samedi 27 juin 2015

Hélix『古フランス語 18 課』第 1 課前半

古フランス語の教科書は,日本語で書かれたものは数えるほどしかないが,解説がフランス語になることを許せば大小数えきれないほどのものがある.現代語であると古語であるとを問わず,学習人口の少ない言語では入門者向けの本がなく研究書や体系的なレファレンスにかぎられることがあるが,フランスで出版されている古フランス語の書籍のリストはかならずしもこれにあたらず,前者の種類の本も何種類かの選択肢がある.ここに紹介する本もそれで,文法事項を重要度と難易度に応じて少しずつ説明する漸進的なタイプに近い学習書である.

今回は,Laurence Hélix, L’Ancien français en 18 textes et 18 leçons, Armand Colin, 2014 をもとに古フランス語の学習を行う.非営利の勉強メモとはいえ著作権・翻訳権等の問題が気にかかること,また現実的な作業量を勘案して,原文の記述を適度に割愛した résumé である.読解演習の節はいっさい扱わず,また文法説明の節の例文については古文と日本語訳のみを示し,現代フランス語訳は再掲しないので,必要に応じて原書を参照されたい.

凡例
  • カギ括弧「  」は原文の «  » である.ただし原文では «  » があってもカギ括弧を省略した場合もある.
  • 亀甲括弧〔  〕は訳者による補足で,原文にない語句や,原文を思いきって短くまとめた場合,またごく短い訳注を示すために用いた.
  • 丸括弧 (  ) はおおむね原文どおりだが,原語を示すためのものはもちろんそのかぎりでない.
  • ボールドは原文どおり.イタリック italique は,原文で古語やラテン語を示すために用いられているものは反映させていない.
  • 重要な用語はつとめて原語を併記しているが,それ以外にも非常にしばしばそうしてある.フランス語の原語を示すことが日本の読者のためになると考えられる場合や,訳者が訳語に確信をもっておらず誤訳を恐れた場合などがそうである.


第 1 課 古フランス語に出会おう À la rencontre de l’ancien français


古フランス語 (ancien français, 以下 AF) は現代フランス語 (français moderne, FM [訳注]) の祖先である.数世紀のあいだ,われわれの領土の大部分,ロワール川の北で話されてきた.それにもかかわらず AF はわれわれにとって難しい.この課ではわれわれの古い言語が同時にどれほど近くまた遠いかを見る:
  • AF では名詞 nom, 代名詞 pronom, 限定詞 déterminant, 形容詞 adjectif は曲用する se décliner.
  • 主語 sujet が動詞 verbe のあとに置かれることがある.
  • つづり graphie は固定されておらず,正書法 orthographe の概念が意味をもたない.
  • AF は複数の言語である:この呼び名の裏に複数の方言,たとえばシャンパーニュ語 le champenois, ピカルディ語 le picard, ワロン語 le wallon, アングロ・ノルマン語 l’anglo-normand があり,それぞれ音韻 phonétiques, 書字法 graphiques, 語彙 lexiques が異なっている.
[訳注] 17 世紀から 19 世紀までの近代フランス語 français moderne と,20 世紀以降の現代フランス語 français contemporain とを区別する著者もあるが,ここでは「現代」ととってよかろう.


第 1 部 中世のフランス語の異質さ L’étrangeté du français médiéval


1. 曲用の言語 Une langue à déclinaisons

FM では名詞はふつう単数 singulier と複数 pluriel の 2 つの形態しかとらない.しかし AF では単数・複数の対立に加えて格の casuelle 対立があり,主格 (cas sujet, CS) と斜格 (cas régime, CR [訳注]) を区別する.このことをよく理解するために,2 つの抜粋を『獅子の騎士 Chevalier au Lion』から見る.イヴァン Yvain の題でも知られ,クレティアン・ド・トロワ Chrétien de Troyes の 1176 年から 1180 年のあいだの作である.

[訳注] Cas régime は被制格と訳すのがもっとも正確だろうが,要するに主格以外の格のことなので,わかりよい斜格 cas oblique とする.
Li chevaliers ot cheval buen / Et lance roide. (主格) : 騎士はよい馬と/硬い槍をもっていた.
Le chevalier siudre n’osai (斜格) : 私はその騎士にあえて従わなかった
どちらも単数なのに,統語上の問題で形を変えている:前者では li chevaliers は動詞 ot (avoir) の主語であり,後者では le chevalier は動詞 siudre (suivre) の直接目的語である.

