mardi 5 décembre 2017

アリスが読んだフランス語教科書

このあいだの「4 × 5 = 12」に引きつづき,ふたたび『不思議の国のアリス』II 章から話題をとる.II 章の後半で体が小さくなりネズミに出会ったアリスはそれに話しかけるのだが,英語が通じていないと早とちりをしてもろもろ連想の結果,唐突に « Où est ma chatte ? »「私の猫はどこ?」と口走ってネズミを怒らせる.

この顛末は脇に置くとして,問題はアリスがこのフランス語文を口にした経緯である.あるいはキャロルが作中にこの文を登場させた理由と言ってもいい.ルイス・キャロル協会の木下信一氏によるページ「ウ・エ・マ・シャット?」にて基本的な事項を学べるので,まずはそちらをご覧いただきたい.簡単に繰りかえすと,これは当時のイギリスで幼い子向けに家庭教師がフランス語を教えるときの教科書でいちばん最初に登場する文で,現代日本の環境に照らせば ‘This is a pen.’ のような立ち位置だったということである.

実在のアリスやその姉妹たちが読んだフランス語の教科書! それだけでもじつに興味を惹かれるではないか.この教科書の正体,木下氏は Gardner の注釈本の最終版 (the Definitive Edition) から引いて,La Bagatelle: Intended to Introduce Children of Four or Five Years Old to Some Knowledge of the French Language, 初版 1804 年としている.

ただ私の手もとにある Gardner では ‘three or four years old’ と書かれているのだが……? また Gardner じしんはこの注において Hugh O’Brien という人物の論文を典拠としている.

いかにも 19 世紀の本らしく,長ったらしい説明的な副題がついた書物だ.言うまでもなくもはや著作権で保護などされていないだろうから,ジャンルからいっても Google あたりがデジタイズして Google Books や Internet Archive (archive.org) などで全文 PDF が公開されていてもいいはずであるが,どうにも見つからない.

見つからないのだが,見つからないなりに調べたことをいったん記録しておこう.初版年は 1801 年と書かれている情報源もあるし (Joyce Irene Whalley, Cobwebs to Catch Flies, p. 132. これは 18–19 世紀の児童文学や挿絵つきの本を扱った研究書),京大図書館の蔵書検索では 1793 年となっている.ともあれ短く見積もっても,1852 年生まれのアリス・リデルがこの本でフランス語を勉強する歳になるまで,半世紀以上使われつづけたロングセラーである.著者は Madame N. L. というイニシャルの匿名の女性らしい.

また本の副題のうち ‘Four or Five Years Old’ とされている部分にも疑問がある.調べてみるとなんと,上でも触れたとおりここが ‘Three or Four’ になっているものや,さらに ‘Five or Six’ となっているものまである.3–4, 4–5, 5–6 歳の計 3 通り.日本で言えばちょうど幼稚園・保育園の年少・年中・年長組にあたる年齢だ.この 3 つのタイトルが,多年にわたる増刷の過程で教育事情の変化などに起因する同じ本の改題であるのか,それとも学年別に 3 段階のグレードが設けられた別種の本であるのかもわからないが,おそらくは前者だろう.

PDF で手に入らない以上は,古本で実物を購入するしかない.19 世紀全体を通じて読まれつづけた本であり,ちょうどアリスの学んだ 1850 年代なかばを考えればいまから 160 年も昔の本であるが,本の状態と何年発行の版であるかについていっさいこだわらなければ現在でも入手することは不可能ではない.5 千円から 1 万円ほども出せばいずれかの版は注文できるだろう.

ただしちょくちょく内容が変わっているようなので,資料として厳密にアリスが読んだ可能性のある版を求めようとするなら注意が必要である.たとえば前掲の木下氏のページでは氏の所有する 1834 年版の最初のページが見られるが,この 3 番めの例文 « J’ai du lait pour elle. » が,1867 年版では (ほぼ同義ではあるが) « Je lui ap-por-tais du lait. » に差しかえられ,挿絵もべつのものになっている.この中間である 50 年代の本文がどちらであったかはわからない.もっとも当の « Où est ma chatte ? » は (少なくともこの 2 者のあいだでは) 変わっていないようである.

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