atuar|punga
2 単 aperi|vutit  sinip|putit  atuar|putit
3 単 aperi|voq  sinip|poq  atuar|poq
1 複 aperi|vugut sinip|pugut  atuar|pugut
2 複 aperi|vusi  sinip|pusi  atuar|pusi
3 複 aperi|pput   sinip|put   atuar|put

人称代名詞は追加的には必要とされません.語尾の屈折のうちにつねに含意されているためです.


疑問形 (Frageform)


疑問においては,1 人称単数・複数を除いて特別の形が必要とされます.

人称 母音幹   子音幹   r-幹
2 単 aperi|vit?  sinip|pit?  atuar|pit?
3 単 aperi|va?   sinip|pa?  atuar|pa?
2 複 aperi|visi?  sinip|pisi?  atuar|pisi?
3 複 aperi|ppat?  sinip|pat?  atuar|pat?

Oli sinip|pa?  オレ (Ole) は眠っている/眠ったか?
Suu, sinip|poq.  はい,彼は眠っています/眠りました.


±mik/±nik を伴う不定の補語 (unbestimmte Satzergänzung)


〔ergänzen は「補う,不足を満たす,完全にする」の意ですから,Satzergänzung をここでは「補語」と訳しますが,次の文にもあるとおりこれは「目的語」と同義です.たとえばフランス語文法でも目的語をかならず「直接目的補語 (COD),間接目的補語 (COI)」と呼ぶ習わしになっていますから,これは決して変な訳語ではありません.英文法の用語のように目的語 O と補語 C とをなにか対立するもののようには考えないでください.〕

グリーンランド語文の構造 (Aufbau) は,行為の目的 (Ziel der Handlung, または目的語 Objekt) が定 (bestimmt) であるかないかにだけ依存しています.行為がなにか不定のものに対して行われるとき,この不定のものは具格に置かれます.この具格は「〜と,〜で」を意味するのではなしに,たんに「ある〔不定の〕」を意味します.

Qimmi|mik taku|vunga.  私はある犬 (単数具格) を見た.
Nannu|nik taku|vugut.  私たちは白熊たち (複数具格) を見た.


目的語をとる動詞・目的語をとらない動詞


「目的語をとる (zielend)」と「目的語をとらない (nichtzielend)」との区別はグリーンランド語にとって根本的に重要です.目的語をとる動詞 (あるいは他動詞 transitive) は,つねにその後ろに行為の目的を記述する〔「〜を」という〕補語 (Satzergänzung) を従えます.

他方,目的語をとらない動詞 (または自動詞 intransitive) は,「を」なしに単独で立ちます.たとえば「眠る」がそうで,「私はそれを眠る」は意味をなしません.

目的語をとる動詞は,すべての人称について自身の完全な語尾の組をもっています.またそれら〔の動詞〕はつねに 3 つの動詞幹〔類〕のうちの 1 つに属します.単語リストにおいてそれらは語幹に応じて -(v)aa, -ppaa, -rpaa とともに与えられます.

neri|vaa (母音幹) それを食べた
taku|(v)aa (母音幹) それ/彼/彼女を見た (v は u と a の間で脱落しますが,それでも母音幹です)
naapip|paa (子音幹) 彼/彼女に会った
atuar|paa (r-幹) それを読んだ

〔「それ」と書いたり「彼/彼女」と書いたりしていますが,ドイツ語では上記「会った」を除いてすべて ihn/sie/es の 3 性併記です.ドイツ語では食べたり読んだりする対象が男性名詞や女性名詞でありうるためですが,日本語では「彼を食べた」や「彼女を読んだ」とは言いがたいためこのようなばらつきが生じています.〕

〔「会った」のところは „begegnete ihm/ihr“ と 3 格で日本語もニ格ですが,グリーンランド語では他動詞として扱われるようで,こうしたことはいまさら注意する必要もないでしょう.日本語と格 (助詞) が食い違う有名な例である,英語の to marry やドイツ語の helfen などを想起してください.〕

他動詞〔の活用〕形は,誰が誰に何々をしたか (wer wem etwas tut) を叙述します〔etwas tun という構文のせいでやむなく「誰に wem」と 3 格ですが,上の説明に照らせばむしろ 4 格とみなして「誰が誰を何した」とまとめたほうがすっきりするかもしれません.つまり動詞の活用形は「誰が」という主語の人称変化のみならず,補語の人称変化をも含むということです〕.こうした動詞形は,「彼に/彼女に」(ドイツ語のニ格 Wemfall) や「彼を/彼女を/それを」(ドイツ語のヲ格 Wenfall),はたまたドイツ語〔日本語〕ではその他多くの単語に対応する意味を,不可分に含みます.

他動詞の語尾からは,行為をしたのが 1 人なのか複数人なのかと同時に,それによって影響を受ける目的語が 1 つなのか複数なのかということも見分けられます:

neri|vaa「彼はそれを食べた」
neri|vai「彼はそれらを食べた」
neri|vaat「彼らはそれを食べた」
neri|vaat「彼らはそれらを食べた」

多くの動詞は他動・自動が変更可能〔日本語のようにどちらにも使える〕ですが,すべてではありません.自動詞,たとえば atuarpoq「彼は読む〔読書する?〕」を他動詞にするためには,自動詞語尾を他動詞語尾に変えます:atuarpaa「彼はそれを読む」.

他動詞を自動詞にするためには,たいてい -i- または -si- (何か etwas) を挿入すれば得られます.たとえば tuni|vaa「彼はそれを売る verkauft es」,tuni|si|voq「彼は何かを売る verkauft etwas」.

samedi 17 juin 2017

グリーンランド語入門 (5) 名詞の屈折

グリーンランド語入門第 5 回の範囲は,Kölbl, Grönländisch, S. 35–39 です (全体の目次は第 1 回をご覧ください).今回は名詞の屈折に関する章で,文法用語もいままで以上に多く出てきます.

以前にも少し注意しましたが,グリーンランド語を含むエスキモー諸語については日本語で書かれた文献が僅少のため,専門的な術語にいまだ訳語が存在しないかあるとしても調べがつかないということが少なくありません.そういう場合は私が無理やり訳語を発案することになりますが,日本語にしても通りがよくなかったり思わぬ誤訳もあるかもしれないので,括弧内に併記する原語を参考にしてください.


名詞の屈折


場所の関係は,3 つの特別な格によって表現されます.


場所格 (Ortsfall):±mi/ni, ±mut/nut, ±mit/nit


処格 (Lokativ)「〜で,に;のそばで」:単数 ±mi, 複数 ±ni.
向格 (Allativ)「〜へ,に」:単数 ±mut, 複数 ±nut.
奪格 (Ablativ)「〜から」:単数 ±mit, 複数 ±nit.  場所の起点だけでなく,素材を表す「〜からできている」にも使います.

