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mardi 8 mars 2022

フレイヤとその別名——Simek の北欧神話事典より

ジメクのゲルマン神話事典 (Rudolf Simek, Lexikon der germanischen Mythologie, ³2006) の内容を翻訳紹介するシリーズ第 5 弾にして最終回。これ以上はやりすぎかと思われるので、もっと読みたいかたはぜひともリンクから Amazon に飛んで買ってほしい (ドイツ語を読める必要はある)。私の翻訳の底本は第 3 版だが、これから買う人の便宜のためリンク先は最新第 4 版 (2021) にしてある。


最後に取り扱う内容は女神フレイヤの関連名を一挙紹介。同書 S. 112–14, 129, 200, 264, 404, 459 より、「フレイヤ」Freyja, 「マルドッル」Mardöll, 「ホルン」Hörn (1), 「ゲヴン」Gefn, 「スュール」Sýr, 「ヴァナディース」Vanadís の 6 項目のほぼ全訳である (項目末の参考文献と近現代の受容についてのみ省略)。なお「ホルン」Hörn には同名の女巨人を扱う (2) があるがこれは省いた。

じつはフレイヤの別名はここに挙げられている以外にもまだあり、まずは (スュールの項で触れられているスルル Thulur の同じ箇所に) スキャルヴ Skjalf とスルングヴァ Þrungva がある。前者は本書にも立項されているが、基本的にはユングリンガ・サガ 14 章におけるフィン人の王の娘と説明され、そのあとでフレイヤの一名でもあるとして関連を述べている。後者は項目そのものがない。またメングロズ Menglöð がフレイヤと同一視されることもあり、これもその項には解説されている。その他、全部はまとめきれない。

本稿を補うものとして次の論文をあげることができ、翻訳に際しても参考にした:Britt-Mari Näsström (1996), ‘Freyja—A Goddess with Many Names’, in: Sandra Billington and Miranda Green (eds.), The Concept of the Goddess, pp. 68–77。この著者にはフレイヤに関してだけで 200 頁超の成書になった Freyja: The Great Goddess of the North, 1995, ²2003 があるのだが、残念ながら私は未読である。また、フォルケ・ストレム、菅原邦城訳『古代北欧の宗教と神話』(人文書院、1982) のフレイヤの節 (186–90 頁) も参照し、とくにノルウェーとスウェーデンの地名のカナ表記はほぼこれに従った。

亀甲括弧〔・〕は通例に従って訳者の補足を表す。丸括弧 (・) は原文のもの。エッダ各編の略号は次のとおり:Vsp 巫女の予言、Grm グリームニルの言葉、Ls ロキの口論、Thrk スリュムの歌、Odd オッドルーンの嘆き、Hdl ヒュンドラの歌;Gylf ギュルヴィたぶらかし、Skáldsk 詩語法。


フレイヤ (古ノルド語 Freyja「女性、貴婦人」) は、古スカンディナヴィア神話でもっとも重要な女神であり、恋人たちのための麗しい女神である。彼女はヴァン神族に属し、ニョルズとその姉妹との娘であり、フレイの妹 (にして本来は妻でもあったはず) である。エッダ神話は彼女にオズ Oðr〔またはオーズ Óðr〕という夫がいると言っており (ほかではほとんど言及されていない)、彼とのあいだにフレイヤはフノッス Hnoss とゲルシミ Gersimi〔またはゲルセミ Gersemi〕という娘たちをもうけたという (Gylf 34);この娘 2 人の名前は同義であり「貴重なもの」を意味し、したがってあくまで遅い時期の、女神〔フレイヤ〕自身の詩的流出である。

スノッリは彼女について次のように記述している (Gylf 23):「フレイヤは女神たちのうちもっとも有名である;彼女は天においてフォルクヴァング Folkvangr という名前の場所に住んでおり、戦いに赴くときには全戦死者の半分を受けとり、オーディンがもう半分をとる」(Grm 14 も同様で、スノッリはここでそれを引用している);「彼女の館はセッスルームニル Sessrúmnir という名で、それは大きく美しい。フレイヤが旅をするとき、彼女は猫たちの牽く車に座る (中略)。彼女は恋の歌を好み、恋に関わる事柄においては彼女に願うのが有益である」。

猫たちの牽く車のほかに、隼〔または鷹〕の衣 Falkengewand (フリッグと同様:Thrk 5; Skáldsk 1) とおそらく猪ヒルディスヴィーニ Hildisvíni (Hdl 7)、そしてなかんずく首飾りブリーシンガメン Brísingamen が彼女のシンボルである。

古ノルド語文学においてフレイヤはしばしば話題に出てくる;Thrk では巨人スリュム Thrymr が、フレイヤを妻に得られるならそのときに限り〔盗んで隠していた〕ミョルニルの鎚を引き渡そうと言い、Ls 30 では彼女は姦淫を咎められ、Hdl ではある女巨人と競いあい、そして Odd 9 で彼女は女神フリッグといっしょに願われる。

スノッリはフレイヤの立ち位置を、女神たちのうちでもっとも美しくもっとも重要なものとして強調している。巨人たちの企てにおいて彼女は女神たちの代表者であり、Thrk のみならず、巨人の建築家の話や巨人フルングニル Hrungnir の話においても、巨人たちにとって彼女はいつも何度でも求める価値のある女なのである。

10 世紀のスカルド詩人たちもまた、フレイヤの名を挙げることがまれではない;異教宗教における彼女の代表的な立ち位置の特徴を明らかにしているのは、スカルド詩人ヒャルティ・スケッギャソン Hjalti Skeggjason に関する逸話である。この人物は、異教とキリスト教との対立を背景とした 999 年のアルシング〔アイスランドの全島集会〕において、フレイヤの風刺詩を創作した:「われは吠えたてる神々を好かぬ/わが思うにフレイヤは雌犬なり」。そしてその代償として彼は涜神のかどで法益剥奪刑を受けた (アイスランド人の書 7)。

フレイヤはヴァン神族の出身であり、それゆえに豊穣の女神である。彼女は魔術の教師でもあり、アース神族に魔術をもたらす (ユングリンガ・サガ 4)。スノッリはこれとの関連で、ヴァン神族のもとでは兄弟姉妹間の結婚が一般に行われていることに言及する。このことからフレイとフレイヤにおいて神的な兄妹対/夫婦対を想定してかまわないであろう;フレイヤにオズという名の夫が見いだされるのは、のちになってアース神の社会においてのことである。彼はあるとき長らく不在となって、そのことでフレイヤは黄金の涙を流す (Vsp 25, Hdl 47; Gylf 35)。この話も同様に 10 世紀にはすでに周知であった。

スカルド詩においてフレイヤは多数の名前で呼ばれており、スノッリ (Gylf 34) が列挙するところではマルドッル Mardöll, ホルン Hörn, ゲヴン Gefn, スュール Sýr, さらにまたヴァナディース Vanadís が加えられる。これらの名前を通してフレイヤは、家内の守り神としての性質が際立っている;スュールという別名が指摘しているのは、フレイヤは彼女の兄フレイと同様、豚のシンボルで特徴づけられていたということである;Hdl において彼女は猪〔または豚〕ヒルディスヴィーニにも騎乗している。

同様に Hdl 10 においてフレイヤは、彼女のお気に入りであるオッタル Óttar が彼女の祭壇を築き犠牲を捧げてくれたことを自慢している。そして文献資料はこのほかにはまったくフレイヤの祭儀について知らせてくれないのではあるが、スカンディナヴィアの地名の総数は、フレイヤへの崇拝がスウェーデンとノルウェーにおいて存在していたことを示している;ノルウェーの地名としてはフレイホヴ Frøihov (*Freyjuhof「フレイヤの神殿」から)、スウェーデンの地名としてはフレーヴィ Frövi (*Freyjuvé「フレイヤの聖域」から) などが、公的な祭儀のあったことを示唆しているかもしれないが、守り神や愛の女神としてはむしろ純粋に家庭内の祭儀が期待されるところであろう。


マルドッル (古ノルド語 Mardöll) とは、スノッリ (Gylf 34) が挙げている女神フレイヤの名前のひとつで、スカルド詩においては「黄金」を表すケニングのなかで何度か登場している。その名前の意味は完全に明らかではないが、おそらくマルドッルとは「海を照らす者」(ヘイムダッル Heimdallr と比較せよ)、あるいは「海を膨れあがらせる者」(þöll に比する) の意か?

〔訳注。ヘイムダッルを挙げている箇所は、「世界を照らす者」と解しうるヘイムダッルの -‍dallr という男性形に対して、マルドッルの -‍döll が対応する同じ意味の女性形である可能性があるという理屈である。〕


ホルン (1) (古ノルド語 Hörn) とは、スカルド詩とスノッリ (Gylf 34) において女神フレイヤを表す名前のひとつで、その意味は完全に明らかではないが、hörr「亜麻」と関係があるかもしれない;だからといってただちに彼女が亜麻の収穫の女神とみなすべき (デ・フリースはそうしている〔『古ゲルマン宗教史』§556〕) なのではなく、むしろ亜麻の加工一般——じっさいこれは完全に女性の専門領域であった——の守り神としてみなすべきである。

スウェーデンの地名ヘーネヴィ Härnevi (またイェーネヴィ Järnevi も〔異綴ではなくそれぞれ別の地〕) < *Hörnar-vé「ホルンの聖域」がホルンの祭儀を暗示していることによって彼女は、その他若干数の北欧の、マトロンやディースと類似した女性の守護女神 (フリーン Hlín, スノトラ Snotra, ヴァール Vár などのような) とは一線を画している。


ゲヴン (古ノルド語 Gefn「与える女」) とは、スノッリ (Gylf 34, Skáldsk 35) によれば女神フレイヤを表す名前のひとつで、スカルド詩にも何度か現れている。もしこれが本来独立した守護女神のことだったのでないとすると、この名前はもうひとつの別名としてフレイヤを豊かさの女神として呼称するものであろう。


スュール (古ノルド語 Sýr「雌豚」) とは、女神フレイヤの別名のひとつで、早くもスカルド詩人ハッルフレズ Hallfreðr〔1007 年ころ没〕の作品において、それからスノッリ (Gylf 34) とスルル Thulur〔一種の記憶詩〕のなかに見られる。豚はどうやら祭儀と生贄の習慣においてヴァン神族と、とりわけフレイ・フレイヤ兄妹と密接に結びついているらしいことは、フレイの所有する猪グッリンボルスティ Gullinborsti も示すとおりである。


ヴァナディース (古ノルド語 Vanadís「ヴァン神族のディース」)。フレイヤを表すこの名前はスノッリ (Gylf 34) にのみ見られ、ヴァン神族に数えられるべき女神を表すケニング (「ヴァンの女」) にすぎないと言ってよさそうである。とはいえディースとの関連がまったくありえないわけではない。


dimanche 6 mars 2022

ラグナロク/ラグナレクル/終末論——Simek の北欧神話事典より

ドイツ語を読むのも少しだけ慣れてきた第 4 弾。ジメクのゲルマン神話事典 (Rudolf Simek, Lexikon der germanischen Mythologie, ³2006, S. 92, 340–41) より、「ラグナロク」Ragnarök, 「ラグナレクル」ragnarökr, 「終末論」Eschatologie の 3 項目のほぼ全訳 (項目末の参考文献と近現代の受容についてのみ省略)。


エッダ各編の略号は次のとおり:Vsp 巫女の予言、Vm ヴァフスルーズニルの歌、Ls ロキの口論、HH II フンディング殺しのヘルギの歌その 2、Sd シグルドリーヴァの歌、Hdl ヒュンドラの歌;Gylf ギュルヴィたぶらかし。

さて著者の本論のまえに長々と前置きするのは僭越だが、「ラグナレクル」ragnarökr という見慣れぬカナ表記については説明ないし弁明が必要だろう。これは第一には「ラグナロク」ragnarök と区別がつくようにという目的から決めたものであるが、たんなる表記上の便宜にとどまらないそれなりの根拠もある。

まず同じ ö という母音なのにロとレという揺らぎはおかしいという疑念が当然あるであろう。この母音はもともと ǫ というアに近い広いオの音と、ø というエに近い音とが混同され、1200 年ころから融合し現代アイスランド語と同じ ö の音になったという経緯がある。Ragnarök は本来 -‍rǫk であり、ragnarök(k)r のほうはゲルマン比較言語学の知見より -‍røk(k)r であった可能性がきわめて大だとわかっている (古い写本では ǫ と ø が書きわけられていないためあくまで理論上のこと)。さらに以下でジメクも書いているように、古い本来の ragnarök —— Vsp は西暦 1000 年ころ成立、Vm はそれより古い——に対して ragnarökr のほうは新しいいわば改悪された形であって、もっぱら 13 世紀のスノッリが用いているものであるから、後者の時点ではすでに両母音は合流して ö となり、レで表すほうが適切な発音になっていたはずである。

