vendredi 11 septembre 2020

中山『ラテン語練習問題集』の難所および疑問点 (第 20 課まで)

中山恒夫『ラテン語練習問題集』(白水社、1995、新装版 2009) の大半を解き終わったので (全 30 課のうちの 20 課。後のほうほど注記が長くなりそうなのでいったんここで切っておく)、その過程で私が間違えた箇所、難しいと感じた箇所について、たんなる覚え間違いや不注意のミスは除き、後続の学習者にも役に立つかもしれない点に絞って覚え書きを残しておく。

私の手元にあるのは新装版になるまえの旧版のおそらく最後の刷 (2005 年 3 月 30 日第 4 刷) であり、以下に記す誤植等の指摘のなかには新装版ですでに解消されているものもあるかもしれない。

ところで旧版の別冊解答・単語集が新装版では巻末に一体化されてしまったというが、何百回何千回と開かなければならない解答・単語集は別冊のほうが望ましいことは学習していれば誰でも実感されることであり、これは残念な改悪である。しかしもしこのために古本で手に入れようとする場合は、別冊や付録というものは失われていることが多いので注意されたい。



練習問題 I, II, III ― とくになし


練習問題 IV


6. 5) 問題文中 porcōrum < porcus, -ī, m.「豚」が単語集 P の欄に出ておらずミスかと思ったが、単語集最後のページの補遺に含まれていた。初刷では抜けていたものを追加したということだろうが、気づきにくい。新装版ではちゃんと順番どおりの箇所に入れられているとよいが。

11. 1) 動詞 dōnō「…に〜を贈る」には、日本語の感覚で自然な「与格の人に対格の物を」だけでなく、「対格の人に奪格の物を」という語法がある。すぐ前の 8. では与格の puellīs に対格の pōma を与えていたこともあって、この問題の suam fīliam, ... fīliam vīcīnī pōmīs では (pōmīs が与格と奪格で同形ゆえ) 与格と対格が逆でないかと悩み時間をとられた。

練習問題 V, VI, VII ― とくになし


練習問題 VIII


1. 5) 受動文に変えるという問題。Quid が主語かと勘違いし対格目的語が見あたらず戸惑ったが、これが対格で主語は明示されていない不定の 3 人称複数だった。

6. 例の書きかえ後の文、ならびに 7. 6) 問題文の文末にピリオドがない。

練習問題 IX


4. 2) 動詞 sacrificāmus, sacrificēmus < sacrificō は付属の単語集によれば他動詞で「犠牲に捧げる、供える」とだけ出ているが、この問題文 (のみならず他のほとんどの箇所でも) には対格目的語 (捧げられるもの) が含まれていない。ここでは自動詞として使われているものと思われる。

練習問題 X


2. 4) および 5) 問題文で Troia, Troiam の o の上にマクロンがついていない。

3. 4) および 6) 問題文の重文が〈直説法完了,直説法未完了過去または完了〉となっているところ、cum を使う複文で〈Cum + 接続法過去完了,直説法未完了過去または完了〉に直すもので、どうやら副文中の接続法は相対時称ということを使うべき問題であった。だが正解がこうなるということは、直説法の問題文の意味はたんに完了時制の 2 つの動詞を並列するだけで (たとえば現代フランス語における単純過去のように) その順の時間的継起・先後関係が決まるのだろうか? それともこの 2 文ではたまたま文脈からそうなったということ?

練習問題 XI


1. 1) 解答が « Sī mūrus oppidī aedificātus, erit, incolae tūtī erunt. » となっており、erit の前のコンマが誤植。

4. 7) 解答の末尾が firmātī erat となっているが、主語 aditūs は複数だし完了受動分詞 firmātī も男性複数であるとおり、erant の間違いであろう。

練習問題 XII, XIII ― とくになし


練習問題 XIV


2. 5) 動詞 dīligitis < dīligō の訳語が解答では「選出する」となっているが、付属の単語集はもとより水谷『羅和辞典』にもそういう語義は載っていない。単語集の訳語「尊敬する,敬愛する」でもふつうに通る文なので、解答の誤りか (参考までに、のちの練習問題 XVI の 1. 3) にある類似の文では同じ動詞が「尊敬した」と訳されている)。〔追記:たぶん dēligō「選ぶ」と混同したのだろう。〕

練習問題 XV


1. 4) 問題文の quod, quae から推して答えは正しく書けたが、なぜそうなるのかはわからない。前半は中性単数対格、後半は中性複数対格のようだが、考える内容が複数?

