水谷智洋『古典ギリシア語初歩』(岩波書店、1990 年) の練習問題の解答例。このページでは第 33 課から第 36 課までを扱う。これが最終回である。
さらにべつの教科書で基礎固めを続けたい人のために、田中・松平『ギリシア語入門』の解答と田中『新ギリシャ語入門』の解答も用意してあるので、あわせてお役立ていただきたい。
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第 33 課 命令法:ω 動詞
練習 33
1. ゆっくり急げ。〔ラテン語で Festīnā lentē. 「急がば回れ」のこと。〕
2. 自分たちが裁かれないよう、(自分たちも他人を) 裁くな。〔κρῑ́νετε は命現能 2 複、κριθῆτε は接アオ受 2 複。〕
3. 見かけだけをではなく罪を清めよ。
4. 「ごきげんよう、友よ」と彼は言った、「そして私に頻繁に (手紙を) 書いてくれ」。
5. 人々にソローンは次のように忠告した:「誓いよりも人柄の立派さをより誠実なものとしてもて。嘘をつくな。まじめなことを行え。友人たちを拙速に得ようとするな。得られたならばその人たちを邪険にするな。まず支配されることを学んでから支配せよ。もっとも快いことをではなく、もっとも善いことを忠告せよ。理性をみずからの導き手とせよ。悪い者たちとつきあうな。神々を尊重し、両親を敬え」。〔ψεύδου 命現中 2 単。μελέτᾱ 命現能 2 単。κτῶ は κτάομαι の命現中 2 単、κτήσῃ は接アオ中 2 単で、οὓς δ’ ἂν ... の文は実現可能な未来の仮定 (§116.1)。μαθών アオ能分・男単主。ποιοῦ 命現中 2 単で、この中動は「自分のために」理性を導き手とせよの意。〕
6. 「もし誰かがほかのことをよりよいと見るならば、その者に言わしめよ (=その者は言え)」。すると誰も反対しなかったので、(クセノポーンは) 言った:「誰であれこのことがよいと思う者は、手を挙げよ」。(こうして) このことが決まった。「さてかくなるうえは」と彼は言った、「(われわれは) 立ち去って [撤退して]、決まったことを行わねばならない。そして、諸君らのうち家族に会うことを切望する者は誰であれ、(自分が) 勇敢な男であることを覚えておれ。ほかの方法でそれを得る (=目的を達する) ことは不可能なのだから。また生きることを切望する者は誰であれ、勝利するよう努力せよ」。
〔λεξάτω 命アオ能 3 単。不定関係代名詞 ὅτῳ は δοκεῖ「よいと思う」の意味上の主語で、この関係節全体 (先行詞 οὗτος 省略) が主文の主語 (=手を挙げる者) になっている。ἀπιόντας は ἄπειμι のアオ能分・男複対であり、これは省略されている対格主語 ἡμᾶς に一致している。δεδογμένα は δοκέω の完受分・中複対。ἰδεῖν は ὁράω の不アオ能。μεμνήσθω 命完中 3 単。ἀνὴρ ἀγαθὸς εἶναι が主格不定法になっていることに注意、すなわち主文の主語=ὅστις 節全体がこの「勇敢な男である」の主語である。ἔστιν は不定詞を従え (不) 可能を表す用法で、τυχεῖν は τυγχάνω の不アオ能。πειρᾱ́σθω は πειράομαι の命現中 3 単。〕
第 34 課 命令法:μι 動詞
練習 34
1. 私が立つような場所を私に与えよ、さすれば私は大地を動かそう。〔στῶ は ἵστημι の接続法第 2 アオリスト能動態 1 単。2 アオなので自動詞「立つ」の意 (§89.3)。〕
2. カイサルのものはカイサルに返せ、神のものは神に (返せ)。〔属格に中性の冠詞をつけて「〜のもの」と名詞化している。〕
3. おおギリシアの子らよ、行け/祖国を解放せよ/子らを、女らを、父祖伝来の神々の座所を解放せよ/また祖先の墓所をも。いまこそすべてのための戦いだ。〔ἕδη は ἕδος の中複対。〕
4. 与えられた有限の直線 (=線分) を 2 つ [2 等分] に切ること。
ΑΒ が与えられた有限の直線であるとせよ。ここで有限の直線 ΑΒ を 2 つに切らねばならない。
