vendredi 8 novembre 2019

ポケモン XY (カロス地方) の道路名の意味

ポケットモンスター XY』の道路にはすべて別名がついており、大部分はフランス語から名づけられている。カナ表記にはヴァ行を使わずバ行になっているが、基本的には読みかたはあっているのでフランス語を知っていればすぐに由来がわかる。6 年まえの作品だが意外にもこれをまとめたページが見あたらなかったので解説してみた (フランス語でないものは原則として除いた)。


1 ばんどうろ=アサメのこみち

2 ばんどうろ=アバンセどおり──過去分詞アヴァンセ avancé「(文化・文明的に) 進んだ、発達した;進歩的な」ととると最序盤の道路にはそぐわないし、不定詞アヴァンセ avancer「前進する」なら通るが以下でほかに動詞を使っている例はない。たぶん名詞アヴァンス avance「前進」の読みかたを間違えたものではないか。

3 ばんどうろ=ウベールどおり──ウヴェール ouvert「開いた、開いている;公開・開放された」。

4 ばんどうろ=パルテールかいどう──パルテール parterre「花壇」。

5 ばんどうろ=ベルサンどおり──ヴェルサン versant「斜面」。

6 ばんどうろ=パレのなみきみち──パレ palais「宮殿」。パルファムきゅうでんにつながる道だから。

7 ばんどうろ=リビエールライン──リヴィエール rivière「川」。ラインは英語。バトルシャトーのある川沿いの道。

8 ばんどうろ=ミュライユかいがん──ミュライユ muraille「壁;城壁、城塞」。コウジンタウンを取り囲む切り立った断崖にちなむか。

9 ばんどうろ=トゲトゲさんどう

10 ばんどうろ=メンヒルロード──メンヒル menhir はヨーロッパ先史時代の、数メートルの細長い石を直立させた巨石記念物を指す、ブルトン語から作られた術語 (maen「石」+ hir「長い」)。ブルトン語はフランス北西部ブルターニュ地方の言語で、フランスをモデルとしたカロス地方でもちょうどセキタイタウンはブルターニュのあたりに位置している。ロードはもちろん英語。

11 ばんどうろ=ミロワールどおり──ミロワール miroir「鏡」。うつしみのどうくつにちなむ。

12 ばんどうろ=フラージュどおり──フラージュ fourrage「まぐさ、飼い葉」。メェールぼくじょうにちなむ。余談ながらメェールぼくじょうはメェークルの脱字ではなく、メール mer「海」に由来するようだが (アズールわんにつながる立地から)、わざわざ「ェ」をはさんでいるのはメェークルともかけているために相違ない。

13 ばんどうろ=ミアレのこうや

14 ばんどうろ=クノエのりんどう

15 ばんどうろ=ブランどおり──ブラン brun「褐色の、茶色の」。カタカナで見るとブラン blanc「白い」のほうがさきに思いうかびやすいが (モンブラン Mont-Blanc のブラン)、現地の色あいからして前者のほうだろう。

16 ばんどうろ=トリストどおり──トリスト triste「悲しげな;陰気な、陰鬱な」。

17 ばんどうろ=マンムーロード

18 ばんどうろ=エトロワ・バレどおり──エトロワ étroit「細い、狭い」とヴァレ vallée「谷、渓谷」からなるが、フランス語では形容詞は一部の語を除いて後置で、しかも vallée は女性名詞なのでエトロワ étroit ではなくエトロワト étroite にしてヴァレ・エトロワトが正しい。

19 ばんどうろ=ラルジュ・バレどおり──ヴァレ vallée「谷」は上と同じもの。前半ラルジュ large「幅の広い」はエトロワと対になっている。

20 ばんどうろ=まよいのもり

21 ばんどうろ=デルニエどおり──デルニエ dernier「最後の」。チャンピオンロードにつながる最後の通りだから。

22 ばんどうろ=デトルネどおり──デトゥルネ détourné「遠回りの、迂回した」。序盤のハクダンシティから来られるが、チャンピオンロードに入るには遠回りしてすべての町を回ってこなければならないから。

jeudi 10 octobre 2019

デンマーク語素読――永遠のフィヨルドの預言者たち (5)

どちらへ、mester? これは英 Mister にあたる敬称の呼びかけ? セリフらしく見えるが引用符で括られていないのではっきりしない。1 人の drager が自身からその kærre を stillet した、そして彼のほうへやってくる。前半は完了、後半は現在。