〔これらの格の名称は定訳があるもので,やや目慣れないと思われる「向格」もフィンランド語やエストニア語などで現に使われているものです.「奪格」はそれらに加えてラテン語やサンスクリット語などでもおなじみでしょうが,フィンランド語のように (内格,入格,出格),(接格,向格,奪格) という場所格の 3 つ組がある言語では,対応関係の明示のためか「離格」と呼ぶこともあり,これに倣ってもよいでしょう.「処格」には「所格」「地格」「位格」など多数の別名があり,日本語の文献では著者の好みに応じて使われています.〕

± は,その語尾の子音が類に応じて切断的 (abgeschnitten) にも調和的 (angeglichen)〔=同化的〕にもなることを意味します.〔接尾辞の分類と付加のしかたについては第 2 回を見なおしてください.〕

1 類では次のとおりです:母音にはこれらの語尾が直接付加されます.-k はつねに m-, n- に同化されます.-t は m- の場合だけ同化し,n- は決してしません.-q はこの類では脱落します.

illu → 単数 illu|mi「家で」,複数 illu|ni「家々で」.panik → panim|mi「娘のそばで」,panin|ni「娘たちのそばで」.angut → angum|mi「男のそばで」,angut|ini「男たちのそばで」.arnaq → arna|mi「女のそばで」,arna|ni「女たちのそばで」.

2 類ではこれらの語尾はつねに語幹につきます.〔atua·gaq, atuakka|t →〕単数 atuakka|mi「本 (のなか) で」,複数 atuakka|ni「本たちで」.

3 類ではつねに同化的 (angleichend) です.-k からは -m-, -n- に,また -q からは -r になります.

ateq → 単数 ater|mi「名前で」,複数 ater|ni「名前たちで」.kamik → kamim|mi「長靴で」,kamin|ni「長靴たちで」.

場所格では〔固有名詞である〕地名の場合も変化します:〔Nuuk →〕Nuum|mi「ヌークで」,Nuum|mut「ヌークへ」,Nuum|mit「ヌークから」.


具格 (またはニヨッテ格 Wie-/Womitfall):±mik/nik


具格 (Instrumental) はさまざまな用法をもつ重要な格です.これはある行為が「何によって womit」遂行されるかを意味します.±mik/nik で,場所格と同様に付加します.〔「〜によって,とともに」というのは「具」という字面からもあからさまな,印欧語でもおなじみの具格の用法ですが,次回見るとおりグリーンランド語の具格にはこのほか「不定の目的語」という重要な用法があります.〕

panim|mik, panin|nik「娘 (たち) とともに」.atuakka|mik, atuakka|nik「本 (たち) で」.kamim|mik, kamin|nik「長靴 (たち) で」.


通格 (via-fall):-kkut/±tigut


通格 (Vialis) は「〜を経由して,を通って,の上を」を意味し,とられる道や,何かが起こるところのはっきり定まった場所 (署名をするところ,体の痛む箇所,など) を意味します.〔Vialis は prolative とも呼び,ここでは「通格」と訳しておきますが,via- ですし「経由格」のほうがはっきりするかもしれません.「通格」はトカラ語文法では perlative の訳語と決まっていますが,文献一覧で紹介した Sadock ではこの格が perlative と呼ばれています.Prolative との違いとは?〕

1 類の場合:単数語尾 -kkut は基底形につき,-q/-k は落ちます.-t の後ではつなぎの -i- が挿入され -ikkut となります.複数語尾 ±tigut は語幹につき -itigut となります.

2 類の場合:-kkut, ±tigut ともに語幹につきます.

3 類の場合:-kkut は基底形につき,-q/-k は落ちます.±tigut も基底形につき,-q は -r になります.

-k と複数語尾 +tigut は融合 (verschmelzen) し,そのさい〔*-kt- は〕次のように変化します.-ik で終わる語 + tigut では -issigut, また -ak/-uk で終わる語では -atsigut/-utsigut となります.

matu· (1)「扉」→ matu|kkut, matu|tigut「扉 (たち) を通って」.
seeqqo·q (1)「膝」→ seeqqu|kkut, seeqqu|tigut「膝 (たち) のところで (痛むなど)」.
serme·q (3)「氷河」→ sermi|kkut, sermer|tigut「氷河の上を」.
umiarsua·q (3)「船」→ umiarsua|kkut, umiarsuar|tigut「船によって,船便で」.
Narsarsua·q (3)「ナルサルスアーク (地名)」→ Narsarsua|kkut「ナルサルスアークを通って」.


等格 (またはノヨウニ格 so-wie-Fall):±tut


この等格 (Äqualis) は単数と複数がつねに同形で,「〜のように」を意味します〔これも市民権を得た訳語ではありませんが,equa- なので無茶な訳ではないでしょう.別案としては,「同格」は apposition と競合するため論外,「様格」は essive の定訳ゆえ問題があります (ある程度用法は重なりそうですが)〕.

-i の後ではしばしば -sut になります.その他の場合 ±tut は〔上の〕±tigut と同様に付加し,したがって -k との融合も起こります.

illu|tut「家 (々) のように」,ater|tut「名前 (たち) のように」,panis|sut「娘 (たち) のように」,inut|tut「人 (々) のように」.

-tut はほかの格語尾に付加されることもできます:Danmarkimi「デンマークで」→ Danmarkimisut「デンマークでのように」.

等格は言語名としても使われます:kalaaleq「グリーンランド人」+ -tut → kalaalli|sut「グリーンランド人のように,グリーンランド語」.


所有標識 + ni/nut/nit/nik


所有標識は屈折語尾と組みあわさることができ,たとえば illuga「私の家」+ ni「で」=「私の家で」となります.単数・複数いずれでも +ni/nut/nit/nik を用います〔単数でも m 系列でないことに注意〕.

〔処格語尾の〕+ni は所有標識とも同じですから,そのために多義的な形が生じることもあります.

前回やったものとは異なる〕ほかの所有標識が挿入されることがあります:-mi- が「彼自身の」〔4 人称単数〕,-tsi- が「私たちの」〔1 人称複数〕です.〔所有されるものの〕単数と複数は,3 人称においてのみ区別可能です.

illu「家」         illut「家々」
illu|nni「私の家で」    illu|nni「私の家々で」
illu|nni「君の家で」    illu|nni「君の家々で」〔以下同様〕
illu|ani「彼の家で」    illu|ini
illu|mini「彼自身の家で」  illu|mini
illu|tsinni「私たちの家で」  illu|tsinni
illu|ssinni「君たちの家で」 illu|ssinni
illu|anni「彼らの家で」   illu|ini
illu|minni「彼ら自身の家で」 illu|minni

2 類と 3 類の子音で終わる語では,さまざまな同化が起こります.しかしこれは完全に規則的に行われるので,みなさんがご自分で導けるでしょう.たとえば panik についての〔変化〕形を知っていれば,同じ類からの orpik「木」についても応用できます.


グリーンランドとグリーンランド語


いまや私たちは,当地の名前 Kalaallit Nunaat の本当の意味を理解できます:kalaa·leq, -llit (2)「グリーンランド人」,nuna·, -t (1)「土地」ですから,Kalaallit Nunaat とは「グリーンランド人たちの土地」です.〔Kalaallit のほうは,複数では基本形と従属格が同形なのでした (前々回).nuna は 1 類で母音で終わり,それに 3 人称複数の所有標識 -at がついています (こちらは前回).〕

グリーンランド人はたいてい彼らの土地のことを,自分たちのあいだでは nunarput「私たちの土地」と名指します.したがって「グリーンランドで」はしばしば nunatsinni「私たちの土地で」,「グリーンランドへ」は nunatsinnut「私たちの土地へ」などなどと呼ばれます.

vendredi 16 juin 2017

グリーンランド語入門 (4) 所有表現

グリーンランド語入門第 4 回の範囲は,Kölbl, Grönländisch, S. 31–34 です (全体の目次は第 1 回をご覧ください).前回学んだ名詞の 3 分類と複数形の作りかたを前提に,今回は所有の表しかたを学んでいきます.