以上でロ/レについては納得してもらえたものとすると、ラグナロクと「ラグナレク」でよいではないかと早合点されるかもしれないが、最後のルもどうしても必要なのである。というのはこの語はロキの口論でもギュルヴィたぶらかしの用例の過半数でも ragnarök(k)rs という単数属格形で現れている。ここからわかるように -‍rök(k)r の最後の r は語幹に属するのであって、主格の語尾ではない。すなわちスルト Surtr (属 Surts) やウルズ Urðr (属 Urðar) などのように慣習的に省略する語尾のルとは違い、バルド Baldr (属 Baldrs) やアルフォズ Alföðr (属 Alföðrs) などと同様のもので、勝手に省略してはならないルなのである。

最後にもうひとつややこしいことを付け加えるようであるが、じつはスノッリのエッダにおける用例は実際の写本では ragnarök(k) と ragnarök(k)r それぞれの変化形が混じりあっている。既述のとおり後者のほうが多く——これの属格形だけで過半を占め、さらに対格形もある——、前者は写字生の書き間違いだとみなして刊本では ragnarök(k)r に修正・統一されるのが通例である。下でジメクが、スノッリは「一貫して durchwegs」ragnarökr を用いていると述べていること、そしてそれが端的に後代の誤りであると断じているのも通説に従った見解であろう。事典としての性格ゆえか、これらの項目に見られるジメクの説明は伝統的なものである。

しかし従来考えられてきたほど -‍rök「運命」と -‍rökkr「黄昏」はまったくの別物なのではなく、両者は密接に関連しているのだとする新説もある (Haraldur Bernharðsson, ‘Old Icelandic ragnarök and ragnarökkr’, 2007; 上の説明にあたってもかなり参考にした)。神話におけるラグナロクは滅びだけでなくその後の新生までを含めた概念であり、røk(k)r は「黄昏、夕闇」だけでなく「夜明け」の薄暮をも指す言葉である。さらに彼の説に従えば ragnarök の後半要素はじつは rǫk ではなく røk(k) であり røk(k)r と同じ動詞にもとづく可能性があって、太陽の運行を通して「運命、決まった流れ」の語義までは近い。こうして両者はつながっており、スノッリはどちらの名称も互換的に「神々の力の (滅びと) 新生」のような意味で用いていたのだ、というのがその主張である。

とはいえ私見ではこの論文、細部は詳しいが主張の根幹のところで臆測を重ねており、魅力的な説ではあっても説得力はそれほど高くはない。少なくとも、これによって今後は「神々の新生」で決まり!とはいかないように思われる。やはり古くから生き残っている標準的な説にはそれだけの理由があるのであろう。といったところで前置きを締めくくり、ジメクの堅実な解説にお進みいただきたい。


ラグナロク (古ノルド語 ragnarök「神々の終末の運命」) とは、エッダ歌謡において北欧人の終末論を表す名称。一方スノッリのエッダでは (Ls 39 と同様に) 一貫してラグナレクル ragnarökr「神々の黄昏」が用いられているが、これはより後の時代の再解釈を表しているにすぎない。

世界滅亡の観念についての主要資料は Vsp 44–66 節と、Gylf 50–52〔51–53〕におけるスノッリによって注解を付された散文的改作である。

北欧人の宇宙論は、世界の破滅をも含みこんでおり、それは神々にまでも人間と同様に降りかかる。したがって神々の生存には期限がつけられており、そのことは偶然によるのではない:彼らは犯罪と戦争とを通じて人間と同様に罪を負っているのである。

ラグナロクは Gylf 50〔51〕で詳しく描写されている 4 つの大きな終末論的事件によって特徴づけられる:フィンブルの冬 Fimbulwinter、スルトが全世界を無に帰す世界炎上 Weltenbrand、ミズガルズ蛇 Midgardschlange により波立たされた大海のなかでの大地沈没、そして最後にフェンリル狼 Fenriswolf によって飲みこまれる太陽の暗転である。さらなる自然的事件が続いて起こる:大地は震え、岩塊が転がり落ち、世界樹ユグドラシルは揺らぎ (Vsp 47)、ビヴロスト Bifröst の橋は倒壊する (Gylf 50〔51〕)。神々に警告するためにヘイムダッルはギャッラルホルン Gjallarhorn を吹き鳴らす (Vsp 46)。オーディンはミーミルの頭に助言を求め (Vsp 46)、神々は協議する。いまやあらゆる方角から地下世界の軍勢が迫る:ナグルファル Naglfar の船が浮かびあがり、フリュム Hrymr が舵をとって巨人たちとともに来る (Gylf 50〔51〕; Vsp 51 によれば舵をとるのはロキ);スルトはムスペルの子らを率いてくる。とりわけ詳しく物語られるのは戦いの野ヴィーグリーズ Vígríðr (Vm 18) における神々の戦いであり (Vsp 53–58; Gylf 50〔51〕)、そこで神々はエインヘリャル Einherier の支援とともに地下世界の軍勢に対する戦いに踏みこむ。オーディンはフェンリル狼と戦って敗れるが、ヴィーザル Víðarr によって仇がとられる。トールはミズガルズ蛇を殺すが、その毒によって死ぬ。フレイはスルトと戦って敗れる、というのは彼には剣がないからである;テュール Týr と冥府の犬ガルム Garmr が、またヘイムダッルとロキが相打ちになる。最後にスルトがすべてを滅する世界火 Weltfeuer を燃えあがらせる。

この滅亡はしかしながら終局的ではない;円環的な世界観念に従って、浄化された新たな世界が海から浮かびあがるのである。生き残った神々ヴィーザル、ヴァーリ Váli、モージ Móði、マグニ Magni が、かつてのアースガルズの地、イザヴォッル Iðavöllr の平原で相会する;ヘルからはバルドル Balder とホズ Höðr が戻ってくる。そして Vsp の最後の数節は死の竜ニーズホッグ Níðhöggr が最終的に沈むことを語る。

新世界の語りをもつ Vsp 59–66 節は、スノッリがラグナロクとの関連で引用し天と冥府の描写の枠組みにおいて解釈している 37 節と並んで、Vsp のラグナロク物語におけるキリスト教的要素を問う問題へと導いてきた。というのはそれは部分的に、ヨハネの黙示録における天のエルサレムの物語を強く思い起こさせるからである。オルリックはこれらの要素の分離に努力し、それに際して世界の道徳的退廃、ギャッラルホルンを吹くこと、太陽の消失、世界炎上と新世界の物語をキリスト教の影響とみなした。

エッダにおいてラグナロクのほかに世界滅亡を表す類義の名称として、aldar rök (「世の終わり」Vm 39)、tíva rök (「神々の運命」Vm 38, 42)、þá er regin deyja (「神々が死す時」Vm 47)、unz um rjúfask regin (「神々が滅ぶ時」Vm 52; Ls 41, Sd 19)、þá er Muspellz-synir herja (「ムスペルの子らが出陣する時」Gylf 18〔?〕, 36〔37〕)、aldar rof (「世の破れ」HH II 41)、regin þrjóta (「神々の終焉」Hdl 42) がある。


ラグナレクル (古ノルド語 ragnarökr「神々の黄昏」) は、Ls 39 ならびにスノッリにおいて、より古い名称であるラグナロク「神々の運命」にかわって、北欧人の世界滅亡の観念を表す名前として誤って用いられている。スノッリによるこの崩れた形から、今日なおドイツ語ではたいてい「神々の運命 Götterschicksal」ではなく「神々の黄昏 Götterdämmerung」が、ゲルマンの黙示録を意味するのに用いられている。


終末論 (Eschatologie)。最後のできごとと世界の終わりについての諸観念;ゲルマン人におけるそれは、ラグナロクに関する幻視におけるエッダ神話のなかと、余さず明瞭だとはいえない西ゲルマンの概念であるムスペルとにおいて出てくる。とはいえこれらは決して全ゲルマン民族にとってではなく、異教時代後期についてのみ等しく妥当する概念である。


samedi 5 mars 2022

巫女/巫女の予言/巫女の予言短編——Simek の北欧神話事典より

独文和訳の訓練を兼ねたシリーズ第 3 弾。ジメクのゲルマン神話事典 (Rudolf Simek, Lexikon der germanischen Mythologie, ³2006, S. 475–78) より、「巫女」Völva, 「巫女の予言」Völuspá, 「巫女の予言短編 (短篇)」Völuspá in skamma の 3 項目のほぼ全訳 (項目末の参考文献と近現代の受容についてのみ省略)。


エッダ各編の略号は次のとおり:Vsp 巫女の予言、Bdr バルドルの夢、Hdl ヒュンドラの歌、Gylf ギュルヴィたぶらかし。


巫女 (古ノルド語 völva「女予言者、預言者」、本来の意味は「杖を持つ女 Stabträgerin」) とは、女予言者 Seherin を意味する古ノルド語の名。エッダにおいて、とりわけ Vsp と Bdr において、巫女には予言者として重要な役割が与えられている。サガにおいては巫女はしばしば魔女 Zauberin として登場し、それにより中世スカンディナヴィア文学においてゲルマン異教世界の典型的な代表者となっており、常套句としてキリスト教の悪魔視の軽微な傾向をも巫女は示している。女予言者 Seherinnen の項も参照せよ。


巫女の予言 (古ノルド語 Völuspá) は確実に詩のエッダのうちもっとも有名な神話詩である;巫女の予言は 66 の節 Strophen からなっており (うち 62 節は王の写本 Codex Regius に、残り 4 節は第 2 の主要写本であるハウク本 Hauksbók にあるべつの版に含まれる)、幻視的な一人語りの形式をとっている;最初の 2 節と、第 28 節その他の若干の短い暗示が、幻視に枠〔物語〕を与えており、そこでは巨人の女予言者 Seherin がオーディンに情報を分け与えている。そうとはいえこの一人語りは教訓的でもないし真の意味で叙事詩的でもなく、強い視覚的喚起力をもった個々の図像から構成されている。

巫女の予言の最古の写本である王の写本は 13 世紀後半に発するが、この歌そのものはそれよりはるかに古い。ここでそれが 10 世紀初頭のものにせよ (ヨウンソン)、11 世紀前半に生まれたにせよ (ホイスラー)、どのみち下限はヤールのスカルド詩人アルノール Arnórr Járlaskáld のソルフィン頌歌 Þorfinnsdrápa に借用されていることで 1065 年ころと与えられる。ノルダル以来概して巫女の予言は、宗教的変革の風潮と終末の時の到来を待つなかの 1000 年の直前に〔成立年代を〕定められている。散文のエッダにおいてスノッリは、巫女の予言の節を多数引用し、彼の神話記述の資料として豊富に活用したばかりか、この歌の題をもわれわれに伝承してくれている。

巫女の予言は原初の巨人ユミル Ymir から世界が創造されたこと、神々と人間の原初の歴史、また巨人とドヴェルグについて、そしてアース神族とヴァン神族のあいだの最初の戦争について伝えている。その後バルドルの死から、神々と人間にとって危険な力の描写に至り、そのうえにラグナロクにおける終末の事件についての広範な叙述が続く (43–58 節)。しかし太陽の消滅と神々の転落そして破滅的な世界炎上は、最後的な終わりを意味しない:巫女の予言の最後の数節は、来たるべきよりよい世界の誕生を物語っている。

ただにその主題のみからではなく、そのうちに包含する想念に関しても、巫女の予言は並外れて豊饒である。あらゆる神話詩のうちでもっとも印象深いこの作品は、ひたすら異教ゲルマンの神話のみを再現しているのではない (ミュレンホフはそう言うのだが) ということはただちに認識されたが、この歌をもっぱら初期中世・キリスト教的な観念の産物とみなそうとする解釈 (マイヤー) は、巫女の予言にとり決してふさわしくはない。たんにキリスト教的のみならず、インド゠イラン゠印欧的な平行例をも (リュードベリ、ストレム)、またさらにはペルシア゠マニ教的なそれをも (ライツェンシュタイン、シュレーダー)、人は巫女の予言のなかに見いだそうとする。——この歌の内部でゲルマン的な層とキリスト教的な層とを峻別しようとすることも試みられてきたが (オルリック)、この道によって巫女の予言の源泉を決定的に明確化するには至りえない。ノルダルはそこから、この歌はその作者が土着の素材を加工したものであり、たとえキリスト教的な影響も非常に蓋然性が高いにせよ、それについてはその範囲も仲介手段も明らかにはなっていないので、ひとつの統一体としてみなすことを提唱した。多様な由来をもつ諸観念をひとつの不朽の形に鋳造したことは 1 人の単独の詩人による功績なのであって、たとえ彼の作品がおそらくそれじしんで異教時代後期を代表したものではなく、たんに彼の個人的な告白を芸術的な形で表現したものであったとしてもそうなのである。ゲルマン神話の資料として巫女の予言を利用するに際しては、このような制限が見落とされてはならない。宇宙誕生、宇宙論、バルドル、冥府、ラグナロク、終末論の項も参照せよ。


巫女の予言短編 (古ノルド語 Völuspá in skamma, 短い巫女の予言とも) とは、巫女の予言を模倣した作品の名であり、ヒュンドラの歌 29–44 節に保存されている。

