samedi 9 avril 2022

水谷『古典ギリシア語初歩』練習問題解答 (5)

水谷智洋『古典ギリシア語初歩』(岩波書店、1990 年) の練習問題の解答例。このページでは第 17 課から第 20 課までを扱う。



第 17 課 πᾶς, μέγας, πολύς の変化


練習 17


1. すなわち全地が著名なる人々の墓である。〔これだけでは理解しがたいと思うので、その前後を含めて原文を久保正彰訳で引用する。対応箇所は下線部:「いま安らぎを与えているこの土ばかりがかれらの骨を収めているのではない。かれらの英名は末ながく、わが国に思いをいたすものの言葉にも行ないにも、おりあるたびに語り伝えられる。世にしるき人々にとって、大地はみなその墓というべく、その功はふるさとにきざまれた墓碑にとどまらず、遠き異郷においても生ける人々の心に碑銘よりしるき不文の碑となって生きつづけていく。」(トゥキュディデス『戦史』中公クラシックス版 72 頁)〕

2. 大きな都市は大きな孤独である。

3. この人々は全員黒い武具をもっていた。

4. 恐ろしいものは多いが、何物も人間より恐ろしいものではない。

5. 哀れな母親たちはその速い船のなかにとどまるだろう。

6. 腹の快楽はあらゆるよきものの始めであり根である。

7. その当時、政治上のことごとの多くを 9 人の執政官が行っていた。〔同じトゥキュディデスからの引用だが、上掲の中公クラシックス版は抄訳であり残念ながらこのあたりは省略されている。岩波文庫版では上巻 169 頁、ちくま学芸文庫版では上巻 105 頁。前者の注によるとこれは、はるか昔の王政とトゥキュディデスの時代の民主政との中間の貴族政治のことを説明している。〕

8. 文献学者カッリマコスは、大きな本は大きな悪に等しいと言っていた。〔主文の動詞は ἔλεγεν。いまさら注意も不要だと思うが、間接話法の主語・述語なので τὸ μέγα βιβλίον と ἴσον は対格。〕

9. ひとつひとつの仕事において、より劣った者もいればより優れた者もいる。だが人々のうち誰一人としてその人自身が [単身で] あらゆることに長けた者はいない。

10. なぜなら 6 日のうちに主は天と地と海と、それらのうちにあるすべてのものとを作り、7 日めには休息したからである。このことのゆえに主は第 7 日を祝福し、それを聖なるものとした。〔出エジプト記 20:11。第 2 文「第 7 日」はふつうの日本語訳聖書では「安息日」を祝福したと書いてあるはずである。それはヘブライ語版と七十人訳ギリシア語聖書との違いのためである。〕


第 18 課 μι 動詞:ἵστημι と δίδωμι の直説法能動相現在・未完了過去・アオリスト


練習 18


1. 恩人たちには感謝を返すべきである。

2. 不運は人々をより賢明にさせる。

3. われわれは保証を与えることも受けることも欲している。

4. ソークラテースは多くの時間 (=長いあいだ) 履物なしに立った。〔πολὺν χρόνον は期間の対格 (cf. §46.1)。〕

5. 父 (なるゼウス) は彼に一方を与えたが、もう一方は拒んだ。

6. アテーナイ人たちにはその場所に立って戦うのがよいと思われた。〔ἐδόκει は δοκέω の未完了 3 単で、これだけで「(与格の人にとって) よいと思われる」、またはさらに進んで「〜することに決定する」の意。〕

7. なぜ君たちは橋のそばに見張りを立たせなかったのか。〔第 1 アオリストなので他動詞「立たせる」。〕

8. だがそのとき、ミーレートスを除いたイオーニアー地方の諸都市がキューロスのほうへと離反した (=寝返った)。〔今度は第 2 アオリストなので自動詞である。πρὸς Κῦρον は注のとおり。ミレトスも寝返ろうとしていたのだが、この一帯の統治をペルシア王から任されていたティッサペルネス——王弟キュロスを讒訴した彼の敵である——が現地にいたためそれができなかった。〕

9. 誰であれ友人を裏切らないような人は、私の考えるところ、人間たちにおいても神々においても大きな名誉をもつ (=大いに尊敬される)。〔μεγάλην は女性単数対格で τῑμήν にかかっている。〕

10. ある詩人は言う。神々は、動物たちを作ったときに、なんらかの贈り物をそれぞれに配分した。雄牛たちには角を与えた。馬たちには蹄を、鳥たちには翼を、そしてほかの者たちにはなにかほかのそういったものを (与えた)。しかし人間たちにはなにもそういうものを与えなかったが、男たちには徳を、女たちには美しさを (与えた)。このために、女がすべてのもののなかで最強なのである。なんとなれば、男たちは徳によってすべてのものに勝つが、女たちは美しさによって男たちに勝つからである。〔ἀρετή は訳しにくい言葉で、「徳」と訳したのではあまり意味がわからない (徳でどうやって牛や馬やその他の動物に勝つのか?)。これはそのもののあるべき資質や強みといったようなもので、鳥のアレテーは飛ぶこと、馬のアレテーは走りの速さ、などと例解できる。したがってこの男たちに関しては力強さや勇敢さ、あるいはそれこそ「男らしさ」と訳してもいい。そういう意味では——いまどきこういうことを言うとポリコレ的に問題になりそうだが、少なくともこの詩人の主張に沿うなら——女のアレテーは美しさであって、男だけがアレテーを与えられているのではない。〕


