vendredi 29 décembre 2017

M で始まるものの絵を

アリスが帽子屋たちの「気違いお茶会」に参加する『不思議の国のアリス』VII 章は私のいちばんお気に入りの章で,開幕から最後までひたすら笑えます.現代の目から見るといくぶん過激で乱暴だと感じるシーンもありますが,ここで帽子屋 (Hatter) と三月兎 (March Hare) とヤマネ (Dormouse) のトリオが演じるドタバタは,ちょうどいまどきの (あるいは一昔まえの?) お笑い芸人がそっくりそのままコントとして発表してもなんら違和感がないように思われます.

さてこの章でヤマネの最後のセリフとなるのが,彼の即興話に出てくる 3 人の女の子がお絵描きを習って「M で始まるあらゆるもの」(everything that begins with an M) の絵を描く話です.ヤマネがその内訳を語りだすまえに「なんで M?」(Why with an M?) とアリスが口をはさみますと,すかさず三月兎が「なんでいけない?」(Why not?) と言いかえします.

ここには 2 つの不思議があります.ひとつは言うまでもなく,アリスも気づいているとおり M というイニシャルになにか特別な意味があるのかという問題.そしてもうひとつは,これまでアリスに話の腰を折られるたびに怒っていた語り手のヤマネ本人ではなく,言いかえすのが三月兎である点です.

例によって Martin Gardner の The Annotated Alice に頼ってみますと,みごとにこれらの疑問を解決してくれる解説が注記されています.それは Selwyn Goodacre による説で,三月兎は自分の名前 (March Hare) も M で始まるのでそうあってほしかったという解釈です.

続けて ‘molasses’ が M で始まるという点が指摘されています.ヤマネの即興話のなかで女の子たちが最初に draw する (引きだす=絵を描く) 対象が「糖蜜」(treacle) ですが,これはイギリス英語で,アメリカ英語では molasses と言います.こちらのほうはあまり関係がなさそうというか,説得力を感じません.イギリス人のキャロルがアリスに語りイギリスの読者のために書かれた本文では molasses でなく treacle と呼んでいるわけですから,draw treacle からここまでつながっているなら T であってしかるべきでしょう.

ともあれ M が March Hare と関係しているとすると,日本語訳をするさいもここに気をつけたほうがよさそうです.March Hare を「三月兎」とするなら,絵を描くものの名はサで始まるにあわせるといった要領ですね.ここまで徹底した訳はあまり例がありませんが,私の手もとにある十数冊のなかでは「さ行」と訳した佐野真奈美訳と,三月兎をカタカナの「マーチヘア」と呼び「『ま』で始まる」としている楠本君恵訳の 2 例が見つかりました.

このさいキャロルも監修した 1869 年のドイツ語訳・フランス語訳を確認してみるとおもしろいことに気がつきました.まずはドイツ語版から見てみますと,英語とドイツ語は姉妹言語ですから,多くの場合苦労もなくそのまま訳せてしまいます.「M で始まる」を保持しながら,当の単語も半数は直訳で済ませています (mouse-traps = Mausefallen, moon = Mond).

しかし不可解なのは三月兎の名前で,1869 年のアントニー・ツィマーマン (Antonie Zimmermann) 訳では Faselhase と書かれていますが,March はドイツ語で März ですからすなおに Märzhase と呼べるはずです.じっさい,現代の『アリス』のドイツ語訳では後者で呼ばれているようで,ドイツ語版 Wikipedia でもこちらで立項されています.もともと ‘mad as a March hare’ という英語の成句に由来するという三月兎の名は,最初の翻訳当時に直訳してはドイツ語で意味が通らないと懸念されたのかもしれませんが,そのために F で始まる名前に変えることが許容されていたという事実は示唆的です.

