サーミ語 (北サーミ語を指すものとする、以下同様) の親族語彙には不思議なところがある。ヨーロッパの多くの言語がそうであるように、兄と弟、姉と妹については長幼の区別をもたないにもかかわらず、「おじ」と「おば」についてはさまざまな単語がある、それも日本語の「伯・叔」以上に細かい区別があるのである。
区別のしかたもまた独特で、論理的に考えうる {年上,年下} × {父方,母方} の 4 通りをすべて識別するのではなく、なぜか 3 通りずつ、それも男 (おじ) か女 (おば) かによって分けかたが異なっている。どういうことか。
まず「おじ」を指す単語には次の 3 種類がある。eahki は「父方の伯父」、つまり父の兄。čeahci は「父方の叔父」、つまり父の弟。そして eanu は「母方のおじ」、ここでひらがなで書いたのは母方の場合母の兄か弟かを区別しないためである。さらに 4 つめとして「義理のおじ」を意味する máhka もあるが、これは父方か母方か、年上か年下か、いずれも区別しない。父か母かの姉妹いずれかの夫はすべてこれにあたる。
他方「おば」のほうはどうか。こちらは goaski「母方の伯母」=母の姉、muoŧŧa「母方の叔母」=母の妹、siessá「父方のおば」=父の姉か妹、の 3 通りである。またやはり義理の場合には ipmi が父方・母方の兄弟問わずの妻を指す。
つまり、男女で分類が同じではないが、どちらが優遇・特別視されているというのではなく、いわば鏡のように対称的な構造となっている。親と同性のキョウダイで年上か年下か、親と異性のキョウダイか、という 3 種類ずつがあるわけである。
いったいどうしてサーミ語でそういう語彙体系が生じたのかはわからない。相続かなにか、サーミ人の文化的な決まりごとのなかで重要な分類だったのであろうか。サーミ語と近縁関係にあり地理的にも隣接しているフィンランド語ではこのようではない。フィンランド語の「おじ」には setä「父方のおじ」と eno「母方のおじ」のように父方・母方でべつの単語があるが、年齢では区別していない。「おば」に至っては täti の 1 種類だけである (これはフランス語 tante「おば」とそっくり——ドイツ語・オランダ語の Tante, tante はそこからの借用——であるが関係はなく、フィン祖語に遡るものらしい)。
それにしても、自分の父の兄と弟、母の姉と妹には別々の単語を用意しているにもかかわらず、当の自分の兄と弟、姉と妹は区別しないというのも奇妙な話だ。兄も弟も viellja、姉も妹も oabba である。ということは上述の各種おじ・おばを説明するのには「父の兄」のように 2 語では記述できず、「父の年上の兄弟」と 3 語を要するということになるのではないか。
ついでながら「いとこ」についても区別するのは性別だけで、vilbealli「従兄弟」と oambealli「従姉妹」があるのみ、年上・年下も父方・母方も区別しない。これらはさきほどの viellja, oabba に bealli「半分」がくっついた成り立ちとなっており、いわば「半兄弟・半姉妹」のいいである。字面だけ見ると、父と母のいずれか一方のみを共有する「異父・異母キョウダイ」のようにも思えてなかなかまぎらわしい。しかしもう 1 世代遡ると、父方または母方いずれかの祖父母をともに共有するのがイトコ関係であるから、なかなか合理的な呼び名なのかもしれない。
参考文献
- Guttorm, Inga, Johan Jernstletten, og Klaus Peter Nickel (1984). Davvin 2: Samisk begynnerkurs, pp. 6–7.
- Sammallahti, Pekka (1998). The Saami Languages: An Introduction, p. 109.
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