それの上に等辺の三角形 (=正三角形) ΑΒΓ が置かれてあれ。そして ΑΓΒ によって (作られた) 角が直線 ΓΔ によって 2 つに切られてあれ。(このとき) 直線 ΑΒ は点 Δ において 2 つに分けられてあるといえる。
なんとなれば、ΑΓ は ΓΒ に等しく、ΓΔ は共通であるから、2 つの (線分) ΑΓ, ΓΔ おのおのは 2 つの (線分) ΒΓ, ΓΔ おのおのに等しい。そして角 ΑΓΔ は角 ΒΓΔ に等しい。ゆえに底辺 ΑΔ は底辺 ΒΔ に等しいからである。
したがって、与えられた有限な直線 ΑΒ は点 Δ において 2 つに分けられてある。まさにこれがなされるべきであった。
〔δοθεῖσαν は δίδωμι のアオ受分・女単対。τεμεῖν 不アオ能 (不未能も同形)。συνεστάτω 命完能 3 単。τετμήσθω 命完受 3 単。第 4 段落では、2 つの三角形において 2 辺とそのあいだの角が等しければもう 1 つの辺も等しいという事実が使われているが、このことは命題 1.4 としてこれ以前に証明されてある。〕
第 35 課 μι 動詞型の変化をする第 2 アオリスト,動形容詞,動詞の主要部分
練習 35
1. 汝自身を知れ。〔命アオ能 2 単。〕
2. 愚か者は受けてから知る。〔「愚者は経験に学ぶ」。παθών は πάσχω のアオ能分・男単主。ἔγνω 直アオ能 3 単、ここでは格言的アオリスト (練習 7.9 の注)。〕
3. 私は昨日アリストーンの (息子) グラウコーンとともにペイライエウスへ下っていった。
4. 私はアーゲーシラーオスの徳と栄誉とにふさわしい称賛を書くことは容易ではないと知っているが、それでもやはり試みらるべきである。〔主語は中性名詞扱いの不アオ γράψαι で、ῥᾴδιον はそれに一致した中単主の述語。γράψαι の目的語として ἔπαινον は対格になっており、ἄξιον はこれに一致した男単対、その目的語 (何にふさわしいか) が ἀρετῆς τε καὶ δόξης の属格で示されている。クセノポンはスパルタ王アゲシラオス 2 世にやたらと心酔しており、これは彼を絶賛するために書いた伝記の書きだし。〕
5. 私はといえばアテーナイ人たちを、ちょうどほかのギリシア人たちが (そう言うの) と同じように、賢明であると言っている。さて私の見るところでは、いつであれ私たちは民会に、建築について国家がなにかを行わねばならないようなときには、建築家たちを建造物についての相談相手として遣いをやって召集するし、また造船についてとなれば船大工たちを (召集する)、そして学ばれかつ教えられうると考えられるほかのすべてのこともこのようにして (行っている)。しかるに国家の運営に関することについて協議せねばならないようなときには、(民会で) 立って彼らにこのことについて助言するのは (あるときは) 大工であり、また同じように鍛冶屋や靴屋、商人に船主、富める者も貧しき者も、高貴な者も下賤な者も (同じように助言する)、そうしてこれらの人たちに対して何人たりとも次のように非難することはない:「(この人は国家運営について) どこで学んだこともなく、1 人の教師もなく、それでいて助言を試みている」(などとは)。明らかにそれは教えられうることだとは考えられていないのである。
〔συλλεγῶμεν 接現能 1 複。δέῃ は δεῖ の接現能 3 単。τοὺς οἰκοδόμους と τοὺς ναυπηγούς は συλλεγῶμεν の目的語。μεταπεμπομένους はそれに一致した男複対なので、ここでは受動分詞で「遣いを送られた」ととる (文主語の「私たち」は主格なので、これを行為者とする中動分詞と解すのは無理)。μαθητά τε καὶ διδακτά は中複対で、ὅσα に (ひいては τἆλλα πάντα に) 対する述語であり、ἡγοῦνται の従える対格不定法句 (考える主語は一般の人々、厳密に言えばアテナイ人たちか)。βουλεύσασθαι 不アオ中。第 3 文に入って、περὶ τῶν τῆς πόλεως διοικήσεως は複属の冠詞 τῶν のあとに単属の名詞しかないことに注意、すなわちこれは「国家の運営について」ではなく、「国家の運営の」という属格をさらに名詞化したもの。それが主文で περὶ τούτων と中複属で繰りかえされる。ἀνιστάμενος は ἀνίστημι の現中分・男単主で、続きに列挙される主語のひとつひとつ (直接的には直近の τέκτων) に同格の状況説明。ὄντος διδασκάλου οὐδενὸς αὐτῷ は所有の存在文が独立属格句になったもの。〕