さらに奇妙なのはアンリ・ビュエ (Henri Bué) による同年のフランス語訳です.ここでは驚くべきことに,「M で始まるものの絵に関する一連のくだりがばっさりと,完全に省かれています.会話の成りゆきは以下のように飛んでいます:
Alice, craignant d’offenser le Loir, reprit avec circonspection : « Mais je ne comprends pas ; comment auraient-elles pu s’en tirer ? »
« C’est tout simple, » dit le Chapelier. « Quand il y a de l’eau dans un puits, vous savez bien comment on en tire, n’est-ce pas ? Eh bien ! d’un puits de mélasse on tire de la mélasse, et quand il y a des petites filles dans la mélasse on les tire en même temps ; comprenez-vous, petite sotte ? »
« Pas tout à fait, » dit Alice, encore plus embarrassée par cette réponse.
« Alors vous feriez bien de vous taire, » dit le Chapelier.
ここにはいくつもの言葉遊びがあって直接訳文を示すことは難しいので,順を追って解説していきます.まず英語の to draw にあたる動詞が tirer です.最初にアリスが「でもわからないわ.どのようにして彼女たちは s’en tirer できたのでしょうか?」と問うのに対し (s’en tirer のダブルミーニングについては後述します),帽子屋が「井戸に水があるなら,どのように水を tirer するかはよくご存知ですよね? では糖蜜の井戸からは糖蜜を tirer するんですよ」と返す応酬は英語の原文どおりです.しかしその次に「そして女の子たちが糖蜜のなかにいるなら,彼女たちもいっしょに tirer されるというわけです」という原文にない一節が加わっています.

それから帽子屋のセリフが「わかりますか,お馬鹿さん?」(comprenez-vous, petite sotte ?) で終わるのはまた原文どおりです.しかるに本来ならこの次にヤマネの ‘in the well ― well in’ の言葉遊びがあって,アリスはそこではじめて「この答えにますます混乱してしまい」(encore plus embarrassée par cette réponse) となるはずのところ,フランス語訳では ‘well in’ も「M の絵」もなく,ヤマネがしゃべらないままアリスは帽子屋の口ぶりに当惑して「ぜんぜんまったく」と答えてしまい,原文では会話の最後を画する帽子屋の「それなら黙っていなさい」というセリフに飛ぶことになります.

この理由はおそらく明らかです.英語の draw と違いフランス語の tirer には,「(線や図を) 引く」くらいはあってもはっきりと「絵を描く」(peindre, faire de la peinture) という意味はありません.そのためヤマネとアリスの会話ですれ違うはずの「糖蜜をどこから draw する」の言葉遊びがうまくいかず,絵の話題をすっぱり訳し落とすことになったのでしょう.

そのかわりにフランス語訳では独自に 2 つの言葉遊びを加えています.ひとつは上で指摘した帽子屋の新セリフで,糖蜜の井戸から糖蜜が tirer  (=引きだす) されるとき,同時にそのなかに住んでいた三姉妹も tirer (=助けだす) されるというものです.もうひとつは最初のアリスのセリフで,原文では糖蜜の「絵をどこから描きだす」だったのが,仏訳では代名動詞 s’en tirer すなわち「うまく切りぬける,なんとかやっていく」の意味で彼女は言っているのだと思われます.「彼女たちはどうやって暮らせていたのでしょうか」とアリスは尋ねているわけです.

こう言ったとき,ではなぜその質問から帽子屋は「どうやって糖蜜を引きだしていたのか」という井戸の話に曲解できたのかと疑問に思われるかもしれません.これは再帰代名詞の se を「自分たちのために」という間接目的語,また中性代名詞 en を部分冠詞つき目的語の「糖蜜」(de la mélasse) を指すと再解釈することで,文法的にも問題なく s’en tirer「なんとか暮らしていく」を「自分に糖蜜をとってあげる」とのダブルミーニングに読めているのです.もしフランス語訳の『アリス』を翻訳するとしたら,このことを日本語の訳文に組み入れるのは至難の業です.

フランス語の解説がずいぶん長引いてしまいましたが,本題に戻って結論めいたことを申しておきます.ドイツ語では March Hare の M の字にこだわっておらず,フランス語では M の絵の件がまるごと消し去られている,という改変を私たちは確認しました.かりにこれがキャロルの見落としではなく本人の許可のもと行われたのだとすると,M の文字の意味も口をはさむのが三月兎であることも,たんなる後代の解釈にすぎないということになってしまいます.どちらにしても証拠のない話ではありますが,M と三月兎を関連づける訳に縛られたくない人にとっては気休めになるでしょうか.

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