巫女の予言短編がかつては Hdl とは独立したひとつの詩として存在していたことはスノッリによっても証明されており、これを彼は Gylf 4〔5〕においてその固有の表題のもとに引用してさえいる。Hdl は 13 世紀の作品であり、巫女の予言短編もそれよりずっと古いということは考えにくく、たぶん 12 世紀のものである。Vsp から逐語的な借用をしているが、文学的にはその原作よりもはるかにひけをとっている;宇宙論的な進展もほとんどなく、もっぱら神々と巨人たちのあいだの血縁関係の羅列に終始している。なかんずくロキと並んでヘイムダッルがとりわけ詳細に扱われているが (35–39 節)、ラグナロクについては、この歌は終末論的な狙いがあるような印象を与えているにもかかわらず、簡略にしか示されていない。——その描写のしかたはおそらく神話叙述を体系化しようとする省察をすでに前提にしており、この理由からも〔成立年代は〕異教神話への学術的関心が目覚める時代、12 ないし 13 世紀に定められるべきである。この歌は——巨人の系譜 (32 節) は別かもしれないが——謎めいたところはほとんどなく、われわれがほかのエッダ資料から知っている神話的な事情を裏書きするのみである;しかしながらそのさいに顧慮されるべきは、巫女の予言短編それじたいがまさしくそれらの資料より作られたのであって、それゆえ神話に関してはたかだか二次的なものであり、ほかのエッダ歌謡と比肩する資料としては考慮に値しないということである。


vendredi 4 mars 2022

ヴァン神族/ヴァン戦争——Simek の北欧神話事典より

自分が読みたかったので続いたシリーズ第 2 弾。ジメクのゲルマン神話事典 (Rudolf Simek, Lexikon der germanischen Mythologie, ³2006, S. 486–88) より、「ヴァン神族」Wanen と「ヴァン戦争」Wanenkrieg の項目のほぼ全訳 (項目末の参考文献と近現代の受容についてのみ省略)。


第 1 の「ヴァン神族」の項目の訳文においては、明示的に Götterfamilie「神族」という語がないところに補うさいには亀甲括弧〔・〕で明らかにしたが、煩雑を避けるため次の「ヴァン戦争」ではただの Asen, Wanen も「アース神族」「ヴァン神族」と訳した箇所が多い。また「ヴァン戦争」の項には詩語法およびユングリンガ・サガからの長めの引用文があるが、これも事典中のドイツ語から訳したものであり、古ノルド語原典にはあたっていない。

エッダ各編の略号は次のとおり:Vsp 巫女の予言、Gylf ギュルヴィたぶらかし、Skáldsk 詩語法。


ヴァン神族〕(Wanen, 古ノルド語 Vanir) は、スノッリ・ストゥルルソンによればアース〔神族〕と並ぶ第 2 の神族の名であるが、異教時代におけるその存在は疑われねばならない。

まずもって、彼の作品でもゲルマンの神々はみなアースと呼ばれているのであるが、スノッリによるとそれらのうちの一グループ、すなわちヴァンたち (ニョルズ Njörðr, フレイ Freyr, フレイヤ Freyja) は、べつの一族に数えられるべきである。彼らはつねにアースと平和裡に暮らしていたわけではなかった。スノッリがヴァン戦争 Wanenkrieg について伝えるところでは、その戦争の終わりに両神族は和平を結び、互いに人質を交換した。

スノッリによってヴァンとしてまとめられている神々は、なによりも豊穣の神々であって、彼らはとりわけ農民人口からは豊作・太陽・雨・よい風を、また航海者や漁師からはよい天候条件を求めて願われていた;フレイに関してはとくに、スノッリはこの豊穣の機能を強調したことで、この神の統治機能にとっては著しく不利になったであろう。ヴァン〔神族〕はまた、アース〔神族〕からは恥ずべきものとみなされた形式の魔法——アースたちはこれをフレイヤを通して知った——を実践していた。それに加えて (スノッリの『ユングリンガ・サガ』4 章によると)、ヴァン〔神族〕のもとではアース〔神族〕とは違い、兄弟姉妹間の結婚が容認されていた。このことは、ヴァン崇拝の本来の担い手たちの社会における、母権制的な環境を示している可能性がある。

ニョルズ、フレイ、フレイヤという神々への尊崇は、はるか昔まで遡ることができる:ニョルズと語源的に同一の女神ネルトゥス Nerthus は、早くもタキトゥス〔『ゲルマーニア』〕において言及されており、青銅器時代の岩壁画に現れている豊穣の神々は確実にこのグループに数えることができる。また著しいのは、スカンディナヴィアにおいてこれらの神々の名前から作られた地名が、——ウッル Ullr を除くと——ほかのすべての神々をあわせたものと総数において釣りあっていることである;それと引きかえ、ヴァンという単語それじたいは地名に見いだされないが、このこともまた、これらの神々とヴァンという概念との結びつきが新しいことを示唆している。

ニョルズおよびその 2 人の子フレイとフレイヤと並び、おそらくより後代にスカンディナヴィアにおいてフレイと重ねられた神、イング Ing がこの神々のグループに数えられる;フロージ Fróði (=フレイ) がかつて独立した神として尊崇されていたということは反対に疑われるべきである;また、ときおり推定されているようなウッル神がヴァン〔神族〕に所属するということはまず証明しえない。

ヴァンという名の語源は、数々の説明の試みがあるとはいえ、なおまだ納得のいく解釈はなされていない。


ヴァン戦争 Wanenkrieg と呼ばれているのは、アース神族とヴァン神族のあいだの戦いのことであり、これはただスノッリと Vsp のあまり意味明瞭でない数節によってのみわれわれに伝わっている。スノッリはヴァン戦争について 2 通りの短い梗概を与えており、1 つはきわめて簡素なもので Skáldsk 1 に見られる:「それはこのように始まった。神々はヴァンと呼ばれた人々と戦争を行った。しかし彼らは和平会議に合意し、次のようなしかたで和平を約定した。すなわち両グループがある容器のところへ歩いていき、そのなかへ唾を吐き入れるとするのだ。そうして立ち去るさいに神々はこの和解のしるしを受けとり、それが失われることのないようにと欲し、かわりにそこからクヴァシル Kvasir という名の人間を創りだした」。

もう 1 つはこれよりいくらか詳しいバージョンで、『ユングリンガ・サガ』4 章にある:「オーディンは軍を率いてヴァン神族に向かったが、彼らはそのことを早くに察知し、自分たちの国を防衛したので、双方とも相手を破ることができなかった。おのおのが相手の国土を荒らし損害を引き起こした。双方ともがそのことに倦むと、彼らは和平会議に合意して和平を結び、人質を交換した。このときヴァン神族はもっとも重要な者たち、すなわち裕福なニョルズと彼の息子フレイを連れてきたが、アース神族はヘーニル Hœnir という名の者を連れてきて、首領としてうってつけの者だと称した。それは背が高く美しい男だった。その男とともに彼らはミーミル Mímir というとても賢い男を送ったが、ヴァン神族はそのかわりに彼らの集団からもっとも利口な者を与え、これがクヴァシルといった」。

これらと並んでスノッリ (Gylf 22〔23〕) は、ニョルズとヘーニルの人質取りに言及し、それによって間接的にヴァン戦争のことをほのめかしている。

Vsp 21–26 もヴァン戦争のことを物語っていると推測され、スノッリはこれらの詩節を知っていたが、スノッリの説明の内容は 2 つとも、Vsp のそれとははなはだしく異なっている;すなわち Vsp においては人質取りについてなにも語られておらず、Vsp においてヴァン戦争の原因となった者はヴァン神族の女予言者グッルヴェイグ Gullveig であるが、彼女のことはスノッリには言及されていないのである。

旧世代の研究において、ヴァン戦争神話はたいてい、紀元前 2 千年紀に実際に起こった戦争の反映とみなされがちである;その当時、定着していた南スカンディナヴィア゠西ヨーロッパの巨石文化が、北西へ進出する戦斧民族によって蹴散らされ、それにもとづいてその後 (非印欧語族の?母権的な?) 巨石文化の担い手たち (=ヴァン?) と印欧語族の戦斧民族 (=縄目文土器文化?=アース?) との混交が生じた。この歴史的できごとがヴァン戦争そしてアース神族とヴァン神族のあいだの平和締結という神話の形式のなかになごりをとどめているというのである (エックハルト)。

反対にデュメジルは、ほかの印欧民族 (ローマ人、インド人) にある類似の神話伝説を指摘し、そこからヴァン戦争を、ある社会内部における社会的摩擦と解釈している。その社会においては階級的に区分された、好戦的な王に従う者たち (=アース?) と、他方では植物崇拝と魔術が意味をもっているような農民階級という、〔2 つの〕グループが対峙していた。これらの社会階層間の平和締結——なるほどこれはヴァン戦争神話においてたしかに本質的な位置を占めている——を通してはじめて、印欧語族社会の秩序だった社会的・宗教的構造は発生したのである (デュメジル、デ・フリース)。


jeudi 3 mars 2022

アールヴとその区分——Simek の北欧神話事典より

ジメクのゲルマン神話事典 (Rudolf Simek, Lexikon der germanischen Mythologie, ³2006, S. 8–10) より、「アールヴ」Alben の項目のほぼ全訳 (項目末の参考文献と近現代の受容についてのみ省略)。

〔2022 年 3 月 7 日追記〕さらに「光アールヴ」Lichtalben, 「闇アールヴ (ダークエルフ)」Dunkelalben, 「黒アールヴ」Schwarzalben の 3 項目 (S. 81–82, 244, 366) を追加で翻訳した。ほかに関連する「アールヴァブロート」と「エルフ」も訳したいところではあるがあまり勝手にいろいろ訳すのもなんなので (出版でもさせてもらえるならやりますが)、あとは上に Amazon へのリンクを貼った原著をご購入ください。私が使っているのは第 3 版ですがリンク先は最新第 4 版 (2021) です。

〔2022 年 3 月 9 日追記〕原著者ジメクには最近、Rudolf Simek (2017), ‘On Elves’, in: Stefan Brink and Lisa Collinson, Theorizing Old Norse Myth, pp. 195–224 という論文があり、本稿にも述べられているようなエッダをはじめとした文献資料のより綿密な用例調査に加えて、新しい考古学的証拠をも援用して当時のエルフ (アールヴ) の観念について再検討している。ひょっとすれば事典第 4 版にはその内容が反映されているのかもしれない (未確認)。


なぜこの翻訳を思い立ったかというに、同書には (底本は初版とはいえ) 英訳 Dictionary of Northern Mythology があるのだが、どうしたことか英訳書にはこの項目が欠けていることを発見したのである。英語版はところどころ項目名にも英語化した語形を用い、したがって項目の順番が入れかわっているのでひょっとしてどこかにあるのかもわからない。それにもかかわらず私がないと結論づけた理由は、古ノルド語の álfar で引くとドイツ語版では → Alben、英語版では → Elves を参照するように指示されているところ、この 2 つの項目の内容がまるで対応していなかったからである。これは版の違いによるのではない;念のためドイツ語の初版 (1984) も確認したが、1 文を除いては第 3 版とまったく変更点はなかった。

じつはドイツ語原書には、神話の「アールヴ」を解説した Alben のほかに、(一部内容は重複しつつも) より周縁的な地域・時代の「エルフ」を説明する Elfen の項目が別個に立てられている (これも初版からある)。英訳の Elves はこの Elfen の項を翻訳したもので、他方 Alben のほうはまったく見落とされ消滅してしまったようなのである。しかしいま言ったように Alben の項目のほうこそ第一に重要なのであって、単純に文章量を比べても倍以上長く、ぜひとも読みたい興味のある項目なのである。わざわざ苦手なドイツ語を苦心して訳したゆえんである。

以下の訳文のうち丸括弧 (・) は原文、亀甲括弧〔・〕は訳者の補足である。必要に応じてドイツ語および古ノルド語の原語を併記した。改段落は原文のとおりである (やたらと長かったりまちまちなのもそのまま)。神話資料の略号は、『詩のエッダ』Vsp 巫女の予言、Háv 高き者の言葉、Grm グリームニルの言葉、Skm スキールニルの言葉 (旅)、Ls ロキの口論、Alv アルヴィースの歌;『スノッリのエッダ』Gylf ギュルヴィたぶらかし、Skáldsk 詩語法。


