vendredi 29 avril 2022

田中・松平『ギリシア語入門』練習問題解答 (18)

田中美知太郎・松平千秋『ギリシア語入門』(岩波書店、新装版 2012 年) の練習問題の解答例。このページでは第 69 課と第 70 課を扱う。これが最終回である。

さらにべつの教科書で基礎固めを続けたい人のために、水谷『古典ギリシア語初歩』の解答田中『新ギリシャ語入門』の解答も用意してあるので、あわせてお役立ていただきたい。



LXIX μι 動詞の変化 (5) — ἵστημι の完了 II.φημί, εἰμί, εἶμι の変化


§618. 練習問題 134


1. それを私は見ながら立っていた。〔直過完能 1 単。完了および過去完了は自動詞で、「立てられた」結果いま (または過去のある時点まで)「立っている/いた」の意。〕

2. アレクサンドロスはテーバイの都を奪うと、ピンダロスの家だけに立っていることを許した。〔ἑστάναι 不完能。ἑλών は αἱρέω のアオ能分・男単主。紀元前 335 年のできごと。コリントス同盟にもかかわらず反乱を起こしたこの都市をアレクサンドロス大王は攻略し、ピンダロスの生家 (と神殿) 以外はすべて破壊しつくした。〕

3. 君が以前何者であったか言うのではなく、いま何者であるかを言え。

4. 将軍が命ずるならばどこへであれ行かねばならぬことを、私たちは全員知っている。

5. 魂は (人が生きて) そこにあるときにも (死んで) 離れ去るときにも見られない (=見えない)。〔出典はクセノポン『キュロスの教育』8.7.20。ラテン語では « Animus, nec cum adest nec cum discedit, apparet. » と言う;これはキケロ『老年について』80 章より。〕

6. 哲学者とつきあう人はより (道徳的に) すぐれた者として [になって] 離れる。〔数ある ἀγαθός の比較級のうち、βελτῑ́ων はとくに道徳的にすぐれたさまを言うとよく注記されているが (cf. 高津基礎 §34.6.a; シュタウブ §33 (3); 水谷 §70)、The Cambridge Greek Lexicon, s.v. βελτῑ́ων はかならずしも人格に限らず身分や能力などについても言うと認めている。とはいえここではそう思って差しつかえない。〕

7. 敵どもに向かっていこうではないか。〔勧奨の接続法。〕

8. 私は親しい友といっしょなら火のなかへさえ行くだろう。

9. 悪人たちが不正な道を行っているとき、彼らといっしょに行ってはならない。〔中間は独立属格句。〕

10. 立ち去ろう;すでに立ち去る時間だから。〔これも勧奨の接続法。〕

§619. 練習問題 135


1. εὖ ἴστε, ὅτι πειστέον τοῖς γονεῦσιν.〔πείθομαι の動詞的形容詞は LXII 課の練習問題で与えられている。〕

2. (ἐκεῖνος) μετὰ τῆς φίλης μητρὸς κ῍ᾱν διὰ πυρὸς ἴοι.

3. ἤδη τέθνηκεν ὁ βασιλεύς, ὥς φᾱσιν.

4. πιστεύσω σοι, ὅστις ἂν σὺ ᾖς.

5. ἡμῖν ἰτέον, ὅπῃ ἂν κελεύῃ ὁ βασιλεύς.


LXX μι 動詞の変化 (6) — ῞ῑημι, κεῖμαι, κάθημαι


§622. 練習問題 136


1. 動物たちはそれぞれがべつべつの声を発する。〔ἄλλην は φωνήν に一致している。〕

2. 君は私の言うことをよく理解してくれるが、彼らは理解していないし理解できもしないのだ。

3. アテーナイ人たちはラケダイモーン人たちに、陸上での主導権は進んで委ねたが、制海権は彼ら自身が (もつことに) 執着した。

4. 彼は明白なことを放置して不確かなことを追求していた。〔ἀφείς アオ能分・男単主。ἀφανής は巻末語彙集から漏れており補遺として 298 頁に載っている。〕

5. メソポタミアーはエウプラーテース [ユーフラテス川] とティグレース [ティグリス川] のあいだに横たわっていることから名づけられている。〔ὠνόμασται 直完受 3 単。〕

6. みずから不正を行うな、またほかの人に不正を行わせてもおくな。〔ἀδίκει, ἐφῑ́ει ともに命現能 2 単。〕

7. スパルタでは臆病者にはきわめてつらい罰が課せられていた。

8. 車の上に座ってキューロスは行軍していた。〔出典はクセノポン『アナバシス』1.7.20。〕

9. ちょうど弓と同じように、心もあるときは張っていてあるときは緩めておく必要があるのだ。

10. 異国の人よ、ラケダイモーン人たちに伝えてくれ。ここにわれらは眠る、彼らの言葉 [命令] に従いて。〔ἄγγειλον 命アオ能 2 単。水谷『古典ギリシア語初歩』練習問題 25.7 とほぼ同文だが、そちらでは不能現 ἀγγέλλειν とされており命令を表す不定詞だと説明されている。また ξεῖνος (= ξένος) と κεῖνος (= ἐκεῖνος) はイオニア方言形であるとの解説がある。〕

§623. 練習問題 137


1. ἡ χώρᾱ κεῖται μεταξὺ ποταμοῦ καὶ ὄρους.