所有表現


所有関係 (Besitzverhältnisse) を表すためには,所有者を従属格 (Abhängigkeitsfall) に置き〔従属と言うと人と物の主従が逆なように感じますが,文法上たとえば「彼の本は」というときに本のほうが「主体」で持ち主は背景的です〕,所有されるものにはさらに「彼の」などを表す語尾がつけられます (男性と女性の所有者で同形です).

所有物が  所有者が 1 人  所有者が複数
単数    -a「彼/彼女の」 -at「彼ら/彼女らの」
複数    -i*       -i (a の後では -at)

* これを含むいくつかの場合でのみ,a の後で -i が保たれます:assa|i「彼/彼女の手」〔前々回に見た A-法則を思いだしてください〕.

所有関係になると〔所有されるものの〕複数語尾はもはや -t ではなくなり,-i または -at となります.

angutip illu|a「男の家」(文字どおりには「男の彼の家」.以下同様)
angutip illu|i「男の家々」
angutit illu|at「男たちの家」
angutit illu|i「男たちの家々」

固有名詞でも同様です:

Olip atuagai「オレ Ole の本たち」(wörtl.「オレの彼の本たち」)〔無生物に「たち」は変ですが,いちいち「(複数)」などと付すのも煩雑なので以下このようにします.〕
Mariap qimmii「マリアの犬たち」
Benedikt’ip qimmia「ベネディクトの犬」

子音で終わるグリーンランド語ではない名前については,つねにアポストロフィをつけて ’ip とします.


私の・君の:所有標識 (Besitzanzeiger)


所有を表す「私の」「君の」「私たちの」などについても〔それを表す〕語尾があり,すべての名詞についてほとんど同じ形です.ただしそれぞれの類によって接尾辞を付加するさいのふるまいが異なります.グリーンランド語では男性と女性を〔文法上〕区別しないので,「彼の」を表す語尾と「彼女の」は当然同じです.

反対に,ドイツ語が単数と複数で 3 つの人称をもつのに対し,グリーンランド語には第 4 の人称があります.これは「彼/彼女/それ自身」のような意味です.

1 人称単数「私の」:〔被所有物が〕単数 -ga (-ra), 複数 -kka.
2 人称単数「君の」:単数 -t, 複数 -tit.
3 人称単数「彼の」:単数 -a, 複数 -i.〔これはすでに上で見たものです.〕
4 人称単数「彼自身の」:単数 -ni, 複数 -ni.
1 人称複数「私たちの」:単数 -rput, 複数 -vut.
2 人称複数「君たちの」:単数 -rsi, 複数 -si.
3 人称複数「彼らの」:単数 -at, 複数 -i (-at).〔これも前述.〕
4 人称複数「彼ら自身の」:単数 -rtik, 複数 -tik (-sik).

〔ドイツ語の 3 人称にあたるもので同じ「彼の」と言うときに〕その人自身が所有するのか,べつの誰かが所有するのかが,厳密に区別されます.たとえば 3 人称の illu-a と 4 人称の illu-ni はいずれも「彼の家」と訳せますが,「彼は彼の家を見る」のような文において 2 人の「彼」が同一人物〔4 人称〕なのか別人〔3 人称〕なのかで違いがあります.

〔この場合,日本語ではドイツ語と反対に,再帰形の 4 人称のほうが「彼は彼の」として適切で,別人を表す 3 人称のほうは「彼はその人の」とでも訳したほうがよいでしょう.4 人称という名称はあまりうまくありません,というのも話し手と聞き手以外の第 3 者に続いて「第 4 の人物」が出てくる場合には「3 人称」を使い,「4 人称」のほうは「3 人め」の同じ人を表すのですから.〕

括弧のなかの形は別形で,特定の場合に用いられます.-ra は基本形が -q で終わる語に対してつねに必要になります.-at は〔上で見たとおり A-法則が働く場合に〕-a の後でつねに用いられます.-sik は -i の後で,残念ながらつねにではありませんがしばしば現れます.

〔上記の一覧は〕基本的にすべての類について適用できます.「君の」を表す -t はつねに〔所有されない単独の〕複数形と同形です.このため illut は「君の家」「家々」「家々の」(複数従属格) の 3 通りの意味をもちます.


1 類の所有標識


1 類の名詞に所有標識 (Besitzanzeiger) をつけるさい,〔もとの単語の〕末尾の文字に注意しなければなりません.このとき所有標識は以下の規則に従って変化します:

単語の末尾が
  • -a, -i, -u のとき:そのままつける,ただし Q-R-法則には注意.
  • -q のとき:-q をとって語尾をつける.「私の」では -ra.
  • -k のとき:-k をとって語尾をつける.「君の」は -it, 「私たちの」「君たちの」「彼ら自身の」は -pput, -ssi, -tsik.
  • -t のとき:すべての語尾の前につなぎ母音 (Bindevokal) を挿入する.3 人称では -a-, それ以外では -i-. 「彼らの」はつなぎ母音 a + -at なので -aat.

-i で終わるいくつかの語では,3 人称語尾の前でこの -i を -a に変えます:ini「部屋」,inaa「彼の部屋」,inaat「彼らの部屋 (単数または複数)」.

単語が長母音で終わる場合,母音を伴う語尾の前に -v- が加えられます:angajoqqaat「両親」,angajoqqaavi「彼の両親」.


2 類・3 類の所有標識


2 類では,母音または -r-〔で始まる〕語尾は単数基本形につき (このさい〔もとの単語の〕-q および -k は脱落します),それ以外のすべての語尾は語幹につきます.

〔基本形 atua·gaq, -kka|t に対し〕atuaga|ra「私の本」,atuakka|kka「私の本たち」,atuakka|t「君の本」,atuaga|i「誰かほかの人の本」.

3 類では,3 人称語尾および「君の」の -(i)t は語幹につき,ほかは基本形につきます (-q および -k は脱落します).

〔基本形 a·teq, -qq|it に対し〕ate|ra「私の名前」,aqq|a「彼の名前」(3 人称単数),aqq|it「君の名前」,ati|ni「彼自身の名前」(4 人称単数)〔基本形 ateq から -q を落として -ni をつけていますが,このさい Q-R-法則によって e が i に戻っています〕.

グリーンランド語入門 (3) 名詞の分類

グリーンランド語入門第 3 回の範囲は,Kölbl, Grönländisch, S. 28–30 です (全体の目次は第 1 回をご覧ください).今回は名詞とその分類について見ていきます.


名詞:1 類,2 類,3 類


名詞には性も冠詞もありません.illu は „Haus“, „ein Haus“, „das Haus“ どれをも意味します〔日本人にとってはとてもありがたいことです〕.名詞は基本形 (Grundform) において -a, -i, -u, -k, -q, -t のいずれかでだけ終わります.それらは屈折によってさまざまに変化するので,3 つに分類しておくと便利です.この分類は基本形からは推測できないので逐一明記します.

いちどにすべてを説明するわけにはいかないので,まずは次のことだけ知っておいてください.2 類と 3 類の単語は -gaq や -neq のような末尾音節 (Endsilbe) をもち,屈折および接尾辞の付加のさい,つねにとある決まったしかたで変化します.1 類にはそのような末尾音節はなく,いくつかの場合にのみ屈折で変化があります.