アールヴ (Alben, 古ノルド語 álfr, 古高ドイツ語 alb, 古英語 ælf;〔女性形は〕古英語 ælfen, 中高ドイツ語 elbinne) は神話的存在の一種。エッダにおいては何度かアース神族とともに言及されており (æsir ok alfar: Ls 2, Grm 4, Skm 7; Skáldsk 1, 29)、Háv では 2 度、アース神族・アールヴ・ドヴェルグという序列でも言及されている。疑いなくアールヴは (あるいはこの多層的な概念のもとに包括された存在の一部は) 実際のところアース神族に近い。アールヴァブロート álfablót という、アールヴに対する崇拝もしくは少なくとも供物についても、散発的な報告がわれわれにまで伝わっている。アールヴという古ノルド語の名称は、Vsp のドヴェルグ一覧表 dvergatal における若干のドヴェルグの名前にも現れており (アールヴ Álfr, ガンダールヴ Gandálfr, ヴィンダールヴ Vindálfr)、これによってアールヴはドヴェルグに接近している。スノッリがドヴェルグをスヴァルトアールヴァヘイムに住むものとしているのは (Gylf 33, Skáldsk 37)、アールヴの下位グループである黒アールヴ Schwarzalben をこれ〔=ドヴェルグ〕と同一視しているようである。鍛冶師ヴィーラント Wieland〔=ヴォルンド Völundr〕の英雄伝説においても (ヴォルンドの歌 10, 13, 32)、ヴィーラントはアールヴたちの指導者にして同胞と呼ばれているが、このことは確実に彼の鍛冶師としての技量と関連づけられている。おそらくドヴェルグとの親縁関係に対して直接にではないせよ、さだめし彼らの性格の悪魔的な面を指しているのが、ぎっくり腰〔ドイツ語で「魔女の一撃 Hexenschuß」〕を意味する「アールヴの一撃 Albschuß」、すなわち古英語 ylfa gescot のような表現である。アールヴと巨人との関連は、『ベーオウルフ』(eotenas ond ylfe) におけるのを除けば Alv にのみ現れるが、ここではたださまざまな存在 (人間、アース神族、ヴァン神族、ドヴェルグ、アールヴ、巨人) が数え上げられているだけである。こうしたアールヴの、スノッリの言う闇アールヴ Dunkelalben ないし黒アールヴというグループと同一視しうるような側面とは対照的に、ノルウェーのハラルド美髪王の系譜のなかの若干の名前 (アールヴ Álfr, アールヴゲイル Álfgeirr, ガンダールヴ Gandálfr, アールヴヒルド Álfhild) のように、まったく異なる種類のアールヴともわれわれは出会う;すなわちこれに関するある出典テクスト (古の王のサガ断片 Sögubrot af fornkonungum 第 10 章) の伝えるところでは、この (アールヴたちの) 系譜はもっとも美しい人物たちを名づけたものだという;しかしながら「アールヴ〜」というのはほかの古ノルド語の人名にもありふれたものである。スノッリも同様に、彼の言う光アールヴ Lichtalben というグループは太陽よりも美しいと称しており、古英語の詩は「すばらしく美しい」という意味で ælfsciene「アールヴのように美しい」を用いている。「太陽」を表す álfrödull「アールヴの車輪」という何度も使われたケニングもこの線に沿ったものだろう。(白い?) アールヴと太陽との結びつきは、彼らの住処アールヴヘイム (Gylf 16) にも表れているが、そこは Grm ではフレイの住処として述べられている。

ドヴェルグとは対照的に、アールヴについてはほとんど名前が伝わっていない;はっきりとアールヴとして言及されているのは〔前出のヴォルンドを別とすれば〕ダーイン Dáinn (Háv 143) だけであり、しかもこれとてほかの場所ではドヴェルグの名前になっている。

スノッリは Gylf 16, 33 において、アールヴを光アールヴ、闇アールヴ、黒アールヴ (ljósálfar, dökkálfar, svartálfar) に分類することを試みており、これに際して彼は、スヴァルトアールヴァヘイムに住むドヴェルグを黒アールヴと同一視している。光アールヴはアールヴヘイムに、闇アールヴは地の下に住む。これについて早くもグリムが指摘しているところでは、一方では明るい高みに住まうすばらしく美しい存在と、他方では地の下に居着く瀝青のように黒い者たちとに分けるスノッリの分類 (Gylf 16) は、民間信仰における天使と悪魔というキリスト教的な二元論に従っている疑いを思わせる。グリムはもう一歩進んで、光エルフ=天使、黒エルフ/ドヴェルグ=悪魔に加えてさらに、闇エルフ (青ざめたエルフ?) を死者の魂と同一視しうると考えていた。いずれにせよこうした可能性が示すのは、より古い詩にもスカルド詩にも証拠を求められないような、スノッリによるこのような神話的存在の体系化の試みを、認めるに際しては注意が必要だということである;だがもしスノッリがこのさいに、彼の時代の民衆宗教的な信仰の観念を反映しているのだとしたら、これらは第一にはキリスト教的な概念であり、そこにおいてアールヴ/エルフは中世スカンディナヴィアの魔除けの護符におけるように、すでに悪魔の同義語である。——アールヴァブロートのもとに引用された事例のうち 2 つは、アールヴはギリシアの英雄崇拝を思い起こさせるような崇拝を人が行うような、尊敬された死者に関わる問題である、ということを示唆しているように思われる。しかしながら上述の事例においては、死者崇拝の要素もたしかにアールヴ崇拝に流れこんでいる。闇アールヴと光アールヴという 2 種類のアールヴは両方とも、2 つの関連した祭儀、すなわち死者の祭儀と豊穣の祭儀とを代表している、ということもまた十分ありうることである。——体系化の傾向はきわめて早く (10 世紀以前の) アングロサクソンの資料に見えており、それらにはすでに北欧の民間信仰のアールヴと古英語のエルフとのあいだの相違がほの見えている。この後者は明らかにケルトの観念による影響を受けている。

語源探究がアールヴ信仰の起源に関する疑問解明の助けになるところはほとんどない:この単語はラテン語 albus「白い」とともに印欧語根 *albh-「輝く、白い」に属し、したがっておそらく「白い霧の人影」のような意味だった;あるいは古代インド語 ṛbhu-「巧みな、名人」につながっていた。どちらの説明も、資料がわれわれに与えてくれているアールヴの複雑な像の、あくまで一面のみを照明するにすぎない。


光アールヴ (Lichtalben, 古ノルド語 ljósálfar〔英語 light elves〕) とはアールヴの一グループであり、スノッリ (Gylf 16) はアールヴを光アールヴと闇アールヴ Dunkelalben とに区分している。スノッリによれば光アールヴはアールヴヘイム Álfheimr に住んでいるといい、そこを彼は天国のような領域のなかに思い描いているらしい。アールヴは彼によって陽の光よりも美しいと描写されており、このさいスノッリはキリスト教の天使を念頭に置いていたようである;このことがとりわけあてはまるのは、彼がギムレー Gimlé は第 3 の天にあり現在は光アールヴだけがそこに住んでいるのだ、と語っている点である。実際にはしかしながら、光アールヴとは早くからアース〔神族〕に近接していたアールヴの一グループ (もしくは一側面) である。


闇アールヴ (Dunkelalben, 古ノルド語 Dökkálfar〔英語 dark elves〕) とは、スノッリによればアールヴの一グループであり、彼は Gylf 16 においてアールヴを闇アールヴと光アールヴとに分けている。闇アールヴのことを彼は「瀝青よりも黒い」とし、光アールヴとははなはだ異なっていると称している。——推測では、アールヴの概念のもとに伝統的にさまざまな神話的存在が統合されたという経験が、スノッリにおいてキリスト教的な民間信仰の諸範疇を手がかりに体系化の試みへと導かせたものであろう;グリムはそれゆえ、スノッリは闇アールヴを悪魔と、光アールヴを天使と同一視していたと考えた点で、ほとんど誤っていた。実際にはしかしながら、おそらく闇アールヴと光アールヴとは、死の祭儀と豊穣の祭儀のように互いに接近した関係にある、死者の霊 Totendämonen という同一の観念の 2 つの側面の問題なのである。


黒アールヴ (Schwarzalben, 古ノルド語 svartálfar〔英語 black elves〕) とはアールヴの一カテゴリであり、スノッリ (Gylf 33; Skáldsk 37) において見いだされうるスヴァルトアールヴァヘイム Svartálfaheim「黒アールヴたちの世界」という名前から導かれうるものである〔すなわち黒アールヴ svartálfr という種族名は単独では使われておらず、あくまで世界の名前の一部として知られているということ。ただここで著者は見落としたと思われるのだが、実際には Skáldsk 35 に複数与格形 svartálfum が出ている〕。スノッリは 2 つの用例においてスヴァルトアールヴァヘイムをドヴェルグたちの住処と呼んでいるので、彼にとってドヴェルグと黒アールヴは同一であったと受けとることができ、2 つの神話的存在のカテゴリのあいだのぼやけた変わり目もそれを物語っている。


dimanche 12 décembre 2021

「九つの世界」は北欧神話の全世界ではない?

北欧神話における「九つの世界」という表現は通例、神々の住まう天上のアースガルズから人間の住む中央のミズガルズ、そして地底のヘルに至るまで、神話の世界全体、全宇宙を指す表現として、数あるゲームやライトノベルなどを通して一般に認められている。しかし神話の原典であるエッダをよくよく読んでみると、じつはそんなふうにはほとんど使われていないようなのである。そうだとすればわれわれはこれまで大いなる勘違いをしてきたことになるし、いまも世間にその誤解が繰りかえされているのは由々しき事態である。本稿ではまずそうした現状を確認したうえで、それがいかに不安定な基盤の上に立っているかを説明してみたい。

本題に入るまえにひとつ前置きをしておきたい。本稿の内容は Wikipedia の「九つの世界」の記事とかなりの程度重複するけれども、それはその項目の現在の版 (2021 年 12 月 6 日以降の全面改稿版) を書いたのがほかならぬ私じしんだからである。しかし無論のこと Wikipedia は独自研究を発表する場ではないし、そこにはあまり自由すぎる説明や私個人の雑感も書きこむわけにゆかない。別途にこのブログエントリを設けるゆえんである。そういう事情なので、本稿の内容はその記事に強く依拠しているように見えるだろうが、まさか私が Wikipedia で読みかじっただけというふうに思われるとすればそれは話が逆で、執筆した当人なのだから内容が重なるのは当然のことだし、ましてや剽窃でもない。


世間的な理解


一般的に「九つの世界」という言いまわしが北欧神話の全宇宙を指す総称として理解されているという現状の確認から始めよう。北欧神話の第一の資料といえば『詩のエッダ (古エッダ)』と『散文のエッダ (新エッダ、スノッリのエッダ)』であるが、わが国には谷口幸男訳『エッダ—古代北欧歌謡集』(新潮社、1973 年) という重要な訳業があり、これは『詩のエッダ』の全体と『散文のエッダ』のうちもっとも重要な第 1 部「ギュルヴィたぶらかし」の全訳を収めた唯一のもので、いやしくも北欧神話を学ぼうという者がこの本を通らないということはありえない。それほど基本的な図書であるが、その本のなかのエッダ詩「巫女の予言」2 節に見られる「九つの世界」という表現に付した訳注 7 で、その内訳を谷口は次のように解説している:
(七)九つの世界——1アース神の国、アースガルズ 2ニョルズとその一族の国、ヴァナヘイム 3フレイ神により支配される妖精の国、アールヴヘイム 4火の巨人スルトの支配する火の世界、ムスペル 5人間界、ミズガルズ 6巨人族の国、ヨーツンヘイム 7死者の国、ニヴルヘル 8暗黒の妖精または小人の国、スヴァルタールヴァヘイム 9極北の世界。(16 頁)
また山室静による北欧神話の再話とも概説ともつかない折衷的な入門書『北欧の神話』(ちくま学芸文庫、2017 年〔底本は筑摩書房《世界の神話》シリーズ、1982 年刊〕) は、やはり「巫女の予言」の当該部分に触れて「北欧人は、世界は九つあると考えていたようです」と述べたあと、その世界というのは「ほぼ次の九つだと思われます」として次のとおり列挙している (32–33 頁):一、アスガルド。二、ヴァナヘイム。三、アルフヘイム。四、小人の国、とくにスヴァルトアルフヘイム。五、ミッドガルド。六、ヨツンヘイム。七、ムスペルヘイム。八、ヘルあるいはニブルヘル。九、極北の世界ニブルヘイム。谷口前掲書とは一部順番やカナ表記などに違いがあるが、ほぼ同じものを考えていることが見てとれる。

高名な神話学者の吉田敦彦がジョルジュ・デュメジル『ゲルマン人の神々』(松村一男訳、TBS ブリタニカ、1980 年) の巻頭に寄せた解説中で、「わが国におけるゲルマン神話研究の最高権威者と目されている、山室静氏と谷口幸男氏との両名の碩学者たち」(10 頁) と評しているように、この 2 人は旧世代の日本の北欧神話研究を牽引してきた双璧ともいえ、一般読者への神話・文学の紹介にも骨を折ってきた偉人たちである。彼らが現在に至るまで日本人の北欧文学理解に及ぼしてきた影響は深甚であり計り知れない。