2. μὴ ἀφῑ́ετε τοὺς νέους ἀλλήλους ἀδικεῖν.

3. τοῦτο ποίησον μόνον τὰ ἄλλα ἀφείς.

4. ὁ Μελάμπους συνῑ́ει τᾱ̀ς φωνᾱ̀ς τῶν ὀρνῑ́θων.

5. ἐπὶ τοῦ τείχους καθήμενοι οἱ παῖδες αὐτοὺς λίθοις ἔβαλλον.〔λίθοις は道具 (手段) の与格 (§633)。投げるという動作を石でもって行うということ。〕

§624. アッリアーノス『アレクサンドロス東征記』第 2 巻第 3 章


(1) さてアレクサンドロスがゴルディオンに滞在していたとき、頂に上ってゴルディオスの車と、車の軛の縛めを見たいという欲望が彼をとらえる。〔λαμβάνει は歴史的現在ととるのがよく、過去形に訳してもよい。ἀνελθόντα アオ能分・男単対。θεᾱ́σασθαι 不アオ中。〕

(2) その車については次のように語られていた。

(3) かつてプリュギアーにはゴルディオスという、貧乏で働くためのわずかな土地と 2 対の牛 (だけ) をもつ男がいた。〔δύο は中複対 ζεύγη に一致しており、βοῶν にかかる属格 δυοῖν ではない。つまり 2 頭からなる組が 2 つであって牛は全部で 4 頭。〕

(4) そしてあるとき耕していた彼のところへ鷲がきて軛の上に止まり、同じその場所に日暮れまでとどまった。〔αὐτοῦ はここでは副詞として「まさにその場所に」の意;これは古典期にはすでに廃れている場所の属格の名残である (高津 §227.2)。ἔμεινε 直アオ能 3 単。〕

(5) このできごと (の意味) に (彼が) 悩んでいると、預言者たちは (神々の) 王ゼウスに犠牲を捧げるよう命じて、大きな希望を吹きこんだ。犠牲を捧げると彼にはミダースという名の息子が生まれた。〔ἐμβάλλοντες 現能分・男複主は ἐκέλευσαν に同時的な動作なので、直訳すれば「吹きこみつつ命じた」だが、自然に通るよう語順のとおり訳した。最後の ὄνομα は限定の対格で、「名の点ではミダスという息子」。その前の αὐτῷ は ἐγένετο の利益を与える対象=ゴルディオスを指しており、「犠牲を捧げる」の間接目的「ゼウスに」ではない。さて注にあるとおりこのテクストはアドルフ・ケーギが初心者向けに書きなおしたものというが、この箇所はとくに簡略化が著しいので、アッリアノスの原文に従ってもう少し経緯を補足しよう。鷲が止まるという不思議なできごとに驚いたゴルディオスは、神意の解釈を伺うため預言者の一族が住むテルミッソスの村に向かったところ、村の近くで水汲みをしていた一族の女の子に出会い、なすべきこと・供犠の手順を教えてもらう (つまり実際に指示した「預言者」は 1 人)。そして彼女と結婚してミダスが生まれるのである。〕

(6) ミダースが美しく立派な男に (なり)、プリュギアー人たちがある内戦で苦しめられていたとき、彼らに (次のような) 予言がなされた:車が彼らに王を連れてくるであろう、そしてこの人が彼らのために内戦を終わらせるであろう、と。〔ἐμαντεύθη 直アオ受 3 単。ἄξει, παύσει はともに直未能 3 単。〕

(7) まだ彼らがそれらのことについて相談していたときに、ミダースがその父と母とともに、集会へ当の車を駆ってやってきた。〔冒頭は独立属格句。αὐτῇ ἁμάξῃ は道具の与格。〕

(8) そこで彼はプリュギアー人たちの王に選ばれ、内戦を終わらせる。〔これも歴史的現在。〕

(9) それからその父の車を土地の人々は、(神々の) 王ゼウスへの献納物として頂で守りつづけた。〔ἀνάθημα は τὴν ... ἅμαξαν に同格。〕

(10) またこの車については次のことも語られていた:その軛の縛めを解いた者がいれば誰であれ、その者はアシアーを支配するであろうと。縛めには終わりも始まりも [終端も始端も] 見えなかった。〔実現可能な未来の仮定〈ἐᾱ́ν + 接続法,直説法未来〉の文が間接話法になって引用されており、そのため後文の動詞 ἄρξειν は不定法未来、前文の λῡ́σειε は主文の伝達動詞 ἐλέγετο が副時称のため接続法から希求法に変えられ ἄν は落ちている (cf. 水谷 §128.2)。ちなみに λύσειε にマクロンがないのは誤植。〕

