Affichage des articles dont le libellé est その他. Afficher tous les articles
Affichage des articles dont le libellé est その他. Afficher tous les articles

mercredi 9 mai 2018

比較的古い洋書の著作権・翻訳権についての疑問

だいぶ以前から海外の古い本の翻訳公開について考えているのだが、著作権関係の法律の理解に関して心もとないのでなかなか作業に身が入らない。いちおう手前で調べたところでは事実は次のようかと信じている。下記 6. まで (枝番号を除く) が調べた事実らしきことの記述で、枝番号のついたものと 7. 以降は私の考えや疑問点である。尋ねる相手もいないので、とりあえずメモとして残しておく。

1. まず、他国の著作物の権利はベルヌ条約 (文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約) というもので守られていて、日本もこれに加盟しているので他国の著作物については自国の著作権者と同等以上の保護をせねばならない (以上とあるが事実上はイコールということだろう)。

2. そして著作権が死後何年間保護されるかは国によって異なっており、日本は 50 年、ヨーロッパのほとんどの国では 70 年だが、ベルヌ条約では短いほうの期間を適用すればよいので、70 年と定めている国が相手でも日本国内では 50 年しか保護されない。そのかわりに日本の著作物も向こうの国では 50 年しか保護されない。

3. 著作権の保護期間を算出するさい、著作権者の死亡日にかかわらず 12 月 31 日まで保護される。したがって 1967 年の何月に死亡した人物であっても、その当日ではなく (日本国内では) 2017 年 12 月 31 日までが保護期間で、2018 年 1 月 1 日から使用自由になる。

4. ただし、(ほぼ日本のみの特殊事情として) 著作権の戦時加算というものがあって、第二次大戦の行われていた期間は著作権が保護されていなかったものとみなしてそのぶんの年数を加算する必要がある。たとえばイギリス・フランス・アメリカが相手の場合には 3 794 日 (10 年と 5 ヶ月弱) が加算される。

4a. このことは『星の王子さま』がらみで有名になったように思うので知っていた。まずサン゠テグジュペリの遺体が確認されず正確な死亡日が不明という事情もあるのだが、それは別としても 3 794 日が足されるため、1944 年に亡くなった人物なのに日本国内で著作権が切れたのは 2005 年 1 月 22 日であり、この年に大量の新訳が現れた。ところでなぜ 1 月なのだろう。5 ヶ月弱を足して 1 月 22 日ということは、年末でもなくサン゠テグジュペリの公式の死亡日である 7 月 31 日でもなく、9 月 3 日あたりから起算しているように見える。上記 3. の記述は嘘かもしれない。

5. ところで昔の日本にはまたべつに翻訳権の 10 年留保なるものがあった。これは 1970 年まで通用していた旧著作権法にもとづく制度で、1970 年までに発行された著作物は、もし 10 年以内に翻訳されなかった場合翻訳自由になるというのである。このことは次の文化庁の web ページでも確認される:「著作権なるほど質問箱――著作権制度の概要」。

5a. これはかなり驚きの制度である。額面どおり受けとるなら、1970 年までに出版された本で訳書が出ていないものは、たとえ現在も原著者が存命していたとしても翻訳権は消滅しており自由に翻訳出版できるということになる。いやそれどころか訳書が出ていたとしてもそれが 10 年以上経ってからのものならばやはり翻訳自由ということになる。本当なのだろうか?

5b. ちなみにこの文化庁のページには上記 3. のこともはっきり書かれている。いったいサン゠テグジュペリの件はどういうことなのかさっぱりわからない。

6. 以上のことにもとづいて具体例を考えてみる。話を簡単にするため戦時加算を考えなくていい国を例にとろう。いまデンマークの本を翻訳する場合、デンマークは第二次大戦時ドイツに早々に占領されており日本とは交戦していないため、戦時加算はない。

6a. それゆえ 2018 年現在、1967 年までに死亡したデンマーク人著者の本はすでに日本国内において著作権が消滅しており、翻訳も自由である? またそうでない著者の場合も、1970 年までの本で未訳のものは自由に訳出できる?

7. しかしまったく意味不明なのは、洋書の著作権表示部分にはよく ‘copyright renewed’ などと書かれていて著作権の発生年次が更新されていたり (遺族などによって? 遺族にそんな権利があるのだろうか?)、内容の変更されていないリプリントなのに新しい出版年の表示で出版社が権利をもっているかのようにコピーライトマークが書かれている場合があることだ。まえがきや解説が追加されていてその部分にだけ新しい著作権があるという話ならわかるが、どうもそうではない場合も多い。こういうものはいったいなんなのだろう。

8. そもそも著作権や翻訳権が切れているというのはどういう事態を意味するのか? 切れているとされる場合に、私たちにはなにがどこまで許されているのだろうか。i) 翻訳をして無償で公開すること。ii) 翻訳をして有償で販売すること。iii) 翻訳をして対訳の形で原文とあわせて掲載したものを販売すること。iv) 原文をそっくりそのまま打ちなおしてそれを販売または無償公開すること。

8a. 以上 i) から iv) は、原著作者の権利 (というものが生きていたとして) を侵害する程度または二次利用者の利益が大きくなる順に並べてみた。i, ii) に比べて iii, iv) では、すでに原著を購入する意義が失われることになるという点で原著作者の利益を損なっている。また i) に比べた ii) と、iii) に比べた iv) とでは純粋に二次利用者の利益が拡大している。直観的に、原作者の利益に対して悪いことをすることになる順ということだが、そういうことがどれくらい法律問題と関係するかもわからない。もちろん倫理的な善悪とイコールではなかろう。

8b. さらに言えば、著作物に関して著作者以外に出版者の権利というものがどの程度なのかも不明である。前世紀初頭までのごく古い本に関して Google Books などは、大学図書館所蔵の本の紙面をまるまるスキャンしたものを公開しているが、その紙面・版面にはなんらかの権利はないのか? もしないとすれば、上記 iv) をさらに一歩進めて、v) 原著をそっくりそのままスキャンしてそれを販売または無償公開すること、という行為を想定できる。じっさい Internet Archive などで公開されている大学図書館の戦前の洋書のスキャンが、Nabu Press やら Forgotten Books やら相当数の出版社によってそれぞれ使いまわしの表紙をつけて印刷されそのまま Amazon で売られているので問題ないのだろう。6. とあわせて考えれば、1967 年までに死亡したデンマーク人著者の出版物はまるまるコピーして日本で販売することができるのだろうか?