第 19 課 μι 動詞:τίθημι, ἵημι, εἶμι, δείκνῡμι


練習 19


1. 私たちはすぐに家へ立ち去る。

2. 君はその魚を放つべきだ。

3. 時だけが正しい人を示す。〔μόνος は χρόνος に一致した述語的同格で、副詞的に訳せる。〕

4. 君はチーズを革袋のなかへしまった。

5. 彼は若者たちに知恵への愛を吹きこんでいた。〔たぶんソクラテスのこと?〕

6. 牛たちはみな川へ行った。

7. ゆえに彼は手から剣を地面へと放した。

8. よいものから悪いものを作ることは、悪いものからよいものを (作る) よりも容易である。

9. 父ピリッポスはここに息子を 12 歳で埋葬した、大いなる希望ニーコテレースを。〔「十二のとしに おのが子を 父ピリッポス この塚に はうむりぬ、世にあまりある 望みをかけしニーコテレースを」(呉茂一訳『ギリシア・ローマ抒情詩選―花冠』52 頁)。δωδεκέτη は τὸν παῖδα に対して修飾ではなく述語的位置にある:「息子を埋葬した、そのとき息子は 12 歳であった」。〕

10. クセルクセースがギリシアに向けて進軍していたとき、ラケダイモーン人たちはテルモピュライで隘路を守っていた。そして戦闘のまえに同盟者のうちのある者が言った:「夷狄どもが矢を射かけるときはいつでも、太陽を大量の矢によって隠してしまう、それらの大量さはそれほどなのである」。そこでスパルタ人、名はディエーネケース (という者) が、言った:「客人よ、私たちにとってよいことのすべてをあなたは知らせている。というのももしメーディアー人どもが太陽を隠すなら、影の下で戦いは行われるだろう、日向ではなしに」。〔ὀνόματι は限定の与格「名前の点ではディエネケス」。豪胆で恐れ知らずの人物で、矢の雨が空を曇らすおかげで涼しい日陰で戦えるなら結構なことではないか、という冗談を言っている。〕


第 20 課 ω 動詞の能動相現在・未来・第 2 アオリストの分詞,分詞の用法


練習 20


1. 人間は死から逃げながら (それを) 追っている。

2. 私たちは心をひとつにすることで強くありつづけるだろう。〔μενοῦμεν は未来 1 複。現在分詞 ὁμονοοῦντες の男性複数主格は隠れた主語「私たち」に一致している。〕

3. 学んだ [学のある] 人々を信頼するべきである。〔μαθοῦσιν は μανθάνω の第 2 アオリスト能動分詞・男性複数与格。能動なので学ぶ主体であり、「学んだこと (内容)」と訳すのは無理。〕

4. 愛する者たちの怒りはわずかな時間しか力をもたない [持続しない]。

5. というのもよい生まれでありながら悪い者は多いからだ。〔主語は πολλοί で ὄντες εὐγενεῖς は譲歩の分詞節。直訳は「多くの人が、よい生まれでありながら悪い」。κακός「悪い」はじつにあらゆる意味での悪さ——人格の邪悪な、能力の劣悪な、容貌の醜悪な、または勇敢さに欠ける臆病・卑怯など——を意味する。この箇所もかなり漠然とした、「見かけは高貴でも立派な人物とは限らない」という説教であり、エレクトラが生き別れの弟オレステス (まだ正体を隠している) と再会するシーンで、老臣が彼女に忠告しているところ。〕

6. およそ妻を娶らぬ男は、悪いものをもっていない (=もたずにすむ) のである。〔女というものは災い、結婚は人生の墓場 (現在通俗的な意味で) という謂い。〕

7. キュプリス (=アプロディーテー) はクニドスのキュプリス (像) を見て言った:「ああ、ああ、プラークシテレースはどこで裸の私を見たの」。〔ἰδοῦσα は ὁράω の第 2 アオリスト分詞・女性単数主格。εἶδε の直接目的語は με で、女性対格 γυμνήν はそれに対する述語的同格:「私が裸でいるところを見た」。〕

8. 人間が万物の尺度である。あるものについてはあることの、あらぬものについてはあらぬことの (尺度である)。〔ἐστίν のアクセントは ὡς, οὐκ のあとでは ἔστιν となる (§52.4)。この ἔστιν と ὄντων はかならずしも存在ととらなくても、「〜である」と解してもよいのではないか。つまり、とある (或る) ものが何々であるとか何々でないとかいうことは人間理性の判断する問題であるということ?〕

9. かつは若者たちを堕落させ、かつは国家の信ずる神々を信じずしてほかの新奇なる神霊どもを (信じている)、ソークラテースは正しくないことを行っている、と彼は言っている。〔主文の主語は φησίν で、対格主語 Σωκράτη が ἀδικεῖν しているというだけの文。残りのところは現在分詞 διαφθείροντα と νομίζοντα がソクラテスの男性対格に一致して彼の行状を説明している。〕

10. 生きることは悪いと言った者に対して、「生きることがではない」と犬儒派のディオゲネースは言った、「そうではなく、悪く生きることが (悪いのだ)」と。

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