彼は kuvert を取り出し (?)、それを広げ、adressen とともに紙をその drager に rækker する。船旅だしチケットかなあ、いや船旅は終わったのだとすると宿のチェックインかも。adressen はどう見ても英 address だがこういう多義語には罠がある。だがとりあえず「住所」ととっておいて大丈夫そうか。Drager はその紙を受けとろうとはしない。彼〔=drageren〕は疑わしげに彼〔=モーテン〕を見るああ、とモーテンは思う、〔この drager は〕文盲なのだ。「文盲」analfabet は万国共通なので明らかだ。このおかげでこの段落全体はおぼろげに理解できる。やはり搭乗券かなにかをモギリ (?) に渡しているのだろう。ホテルのフロントが文字を読めないのはちょっと考えにくい。いくら時代が違うとしても宿帳をつけられない者がフロント業務もないだろう。

北通り、とモーテンは言い、デンマーク語でそれを発音しようと試みる。出版者 (?) シュルツ (Schultz) の gård だ。前半はほぼ確実。forsøger は第 2 回で独 versuchen と仮設したもの。「出版者」bogtrykker は前半が「本」bog、後半が trykke でこれは独 drücken, 英 press なのでたぶんあっていると思う。このあたり、短い文章ですぐ段落が変わるので気が楽だ。

この道です、旦那、と drager は言い、彼を fører する。この動詞は案内か先導? ある tolder が彼の pas を folder ud しそれを studerer するところの porten へと。彼は passet を取り戻す。ああ、pas(set) はそのまま「パスポート」か。モーテンはべつの国からこのコペンハーゲンに来ていたわけだ。では studerer は独 studieren, 英 study で、「詳しく検討・検査する」というところか。それで porten は入国審査をする場所なのだろう。で、tolder がその審査官、でも日本語でなんと言ったかな? とりあえず審査官としておくか。

コペンハーゲンは学生を歓迎し希望します、と審査官は言う。muligvis に皮肉的な tonefald で。最後の単語は「トーン、調子」っぽい。mulig-vis もわかりそうな感じはするのだが。前半はたしか独 möglich, 英 possible「可能な、ありうる」のことだった気がする。

こうして彼は sted から traver する、小さな vippekærre の上の hælene のなかの町へ。vippe(r) も kærre ももう見たなあと思いつつわからない。彼は船旅のあとの benene の上で〔=によって?〕smule な usikker である。はい、第 3 回で定かでなかった skib「船」はこの「船旅」skibsrejsen のおかげで確定した。そして今もかつても (?) 少し slingre するために来る。なんだかおかしいな。町のなかの長い通行は overvældende である。「通行」trafikken というのはなんだかわからないがとにかく英語のトラフィックのこと。beværtninger と torvesalg への varer をもつ bondevogne が tordnende しながら来る。これはいけない。だが続きもまた訳のわからぬ単語が頻発する。エールの tønder をもった vogne、暗い skikkelser をもった diligencer が、bukken の上高くの ruderne と kuske の後ろに。さらに støvler を smældende し、目は死んだように stirrende fremad しながら、sted から行進する兵士たち。何度も出てくる af sted というのはいいかげんに辞書を引いたほうがいいな。sted それじたいは「場所、地点」で (では英語の廃語 stead と同源かな)、af sted だと英語の along と off、って「沿って」と「離れて」ではまったく正反対に見えるのだがどういうことなのか……。slagtede gæs か høns または kaniner でできた (?) 大きな bylter を肩に担ぐ男たち。この文はどうも動詞がない (bærer は関係代名詞 der 節のなかなので) 名詞句だけの文。次の文もそうかもしれない、skillingstryk をもって vifter し、彼らが同じ朝に udenad に覚えた韻文から strofer を vræler する少年たち。英 verse と同じ「韻文、詩歌」vers のおかげで少しは見えてくる、日常的な町の風景だ。Brostenene は sæbeglatte である、彼らは決定的でない hinde のなかで svøbt である。モーテンは snubler するが、自分を vender om し彼を引き上げる drageren の上の腕のなかに griber fat する。そのあとで彼〔=モーテン〕は彼〔=drageren〕を fortovet のなかに向かって厳しく skubber する。「厳しく」とした hårdt は英 hard の中性=副詞形、以前に出たときは自信がなかったが辞書で確認した。だが hard じたい多義的なのでこれまた文脈の助けがなければ訳しようがない。段落の半ばほどであるが少し疲れたので中断する。

mercredi 9 octobre 2019

デンマーク語素読――永遠のフィヨルドの預言者たち (4)

本日からいよいよこの小説の本編に入っていく。扉に書かれているのは第 1 部、校長の息子……だろうか? skole は学校に違いないが holder(ens) が心もとない。たぶん英語と同じで保有者ということだと思うが……。とにかくそういう人物が出てくるかどうか少し待ってみよう。

第 1 章、コペンハーゲン、1782–1787 年。なかなかなじみのない時代である。アンデルセンは 1805 年、キルケゴールは 1813 年生まれだから、彼らの父が生まれたくらい、ということは祖父が青年だったほどの時代だ。理解できるかどうか自信がなくなってくると同時に、興味も惹かれる。