8c. こうしたことはいちおう義理や礼儀といった側面とは別個に考えるべきなのだろう。たとえば日本では翻訳権が切れているからといって自由に翻訳出版をするとして、原著者の遺族がいれば連絡をするのが筋だ、ということはあるかもしれない。そういえばこのさい、日本特有の 10 年留保は海外でなかなか理解されずトラブルになりやすい、と聞いたことがある気がする。

9. 著作権と翻訳権とはどういう関係にあるのか? 前述した翻訳権の 10 年留保を考えれば、著作権は生きているのに翻訳権だけが消滅するという事態があることが察せられる。その逆はありうるのか? それとも著作権が切れたならば自動的に翻訳権もなくなるのか?

10. そもそも著作権が切れるとか消滅するとかいう言いかたは正しいのか、それとも著作権じたいはずっと理念的に存在していて正確には保護期間が切れたとか満了したとか言うべきなのか。ぜんぜんわからない、俺たちは雰囲気で著作権をやっている。

mercredi 17 janvier 2018

『奇妙な孤島の物語』各国語訳

Judith Schalansky, Atlas der abgelegenen Inseln: Fünfzig Inseln, auf denen ich nie war und niemals sein werde の各国語訳の情報をまとめた覚書.タイトル „Atlas der abgelegenen Inseln“ の翻訳は,日本語版と 2 つの中国語版でのみ原義から離れたものになっている.また副題 „Fünfzig Inseln, auf denen ich nie war und niemals sein werde“ は,訳されている場合日本語訳も含めてほぼすべて原題に忠実な直訳になっており,例外は簡体中文の 1 つだけである.
  1. リンクは日本の Amazon に商品ページがあるもののみ付した.ただしタイトル・訳者名・出版社名といった情報はリンク先と食い違う場合がある.日本の Amazon は (とくに英語以外の) 洋書につき,いつも驚くほど不正確で嘘ばかり書くので信用してはいけない (英語に使う 26 文字以外が出てくるとすぐにまともでなくなる.Amazon で信じていいのは ISBN だけ).ここに挙げた書誌情報はいずれも原語で検索して調べたものを載せている.
  2. 私は下記のうち半分足らず (ドイツ語版,日本語版,英語版の片方,フランス語版,スペイン語版,ポーランド語版,アラビア語版) しか所有していないため,未確認の部分多し.
  3. 調査にはなるべく手を尽くしたが,世界に存在するすべての翻訳を網羅しているわけではない可能性がある.Despite all my efforts, the list below may not be exhaustive.

ドイツ語原著:Atlas der abgelegenen Inseln: Fünfzig Inseln, auf denen ich nie war und niemals sein werde.  著者:Judith Schalansky, 出版社:mare Verlag (ハンブルク,ドイツ), 出版年:2009, ISBN: 978-3866481176.

日本語訳:『奇妙な孤島の物語:私が行ったことのない、生涯行くこともないだろう 50 の島』.訳者:鈴木仁子,出版社:河出書房新社 (東京,日本),出版年:2016 年,ISBN: 978-4309207018.
〔あらゆる翻訳のうち,原書のカバーデザインを踏襲していないのは日本語版だけ.ほかは版型や素材 (背表紙付近のみ黒い布製) も含めてなるべくオリジナルと同じにしているのに,日本語版だけは二回りも小さく表紙の色も異なっているうえ,なぜか原題でなく英訳のタイトルがデザインされている.これらは訳者というより出版社の手抜かりだろう.邦訳の帯や著者略歴にもあるとおり原書はブックデザインに関する賞を得た書籍であるし,日本語訳はこの記事に挙げた 16 冊のうちもっとも遅い後発の出版だというのに,こういうことになる理由がわからない.〕

英語訳:2 種あり.前者しか持っていないため,内容の異同は未確認.
Atlas of Remote Islands: Fifty Islands I Have Never Set Foot On and Never Will.  訳者:Christine Lo, 出版社:Penguin Books (ニューヨーク,アメリカ), 出版年:2010, ISBN: 978-0143118206.
Atlas of Remote Islands: Fifty Island I Have Not Visited and Never Will.  訳者:Christine Lo, 出版社:Particular Books, Penguin Global, Penguin UK など複数の記載あり未詳 (ロンドン,イギリス),出版年:2010/2011, 同前,ISBN: 978-1846143489.

フランス語訳:Atlas des îles abandonnées.  訳者:不明 (WorldCat にも情報がない;序文は Olivier de Kersauson),出版社:Arthaud (パリ,フランス), 出版年:2010, ISBN: 978-2081238206.

イタリア語訳:Atlante delle isole remote: Cinquanta isole dove non sono mai stata e mai andrò.  訳者:Francesca Gabelli, 出版社:Bompiani (ミラノ,イタリア), 出版年:2013, ISBN: 978-8845275067.

スペイン語訳:Atlas de islas remotas.  訳者:Isabel García Gamero, 出版社:Capitán Swing y Nórdica Libros (2 社ともマドリード,スペイン), 出版年:2013, ISBN: 978-8494169076.

オランダ語訳:De atlas van afgelegen eilanden: Vijftig eilanden waar ik nooit ben geweest en ook nooit zal komen.  訳者:Goverdien Hauth-Grubben, 出版社:Uitgeverij Signatuur [A. W. Bruna] (ユトレヒト,オランダ), 出版年:2014, ISBN: 978-9056724900.

デンマーク語訳:Atlas over afsidesliggende øer: halvtreds øer, som jeg aldrig har været på og aldrig vil komme til.  訳者:Anette Petersen, 出版社:Forlaget Vandkunsten (コペンハーゲン,デンマーク), 出版年:2014, ISBN: 978-8776952532.

スウェーデン語訳:Atlas över avlägsna öar: femtio öar som jag aldrig besökt och aldrig kommer att besöka.  訳者:Carl Henrik Fredriksson, 出版社:Pequod Press (マルメ,スウェーデン), 出版年:2012, ISBN: 978-9186617172.