-t による複数形の作りかた


複数形のための語尾は -t で,つなぎ母音 (Bindevokal) を伴うと -it, また a の後では -at になります (A-法則!).以下で „·“ の点は,どこに複数形〔の語尾〕がつくかを表します.arna·q のような単語の部分で,点よりも左側は単数・複数共通,右側は複数を作るとき置き換わります.複数形からその語尾を取り除くことで,屈折のさい必要な語幹が得られます.〔語幹を識別するため〕複数形を縦棒 (|) とともに表すことにします.従属格についてはすぐあとで見ます.

基本形,複数,類  単数形  複数形  語幹  単数従属格
illu·, -t (1)「家」  illu   illu|t   illu-   illu|p
arna·q, -t (1)「女」 arnaq  arna|t  arna-  arna|p
inu·k, -it (1)「人」  inuk   inu|it   inu-   inu|up
assa·k, -at (1)「手」 assak  assa|at  assa-  assa|ap
angut·, -it (1)「男」 angut  angut|it  angut-  angut|ip

2 類と 3 類では,複数形で末尾音節がつねに変化します.

基本形,複数,類     単数形  複数形  語幹   単数従属格
atua·gaq, -kka|t (2)「本」 atuagaq  atuakka|t  atuakka-  atuakka|p
na·noq, -nnu|t (2)「白熊」 nanoq   nannu|t  nannu-  nannu|p
a·teq, -qq|it (3)「名前」  ateq   aqq|it   aqq-   aqq|up
ka·mik, -mmi|t (3)「長靴」 kamik  kammi|t  kammi-  kammi|p
erne·q, -r|it (3)「息子」  erneq  erner|it  erner-  erner|up
qajaq, qaanna|t (2)「カヤック」 qajaq qaanna|t qaanna- qaanna|p

最後の qajaq は,単語全体が強く変化するめずらしい例です.


-p による従属格


名詞は文中での働きに応じてさまざまな屈折語尾 (Beugungsendung) をとります.従属格 (Abhängigkeitsfall) は 2 つの重要な構文で必要とされます.1 つは属格 (Wesfall ノ格または Genitiv) に対応し,第 2 の使用格 (Anwendungsfall) にはまた後で出会うことになります.これは複数形から導くことができ,複数語尾が -t か -it かに応じて変わります.

1 類:複数の -t を -p に置き換える.-k で終わる語では,複数の -it を -up にする.-t で終わる語では,複数の -it を -ip にする.
2 類:複数の -t を -p に置き換える.
3 類:複数の -t は -p に,-it は -up に置き換える.

illup「家の」〔1 類 -t〕,angutip「男の」〔1 類 t, -it〕,qaannap「カヤックの」〔3 類〕.

複数の従属格は複数基本形と同じ:illut「家々」または「家々の」,angutit「男たち」または「男たちの」.

-p または -t をつけ,それから +lu「と」をつけると,〔前回説明した同化接尾辞の〕規則によってまったく同じ語尾になります:

illut「家々 (の)」+ lu = illullu「と家々」または「と家々の」,illup「家の」+ lu = illullu「と家の」.

jeudi 15 juin 2017

グリーンランド語入門 (2) 単語の組み立てかた

グリーンランド語入門第 2 回の範囲は,Kölbl, Grönländisch, S. 24–27 です (全体の目次は前回をご覧ください).原著の章のタイトルは „Baukasten I: Wie Grönländisch funktioniert“ (積み木箱 1:グリーンランド語の機能のしかた) ですが,日本語にするとこれでは意味がわからないので,少しひねって見出しを「単語の組み立てかた」としてみました.


単語の組み立てかた


グリーンランド語でポイントとなるのは付加音節 (Anhängesilbe) です.3 段階に分けて説明します.〔今回は „Baukasten I“ ですが,後の S. 59ff. と S. 92f. に II「重要な接尾辞」と III「接尾辞の順序」があるということです.つまり仕組みそのものの説明はこの回で完結します.〕


付加音節 (または接尾辞)


地名の Qeqertarsuaq, Kangerlussuaq, Narsarsuaq から始めましょう.地名はたいてい意味をもっており,ここでは「大きな島」「大きなフィヨルド」「大きな平原」です.そう言えば „suaq“ が「大きな」のような意味をもちそうだと想像できるでしょう.

〔Qeqertarsuaq はグリーンランド西岸沖に浮かぶ,本島に次いで大きな島 (といっても約 250 倍の開きがあり,日本で言えば四国の半分足らずの大きさ) であるディスコ島南岸の港町であり (人口 845 人:2013 年),ディスコ島そのものを指す名前でもあります.Kangerlussuaq は 190 km の長さをもつ西部グリーンランド最大のフィヨルドの最奥に位置する町 (人口 499 人:2016 年) であるとともに,やはりそのフィヨルドの名前も兼ねます.Narsarsuaq はグリーンランド南部の町で (人口 145 人:2015 年),サガにもある赤毛のエイリークの定住した「東植民地 Eastern Settlement」に含まれる土地です (エイリークの屋敷のあったブラッタフリーズ Brattahlíð はここから南西わずか 5 km).Kangerlussuaq と Narsarsuaq には空港があり,これらはグリーンランドにある民間の (軍用でない) 空港としては最大の 2 つです.〕

グリーンランド語の中心的な考えかたは,基本語 (Grundwort) に対しそれを説明ないし明確化する接尾辞 (Suffix) をくっつけ,それでもって誰が何をどのようにするかを表すというものです.ときにはひとつの接尾辞に,ドイツ語〔日本語〕で言うところの形容詞や動詞,あるいはなかば文でさえあるような,さまざまな意味が対応することがあります.それらはときに副次的意味 (Nebenbedeutung) をもっており,+suaq は「大きな」ですがさらに「否定的な negativ」「醜い,嫌な hässlich」「愚かな dumm」等々の含みを伴うことがあります.


音の同化 (Lautangleichung)


接尾辞の付加による単語の変化はやりかたがあります.2 つの異なる子音 (たとえば g + l) が並ぶとき,前者は消滅 (verschwinden) し後者は二重化 (verdoppeln) します.これが「イグルー (iglu)」がグリーンランド語の illu に対応する理由で,g は二重化した l のために消滅しているのです.ts および〈r + ほかの子音〉の結合という例外を除いて,グリーンランド語の単語では 2 つの異なる子音が並ぶことはありません.


同化接尾辞・切断接尾辞


接尾辞には 2 通りがあります.〔グリーンランド語に関する日本語の本がないため,この訳語は私が勝手に発明しているだけなので注意してください (こうしたことは今後も頻発します).そのために重要な用語には原語を併記しています.もしかすると既存の本,たとえば前々回紹介した久保 1985 か言語学大辞典のようなものにはすでに定訳があるかもしれませんが…….〕

1. 同化接尾辞 (angleichendes Suffix):その接尾辞の直前にある子音を同化させます.母音の場合は影響しません.この種の接尾辞は „+“ の記号で表すことにします:+suaq「大きい」,+lu「と」.

kuuk「川 Fluss」+ suaq = kuus|suaq「大きな,幅の広い川」,kangerluk「フィヨルド」+ suaq = kangerlus|suaq「大きな,広いフィヨルド」.kuuk + lu = kuul|lu「と川」,kangerluk + lu = kangerlul|lu「とフィヨルド」.