(11) そこでアレクサンドロスもこの縛めを解こうと試みたができなかった。解かれないままにしておきたくなかった彼は、剣を抜いて縛めを両断し、それが解かれてあると宣言した。〔ここの現能分 φάσκων の訳しかたも (5) と同様。〕

(12) するとその夜に雷火が天より兆しとして生じた。このことにもとづいて翌日アレクサンドロスは、兆しと縛めを解いたこととを顕してくれた神々に犠牲を捧げた。〔φήνᾱσι は φαίνω のアオ能分・男複与。〕

§625. プラトーン『クリトーン』(43a1–c3)


(1) ソ:なぜこんな時間に来ているのだ、クリトーンよ。それとももう早朝ではないのか。〔ἀφῖξαι 直完中 2 単。〕

(2) ク:いや、全然そのとおり (まだ早朝だ)。

(3) ソ:正確には何時だ。〔本書の語彙集では μάλιστα の語義を「[時]きっかり」と与えているのであるが、田中秀央訳注『クリトーン』(大学書林語学文庫) はこの文を「大体何時頃だ」と訳しており、大きく異なる印象を与える。田中秀央による訳注は次のように説明している:「μάλιστα ‘大体’ はおよその所を表わすのによく用いられるが,それでも比較的正確な返答を求めているのである」。〕

(4) ク:夜明けの直前だ。

(5) ソ:どうして牢番が君に耳を貸そうと思ったのか不思議だよ。〔ἠθέλησε 直アオ能 3 単。ὑπακοῦσαι 不アオ能。〕

(6) ク:(牢番は) もう僕とはなじみなんだ、ソークラテース、頻繁にここへ通っているからね。それになんやかや親切にもしてきているから。〔εὐεργέτηται は直完受 3 単で、直訳は「私によって親切にされてきてある」。ちなみに親切にというのは要するに心づけ、賄賂を渡しているということ。〕

(7) ソ:で、たったいま来たところなのか、それとも前から (いるのか)。

(8) ク:だいぶ前からいるよ。

(9) ソ:ではどうしてすぐに僕を起こさないで、黙ってそばに座っていたのだ。〔ἐπήγειρας のアオリストに対して παρακάθησαι は真の現在だが、日本語では接続助詞「て」の前だけを過去にすることはできないのでやむなく「座っていた」とした (前半を「*起こさなかって」のように表現できればいいのだが;「起こさなかったうえで」はまどろっこしいし)。与格 σῑγῇ はここでは副詞的に「黙って、静かに」;これは具格的与格の一種で「沈黙とともに」ということ (田中・松平文法 §226)。〕

(10-1) ク:(起こすだなんて) とんでもない、ソークラテース、それに僕だったらそれほどの不眠と苦悩のうちにいたくはないものだ。〔この文章全体でいちばん難しい箇所! これはじつは「現在の事実に反する仮定」の文で、その後文のため ἤθελον は直説法未完了になっているのである。前文すなわち条件節のかわりになるのは αὐτός の 1 語で、「もし私じしん (が君の立場) であったら」ということ。〕

(10-2) それなのに君が心地よく眠っているのを認めて僕は君に (さきほどから) ずっと驚いている。〔現中分 αἰσθανόμενος は理由を表す分詞節。〕

(10-3) それでわざと君を起こそうとしなかったのだ、君がなるたけ心地よく過ごせるように。〔ἤγειρον の未完了は過去における始動「しようとした」。ἵνα の導く目的節で διάγῃς は接続法になっている。過去における目的なので希求法にしてもよいところだが、あえて接続法で言うことで現在においてもなお変わらぬ目的、目覚めたいまでもソクラテスに気持ちよく過ごしていてほしいというクリトンの願いが聞こえてくるようである。〕

(11) それに僕は全生涯のなかで以前にもしばしば君をその性格ゆえに幸福と思ったが、いま現にある災難において (これまでで) もっとも著しく (そう思っているよ)。君がたやすく穏やかにそれ (=災難) に耐えているものだから。〔παρεστώσῃ は παρίστημι の完能分・女単与。〕

(12) ソ:だってクリトーン、もう死なねばならないほどの年齢であるなら、苛々するのは似つかわしくないだろう。〔ἄν ... εἴη は可能性の希求法。τηλικοῦτον ὄντα は δεῖ の省略された対格主語に一致する状況説明で、εἰ 節のなかに入れて考える。〕

(13) ク:だがソークラテース、ほかにも同じほどの年齢でこのような災難に見舞われる者はあるが、なんら年齢は彼らに、現前する運命に苛立つことを消し去りはしない。〔ἄλλοι は英語の無冠詞の others と同じで、ほかの人全員ではなく中にはそういう人たちもいるということだから、日本語で「ほかの人たちは」とすると誤解を招く。οὐδέν は限定の対格「いかなる点でも〜ない」。μὴ οὐχί については注のとおり:οὐδέν がなくて主文が肯定なら μή だけで「苛立たないよう解消する」だが、主文が否定なので従属文も反転して「苛立たなくないよう解消しない、解消しないので苛立たないようにならない=苛立つ」という理屈。〕

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