ノルウェー語訳:Atlas over fjerne øyer: Femti øyer jeg aldri har vært på og aldri kommer til.  訳者:Per Qvale, 出版社:Forlaget Press (オスロ,ノルウェー), 出版年:2012, ISBN: 978-8275474931.

ポーランド語訳:Atlas wysp odległych: Pięćdziesiąt wysp, na których nigdy nie byłam i nigdy nie będę.  訳者:Tomasz Ososiński, 出版社:Dwie Siostry (ワルシャワ,ポーランド), 出版年:2015, ISBN: 978-8363696337.

チェコ語訳:Atlas odlehlých ostrovů: Padesát ostrovů, které jsem nikdy nenavštívila a nikdy nenavštívím.  訳者:Martina Loskotová, 出版社:Nakladatelství 65. pole (プラハ,チェコ), 出版年:2011, ISBN: 978-8087506059.

アラビア語訳:أطلس الجزر النائية (ʾAṭlas al-juzur an-nāʾiyah).  訳者:Ag'sāyīn, ʿAbd al-Laṭīf (?), 出版社:Bloomsbury Qatar Foundation Publishing (ドーハ,カタール), 出版年:2013, ISBN: 978-9992195536.

繁体字中国語訳:『寂寞島嶼:50 座我從未也永遠不會踏上的島嶼』.訳者:劉燕芬,出版社:大塊文化 (台北,台湾),出版年,2011 年,ISBN: 978-9862132609.

簡体字中国語訳:『岛屿书:天堂是岛,地狱也是』.訳者:晏文玲,出版社:湖南文艺出版社 (湖南省,中国),出版年:2013 年,ISBN: 978-7540453992.

lundi 6 novembre 2017

Lomb『わたしの外国語学習法』,あるいは過ぎ去った時代の「実用書」

Lomb, C’est ainsi que j’apprends les langues, ou un « manuel pratique » dans les jours passés


10 年まえに購入し冒頭数十頁で読みさしのままほこりをかぶっていた,Lomb Kató, 米原万里訳『わたしの外国語学習法』(ちくま学芸文庫,2000 年) を今般読み終えた……と言いたいところだったが,10 年越しにまた続きをしばらく読み進めたところで本棚に戻した.これは私のような語学オタクのあいだではきわめて有名な本で,いずれ最後まで読まねばとずっと忸怩たる思いを抱きつづけて現在に至るのだが,あるいはもう残りのページを繰ることはないのかもしれない.読み終わったという体で感想を書くことにした.

著者はハンガリー人の女性で,すなわちその名前は日本人と同じく姓+名の順番であるからロンブが姓である.カトー (Kató) という名はカタリン (Katalin) の縮小形で,この後者は英語のキャサリンやフランス語のカトリーヌ (Catherine), ロシア語のエカチェリーナ (Екатерина) などに対応するから,さしずめ英語のケイト (Kate) やロシア語のカーチャ (Катя) くらいにあたる名前だろう.1909 年生 2003 年没 (享年 94),16 ヶ国語を習得した翻訳家・通訳者であるといい,そのなかにはなんと中国語と日本語も含まれている.

本訳書はもともとは創樹社なる印税を支払わない胡散臭い出版社から 1981 年に出たもので (この間の消息は文庫版訳者あとがきを参照),その原書は 1970 年に出て 72 年に第 2 版となった Így tanulok nyelveket: Egy tizenhat nyelvű tolmács feljegyzései (『こうして私は言語を学ぶ――ある 16 ヶ国語通訳者の覚え書き』),言語はハンガリー語である.以下,引用文およびそのページ表記はちくま学芸文庫版に依拠する.

ちなみに本国では 1990 年に第 3 版,95 年に第 4 版に改訂されており,現在は著者の没後 2008 年に別の出版社から「第 5 版」が出ているがこれは第 4 版のリプリントらしい.日本語以外には,私の知るかぎり刊行順にロシア語訳 Как я изучаю языки (1978 年),中国語訳『我是怎样学外语的』(1982 年) および『我是如何学习外语的』(1983 年),リトアニア語訳 Kaip aš mokausi kalbų (1984 年),ラトヴィア語訳 Par valodām man nāk prātā (1990 年),英語訳 Polyglot: How I Learn Languages (2008 年),エストニア語訳 Kuidas ma keeli õpin (2016 年),朝鮮語訳『언어 공부』(2017 年) が現れている.

さて『わたしの外国語学習法』というタイトルからは,いかにも語学の天才がその優れた習得法を開陳してくれている実用書を期待されるかもしれないが,これはむしろ著者の自伝的要素を含む語学エッセイとして読まれるべき本である.私のようにはじめから語学に強い関心と愛をもっている者ならともかく,これを読んで語学への苦手意識をなくそうとか手っとり早く語学を身につける方法を知ろうとかいった考えから手にとってはいけない.

これはいくぶんタイトルが誤解させている部分もあって同情するのだが,Amazon レビューや読書メーターなどで低評価の書評を書かれている人の多くは後者のような語学嫌いの人物なのだろう.もっとも,なかにはたいへん素直で善良なかたで,語学の学習に慣れていないがためにかえって著者の教えるあたりまえのことを新鮮に受けとめて感心している人もおり,そういう向きには純粋さを忘れないでいてほしいので私の感想のごときは読んでいただかないほうがいいだろう.

ともあれ初版 1970 年,すなわち半世紀も昔に出た本であるから実用書としてはさすがに賞味期限切れで,もともと具体的な学習法についての言及が少なくいまどきのハウツー本のようなレイアウトや軽薄な言葉づかいをとっていないということもさることながら,その少ない言及内容もいまや目新しいところはなく (それは半世紀のあいだにまさにこの本の影響で常識と化した部分もあろう),論証のため援用される「科学的」知識もさすがに時代遅れでその「科学」にはどこか 50–60 年代冷戦期の東側の国の香りがそこはかとなく漂うものであり,前世紀後半以降に誕生し台頭してきた第二言語習得論や認知心理学・認知言語学などの最新の知見はもとより望むべくもない.それこそそうした現代の「科学的」知見からすれば嘘となった事柄も含まれているであろう.