練習問題 XVI


1. 5) melle < mel, mellis, n.「蜜」が付属の単語集 (補遺も含めて) に載っていない。

7. 4) 解答および単語集 (diū の項) ともに間違っており、比較級 diutius、最上級 diutissimē の ū は長い (cf. 練習問題 XXIV 1. 6) は正しく diūtius とつづっている)。

8. 1) 単語集には vacō, -āre の語義が「空いている;暇である」しか載っておらず、「((ā +) 奪) を欠いている・から免れている」がないと vacāre culpā の意味を正しくとれない (「罪によって暇である」かと勘違いした:職を失ったのか、それとも蟄居や禁固刑みたいなことか)。それを抜きにしてもこの文は、māius と sōlācium が離れていて述語形容詞 (「逆境において慰めは大きくない」) にも見えるため、nōn est が (非) 存在であることに気づくのがなかなか難しい。

練習問題 XVII


1. 8) 同じ語の省略と考えてどちらも属格 alterīus を埋めたが、正解は後者が与格 alterī だった。だが « Duae deae [...]. Herculēs alterīus cōnsilium neglēxit, alterīus autem (cōnsiliō) obtemperāvit. » でも通るのではなかろうか? じっさい、続く大問 4. のいくつもの文ではそのような省略をしている:たとえば 2) « Fābulae hūius librī nōbīs placent, illīus displicent. » の後半における属格 illīus など。obtemperō が人でなく助言を与格目的語にとれるかどうかがネックか。

練習問題 XVIII


1. 10) perīcula maris ingentis「巨大な海の危険」にあうよう ingēns「巨大な」を変化させる問題だが、私は「危険」が「巨大」なものかと思い中性複数対格 ingentia にしてしまった。同じく 5) の 3 つめの空所 scholīs philosophōrum (nōbilis → nōbilium)「有名な哲学者の学校」も、「学校」のほうが「有名」だと思えば nōbilibus になる。別解として可能かと思われる。

4. 5) temerē「無謀に」(水谷羅和では「3 無分別に,むこうみずに」) が、(その派生前と思われる語も含めて) 単語集に載っていない。

5. 8) custōdīrī の現在 3 単。解答が custōditur となっているが、custōdītur の誤りだろう。

練習問題 XIX


1. 3) 解答の訳文が「使者の亡骸」となっているが、corpus mortuī なので「死者」の誤変換。

1. 6) これはべつに間違いの話ではないが、quae (中性複数) と hominēs はどちらもそれぞれ主格と対格が同形だから、問題の関係文は「人間を体力で凌ぐ動物」だけでなく逆に「人間が〜」と解することも文法的には可能である。その場合は現在分詞句には書きかえられず、完了受動分詞を用いて numerus animālium ā hominibus vīribus corporis superātōrum とでもなろうか。ちなみに vīribus corporis「体力において」は関係・限定の奪格 (第 12 課 1 節)。

1. 8) 文頭の laetī は主語 (私たち) の精神状態を補足する述語的同格 (第 17 課 2 節)。

3. 素朴な疑問として、ローマ数字で書くとき基数と序数を書き分ける方法はラテン語にはないのか? たとえばドイツ語では序数には 21. Jahrhundert のように点をつけて区別するし、英語やフランス語その他では -th や -e といった語尾を数字につけて表すところだが (序数標識という)。

練習問題 XX


3. 1) magis necessārium の直後に est が省略されている。nōn sōlum sibi「自分にだけでなく」の sōlum が sibi にあわせた与格にならないのは nōn sōlum ... sed etiam ~ でイディオム化しているためか?

3. 3) Plūrēs equī が文の主語で、sunt は存在。したがって vīcīnō と patrī は所有者の与格 (第 10 課 6 節)。ぼさっと眺めて雰囲気で訳していると「隣人の馬は父のより多い」なのになぜ属格でないのだろうなどと悩むことになる。

4. 1) 解答は « Studium reī pūblicae virō Rōmānō maximē necessārius fuit. » となっているが、主語は中性単数 studium なので necessārium になるのではないのか。この magis, maximē によって分析的な比較級・最上級を作る場合に、もとの形容詞 (いまなら necessārius) のほうの語尾がどうなるのか労を厭わず説明してある本はきわめて少ないが *、探せば小林『独習者のための楽しく学ぶラテン語』§122 (120 頁) には magis, maximē idōneus (-a, -um) という記述が見つかった。そもそも先述の 3. 1) にも magis necessārium の形が出ている。

* 泉井『広文典』も呉『入門』も松平・国原『新ラテン』も樋口・藤井『詳解』も中山『標準』も、無精して -us の形しか書いていない。ためにこういうミスが生じるわけである。田中『初歩』と有田『インデックス式』には magis, maximē による分析的比較級について言及そのものがない。

4. 2) 同上。主語 plērīque canēs は男性複数なので、答えは maximē idōneus ではなく maximē idōneī になるはず。

5. 1) iī は指示代名詞 is の男性複数主格で、続く quī 関係節の先行詞となり文全体の主語。

5. 4) これも主動詞が存在の erat。私は文頭の Italiae を属格と思って次の空欄に īnferiōris を入れてしまった、というのはこの属格句が後ろの nōmen を限定し「下部イタリアの名前は……大ギリシアだった」というコピュラ文だと考えたから。これでもいちおう通るのでは?

5. 8) 解答が propius となっているが、これが修飾する castra は中性複数対格なので propiōra の間違いだろう。

7. 3) Mārcum ... agentem は現在分詞の男単対。ここは知覚動詞 vīdī < videō の目的語なので、対格不定法の agere にそのまま交換することもできようが、ニュアンスはどう違うか。松平・国原『新ラテン文法』§508 注 (176 頁) が参考になる。


〔2020 年 9 月 23 日追記〕第 21 課以降は次の記事に続く。

Aucun commentaire:

Enregistrer un commentaire