では「九つの世界」をこのように理解しているのは彼らが原因であって日本人だけの話なのかというと、どうもそうではないようである。ニール・ゲイマンによる最新の再話『物語 北欧神話 (上)』(金原瑞人・野沢佳織訳、原書房、2019 年) では、ユグドラシルの接する「九つの世界とは、次のとおり」として、アースガルズ、アールヴヘイム、スヴァルトアールヴヘイム (別名ニザヴェッリル)、ミズガルズ、ヨトゥンヘイム、ヴァナヘイム、ニヴルヘイム、ムスペッル、ヘルという順に説明している (36 頁)。またトム・バーケット『図説 北欧神話大全』(井上廣美訳、原書房、2019 年) にも次のように書かれている:
創造の中心にミッドガルドがある。ミッドガルドは、しずくを垂らすユグドラジルの大枝の下にある人間たちが住む世界だ。しかし、ミッドガルドだけが唯一の世界ではない。全部で9つの世界があると言われている。それらには、神々、巨人、エルフ、ドヴェルグ、生きている者、そして死者が住む。(28 頁)
そのものずばり「9つの世界」と題された章の冒頭であるが、ここに挙げられている住人たちのリストと、続く描写 (とくに 30 頁にある図) を見ていけば、バーケットもやはりゲイマンのリストと同じものを指してそう呼んでいることは明らかである。これらの原著はそれぞれ 2017 年と 2018 年に刊行されたもので、たしかについ最近の英語圏でも同様の理解が普及していることがわかる。


原典における用例


ところがエッダの原文にあたってみると、このように天上・地上・地下からなる全宇宙を指して「九つの世界」と言っている実例はほとんど存在しないのである。エッダにおける「九つの世界」(níu heimar) の用例は『詩のエッダ』の「巫女の予言」と「ヴァフスルーズニルの歌」にそれぞれ 1 例、また『散文のエッダ』に 1 例が観察されるが、それらを次に掲げてみよう:
níu man ek heima, / níu íviðjur, / mjǫtvið mæran / fyr mold neðan.
九つの世界、九つの根を地の下に張りめぐらした名高い、かの世界樹を、わたしはおぼえている。
(「巫女の予言」2 節 5–8 行、谷口訳)
níu kom ek heima / fyr Niflhel neðan; / hinig deyja ór helju halir.
人間が死に冥府からくだる/ニヴルヘルの下にある世界の/九つを私はおとずれた。
(「ヴァフスルーズニルの歌」43 節 6–8 行、菅原訳)
Hel kastaði hann í Niflheim ok gaf henni vald yfir níu heimum at hon skipti ǫllum vistum með þeim er til hennar váru sendir, en þat eru sóttdauðir menn ok ellidauðir.
オーディンはヘルをニヴルヘイムに投げ込み、九つの世界を支配する力を彼女に与えて、彼女のところに送られるすべての者たちに住居を割り当てることができるようにした。それは、病気で死んだ者と寿命がつきて死んだ者たちだ。
(「ギュルヴィたぶらかし」34 章、谷口訳)
このうち後 2 者は明らかに、全世界ではなく地下にある冥界だけを指して「九つの世界」と表現している。まず最後のものから見てみよう。ここではオーディン——原文は名前でなく「彼」で、その前文ではアルフォズルという称号で呼ばれているのだが——によってヘルに「九つの世界を支配する力」が与えられたというが、言うまでもなくアースガルズやミズガルズなどを彼女に支配させるはずがない。ヘル女神が支配しているのはむろん死者の世界だけであって、現にその支配権が賦与された目的は病気や老衰で「死んだ者たち」を管理できるようにするためだと語られているとおりである。したがってここでは死者の世界が九つあると言われているのである。

2 番めのものも「ニヴルヘルの下にある世界」と読んでのとおり単純明快で疑問の余地はない、と言いたいところだが、エッダを読んだことのあるかたには違和感を生じるかもしれないので補足しておく。この「ヴァフスルーズニルの歌」の当該箇所は菅原邦城による訳 (『北欧神話』東京書籍、1984 年、42 頁) を引いたものだけれども、谷口訳では次のように訳されており、こちらは全世界を意味しているように読める:
それは、わしがあらゆる世界をへめぐって歩いたからだ。わしは九つの世界をめぐり、人が死んでくだるニヴルヘルまで降りたものだ。
じっさい私も以前はこの訳文で理解していたので、この「九つの世界」は当然全世界のことだと思いこんでいた。しかしここは谷口の訳文に語弊があり、さきに確認した「ギュルヴィたぶらかし」の記述と考えあわせると菅原訳のほうが適切と思われるのである。英訳をいくつか参照してみても、Terry 訳 (²1990) が ‘nine worlds under Niflhel’、Orchard 訳 (2011) と Dodds 訳 (2014) が ‘nine worlds below Niflhel’、Crawford 訳 (2015) が ‘nine realms beneath Hel’ となっており、揃ってヘル・ニヴルヘルより下に九つを想定している。エッダ詩集の詳しい校訂版・注解書を公刊したアーシュラ・ドロンケは ‘the nine worlds down to (? below) Niflhel’ とし、地下内部の位置関係に関して九つの冥界のうちの最下層をニヴルヘルとみなすほうがもっともらしいと考えているが、結局「九つ」をすべて死者の領域 (realms of the dead) とする点では軌を一にしている (Dronke 1997, The Poetic Edda. Volume II: Mythological Poems, p. 109)。

このようにして意外にも、「九つの世界」の用例 3 つのうち 2 つまでが地下世界を指しているとすれば、アースガルズをはじめとした天上および地上の世界を含めた全宇宙の総称であると解する根拠はきわめて薄弱と言わねばならない。いやそれどころか、唯一の根拠たりうる最初の 1 例についてもじつは残り 2 例と同様に、地下世界を意味する文脈にあるとも読めるのである。問題の「巫女の予言」2 節について、ヘルマン・パウルソンは次のように書いている:
「土のなかに」という言い回しは、従来より解されてきたように、「名高い測り樹〔=世界樹〕」ではなくむしろ「九つの世界」を形容していることは、ほとんど疑いがない。
(『オージンのいる風景』東海大学出版会、1995 年、129 頁。〔〕内は引用者)
彼はこれに続けて残り 2 例の「ヴァフスルーズニルの歌」と「ギュルヴィたぶらかし」における表現も引いているが、さらに「グローッティの歌」やいくつものサガに見られる女予言者たち、当時のラップ人の呪術者たちの描写から推して、当の「巫女の予言」の詩人として想定される巫女の姿を復元しこのように述べているようである。本書は来日講演がもとになって日本オリジナルで刊行されたものであるが、この翌年に公刊された英語版の校訂・注解においてヘルマンは、この「巫女の予言」2 節後半は 5 行めと 8 行めが „Níu man ek heima fyr mold neðan“「地の下にある九つの世界を私は知っている」とつながるのだと断言し、中間の 6–7 行 „níu íviðiur, miǫtvið mæran“ はダッシュに括り入れて読ませている (Hermann P. 1996, Vǫluspá: The Sibyl’s Prophecy, pp. 47, 59)。

一方さきにも引いたドロンケはそこまでの確信は表明しておらず、この fyr mold neðan「地の下に」は第一義的には世界樹の根のことを述べているのだとするが、より一般的にすべての地下世界のことも含んで nío heima ... fyr mold neðan と連絡する可能性は彼女も認めている (Dronke, p. 110)。英訳書のなかでは Terry もこの箇所に ‘nine worlds under the earth’ を採用している。


おわりに


以上が正しいとすれば、両エッダにおいて「九つの世界」という語句はつねに地下世界の拡大図として使われており、全世界を指す用例はひとつもないことになる。いや、解釈の難しい「巫女の予言」だけは全世界を意味するのだとみなしたとしても、それでも 3 分の 1 にすぎない。神界や人間界を含む使いかたが本来的であったと考えうる理由は不足しているというべきだろう。

そもそも両エッダに限定せず古ノルド語の資料すべてを通覧しても、そのなかに「九つの世界」の名前を具体的にリストアップした箇所は存在せず、それゆえにいずれの世界が含まれるのか不明確で論者により世界のリストが異なってくるわけだが、そんな曖昧さが生じているのはなぜなのかと考えてみたとき、事実そのような意味で「九つの世界」と言われたことがなかったのだとすればそのことはすんなりと納得されよう。アースガルズやヴァナヘイムなどが入るかどうか、「九つの世界」とはいったいどれどれかと現代人が考えているのは、中世の北欧人からすれば見当はずれで噴飯ものの議論なのかもしれない。

とはいえそうだとすれば残る謎は、現在のような「九つの世界」の解釈はいつどのようにして生じたのかという問題である。このことを跡づける作業は容易ではなさそうだが、おそらくはアースガルズ、ヴァナヘイム、アールヴヘイム、……と名前のついた重要な世界を数えていった結果がたまたま 9 つ前後になっていることが、「巫女の予言」の解釈の食い違いや「ヴァフスルーズニルの歌」の誤訳と結びついてしまったのでないかと想像される。

冥界の集合を表す「九つの世界」にとってもうひとつ不幸だったのは、そこにはダンテが『神曲』で描いた地獄のように 9 層のひとつひとつに綿密な描写があり名前がついていたわけではなく、ニヴルヘルひとつを除いては名もなく内実もいっさいわからなかったことである。九の冥界に名前だけでも残されていれば、全宇宙の意味に転用される可能性はずっと低まっていただろう。

dimanche 22 août 2021

下宮・金子『古アイスランド語入門』テキスト 6

下宮忠雄・金子貞雄『古アイスランド語入門——序説・文法・テキスト・訳注・語彙』(大学書林、2006 年)、テキスト編 6「スノリのエッダ」(74–76 頁) の文法解説。原典は「ギュルヴィたぶらかし」第 3, 15, 51, 53 章からの抜粋。最後の 12「巫女の予言」を除けば今回がいちばん長いだろう。本の注解には完全に誤っているところ (er til = to which?) や語彙集のミスで正しく読めないところが散見され、そういった場合に悩む学習者の参考になれば幸いである。



[3] Gangleri hóf svá mál sitt: “Hverr er œztr eða ellztr allra goða?”


Gangleri (男) 単主「ガングレリ」。「旅路に疲れた者」の意か。下宮・金子の注および訳はギュルヴィ゠ガングレリをオーディンだと言っているが、人間であるスウェーデン王が神々のことを知ろうとして訪ねてきて、最後はまた人間世界に戻るのだからそれはおかしい。ジメクはガングレリがオーディンの異名であることに触れたあと、「スノッリは神々のところへ来るギュルヴィをもガングレリと名づけているが、これは確実にオーディンと同一ではない」と言っている (Simek, Lexikon der germanischen Mythologie, Gangleri の項)。もっともハール、ヤヴンハール、スリジおよびガングレリがすべてオーディンの別名でもあるところから、これが全部オーディンの 4 役による一人芝居、自作自演であるとする解釈もないではない (水野『生と死の北欧神話』32 頁)。

hóf 過 3 単 < hefja「始める」。

mál (中) 単対「言葉」。

sitt ↑中単対。

hverr 男単主。疑問代名詞「誰」。

œztr 最上級・男単主「もっとも高い」(原級なし)。

eða 接「または」。

ellztr 最上級・男単主 < gamall「古い、年老いた」。標準化つづりでは elztr。

allra ↓中複属 < allr。この課にはたいへん多様な allr の変化形が出てくるので注意して見られたい。

goða (中) 複属 < goð「神」。最上級 œztr, ellztr の比較する範囲を定めている複数属格「すべての神々のうちで」。


Hár segir: “Sá heitir Allfǫðr at váru máli.[”]


segir 現 3 単 < segja。最初の動詞は過去であったが、ここから現在が 3 度続く。これはいわゆる歴史的現在もしくは物語の現在と呼ばれるもので、非常にしばしば現れまた唐突に交替する (Gordon and Taylor, §167)。

Hár (男) 単主「ハール」。「高き者」の意。

男単主。指示代名詞。

Allfǫðr (男) 単主「アルフォズル」。「万物の父」の意。

váru ↓中単与 < várr。所有代名詞。

máli (中) 単与 < mál。


Þá spyrr Gangleri: “Hvar er sá guð eða hvat hefir hann unnit framaverk?”


spyrr 現 3 単 < spyrja「尋ねる」。

hvar 副「どこに」。

guð (男) 単主「神」。

hvat ⇣中単対。疑問代名詞。単独でも「何を」のように使えるが、ここでは framaverk にかかって「どんな偉業を」。

hefir ... unnit 過完 3 単 < vinna「働く」。

framaverk (中) 単対「立派な仕事、偉業」。


Hár segir: “Lifir hann of allar allðir ok stjórnar ǫllu ríki sínu ok ræðr ǫllum hlutum, stórum ok smám.”