CS と CR の区別は冠詞と名詞だけではない.所有〔形容〕詞 possessif と指示詞 démonstratif, 品質形容詞 adjectif qualificatif, 代名詞 pronom もまた格に応じて異なる形をとる.これは 6 つの格をもっていた古典ラテン語 (latin classique, LC) の名残である.時の経過とともに,「俗ラテン語 latin vulgaire (VL)」と呼ばれる話し言葉のなかで,格の大部分は CS にあたる主格 nominatif と CR にあたる対格 accusatif の 2 つを残して消えた.

しだいに,とりわけ 12 世紀のはじめまでには,曲用はもはや尊重されなくなっていた:まず口頭で,それから文字上で,CS の形は CR の形にとってかわられた.おそらく話し手も書き手も,もっともよく使った形である CR を特別視したため,しだいに CS の形はほとんどまったく消えてしまった.中世の終わりまでには,残った区別は単数と複数の対立だけであり,これが FM に保たれている.


2. 語順は現代と大きく異なる Un ordre des mots bien différent du nôtre

語順は複雑な問題であり,韻律上の rythmique 理由には第 8 課で立ち戻る.ここでは『獅子の騎士』からもう 2 つの引用を見よう.文法上の主語に下線,動詞の活用形をイタリックで示す [訳注].

[訳注] 原文では AF の文全体がイタリックのため,動詞の活用形を太字 gras で示している.
An piez sailli li vilains, lues / qu’il me vit vers lui aprochier. 両足でヴィラン [訳注] は跳びあがった/私が彼のほうへ近づくのを見るやいなや.
Vers l’ome nu que eles voient / cort et descent une des trois. 彼女たちがちらと見る裸の男のほうへ/3 人のうちの 1 人が [馬から] 降りて走る.
[訳注] ヴィラン vilain は中世の農村に居住する自由平民のこと.

この 2 つの章句を見ると,主語は動詞の前の場合も後の場合もある.このことは 13 世紀まで文証されている attesté 統語現象を例示している:S-V-C の語順が従属節 proposition subordonnée 内では支配的であった一方で,C-V-S の語順が独立節 proposition indépendante および主節 prop. principale 内では支配的である.FM に保たれる S-V-C の語順はわれわれに親しいが,C-V-S は現代の読み手にとっては当惑させられる,というのもこれは中世の終わりには廃れ,現代の用法に対応しないからである.動詞の前に置かれた名詞がかならずしも主語でないことに注意せよ.


3. 正書法のない言語 Une langue sans orthographe

LC や FM に比して,AF は正書法をもたず,辞書も「よい慣用 bon usage」を定める文法も存在しない.中世の大部分を通して,確立された規則はなにもなかった.

あるテクストのうちで同じ語が異なる形に現れたとしても驚くべきではない.写本によってまた写字生によって,語は非常にさまざまの形で現れる.こうした状況において,AF の辞書に頼ることは困難である:どのつづりを信頼すればよいのか,どの見出し語を選べばよいのか,honor/anor/enor の語を探すには h を見るのでよいのか.


4. ひとつの言語と複数の方言 une langue et des dialectes

長いあいだフランス語は「複数的 plurielle」であり,多くの方言からなっていた.より正確には,AF と呼ぶものはオイル語 la langue d’oïl にあたり,これはロワール川の北で話されていた方言をまとめたものであった (オイル oïl は FM の oui にあたる).ロワール川の南ではオック語 la langue d’oc が話されており (oui にあたるオック語),これもまたガスコーニュ語 le gascon やプロヴァンス語 le provençal のような方言にわかれる.

本書ではオック語を取り扱わない.これはオイル語よりもラテン語に近く,すなわちゲルマン語の影響をあまり受けなかった.そのかわりに,AF の本格的な学習を始めるまえに知っておいてほしいのは,本書に現れる活用と曲用は,イル・ド・フランスで話され FM の直接の祖先になった「中央フランス語 français central」という方言に対応するということである.初学者は何々の方言の特質にかかずらって古語の学習を複雑にさせぬほうがよい.

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