第 36 課 数詞
練習 36
1. 牝獅子は、いつでも 1 頭を産む [1 頭しか産まない] ことについて狐から非難されて、言った:「(たしかに) 1 頭だ、だが獅子 (の仔) だ」。〔τῷ は名詞扱いの不定詞 τίκτειν にかかっており、この不定詞が与格扱いで ἐπί の目的語であることを明示している。アイソーポス (イソップ) の寓話のひとつで、数よりも質という寓意。私は以前に「谷口訳『中世アルメニア寓話集』「雌獅子と狐」の誤訳」という記事で、同じ寓話の中世アルメニア語版を読んで検討したことがある。寓話じたいはたいへん短いもので、記事の最後に翻訳のまとめがあるので、アルメニア語に関心のないかたは途中は飛ばしてご覧になるとよい。〕
2. 軍勢はアウリス (港) に集まっていた。船はぜんぶで 1013 隻、指揮官は 43 人 (だった)。
3. 私、カッリクラテイアは 29 人の子どもを産んで/1 人の息子も 1 人の娘も死を見なかった/105 年 (もの歳) を過ごしても/杖に震える手を載せることはなかった。〔ἐδρακόμην, διηνυσάμην の 1 単より主語はあくまで「私は」で、Καλλικράτεια はそれに同格の名前。τεκοῦσα は τίκτω の、ἐπιθεῖσα は ἐπιτίθημι のアオ能分・女単主。〕
4. 起こることはこんなふうであった。おのおのが陶片をとり、市民たちのうちで追放したいと思うところの者 (の名前) を書いて、アゴラーの 1 つの場所へもっていった。指導者たちがまず陶片の総数を数えあげていった。というのはもし書いた者たちが 6 千よりも少なかったとしたら、追放は無効だったからである。それから彼らは (書かれた) 名前のうちの各々を別々に置いて、最大多数によって (名前を) 書かれた者に対し 10 年にわたる追放を宣言したものだった。
さて陶片が書かれていた当時、文盲でありまったくの田舎に住んでいたうちのある者が、アリステイデース (の名前) を書きいれるために、偶然行きあった者の 1 人としてアリステイデースに陶片を渡して、手助けを求めたと言われている。そこで彼 (=アリステイデース) は驚いて、彼に対してなにか悪いことをアリステイデースはしてしまったのかと尋ねると、「なにも」と彼は言った、「それに俺はその人を知ってもいない。だがそこらじゅうでその『正義の人 (=アリステイデース)』の話を聞くのでうんざりしている」。これを聞いたアリステイデースはなにも言いかえさず、(自分の) 名前を陶片に書きいれて返してやった。
〔λαβών, γράψᾱς アオ能分・男単主。μεταστῆσαι 不 1 アオ能。διηρίθμουν 直未完能 3 複。これらの未完了過去はすべて過去の習慣を表す。ἑξακισχῑλίων は比較の属格。εἶεν は希現 3 複で、過去の一般的な仮定 (§124.2)。ἰδίᾳ はここでは副詞として「別々に」の意。θέντες は τίθημι のアオ能分・男複主で、省略されている主語は οἱ ἄρχοντες である。
段落変わって冒頭は独立属格句。λέγεται に続く部分は間接話法になっており、τινα が対格主語で、ἀναδόντα アオ能分・男単対により付帯状況を示したあと、不定法 παρακαλεῖν が引用内容の動詞である。ὡς の次の ἑνί は τῷ Ἀριστείδῃ に同格の与格。ἐγγράψειε 希アオ能 3 単は過去の目的節のため希求法。次の文は δέ で主語が変わって τοῦ はアリステイデスを表し、2 つの分詞が並ぶ独立属格句。πυθομένου アオ中分・男単属。πεποίηκεν 直完能 3 単。最終行 τὸ ὄνομα は定冠詞だけで主語自身の所有を表す (§19.2)。〕
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