lifir 現 3 単 < lifa「生きる」。

of 対格支配。「〜にわたって、を通じて」。なぜか語彙集では虚辞としか書かれておらず、これでは訳せない。

allar ↓女複対 < allr。

allðir (女) 複対 < ǫld「時代」。allðir という形では本書の語彙で読めないので、Faulkes の版に従い aldir と読む。これは ǫld の複対。

stjórnar 現 3 単 < stjórna「統治する」。目的語は与格なので自動詞と書かれている。

ǫllu ↓中単与 < allr。u-ウムラウトによって a が ǫ になっている。本書の語彙集では ǫ のところで引いても載せてくれているが、可能なら a だと見抜いて引けるようにならないといけない。

ríki (中) 単与「王国」。

sínu ↑中単与 < sinn。

ræðr 現 3 単 < ráða「支配する」。語彙集には他動詞と書かれているが、「支配・統治する」の意味のとき目的語は与格。

ǫllum ↓男複与 < allr。

hlutum (男) 複与 < hlutr「物、部分」。

stórum ↑男複与 < stórr「大きい」。

smám ⇡男複与 < smár「小さい」。


Þá mælti Jafnhár: “Hann smíðaði himin ok jǫrð ok loptin ok alla eign þeirra.”


mælti 過 3 単 < mæla「語る、言う」。さきほどまで segir, spyrr, segir と現在形の伝達動詞が続いたが過去に戻った。

Jafnhár (男) 単主「ヤヴンハール」。「等しく高き者、同じほど高き者」の意。この日本語は定訳ながらわかりにくいかもしれないが、前出のハールと比べて同じ高さ・尊さということ。そしてそういう名前なのになぜかハールよりも高い席に座っているのがおもしろい。

smíðaði 過 3 単 < smíða「作る」。

himin (男) 単対 < himinn「天」。

jǫrð (女) 単対「地」。

loptin (中) 単対・定 < lopt「大気、空」。

alla ↓女単対 < allr。

eign (女) 単対「財産、所有物」。

þeirra 3 中複属。「それらの」。複属では 3 性同形だが、ここでは himinn ok jǫrð ok loptin という混合集団を指すので中性複数。


[15] Þá mælti Gangleri: “Hvar er hǫfuðstaðrinn eða helgistaðrinn goðanna?”


hǫfuðstaðrinn (男) 単主・定「主たる場所、首府」。hǫfuð「頭、首」と staðr「場所」が複合しているだけ。

helgistaðrinn (男) 単主・定「聖所、聖地」。これも heilagr「聖なる」がついているだけ。

goðanna (中) 複属・定 < goð。


Hár svarar: “Þat er at aski Yggdrasils; þar skulu guðin eiga dóma sína hvern dag.”


svarar 現 3 単 < svara「答える」。また現在時制になった。

aski (男) 単与 < askr「トネリコ」。

Yggdrasils (男) 単属 < Yggdrasill「ユグドラシル」。「ユッグの馬」の意で、ユッグはオーディンの別名。

skulu 現 3 複「〜すべきである、することになっている」。

guðin (中) 複主・定 < guð。

eiga 不「所有する」。eiga dóma で「裁判にかける」の意。

dóma (男) 複対 < dómr「意見、判決」。

sína ↑男複対 < sinn。

hvern ↓男単対 < hverr「各、おのおのの」。

dag (男) 単対 < dagr。時間の対格。hvern dag で「毎日」。


Þá mælti Gangleri: “Hvat er at segja frá þeim stað?”


þeim ↓男単与。指示代名詞。

stað (男) 単与 < staðr。この文全体が「どんな場所か」とごく簡潔に訳されているが、省略せずに直訳すれば「その場所について語られるべきことは何ですか」。


[Þ]á segir [J]afnhár: “Askrinn er allra tréa mestr ok beztr; limar hans dreifaz yfir heim allan ok standa yfir himni.


前頁にあわせて Iafnhár を J- に改める。

askrinn (男) 単主 < askr。

allra ↓中複属。

tréa (中) 複属 < tré「木」。

mestr 最上級・男単主 < mikill。

beztr 最上級・男単主 < góðr。

limar (女) 複主「枝」(複のみ)。

hans 3 男単属。askrinn を受ける。

dreifaz 現 3 複「伸びる」。標準化つづりでは dreifask。

yfir 対格支配。「〜の上を」。

heim (男) 単対 < heimr「世界」。

allan ↑男単対 < allr。

standa 現 3 複「立っている」。

yfir 与格支配。「〜の上に」。さきほどと格が異なるのは、空間に「伸び広がる」対格と静止した位置に「立っている」という動詞の違いかと思われるが、次の文末の stendr yfir Niflheim も参照のこと。

himni (男) 単与 < himinn。


Þrjár rœtr trésins halda því upp ok standa afar breitt; ein með ásum, ǫnnur með hrímþussum, þar sem forðum var Ginnungagap; en þriðja stendr yfir Niflheim.


þrjár ↓女複主 < þrír「3 つの」。

rœtr (女) 複主 < rót「根」。

trésins (中) 単属・定 < tré。その木=ユグドラシルを指す。

halda 現 3 複「保つ」。

því 3 中単与。人称代名詞。指示対象は tré(it) で、やはりユグドラシルを指す。Dative of object (目的語の与格) と注があるが、Gordon and Taylor (§158) はこれも instrumental dative (具格的与格) と呼ぶ。

upp 副「上へ」。ここでは halda upp で「支える」の意。

afar 副「非常に」。

breitt 副「広く」。breiðr「広い」の中性単数の副詞用法。

ein 女単主 < einn「1 つの」。女性名詞 rót が省略されている。

með 与格支配。「〜とともに」。

ásum (男) 複与 < áss「神、アース神族」。

ǫnnur 女単主 < annarr「第 2 の」。やはり rót が省略。

hrímþussum (男) 複与 < 複主 hrímþursar「霜の巨人」。注のとおり -rs- が同化して -ss- となっている。

forðum 副「かつて、昔」。

Ginnungagap (中) 単主「ギンヌンガガプ」。「大口を開けた深淵」の意かと言われている。

þriðja 女単主 < þriði「第 3 の」。もちろん rót が省略。

stendr 現 3 単 < standa。

Niflheim (男) 単対 < Niflheimr「ニヴルヘイム」。前文と異なり、ここでは動詞が standa なのに yfir + 対格となっている。しかし前掲の Faulkes によるエディションでは yfir Niflheimi と読まれており与格である。この場合は前の説明で一貫することになる。


En undir þeiri rót er til hrímþursa horfir, þar er Mímisbrunnr, er spekð ok manvit er í fólgit, ok heitir sá Mímir er á brunninn; hann er fullr af vísindum, fyrir því at hann drekkr ór brunninum af horninu Gjallarhorni.


undir 与格支配。「〜の下に」。

þeiri 女単与。指示代名詞。関係節 er がかかるため rót についている。

hrímþursa (男) 複属 < hrímþursar。

horfir 現 3 単 < horfa「向く、向かう」。方向は til + 属格で示されている。その箇所に「er til = to which」と注があるがこれは勘違い。til は er ではなく明確に hrímþursa を支配しており、er は þeiri rót を先行詞とし関係節内では主語の役割をしている。もし to which としたら ‘under the root to which the frost-giants reaches’ となり、horfir = reaches は単数なのだから対応する主語がなくトンチンカンになってしまう。‘under the root which reaches to the frost-giants’ が正しい。

Mímisbrunnr (男) 単主「ミーミルの泉」。

spekð (女) 単主「知恵」。

manvit (中) 単主「知恵、理性」。

í 副「その中に」=ミーミルの泉の中に。

fólgit 過分・中単主 < fela「隠す」。主語=隠されているものは spekð ok manvit のはずなのに、動詞が単数の er で過去分詞も中性単数の理由は定かでないが、spekð と manvit がほぼ同義の言いかえなのでまとめて扱い、近いほうの manvit に一致させたためだろうか?

Mímir (男) 単主「ミーミル」。語順がわかりづらければ、Mímir heitir sá er á brunninn「その泉を所有している者はミーミルという名だ」のように並べかえると見やすい。

á 現 3 単 < eiga。前置詞ではないので間違えないように。

brunninn (男) 単対・定 < brunnr「泉」。

fullr 男単主「満ちている」。

vísindum (中) 複与 < 複主 vísindi「知識」。

fyrir því at「〜ということのために」。中単与 því は at 節を受けなおしており、与格支配の fyrir がそれを目的語にとることを明確化している。

drekkr 現 3 単 < drekka「飲む」。

brunninum (男) 単与・定 < brunnr。

horninu (中) 単与・定 < horn「角笛、角杯」。

Gjallarhorni (中) 単与 < -horn「ギャッラルホルン」。horninu に同格「ギャッラルホルンという角杯で」。ギャッラルホルンはヘイムダルがラグナロクのときに吹いて神々を呼び覚ます角笛の名でもあり、これが杯と同一のものであるかは定かでない。


Þar kom Allfǫðr ok beiddiz eins drykkjar af brunninum, en hann fekk eigi fyrir en hann lagði auga sitt at veði.


beiddiz 過 3 単・再帰 < beiða「乞う」。乞う相手が対格 (ここでは自明にミーミルなので省略されている) で、ほしい対象の物は属格に置かれる。再帰 -sk は「自分のために」という間接目的と解せる。

eins ↓男単属 < einn。

drykkjar (男) 単属 < drykkr「飲むこと」。語彙集には「drykkja [女] 飲むこと,一飲み」しか出ていないが、もしそれだとすれば drykkjar という形にはなれないし (斜格はすべて drykkju)、男性の eins も宙に浮いてしまう。これも著者の間違い。

fekk 過 3 単 < fá「得る」。

lagði 過 3 単 < leggja「置く」。

auga (中) 単対「目」。

veði (中) 単与 < veð「担保、代償」。


[51] Úlfrinn gleypir sólna.


úlfrinn (男) 単主・定 < úlfr「狼」。

gleypir 現 3 単 < gleypa「呑みこむ」。

sólna (女) 単対 < sól「太陽」。標準形は sólina だが、弱音節なので落とすこともできる。


Stjǫrnurnar hverfa af himninum.


stjǫrnurnar (女) 複主・定 < stjarna「星」。

hverfa 現 3 複「回る、消える」。

himninum (男) 単与・定 < himinn。


Þá skelfr jǫrð ǫll ok bjǫrg, ok geysiz hafit á lǫndin.


skelfr 現 3 単 < skjálfa「震える」。長い á なら i-ウムラウトで e になるのはおかしいのではないかと一見思われるが、これは l + f, m, p, g, k の前に立つ短い後舌母音 a が長くなるという現象が 13 世紀初頭に起こったため (Gordon and Taylor, §54)。前出の fela—fólgit も同様。

jǫrð (女) 単主。

ǫll ↑女単主 < allr。

bjǫrg (中) 複主 < bjarg「岩、山」。skelfr が単数だったので、こちらは同じ動詞が省略されているとみなせる。語順に忠実に、聞こえる順番に受けとれば、「そのとき震えるだろう、地のすべてが」までいったん言ってしまって、それから「そして山々も (震えるだろう)」と付け足す感じ。

geysiz 現 3 単・再帰 < geysask「突進する」。

hafit (中) 単主・定 < haf。

lǫndin (中) 複対・定 < land。


[53] Upp skýtr jǫrðunni þá ór sænum ok þá grœn ok fǫgr; vaxa þá akrar ósánir.


skýtr 現 3 単 < skjóta「撃つ、撃ち出す」。これも具格的与格をとる動詞。船の場合は「水面に浮かべる、進水させる」の意もあり、その拡張として捉えられるか。主語がない非人称用法で、いわば自然が「地を浮かべさせる」。

jǫrðunni (女) 単与・定 < jǫrð。

sænum (男) 単与・定 < sær「海」。

grœn 女単主 < grœnn「緑の」。次の fǫgr とともに、女性名詞 jǫrð に一致している。

fǫgr 女単主 < fagr「美しい」。

vaxa 現 3 複「成長する」。

akrar (男) 複主 < akr「畑」。

ósánir ↑男複主 < ósáinn「種をまかれていない」。sá「種をまく」の過去分詞に否定辞のついたもの。akrar を直接限定 (修飾) するというよりか、同格で述語的・副詞的に働いているかもしれない。

mercredi 18 août 2021

Chapman『古アイスランド語読解演習』第 15 課

Kenneth G. Chapman, Graded Readings and Exercises in Old Icelandic, 1964 の Lesson 15 の翻訳。とうとう最終課に到達した。少し振りかえって見ると、前々回の第 13 課に至ってようやく 1・2 人称単数の活用、そして前回第 14 課で人称代名詞がようやく揃ったと思ったら、これでもうおしまいである。この課は語形変化の総まとめという趣が強く、まったく新しい事項の割合は少ない。この本文わずか 60 頁の小冊で文法学習がすっかり完了したと考えるのは勇み足だろう。そうは言っても、各課の冒頭 (ときには中間にも) に提示された読解の課題——いずれも真正なテクストである——をこなしてきて、文章を読みとく力が養われてきたと感じるのも決して思い違いではあるまい。ともにここまで読んでこられた読者もそうした達成感を噛みしめながら、それに飽き足らず次のステップに進もうではないか。

もっと基礎の反復練習を続けたいという人には Byock and Gordon, Old Norse—Old Icelandic: Concise Introduction to the Language of the Sagas, 2021 やその別冊の練習問題集である Supplementary Exercises, 2021、あるいは Valfells and Cathey, Old Icelandic: An Introductory Course, 1981、そして時代や地理に関する背景説明も盛りこまれて興味を引く Byock, Viking Language 1, 第 2 版 2018 もおすすめである (以上 4 点はどれも問題の解答がついている)。他方、今度はもっと体系的に整理された本で見通しよく勉強したいという向きには、選択肢はいろいろあろうが Barnes, A New Introduction to Old Norse 1, 第 3 版 2008 をとくにおすすめしておく。

どうしても日本語で学習したいとすれば、選択肢は 2 つしかない。下宮・金子『古アイスランド語入門』大学書林、2006 年は、文法概説の部は少々コンパクトすぎ説明不足で、ここまでの内容を完全に理解していればすでにいくらか物足りなくなっているかもしれないが、読解は結構な分量があり和訳もついていて便利だ (なお下宮『エッダとサガの言語への案内』近代文藝社、2017 年はこれの下位互換である。定価ならとてもお買い得だったが現在のプレミア価格で買うべきではない)。森田『アイスランド語文法』大学書林、1981 年はこのレベルではまだ難解すぎるかもしれないが、絶対にもっていて損をしない本なので挑戦してみてもよいのではないか。



第 15 課
スノッリのエッダ (第 15, 17 章) より

Frá askinum, Urðarbrunni, nornum ok hǫfuðstǫðum goðanna.