〔ただし母音で終わる場合〕illu「家」+ lu = illu|lu「と家」.〔「と」の位置に注意してください.たとえば「川と家」は „kuuk illulu“ となります.これもまたラテン語の接続詞 -que などを思いだしますね:flumen domusque のように第 2 要素の後ろにくっつくのでした.〕

-q だけは同化のさい -r になり,このとき後続子音〔つまり接尾辞の最初の子音〕は発音上でのみ二重化します〔前回説明した〈r + 子音〉の発音規則を確認してください〕:

qimmeq「犬」+ suaq = qimmer|suaq [キンッスアク]「大きな (悪い) 犬」,narsaq「平原」+ suaq = narsar|suaq [ナッスアク]「大きな,広い平原」.

2. 切断接尾辞 (abschneidendes Suffix):その接尾辞の直前にある子音を失わせます.これは „-“ の記号で表します.この接尾辞の前に母音が立つ場合にはそのままにします.これに属するものはたとえば -lik「に与える versehen mit」があります:nuliaq「妻」は q で終わるので,この q は落として -lik を付加し,nulia|lik「妻と (結婚する)」となります.


A-法則 (A-Regel)


短い a がべつの母音に付加されるとき,後者はつねに a になります.それゆえたとえば語尾 -uvoq「だ ist」がつくとき,nuna「土地 Land」+ uvoq = nuna|avoq「土地だ ist Land」となります.


旧正書法と新正書法:igdlu と illu


1973 年,グリーンランドでは抜本的な正書法改革が行われました.それ以来グリーンランド語は,発音されるとおりに書かれるようになっています.ただし地図などではいまだに旧正書法のつづりに出会うことがありますから,簡単に注意をしておきます.旧正書法はむしろ文法的関係に立脚していました.これには屈折に際した形の変化がわかりやすいという利点があったのですが,その反面つづりの規則が複雑化していました.とりわけ発音上の多数の音声同化が文字の上に表されていませんでした.


グリーンランド語の品詞


グリーンランド語は本質的に名詞と動詞によって成り立つもので,これに代名詞と場所および時間の言明が加わります.形容詞は接尾辞や特殊な動詞などによって表され,また接続詞もその他の特別な動詞の形によって補われます.

mercredi 14 juin 2017

グリーンランド語入門 (1) アルファベットと発音

目次


グリーンランド語の学習のために (参考文献一覧)
第 1 回 アルファベットと発音 (このページ)
第 2 回 単語の組み立てかた
第 3 回 名詞の分類
第 4 回 所有表現
第 5 回 名詞の屈折 (主な斜格)
第 6 回 動詞 (疑問形,不定補語)
第 7 回 定補語 (能格性)
第 8 回 未来・否定
第 9 回 形容表現
第 10 回 比較級・副詞


まえがき


前回紹介したグリーンランド語に関する書籍のうち,Richard Kölbl, Grönländisch. Wort für Wort. Reise-Know-How-Verlag, ²2013 を用いてこれからグリーンランド語の初歩を勉強していきましょう.初回の範囲は同書の S. 17–21 です.ドイツ語からの完全に忠実な翻訳ではなく,適宜端折る形で書いていきたいと思います (訳に伴う改変はもっぱら省略だけで,補足する場合には括弧に入れて明示します).

グリーンランド語の単語の意味はドイツ語からの重訳となってしまうので,あいまいさや語弊が生じそうなところでは原語を併記します.たとえば「arnaq 女 (Frau)」とあるのは「女」だけでなく「妻」の含意がありうるという注意喚起をする意図ですし,逆に「uiga 私の夫 (mein Ehemann)」の併記は訳者の私が勝手に「夫」と限定したのではないことを安心してもらうためのものです.いずれにせよ最終的には上記リンクの原典をご購入ください (安いので).

また角括弧 [……] 内は原文で IPA ではなくドイツ語式のフリガナ (長母音を h で表すなど) が書かれているので,本稿ではカタカナで映しアクセント位置 (原文下線) は太字で表記します.前述のとおり,わかりやすさのため原文にない言葉を補う場合や私の独自に追加する所感は亀甲括弧〔……〕に入れておきます.


アルファベットと発音


グリーンランド語はラテン文字で書かれます:a, e, f, g, i, j, k, l, m, n, o, p, q, r, s, t, u, v〔18 文字〕.デンマーク語からの借用語では b, c, d, h, w, x, y, z, æ, ø, å も見られます.つづりは発音のとおりで,短い音は単一の文字,長い音は二重の文字に対応します.


母音の発音


a, i, u が基本母音 (Grundvokal) です.e と o はそれぞれ i と u の変種〔=条件異音〕として,q および r の前の位置で現れます.anaana [アナーナ] 母,ini [イ] 部屋,uunga [ウーンガ] そこへ (dorthin),qeqertaq [ケタク] 島,qooroq [コーロク] 谷.

〔5 種なので基本的に日本語のアイウエオで通じるでしょう.こういうとき u だけはヨーロッパの多くの言語で注意されるとおり唇を丸めて突き出しはっきりとと考えがちですが,„Lippen aber ungespitzt“ とあるのであまり尖らせすぎないほうがよさそうです.また e は「„Gabe“ の e に似ている」とあるのであいまい母音に近いようです.〕


子音の発音


〔この節だけは説明の都合上,かなり自由に順番を入れかえたり IPA の記号を加えるなど,原文の改変が多くなっています.〕

〔ほとんど注意がいらない音:〕子音の発音は,j, l, m, n, ng, s は見たとおり発音します〔j も多くの言語と同様 [j].ng は [ŋ] ですがカナ表記で半濁点のカ゚行では書かないことにします〕.s はつねに無声〔後述する ll のため,si は [スィ] でなく [シ] と書くので注意してください.音素としての /ʃ/ はないのでたぶん問題にはならないと思いますが〕.また f と v〔は英語と同様 [f], [v] です〕.

p, t, k は無声無気音で,決して帯気音にはしません (keinesfalls hart-stimmlos bzw. behaucht)〔本書のドイツ語話者向けのフリガナでは b, d, g と書かれていますが,カタカナでは清音で書くことにします〕:panik [banig] [パク] 娘.〔英語やドイツ語に慣れていると無声破裂音を帯気音にしてしまいがちですから,そのためもあって有声音字で書かれているのでしょう.こう書くということは [バグ] と読んでも通じる,むしろ誤って帯気音になってしまうほうが通じにくいということだと思います.〕

〔一定の注意はいるがわかりやすい音:〕ts は [ts] で,te, ti の t〔つまり前舌母音の前で〕は [ts] の音になります:ateq [アツェク] 名前,tii [ツィー] 茶.q は〔長々と書いてありますが要するにアラビア語でおなじみの〕[q] です:qajaq [カク] カヤック.

r は北部ドイツの口蓋垂の r (Zäpfchen-„r“) です〔カタカナではしかたないのでラ行で書きます〕.ただし他の子音の前にくるときは注意で,このときは r が弱くしか聞こえなくなり次の子音を長く発音させます:sarfaq [ッファク] 川,流れ (Strom),arnaq [ンナク] 女 (Frau).