じつのところ,いみじくも著者じしんが明言しているのである,「そもそも教育法というものは、その時代の要求に応えるべきもの」であり,「それぞれの時代に注目を集め、評判となった学習法があったが、どれもその時代の社会の需要に応えたものであった」と (47–48 頁).このような本に対して,50 年後の時代のしかも違う国の社会の現状に即応した「学習法」を求めるのは酷であろう.言ってみれば本書はすでに,古きよき時代のヨーロッパの語学愛好者はどのような熱意を抱いて学習に邁進していたかということを知るための古典になった,つまりシュリーマンの古代への情熱と同列に叙せられる栄誉に浴するとともに過去の遺物ともなったのである.

そうして私のように多くの言語を勉強している語学オタクにとっては共感できる部分も多い名エッセイではあるのだが,そういった人はいちいちおすすめされなくても自然とこの本に出会って自分から進んでひもとき,学習法の説明では自分の実践してきたそれが間違っていなかったことに確信を深めたり,あるいは著者の熱心さに胸を打たれ自分もがんばらねばと勇気をもらったりするだろうし,具体的な個別言語に関する蘊蓄には感心してうなずきながら読むだろうから,こういう特殊な人向けの賛辞を書き連ねてもあまり意味はあるまい.そのためここではむしろ大きな難点をひとつ指摘しておこう.

外国語学習では羞恥心はなければないほどよいということを主張している著者であるから (とくに 230 頁の公式),私がこのように非難することもむしろよくぞ申したと笑って許してくれると考えて言うのだが,この著者が外国語に取り組む姿勢はまさに恥知らず」「厚顔無恥」という言葉がふさわしかろう.これはかなり辛辣な形容であるが,いまからその具体例を挙げていく.

まず,まだしもかわいらしいエピソードとして,25–26 頁では彼女が中国語の学習を始めたときの成りゆきを語っている.このとき著者は,年齢制限の規則にひっかかったために中国語クラスの受講の申込を受理されなかったのだが,数週間後それに気づいた彼女は大学構内をさまよい歩き,すでに始まっていたその授業の教室を探しだして無理やり飛び入り参加したという.立派な規則違反だし授業妨害だ.まえもって授業担当者に直談判でもしていればきっと通してくれただろうに.

こんなのは文化の違いとして理解できなくもないが,もっととんでもない話はこうだ.著者は無謀にも自分が勉強したこともない言語に関する翻訳や教授の仕事をたびたび請け負い,たびたび失敗している.たとえば 29 頁には次のような話がある:
それからは、スロバキア語とウクライナ語の文献の読解、翻訳とも無理なくこなせるようになりましたが、ブルガリア語には、ちょっと手こずりました。もしかしたら、とっつき方をしくじったのかもしれません。ある出版社の依頼で、非常に長い論文の翻訳に取り組む羽目になりました。それは政治文献で、わたしのスラブ諸語の素養を持ってすれば、楽に処理できるものと高を括っていたのです。ところが、結果は惨めなもので、わたしの翻訳したほとんど全三〇頁、編集者の手で書き替えられるということになりました。
彼女はこのとき,すでにロシア語・ポーランド語・チェコ語・スロヴァキア語・ウクライナ語を習得していたということをもって,向こう見ずにもブルガリア語の翻訳の依頼を受諾し,このような大失敗を喫したということである (せめてセルビア語あたりを学んでいればいくらか結果はましだったかもしれない).

その次の段落ではイタリア語でも同じことをしているが,このときの「曖昧模糊とした個所が多々あった」翻訳では「その文体の神秘めいたところが効〔ママ〕を奏したのか」,怪我の功名でうまくいったようだ (同頁).さらに重ねて,われらが日本語についても「ある化学薬品購入許可書」のことで,学習開始まえに「勇敢にも(そして軽率にも)その翻訳にとりかかってしまった」という (71 頁.ただしこの件のみ「仕事」とは明言されていない).

また 19–20 頁によれば,英語を学生たちに教えるという仕事をするにあたって,教科書のわずか 2 課さきを読んでおくという見切り発車なしかたで挑戦し,「今思えば、知識のあやふやな点は、わたしの意気込みと熱意で補われたのでしょう」とのたまっている.かく言う彼女は 81 頁で,終戦直後のハンガリーに現れ「急遽身に余る任務に据えられた」「即席アマチュア・ロシア語教師」の男性の教えかたにつき,ある単語の語形変化の理由を「慣用にすぎません」と答えた彼の不十分な「説明の仕方は、支持するわけにはいきません」と指弾しているのだが,準備不足な自身の英語教育では同じようなことをしなかったと誓えるのだろうか.ちなみにこの英語についてもやはり著者は例によって (というか時系列的にはこちらが最初だが)「薬学研究所の嘱託の仕事」で翻訳にも手を出し,「どうやら規準に沿わなかった」がために「当翻訳の主は、勇敢なり」とのコメントをつけて突き返されたとの由である (20 頁).

こんなありさまで語学の教師や翻訳家として仕事を受領でき,なおかつ何度同じような失敗をしてもその名前に傷がつくことがなく職が失われないというのだから,まったくうらやましいというほかはない.いまこんな無責任なことをすればあっという間に悪名は広がりまともな翻訳者として認められなくなるし,なにより「化学薬品」に関する資料や国際情勢に関わる「政治文献」など,専門的知識がないと危険である仕事が素人に任せられる余地はどこにもない.ちなみに彼女は終戦直後にソ連軍とのあいだの通訳としても働いているが,これも現在なら学習歴わずか 3, 4 年でしかも独学の人間に戦後処理の通訳を任せるなど無謀もいいところだろう.

こうして考えてみると,現代の視点から見ればこの著者が置かれていた環境はむしろ特異で恵まれていたとさえ言えると思うのである.そう,問題は環境であって,彼女じしんの語学的才能のことではない.要するに胆力さえあれば職業翻訳者・通訳者として出発でき,語学力はあとからついてくるということを実践できた最後の時代の証言者が彼女なのである.彼女の成功談がただに個人的才能や性格によるというだけなら心がけしだいで私たちにも活かせる話であるが,このように環境のほうが変化しているとなると私たちにはもはや真似できる可能性のない手法なのである.