Þá mælti Gangleri: “Hvar er hǫfuðstaðrinn eða helgistaðrinn goðanna?” Hárr svarar: “Þat er at aski Yggdrasils. Þar stendr salr einn fagr undir askinum við brunninn, ok ór þeim sal koma þrjár meyjar, þær er svá heita: Urðr, Verðandi, Skuld. Þessar meyjar skapa mǫnnum aldr. Þær kǫllum vér nornir. Enn eru fleiri nornir, þær er koma til hvers barns, er borit er, at skapa aldr, ok eru þessar goðkunnigar, en aðrar álfa ættar, en inar þriðju dverga ættar.”

Þá mælti Gangleri: “Mikil tíðendi kannt þú at segja af himninum. Hvat er þar fleiri hǫfuðstaða en at Urðarbrunni?” Hárr segir: “Margir staðir eru þar gǫfugligir. Sá er einn staðr þar, er kallaðr er Álfheimr. Þar byggvir fólk þat, er Ljósálfar heita, en Døkkálfar búa niðri í jǫrðu, ok eru þeir ólíkir sýnum ok miklu ólíkari reyndum. Ljósálfar eru fegri en sól sýnum, en Døkkálfar eru svartari en bik. Þar er enn sá staðr, er Breiðablik er kallaðr, ok engi er þar fegri staðr. Þar er ok sá, er Glitnir heitir, ok eru veggir hans ok steðr allar ok stólpar af rauðu gulli, en þak hans af silfri. Þar er enn sá staðr, er Himinbjǫrg heita. Sá stendr á himins enda við brúarsporð, þar er Bifrǫst kemr til himins. Þar er enn mikill staðr, er Valaskjálf heitir. Þann stað á Óðinn. Þann gerðu goðin ok þǫkðu skíru silfri, ok þar er Hliðskjálfin í þessum sal, þat hásæti, er svá heitir, ok þá er Alfǫðr sitr í því sæti, þá sér hann of alla heima. Á sunnanverðum himins enda er sá salr, er allra er fegrstr ok bjartari en sólin, er Gimlé heitir. Hann skal standa, þá er bæði himinn ok jǫrð hefir farizk, ok byggja þann stað góðir menn ok réttlátir of allar aldir.”

トネリコ、ウルズの泉、ノルンたち、ならびに神々の首府について

それからガングレリが言った:「神々の首府もしくは聖所はどこにありますか」。ハールが答える:「それはユグドラシルのトネリコのもとにある。そこ、トネリコの下には泉のそばに美しい館があって、その館から 3 人の乙女たちが出てくる。彼女らはこういう名だ:ウルズ、ヴェルザンディ、スクルド。これらの乙女たちは人間たちに寿命を形作る。彼女らを私たちはノルンと呼んでいる。まだもっと多くのノルンたちがいる、彼女たちは生まれた子どもたちそれぞれのところへ寿命を作りにくる。この女たちは神の一族に、またべつの女たちはアールヴの一族に、また第 3 の女たちはドヴェルグの一族に属している」

それからガングレリが言った:「多くの情報をあなたは天について言うことができますね。ウルズの泉のほとりよりも〔ほかに〕もっと主要な場所は何ですか」。ハールが言う:「多くの壮麗な場所がある。それはアールヴヘイムと呼ばれる場所だ。そこには光のアールヴと呼ばれる種族が住んでいるが、闇のアールヴたちは地の下に住んでいて、彼らは見かけにおいて似ておらず、経験において〔=現実に〕はもっとはるかに似ていない。光のアールヴ (妖精) たちは見かけにおいて太陽よりも美しいが、闇のアールヴたちは瀝青よりも黒い。〔挙げるべきには〕まだブレイザブリクと呼ばれる場所があり、〔そこよりも〕美しい場所はなにもない。それからグリトニルという名の場所があり、その壁とすべての柱と門柱は赤い黄金で、またその屋根は銀でできている。まだヒミンビョルグという名の場所がある。それは天のはて、橋頭堡のそばに立っており、そこにはビヴロスト (虹の橋) が天まで来ている。まだヴァラスキャールヴという名の大いなる場所がある。その場所を有するのはオージンだ。それを作ったのは神々で、純銀で葺いた。その館のなかにはフリズスキャールヴがあり、そういう名の高座で、アルフォズル (万物の父) がその席に座るとき、そのとき彼は全世界を見渡す。南の天のはてには、すべてのうちでもっとも美しく太陽よりも明るい、ギムレーという名の館がある。それは天も地もともに滅びてしまうときにも〔依然として〕立っているだろう、そしてその場所に、善良で公正な人々がすべての時代にわたって〔=いついつまでも〕住む〔だろう〕」

〔訳注:抜粋箇所が上掲の下宮・金子『古アイスランド語入門』テキスト編 6. とごく一部ながら重なっている。こちらの記事では文法に特化したべつの説明のしかたを行っているので適宜ご覧いただきたい。〕

15.1—女性複数主格・対格


冠詞の女性複数主格形は inar で、弱変化形容詞の語尾は -u である:inar þriðju。強変化形容詞の語尾は -ar である:goðkunnigar (nornir), allar aldir, litlar sǫgur (読解 14)。

女性複数主格・対格形はどんな場合も同一である。このことは冠詞、強変化形容詞、弱変化形容詞、名詞、代名詞を含む。代名詞の変化形との類似は読解 15 に例示されている:þær er, svá heita (主格)、þær kǫllum vér (対格)。

15.2—変化表の復習:強変化形容詞のすべて (cf. 8.4, 11.9 節)


単数 男性  女性 中性
主格 -r   — (ǫ) -t
属格 -s   -rar   -s
与格 -um  -ri     -u
対格 -an   -a   -t
複数
主格 -ir  -ar    — (ǫ)
属格    -ra
与格    -um
対格 -a  -ar  — (ǫ)

ただし -r で始まる 4 ヶ所 (-r, -rar, -ri, -ra) につき cf. 1.2 節。

以下が同一であることに注意せよ:

  a) 男性複数対格=女性単数対格
  b) 中性単数主格=中性単数対格
  c) 中性複数主格=中性複数対格=女性単数主格
  d) 女性複数主格=女性複数対格
  e) 男性単数属格=中性単数属格

それと同じ同一性が冠詞の語形変化 (cf. 15.3 節) と、部分的には指示代名詞の語形変化 (cf. 15.12、ただし c) は一部のみ) にも現れることに注意せよ。

15.3—変化表の復習:冠詞の変化すべて (cf. 8.9, 11.6 節)


単数 男性  女性  中性
主格 inn  in   it
属格 ins  innar ins
与格 inum inni   inu
対格 inn    ina  it
複数
主格 inir   inar   in
属格   inna
与格   inum (-unum)
対格 ina    inar   in

15.4—変化表の復習:弱変化形容詞のすべて (cf. 8.11, 11.8 節)


単数 男性 女性 中性
主格 -i   -a  -a
属格 -a  -u  -a
与格 -a  -u  -a
対格 -a  -u  -a
複数
主格   -u
属格   -u
与格   -um
対格   -u

15.5—形容詞比較級の変化


形容詞の比較級は特別な変化をもつ。〔読解に出た〕以下を参照:

  fleiri—nornir (女複主) を指す
  fegri—staðr (男単主) と Ljósálfar (男複主) を指す
  svartari—Dǫkkálfar (男複主) を指す
  bjartari—salr (男単主) を指す

完全な変化表は:

単数 男性 女性 中性
主格 -i   -i   -a
属格 -a  -i   -a
与格 -a  -i   -a
対格 -a  -i   -a
複数
主格   -i
属格   -i
与格   -um
対格   -i

これと弱変化形容詞の変化 (cf. 15.4 節) を類似と差異について比較せよ。弱変化形容詞の位置で用いられるときでさえ、比較級の形容詞は比較級語尾をとる:inna fyrri konunga (4.7), inum smærum skipunum (11.4)。

15.6—比較級の作りかた


最上級 (cf. 4.3 節) の場合と同様、比較級は 2 つの語尾のいずれかで作られる:-ar, -r。

副詞の比較級はさらなる語尾を加えない:fyrr (9.3), síðar (読解 12)。

形容詞の比較級は適当な語尾を加える (cf. 15.5 節)。

語尾 -r を加えるときはしばしば幹母音の変化を伴う (-st で最上級を作るときの同様の変化について cf. 4.3 節):fagr—fegri, smár—smæri「小さい」。原級と比較級における幹母音の関係は:

原級 比較級 -r 例
a    e    fagr—fegri—fegrstr
á    æ   smár—smæri—smæstr
ǫ    ø    þrǫngr—þrøngri—þrøngstr「狭い」
ó    œ   stórr—stœrri—stœrstr
u    y    ungr—yngri—yngstr
(j)ú   ý    djúpr—dýpri—dýpstr「深い」

その他の母音は変化しない (例:vænn—vænni—vænstr) か、形容詞の語幹のなかにこれに比されるようなしかたで現れない。これらの母音対応の組を動詞の活用形におけるものと比べよ (cf. 10.2, 12.2, 14.6 節)。

15.7—強変化男性・女性名詞の複数主格・対格


強変化男性・女性名詞の複数主格・対格形は、強変化中性名詞 (cf. 10.3 節) のときほど単純でない。

読解 15 に現れている形から、強変化女性名詞の複数主格・対格はいずれも -ar (meyjar), -ir (nornir, aldir), -r (steðr) で終わりうることがわかる。

強変化男性名詞の複数主格形も -ar (álfar) と -ir (veggir) で終わりうる。

強変化形容詞と冠詞でそうであったように、男性複数対格は複数主格と同じではない:heima, hesta (読解 11.3)、daga (読解 13)、hluti (読解 1)。ほとんどの男性名詞で複数主格と対格の関係は単純である:対格は主格から語末の -r を引いたものと同じである:主格 hestar—対格 hesta、主格 hlutir—対格 hluti。

男性・女性名詞の複数主格・対格に冠詞がくっつくとき、最初の i- は落ちる:hestarnir (< hestar + inir)、dagana (daga + ina)、meyjarnar (meyjar + inar)、nornirnar (nornir + inar)。

5 つの男性名詞は複数主格・対格ともに -r に終わる。それらは faðir, 複 feðr;bróðir, 複 brœðr;fótr, 複 fœtr「足」;fingr, 複 fingr「指」;vetr, 複 vetr「冬」である。

15.8—変化表の復習:強変化名詞の変化すべて (cf. 8.6, 10.3, 4.6, 11.4 節)


単数 男性    女性   中性
主格 -r (cf. 1.2)  —, -r   —
属格 -s, -ar    -ar, -ur  -s
与格 -i, —    —, -u, -i   -i
対格 —      —, -u, -i   —
複数
主格 -ar, -ir, -r   -ar, -ir, -r — (ǫ)
属格     -a
与格     -um
対格 -a, -i, -r   -ar, -ir, -r — (ǫ)

15.9—sonr の変化と a-ǫ-e (i) 交替を示す強変化男性名詞の複数形


男性名詞 sonr の変化はいくぶん不規則である (cf. 読解 1, 2, 12.3, 13):

   単数  複数
主格 sonr   synir
属格 sonar sona
与格 syni   sonum
対格 son    sonu (syni)

単数で a-ǫ-e (i) 交替を示す強変化男性名詞 (cf. 10.7 節) は、複数で sonr と同じパターンに従う変化をする:

主格 skildir    ernir
属格 skjalda  arna
与格 skjǫldum  ǫrnum
対格 skjǫldu  ǫrnu

15.10—弱変化男性・女性名詞の複数


弱変化名詞は複数主格と対格で同じ母音をもつことは、単数の斜格におけると同じである (cf. 8.11):女性 sǫgur (読解 14)、男性 stólpar (stólpi の複数主格)。