〔かなりわかりにくいつづり,難しい音:〕g は外来語を除いて有声摩擦音の g〔つまり [γ].これもカタカナでは [g] と区別困難です〕:uiga [ウイ] 私の夫 (mein Ehemann).外来語では破裂音の g:Guuti [グーティ] 神,gassi [ッシ] ガス.しかし gg は軟らかい ich-Laut の ch:naagga [ナーヒャ] いいえ.

ll は無声の l (stimmloses „l“) で,„Ichling“ の chl〔無声の l というとデンマーク語やアイスランド語に見られる [l̥] と思いがちですが,実際にはウェールズ語の ll でおなじみの側面摩擦音の [ɬ] のことのようです (Sadock はまさに ‘Welsh ll’ と説明しています).それゆえ chl にあたる [ヒラ] や [フラ] ではなく,[ッスァ] 行で書くことにします〕:illu [ッス] 家〔これはイヌクティトゥット語の「イグルー」(iglu) と同源語です〕,illillu [ッスィッス] 同様に (gleichfalls).

rl は,r が前述のとおり次の子音を二重化し自身が弱くなるので,弱い r + ll となります:arlaat [アスァート] そのうちのひとつ (einer davon),qarliit [カスィート] ズボン.また rr は ach-Laut の ch であり上記 gg の硬音:karra [ッハ] 岬.

t は前述のとおり無気音であることに注意するのに加え,語末ではシュー音の余韻を残します (mit zischendem Nachklang „sh“):tuluttut [トゥットゥチュ] 英語.


Q-R-法則 (Q-R-Regel)


i または u が屈折 (Beugung) によって q または r の直前に立つことになるとき,例外なく e および o になります:i + q = eq, i + r = er, u + q = oq, u + r = or.〔まったく例外がないということは,逆に言えばわざわざ書き分けなくともわかるということでもあります.じっさい前回紹介した Bittner 教授によるグリーンランド語テクストはその理由から,一貫して i, u で記すという方針を掲げています.〕

ini「部屋」+ -qarpa「〜はあるか?」:ineqarpa [イネッパ] 部屋はありますか? ulu「削り器 (Schabemesser)」+ -qarpa:uloqarpa [ウロッパ].

eq, er, oq, or から q および r が脱落する,またはべつの子音に取って代わられるとき,e, o は i, u に戻ります.

qimmeq [ンメク] 犬 → qimmit [ンミッチュ] 犬たち (複数形).piniartoq [ピニットク] 猟師 → piniartup [ピニットゥップ] 猟師の (des Jägers).〔なぜかはわかりませんがこの -it と -up はフリガナで [-ittsh], [-ubb] と二重音に書かれているので [―ミッチュ], [―トゥップ] と促音を入れています.〕


二重音の発音と強勢 (アクセント)


長音と短音の区別は意味の違いを生じる〔=音韻論的対立〕ので注意しなければなりません.母音の長短はドイツ人にはわかりやすいですが〔日本語でも長音符「ー」をつけるだけ〕,グリーンランド語には子音の長短もあります〔これも日本語なら促音「ッ」や撥音「ン」と思うだけです〕:immuk [ンムク] 乳,issi [ッシ] 寒さ.後者は isi [イ] 目とは区別されます.

1 つの単語のなかに長い音が複数現れることもあります:imaluunniit [イマルーニーチュ] または (oder),Nuummiinngaanniit [ヌーミーンガーンニーチュ] ヌークから〔なぜか [ガー] のところだけアクセントを示す下線がありませんが,下のアクセント規則に照らして正しいのかわかりません〕.

〔アクセント規則:〕
  1. 長母音には強勢がある.
  2. 二重子音の前の母音には強勢がある.〔ラテン語文法で言う「位置によって長い (long by position)」を連想します.〕
  3. その両方が起こる長い単語では,長母音のほうが強勢をもつ:tusaavakkit.〔「位置によって長い」音節より「本来的に長い (long by nature)」音節を優先するというふうに解釈すれば覚えやすいです.〕
  4. 短母音しかもたない単語では,語末から 3 番めの音節に強勢がある:takuvunga, naluara.
  5. 3 音節に満たず短母音だけの単語では,最終音節:uanga, uiga.

dimanche 12 juillet 2015

Lauer『古典アルメニア語文法』第 II 部 A.I.1–3

Max Lauer, Grammatik der classischen armenischen Sprache, Wien: Wilhelm Braumüller, 1869 をもとにした和訳です.諸注意点については目次をご覧ください.


第 II 部 語論 Wortlehre


A. 語形変化 Wortbeugung


――――――

I. 名詞 Substantivum

1. 性の標識 Genusbezeichnung

文法的性 grammatische Geschlecht, すなわちいわゆるモツィオーン Motion [訳注] によってなされる生物の自然性の標識,およびたんに言語意識 Sprachbewusstsein における男性・女性・中性の語尾と概念に従った無生物の所与の分離は,アルメニア語では名詞についても,また形容詞と分詞についても存在しない.ただ ուհի だけが,しばしば直接に自然の女性の文法的標識として働く;たとえば Տիգրան「ティグラン Tigran」〔男性名の一〕,女性形 Տիգրանուհի〔ティグラヌヒ Tigranuhi, 女性名の一〕,արքայ「王 rex」,արքայուհի「女王 regina」,սուրբ「聖人 sanctus」,սրբուհի「聖女 sancta」;同様に,非常にまれではあるが,դուխտ「娘 filia」や անոյշ「甘い,美しい suavis」がついた固有名詞の例:Տիգրան, 女性形 Տիգրանադուխտ, Վարդ「ヴァルド Ward」,女性形 Վարդանոյշ.
[訳注] Motion とは文法用語で,性に応じた語形変化,あるいは接尾辞による男性名詞から女性名詞への転換,を指す.

外国語からアルメニア語に入ってきた固有名 Eigenname では,文法的な性標識が保たれている.例:Յովհաննէս「ヨハンネス Joannes」,Յովհաննէ「ヨハンナ Joanna」.

自然性の特別な標識によって,理性的な生きものは種名 Gattungsnamen をつけられる.այր「男 vir」は男性の標識に,կին または էգ「女 femina」は女性の標識に,そして動物のそれには արու または ործ「雄 masculinum」および էգ または մատակ または քած「雌 femininum」が対応する.例:մարդ「人間 homo」,այրմարդ「男 vir」,կինմարդ, էգմարդ「女 femina」,ձի「馬 equus」,արուձի, որձձի「〔牡の〕馬 equus」に対して էգձի, մատաիձի, քածձի「牝馬 equa」.


2. 名詞語幹:総論 Nominalthemen im Allgemeinen

アルメニア語の名詞語幹は母音型 vocalisch と子音型 consonantisch にわかれ,両者ともまた弱 schwach と強 stark にわかれる.弱語幹 schwache Themen は単数主格・対格・呼格と,大部分では複数の同じ格の,また強語幹 starke Themen は単数と複数の残りの格の,基礎になる.変化の区別 Declinationsunterschied はただ強語幹によって示される.つまりこれらはある母音 (母音型強語幹) かある子音 (子音型強語幹) かで終わる.母音型変化と子音型変化の区別はそこにもとづいている.母音型変化は末尾の強幹母音 ա, ո, ի, ու にしたがって 4 通りにわかれる.同様に子音型変化も,末尾の強幹子音に先行する母音 ա, ե, ի, ու にしたがって 4 通りにわかれる.それぞれの幹母音 Themavocal がいずれであるかは,学習によって習得されねばならない.これについてありうる規則は以下の段落に与えられる.幹母音 ո と ե はアルメニア語のなかでは ա による弱化 Schwächung であり,すなわち実際には 3 つの基本母音 a, i, u が変化の区別のもとになっている.母音型および子音型変化の幹母音 ա にしばしば先行する ե は,〔ドイツ語の〕j のように ա にもたれるもので,幹母音には属さず,本来の y, j に由来する.


3. 名詞語幹:各論

手引のためにここでは,弱語幹が単数主格を,強語幹が属格を示すことを注意しておこう.