雲に覆われた、smule klamt な天気である。「雲に覆われた」は overskyet、これは sky が「雲」なのでたぶん正しいと思う。ノルド語の「雲」が英語に入ってしだいに「空」を意味するようになった話は英語史の豆知識として知っていた。前回までのプロローグもそうだったが、どうしてか地の文の動詞はもっぱら現在形で続いていく。訳文として少し据わりが悪いので過去形にするべきかとも思ったが、まともに訳せていないうちから考える問題ではないのでとにかく書いてあるとおりに移そう。モーテン・ペデルセンが 1782 年 6 月 1 日にコペンハーゲンに到着するときは。順番が前後したがこの da 節のときに先述の天気だったということ。「到着する」ankommer は明らかに独 ankommen なのでわかる。いま言った日付は、彼の 26 歳の誕生日の 10 日後である。ということは彼は 1756 年 5 月 22 日生まれということになるか。彼は座って、chaluppen を vipper し、森の上に戻って kigger する、rheden の上に外への master によって。戻って kigger のところは「振りかえる、顧みる」とかだろうか? rheden は間違いなく借用語だ、rh- なんてつづりがあるわけがない、でもなんなのかわからないのが歯がゆい。時刻は朝の 6 時半。たまさかこういう完璧にわかる文があると本当にうれしい。halv syv (文字どおりには「7 時の半分」) はドイツ語 halb sieben と同じで「6 時半」なのだ。彼は夜じゅう目覚めていた (?)、クリスチャニアからの paketbåden によって dækket の上を行きつ戻りつし、いらいらして、søfolkene の前で ulempe でありながら。søfolkene は sø「湖、海」の folk「人々」に見えるから、「船員」? 残りはちょっと推測がつかない。彼がトルボーデン (Toldboden) の前で kajen の上で跳ねるとき、彼の tøj はエーレスン (Øresund) の prop のように座っている tågen からの fugt によって gennemtrukket されている。うーん……。最後の過去分詞 gennemtrukket はノーヒントではない、gennem は英 through だし、trukket の原形はプロローグでも何度となく見た trække「引く」だ。しかしこの動詞じたい多義的なのでぴったりした訳語を見つけるのは困難。彼は少し forkølet に自分を føler する、そして道の上に hoste があることを知る、しかしそれはさほど遅い時間に (?) とらない。彼はよい konstitution をもっている、この名詞は明らかに独 Konstitution, 英 constitution と同じだが意味は定かでない。まさか「憲法」ではありえないし、「構造、組成」も変だ、独にも英にも「体質、素質」という意味があるからそれだろうか。兄弟姉妹の flokken のなかの udskillelsesprocessen が彼をして overlever のように自分自身を betragte させた。また高度の運命論とともに彼を udstyret した。ちょっと惜しいので最後の udstyre は辞書でカンニングしてしまうと、英 equip ということなので「彼に運命論を備えつけた、もたせた」ということか。旅は 3 日間かかった。これは多少の undervejs を blæst したが、彼は船酔いにはならなかった。søsyg は文字どおり「海の病気」なのでとりあえず船酔いと考えた、たかだか 3 日の話だしまさか壊血病のような本格的な船乗りの病気ではないだろう。彼は føler する、彼はそのはじめての船旅で男たちのように klaret したかと、また mandskabet から anerkendelse のあれやこれやの形を forventet したか、それとも最小のもののなかで〔少なくとも?〕afsked への håndtryk と若干の語を。相も変わらずわからない単語が多すぎて構文もとれない。彼は想像した、彼らは bollemælk のために stikker op しない stoute なノルウェーの knøs についての注意/言及を hvisket したのかと。となると hviske は「無視する」とかかなあ、と思って答えあわせのつもりで辞書を見たら英 whisper「ささやく」だった、まったく想像はあてにならない。だが彼らは一言もなく土地で彼の kiste だけを lemper し、彼を自分自身へ overlader するほかの多数の chalupper が彼の後ろで bolværket に向かって bumper する。chalup(per) は 2 度めの登場だ、これもどう見てもデンマーク語ではないので考えればわかるのかもしれないが。Skikkleser が kajen の上で跳ね、朝の灰色の光のなかで syne へと来て、それらの sække と kister とともに sted によって slæber する。kajen の上で跳ねることはさっき「彼」もやっていたことだ。そういえばプロローグでは最後まで「彼」も「彼女」も正体不明だったが、ここの「彼」は 26 歳の青年モーテン・ペデルセン氏とわかっているのだった。今日はあまり時間がとれなかった、一段落が終わったのでいったん切っておこうか。