一般的に言って,私たちの享受している条件は彼女の生きた場所と時代に比べればほとんどの点で「恵まれている」と考えられている.私たちは空爆に怯えながら防空壕のなかで辞書を引く必要などない.こと語学の学習環境ということに絞っても,私たちはいまや 100 を超える言語の入門書を日本語で読めるし,範囲を英語に広げれば文法書の手に入る言語の数は 1 桁上がる (そしてその英語の本も注文すればいつでも手に入る).各種の辞書に加えて,実地の生きた音声教材であるニュースやラジオのリソースもオンラインで瞬時に見つかるし,生身の社会においても外国人はそのへんをふつうに歩いており多くの言語において日本にいながらネイティブの語学教師に出会うことも困難ではない.

しかし社会の発展とともに職業の専門性はますます深化し,「○○語ができる・使える」と公称するためのハードルはロンブの時代とは比べものにならないほど高くなってしまったように見える.そうした翻訳家の職業意識もさることながら,電子的なデータベースの蓄積と機械翻訳の技術向上によって,人が自分の頭で「ちょっと単語や文法を記憶している」とか「適切な文献を選び自分で調べるとっかかりをもっている」とか程度のにわか知識は掛け値なしにまったくの無価値になった

いや,私じしんが勉強してきた数十の言語のどれをとってもその程度の能力しかもたない人間だからルサンチマンを含めて言うのだが,社会的には百パーセント無価値である.もしロンブのエピソード程度の水準でよいなら,私は少なくとも 20 の言語でいますぐ翻訳家として名乗りを上げ文法の教師として教壇に立つことができるが (ただし通訳は無理だと白状するが),それを実践しようものならたちまち笑いものにされことによれば訴えられるか,もっと可能性の大きいのは単純に黙殺されることだろう.また私は,断片的知識をあわせればおそらく 100 ほどの言語について,文字とつづりを見た瞬間にこれは何語だと判定することができる.この特技は数十年まえであればそこからなにをどうやって調べればよいかを方向づける決定的に重要な情報であったのだが,いまでは機械翻訳が自動判別してくれるのでなんらの意味もない.これは電卓の登場によって暗算の技能の価値が,またワープロの普及によって漢字の書きとり能力と字の達筆さの価値が下落したことに似ているであろう.

ロンブは言う,「わたしたちが外国語を学習するのは、外国語こそが、たとえ下手に身につけても決して無駄に終らぬ唯一のものだからです」(34 頁) と.バイオリンがちょっとしか弾けない演奏者は喜びよりも聴衆に苦痛を与えるし,医学をちょっとかじったアマチュアが医療行為を行おうとすると犯罪になるのに対し,彼女の考えるところ外国語だけは唯一そうではない分野だというのである.

そのとおりでありつづけたらどんなによかったか知れない.たしかに現在でも,海外旅行先で「ちょっと」現地の言葉を話して人々に喜ばれ自分もうれしくなる,という次元の話としては依然成りたっている.しかし彼女のように翻訳家や通訳者や語学教師として仕事になるか,つまり「アマチュアが社会的利益をもたらし得る」(35 頁) かという観点で言えばほとんど嘘になってしまった.こういう意味で私たちにわか語学愛好者は疎外されている社会に生きているのであり,この傾向は今後強まりこそすれ弱まることはありえず,いまやこの本の慰めと激励を文字どおりに受けとれる時代は永久に過ぎ去ってしまったのである.

古きよき時代は過去になり,いままさにその残響さえ消えてゆかんとしている.翻訳家や通訳者という職業は,完全になくならないとすれば一種の芸術家として生きつづけていくだろう.私たちアマチュアの語学愛好者は語学が「嗜好品」としての性格を強めていく来るべき時代に,いかにしてみずからの価値を擁護していくべきか,「古典」の教えを昇華して新たな生存戦略を模索していかねばならない.そのヒントはそれこそ「バイオリンがちょっとしか弾けない人」にありそうだが,道行きは明るくなさそうだ.もっともロンブの言うとおりなら外国語以外のすべての趣味はとっくにそのような境遇に置かれていたのであり,いまさら私たちが最後の聖域を取り上げられたとてふてくされている権利などないのだろう.

mercredi 29 juillet 2015

諸外国の書籍の購入方法

本を買う趣味が嵩じて国内のものでは飽きたらなくなり,いつしか諸外国から書籍を買い集めるようになりました.もちろん以下のどの言語も読めるというわけではないですが,それでも自分が専門に勉強してきた分野の本や,ほかの言語がテーマになる語学書ならば,まったくわからないということはなく,語学学習の励みになります.

以下では言語別に,私が本を購入したことのあるオンラインストアを,注文までのさまざまなアドバイスや,送料や所要日数などのレポートつきであげていきます.各国とも複数のオンラインストアがありますが,とくに先進国以外では日本への発送を受けつけていないサイトが多いため選択肢は限られます.決済手段はいずれも VISA または MasterCard のクレジットカードが使えます.カード決済に JCB が使える場合は特記します.また,PayPal 経由で JCB が使える場合があります.

ジャンプ:英語,ドイツ語,フランス語,イタリア語,スペイン語ルーマニア語ロシア語ポーランド語セルビア語,クロアチア語リトアニア語ラトビア語エストニア語トルコ語ギリシャ語ヘブライ語


英語 (アメリカ・イギリス・カナダ),ドイツ語 (ドイツ),フランス語 (フランス),イタリア語 (イタリア),スペイン語 (スペイン).――  よほど専門的なものでもないかぎり,新本ならば原則として各国の Amazon (Amazon.com, Amazon.co.uk, Amazon.de, Amazon.fr, Amazon.it, Amazon.es, Amazon.ca) で間にあいます.

ただし送料がバカにならないので,このうち英語およびドイツ語の書籍については,日本の Amazon.co.jp から購入したほうが安上がりになる場合が多いです.とくに英語の書籍は日本に在庫していることが多く,デジタルパブリッシングで日本国内の印刷が委託されている場合もあり,すぐに手に入ります.同じ英語でも版元がカナダの書籍だけは,日本でもアメリカ経由でもなく直接カナダから取り寄せたほうが安いことがあります (個人的な経験ではクリー語についての本).ドイツのものはなぜだか不明ですが .co.jp の値段が多くの場合安く,「2〜3 週間以内に発送」という表示であれば直接取寄と同程度です.為替リスクを避けられるという利点もあります.