強変化名詞の場合と同様、女性の主格と対格は同形である。

強変化名詞の場合と同様、すべての性の弱変化名詞の複数属格・与格形はそれぞれ -a と -um に終わる。少数の弱変化女性名詞および弱変化中性名詞 (cf. 7.5 節) は複数属格語尾 -a の前に本来の幹末の -n をもつ:saga の複数属格 sagna;hjarta の複数属格 hjartna。

15.11—変化表の復習:弱変化男性・女性名詞の変化すべて (cf. 8.11 節)


単数 男性 女性
主格 -i   -a
属格 -a  -u
与格 -a  -u
対格 -a  -u
複数
主格 -ar   -ur
属格    -a (-na)
与格    -um
対格 -a  -ur

15.12—指示代名詞 sá と þessi (sjá)


指示代名詞 sá「それ」と þessi (sjá)「これ」は、その変化形の見かけが似ているためにしばしば混同される。しかしこれらの形は完全に区別できる。代名詞 þessi の変化形のほとんどには中間に -ss- がある (たとえば þessarar:読解 5、þessar:読解 15、þessu:読解 14)。ひとつの形は中間に -nn- があり (þenna:cf. 読解 6)、ふたつは中間に -tt がある (þetta:cf. 読解 8, 13)。

似ている点と違う点は変化表を並べてみればもっともよくわかるだろう (cf. 9.6 節も見よ):

sá「それ、あれ」
単数 男性  女性  中性
主格 sá   sú    þat
属格 þess  þeirar þess
与格 þeim þeiri   því
対格 þann þá    þat
複数
主格 þeir  þær  þau
属格    þeira
与格    þeim
対格 þá  þær  þau

þessi (sjá)「これ」
単数 男性    女性      中性
主格 þessi (sjá) þessi (sjá) þetta
属格 þessa   þessarar  þessa
与格 þessum  þessari    þessu
対格 þenna    þessa    þetta
複数
主格 þessir    þessar   þessi
属格      þessara
与格      þessum
対格 þessa    þessar   þessi

練習問題


必要ならば語尾を埋めなさい:

1. Marg___ hǫfuðstað___ eru á himn__ ok all___ eru þeir fegr___ ok bjartar___ en hǫfuðstað_____ (定形) á jǫrð___. Óðin__ átt__ hǫfuðstað___ sem Valaskjálf hét__, en in___ vitr___ nornir átt__ fagr___ hǫfuðstað___ undir ask_____ (定形).

2. Egil__ valð__ sér góð___ menn ok sterk___ ok fór__ með þeim til Himinbj__rg__ (複数).

3. 2 の文に複数の主語を入れ、必要な変更をすべて行いなさい。

4. Ljósálfar er__ ljós___ álf___ sem bú__ í þeim stað, er Álfheim__ heit___.

5. Urðr ok Skuld er__ vitr___ norn___, er skap__ m__rg___ mǫnn___ aldr.

〔解答〕


1. Margir hǫfuðstaðir eru á himni ok allir eru þeir fegri ok bjartari en hǫfuðstaðunum á jǫrð. Óðinn átti hǫfuðstað sem Valaskjálf hét, en inar vitru nornir áttu fagran hǫfuðstað undir askinum.

2. Egill valði sér góða menn ok sterka ok fór með þeim til Himinbjarga.

3. Egill ok Þorsteinn valðu sér góða menn ok sterka ok fóru með þeim til Himinbjarga.

4. Ljósálfar eru ljósir álfar sem búa í þeim stað, er Álfheimr heitir.

5. Urðr ok Skuld eru vitrar nornir, er skapa mǫrgum mǫnnum aldr.

語彙の復習


名詞 男性 álfr「アールヴ、妖精」、askr「トネリコの木」、dvergr「小人、侏儒」、endi「果て、終わり」、himinn「天」、hǫfuðstaðr「首都」、salr「館」、staðr「場所」、stólpi「門柱」、veggr「壁」

   女性 mey「乙女、少女」、norn「ノルン」、stoð (複 steðr)「柱」、sýn「外見」

   中性 bik「瀝青」、fólk「民族」、goð「神」、gull「黄金」、hásæti「玉座」、silfr「銀」

形容詞 bjartr「明るい」、fleiri「より多くの」、gǫfugligr「壮大・壮麗な」、ólíkr「異なる」、rauðr「赤い」、réttlátr「公正な、正しい」、skírr「純粋な」、sunnanverðr「南の」、svartr「黒い」、þriði「第 3 の」、þrír「3 つの」

代名詞 engi「誰も・何も〜ない」、hverr「それぞれの」、þær「彼女ら」、þessar「これら (女性)」

前置詞 af「〜の、〜から (英 of)」、of「〜のあいだ (英 for [時間])、〜を越えて (英 over [距離])」、við「〜のそば・もとに (英 at)」

副詞 enn「まだ、なお」、miklu (比較級と)「もっと、はるかに」、niðri「下に」

動詞

強変化 farask (fersk)—fórsk—fórusk—farizk「滅びる」
    sjá (sér)—sá—sáu—séð「見る」

弱変化 kalla—kallaði—kallat「呼ぶ」
    skapa—skapaði—skapat「作る、形成する」
    þekja—þakði—þakt「葺く」

句 ólíkr sýnum「見かけの違った」

samedi 7 août 2021

Chapman『古アイスランド語読解演習』第 4 課

Kenneth G. Chapman, Graded Readings and Exercises in Old Icelandic, 1964 の Lesson 4 の翻訳。ここで簡単に「スノッリのエッダ」と呼ばれているのはその第 1 部「ギュルヴィたぶらかし」のこと。邦訳は谷口幸男訳『エッダ——古代北欧歌謡集』(新潮社、1973 年) に収められている。



第 4 課
スノッリのエッダ (第 22 章) から

Annarr sonr Óðins er Baldr, ok er frá honum gott at segja. Hann er beztr, ok hann lofa allir. Hann er svá fagr álitum ok bjartr, svá at lýsir af honum, ok eitt gras er svá hvítt, at jafnat er til Baldrs brár. Þat er allra grasa hvítast, ok þar eptir mátt þú marka fegrð hans, bæði á hár ok á líki. Hann er vitrastr ásanna ok fegrst talaðr ok líknsamastr. Hann býr þar, sem heitir Breiðablik. Þat er á himni.

オージンの第 2 の息子はバルドルで、彼については言うのによいことがある。彼は最良の者で、彼を誰もがほめる。彼はとても容姿端麗で明るく、彼から光が出るほどであり、またある草はあまりに白く、バルドルのまつげにたとえられるほどである。それはあらゆる草のなかでもっとも白く、そこからあなたは彼の美しさを、髪と体との両方の〔美しさを〕推し量ることができる。彼は神々のうちでもっとも賢く、もっとも雄弁で、もっとも親切である。彼はブレイザブリクという名のところに住んでいる。それは天の上にある。

4.1—強変化形容詞の中性単数主格


強変化形容詞の中性単数主格語尾は -t で、形容詞の語幹にじかに付加される:hvítr—hvítt。

特別な語幹規則:1—語幹が -ð に終わるとき、-t に変わる:góðr—gott。

2—語幹が -t に終わりその前がべつの子音であるとき、〔重ねて〕もうひとつの t が付加されることはない:hvítastr—hvítast, beztr—bezt, bjartr—bjart。

4.2—変化表の復習:強変化形容詞の男性・中性の単数主格・属格 (cf. 1.5 節)


   男性 中性
主格 -r   -t
属格 -s   -s

男性単数主格の -r には 1.2 節の細則がかかわる。

4.3—最上級


最上級は形容詞の語幹に -ast または -st を付加して作られる。後者の場合、幹母音はしばしば変化する:fagr—fegrstr (fagr の末尾の -r が最上級形において保持されていることは、この末尾の -r が男性単数主格語尾でなしに、語幹の一部であるということを示している。同様に、vitr (cf. 1.2.4)—vitrastr、しかし hvítr—hvítastr)。

4.4—副詞の作りかた


形容詞の副詞形は中性単数主格形と同一である:fegrst talaðr という句における fegrst「もっとも美しく」、これは文字どおりには「もっとも美しく話されたる」の意。副詞はまた形容詞に接尾辞を付加することでも作られる:vandliga「入念に、注意深く」は vandr「注意深い」から。

4.5—形容詞として使われる過去分詞


過去分詞が形容詞として使われるとき、適当な形容詞語尾をとらねばならない。たとえば jafna「たとえる」と tala「話す」から作られた jafnat と talaðr。これらの動詞は 2 つとも母音のつなぎのある弱変化動詞 (cf. 3.7.1) であり、分詞語幹 (弱変化動詞の場合、過去語幹と同一) は -að で終わる。注意として、過去分詞の場合、語幹の末尾の -ð は中性主格語尾 -t をつけるまえに脱落するのであり、t に変わるのではない (cf. 4.1.1)。

4.6—名詞と形容詞の複数属格


すべての名詞の複数属格は -a に終わる:中性 gras から grasa、また男性 áss から ásanna (= ása + inna で、冠詞の複数属格 inna の最初の i- が母音の後で消失したもの)。こうした複数属格の同一性は女性名詞にも広げられる。

すべての強変化形容詞の複数属格は -ra に終わる:allra grasa。同様に allra ása, góðra ása 等々。この語尾が形容詞の語幹に付加されるとき、男性単数主格語尾 -r に適用されたのと同じ規則 (cf. 1.2 節) に従う:mikilla ása, vænna ása, fagra grasa 等々。

4.7—独立定冠詞の複数属格


独立した位置における冠詞の複数属格は、次の文に例を見られる:

エギル・スカッラ゠グリームスソンのサガ (第 20 章) より

Maðr hét Yngvarr, ríkr ok auðigr, hann hafði verit lendr maðr inna fyrri konunga.

男が〔いて〕ユングヴァルという名で、有力で裕福であり、〔かつては〕先の王たちの家臣であった。

4.8—現在時制の 3 人称複数


動詞の現在 3 人称複数形は (若干の過去現在動詞を除いて) 不定詞と形において同一である。いずれの形も -a に終わり、それが現在幹に付加される:lofa, marka (現在 3 複)、segja (不定詞)。

4.9—不定詞標識 at


不定詞句において不定詞は小辞 at に先立たれる。これは形において前置詞 at や接続詞 at と同一であることに注意せよ。

練習問題


1. 3 人称男性単数代名詞 hann の変化表を書き、暗記しなさい (変化形はすべて読解 4 に出ている)。

2. 必要ならば語尾を埋めなさい:

a) Skip___ var fagr__ ok hvít__. Þat val all___ skip__ bezt__.

b) Baldr hét in__ hvít__ ás__. Hann val all___ ás__ bezt__ ok fegrst__.

c) Konung_____ gekk__ til in__ bezt__ skip__. Þat var i___ vænst__ skip.

d) Yngvar__ var vitrast__ konung_____. Hann var sonr Egil__, líknsam__ mann__ ok fagr__.

3. 第 3 課の練習問題の文 4〔Þeir Þorstein__ ok Grím__ horf__ á land__.〕を現在形で書きなおしなさい。

4. 適した名詞と形容詞を埋めなさい:

a) ______r var ______astr ______anna, ______r ok ______n.

b) Skipit var ____ra ____a ______ast ok ______st.

〔解答〕


1. 主格 hann, 属格 hans, 与格 honum, 対格 hann.

2. a) Skipit var fagrt ok hvítt. Þat var allra skipa bezt.
    b) Baldr hét inn hvítr áss. Hann var allra ása beztr ok fegrstr.
    c) Konungrinn gekk til ins bezta skips. Þat var it vænsta skip.
    d) Yngvarr var vitrastr konungr. Hann var sonr Egils, líknsams manns ok fagrs.

3. Þeir Þorsteinn ok Grímr horfa á landit.

4. a) Baldr var vitrastr ásanna, fagr ok vænn.
    b) Skipit var allra skipa hvítast ok fegrst.

語彙の復習


名詞 男性 áss「神」
   女性 fegrð「美しさ」
   中性 hár「髪」、líki「体」

形容詞 allr「すべての、あらゆる」、annarr「べつの、第 2 の」、beztr「最良の」、eitt「1 つの (中性)」、fagr「美しい」、hvítr「白い」

接続詞 sem「〜するところの人・もの」、bæði ... ok ...「…も…も」

前置詞 af「〜から」、frá「〜から」(注意:つねに与格支配)

副詞 svá「それほど」

動詞 強変化 hann býr「彼は住んでいる」、hann heitir「彼は〜という名である」
   弱変化 þat lýsir「それは輝く」、lofa「ほめる」、segja「言う」
   法助動詞 þú mátt「あなたはできる」

不定詞標識 at

句 á himni「天に」
  fagr álitum「(容貌において) 美しい、端麗な」
  fegrð á hár「髪の美しさ」
  fegrð á líki「体の美しさ」
  þar eptir「したがって、それによると」
  at segja frá「〜について言う」
  hann hafði verit「彼はかつて〜だった〔過去完了〕」