1. 母音型弱語幹・強語幹 Die vocalischen schwachen und starken Themen

母音型弱語幹を母音型強語幹から基本的に区別するのは,そこでは幹母音 ա, ո, ի, ու が脱落していること,しかし最後にふたたび幹末母音として現れることである.弱母音型 ու-幹はしばしば,脱落した幹母音 ու のかわりに ր [原注] をとっているが,これは強幹ではふたたび ու に場所を譲る.
[原注] この ր はサンスクリットの a-幹にも,(限定接尾辞 ն とともに) ռն の形で,アルメニア語における脱落した幹母音 ա のかわりに現れる.例:ձմեռն「冬 hiems」,ゼンド zima〔ゼンドはアヴェスター語のこと.なおスラヴ語のほとんどでも同つづり зима/zima が「冬」を意味する〕.しかしそのような形態はアルメニア語では完全な子音幹になっている.

弱幹 Տրդատ「ティリダテス Trdat (Tiridates)」に対し Տրդատա.  弱幹 մարդ「人間 homo」に対し մարդո.  弱幹 բախտ「運 fortuna」に対し բախտի.  弱幹 մահ「死 mors」に対し մահու.  弱幹 մեղր「蜜 mel」に対し մեղու.

語幹の弱形における幹母音の脱落を通して,しばしばこれへの補助母音 Hilfsvocal とりわけ ի と ու の挿入と,ի の է への,ならびに ու の ոյ への延長 Dehnung が,必要になる.

しかし補助母音と延長は強幹ではふたたび消失する.例:弱幹 միտ「霊 spiritus」に対し մտի.  弱幹 քուն「眠り somnum [訳注]」に対し քնո.  弱幹 զէն「武器 arma」に対し զինու.  弱幹 զրոյց「会話 sermo」に対し զրուցի.
[訳注] この部分,なぜ対格形 somnum で書いてあるのかは不明である.

1 つの同じ弱幹にしばしば 2 つの強幹が存在する.第 1 は ո または ի または ու で,第 2 は ա で終わるものである.例:弱幹 տեղի「場所 locus」に対し տեղւո と տեղեա.  弱幹 մխտ「霊 spiritus」に対し մտի と մտա.  弱幹 բարձր「高い altus」に対し բարձու と բարձա.

ո, ի, ու で終わる強幹は単数属格および奪格の,ա で終わるものは単数具格および複数斜格 Casibus obliquis〔sg. casus obliquus = Dtsch. schiefer Fall〕のもとになる.〔つづく〕

samedi 11 juillet 2015

Lauer『古典アルメニア語文法』第 I 部

Max Lauer, Grammatik der classischen armenischen Sprache, Wien: Wilhelm Braumüller, 1869 をもとにした和訳です.諸注意点については目次をご覧ください.


〔序文と目次のあと,第 I 部のまえに置かれたイントロダクション〕

アルメニア語 armenische Sprache は互いに異なる 3 つの時代を経ている.第 1 は 5 世紀のメスロプ Mesrob [訳注 1] までで,後代の著者が伝えるところでは,すでにかなりの数の文学作品―― ほとんどは歴史に関する内容―― があったという.これらは不運にも少数を残して散逸してしまったが,後代の著者たちにはまだ利用可能であった [原注].この時代の個別の音はもはや検証しえない.形態の豊かさ Formenreichthum はともあれ古典期 classischen Periode のそれよりも大であった.こうした文法的形態のいくつかはのちに消失し,あるものは会話の一部においてのみ,またあるものは最終的に弱く摩滅して用いられた.第 1 の時期はフィロストラトス Philostratus の『テュアナのアポロニオス伝 Vita des Apollonius von Tyana』第 II 巻第 2 章によれば文字をもっていた:「それからパンピュリアであるとき首輪でその首を飾ったヒョウが捕らえられた.そのうえそれは金でできており,アルメニア語でかくのごとく刻まれていた:『アルサケス王はニュサイオスの神に』.すなわちその時代にアルメニアをアルサケスが治めていた」[訳注 2].フィロストラトスは紀元後 200 年に生きていた.
[原注] „Quadro della storia letteraria di Armenia estesa da Mons. Placido Sukias Somal“. Venezia 1829. Seite 1 folg.〔「Placido Sukias Somal 氏によって拡張されたアルメニア文学史の概要」と読めるが,本当は引用符の範囲が間違いで,P. S. Somal „Quadro della storia letteraria di Armenia“ ではないだろうか〕und: C. F. Neumann „Versuch einer Geschichte der armenischen Litteratur“. Leipzig 1836. Seite 1 folg.〔アルメニア文学史試論〕
[訳注 1] メスロプ・マシュトツ (c. 360–440) はアルメニアの聖人 (ローマ・カトリック,東方正教,アルメニア正教) で,言語学者・神学者.なお彼の名前の -b を無声の「プ」と有声の「ブ」どちらにすべきかは,アルメニア語の東か西か,古典か現代かで変わるらしく,ここでは判断できない.
[訳注 2] この部分は原文ラテン語のみ:et captam quidem in Pamphylia aliquando pantheram cum torque quem circa collum gestabat. Aureus antem ille erat armeniisque inscriptus litteris hoc sensu: rex Arsaces deo Nysaeo. Regnabat nempe temporibus illis in Armenia Arsaces.  第 2 文冒頭の antem は autem の誤りか.刻印文に動詞がなく,deo は与格か奪格か測りかねた.Nysaeus もどういうものかわからない.

第 2 の時代は 5 世紀から 12 世紀までで,アルメニア語の古典作家たちを含む.この時代はメスロプによる新しいアルファベットの導入とともに始まる.ここにおけるメスロプの役割は二重である;その言語に存在する音を彼はギリシア語の似た音の系列のなかに見いだし,それ〔=アルメニア語の音声〕のために,おそらくはその大部分と本質において第 1 の時代のものからなっている,新しい音声文字 Lautzeichen を作った (メスロプ文字 litterae Mesrobianae).この時代の音,文法的形態,および統語論 Syntax は本文法で説明される.

12 世紀に始まる第 3 の時代は,既存のつづりにさらに 2 つの新しい,ô を表す օ と f を表す ֆ を加えた.発音において特定の音が,また用法において文法的形態が,顕著に第 2 の時代から逸脱している.これにはメスロプの文字にさらに 1 つの筆記体 Cursivschrift が加わった [原注].
[原注] その筆記体は Joh. Joachimus Schroederus „Thesaurus linguae armenicae“ Amstelodami 1761.〔アルメニア語辞典.時代柄ラテン語名でクレジットされているが,ヨハン・ヨアヒム・シュレーダー Johann Joachim Schröder (1680–1756) のこと〕,Paschal Aucher „Dictionnaire abrégé arménien-français“ 1817.〔アルメニア語–フランス語簡約辞典〕,J. Ch. Cirbied „Grammaire de la langue arménienne“ Paris 1823.〔アルメニア語文法〕に見られる.