仏・伊・西の書籍については,日本 Amazon では商品のページが存在しないか,あってもほとんどは注文不可能もしくは「一時的に在庫切れ」となっており,後者の場合注文じたいは可能ですが 3, 4 ヶ月後に取寄不可能だったとのメールがきます.これらの国の本のうち日本 Amazon から注文が可能なまれな例外は,ごく大衆的な本です (有名な文学作品のペーパーバックなどで,この場合はドイツと同様 .co.jp を通しての注文が安いことがあります).

ちなみに,英語以外の書籍を日本 Amazon で検索するには,直接日本 Amazon で検索するのではなく,まず当該国のサイトに行って気になる本を見繕ったあと,その ISBN をコピーして検索 (もしくは URL バーから直接ジャンプ) することをおすすめします.その理由は書籍のタイトルに含まれる文字で,日本 Amazon では仏・伊・西の書籍がアクサンやセディーユつきの文字が文字化けしたまま登録されていることが少なくないこと,また独の書籍ではウムラウトつきの文字,たとえば ä が ae と代用表記されていたり,されずに a となっていたりすること,あるいは語尾変化のファジィ検索が日本のデータベースでは弱い [注] といった理由から,正しいタイトルで検索をしても見つからない場合に自分の手落ちなのかそもそも商品ページが存在しないのかわかりかねるためです.求める内容の書籍にどんなものがあるのかという最初の調査を日本 Amazon でするべきでないのも同じ理由です.
[注] たとえば言語名の -isch, -ische, -ischen といった形はタイトルのつけかたによって変わりますが,こうしたものをドイツの検索エンジンではどれからでも引いてくれる一方,日本では想定していないのでいちどでうまくひっかかりません.各言語の単複も同様です.英語についてはすでに融通が利くようなのですが.

アメリカの Amazon を例外として,各国とも送料は固定 10 ユーロ強 (イギリスはポンド換算) に冊数分の上乗せがかかるので,ある程度の冊数をまとめて買うほうが得です.Amazon.com は例外的に 1 冊での送料がかなり安いので,1 冊からの注文もよくします.注文手続きに入ると,Amazon Currency Converter というサービスによって円建てで支払うか,ドル・ポンド・ユーロで決済するかを選べますが,通常のレートより約 5 円も高くなるので,よほど為替が不安定な局面を除いては現地通貨での決済のほうがよいのではないでしょうか.

到着までの日数はというと,追加で数千円出すと 2, 3 日で届くという驚くべきオプションもありますが,いちばん安い通常配送でも注文から 12〜14 日といったところです.注文の冊数が少なく小さな包みになる場合では,同じいちばん安い手段で 8, 9 日で届くことがありました.以上はヨーロッパの話ですが,アメリカだけは非常に遅く,早いほうでも 18 日程度はかかります.いずれにせよ早めの注文を心がけるべきでしょう.

古書では Amazon の関連サイトである上記各国の AbeBooks が役に立つことがあり,たいていの出品者は海外発送をしてくれます.Amazon のマーケットプレイスも重要ですが,これは国内向けの発送が多いです.いずれも国ごとにデータベースは共有されていないようなので,言語が違ってもダメもとで検索してみる必要があります.あるとき英語の絶版本で日米英の AMP ではどこも価格が 3 万円程度に高騰していたものが,なぜかフランスの AMP ですごく安く手に入ったことがあります.


ルーマニア語 (ルーマニア).――  elefant.ro. ルーマニアは EU 加盟国ですがまだユーロを導入しておらず,現在の通貨はレウ (2005 年のデノミ後の新レウ:RON) で,書籍も送料も非常に安いです (15 冊 6.9 kg で送料 50 レイ:約 1 500 円).発送はあまり早くなく,私の場合では注文から発送まで 10 日,そこから到着まで 8 日を要しましたが,発送の時点で通知のメールがなく心配でした (ただ,到着してみれば,最初の注文確定メールに書いてあった到着予定日とほぼ同じ (予定日より 1 日遅れ) でした.こういうものはクレームのつかないよう余裕をもった遅めの予定日を書くものだと思うのですが).梱包はダンボールの箱に,ダンボールを網状に裁断したウェーブクッションを緩衝材として十分に入れてあり,エコで丁寧な印象を受けます.


ロシア語 (ロシア).――  Лабиринт (www.labirint.ru) というサイトでは JCB が使えて重宝します.ロシアの通貨はルーブル (RUB) で,書籍じたいもそう高くありません.ショッピングカートとウィッシュリストが別個に保存できるので購入候補の管理に便利です [注].ここは発送も異常に早く,単価千円程度の小さな本を 20 冊ほど買ったときは,通常の配送手段なのに注文確定からたったの 4 日と数時間で届いて驚きました.梱包はずいぶん簡素で,書籍じたいも新本にしては汚れている印象を受けましたが.
[注] なにをあたりまえのことをと思われるかもしれませんが,ID を登録してクッキーも有効なのにもかかわらず時間が経つとショッピングカートが空になるというサイトも海外にはあります.不慣れな言語で本を探すのは大変で,せっかく気になる本をいろいろ見つけてカートに入れたのに消えて探しなおしになったということが何度かあり,すぐには買わないとなるとブラウザのブックマークで 1 冊ごとに管理することになります.

代替的な手段としては,日本国内にも日ソ (www.nisso.net) とナウカ (www.naukajapan.jp) という 2 大ロシア書籍専門店があり,多少割高にはなりますが,本選びから注文まで日本語で行うことができます.ただしリストにある多くの品は国内に在庫がないのが難点です.いちど買うとしばらくカタログ (分野別に原題・その日本語訳・値段を列挙した小冊子) を定期的に送ってくれるので,ロシアの最新の出版情報もわかります.

もうひとつはアメリカの Amazon.com で,一部のロシア語書籍が手に入ります.難点は書籍のタイトルがラテン翻字のため,たとえば я が ya だったり ja だったりして検索が困難です.

また,ロシアの出版事情を含む一般的な情報について,東京大学のスラヴ語スラヴ文学研究室のサイトが詳しく,参考になると思います.そちらでロシアの 2 大ネット書店として紹介されている OZON と Alib はいまのところ利用したことがないので紹介できません.


ポーランド語 (ポーランド).――  日本から注文できるポーランド国内の書店としては merlin.pl が唯一です (ほかに,アメリカに本拠を置きポーランドの書籍を扱っている書店もありますが,品ぞろえも劣りますしドル建てで非常に高価になります).ポーランドの通貨はズウォティ (PLN) で,書籍の値段が尋常でなく安いです.ただし日本への送料が本代と同じくらいかかるので,そこまでお得ではありません (それでも安いです).ショッピングカートとウィッシュリストがあり,しかもその間の移動がワンクリックで非常に便利です (どちらの方向にもでき他方からは消えます.Amazon の「カートに保存 (後で買う)」に似ています).

この書店の最大の注意点は,「24 時間以内に発送」が大嘘だということです.何度か注文しましたが,これらのうちほとんどの本は在庫しておらず,注文から 2, 3 日たつと「入手まで日数がかかりますが,1. 待ちますか,2. キャンセルしますか」,あるいは「一部の本だけ発送できますが,1. すべてそろうまで待ちますか,2. 一部のみ発送しほかをキャンセルしますか,3. すべてキャンセルしますか」と選ばせるメールがきます.とはいえそんなに驚くほど待つことにはならず (都合 5〜7 日くらい),発送から到着まではかなり迅速でした.発送メールはなぜか同じものが何度もきました.

Amazon.com にも少なからずポーランド語の書籍の登録がありますが,データがあるだけで実際に (AMP でなく Amazon から直接) 注文できるものは見たことがありません.

(2015 年 8 月 17 日追記) Merlin.pl さんに 3 度めの注文をしました.今回は注文から 2 日後の発送,さらに 5 日後つまり注文からは 7 日と 17 時間で手もとに到着しました.今回はメール通知も,注文直後の確認メール,翌日の出荷準備の連絡,翌々日の発送メールと手際よく重複もなく,また 10 冊の注文にもかかわらず遺漏がなく,最初の 2 度の注文での不手際が嘘のようでした.

ところで今回はまたべつの問題も経験しました.今回,操作をどこで間違えたのかある本の注文数量が 2 冊になってしまったのですが,注文の変更やキャンセルがサイト上ではできず,定められた連絡先に直接メールをするように書かれています.そこでメールで変更のお願いを書き送ったところ,相手方のメールボックスがいっぱいだとかでメールが弾かれ (2 度試し,2 度めは極力サイズを小さくするようプレーンテキストで短い文にしましたが),結局変更はできないままその本は 2 冊届いてしまいました.


セルビア語 (セルビア),クロアチア語 (クロアチア).――  Knjižara.com (www.knjizara.com) がおそらくこれも唯一日本への発送を行っているのではないでしょうか.セルビアの通貨はディナール (RSD) ですが,日本への発送を選ぶとユーロ建てに切りかわります.品ぞろえはわりと豊富で,ほとんど同じ言語を話す隣国クロアチアの出版物も購入できます.それに加えてセルビア国内のセルビア語でもキリル文字とラテン文字が併用されている事情から,本ごとにどちらの文字表記かが示されているのがおもしろいところです.発送は迅速で,輸送日数もヨーロッパからの平均的な長さ (注文から 10 日内外) でした.

ここにははじめ注文がうまくいかずメールで問いあわせたのですが,英語で非常にきめ細かに対応していただきました (注文品のリストを伝えてくれれば金額を見積もるので銀行振込で発送できるとのこと.最終的にサイト上でうまくいったので不要でしたが).注意点として,ロシア語の項で触れましたが,ショッピングカートの中身が時間経過で消えます.


リトアニア語 (リトアニア).――  knygos.lt.  発送時にメール通知がきます.国外への配送は TNT Express という業者がやっていて,トラッキングサービス (説明は英語) で荷物の所在地をリアルタイムで確認できます (カウナスから発送されたあと翌日にヴィリニュス,そこから国外に出て 4 日 (初日を入れると 5 日め) でポーランドのアンノポル, 5 日でドイツのハノーヴァー,7 日でフランクフルトを経て,8 日で成田に到着したようです.そのあと税関などでもう 3 日かかっています).発送から到着までは 11 日でした.リトアニアは 2015 年元日に 19 ヵ国めのユーロ導入国となっています.クレジットカードによる支払はどのカードでも PayPal アカウントの登録が必要になるらしく,VISA も MC も JCB も使えます.梱包は適切でした.


ラトビア語 (ラトビア).――  Zvaigzne ABC (www.zvaigzne.lv) にはいちど大量の本を注文したのですが,消印によると注文の 2 日後には発送され,なんとその 5 日後には届きました (ただし注文確認メールのあと発送の連絡はありませんでした).国外への配送オプションは 2 通りありましたが安いほうでこれだけ早いのは驚きです.梱包はあまり親切ではなく,かなり隙間のある大きなダンボールに緩衝材もなく詰めこまれているだけでした.送料の計算は冊数ではなく重量のみによっており,階級別なので軽い本なら何冊か追加しても送料が変わらないことがあります (送料は注文画面に入らずともカートで随時確認できます).私は試していませんが電子書籍も充実しているようです.ラトビアでは 2014 年の元日に 18 ヵ国めのユーロ導入国となっています.ラトビアも本が比較的に安く,私が買ったなかではラトビア語–ポーランド語辞典,B5 判に近い大きさで 1 550 ページ,本体重量 2 kg を超える大部のもの (それも版権切れのリプリントではなく,インターネットなどの用語も入った最新のもの) が,たったの 10 ユーロというのが最大の驚きでした.


エストニア語 (エストニア).――  エストニアには 4 つのオンライン書店があるようで,そのどれも日本への配送が可能です.ここではそのうち 2 つを紹介します.見たかぎりではどちらか一方でしか売っていない本も多く,共通部分では価格の差もあるので,両方を調べてうまく使いわけるのがよいでしょう.エストニアの通貨は 2011 年元日よりユーロです.