第 I 部 音論 Lautlehre


第 3 の時代に加わった 2 文字をあわせ,アルメニア語の活字にもなった,メスロプのアルファベット das Alphabeth Mesrob’s は以下のとおり:

字形
Schriftzeichen
名前
Name
音価
Laut
数価
Zahlenwerth
大文字
grosse
小文字
kleine
Աաայբ  aiba1
Բբբեն  ben, bjenb2
Գգգիմ  gimg3
Դդդա  dad4
Եեեչ  etsch, jetschĕ5
Զզզա  sa (やわらかい s [訳注 1])6
Էէէ  êê7
Ըըեթ  eth, jethこもった母音 [訳注 2]8
Թթթո  thoth9
Ժժժէ  schêsch (やわらかい)10
Իիինի  inii20
Լլլիւն  liunl30
Խխխէ  chêch40
Ծծծա  dṣadṣ (d + やわらかい )50
Կկկեն  ken, kjenk60
Հհհո  hoh (強い)70
Չչչա  dsads (d + 硬い s)80
Ղղղատ  ghatgh90
Ճճճէ  dschêdsch100
Մմմեն  men, mjenm200
Յյյի  hih (やわらかい)300
Նննո  non400
Շշշա  schasch (強い)500
Ոոուո  wŏŏ600
Չչչա  tschatsch700
Պպպէ  pêp800
Ջջջէ  dschêdsch900
Ռռռա  rar (強い)1000
Սսսա  sas (強い)2000
Վվվեւ  wev, wjevw3000
Տտտիւն  tiunt4000
Րրրէ  rêr (やわらかい)5000
Ցցցո  tsots6000
Ւււիւն  viunv7000
Փփփիւր  phiurph8000
Քքքէ  khê, q͑êkh, 9000
Օօօ  oô10.000
Ֆֆֆէ  fêf20.000
[訳注 1] 「やわらかい」は ‘weich’, 「強い」は ‘stark’, そして 1 つだけある「硬い」は ‘hart’ の訳語である.
[訳注 2] 原語は dumpfer Vocalanstoss.  Vocalanstoss (現代の正書法では Vokalanstoß) の意味の調べがつかなかったが,最近のヘブライ語の関係ではどうやら [ʕ] と [ʔ] の総称 (א が「Vokalanstoß または母音」,ע が Vokalanstoß とされる) であるらしい一方で,ここではあいまい母音 (シュワー) のことを指しているように見える (ヘブライ語のシュワーのほうはシュワーと言っている:母音の節を参照).

文字 և は եւ ev を表す.

大文字 grosse Buchstaben はわれわれのアルメニア活字で固有名 Eigennamen と文 Satz のはじめに用いられ,それ以外ではどこでも小文字が用いられる.

ギリシア文字〔の影響〕はアルメニア文字から明白に見てとれる.ギリシア語に存在しなかった音は任意に挿入された.文字の名前はギリシア文字に重なるものもアルメニア語独自のものもある.


母音 Die Vocale


基本母音 Grundvocale の ă̂, ĭ̂, ŭ̂ はアルメニア語で ա, ի, ու と表記される.ու は発音の見かけだけ二重音 Doppellaut であるが,その音価は u である.u を表す本来の文字は ո で,二重母音 ոյ ui に残っている;写本と刊本 Schrift und Druck では ո は (現代アルメニア人 Neuarmenier は語頭では と発音する) ŏ の意味をもつ.ô については 12 世紀以来写本で導入された օ が,そしてギリシア語の単語では ω について音結合 Lautverbindung ով が用いられた (それ以外では վ はどこでもそのアルファベットの音 w をもつ).e には 2 つの文字があり,ĕ には ե (現代アルメニア人はとくに語頭で je と発音する),ê には է である.

あいまい母音 Vocalanstoss ը は,おおよそヘブライ語の動くシュワー Schwa mobile [訳注] に対応するもので,速くかつこもって発音され,すべての母音のきわめて縮約したものとみなされうる.
[訳注] ヘブライ語 שווא נע のことで,有音のシュワーとも言う.音節を切るための無音のシュワーに対し,母音として発音されるシュワーのこと.

2 つの母音が直接に並んでいるときは,それぞれのアルファベットの音を保つ.ա のまえに立つ ե だけは,〔ドイツ語の〕j がそうするようにもたれかかる.


半母音と二重母音 Die Halbvocale und Diphthongen


յ と ւ の文字は半母音 Halbvocale である.語と音節のはじめではこれらはそのアルファベットの音 hv をもつ.語の終わりでは յ はつねに,先行する ա または ո をのばし,この場合またやわらかい h を発音する.外来語 Fremdwort におけるギリシア語のイオタ Jota および接頭辞 Präfix ՚ի のかわりである場合には,յ は j と読む.

後続の音節のはじめに立つ場合を除いて,յ は語中において先行する ա および ո とともに,二重母音 այ ai および ոյ ui を作る (ո は ոյ においてその古い音 u を保っている).

同じ条件のもとで ւ は先行する ա, ի, ե とともに二重母音 աւ au および իւ, եւ iu を作る (իւ と եւ はつづりだけで音は互いに異ならない).այ と աւ のまえに立つ ե はここでも j のように ա に隣接する.


子音 Die Consonanten


子音の体系的な配列と語源的な取り扱いは,この第一に実践的な本では無視しうる.両者とも学習にとっては冗長であり少数の人にしか理解可能でない.この場では以下のことを見ておこう.

ք は気息を伴う喉音 gutturale Aspirata であり,ヘブライ語の ק および,現代ペルシア語の خ あるいはむしろ خواندن khândan, q͑ândan「読む」などにおける خو に一致する;非常にしばしばこれはギリシア語の χ を表すのに用いられ,Քրիստոս Christus では常である.

ղ は語源的には lr に関係する.アルファベットのなかでこれはギリシア語の λ の位置を占め,アルメニア文字ではギリシア語の単語におけるそれを表すのにも用いられる.これは gh と発音される.ջ と ճ のあいだはただ語源的にだけ区別され,聞きとりうる音声的な違いはない.

現代アルメニア人は բ, գ, դ を p, k, t と読み,反対に պ, կ, տ を b, g, d と読む.


アクセント Der Ton


アルメニア語における語のアクセント Ton は最終音節 Endsilbe におかれる.命令法 Imperative ではアクセントを〔文全体の?〕最後の音節 letzten Silbe にもち,ギリシア語の鋭アクセント Acutus の記号によって示される.すべての間投詞 Interjection も鋭アクセントをアクセント音節にとる.


符号類 Lesezeichen


句読点 Interpunctionszeichen は異なる刊本によってまたさまざまである.

疑問代名詞と疑問副詞 Pronomina und Adverbia interrogativa はその上に ՞ をとる.例:ո՞「何」,ոյ՞ր「なぜ」[訳注].
[訳注] 本稿では技術上の問題でそうできていないが,記号 ՞ はアクセント母音の真上に乗るようである (あるいは表示環境によってはそうなっているかもしれない).

接頭辞 ի についたアポストロフィ Apostroph ――  ՚ի ――  は,語頭音の wortanlautend ի からこれを区別する.

1 つまたは複数のつづり字の上に置かれた  ՟ は省略記号 Abkürzungszeichen である.例:աստուած「神」を表す ա՟ծ.


刊本に見られるその他の符号類 Lesezeichen [訳注] は,重要ではないしその意味は容易に理解される.
[訳注] 節タイトルにもあるこの Lesezeichen という語は,訳者の手もとの辞書やインターネット検索では「しおり;(インターネットの) ブックマーク」の語義しか確認できないが,もちろん文脈からその意味ではない.本節を読むと「句読点」よりも広い範囲を含むように見受けられるが,「約物」という日本語が指示する範囲とうまく重なるかは訳者にはわからない.文字どおりには「読む-符号」ととれるので,漢文に用いる「訓点」などぴったりの訳でないかと思うが,これも慣用を考えると場違いに響く.妥協の策である.