注意すべきこととして,ここで紹介しないサイトも含めてどのストアもアカウント作成ができません.その理由はエストニアの国民番号制で,エストニアでは行政から日常生活に至るまでかなり広範に国民 ID を使用しているらしく,アカウント作成時にもその入力が必須のため私たちには不可能です.ユーザ登録をしなくても注文は可能です.

Apollo (www.apollo.ee) は,日本語によるエストニア (語) 紹介のウェブサイトでよくあげられているので,いちばん老舗なのかもしれません.もうひとつは Rahva Raamat (www.rahvaraamat.ee) で,スタイリッシュで現代的なページデザインが目を引きます.送料はどちらもかなり割高ですが,前者のほうが固定部分が大きくある程度まとまった冊数まで変わらず,後者は冊数に応じて微調整されるようでした.注文から到着までの日数は前者が 14 日,後者が 9 日でしたが,発送後配送に要した日数はどちらも 6 日ほどのようです.梱包は後者のほうが丁寧に感じましたが,もともとの書籍の状態がどちらもとてもきれいで,私のこれまでの 100 回を超える海外取引のなかでもこれほど美しい状態の本に出会ったことはありません (エストニアの出版社・印刷所の品質管理が厳格なのか,ただの幸運な偶然なのかはわかりませんが).


トルコ語 (トルコ).――  paNdora (www.pandora.com.tr).  トルコの通貨はリラ (TRY) で,書籍はかなり安いです.注文から到着までは 11 日でした (発送連絡がないので発送までの日数はわかりませんが,商品ごとに在庫状況が書いてあり注文時におおよその日数がわかります.今回の場合はおそらく発送までに 5 日,配送に 6 日というところだったでしょう).


ギリシャ語 (ギリシャ).――  Bibliohora (www.bibliohora.gr).  ギリシャ国内最大手と見られる Books.gr が発送を行っていないので,これも選択肢は限られます.ギリシャは近年財政破綻の危機に揺らいでいますが,通貨はいまのところユーロ (EUR) で,送料も書籍もかなり割高に感じられます (いっそのことドラクマに戻ってもらえば激安で買えそうですが).この書店は発送通知のメールをくれず,到着まで 17 日ほども待ったので,本当に商品が届くのか不安でした.

ギリシャ語の書籍は各国 Amazon での取り扱いは非常に限定的ですが,姉妹サイトの Book Depository では若干のギリシャ語書籍が購入可能です.ギリシャ語のまま検索ができるので,ラテン文字転写に関わる問題は生じません.こちらは日本円での取引ができ,送料込の値段も比較的安いので,購入可能なものはこちらのほうがいいかもしれません.

すでに述べたとおり一般の書籍はそう安くありませんが,ギリシャでは大部の高校生向け教科書が単価 3〜6 ユーロくらいの破格の安さで市販されており,とくにギリシア史や古典ギリシア語のものなどは,ギリシア語を学ぶ日本の私たちが手もとにもっていてもおもしろいのではないでしょうか.


ヘブライ語 (イスラエル).――  מאגנס (www.magnespress.co.il) はヘブライ大学の出版局にあたるようです.インターナショナル版 (英語版) への切りかえができ,メールでの連絡も英語でできます.支払いはドル建てでした.発送は平均的な対応ですが,エルサレムから日本への配達が予想よりずっと早くて驚きました (発送メールから 4, 5 日くらい).サイトにもよく読むと注意書きがありますが,各書籍の重量が記載されていて,合計が何 kg だかを超えると配送手段の都合で送料が跳ねあがり,その場合は同じものを 2 度にわけて注文するほうが安上がりになります.

都合 2 度こちらから本を購入しましたが,2 度とも問題が発生してメールでクレームを入れる事態になりました.1 度めは買った本の一部 (計 16 ページ) が印刷不良で完全な白紙になっており,交換を申しこんだところ返品不要で新しいものをお送りいただきました.2 度めは 6 冊注文したうち 1 冊が入っていなかったのですが,前回のことがあったぶんなんだか申し訳なく,まったくこちらの落ち度ではないのにあきらめてしまいました (4 千円くらいの損).

mardi 21 avril 2015

Heptas Palladi comparatur

「7 はパッラスに似る (=比される)」の意.パッラス Pallas は女神アテーナーの別名で,ローマではミネルウァにあたる,言わずと知れた知恵の女神である.

マルティアヌス・カペッラによる 5 世紀前半の著作『フィロロギアとメルクリウスの結婚』第 I 巻のなかばで,メルクリウスの結婚について進言されたユピテルらが話しあう場面に現れたパッラスについての説明に,数世紀後に付された註からとったものである.カペッラのこの著作は自由学芸たる三学四科を寓意的に説明したもので,中世とくにカロリング・ルネサンス以後,最高学問たる神学の基礎をなすと考えられた七自由学科に関する文献として広くまた長く読みつがれた.


このブログについて


ブログタイトルの当初の案は,博言学 philology すなわち φίλος + λόγος 「言語への愛」のことを称する簡潔で美しい表現を探すことであった.フィロロギアといえばということで思いだしたカペッラの前掲書にそれを求め,擬人化された才女 Philologia に言及した箇所を丹念に追ったが,ピンとくるような章句は結局見つからなかった.そうするうちにノートカーによる註をも含む抄訳の存在を知り,ざっと目を通してみるなかで印象に残る文句があった.「ただ 7 のみが造ることも造られることもない」,これである.こうして「他の誰もが自分に似ることのない孤高の乙女」パッラスにヒロインの座を奪われてしまったのであった.

このブログは筆者の語学学習のメモのために開設した.英語以外の言語を含む諸外国の語学書を集めているのでそうした書籍の紹介,あるいはそれをもとにしたマイナな言語の解説など,国内に先駆者のいなさそうな情報をゆくゆくは発信していきたいが,ほかにもやることが多いのでいつになるかは不確定である.好きなことを仕事にするために,あわよくば語学の知識で身を立てることを目標とするものだが,いまのところそのための具体的な目算は立っていない.継続するうちにおぼろげにでも見えてくるとよいと願っている.


参考文献